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2月から4月にかけて還暦夫婦世界一周旅行している間に<br />もう一度カミーノ・デ・サンチャゴを歩きたいという<br />気持ちが高まって来ていました。<br />更に青春の頃に夢に抱いていた<br />シベリア鉄道を使って<br />ヨーロッパに入るというルートを<br />組み合わせてみたいとも考えて<br />いました。<br />しかし4月中旬に旅行から帰ってきて<br />こんなに早く計画が<br />実行できるとは思ってもいませんでした。<br />4月に帰国してみると長女が7月1日から<br />育児休暇から会社に復帰し、<br />末娘は8月5に第2子が誕生予定で育児休暇に<br />入ることが現実化される<br />ことが明確になってきていました。<br />今を逃すと「育ジイ」としての役割が<br />今後5年から6年程度は固定化される<br />ことになります。<br />(この役割も結構気に入っていますが)<br />5年後は70歳となり肉体的にも精神的にも<br />負担の大きい巡礼の道を歩くことや<br />シベリア鉄道の7泊8日の長期間鉄道旅行を<br />実行することは極めて<br />困難なことが予想されます。<br />男性の健康寿命が約70歳であることから<br />実行するなら今しかないと判断し家内に相談<br />したところ家内も私の想いを<br />理解してくれ快諾してくれました。<br />私の夢の実現は妻の了解・協力なしではありえません。<br />早速計画の具体的スケジュール化に取り組み、<br />タイムスケジュールと移動手段の確保、<br />ポイントになる宿泊地の予約<br />さらにロシア入国ビザの取得申請を行いました。<br />これまでに蓄積してきた旅行ノウハウと<br />経験がとても役に立ち4月25日(帰国して約1週間後)<br />に実行プランが完成しました。<br />あとは具体的な行動を開始するだけです。<br />※旅の詳細はこれから逐次書いていく予定です。<br />ここで私がカミーノ巡礼を歩いた4回(今回を含む)の<br />内訳を掲載しておきます。<br /><br />(カミーノ巡礼4回の内訳)<br /><br />1回目(ウォーミングアップ巡礼晩秋篇)<br />2012年10月にスペイン巡礼路の最短距離100kmをサリアから<br />サンチャゴ・デ・コンポステーラまで約1週間かけて歩き、<br />西端最終地のフィニステーラまで(約90キロ)はバスで往復<br />(この時は巡礼路終了後にポルトガルに入りポルトからリスボンまで<br />鉄道旅行をした)。<br /><br />2回目(本格的巡礼前半早春篇)<br />スペインのバスク地方の中心都市パンプローナからアストルガまで<br />の約500kmを歩く(2013年2月25日から3月22日)。<br /><br />3回目(本格的巡礼後半晩春篇)<br />アストルガからスペイン西端フィニステーレまで<br />の約400kmを歩いた(2013年4月29日から5月21日)。<br />1回目から3回目までのカミーノ巡礼はまとめて<br />「還暦一人旅、早春のスペイン巡礼路(カミーノ)コツコツ歩いて<br />900km、この道はいつか来た道<総集編>」のブログに書きました。<br /><br />4回目(カミーノ巡礼フランスルート~ピレネー地方真夏篇)<br />2015年7月1日から7月27日までフランスのル・ピュイから<br />サン・ジャン・ピエ・ド・ポー経由でピレネー山を越えスペインの<br />ログローニョまで約900キロを歩いた(※一部バスと鉄道利用)。<br />バスと鉄道でViviez駅からMoissac駅まで約162㎞を移動した。<br /><br />カミーノ巡礼は4回歩きましたが重複したルートがありますので<br />合計で約1900キロを巡礼したことになります(一部バスと鉄道を利用)<br />歩いた季節は早春、晩春、真夏、晩秋でしたので変化する季節の<br />美しさを存分に味わうことができました。<br /><br /><br />今回の旅行スケジュールは以下の通りです。<br /><br />2015初夏シベリア鉄道&カミーノ巡礼の旅スケジュール<br />(6/21から8/4 45日間)<br /><br />(5月3日作成分)<br /><br />○6月21日(日)<br /><br /> 15:40成田(NRT/T2)発→19:20着ウラジオストック<br /> (VVO)2h40m<br /> シベリア航空566<br /> ※ロシアビザは5月15にロシア大使館で取得予定→取得した<br /> ※バックパックは手荷物で持ち込む<br /> (早めに入国しアエロエクスプレス最終20:04 <br /> 200R又はバスミニバス最終21:10 90Rに間に合わせるため)<br /> ※ルーブル両替 成田で交通費等1日目の諸雑費として両替を行う<br /> ($→RUB 100$)<br /> ホテル マリャーク(Moryak)<br /> ウラジオストック駅から北へ徒歩約5分 1泊2,500RUB <br /> Primorsky Kral,Vladivostok,<br /> Posjetskaya Street,38   <br /><br /> ※6/22<br />  にウラジオストクの町で両替をする($→RUB400$)<br />   シベリア鉄道車内での夕食代及び雑費(1週間分)、<br />   モスクワでの交通費等諸雑費(1日分)<br /> ※6/22にスーパー等でシベリア鉄道7泊8日の食糧、<br />   飲料水(朝食・昼食7回分)を購入する<br /><br />○6月22日(月)<br /> シベリア鉄道※16:52→23:52出発(3等車)→モスクワ着 <br />  6/29(月)11:03<br /> ※ホテルをチェックアウトした後は比較的時間があるので両替、<br />  買い物と少し観光ができそうである。<br /> ※モスクワとの時差は+7時間→ウラジオストック駅を23:52出発<br />  21:52には駅に行こう!<br /> ※ベッドはRussiantrainsに<br />  下段を依頼済み→下段可とメール連絡があった。<br />   ・朝食・昼食は予め購入した食料で対応<br />   (車内には熱湯供給設備あり)<br />    又は途中の停車駅の売店で追加購入<br />    (パン、チーズ、スープ、即席ラーメン、コーヒーやお茶、<br />     チョコレート類のスナック、果物等←日本でも準備)<br />   ・夕食はできるだけ車内食堂で野菜、肉、魚等を食べる<br />    (美味しいワインも飲みたい!)<br />   ・酒類はマーケットである程度購入し、<br />    不足すれば車内で購入(飲み過ぎないように→<br />    睡眠促進のため!)<br />   ・シャワーはないのでトイレで体をふく程度で我慢<br />    (濡れティッュ、ハンド用消毒液も準備するか)<br /><br />○6月29日(月)<br />   11:03にシベリア鉄道でモスクワ(ヤロスラヴリ駅)着<br />   メトロのコムソモリースカヤ駅(同じ場所)から5号線で<br />   パヴェレツカヤ駅で2号線でアフトザボートスカヤ駅で<br />   下車しマキシマパノラマ ホテルに行く(メトロ出口すぐ横)<br />   Maxima Panorama Hotel (マキシマ パノラマ ) <br />      Masterkova Street 4, 115280 Moscow, ロシア連邦 <br />   1泊3,060RUB(チェックイン 14:00 チェックアウト<br />   12:00)<br />  ※6月30日のモスクワ→パリのフライトが9:00発であるので<br />       5:00にはホテルを出発する予定<br />  ※ルーブルが余るようであればホテルで土産物を購入も要検討<br /><br />○6月30日(火)<br /><br />  モスクワ→パリ→ル・ピュイまで移動<br />     (フライト<br />  ・9:00モスクワ(DME)発→10:20着ミンスク<br />   (MSQ)乗り継ぎ (1h20m)シベリア航空4433<br />  ・11:35ミンスク(MSQ)発→13:35着パリ<br />   (CDG/T2)3h<br />    Belavia航空865(座席 未定)<br /><br />  (列車便)2回乗り換え<br /><br />  ・TGV9836 AEROPORT <br />   CDG2TGV17:58発→LYON <br />   P ARTDIEU20:00着<br />  ・TGV6688 LYON PARTDIEU21:05発<br />   →ST ETIE NNE CHATEA21:47着<br />  ・TRAB0968 ST ETIENNE <br />   CHATEA21:52発→LE PUYENVELAY<br />         23:25着<br /><br />  ホテル <br />  Chambres d‘hotes L’Epicurium<br />    (シャンブル ドット レピキュリウム)<br />  5Rue du Bessat 43000 <br />  Le puy?en?    Velay,France <br />  1泊 ユーロ58(朝食込)<br />  (チェックイン17:30?19:00 チェックアウト 10:30)<br />  ※6/30は24:00頃チェックイン予定であることを<br />        ホテルへ連絡済み  <br /><br />○・7月1日(水)からカミーノ・デ・サンチャゴ(ル・ピュイの道)<br />  巡礼開始<br />   (30日間 完歩できるか不安!)<br />  ル・ピュイのノートルダム大聖堂<br />  「Cathe&#39;drale Notre Dame」 で午前7時から8時まで<br />   行われる早朝のミサは、<br />   ここを出発する巡礼者を祝福するための有名な<br />   ミサがあるので参加する。<br /><br />  宿泊は主に「ジット」。一部屋に1段ベットか、<br />  2段ベッドがいくつかある宿泊施設。<br />  ハイカーのためにフランス全土の<br />  いたるところに設けられており、<br />  公的なものと私的なものがある。<br />  料金は8から12ユーロ(現時点で1ユーロ130円)<br /><br />  スペインのカミーノ800kmの「アルベルゲ」は<br />  基本的に無料(でもない?。ほとんどが有料)<br />  だったが、フランスの「ジット」は有料。<br /><br /> ・7月末頃にサン・ジャン・ピエ・ド・ポールに到着予定<br />  1日平均25Km徒歩巡礼 詳細検討<br />  ※直接バヨンヌに行くか又は<br />  ピレネー山脈を越えサンセバスチャン経由で<br />  バヨンヌに行くかは何時サンジャンピエドポールに<br />  到着するかで考える<br />  (移動に5日程度必要→7/27に到着必要)<br /><br />○8月2日(日)<br /><br />  バヨンヌからパリへ移動<br />  TGV8540 BAYONNE 10:25発→PARIS <br />  MONT(モンパルナス駅)15:37着<br />  Hotel Telemaque(ホテル テレマーク)<br />  64 rue daguerre Paris France <br />   1泊 ユーロ45<br />  ※翌日に土産物を近くのスーパーマーケットで購入する予定<br /><br />○8月3日(月)帰国<br /> ・Paris(CDG・T1)18:15発→<br />  Istanbul22:45着(IST/T1)3h30m<br />  Turkish Airlines 1828(座席 A)<br />    ―乗り継ぎ 2h30m―<br /> ・Istanbul(IST/T1)1:15発→Tokyo<br /> (NRT/T1)8月4日18:30着 11h15m<br />  Turkish Airlines 52(座席 未定)<br />

