有章院霊廟二天門
寺・神社・教会
3.42
有章院霊廟二天門 クチコミ・アクセス・周辺情報
三田・田町・芝浦 観光 満足度ランキング 15位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
有章院霊廟二天門は、日比谷通りに架かる歩道橋の上から別のアングルで見るとその素晴らしさが分ります。
4.0
- 旅行時期 2024/04
- by Lily-junjunさん
港区芝公園3丁目にある「有章院霊廟二天門」についての情報を発信していきます。今回、「有章院霊廟二天門」を訪れたのは2024... 続きを読む年4月日5です。「有章院霊廟二天門」へのアクセスは、都営地下鉄三田線「御成門駅」のA1出口を出て右方向に86mほど進むと、歩道の右側に「有章院霊廟二天門」があります。 「有章院霊廟二天門」は、江戸幕府7代将軍「徳川家継」の霊廟の惣門だった建物で、昭和5年(1930年)5月23日に、国の重要文化財に指定されています。現在の「東京プリンスホテル」の周辺は、戦前は「増上寺」の「北廟」でした。「北廟」には、6代将軍「徳川家宣」と7代将軍「徳川家継」の廟がありました。7代将軍「徳川家継」の廟は、享保2年(1717年)に8代将軍「徳川吉宗」が建立したものです。ちなみに、「有章院」とは7代将軍「徳川家継」の法号で、7代将軍「徳川家継」はわずか5歳で歴代最年少の将軍となり、その4年後には病気のため短い生涯を終えました。「有章院」を祀る霊廟には色とりどりで華やかな装飾があしらわれ、その豪華さは「日光東照宮に劣らない」と称されたほどでした。しかし、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失してしまいましたが、そのような戦禍の中で、「有章院霊廟二天門」だけが残っています。「有章院霊廟二天門」には、仏教の護法神であり、向かって右が北方を守る「多聞天」と左が西方を守る「広目天」が祀られています。現存していませんが、6代将軍「徳川家宣」の「文昭院霊廟」の門には「持国天」と「増長天」が安置され、2門あわせて仏法を守護する「四天王」が祀られていました。昭和20年(1945年)の東京大空襲で霊廟が焼失した後、土葬されていた「徳川家継」の遺体は荼毘に付され、徳川将軍家霊廟に改葬されているそうです。「有章院霊廟二天門」をそばで見るのもいいのですが、「日比谷通り」に架かる歩道橋の上から別のアングルで見ると、建築物の素晴らしさがさらに分かります。是非、歩道橋の上から眺めてください。 01_【「有章院霊廟二天門」の一口メモ】 所在地…〒105-0011 東京都港区芝公園3丁目3 02_【「有章院霊廟二天門」へのアクセス】 ⑴ 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」3番出口から徒歩12分850mほど ⑵ 都営地下鉄三田線「御成門駅」A1出口から徒歩1分86mほど 閉じる
クチコミ・評判
3.42
(72件のクチコミ)- アクセス:
- 3.72
- 都営地下鉄三田線「御成門駅」A1出口から徒歩1分86mほど by Lily-junjunさん
- 人混みの少なさ:
- 3.84
- 門の前で足を止める観光客は結構いました。 by Lily-junjunさん
- バリアフリー:
- 3.21
- 日比谷通り歩道から数段の石段がありますが、二天門の周囲に柵があるので歩道から写真撮影する程度であれば問題ありません。 by hiroさん
- 見ごたえ:
- 3.65
- 徳川家継を祀る有章院霊廟の惣門であり国指定の重要文化財です。 by hiroさん
1~20件(全72件中)
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威厳があります
- 4.0
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
- 0
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戦禍を免れた貴重な建物
- 4.0
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
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赤い色が眩しい門
- 3.5
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
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芝にある赤い門
- 3.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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徳川家継の霊廟の惣門でした
- 3.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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7代将軍家継の霊廟の惣門
- 3.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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江戸霊廟建築最後のもの
- 4.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 0
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御成門駅のすぐそばです
- 3.5
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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日光東照宮の建物にも似ている
- 2.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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徳川幕府・歴代最年少将軍を祀る霊廟の惣門です!
