クリント東木さんのクチコミ(47ページ)全1,696件
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投稿日 2019年04月30日
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投稿日 2019年04月30日
総合評価:2.0
上野公園のさくら通りに設置されています。ほとんどの方は気づかず通り過ぎており、偶然見つける事ができました。看板を読むとライオンズクラブが設置し、トーテムポールにはインディアンの信仰と制度のシンボルとして部族の安全と繁栄を祈願したもの。緑の森と動物と人間生活の結びつきを強調し、都民の平和と繁栄を願って(木ではなく)恒久的な鉄筋コンクリート造りのものを建立したという事でした。看板を読めばその意図は分かりますが、一見しただけではその意味は分かりません。もう少し別の表現があったのではと思います。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2019年04月30日
総合評価:4.0
国立科学博物館の入り口に展示されています。寂れた感じは全くなく、非常に状態の良い蒸気機関車D51を見ることができます。正面から見ると艶があり、今にも動き出しそうな雰囲気。展示されている機関車は音・煙などの臨場感はありませんが、間近で見ることができるのはここならでは。一見の価値があります。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2019年04月30日
総合評価:3.5
上野公園内の林の中にあります。試験管をかざし実験中の姿はかなりリアルです。制作は多摩美術大学の教授吉田三郎氏。野口英世と言えば猪苗代の辺りを思い浮かべますが、なぜ上野公園に銅像が設置されたかは看板に詳しく記載がありました。銅像造立の活動を始めたのは福島県出身の玉応文三雄。その後様々な変遷を経て北里研究所が引き継ぎ、東京都教育委員会の山崎匡輔の周旋によって上野公園に設置されたのだそう。歴史を感じると共に知らない事が多く勉強になりました。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年04月30日
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投稿日 2019年04月30日
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投稿日 2019年04月28日
総合評価:3.5
当初は慈眼大師(天海大僧正)を祀る「開山堂」でしたが、後に寛永寺本坊内にあった慈恵堂から慈恵大師像を移し、慈恵・慈眼のお二人のお大師をお祀りしたことから一般に『両大師』と呼ばれています。今回は徳川家霊廟から国立博物館の裏を周った事で、偶然参拝しました。しかし境内には見所も多く、阿弥陀堂や幸田露伴旧宅の門など。また天皇が車を戻し再度見たという御車返しの桜はどんな咲き方をするのか非常に興味が湧きました。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年04月26日
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投稿日 2019年04月26日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
総合評価:4.0
噴水前の広場の東京都美術館寄りの林の中にあります。オランダ一等軍医ボードワン博士は1862年から1871年まで滞日。この地が上野戦争で荒廃したのを機に大学病院建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園作りを提言し、1873年に日本で初めての公園が誕生するに至ったという事。まさに上野恩賜公園の父とも言うべき存在ですが、林の中の目立たない場所に胸像があります。西郷隆盛銅像や小松宮像より目立つ場所に設置されてもいいと思いますが…。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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看板だけですが横にある「東都名所上野東叡山全図」で当時の光景が目に浮かびます
投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
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投稿日 2019年04月25日
総合評価:3.0
上野に森美術館の前にあります。天海僧正は徳川家康の知遇を受け、家康没後に日光廟の基本的構想をたて造営を指導した方。その後も秀忠、家光の帰依を受け江戸城鎮護のため寛永寺を創建したそうです。日光山に葬られ、ここに供養塔が建てられたそうです。今まで何回もこの前を通っていますが、全く気が付きませんでした。しかし看板の解説などを読むと非常に功績のある方。非常に地味な供養塔なので、もっと立派ものでもいいのではと感じました。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2019年04月25日
総合評価:3.5
「フェルメール展」で再訪。この美術展は通常のものより鑑賞料金が高く、裏を返せばそれだけフェルメールに人気があるという事でしょうか。時間指定制というのも初めてでしたが、それでも相当な混みようでした。直近10年でフェルメールの絵は4回来日し、その全ての美術展を鑑賞していますが、そこまで混んでいなかったので少々戸惑いました。展示内容としてはフェルメールの絵が8点とその時代の作家のものが充実しており見応えがありました。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 1.0
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5




