シベリア鉄道とフランス巡礼45日間の旅『風たちぬいざ歩けやも!<総集編>』(後半にカミーノ俳句掲載)

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2015/06/21 - 2015/08/04

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2013tomo

2013tomoさん

2月から4月にかけて還暦夫婦世界一周旅行している間に
もう一度カミーノ・デ・サンチャゴを歩きたいという
気持ちが高まって来ていました。
更に青春の頃に夢に抱いていた
シベリア鉄道を使って
ヨーロッパに入るというルートを
組み合わせてみたいとも考えて
いました。
しかし4月中旬に旅行から帰ってきて
こんなに早く計画が
実行できるとは思ってもいませんでした。
4月に帰国してみると長女が7月1日から
育児休暇から会社に復帰し、
末娘は8月5に第2子が誕生予定で育児休暇に
入ることが現実化される
ことが明確になってきていました。
今を逃すと「育ジイ」としての役割が
今後5年から6年程度は固定化される
ことになります。
(この役割も結構気に入っていますが)
5年後は70歳となり肉体的にも精神的にも
負担の大きい巡礼の道を歩くことや
シベリア鉄道の7泊8日の長期間鉄道旅行を
実行することは極めて
困難なことが予想されます。
男性の健康寿命が約70歳であることから
実行するなら今しかないと判断し家内に相談
したところ家内も私の想いを
理解してくれ快諾してくれました。
私の夢の実現は妻の了解・協力なしではありえません。
早速計画の具体的スケジュール化に取り組み、
タイムスケジュールと移動手段の確保、
ポイントになる宿泊地の予約
さらにロシア入国ビザの取得申請を行いました。
これまでに蓄積してきた旅行ノウハウと
経験がとても役に立ち4月25日(帰国して約1週間後)
に実行プランが完成しました。
あとは具体的な行動を開始するだけです。
※旅の詳細はこれから逐次書いていく予定です。
ここで私がカミーノ巡礼を歩いた4回(今回を含む)の
内訳を掲載しておきます。

(カミーノ巡礼4回の内訳)

1回目(ウォーミングアップ巡礼晩秋篇)
2012年10月にスペイン巡礼路の最短距離100kmをサリアから
サンチャゴ・デ・コンポステーラまで約1週間かけて歩き、
西端最終地のフィニステーラまで(約90キロ)はバスで往復
(この時は巡礼路終了後にポルトガルに入りポルトからリスボンまで
鉄道旅行をした)。

2回目(本格的巡礼前半早春篇)
スペインのバスク地方の中心都市パンプローナからアストルガまで
の約500kmを歩く(2013年2月25日から3月22日)。

3回目(本格的巡礼後半晩春篇)
アストルガからスペイン西端フィニステーレまで
の約400kmを歩いた(2013年4月29日から5月21日)。
1回目から3回目までのカミーノ巡礼はまとめて
「還暦一人旅、早春のスペイン巡礼路(カミーノ)コツコツ歩いて
900km、この道はいつか来た道<総集編>」のブログに書きました。

4回目(カミーノ巡礼フランスルート~ピレネー地方真夏篇)
2015年7月1日から7月27日までフランスのル・ピュイから
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー経由でピレネー山を越えスペインの
ログローニョまで約900キロを歩いた(※一部バスと鉄道利用)。
バスと鉄道でViviez駅からMoissac駅まで約162㎞を移動した。

カミーノ巡礼は4回歩きましたが重複したルートがありますので
合計で約1900キロを巡礼したことになります(一部バスと鉄道を利用)
歩いた季節は早春、晩春、真夏、晩秋でしたので変化する季節の
美しさを存分に味わうことができました。


今回の旅行スケジュールは以下の通りです。

2015初夏シベリア鉄道&カミーノ巡礼の旅スケジュール
(6/21から8/4 45日間)

(5月3日作成分)

○6月21日(日)

 15:40成田(NRT/T2)発→19:20着ウラジオストック
 (VVO)2h40m
 シベリア航空566
 ※ロシアビザは5月15にロシア大使館で取得予定→取得した
 ※バックパックは手荷物で持ち込む
 (早めに入国しアエロエクスプレス最終20:04 
 200R又はバスミニバス最終21:10 90Rに間に合わせるため)
 ※ルーブル両替 成田で交通費等1日目の諸雑費として両替を行う
 ($→RUB 100$)
 ホテル マリャーク(Moryak)
 ウラジオストック駅から北へ徒歩約5分 1泊2,500RUB 
 Primorsky Kral,Vladivostok,
 Posjetskaya Street,38   

 ※6/22
  にウラジオストクの町で両替をする($→RUB400$)
   シベリア鉄道車内での夕食代及び雑費(1週間分)、
   モスクワでの交通費等諸雑費(1日分)
 ※6/22にスーパー等でシベリア鉄道7泊8日の食糧、
   飲料水(朝食・昼食7回分)を購入する

○6月22日(月)
 シベリア鉄道※16:52→23:52出発(3等車)→モスクワ着 
  6/29(月)11:03
 ※ホテルをチェックアウトした後は比較的時間があるので両替、
  買い物と少し観光ができそうである。
 ※モスクワとの時差は+7時間→ウラジオストック駅を23:52出発
  21:52には駅に行こう!
 ※ベッドはRussiantrainsに
  下段を依頼済み→下段可とメール連絡があった。
   ・朝食・昼食は予め購入した食料で対応
   (車内には熱湯供給設備あり)
    又は途中の停車駅の売店で追加購入
    (パン、チーズ、スープ、即席ラーメン、コーヒーやお茶、
     チョコレート類のスナック、果物等←日本でも準備)
   ・夕食はできるだけ車内食堂で野菜、肉、魚等を食べる
    (美味しいワインも飲みたい!)
   ・酒類はマーケットである程度購入し、
    不足すれば車内で購入(飲み過ぎないように→
    睡眠促進のため!)
   ・シャワーはないのでトイレで体をふく程度で我慢
    (濡れティッュ、ハンド用消毒液も準備するか)

