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今回の私の旅の主要テーマは次の通り<br />&quot;Je marche,donc je suis.&quot;でした。<br />(ジュ マルシュ ドンク ジュ スイ)<br />これはデカルトの<br />&quot;Je pense,donc je suis.&quot;<br />(ジュ パンス ドンク ジュ スイ)<br />「我考える、故に我あり」<br />を私なりに言い換えてアレンジしたものです。 <br />フランスを巡礼中にフランス人に<br />「君はどうして巡礼路を歩くの?」<br />と質問された時の回答として準備した言葉です。<br />「我歩く、故に我あり」といった意味になるの<br />でしょうか。<br /><br />還暦を過ぎてもう一度自分自身を「知る」ことが<br />今回の私の旅の主要課題です。<br /><br />残念ながら私たちは自分自身の目で自分を直接<br />見ることはできません。<br />しかし他人から見た「自分」を<br />他人の目を「鏡」として見ることができる<br />のではと考えています。<br />特に海外で言葉で自分自身をカモフラージュできない<br />環境で出会う人たちの目に私はどんな人間として<br />映るのだろうか大いに興味がありました。<br /><br />今回のシベリア鉄道という長期間かつ不得意なロシア語<br />(というか最低限の知識しかない状況)でどんな出会いが<br />あったのかを書きたいと思います。<br /><br />故森本哲郎氏の著書「そして、自分への旅」ではありませんが<br />「自分自身への旅」が始まります。<br />旅の最終目的地にはもう一人の私自身が待っています。<br /><br />次回は与謝野晶子も見たであろう<br />シベリア鉄道の車窓に映った<br />自然の美しさについて報告いたします。<br />    

還暦一人旅 シベリア鉄道3等車は旅人の温もりがある。Eチケットではダメと言われ帰国かと心配

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2015/06/22 - 2015/06/29

3位(同エリア145件中)

2013tomo

2013tomoさん

今回の私の旅の主要テーマは次の通り
"Je marche,donc je suis."でした。
(ジュ マルシュ ドンク ジュ スイ)
これはデカルトの
"Je pense,donc je suis."
(ジュ パンス ドンク ジュ スイ)
「我考える、故に我あり」
を私なりに言い換えてアレンジしたものです。
フランスを巡礼中にフランス人に
「君はどうして巡礼路を歩くの?」
と質問された時の回答として準備した言葉です。
「我歩く、故に我あり」といった意味になるの
でしょうか。

還暦を過ぎてもう一度自分自身を「知る」ことが
今回の私の旅の主要課題です。

残念ながら私たちは自分自身の目で自分を直接
見ることはできません。
しかし他人から見た「自分」を
他人の目を「鏡」として見ることができる
のではと考えています。
特に海外で言葉で自分自身をカモフラージュできない
環境で出会う人たちの目に私はどんな人間として
映るのだろうか大いに興味がありました。

今回のシベリア鉄道という長期間かつ不得意なロシア語
(というか最低限の知識しかない状況)でどんな出会いが
あったのかを書きたいと思います。

故森本哲郎氏の著書「そして、自分への旅」ではありませんが
「自分自身への旅」が始まります。
旅の最終目的地にはもう一人の私自身が待っています。

次回は与謝野晶子も見たであろう
シベリア鉄道の車窓に映った
自然の美しさについて報告いたします。
    

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
鉄道
旅行の手配内容
個別手配

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  • ウラジオストック駅の待合室で<br /><br />「案内板に私の列車について何かテロップが流れて<br /> いるのですが、意味が分かりません。<br /> 教えていただけますか?」<br /><br />と恐る恐る尋ねたのがキーロフ在住のアンドレイだった。<br /><br />周りを見渡して、彼が熱心に分厚い専門書(と見えた)<br />を読んでおり、<br />見た感じは体格はゴツイが<br />ロシア人にしては珍しくメガネ<br />をかけて知的な風貌をしていたから<br />英語が分かるかもしれないと<br />思ったからである。<br /><br />私の勘が幸いにも当たって彼は<br />「英語はあまり話せないが、<br />あれは列車の到着が30分遅れるという<br />意味です。」と教えてくれた。<br /><br />私は階下にあるインフォメーションセンターに<br />正確な出発時刻を確認するため<br />階下に降りようとした。<br />大きな荷物を肩にかけようとしたら<br />「私が見ておきますから<br />そのままにしておいて良いですよ」と<br />親切に言ってくれた。<br />「大丈夫かな?」という一抹の不安はあったが<br />彼の信頼感を感じさせる<br />雰囲気を信じて私の荷物をお任せした。<br /><br />私にとってさらに幸いだったのは<br />偶然にもかれが私と同じ3等車の乗客で会ったことだ。<br /><br />二人で一緒に我々の3等車に向かった。<br /><br />

    ウラジオストック駅の待合室で

    「案内板に私の列車について何かテロップが流れて
     いるのですが、意味が分かりません。
     教えていただけますか?」

    と恐る恐る尋ねたのがキーロフ在住のアンドレイだった。

    周りを見渡して、彼が熱心に分厚い専門書(と見えた)
    を読んでおり、
    見た感じは体格はゴツイが
    ロシア人にしては珍しくメガネ
    をかけて知的な風貌をしていたから
    英語が分かるかもしれないと
    思ったからである。

    私の勘が幸いにも当たって彼は
    「英語はあまり話せないが、
    あれは列車の到着が30分遅れるという
    意味です。」と教えてくれた。

    私は階下にあるインフォメーションセンターに
    正確な出発時刻を確認するため
    階下に降りようとした。
    大きな荷物を肩にかけようとしたら
    「私が見ておきますから
    そのままにしておいて良いですよ」と
    親切に言ってくれた。
    「大丈夫かな?」という一抹の不安はあったが
    彼の信頼感を感じさせる
    雰囲気を信じて私の荷物をお任せした。

