ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さんへのコメント一覧(3ページ)全28件
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第2武庫川橋梁の謎
橋梁学会さま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
実は、小生も該橋梁に就いて、長年疑問を抱き続けております。
鉄道用橋梁とは申せ、昭和28年(1953年)にもなって溶接では無く鋲結合の桁製造など考えにくい点が多く、小生、一時は戦前製造部材のストック活用かとも考えた事がございます。
横浜臨海公園Re: 第2武庫川橋梁の謎
横浜臨海公園様、こんばんは。
国鉄の橋梁設計は工務局設計課に一元化し、技術の蓄積と一貫性を持った設計を実現し、新しい設計を取り入れて発展していきましたが、この橋梁についてはその一貫性が感じられず、何か別の要素が影響して不本意な設計となってしまっているような印象を受けました。全く不可思議な橋梁です。
いつも旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。2019年06月25日20時46分 返信する -
関西本線橋梁
橋梁学会さま、こんにちは。
何時も重厚な旅行記、感服しております。
下ノ川橋梁
全長34.36m
22.30m+12.68m
27.3t 9.6t
高さ10.0m
木津川橋梁
全長172.377m
30.07m(100ft)+62.38m(200ft)+30.07m(100ft)+21.3m(70ft)+21.3m(70ft)
200ft橋梁のみ大正15年(1926年)横河橋梁製造品に架替られた以外は、明治28年(1896年)英国製を、大正15年(1926年)アーチ部材追加に依りランガートラス化改造したものでしたね。
何時までも現役で使用してほしいものです。
それにしても桑町跨線橋の損壊には驚かさせられました。
横浜臨海公園Re: 関西本線橋梁
横浜臨海公園様、こんにちは。
木津川橋梁についてはGoogleの衛星写真で見る限りでは洗掘対策がなされておらず、近年多い豪雨増水による橋脚の洗掘・転倒が懸念されます。
桑町跨線橋も桁を添架する等、変な形で拡幅されないか心配です。
古くて良い物はいつまでも大切に保守し、現役でいて貰いたいものです。
コメントありがとうございます。2019年03月19日16時10分 返信する -
木曾川橋梁
橋梁学会さま、こんにちは。
旅行記を拝見させていただきました。
当該橋梁は、
チャールズ.A.ポーナル(Charles.A.W.POWNALL)(生没不詳)設計に依る、初代天龍川橋梁
英國パテントシャフト(PATENTSHAFT & AXELETREE)社製
錬鐡製下路ダブルワーレントラス構桁 支間63.4m(200ft)
の転用品だったと記憶しております。
仰せの通り、高さは低い為に架線を吊架するのに苦労した事と思われます。
実際に、同型構桁が導入され、戦後まで使用された東北本線利根川橋梁では、C51型、D50型蒸気機関車通過の際は速度制限を設定していたとの話を聞いた事がございます。
何れにせよ、揖斐川橋梁同様に、行政の手で保存処理される事を願うばかりです。
横浜臨海公園
Re: 木曾川橋梁
東海道本線の初代天龍川橋梁でしたか。19連もあったのにほとんど残っていないというのは悲しいです。立場川橋梁もなんとか保存してほしいですね。
吉野川橋はいつ落橋してもおかしくない程損傷が著しいので、今年中に観に行こうと思っています。
コメントありがとうございます。2019年03月11日13時58分 返信する -
Re:伊勢電気鉄道
伊勢電は3社合併の予定だったのですか。実現していたら名古屋~大神宮前間も名鉄の路線になっていたかもしれませんね。
西小坂井駅のレールは、事前に調べておいた訳でもなかったのですが、かなり分かりやすい場所なので、たまたま発見できてよかったです。
コメントありがとうございます。拝復
橋梁学会さま、こんにちは。
大正末期ですが、当時の愛知電機鉄道と伊勢電気鉄道の役員は、殆ど兼務では無いかと錯覚させるほど同じで、更に、愛知電機鉄道のデ3001型と伊勢電気鉄道の車輌は、外観も性能も同一図面から製作されました。
早くに両社が合併していれば、津以南も廃止されず、外宮前が終点だった大神宮前まで路線が残り、名鉄伊勢本線として残ったのではと考えておリます。
横浜臨海公園2019年03月08日11時49分 返信する -
伊勢電気鉄道
橋梁学会さま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