○6月29日(月)
   11:03にシベリア鉄道でモスクワ(ヤロスラヴリ駅)着
   メトロのコムソモリースカヤ駅(同じ場所)から5号線で
   パヴェレツカヤ駅で2号線でアフトザボートスカヤ駅で
   下車しマキシマパノラマ ホテルに行く(メトロ出口すぐ横)
   Maxima Panorama Hotel (マキシマ パノラマ )
      Masterkova Street 4, 115280 Moscow, ロシア連邦
   1泊3,060RUB(チェックイン 14:00 チェックアウト
   12:00)
  ※6月30日のモスクワ→パリのフライトが9:00発であるので
       5:00にはホテルを出発する予定
  ※ルーブルが余るようであればホテルで土産物を購入も要検討

○6月30日(火)

  モスクワ→パリ→ル・ピュイまで移動
     (フライト
  ・9:00モスクワ(DME)発→10:20着ミンスク
   (MSQ)乗り継ぎ (1h20m)シベリア航空4433
  ・11:35ミンスク(MSQ)発→13:35着パリ
   (CDG/T2)3h
    Belavia航空865(座席 未定)

  (列車便)2回乗り換え

  ・TGV9836 AEROPORT 
   CDG2TGV17:58発→LYON 
   P ARTDIEU20:00着
  ・TGV6688 LYON PARTDIEU21:05発
   →ST ETIE NNE CHATEA21:47着
  ・TRAB0968 ST ETIENNE 
   CHATEA21:52発→LE PUYENVELAY
23:25着

  ホテル 
  Chambres d‘hotes L’Epicurium
 (シャンブル ドット レピキュリウム)
  5Rue du Bessat 43000 
  Le puy?en? Velay,France 
  1泊 ユーロ58(朝食込)
  (チェックイン17:30?19:00 チェックアウト 10:30)
  ※6/30は24:00頃チェックイン予定であることを
ホテルへ連絡済み  

○・7月1日(水)からカミーノ・デ・サンチャゴ(ル・ピュイの道)
  巡礼開始
   (30日間 完歩できるか不安!)
  ル・ピュイのノートルダム大聖堂
  「Cathe'drale Notre Dame」 で午前7時から8時まで
   行われる早朝のミサは、
   ここを出発する巡礼者を祝福するための有名な
   ミサがあるので参加する。

  宿泊は主に「ジット」。一部屋に1段ベットか、
  2段ベッドがいくつかある宿泊施設。
  ハイカーのためにフランス全土の
  いたるところに設けられており、
  公的なものと私的なものがある。
  料金は8から12ユーロ(現時点で1ユーロ130円)

  スペインのカミーノ800kmの「アルベルゲ」は
  基本的に無料(でもない?。ほとんどが有料)
  だったが、フランスの「ジット」は有料。

 ・7月末頃にサン・ジャン・ピエ・ド・ポールに到着予定
  1日平均25Km徒歩巡礼 詳細検討
  ※直接バヨンヌに行くか又は
  ピレネー山脈を越えサンセバスチャン経由で
  バヨンヌに行くかは何時サンジャンピエドポールに
  到着するかで考える
  (移動に5日程度必要→7/27に到着必要)

○8月2日(日)

  バヨンヌからパリへ移動
  TGV8540 BAYONNE 10:25発→PARIS 
  MONT(モンパルナス駅)15:37着
  Hotel Telemaque(ホテル テレマーク)
  64 rue daguerre Paris France 
   1泊 ユーロ45
  ※翌日に土産物を近くのスーパーマーケットで購入する予定

○8月3日(月)帰国
 ・Paris(CDG・T1)18:15発→
  Istanbul22:45着(IST/T1)3h30m
  Turkish Airlines 1828(座席 A)
    ―乗り継ぎ 2h30m―
 ・Istanbul(IST/T1)1:15発→Tokyo
 (NRT/T1)8月4日18:30着 11h15m
  Turkish Airlines 52(座席 未定)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
航空会社
S7航空 ターキッシュ エアラインズ
旅行の手配内容
個別手配

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  • 6月22日、シベリア鉄道のウラジオストックからモスクワまで<br />9,288Km、7泊8日の汽車の旅である。<br />不安と期待感の入り混じった不思議な気持ちで私の旅は始まった。<br /><br />「  晶子や物に狂うらん、<br /> 燃ゆる我が火を抱きながら、<br /> 天がけりゆく、西へ行く、<br /> 巴里の君へ逢いひに行く。」<br />―歌集『夏より秋へ』の中の「旅に立つ」より<br /><br />ウラジオストック極東国立総合大学には<br />晶子のこの詩の歌碑がある。<br /><br />巴里に留学させた夫、<br />与謝野鉄幹の後を追って<br />4人の子供たちを日本に残し<br />シベリア鉄道経由で<br />パリへ向かう時に詠んだ与謝野晶子の詩だ。<br /><br />晶子はパリで鉄幹との再会を高らかに歌い上げる。<br />「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君もコクリコ<br />われも雛罌粟」<br />(ああさつき ふらんすののは ひのいろす きみも<br /> コクリコ われも こくりこ)<br />そして彼女はその体に新しい命を宿すことになる。<br />※コクリコ:雛罌粟(コクリコ)=芥子科の花。雛罌粟(ひな<br />     げし)、虞美人草、ポピーとも呼ばれる。<br />     開花時期は4月から6月。<br />     火のように赤く燃える花弁は晶子の燃える恋を<br />     現わしている。<br /><br /><br />晶子は5月にシベリア鉄道を<br />経由してパリへ向かうのだが<br />晶子がどのような<br />シベリアの風景を見たのか<br />自分で体験してみたいと思っていた。<br />晶子が車窓から見たシベリア鉄道の約1万キロを<br />旅することにした。<br />

    6月22日、シベリア鉄道のウラジオストックからモスクワまで
    9,288Km、7泊8日の汽車の旅である。
    不安と期待感の入り混じった不思議な気持ちで私の旅は始まった。

    「 晶子や物に狂うらん、
     燃ゆる我が火を抱きながら、
     天がけりゆく、西へ行く、
     巴里の君へ逢いひに行く。」
    ―歌集『夏より秋へ』の中の「旅に立つ」より

    ウラジオストック極東国立総合大学には
    晶子のこの詩の歌碑がある。

    巴里に留学させた夫、
    与謝野鉄幹の後を追って
    4人の子供たちを日本に残し
    シベリア鉄道経由で
    パリへ向かう時に詠んだ与謝野晶子の詩だ。

    晶子はパリで鉄幹との再会を高らかに歌い上げる。
    「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君もコクリコ
    われも雛罌粟」
    (ああさつき ふらんすののは ひのいろす きみも
     コクリコ われも こくりこ)
    そして彼女はその体に新しい命を宿すことになる。
    ※コクリコ:雛罌粟(コクリコ)=芥子科の花。雛罌粟(ひな
         げし)、虞美人草、ポピーとも呼ばれる。
         開花時期は4月から6月。
         火のように赤く燃える花弁は晶子の燃える恋を
         現わしている。


    晶子は5月にシベリア鉄道を
    経由してパリへ向かうのだが
    晶子がどのような
    シベリアの風景を見たのか
    自分で体験してみたいと思っていた。
    晶子が車窓から見たシベリア鉄道の約1万キロを
    旅することにした。

  • シベリア鉄道には私と顔立ちが似た<br />乗客も多く乗っていた。<br />モンゴル系のブリヤート人達である。<br />後ろに写っているのは私の乗っている<br />3等車両を世話してくれる車掌の一人<br />で肝っ玉お母さんと言う感じである。

    シベリア鉄道には私と顔立ちが似た
    乗客も多く乗っていた。
    モンゴル系のブリヤート人達である。
    後ろに写っているのは私の乗っている
    3等車両を世話してくれる車掌の一人
    で肝っ玉お母さんと言う感じである。

  • 食堂車の美人ウエートレスさん。<br />注文を取るときは私のテーブルの<br />前に座って視線をしっかりと合わせながら<br />私の拙いロシア語を理解しようと努力してくれた。<br />(少しドキドキした)<br />食堂車へ行くのが楽しくなった。<br />

    食堂車の美人ウエートレスさん。
    注文を取るときは私のテーブルの
    前に座って視線をしっかりと合わせながら
    私の拙いロシア語を理解しようと努力してくれた。
    (少しドキドキした)
    食堂車へ行くのが楽しくなった。