    私にとってさらに幸いだったのは
    偶然にもかれが私と同じ3等車の乗客で会ったことだ。

    二人で一緒に我々の3等車に向かった。

    ウラジオストック駅

  • 3等車の女性の車掌さんにEチケットでの乗車を<br />拒否されて困惑している私。<br />もし全くダメだったら今回の旅を中止し、<br />ウラジオストック観光でもして日本に帰国する<br />しかないかと開き直っている状態である。<br />手には無効になるかもしれないEチケットを握り<br />しめている。<br /><br /><br />ここでアンドレイが車掌に<br />「駅事務所に登録されているかどうか確認したらどうか」<br />と口添えしてくれたようだ。<br />若い女性の車掌が駅事務所<br />に走ってくれた。<br /><br />その結果、駅事務所のスタッフがパソコンからプリントアウト<br />した用紙を持って走って来た。<br />それで確かに私が登録されている<br />ことが確認できた。<br /><br />その間、約30分程だったが<br />アンドレイは列車内に入ること<br />なく私と一緒に外で待っていてくれた。<br /><br />夏とはいえウラジオストックの夜は<br />結構肌寒く申し訳なかったが<br />彼の親切には深く感謝したい。<br /><br />この恩返しは直接アンドレイに<br />返すことはできないかもしれないが<br />日本で困った外国人観光客が<br />いればぜひ助けて差し上げたい。<br />(東京オリンピックのボランティア通訳活動も<br />良いかなと考えている)<br />

    3等車の女性の車掌さんにEチケットでの乗車を
    拒否されて困惑している私。
    もし全くダメだったら今回の旅を中止し、
    ウラジオストック観光でもして日本に帰国する
    しかないかと開き直っている状態である。
    手には無効になるかもしれないEチケットを握り
    しめている。


    ここでアンドレイが車掌に
    「駅事務所に登録されているかどうか確認したらどうか」
    と口添えしてくれたようだ。
    若い女性の車掌が駅事務所
    に走ってくれた。

    その結果、駅事務所のスタッフがパソコンからプリントアウト
    した用紙を持って走って来た。
    それで確かに私が登録されている
    ことが確認できた。

    その間、約30分程だったが
    アンドレイは列車内に入ること
    なく私と一緒に外で待っていてくれた。

    夏とはいえウラジオストックの夜は
    結構肌寒く申し訳なかったが
    彼の親切には深く感謝したい。

    この恩返しは直接アンドレイに
    返すことはできないかもしれないが
    日本で困った外国人観光客が
    いればぜひ助けて差し上げたい。
    (東京オリンピックのボランティア通訳活動も
    良いかなと考えている)

    ウラジオストック駅

  • シベリア鉄道の途中停車駅でポーズを<br />とるアンドレイ。<br />列車の中は暑いのでこんな恰好をしている。<br /><br />シベリア鉄道のモスクワ近くにある都市<br />のキーロフの病院でレントゲン技師として<br />働いている。<br /><br />学生時代はスポーツとしてボディビル、<br />レスリングをしていた。<br />いまも体を鍛えることが好きで今回も<br />カムチャッカ半島を大きなリュックサックを<br />背負って歩いてきたと言っていた。<br /><br />読書家でもあり私にロシアを詳しく知るため<br />にということで7冊ほど本を紹介してくれた。<br /><br />現在42歳で、2歳年下の妻、男の子が二人いる。<br />家族は現在ヤルタで観光旅行をしていて彼は<br />家族よりも1日早くキーロフに帰るのだと言っていた。<br /><br />汽車旅行の途中も、停車駅の情報、ロシアの自然、地理、歴史、<br />宗教等について詳しく教えてくれた。<br /><br />彼と英語で話せたので助かった。<br /><br />

    シベリア鉄道の途中停車駅でポーズを
    とるアンドレイ。
    列車の中は暑いのでこんな恰好をしている。

    シベリア鉄道のモスクワ近くにある都市
    のキーロフの病院でレントゲン技師として
    働いている。

    学生時代はスポーツとしてボディビル、
    レスリングをしていた。
    いまも体を鍛えることが好きで今回も
    カムチャッカ半島を大きなリュックサックを
    背負って歩いてきたと言っていた。

    読書家でもあり私にロシアを詳しく知るため
    にということで7冊ほど本を紹介してくれた。

    現在42歳で、2歳年下の妻、男の子が二人いる。
    家族は現在ヤルタで観光旅行をしていて彼は
    家族よりも1日早くキーロフに帰るのだと言っていた。

    汽車旅行の途中も、停車駅の情報、ロシアの自然、地理、歴史、
    宗教等について詳しく教えてくれた。

    彼と英語で話せたので助かった。

  • 6月22日、シベリア鉄道の初日に私の向かい側の席に<br />座っていたワシーンさん。<br />あいさつ代わりに日本のチョコレートを差し上げると<br />お返しにコリューシカという名前の干し魚の束をくれた。<br />「ビールのつまみにいいぞ」と言っていたように思う。<br />(この3等車は残念ながら禁酒であることが後から判明)<br />ロシア語しか話さないのでコミュニケーションが難しい。<br />それでもいろいろ話していると何と<br />同じ年齢だということが分かってきた<br />「あんた若く見えるなあ」と言われたように思う。<br />すでに年金生活をしているがいまも電気技師として<br />あちこちで働いているとのこと。<br /><br />このように書くと随分ロシア語が話せるように思われる<br />かもしれないが<br />・わかる単語<br />・ジェスチャー<br />・話の流れの推測等から理解した程度である。

