旧益田家物見矢倉
名所・史跡
3.33
旧益田家物見矢倉 クチコミ・アクセス・周辺情報
萩 観光 満足度ランキング 46位
クチコミ・評判
3.33
(19件のクチコミ)- アクセス:
- 3.44
- 萩市中央公園に車を停めて、徒歩で10分ほどかかりました。 by パリが大好きさん
- 人混みの少なさ:
- 4.12
- 観光客は誰もいませんでした。 by パリが大好きさん
- バリアフリー:
- 3.17
- 萩中央公園からは起伏のない道でした。 by パリが大好きさん
- 見ごたえ:
- 3.94
- 見応えのある建物でした。 by パリが大好きさん
1~18件(全19件中)
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北の総門の監視もできた武器保管庫です。
- 3.5
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
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北の総門の人の出入りを見張るロケーション
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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北の総門を守ります。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
北の総門を入ると、道はT字路に突き当たります。右に向いた正面に旧益田家物見矢倉があります。(そこから直角に曲がって西方向に... 続きを読む北の総門筋が伸びています)従って、旧益田家物見矢倉は北の総門を守る役目があったのですね。高さ1.8mの石積みの上に建っています。桁行は11m、梁間は5mとのことです。前面に格子窓があり、見張りやすくなっています。また、矢倉となっていますから、武器も収納していたのでしょう。益田家は永代家老ですが、元々は現在の島根県の益田市を領有する大家でしたが、関ヶ原後毛利氏に従って長州へ移り、小さな須佐を領有することになっています。禄高は12、063石余りです。 閉じる
投稿日:2021/08/02
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背の高い建物です。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
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北の総門のすぐ近くにある矢倉
- 2.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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見張り台
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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家老の屋敷に隣接する物見櫓。
- 5.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
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見ごたえがあります
- 4.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
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ちょっと美的なセンスも窺われるように思います
- 4.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 1
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広いお屋敷なのよー
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 0
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今も当時の姿を残しています。
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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萩藩永代家老益田家物見矢倉
- 4.5
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
- 0
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家老のお屋敷は監視小屋
- 3.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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復元された萩城外堀を渡り、これまた復元された「北の総門」をくぐると、まもなく櫓のような古い建物が見えてきました。幕末に至る... 続きを読むまで毛利藩の家老家を務めた益田家の物見櫓です。平屋ですが、東にある北の総門側が一段と高くなっており、確かに監視小屋の雰囲気。格子戸は物々しささえ感じます。益田家は永大家老職という名門。島根県益田市が本拠で、大内氏が滅亡後、毛利の家来となりました。幕末の当主だった益田親施は禁門の変の際、長州藩の指揮を執りました。幕府の第一次長州征伐の際、責任を問われ切腹させられました。中に入ることはできなかったけど、どんな雰囲気だったのか見てみたいところです。 閉じる
投稿日:2015/01/27
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北の総門を見守った永代家老の屋敷
- 4.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
- 0
萩博物館を北上するとあります。あるいは北の総門の傍です。
萩藩の永代家老である益田家の屋敷です。
当時、萩城三の丸... 続きを読む(現在の堀内地区)に入れる場所は3か所しかなく、その内の一つが北の総門です。その北の総門に近かったため、益田家が見張り台を兼ねた物見矢倉を建てたそうです。なお、3か所で現存する物見矢倉もここだけだそうです。
石垣に格子窓、本瓦葺の屋根に懸魚もあり、一家老の建物と考えると重厚ですね。
この通りは、現存している長屋もいくつかあり、学校の壁や一般の民家の方も土塀・石垣で統一していますので、情緒のある通りとなっています。
なお、この増田家は、幕末の禁門の変の責任を取って切腹した三家老の一人です。
閉じる投稿日:2015/11/16
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毛利家に忠義を貫いた信念の永大家老、益田家の物見矢倉は一見の価値あり
- 4.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
- 0
旧繁沢家長屋門の真向かい萩藩の家老だった益田家の物見矢倉、旧益田家物見矢倉があります。
天井が高く見張り台も兼ねていたの... 続きを読むで物見矢倉と呼ばれていたとのことです。
外部から萩城下への入り口の一つである北の総門からほど近い位置にあることから北の総門の見張りの役目も果たしていたようです。
こちらの当主、益田親施は禁門の変の責任を取って切腹の沙汰を受けた人物。
現代は政治家が不祥事を起こしてもほとぼりが覚めるまで代表を退いたり、辞職したりする程度で次の選挙ではまた要職に返り咲く図式が成り立っていて情けない話ですね。
益田氏ならずとも、長州藩の幕末の志士や要人は志半ばで戦死したり切腹したり、自刃したりと自分の責任や果ては藩や他人の責任を取って死んでいった。
そして、今尚その名前とかつて住んでいた住居跡だけが当時を今に伝えています。
建物は萩博物館から歩いて行ける距離にあり、北の総門からも近い距離にあります。
白壁、夏みかんとともに見ておいて損は無いと思いますよ。 閉じる投稿日:2014/12/18
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城下町の雰囲気を感じる
- 3.5
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
- 0
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高杉晋作萩ゆかりの地巡り 萩一番のお薦めストリート 北の総門通り
- 5.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
- 0
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高さ1.8mの石塁の上に建つ堅固な単層の建物
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 1
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