  • シベリア鉄道食堂車の夕食メニュー(ビールは別注文)。<br />値段はまちまちだが1,000円〜2,000円である。<br />一般のロシア人には高いのか客は外国人客が<br />大半でありいつも席は空いていた。

    シベリア鉄道食堂車の夕食メニュー(ビールは別注文)。
    値段はまちまちだが1,000円〜2,000円である。
    一般のロシア人には高いのか客は外国人客が
    大半でありいつも席は空いていた。

  • シベリア鉄道は主要駅でしばらく停車する。<br />その際、乗客は外に出てたばこを吸ったり、<br />買い物をしたり、日向ぼっこをしたりしてくつろいでいた。

    シベリア鉄道は主要駅でしばらく停車する。
    その際、乗客は外に出てたばこを吸ったり、
    買い物をしたり、日向ぼっこをしたりしてくつろいでいた。

  • 途中で乗車してきたクリミア観光に<br />向かう若いロシア人家族。<br />車内は蒸し暑いので子供たちは上半身裸で過ごす。<br />2歳の男の子はなぜか私を<br />「トーニャおばあちゃん」と呼んでくれていた。

    途中で乗車してきたクリミア観光に
    向かう若いロシア人家族。
    車内は蒸し暑いので子供たちは上半身裸で過ごす。
    2歳の男の子はなぜか私を
    「トーニャおばあちゃん」と呼んでくれていた。

  • フランスの巡礼の旅が始まる。<br />歩いている巡礼者の数は少ないが宿泊先の<br />ジットでは他の巡礼者と仲良くなり<br />楽しい夕食時間を過ごすことができた。

    フランスの巡礼の旅が始まる。
    歩いている巡礼者の数は少ないが宿泊先の
    ジットでは他の巡礼者と仲良くなり
    楽しい夕食時間を過ごすことができた。

    ル ピュイの旧市街 旧市街・古い町並み

  • 朝の6時半ごろには宿泊先を出発していた。<br />東から登る朝日を背中に受けて<br />私の影が西へ長く伸びる。<br />この影の方向へ向かって歩けば道に<br />迷うことはないだろう。<br />実際は何度も迷った。

    朝の6時半ごろには宿泊先を出発していた。
    東から登る朝日を背中に受けて
    私の影が西へ長く伸びる。
    この影の方向へ向かって歩けば道に
    迷うことはないだろう。
    実際は何度も迷った。

    ル ピュイの旧市街 旧市街・古い町並み

  • 巡礼路の途中で私を追い抜いた若い巡礼さんに<br />写真を撮らせていただく。<br />写真を撮っていると男性巡礼者が<br />「俺の写真も撮ってくれよ」と冗談を言いながら<br />通り過ぎて行った。

    巡礼路の途中で私を追い抜いた若い巡礼さんに
    写真を撮らせていただく。
    写真を撮っていると男性巡礼者が
    「俺の写真も撮ってくれよ」と冗談を言いながら
    通り過ぎて行った。

  • 巡礼路の脇にはひまわり畑が続く。<br />朝はとても元気ではつらつとしているが<br />真昼時は暑いのか、うな垂れてしまう。<br />私も同じ状況なので共感しながら歩いていた。

    巡礼路の脇にはひまわり畑が続く。
    朝はとても元気ではつらつとしているが
    真昼時は暑いのか、うな垂れてしまう。
    私も同じ状況なので共感しながら歩いていた。

  • Moissac(モワサック)からの巡礼路は<br />美しい水路に沿って続いている。<br />緑の木陰もしっかりとしており歩くのが<br />楽しくなる。<br /><br />

    Moissac(モワサック)からの巡礼路は
    美しい水路に沿って続いている。
    緑の木陰もしっかりとしており歩くのが
    楽しくなる。

  • 途中でロバを連れて歩いている巡礼者にあう。<br />ロバが道端にある草を食べながら歩くので<br />なかなか前に進めないと言っていた。

    途中でロバを連れて歩いている巡礼者にあう。
    ロバが道端にある草を食べながら歩くので
    なかなか前に進めないと言っていた。

  • ジットでくつろぐ巡礼者たち(ドイツ人とフランス人)。<br />彼女たちとはそれからの巡礼路を一緒に歩くことになった。

    ジットでくつろぐ巡礼者たち(ドイツ人とフランス人)。
    彼女たちとはそれからの巡礼路を一緒に歩くことになった。

  • 夕食時に団らんする。<br />国籍を越えて同じ巡礼者として話が弾む。

    夕食時に団らんする。
    国籍を越えて同じ巡礼者として話が弾む。

  • 坂道を息を切らし汗を流しながら<br />登り続ける。<br />丘の向こうには<br />次の町が見えてくるような期待感が膨らむ。

    坂道を息を切らし汗を流しながら
    登り続ける。
    丘の向こうには
    次の町が見えてくるような期待感が膨らむ。

  • 巡礼路を別々に歩いていた巡礼達も<br />夕方は同じ宿泊先で一緒になる。<br />毎日が「歩く」、「食べる」、「寝る」、「起きる」、<br />また「歩く」という<br />シンプルな繰り返しであるが日々新たなドラマがある。

    巡礼路を別々に歩いていた巡礼達も
    夕方は同じ宿泊先で一緒になる。
    毎日が「歩く」、「食べる」、「寝る」、「起きる」、
    また「歩く」という
    シンプルな繰り返しであるが日々新たなドラマがある。

  • 木々が生い茂る巡礼路は緑のトンネルのようだ。<br />一歩足を踏み入れると空気がひやりとしたものに<br />変る(灼熱の巡礼路を歩いた後のオアシスだ)。<br />緑の香りがする冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。<br />このトンネルの向こうは別世界につながっているような<br />不思議な感覚を抱くときがある。

    木々が生い茂る巡礼路は緑のトンネルのようだ。
    一歩足を踏み入れると空気がひやりとしたものに
    変る(灼熱の巡礼路を歩いた後のオアシスだ)。
    緑の香りがする冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。
    このトンネルの向こうは別世界につながっているような
    不思議な感覚を抱くときがある。

  • 一緒に歩いてくれたリヨンの大学生のジェシカさん。<br />しばらく話して途中で先に歩いて行ったがジットに着くと<br />かなり遅れて汗びっしょりで現れた。<br />道に迷ったらしい。

    一緒に歩いてくれたリヨンの大学生のジェシカさん。
    しばらく話して途中で先に歩いて行ったがジットに着くと
    かなり遅れて汗びっしょりで現れた。
    道に迷ったらしい。

  • スイスから歩いてきたと言うドイツ人のステファニーさん。<br />千葉の幕張でドイツ大手航空会社のロジステック関係で<br />働いた経験もあり日本のフアンであった。

    スイスから歩いてきたと言うドイツ人のステファニーさん。
    千葉の幕張でドイツ大手航空会社のロジステック関係で
    働いた経験もあり日本のフアンであった。

  • 熟年巡礼のアンドレイとマリアの<br />フランス人ご夫妻。<br />とても仲が良くゆっくりと寄り添いながら<br />歩いているのが印象的であった。<br />アンドレイは巡礼路を歩くことは<br />人生よりも楽しいと言っていた。

    熟年巡礼のアンドレイとマリアの
    フランス人ご夫妻。
    とても仲が良くゆっくりと寄り添いながら
    歩いているのが印象的であった。
    アンドレイは巡礼路を歩くことは
    人生よりも楽しいと言っていた。

  • スペインのパンプローナを越えたオテルガという町の<br />アルベルゲのオーナー家族。<br />2歳半の女の子はTomo(私)と一緒に学校に行きたいと<br />言ってくれた。<br />彼女の名前はEstrella(エストレージャ;星)とのこと。<br />私たち巡礼者を導く夜空に輝く星のようなきれいな瞳を持つ<br />かわいらしい女の子であった。

    スペインのパンプローナを越えたオテルガという町の
    アルベルゲのオーナー家族。
    2歳半の女の子はTomo(私)と一緒に学校に行きたいと
    言ってくれた。
    彼女の名前はEstrella(エストレージャ;星)とのこと。
    私たち巡礼者を導く夜空に輝く星のようなきれいな瞳を持つ
    かわいらしい女の子であった。