    6月22日、シベリア鉄道の初日に私の向かい側の席に
    座っていたワシーンさん。
    あいさつ代わりに日本のチョコレートを差し上げると
    お返しにコリューシカという名前の干し魚の束をくれた。
    「ビールのつまみにいいぞ」と言っていたように思う。
    (この3等車は残念ながら禁酒であることが後から判明)
    ロシア語しか話さないのでコミュニケーションが難しい。
    それでもいろいろ話していると何と
    同じ年齢だということが分かってきた
    「あんた若く見えるなあ」と言われたように思う。
    すでに年金生活をしているがいまも電気技師として
    あちこちで働いているとのこと。

    このように書くと随分ロシア語が話せるように思われる
    かもしれないが
    ・わかる単語
    ・ジェスチャー
    ・話の流れの推測等から理解した程度である。

  • 通路側の寝台にはおばあちゃんと孫娘が<br />座っていた。<br />荷物が多かったので私の座席の下の収納スペース<br />に荷物を入れてあげた。<br />車内ではそれぞれが助け合いの精神で生活環境<br />を少しでも改善しているようだ。<br />孫娘の名前の呼び名はナーシャ(アナスタシア)という<br />とおばあちゃんが教えてくれた。<br />私がロマノフのプリンセスの名前ですねと<br />言うとおばあちゃんは<br />「そうよ」と言って微笑んでくれた。<br /><br />おばあちゃんは私がベッドシーツの<br />敷き方が分からない時に<br />「こうやってやるのよ」と言いながら<br />親切に私のベッドを作ってくれた。<br />ありがたかった。<br />二人にはチョコとお煎餅をプレゼントし、<br />さらにナーシャには<br />千代紙でやっこさん人形を作ってあげた。<br />目と口も書いてあげたらとても喜んでくれた。<br /><br />途中の停車駅ではおばあちゃんに<br />買ってもらったのか<br />ナーシャが私にアイスクリームを<br />持ってきてくれた。<br />私がなかなか食べないので<br />「早く食べないと溶けちゃうよ」と言われた<br />みたいなので<br />あわてて食べたこともあった。<br />アイスクリームとは気が付かなかった。<br />親切にはすぐに反応しなくてはと反省。<br /><br />彼女たちは真夜中に途中の駅で降りた。<br /><br />私が寝ていると<br />随分おしゃべりする声が聞こえるので<br />起きてみるとおはあちゃんが<br />「トモが起きてくれてよかった。<br /> いまから私達降りるのよ」と言っている。<br />列車が停車したので<br />私は彼女たちの荷物をもって<br />車外に出た。<br />暗い駅灯にナーシャのご両親と思われる人たちが<br />待っている。<br />出逢いの数だけ別れがあるのだとしみじみと思った。

    通路側の寝台にはおばあちゃんと孫娘が
    座っていた。
    荷物が多かったので私の座席の下の収納スペース
    に荷物を入れてあげた。
    車内ではそれぞれが助け合いの精神で生活環境
    を少しでも改善しているようだ。
    孫娘の名前の呼び名はナーシャ(アナスタシア)という
    とおばあちゃんが教えてくれた。
    私がロマノフのプリンセスの名前ですねと
    言うとおばあちゃんは
    「そうよ」と言って微笑んでくれた。

    おばあちゃんは私がベッドシーツの
    敷き方が分からない時に
    「こうやってやるのよ」と言いながら
    親切に私のベッドを作ってくれた。
    ありがたかった。
    二人にはチョコとお煎餅をプレゼントし、
    さらにナーシャには
    千代紙でやっこさん人形を作ってあげた。
    目と口も書いてあげたらとても喜んでくれた。

    途中の停車駅ではおばあちゃんに
    買ってもらったのか
    ナーシャが私にアイスクリームを
    持ってきてくれた。
    私がなかなか食べないので
    「早く食べないと溶けちゃうよ」と言われた
    みたいなので
    あわてて食べたこともあった。
    アイスクリームとは気が付かなかった。
    親切にはすぐに反応しなくてはと反省。

    彼女たちは真夜中に途中の駅で降りた。

    私が寝ていると
    随分おしゃべりする声が聞こえるので
    起きてみるとおはあちゃんが
    「トモが起きてくれてよかった。
     いまから私達降りるのよ」と言っている。
    列車が停車したので
    私は彼女たちの荷物をもって
    車外に出た。
    暗い駅灯にナーシャのご両親と思われる人たちが
    待っている。
    出逢いの数だけ別れがあるのだとしみじみと思った。

  • ロシアのブーリア人のブーマとタチアーナ。<br /><br />ブーマは向かいの上段ベッド、<br />タチアーナは少し離れた座席に座っている。<br />ブーマは私にブーリア語を教えてくれた。<br />発音が何となく日本語に似ている。<br />ロシア語の「ありがとう(スパシーバ)」が<br />ブーリア語では「ヘンダー」、<br />「これは何ですか(シトー・エタ)」が「フンバ」<br />というと教えてくれた。<br />その他にも数語を教えてくれた。<br />今度ブーリア地方からの人にあったら使ってみよう。<br /><br />タチアーナは英語を話した。<br />学校で英語の教師をしていると言う。<br />子供が好きなので教えるのは大好きだと言っていた。<br /><br />二人と知り合ってから他のブーリア人とも仲良くなった。<br /><br />20歳と19歳の飛行場で飛行機整備をしている若い兵隊<br />さんは2日の休暇をもらって故郷に帰ると言う。<br />「お母さんと会えるのが楽しみだ」と英語で言っていた。<br /><br />目つきの悪いブーリア人のおじさんがいたが<br />「お前はモンゴル人と同じ顔をしているなあ」といって<br />笑顔を見せてくれた。<br /><br />話していると顔立ちに違和感がないのでご近所さんと話して<br />いるようで懐かしい感じがした。<br /><br />他にも通路を歩いていると<br />「あんた、いい半ズボンをはいているのね。どこ製なの?」<br />といいながら私の半ズボンの<br />会社名(アメリカのコロンビア)をさわって裏返して<br />確かめる女性もいた。<br /><br />人間関係の距離が近くなると<br />温もりを感じる空間が出来上がった。<br /><br />ところで写真の二人の後ろに<br />写っている女性は私達3等車をお世話する<br />車掌さん(年上の方)である。<br />私が「写真を撮らせてください」とお願いすると<br />「私なんかを撮らなくても駅舎とか他にあるでしょ。」と<br />断られてしまった。<br />これはたまたま背景に彼女が<br />写ってしまったもので貴重な写真となった。