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 2
『有章院霊廟二天門』は、江戸時代・中期となる1716年(正徳6年)に逝去された徳川幕府・第7代将軍「徳川家継」(諡号:有章... 続きを読む院)を祀る霊廟として徳川家の菩提寺であり当時の徳川将軍家の手厚い保護により繁栄していた大寺院「増上寺」の広大な境内北側に位置する先代の徳川幕府・第6代将軍「徳川家宣」(諡号:文昭院)を祀る「文昭院霊廟」のさらに北側に隣接して「徳川家継」が逝去した翌年の1717年(翌享2年)に徳川幕府・第8代将軍「徳川吉宗」によって建立された霊廟建築群の入口として惣門(正門)となる銅瓦葺き切妻造り屋根の三間一戸八脚門です。
また、第8代将軍「徳川吉宗」がその後に当時の徳川幕府・財政再建を主導した政策の「享保の改革」により霊廟建築の建立が廃止されており、『有章院霊廟』以降は既存する「徳川将軍家霊廟」に合祀する形式に代わっており、「徳川吉宗」以降の徳川将軍家の遺体については、既存の霊廟・奥院に新たに宝塔のみが造営され埋葬されるようになっています。
ちなみに第7代将軍「徳川家継」は、「徳川家宣」が第6代将軍に就任した1709年(宝永6年)に「徳川家宣」の四男として誕生してから、わずか3年後の1712年(正徳2年)に第6代将軍「徳川家宣」が逝去したことに伴い、翌年の1713年(正徳3年)に徳川幕府・歴代最年少将軍(数え5歳、満4歳)として第7代将軍に就任していますが、先代の「徳川家宣」と同様に将軍に就任してから3年後の1716年(正徳6年)に風邪による急性肺炎が原因と考えられている病でこの世を去っています。
『有章院霊廟』の建造物群については、「本殿・相之間・拝殿」が一体となった権現造りの御霊屋を中心に惣門の「二天門」から御霊屋に通じる参道廻りに「勅額門」、「鐘楼」、「水盤舎」、「井戸屋形」、「中門及び前廊」など、そのほか奥院に通じる「唐門及び前廊」、「拝殿」、「中門」、「宝塔」など複数の建造物で構成されており、かつての広大な「増上寺」境内にあった「徳川将軍家霊廟」とともに1930年(昭和5年)になると当時の国宝保存法による国宝(現行法の重要文化財)に指定されています。
1945年(昭和20年)の太平洋戦争末期になると「増上寺」境内も東京大空襲による戦災に見舞われており、『有章院霊廟二天門』をはじめいくつかの建造物が被災を免れていますが、江戸時代に繁栄した「増上寺」境内のほとんどの建造物が焼失しており、国宝保存法から1950年(昭和25年)に新しく制定された文化財保護法施行に伴い戦災を免れた『有章院(徳川家継)霊廟二天門』が国指定の重要文化財となっています。
さらに1958年(昭和33年)になると「増上寺」境内北側および南側に存在していた「徳川将軍家霊廟」の発掘調査が実施され遺体・遺骨を調査した上、荼毘に付されて新たに整備された現在のコンパクトな「徳川家墓所」に埋葬されています。
かつての『有章院霊廟』および「文昭院霊廟」跡地となった「増上寺」境内・北側エリアは、1964年(昭和39年)に開催の「東京オリンピック」にむけて民間の敷地に代わりオリンピック開幕直前に「東京プリンスホテル」がオープンしているほか、戦災を免れて敷地内に残る『有章院霊廟二天門』も敷地と同様に「増上寺」からホテル経営の民間所有となり現在に至っています。
今回は、「芝公園」エリアを訪れる機会があり現在の「増上寺」を中心に散策して廻り、「東京プリンスホテル」敷地内駐車場の東側となる日比谷通り(都道409号)沿いに位置する『有章院霊廟二天門』を写真撮影しましたが、2015年(平成年)から4年間の保存修理工事が実施されており、色鮮やかな朱塗りの木造部分に金色の鍍金が施された華やかな装飾金物が目を引く惣門で見ごたえがあり、太平洋戦争で焼失した御霊屋などの建造物を想像しながら楽しむことができました。 閉じる投稿日:2024/09/15
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朱色と金色
- 3.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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立派な佇まい
- 4.0
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
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港区散策(2)で有章院霊廟二天門を訪れました
- 4.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
- 1
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江戸幕府第7代将軍徳川家継の霊廟建築
- 4.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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江戸幕府七代将軍・徳川家継の霊廟の惣門
- 5.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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有章院霊廟二天門も「御成門」と同じプリンスホテルの駐車場にあります。
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
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とてもかっこいい。
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
-
豪華な二天門ねぇ
- 3.5
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
新型コロナウイルスの中、世間は自粛ムードの中でマスクは手放せませんね。ワクチン接種を終えて、他人に迷惑かけないよう心掛けて... 続きを読む都内を散策してきました。御成門駅から徒歩で数分の芝公園にある東京プリンスホテルの敷地に「有章院霊廟二天門」があります。この霊廟二天門は八代将軍吉宗が建立したましたが東京大空襲で焼失してしまい、焼け跡に残った二天門は切妻造銅板葺造りの八脚門で中心の棟の下に4本の柱を配し、その前後に各4本、合計8本の柱を配すことから八脚門とよばれています。二天門の左右には四天王の護法神が安置されています。また銅板レリーフには戦前の有章院霊廟二天門が描かれていました。まだ桜の開花前でしたが蕾がふくらみ、今ごろは満開でしょうか。ぜひお立ち寄りくださいね。
閉じる投稿日:2022/03/29
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徳川家の史跡
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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近くの歩道橋からキレイに東京タワーとのツーショットが撮れます。
- 4.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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