  • 町の石畳に私の影が西に向かって長く伸びる。<br />影はもう一人の自分である。

    町の石畳に私の影が西に向かって長く伸びる。
    影はもう一人の自分である。

  • 私の巡礼最終日はアルベルゲを朝6時に出発した。<br />朝焼けの中で時間の経過とともに東雲が美しく変化していった。<br />天女(見たことはないが)が空で踊っているようである。<br /><br />(サンチャゴ巡礼旅日記の備忘録)<br />「私のサンチャゴ巡礼の旅~ワインと俳句」<br />2019年10月31日 人生の断捨離のため部屋の中に埃をかぶった<br />書類を整理していた。<br />時々、懐かしい書類が出てくるので昔を思い出して中身を<br />読んでいると時間ばかり経って断捨離が前に進まない。<br />すると封筒の中から2012年から2013年のサンチャゴ巡礼の<br />旅レポートが出てきた。<br />このままにしていると家内がごみと一緒に捨ててしまうと<br />思ったので今回のブロブの中に掲載することにした。<br />記憶の経年劣化は怖いものだ。<br />このレポートを書いたことすら忘れてしまっていた。<br />私の備忘録として毎日時間を見つけて書き加えることとする。<br /><br />この時は2012年の中秋(10月中旬から10月末まで)、<br />2013年の早春(2月末から3月下旬まで)、同年の晩春<br />(4月末から5月下旬まで)、合計3回、延べ約50日間かけて<br />北スペインのカミーノ巡礼路の約900㎞をそぞろ神に憑かれた<br />ように歩き続けた。<br /><br />1.スペイン巡礼の目的は3つある<br />①エスパーニャ・ベルデ(緑のスペイン)の歴史と文化遺産に<br />富んだサンチャゴ巡礼路(カミーノ・デ・サンチャゴ)を歩くこと<br />スペインは大学生4年生の時に1度訪れ、2度目は2012年の4月に<br />家内と一緒に鉄道で周遊してその魅力は知っていた。<br />今回は自分の足で歩きながらエスパーニャ・ベルデに点在する歴史、<br />文化遺産、美しい自然を存分に堪能したいという気持ちが強くなった。<br />②スペイン語の能力向上<br />私のスペイン語学習は公民館サークルと独学が中心であり実践力は<br />乏しかった。<br />スペインのサンチャゴ巡礼路を一人で毎日歩くことでスペイン語を<br />使う機会が多くなり実践的な会話力を向上させることを目的とした。<br />結果は1か月近くスペイン語の世界にどっぷり暮らすことで難しい<br />文法(例えば接続法)は使えないが日常のサバイバルスペイン語は<br />話せるようになった。<br />語学の向上は能力よりも使った時間に比例すると確信した。<br />③2013年2月に他界した母親の供養のため巡礼路を歩きながら<br />1日俳句を一句作り続ける。<br />母の49日を供養するため父母が二人で行きたかった北スペインを<br />歩きながら、彼らの生涯の趣味であった俳句を最低1日一句作る。<br />またバックパックの中に「般若心経」を入れて気に入った場所が<br />あれば1日1回唱えることを習慣とした。<br />私はキリスト教徒の巡礼の道を歩きながら仏教徒であることを<br />実感した。<br /><br />2.サンチャゴ巡礼の日々の暮らしについて<br />①2012年の晩秋から2013年の晩春に渡り北スペインバスク地方の街、<br /> パンプローナからスペイン西端にあるフィニステーレ岬まで3回に<br />分けて 歩き巡礼を行った。<br /> 重複して歩いた道もあるが合計で約900㎞を歩いたことになる。<br />②1日の行動パターン<br />朝は5時半ごろに起床しまだ寝入っている巡礼仲間を起こさない<br />ようにこっそりと段ベッドから抜け出す。<br />旅支度は前日中に準備して寝ることにしていた。<br />朝はベッドの上や下をヘッドライトで照らして落し物がないかを<br />チェックする(それでも忘れ物は発生した)。<br />6時半ごろ朝食として水とパンとチーズを少し食べた。<br />(食べ過ぎると体が重くなって歩けないような気がしていため)<br />巡礼宿(アルベルゲ)を出発するのは遅くとも7時半までにしていた。<br />普通は7時ごろ出発していた。<br />まだ暗い道をヘッドライトで照らし朝の冷たい空気を吸いながら<br />一人で巡礼路を歩くのは気持ちが良い。<br />しばらく歩いていると私より遅くアルベルゲを出発した若い巡礼達が<br />「ブエンカミーノ!」と明るく声をかけながら私の横をすり抜けて<br />いく。これはいつものパターンだ。<br />歩くのが遅い私は巡礼仲間から<br />「セニョール・トルツーガ(カメさん)」と呼ばれていた。<br />私は約8㎏のバックパックや水筒を背負い平均時速3㎞で<br />1日約25~30㎞歩いていた。<br />巡礼の後半ではバッグの中身を断捨離して5キログラムまで削減した。<br />1か月近く歩いて体重も5キロほど減量できていたので歩く速度も<br />速くなり若い巡礼仲間と同じ歩調で歩くことが可能になった。<br />巡礼路で体重も含めて人生に不要なものを背負って歩いている<br />ことに気づかされた。<br />巡礼路では途中の休憩時間を短くする(あるいは休憩しない)<br />ことで若い巡礼者たちにも遅れずに次の目的地<br />(アルベルゲのある場所)までたどり着くことができた。<br />途中で何度も若い巡礼者に追い抜かされるのだが夕方ごろ<br />アルベルゲにチェックインするときには私が先に到着しているので<br />彼らは不思議がり「トモ(私のあだ名)、おまえは魔法使いか?」<br />と驚かれることが何度かあった。<br />巡礼の最初のころは途中のバルでコーヒー<br />(カフェ・コン・レチェ)とボカジージョで軽く<br />済ませていたがで後半は座って食事をせずに<br />立ったままで冷たいオレンジジュース等で水分補給だけを<br />するようにしていた。<br />一旦座ると立ち上がるのに大きなエネルギーがいるし、<br />少しででも歩く時間が欲しかったからだ。<br />しかし不思議と空腹は感じなかった。<br />歩くのに疲れると巡礼杖の上に顎を乗せて暫く休憩するように<br />していた。<br />自然の静寂の中で風の音だけを聞いていると体も心も癒された。<br />私は朝は7時ごろアルベルゲを出発し夕方5時ごろまでには<br />次のアルベルゲに到着するようにしていた。<br />1日10時間近く歩いていたことになる。<br />時速3㎞で歩くと1日30㎞、時速4㎞で歩くと1日40㎞歩けて<br />距離が稼げる。<br />夕暮れ時にアルベルゲにチェックインすると一連の作業が<br />待っていた。<br />アルベルゲの1泊の宿泊料は公立で5ユーロ(約600円)、<br />私立で10ユーロ(約1,200円)であった。<br />公立と私立の違いはベッドが段ベッドから平ベッドになり。<br />シャワーのお湯がしっかり出るという程度の違いだった。<br />公立のシャワーでは利用者が多いと途中で冷たい水になって<br />しまうので凍えてしまった(疲れを取るにはお湯のシャワーが<br />ありがたい)。<br />また私立では夕食や朝食を有料で準備してくれるところもある。<br />チェックイン後はまずシャワーを浴びる。<br />(アルベルゲに早めに到着するとゆっくりシャワーを使える)<br />汗で濡れた下着、靴下、タオル等を洗濯する<br />(洗濯は最小限にする)。<br />洗濯が終わった衣類を干すが、この時どこに干すかが<br />大切になる。<br />アルベルゲの壁際にはパイプ状の煖房設備があるので<br />この上にかけて干す。<br />煖房機の近くにあるベッドが確保できると濡れた衣類等を<br />早く乾燥させることが出来るし、ベッドの上から手を伸ばす<br />だけで簡単に取り入れることができる。<br />このためにも早めにアルベルゲに到着することが<br />大切になってくる。<br />ベッドの上で日記を書いたり、書類を調べていると<br />巡礼仲間が次々とアルベルゲに到着してくる。<br />彼らのシャワーや洗濯が終わって落ち着くころに<br />気の合った仲間で声を掛け合って近くの小さなレストランへ<br />夕食へ出かける。<br />巡礼路では1番楽しい時だ。<br />レストランには通常巡礼メニューが準備されている。<br />大抵1食9ユーロ(約1,000円)で<br />「前菜(スープ、パスタ、サラダ等)」と<br />主菜(肉料理、魚料理等)」、<br />「デザート(コーヒー付)」そして<br />ワインが1本(大抵)が付いてくる。<br />安い、美味しい、ボリュームがある、<br />またワインが1本ついているので<br />コストパフォーマンスは高いと思う。<br />ワインは1本全部は飲めないので残ったワインは<br />ペットボトルに移し替えて翌日の巡礼路で疲れたときに<br />チョビチョビ飲んでいた。<br />(飲み過ぎは歩けなくなるので厳禁だ)<br />この夕食だけで巡礼路を歩くエネルギー補給は<br />充分であった。<br />夕食を撮った後はベッドに戻り翌日の旅支度を終えてから<br />10時ごろには寝るようにしていた。<br />(でも夜中は周りのいびきで目が覚めることが良くあった<br />ーお互い様だが)<br />これが1か月の巡礼路だとほぼ同じパターンが30回続く<br />ことになる。<br />でも飽きることはなかった。<br />毎日、新たな出逢いやドラマがあった<br />(まるで映画を観ているようだった)。<br />③夕食前後に巡礼仲間と様々なテーマを語らうのは楽しい。<br />巡礼宿(アルベルゲ)では各国からの巡礼者が集う。<br />話の輪の中では英語(米語)、スペイン語、フランス語、<br />イタリア語、ドイツ語、韓国語、<br />その他どこかの国の言葉が飛び交う国際色が豊かな<br />空間となる。<br />話す内容も旅の目的、文化の違い、人生の課題(やや哲学的な)、<br />宗教、精神世界、愛について、食事、酒、歌、音楽、<br />その他多様性に富んでいた。<br />この空間では沈黙は好まれない。一期一会の気持ちで勇敢に<br />人前で意見を述べる人に注目が集まる。<br />翌日の巡礼路でも巡礼仲間と歩きながら昨日のテーマについて<br />静かに語り合う時間を持てたことは楽しく意義深い体験であった。<br /><br />3.サンチャゴ巡礼路の楽しさ<br />サンチャゴ巡礼路も過ぎてしまえば楽しい想い出だけが<br />残っている。<br />荷物の重さも、風の強さも、息切れした坂道も、足指にできた<br />豆の激痛も過ぎてしまえば巡礼路のアクセントである。<br />想い出の中には風景の美しさ、北スペインの歴史・文化の豊かさ、<br />食事(ワイン)の美味しさ、<br />そして巡礼路で生まれた忘れ難い出逢いと交わした言葉が<br />詰まっている。<br />ブラジルから来たチャーミングなヘナータさん、<br />ブルガリアに家族を残してスペインのマラガで働いているルミさん、<br />亡命キューバ人のマリオ、<br />孤高のイギリス人のマーク、<br />アメリカから来た好青年のジョージ、<br />アフガニスタンで軍隊経験があるドイツ人の青年<br />(彼は私が「大きな声では言えないがヒットラー<br />は第一次正解大戦後のドイツ経済を復興させた経済学の<br />一人者だと思う。」<br />と言うとこっそり彼のバッグの中から<br />『我が闘争』(Mein Kampf)<ヒットラーの著書>を<br />取り出して見せてくれた。)<br />サンチャゴ巡礼に『我が闘争』をバックに入れて歩いている<br />とは大した度胸の持ち主だと思う。<br />またかれはバッグの上にギターを背負っていていかにも<br />中世の吟遊詩人といういでたちであった。)<br />アイルランドから来たスーパーマンのような青年、<br />いつも私を励ましてくれたイタリア人、<br />会うたびに何故か私の背中をなでるフィンランドから来た女性<br />巡礼者たち(私はお地蔵さんではないぞ!)、<br />オーストラリアから来た元気のよい娘さん二人、<br />南アフリカから来た母と息子、<br />韓国から来たジャーナリストのスンさん、<br />また二人とも建築家の若いご夫婦、<br />日本の漫画愛好家のポーランド人青年<br />(彼はドラゴンボールの亀仙人の「亀」という文字を<br />書いてくれた~これは私のことか?)。<br />このように巡礼路では毎日、数えきれないくらいの出逢いがあった。<br />早朝出発する時に「今日はどんな出逢いがあるのだろう…。」と<br />心がときめいた。<br />風景も本当に素晴らしかった。<br />サンチャゴ巡礼を歩いていると、ふと自然と私が融合し<br />一体となるような心理状態になることがあった。<br />小雨が上がって薄日が差し始めた巡礼路を歩いていると<br />前を歩いていた巡礼仲間が「トモ!後ろを見てみろ!」<br />と私の後方を指さしている。<br />何が起こったのかと振り向くと<br />私は今しがた小さな虹がかかっている空の下を<br />通り抜けて歩いて来たことに気が付いた。<br />自然に祝福されているような感謝の思いが<br />私の胸に溢れてくる気持がした。<br />また、巡礼も終わりの頃、小さな町のアルベルゲに宿泊し、<br />ヘナータさんやルミさんと楽しい夕食をすました後、<br />食堂の扉を開けて一歩外へ出てみると、<br />見上げた夜空は凍てついた満天に<br />銀色に光る満月と星々と天の川の饗宴が<br />広がっており、<br />三人とも「あ~…。」と言った後は<br />息をのみ声もなく感動したことを思い出す。<br />きっと昔の巡礼達も同じ光景を見て感動に<br />胸を震わせたことと思う。<br />1,000年以上前から巡礼達がこの同じ道を<br />歩いて来たのだという時間の積み重なりを<br />貴く感じた一瞬であった。<br />2023年10月8日に谷村新司さんが逝去した。<br />彼の代表作の「昴」にある燦爛と輝く星々と出逢った<br />瞬間だったかもしれない。<br />谷村さんの名曲「昴」を聴きながらカミーノの美しい<br />思い出が心の中に浮かんできています。<br />歴史・文化遺産も素晴らしい。<br />時間の蓄積がそのまま結晶化したように<br />美しい町や村々が巡礼路に点在し、<br />その姿とそこで暮らす人々に出逢うことも<br />日々の楽しみであった。<br />それにしてもスペインの食事は私に合うようである。<br />サラダもパスタもスープも、肉料理も魚料理も、デザートも、<br />コーヒーも美味しかった。<br />そして土地のワインの味は私の旅の疲れを<br />吹き飛ばしてくれた。<br />いつも心理的な酩酊状態の中で人々との出逢いや<br />美しい自然の風景が私の心象風景として融合し、<br />ゆっくりとした時間の流れの中で静かに<br />醸されたような気持がしている。<br /><br />私の拙い言葉ではサンチャゴ巡礼路の魅力は<br />語りつくせない。<br />しかし、天国の父と母のおかげで私の心象日記として<br />俳句約50句と<br />20余りの短歌が私の手元に残った。<br />これは私の”心の記録”だろう。<br />最後に約900㎞のサンチャゴ巡礼を歩いて私が気づいたことがある。<br />それは私の巡礼路の果てにある心の中にある目的地は<br />聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラ(星空の野原にいるサンチャゴ)<br />ではなく日本で私の帰りを待ってくれている家内である<br />ということであった。<br />「心の旅路」というイギリスの映画があるが、<br />私の北スペイン巡礼の旅は私の家内への「こころの旅路」であった。<br /><br />次ページで私の心象日記としての俳句約50句と20余りの短歌を<br />掲載する。<br />俳句も短歌も専門家が見れば季語が重なったり、字余りがあったり<br />拙いものかもしれないがその時々の私の気持ちを伝えている<br />と思うのでそのまま載せることにした。<br />