    ロシアのブーリア人のブーマとタチアーナ。

    ブーマは向かいの上段ベッド、
    タチアーナは少し離れた座席に座っている。
    ブーマは私にブーリア語を教えてくれた。
    発音が何となく日本語に似ている。
    ロシア語の「ありがとう(スパシーバ)」が
    ブーリア語では「ヘンダー」、
    「これは何ですか(シトー・エタ)」が「フンバ」
    というと教えてくれた。
    その他にも数語を教えてくれた。
    今度ブーリア地方からの人にあったら使ってみよう。

    タチアーナは英語を話した。
    学校で英語の教師をしていると言う。
    子供が好きなので教えるのは大好きだと言っていた。

    二人と知り合ってから他のブーリア人とも仲良くなった。

    20歳と19歳の飛行場で飛行機整備をしている若い兵隊
    さんは2日の休暇をもらって故郷に帰ると言う。
    「お母さんと会えるのが楽しみだ」と英語で言っていた。

    目つきの悪いブーリア人のおじさんがいたが
    「お前はモンゴル人と同じ顔をしているなあ」といって
    笑顔を見せてくれた。

    話していると顔立ちに違和感がないのでご近所さんと話して
    いるようで懐かしい感じがした。

    他にも通路を歩いていると
    「あんた、いい半ズボンをはいているのね。どこ製なの?」
    といいながら私の半ズボンの
    会社名(アメリカのコロンビア)をさわって裏返して
    確かめる女性もいた。

    人間関係の距離が近くなると
    温もりを感じる空間が出来上がった。

    ところで写真の二人の後ろに
    写っている女性は私達3等車をお世話する
    車掌さん(年上の方)である。
    私が「写真を撮らせてください」とお願いすると
    「私なんかを撮らなくても駅舎とか他にあるでしょ。」と
    断られてしまった。
    これはたまたま背景に彼女が
    写ってしまったもので貴重な写真となった。

  • 写真中央に写っている若い女性は<br />非番で私服姿の3等車の車掌さん。<br />仲良くなった家族の写真を<br />撮っていると彼女も写っていた。<br /><br />下車する乗客の様子を心配そうに見ているようである。<br /><br />彼女は主に夜間勤務を担当していた。<br /><br />仮眠をしながら我々3等車全体の<br />お世話をしなくてはならない<br />大変な仕事である。

    写真中央に写っている若い女性は
    非番で私服姿の3等車の車掌さん。
    仲良くなった家族の写真を
    撮っていると彼女も写っていた。

    下車する乗客の様子を心配そうに見ているようである。

    彼女は主に夜間勤務を担当していた。

    仮眠をしながら我々3等車全体の
    お世話をしなくてはならない
    大変な仕事である。

  • 好青年のカザフスタンのイワン。<br /><br />皆に小さな海苔付きお煎餅(10センチの直径)を<br />プレゼントした時、初めての<br />食べ物なので他の人は臭いをかいだりして<br />いたがイワンは「これはうまそうだ!」<br />と言いながら1枚まるごと口に放り込んで<br />バリバリと食べてくれた。<br />その後はみんなも食べ始めた。<br />最初に勇気を示すのは難しいのに彼は身を<br />持って示してくれた。<br /><br />また私が「イワン、一緒にウオッカを飲もうか。」<br />と言いながら瓶をリュックサックの下から取り出すと<br />「トモ、この車両は禁酒車両だから早くしまえ。<br />警察に指導されるぞ。」とアドバイスしてくれた。<br />確かに、その後で数人の若者たちが<br />飲酒をしていたようで<br />警察官に連行されていた。<br />私も知らずに一人でウオッカを<br />飲んでいたら警察官に連行<br />されていたかもしれない。<br /><br />イワン、君のアドバイス、本当にありがとう。<br />

    好青年のカザフスタンのイワン。

    皆に小さな海苔付きお煎餅(10センチの直径)を
    プレゼントした時、初めての
    食べ物なので他の人は臭いをかいだりして
    いたがイワンは「これはうまそうだ!」
    と言いながら1枚まるごと口に放り込んで
    バリバリと食べてくれた。
    その後はみんなも食べ始めた。
    最初に勇気を示すのは難しいのに彼は身を
    持って示してくれた。

    また私が「イワン、一緒にウオッカを飲もうか。」
    と言いながら瓶をリュックサックの下から取り出すと
    「トモ、この車両は禁酒車両だから早くしまえ。
    警察に指導されるぞ。」とアドバイスしてくれた。
    確かに、その後で数人の若者たちが
    飲酒をしていたようで
    警察官に連行されていた。
    私も知らずに一人でウオッカを
    飲んでいたら警察官に連行
    されていたかもしれない。

    イワン、君のアドバイス、本当にありがとう。

  • イワンはオムスクで降りて行った。<br /><br />お礼にウオッカをプレゼントすると<br />喜んでくれた。<br /><br />最後はお互いにハグして別れた。<br /><br />ダスビダーニャ(さようなら)、イワン。