伊勢電気鉄道は、前身の伊勢鉄道時代に橋梁関係では、宮川以外に、雲出川等々に、民間企業では立派すぎるトラス橋梁を架橋させ、さて、今度は名古屋延長段階になって、会社内経理不正の為に、経営の無理も祟り、地元金融機関からデフォルトを宣告され、愛知電気鉄道、名岐鉄道との3社合併が予定されていたにも拘らず、白紙撤回されてしまい、本来であれば、中部地域の鉄道会社でありながら、関西急行に吸収同然に合併されてしまい、そして津新町以南は戦前に廃止され、数年前まで痕跡が多数残っていた様ですが、半世紀以上も経過すると残るものも少なくなってしまいました。
再用容易なガーダー桁は近鉄社内で転用されている様ですが、流石に、トラス橋梁ともなると転用先は難しく、当該橋梁も近鉄が愛知県に売却した資産の典型となっているようです。
西小酒井駅の古軌条は、小生が訪れた際は、ちょうど工事中で隠された状態だった為に、迂闊にも、まさか日本鉄道発注のヴォルコーボーン社とは存じませんでした。
横浜臨海公園 -
はじめまして
橋梁学会さま、はじめてメッセージを差し上げます。
此の度は、小生のページに初訪問を賜りまして、誠に有難うございました。
幾つの旅行記を拝見させて頂きましたが、本当に読みたいものばかりで感動させられました。
例えば、関東大震災で壊滅し再生された隅田川の橋梁群は、ワシントン会議で建造中止になった戦艦、巡洋戦艦用に輸入済だった鋼鐵類を、主として太田圓三が設計し架橋した業績など、今日では忘れ去られており、極めて残念に思っております。
ようやく、読み応えのある旅行記を発見しました。
今後とも何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園2019年03月02日13時22分返信するRE: はじめまして
横浜臨海公園 様
初めまして。お褒めのお言葉ありがとうございます。
私が貴殿の旅行記を観たのは、東海道本線豊橋〜西小坂井駅間に掛かる豊川放水路橋梁を調べていて辿り着いたものです。来週名古屋から浜松へ行く用事があるので、18切符を使ってどこか途中に面白そうな橋があればと思っていたら、東海道線に変わった橋があったのを思い出し、調べていました。
貴殿の一貫して精緻な調査に裏打ちされ、数々の美麗な写真に彩られた重厚な旅行記は正に圧巻に一言です。それに比べると私の方は質・量ともに寂しい軽薄は内容で、お恥ずかしいかぎりです。私は鉄道に限らず、道路・水路・通信・転車台等々橋と呼べる物は全てに興味をもっており、貴殿とは若干方向性が違うとは思いますが、微力ながら橋の魅力を旅行記として伝えていきたいと考えています。
今後とも貴殿のますますのご活躍を祈念し、旅行記を観させて頂きたいと思います。
メッセージありがとうございました。
橋梁学会2019年03月02日17時30分 返信する -
昔、出張の合間に網走監獄に行ったことがあります。
何回も脱獄に成功しては捕まっていた犯人が居るみたいです。
吉村昭の「破獄」の実話だそうですが、そんなに根性あるなら別の事をしたら大成するのにと思いました。
網走監獄は誰でも入れる人気の観光コースになっています。
近くの網走刑務所は犯罪者のみの特別な観光コースとなっています。Re: 昔、出張の合間に網走監獄に行ったことがあります。
網走もレンガ造りの古い建物が結構残っているようですね。
ちょっと遠いですが、機会があったら行ってみたいと思います。2019年01月31日09時26分 返信する -
ひそまそ行きたかった
橋梁学会さんはじめまして、marsyと言います。
18日の岐阜航空基地祭、ひそまその聖地が見られる
(イベントの時しか基地内には入れないので)
ということで行きたかったのですが、
当日、隣の家の法事と重なり、
親戚なのでパスするわけにもいかず、
泣く泣くイベントをあきらめました。
やはり忠実に現地を再現してあるみたいですね。
花の舞も見たかったですが、立ち入り禁止区域では仕方がないですね。
飛行機の写真(当然こちらがメインなのでしょうが)も綺麗に撮られていますね。
ブルーインパルスの編隊飛行撮影するには、やはり腕も必要なのでしょうね。
では失礼いたします。橋梁学会さん旅行記にポチッとな。Re: ひそまそ行きたかった
初めましてー。
コメントありがとうございます。私も去年行けず、ブルーインパルスを見逃してしまい、当分来ないかな~となかば諦めていました。そんなところへ『ひそまそ』です。今年買った一眼レフを持って張り切って行ってきましたが、写真の方はまだまだです。orz
これからも暖かい目で見守ってください。(^^)/~~~2018年11月22日07時29分 返信する