    私の巡礼最終日はアルベルゲを朝6時に出発した。
    朝焼けの中で時間の経過とともに東雲が美しく変化していった。
    天女(見たことはないが)が空で踊っているようである。

    (サンチャゴ巡礼旅日記の備忘録)
    「私のサンチャゴ巡礼の旅~ワインと俳句」
    2019年10月31日 人生の断捨離のため部屋の中に埃をかぶった
    書類を整理していた。
    時々、懐かしい書類が出てくるので昔を思い出して中身を
    読んでいると時間ばかり経って断捨離が前に進まない。
    すると封筒の中から2012年から2013年のサンチャゴ巡礼の
    旅レポートが出てきた。
    このままにしていると家内がごみと一緒に捨ててしまうと
    思ったので今回のブロブの中に掲載することにした。
    記憶の経年劣化は怖いものだ。
    このレポートを書いたことすら忘れてしまっていた。
    私の備忘録として毎日時間を見つけて書き加えることとする。

    この時は2012年の中秋(10月中旬から10月末まで)、
    2013年の早春(2月末から3月下旬まで)、同年の晩春
    (4月末から5月下旬まで)、合計3回、延べ約50日間かけて
    北スペインのカミーノ巡礼路の約900㎞をそぞろ神に憑かれた
    ように歩き続けた。