    イワンはオムスクで降りて行った。

    お礼にウオッカをプレゼントすると
    喜んでくれた。

    最後はお互いにハグして別れた。

    ダスビダーニャ(さようなら)、イワン。

  • 韓国から来たキムくん。<br /><br />大学生の最終学年で来年就職と言う。<br /><br />就職先として公務員を考えているが<br />公務員になると米国、ヨーロッパへの<br />出張は多いがロシアへの出張はないので<br />夏休みを利用してロシアを旅行している<br />とのこと。<br />「出張は仕事だから観光はできないと思うよ」<br />とアドバイスしたがあまり伝わっていないようだ。<br />(就職は大丈夫かなあ?)<br /><br />彼はサンクトペテルブルクまで列車で行く予定である。<br /><br />モスクワ到着後も、地下鉄の行き方を聞きながら途中<br />まで一緒に歩いた。<br /><br />さわやかな背の高い青年であった。<br /><br />旅行も就職もぜひ成功してほしい。

    韓国から来たキムくん。

    大学生の最終学年で来年就職と言う。

    就職先として公務員を考えているが
    公務員になると米国、ヨーロッパへの
    出張は多いがロシアへの出張はないので
    夏休みを利用してロシアを旅行している
    とのこと。
    「出張は仕事だから観光はできないと思うよ」
    とアドバイスしたがあまり伝わっていないようだ。
    (就職は大丈夫かなあ?)

    彼はサンクトペテルブルクまで列車で行く予定である。

    モスクワ到着後も、地下鉄の行き方を聞きながら途中
    まで一緒に歩いた。

    さわやかな背の高い青年であった。

    旅行も就職もぜひ成功してほしい。

  • 大人の雰囲気を醸し出す魅力的な女性。<br /><br />私のベッドの向かい側であったが静かな<br />様子で直接言葉を交わすことはなかった。<br /><br />その後、おばあちゃん、お母さん、<br />4歳くらいの男の子が乗車してきた。<br />付き添いで車内に入ってきたおじいちゃんが<br />私に<br />「母親の体調が悪く、子供も小さいので<br />ベッドの上段と下段を変わって下さらんか」<br />とお願いしてきた。<br />見ると確かに母親は体調が悪いらしくグッタリ<br />している。<br />子供も不安げな様子である。<br />「もちろんですよ」といって代わってあげた。<br />不安な顔をしていた子供は、<br />後で私がジェスチャーやおかしな顔をして<br />遊んであげるとようやく声をあげて笑う<br />ようになった。<br />母親も安心していた。<br /><br />私は元来からの高所恐怖症であり体が硬く重い。<br />上段ベッドへよじ登るのに悪戦苦闘している。<br /><br />大人の雰囲気を持った女性が目で「大丈夫?」<br />とやさしく微笑みながら語りかけている。<br />私も「大丈夫ですよ。」とカラ元気で返す。<br /><br />それからは目だけのコミュニケーションで<br />あったが良好な関係が保てたと思う。<br /><br />目と笑顔だけでも意味を交換できることを<br />改めて認識した。<br /><br />写真は彼女が下車するときに荷物を運ぶのを<br />手伝い、外に出たときのもの。<br /><br />勇気を出して、声を出して<br />「写真を撮ってもよろしいですか」<br />と聞くと<br />彼女は快諾してくれた。<br /><br />昔に見た映画「ドクトルジバゴ」のヒロイン<br />に似ているようで素敵な人だった。<br />

    大人の雰囲気を醸し出す魅力的な女性。

    私のベッドの向かい側であったが静かな
    様子で直接言葉を交わすことはなかった。

    その後、おばあちゃん、お母さん、
    4歳くらいの男の子が乗車してきた。
    付き添いで車内に入ってきたおじいちゃんが
    私に
    「母親の体調が悪く、子供も小さいので
    ベッドの上段と下段を変わって下さらんか」
    とお願いしてきた。
    見ると確かに母親は体調が悪いらしくグッタリ
    している。
    子供も不安げな様子である。
    「もちろんですよ」といって代わってあげた。
    不安な顔をしていた子供は、
    後で私がジェスチャーやおかしな顔をして
    遊んであげるとようやく声をあげて笑う
    ようになった。
    母親も安心していた。

    私は元来からの高所恐怖症であり体が硬く重い。
    上段ベッドへよじ登るのに悪戦苦闘している。

    大人の雰囲気を持った女性が目で「大丈夫?」
    とやさしく微笑みながら語りかけている。
    私も「大丈夫ですよ。」とカラ元気で返す。

    それからは目だけのコミュニケーションで
    あったが良好な関係が保てたと思う。

    目と笑顔だけでも意味を交換できることを
    改めて認識した。

    写真は彼女が下車するときに荷物を運ぶのを
    手伝い、外に出たときのもの。

    勇気を出して、声を出して
    「写真を撮ってもよろしいですか」
    と聞くと
    彼女は快諾してくれた。

    昔に見た映画「ドクトルジバゴ」のヒロイン
    に似ているようで素敵な人だった。

  • 乗車してくるイスラム教のご家族。<br /><br />地面から列車の入口までは手動式の<br />階段(4段くらい)がある。<br />大きな荷物があると出し入れが<br />大変である。<br />乗客がお互いに助け合っていた。<br /><br />おばあちゃん、お母さんと10歳くらいの<br />お嬢ちゃんの3人連れで<br />私の向かい側に座った。<br /><br />おばあちゃんが昼寝をしたとき日差しが<br />強く顔にあたるのでカテーンで工夫して<br />日陰を作って差し上げた。<br /><br />それから3人と仲良くなった。<br />お嬢ちゃんには千代紙でやっこさんの人形を<br />つくってあげた。<br />(私は「やっこさん」しか作れない)<br /><br />内気な感じの女の子であったが下車するときに<br />小さな声で「スパシーバ(ありがとう)」と言って<br />くれた。<br /><br />1駅区間の3時間位であったが心の交流が少し<br />できてうれしかった。<br /><br />途中で青年がこの3人に<br />イスラム教徒の方ですかと言いながら<br />話しかけてきた。<br />「アッ・サラーム アレイクム」と<br />いうイスラク教徒の<br />挨拶を交わした後、<br />3人とロシア語でしばらく話していたが、<br />私に「どちらから来られたのですか?」と<br />英語で聞いてきた。<br />「日本からです。」と答えると<br />「私はアフガニスタンから<br /> 来た軍人ですが今はロシア政府の<br /> 機関に留学して軍事全般を勉強しています。」という。<br />危ない関係の人かなあと話す<br />内容に注意しながら会話を続けた。<br /><br />しかし、本当に留学しているだけのようであり<br />3人の家族が下車<br />した後もしばらく話していた。<br /><br />3等車には私のようなアジア人は<br />少ないので興味を持つようである。<br /><br /><br />