    1.スペイン巡礼の目的は3つある
    ①エスパーニャ・ベルデ(緑のスペイン)の歴史と文化遺産に
    富んだサンチャゴ巡礼路(カミーノ・デ・サンチャゴ)を歩くこと
    スペインは大学生4年生の時に1度訪れ、2度目は2012年の4月に
    家内と一緒に鉄道で周遊してその魅力は知っていた。
    今回は自分の足で歩きながらエスパーニャ・ベルデに点在する歴史、
    文化遺産、美しい自然を存分に堪能したいという気持ちが強くなった。
    ②スペイン語の能力向上
    私のスペイン語学習は公民館サークルと独学が中心であり実践力は
    乏しかった。
    スペインのサンチャゴ巡礼路を一人で毎日歩くことでスペイン語を
    使う機会が多くなり実践的な会話力を向上させることを目的とした。
    結果は1か月近くスペイン語の世界にどっぷり暮らすことで難しい
    文法(例えば接続法)は使えないが日常のサバイバルスペイン語は
    話せるようになった。
    語学の向上は能力よりも使った時間に比例すると確信した。
    ③2013年2月に他界した母親の供養のため巡礼路を歩きながら
    1日俳句を一句作り続ける。
    母の49日を供養するため父母が二人で行きたかった北スペインを
    歩きながら、彼らの生涯の趣味であった俳句を最低1日一句作る。
    またバックパックの中に「般若心経」を入れて気に入った場所が
    あれば1日1回唱えることを習慣とした。
    私はキリスト教徒の巡礼の道を歩きながら仏教徒であることを
    実感した。

    2.サンチャゴ巡礼の日々の暮らしについて
    ①2012年の晩秋から2013年の晩春に渡り北スペインバスク地方の街、
     パンプローナからスペイン西端にあるフィニステーレ岬まで3回に
    分けて 歩き巡礼を行った。
     重複して歩いた道もあるが合計で約900㎞を歩いたことになる。
    ②1日の行動パターン
    朝は5時半ごろに起床しまだ寝入っている巡礼仲間を起こさない
    ようにこっそりと段ベッドから抜け出す。
    旅支度は前日中に準備して寝ることにしていた。
    朝はベッドの上や下をヘッドライトで照らして落し物がないかを
    チェックする(それでも忘れ物は発生した)。
    6時半ごろ朝食として水とパンとチーズを少し食べた。
    (食べ過ぎると体が重くなって歩けないような気がしていため)
    巡礼宿(アルベルゲ)を出発するのは遅くとも7時半までにしていた。
    普通は7時ごろ出発していた。
    まだ暗い道をヘッドライトで照らし朝の冷たい空気を吸いながら
    一人で巡礼路を歩くのは気持ちが良い。
    しばらく歩いていると私より遅くアルベルゲを出発した若い巡礼達が
    「ブエンカミーノ!」と明るく声をかけながら私の横をすり抜けて
    いく。これはいつものパターンだ。
    歩くのが遅い私は巡礼仲間から
    「セニョール・トルツーガ(カメさん)」と呼ばれていた。
    私は約8㎏のバックパックや水筒を背負い平均時速3㎞で
    1日約25~30㎞歩いていた。
    巡礼の後半ではバッグの中身を断捨離して5キログラムまで削減した。
    1か月近く歩いて体重も5キロほど減量できていたので歩く速度も
    速くなり若い巡礼仲間と同じ歩調で歩くことが可能になった。
    巡礼路で体重も含めて人生に不要なものを背負って歩いている
    ことに気づかされた。
    巡礼路では途中の休憩時間を短くする(あるいは休憩しない)
    ことで若い巡礼者たちにも遅れずに次の目的地
    (アルベルゲのある場所)までたどり着くことができた。
    途中で何度も若い巡礼者に追い抜かされるのだが夕方ごろ
    アルベルゲにチェックインするときには私が先に到着しているので
    彼らは不思議がり「トモ(私のあだ名)、おまえは魔法使いか?」
    と驚かれることが何度かあった。
    巡礼の最初のころは途中のバルでコーヒー
    (カフェ・コン・レチェ)とボカジージョで軽く
    済ませていたがで後半は座って食事をせずに
    立ったままで冷たいオレンジジュース等で水分補給だけを
    するようにしていた。
    一旦座ると立ち上がるのに大きなエネルギーがいるし、
    少しででも歩く時間が欲しかったからだ。
    しかし不思議と空腹は感じなかった。
    歩くのに疲れると巡礼杖の上に顎を乗せて暫く休憩するように
    していた。
    自然の静寂の中で風の音だけを聞いていると体も心も癒された。
    私は朝は7時ごろアルベルゲを出発し夕方5時ごろまでには
    次のアルベルゲに到着するようにしていた。
    1日10時間近く歩いていたことになる。
    時速3㎞で歩くと1日30㎞、時速4㎞で歩くと1日40㎞歩けて
    距離が稼げる。
    夕暮れ時にアルベルゲにチェックインすると一連の作業が
    待っていた。
    アルベルゲの1泊の宿泊料は公立で5ユーロ(約600円)、
    私立で10ユーロ(約1,200円)であった。
    公立と私立の違いはベッドが段ベッドから平ベッドになり。
    シャワーのお湯がしっかり出るという程度の違いだった。
    公立のシャワーでは利用者が多いと途中で冷たい水になって
    しまうので凍えてしまった(疲れを取るにはお湯のシャワーが
    ありがたい)。
    また私立では夕食や朝食を有料で準備してくれるところもある。
    チェックイン後はまずシャワーを浴びる。
    (アルベルゲに早めに到着するとゆっくりシャワーを使える)
    汗で濡れた下着、靴下、タオル等を洗濯する
    (洗濯は最小限にする)。
    洗濯が終わった衣類を干すが、この時どこに干すかが
    大切になる。
    アルベルゲの壁際にはパイプ状の煖房設備があるので
    この上にかけて干す。
    煖房機の近くにあるベッドが確保できると濡れた衣類等を
    早く乾燥させることが出来るし、ベッドの上から手を伸ばす
    だけで簡単に取り入れることができる。
    このためにも早めにアルベルゲに到着することが
    大切になってくる。
    ベッドの上で日記を書いたり、書類を調べていると
    巡礼仲間が次々とアルベルゲに到着してくる。
    彼らのシャワーや洗濯が終わって落ち着くころに
    気の合った仲間で声を掛け合って近くの小さなレストランへ
    夕食へ出かける。
    巡礼路では1番楽しい時だ。
    レストランには通常巡礼メニューが準備されている。
    大抵1食9ユーロ(約1,000円)で
    「前菜(スープ、パスタ、サラダ等)」と
    主菜(肉料理、魚料理等)」、
    「デザート(コーヒー付)」そして
    ワインが1本(大抵)が付いてくる。
    安い、美味しい、ボリュームがある、
    またワインが1本ついているので
    コストパフォーマンスは高いと思う。
    ワインは1本全部は飲めないので残ったワインは
    ペットボトルに移し替えて翌日の巡礼路で疲れたときに
    チョビチョビ飲んでいた。
    (飲み過ぎは歩けなくなるので厳禁だ)
    この夕食だけで巡礼路を歩くエネルギー補給は
    充分であった。
    夕食を撮った後はベッドに戻り翌日の旅支度を終えてから
    10時ごろには寝るようにしていた。
    (でも夜中は周りのいびきで目が覚めることが良くあった
    ーお互い様だが)
    これが1か月の巡礼路だとほぼ同じパターンが30回続く
    ことになる。
    でも飽きることはなかった。
    毎日、新たな出逢いやドラマがあった
    (まるで映画を観ているようだった)。
    ③夕食前後に巡礼仲間と様々なテーマを語らうのは楽しい。
    巡礼宿(アルベルゲ)では各国からの巡礼者が集う。
    話の輪の中では英語(米語)、スペイン語、フランス語、
    イタリア語、ドイツ語、韓国語、
    その他どこかの国の言葉が飛び交う国際色が豊かな
    空間となる。
    話す内容も旅の目的、文化の違い、人生の課題(やや哲学的な)、
    宗教、精神世界、愛について、食事、酒、歌、音楽、
    その他多様性に富んでいた。
    この空間では沈黙は好まれない。一期一会の気持ちで勇敢に
    人前で意見を述べる人に注目が集まる。
    翌日の巡礼路でも巡礼仲間と歩きながら昨日のテーマについて
    静かに語り合う時間を持てたことは楽しく意義深い体験であった。