    乗車してくるイスラム教のご家族。

    地面から列車の入口までは手動式の
    階段(4段くらい)がある。
    大きな荷物があると出し入れが
    大変である。
    乗客がお互いに助け合っていた。

    おばあちゃん、お母さんと10歳くらいの
    お嬢ちゃんの3人連れで
    私の向かい側に座った。

    おばあちゃんが昼寝をしたとき日差しが
    強く顔にあたるのでカテーンで工夫して
    日陰を作って差し上げた。

    それから3人と仲良くなった。
    お嬢ちゃんには千代紙でやっこさんの人形を
    つくってあげた。
    (私は「やっこさん」しか作れない)

    内気な感じの女の子であったが下車するときに
    小さな声で「スパシーバ(ありがとう)」と言って
    くれた。

    1駅区間の3時間位であったが心の交流が少し
    できてうれしかった。

    途中で青年がこの3人に
    イスラム教徒の方ですかと言いながら
    話しかけてきた。
    「アッ・サラーム アレイクム」と
    いうイスラク教徒の
    挨拶を交わした後、
    3人とロシア語でしばらく話していたが、
    私に「どちらから来られたのですか?」と
    英語で聞いてきた。
    「日本からです。」と答えると
    「私はアフガニスタンから
     来た軍人ですが今はロシア政府の
     機関に留学して軍事全般を勉強しています。」という。
    危ない関係の人かなあと話す
    内容に注意しながら会話を続けた。

    しかし、本当に留学しているだけのようであり
    3人の家族が下車
    した後もしばらく話していた。

    3等車には私のようなアジア人は
    少ないので興味を持つようである。


  • 途中で乗車してきたクリミア観光に<br />向かう若いロシア人家族。<br />ご主人はサッカー選手のメッシに<br />似ていてチャーミング、<br />奥さまは大きな瞳が魅力的な美しい人だった。<br />当然、2人のお子様もとてもかわいらしい。<br /><br />車内は蒸し暑いので子供たちは<br />上半身裸で過ごす。<br />近くの座席の子供たちと<br />一緒になって走り回っていた。<br /><br />2歳の男の子はなぜか私を<br />「トーニャおばあちゃん(バーブシカ・トーニャ)」<br />と呼んでくれていた。<br />これは私の名前を「トモ」と伝えたのだが<br />2歳の男の子には<br />私がおじいさんにしては体も小さく、<br />子供には高い声で話し、優しそうなので<br />「おじいさん」ではなく<br />「おばあさん」と勘違いして<br />しまったのかもしれない。<br />「トモ」を女性形にして<br />愛称的にすると「トーニャ」になる。<br /><br />確かにロシアのおじいさんは<br />大きくて声も低く全体的に<br />近寄りがたい雰囲気を<br />持っているように思えた。<br /><br />観光に食料持参で行くのであろうか<br />大きな荷物を持っていた。<br />モスクワ下車の時に手伝って差し上げた。<br /><br />幸せ感が溢れた家族に<br />最後に同席できてこちらも幸せになった。<br /><br />同時に日本の自分の孫達のことも思い出した。<br />無事に帰国したら<br />精一杯可愛がってあげよう。

    途中で乗車してきたクリミア観光に
    向かう若いロシア人家族。
    ご主人はサッカー選手のメッシに
    似ていてチャーミング、
    奥さまは大きな瞳が魅力的な美しい人だった。
    当然、2人のお子様もとてもかわいらしい。

    車内は蒸し暑いので子供たちは
    上半身裸で過ごす。
    近くの座席の子供たちと
    一緒になって走り回っていた。

    2歳の男の子はなぜか私を
    「トーニャおばあちゃん(バーブシカ・トーニャ)」
    と呼んでくれていた。
    これは私の名前を「トモ」と伝えたのだが
    2歳の男の子には
    私がおじいさんにしては体も小さく、
    子供には高い声で話し、優しそうなので
    「おじいさん」ではなく
    「おばあさん」と勘違いして
    しまったのかもしれない。
    「トモ」を女性形にして
    愛称的にすると「トーニャ」になる。

    確かにロシアのおじいさんは
    大きくて声も低く全体的に
    近寄りがたい雰囲気を
    持っているように思えた。

    観光に食料持参で行くのであろうか
    大きな荷物を持っていた。
    モスクワ下車の時に手伝って差し上げた。

    幸せ感が溢れた家族に
    最後に同席できてこちらも幸せになった。

    同時に日本の自分の孫達のことも思い出した。
    無事に帰国したら
    精一杯可愛がってあげよう。

  • 食堂車での思い出に残る出逢い<br /><br />この写真のウエイトレスへの注文で<br />彼女に英語が通じず困っていた<br />イギリス人のご婦人がいた。<br />これを私がロシア語で通訳(簡単な)して<br />助けたのがご縁で<br />楽しい会話時間を持つことができた。<br /><br />彼女はイギリスで認知症老人を支援<br />するボランティアをしている。<br />ご主人が同じ病気で亡くなったが<br />長い間在宅介護をしていたとのこと。<br /><br />私も老人介護の仕事を少ししていたので<br />状況が理解できた。<br /><br />「それは大変だったでしょう。」<br />「あなたの国の言葉で<br /> &quot; Love is not enough for 8 hours.&quot;<br /> がありますが<br /> &quot;24 hours love has been too heavy for you.&quot;<br /> ということでしょうね。<br /> 24時間お世話をするということは<br /> 介護をしてもらう人も大変ですが、<br /> 介護をする人には更に大変な負担がかかり<br /> ますね。」<br /> と言うと彼女は目に涙を少し浮かべながら<br />「本当に大変だったわ。<br /> だから同じ問題を抱えている人に私のような<br /> 苦労をさせたくないの。」<br />としみじみと語る。<br />私も「日本も同じ問題を抱えています。<br />今後私たちがさらに取り組む必要がある問題ですね」<br />と答えた。<br /><br />シベリア鉄道でも介護問題を話すことになるとは<br />思わなかった。<br />世界一周旅行の時もタヒチ島で英国女性と老人の<br />認知症問題について話し合ったことがある。<br /><br />思い出に残る話である。<br /><br />

    食堂車での思い出に残る出逢い

    この写真のウエイトレスへの注文で
    彼女に英語が通じず困っていた
    イギリス人のご婦人がいた。
    これを私がロシア語で通訳(簡単な)して
    助けたのがご縁で
    楽しい会話時間を持つことができた。

    彼女はイギリスで認知症老人を支援
    するボランティアをしている。
    ご主人が同じ病気で亡くなったが
    長い間在宅介護をしていたとのこと。

    私も老人介護の仕事を少ししていたので
    状況が理解できた。

    「それは大変だったでしょう。」
    「あなたの国の言葉で
    " Love is not enough for 8 hours."
     がありますが
    "24 hours love has been too heavy for you."
     ということでしょうね。
     24時間お世話をするということは
     介護をしてもらう人も大変ですが、
     介護をする人には更に大変な負担がかかり
     ますね。」
     と言うと彼女は目に涙を少し浮かべながら
    「本当に大変だったわ。
     だから同じ問題を抱えている人に私のような
     苦労をさせたくないの。」
    としみじみと語る。
    私も「日本も同じ問題を抱えています。
    今後私たちがさらに取り組む必要がある問題ですね」
    と答えた。

    シベリア鉄道でも介護問題を話すことになるとは
    思わなかった。
    世界一周旅行の時もタヒチ島で英国女性と老人の
    認知症問題について話し合ったことがある。

    思い出に残る話である。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • kuniさん 2017/03/18 18:07:28
    ほっこりです!
    2013tomoさん、はじまして。

    私の拙い旅行記をご覧いただき、いいね!までありがとうございました。

    シベリア鉄道3等車、乗りたくなってしまいました。
    私の年金生活も遠い話ではないので、リタイア後には是非時間をかけて、2013tomoさんが感じられた温もりを感じに行きたいと思います。
    ロシアはVISAが面倒なので、と思いつつ、訪れてみたい国だと以前から感じていましたので、頑張って企画したいです。

    駅や車内で起きたほっこりとした人間関係、きっと2013tomoさんのお人柄からできることだと思いますが、人生の大先輩に乾杯!(完敗(笑))です。

    今後ともよろしくお願いいたします。

    kuni

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2017/03/19 06:49:19
    RE: ほっこりです!
    > 2013tomoさん、はじまして。
    >
    > 私の拙い旅行記をご覧いただき、いいね!までありがとうございました。
    >
    > シベリア鉄道3等車、乗りたくなってしまいました。
    > 私の年金生活も遠い話ではないので、リタイア後には是非時間をかけて、2013tomoさんが感じられた温もりを感じに行きたいと思います。
    > ロシアはVISAが面倒なので、と思いつつ、訪れてみたい国だと以前から感じていましたので、頑張って企画したいです。
    >
    > 駅や車内で起きたほっこりとした人間関係、きっと2013tomoさんのお人柄からできることだと思いますが、人生の大先輩に乾杯!(完敗(笑))です。
    >
    > 今後ともよろしくお願いいたします。
    >
    > kuni

    kuni様

    初めまして2013tomoです。

    お便り頂きありがとうございます。

    今朝もkuniさんのブログを拝見いたしました。

    写真がお上手で美しい(特に光のとらえ方、またビールを美味しそうに写している等)
    ので写真撮影のへたくそな私はうらやましく思います。

    私は思い出に残そうと思って一生懸命写真を撮っているのですが感激した実際の映像の1/10
    しか表現できていません。
    不足を言葉で補てんするために長めのブログを書いているのですがこれも筆力不足のため
    体験したことの1/10しか表現できていません。
    (私の文書はいつも長くて家内に注意されています)

    でも旅の楽しさは心の中に今でもエーテルのように残っているような気持がしています。

    2015年6月のシベリア鉄道の旅は与謝野晶子さんの

    「晶子や物に狂うらん、
     燃ゆる我が火を抱きながら、
     天がけりゆく、西へ行く、
     巴里の君へ逢ひに行く。」

    ー歌集『夏より秋へ』の中の「旅に立つ」よりー

    という言葉との出逢いから始まりました。

    旅に出かける時は「奥の細道」の冒頭にもありますように
    「そぞろ神の物につきて心を狂はせ」
    のように小さな自分を越えた衝動的な力に衝き動かされて始まるようです。

    旅行から帰って来て日常世界に戻りますと
    「本当に私はあの旅をしたのだろうか?夢ではなかろうか?」という不思議な
    気持ちになるときがあります。

    でも
    「還暦一人旅(巡礼23日目)スペイン巡礼路を40キロ歩いた
    ーアルト・デ・ペルドンの石ころ路下り」
    のブログの祭儀に書きました


    「どんな時も、人生には、意味がある。
     なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
     この人生のどこかに、あなたを必要とする”何か”があり、
     あなたを必要とする”誰か”がいる。
     そしてその”何か”や”誰かは”は、
     あなたに発見されるのを”待って”いる。」

    ーヴィクトール・エミール・フランクル(※)の言葉ー
    ※オーストリアの精神科医
     ユダヤ人である彼の強制収容所の体験をまとめた名著
     「夜と霧」(原題『ある心理学者の強制収容所体験』)
     は有名。

    の言葉の通り「旅」の中では多くの出逢いがあり私の旅路の色彩を深めてくれます。

    ※ご縁があって今年の4月末にポーランドを旅行し強制収容所を訪ねます。

    いつも思うのですが

    「限りある命の暇や秋の暮れ(与謝野蕪村)」

    のように残された日々を心身の健康が許す限り
    旅を続けたいと考えています。

    kuniさんも益々旅を楽しんで下さい。

    また文書が長くなりました。ごめんなさい。
  • mistralさん 2015/08/13 18:23:06
    心からの交流が!
    2013tomoさん

    シベリア鉄道の旅行記、拝見いたしました。

    その前に
    Je marche, donc je suis.
    の言葉、今度使わせていただきますね。
    どうして巡礼路を歩くのか?と聞かれますものね。
    歩きながら、自分を見つめる旅!ですね。

    車中での多くの人との出会い
    その方のお写真とtomoさんのコメントから
    心からの交流をされたご様子が伝わってきました。
    言葉はたいして通じなくても、アイコンタクトでも
    可能!
    すばらしい旅でしたね。

       mistral

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2015/08/13 19:15:24
    RE: 心からの交流が!
    > 2013tomoさん
    >
    > シベリア鉄道の旅行記、拝見いたしました。
    >
    > その前に
    > Je marche, donc je suis.
    > の言葉、今度使わせていただきますね。
    > どうして巡礼路を歩くのか?と聞かれますものね。
    > 歩きながら、自分を見つめる旅!ですね。
    >
    > 車中での多くの人との出会い
    > その方のお写真とtomoさんのコメントから
    > 心からの交流をされたご様子が伝わってきました。
    > 言葉はたいして通じなくても、アイコンタクトでも
    > 可能!
    > すばらしい旅でしたね。
    >
    >    mistral

    mistral様

    お便りありがとうございます。

    8月4日に帰国して翌日から末娘の
    新生児を自宅でお世話しています。

    巡礼で会った仲間に
    「赤ちゃんは最高の言語学者だね」
    とメールしましたら
    ”I agree that new born babies might be the best linguists.”
    いう返事が返ってきました。

    深いコミュニケーションに多くの言葉は
    必要ないのかもしれません。

    今は孫にコミュニケーションの原点を
    教えてもらっています。

    ”Je marche, donc je suis.”
    はフランス語圏では役に立ちました。
    この言葉からそれぞれの意見交換に
    展開させることもできました。

    ぜひ、ご活用ください。

    「歩く」ことは「考える」と通じるところ
    がありますので
    デカルト先生も喜ぶと思います。

    お互いにこれからも良い旅をしたいですね。
  • tanupamさん 2015/08/11 12:54:25
    旅の醍醐味ですね
    2013tomoさん

    こんにちは

    シベリア鉄道の旅行記
    素晴らしい旅の記録を読ませていただきました。

    私もいつかは、と思いつつ
    長期の休暇と、財布を相談すると、なかなか思うように
    乗車することができません。

    これだけの長時間の列車の旅
    いいですねぇ。


    旅の醍醐味は、
    やはり人との出会いではないでしょうか。
    列車の中では、長時間いっしょに過ごすだけあって
    いろいろな出会いがあって、すばらしい思い出だった
    と思います。

    画像の一コマ一コマに
    それぞれの思い出が込められているような・・・

    美しい景色も
    世界遺産も
    見学する価値はあると思いつつ、
    こうやって一緒に過ごした時間は何ものにも代えがたいような
    気がします。

    素敵な旅行記、感動モノでした。

    tanupam

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2015/08/11 15:23:19
    RE: 旅の醍醐味ですね
    > 2013tomoさん
    >
    > こんにちは
    >
    > シベリア鉄道の旅行記
    > 素晴らしい旅の記録を読ませていただきました。
    >
    > 私もいつかは、と思いつつ
    > 長期の休暇と、財布を相談すると、なかなか思うように
    > 乗車することができません。
    >
    > これだけの長時間の列車の旅
    > いいですねぇ。
    >
    >
    > 旅の醍醐味は、
    > やはり人との出会いではないでしょうか。
    > 列車の中では、長時間いっしょに過ごすだけあって
    > いろいろな出会いがあって、すばらしい思い出だった
    > と思います。
    >
    > 画像の一コマ一コマに
    > それぞれの思い出が込められているような・・・
    >
    > 美しい景色も
    > 世界遺産も
    > 見学する価値はあると思いつつ、
    > こうやって一緒に過ごした時間は何ものにも代えがたいような
    > 気がします。
    >
    > 素敵な旅行記、感動モノでした。
    >
    > tanupam

    Tanupamさん

    Tomoです。

    コメント頂きありがとうございます。

    シベリア鉄道の旅は私が学生時代から
    「いつかは」と夢に描いていた旅でした。

    「若き日の夢は老いてのち豊かに実る」
    という言葉がありますがようやく実現
    するに到ったと言う感じです。

    定年退職後に時間ができたので夫婦で
    いろいろな国を旅行したいと考えています。

    今回はフランス・スペインの巡礼路を歩く
    という企画を組み入れましたので一人旅と
    なりました(妻は歩くのはあまり好きでは
    ありません)。

    Tanupamのブログではお嬢様と一緒に楽しく
    旅行されているとのことうらやましい限り
    です。

    今後ともよろしくお願いいたします。

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