    3.サンチャゴ巡礼路の楽しさ
    サンチャゴ巡礼路も過ぎてしまえば楽しい想い出だけが
    残っている。
    荷物の重さも、風の強さも、息切れした坂道も、足指にできた
    豆の激痛も過ぎてしまえば巡礼路のアクセントである。
    想い出の中には風景の美しさ、北スペインの歴史・文化の豊かさ、
    食事(ワイン)の美味しさ、
    そして巡礼路で生まれた忘れ難い出逢いと交わした言葉が
    詰まっている。
    ブラジルから来たチャーミングなヘナータさん、
    ブルガリアに家族を残してスペインのマラガで働いているルミさん、
    亡命キューバ人のマリオ、
    孤高のイギリス人のマーク、
    アメリカから来た好青年のジョージ、
    アフガニスタンで軍隊経験があるドイツ人の青年
    (彼は私が「大きな声では言えないがヒットラー
    は第一次正解大戦後のドイツ経済を復興させた経済学の
    一人者だと思う。」
    と言うとこっそり彼のバッグの中から
    『我が闘争』(Mein Kampf)<ヒットラーの著書>を
    取り出して見せてくれた。)
    サンチャゴ巡礼に『我が闘争』をバックに入れて歩いている
    とは大した度胸の持ち主だと思う。
    またかれはバッグの上にギターを背負っていていかにも
    中世の吟遊詩人といういでたちであった。)
    アイルランドから来たスーパーマンのような青年、
    いつも私を励ましてくれたイタリア人、
    会うたびに何故か私の背中をなでるフィンランドから来た女性
    巡礼者たち(私はお地蔵さんではないぞ!)、
    オーストラリアから来た元気のよい娘さん二人、
    南アフリカから来た母と息子、
    韓国から来たジャーナリストのスンさん、
    また二人とも建築家の若いご夫婦、
    日本の漫画愛好家のポーランド人青年
    (彼はドラゴンボールの亀仙人の「亀」という文字を
    書いてくれた~これは私のことか?)。
    このように巡礼路では毎日、数えきれないくらいの出逢いがあった。
    早朝出発する時に「今日はどんな出逢いがあるのだろう…。」と
    心がときめいた。
    風景も本当に素晴らしかった。
    サンチャゴ巡礼を歩いていると、ふと自然と私が融合し
    一体となるような心理状態になることがあった。
    小雨が上がって薄日が差し始めた巡礼路を歩いていると
    前を歩いていた巡礼仲間が「トモ!後ろを見てみろ!」
    と私の後方を指さしている。
    何が起こったのかと振り向くと
    私は今しがた小さな虹がかかっている空の下を
    通り抜けて歩いて来たことに気が付いた。
    自然に祝福されているような感謝の思いが
    私の胸に溢れてくる気持がした。
    また、巡礼も終わりの頃、小さな町のアルベルゲに宿泊し、
    ヘナータさんやルミさんと楽しい夕食をすました後、
    食堂の扉を開けて一歩外へ出てみると、
    見上げた夜空は凍てついた満天に
    銀色に光る満月と星々と天の川の饗宴が
    広がっており、
    三人とも「あ~…。」と言った後は
    息をのみ声もなく感動したことを思い出す。
    きっと昔の巡礼達も同じ光景を見て感動に
    胸を震わせたことと思う。
    1,000年以上前から巡礼達がこの同じ道を
    歩いて来たのだという時間の積み重なりを
    貴く感じた一瞬であった。
    2023年10月8日に谷村新司さんが逝去した。
    彼の代表作の「昴」にある燦爛と輝く星々と出逢った
    瞬間だったかもしれない。
    谷村さんの名曲「昴」を聴きながらカミーノの美しい
    思い出が心の中に浮かんできています。
    歴史・文化遺産も素晴らしい。
    時間の蓄積がそのまま結晶化したように
    美しい町や村々が巡礼路に点在し、
    その姿とそこで暮らす人々に出逢うことも
    日々の楽しみであった。
    それにしてもスペインの食事は私に合うようである。
    サラダもパスタもスープも、肉料理も魚料理も、デザートも、
    コーヒーも美味しかった。
    そして土地のワインの味は私の旅の疲れを
    吹き飛ばしてくれた。
    いつも心理的な酩酊状態の中で人々との出逢いや
    美しい自然の風景が私の心象風景として融合し、
    ゆっくりとした時間の流れの中で静かに
    醸されたような気持がしている。

    私の拙い言葉ではサンチャゴ巡礼路の魅力は
    語りつくせない。
    しかし、天国の父と母のおかげで私の心象日記として
    俳句約50句と
    20余りの短歌が私の手元に残った。
    これは私の”心の記録”だろう。
    最後に約900㎞のサンチャゴ巡礼を歩いて私が気づいたことがある。
    それは私の巡礼路の果てにある心の中にある目的地は
    聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラ(星空の野原にいるサンチャゴ)
    ではなく日本で私の帰りを待ってくれている家内である
    ということであった。
    「心の旅路」というイギリスの映画があるが、
    私の北スペイン巡礼の旅は私の家内への「こころの旅路」であった。

    次ページで私の心象日記としての俳句約50句と20余りの短歌を
    掲載する。
    俳句も短歌も専門家が見れば季語が重なったり、字余りがあったり
    拙いものかもしれないがその時々の私の気持ちを伝えている
    と思うのでそのまま載せることにした。

  • 私の巡礼スタイル。<br />遠くからでもtomo(私の巡礼路での名前)が<br />歩いているのが分かると中間達が言ってくれた<br /><br />(前ページからの続きでtomo作成の俳句と短歌を掲載します)<br /><br />北スペイン巡礼の道早春篇(2013年2月25日~3月22日)<br />俳句30句と短歌20句<br /><俳句><br />春の月 異国の街の 影きよし<br />桃の木に ひそと寄りそふ 名残り雪<br />白鳥(しらとり)の 背を打つ雨や 春寒し<br />尾根は雪 越えれば里の 花の旅<br />春寒や 旅立つ女(ひと)の 静かなり<br />カミーノの 娘巡礼 花飾る<br />春の午後(ひる) たずねて歩く 石たたみ<br />春あらし 杖をたよりに 歩(ほ)を進む<br />春寒や 霧を抜け出て 霧に入る<br />春雨や 野を渡る虹 くぐり抜け<br />春雨や 隠る陰なし 野の旅路<br />手風琴 音ものびやに 春の街<br />春寒し 炉辺の語らい 尽くるなし<br />春嵐 歩む人影 吹き飛びぬ<br />道遠し 終(つい)を飲み込む 春の闇<br />春浅く 巡礼二人 野原道<br />そのままに そのままに濡れて 野原行く<br />雪を置く こずえの先に 春の彩(あや)<br />遍路来て 風とおしゃべり 丘の道<br />日輪の 虹天空に 円(まどか)なり<br />春雨や 草食む牛の 目は静か<br />遍路道 娘巡礼 春兆(きざ)す<br />春寒や 天空星座は 凍てつけり<br />風に乗り 雲陰迫る 野の遍路<br />遍路終え けふ一日は 花の守り<br />朝寒や 君は背を見せ 歩み去る<br />早春の 妻待つ国へ 胸早(はや)る<br />カミーノは 春風のごと 過ぎにけり<br />うたたねの まぶたを透かし 春光る<br /><短歌><br />離れても心を残す遍路道なほ歩く君はいかにあるらん<br />道見れば歩く巡礼尋ねおり帰国はいまだ早くあるらし<br />雪残る遥かに遠山ながむれば悪路を歩む君を思わん<br />花過ぎる高速バスの疾(と)くあれば愛でる言葉を選ぶ間もなし<br />巡礼の道を一日離るれば軽く歩める我に驚く<br />乙女児の軽くその身を揺蕩(たゆた)えば菫の香りかすかに聞こゆ<br />春の陽のその眩しさに驚かむきのうの氷雨夢にあるらし<br />車窓よりはるけき街の見ゆるとき歩む巡礼如何にあるらん<br />歩々(ほほ)進む歩みは亀に似たれども止むことなくば遥か歩めり<br />やわらかに丘の緑は光るなりあの道歩めばこころ楽しも<br />けふの日は歌の言の葉つくるなし悲しの井筒深くあるらし<br />はるけきに巡礼姿見ゆるらし行くカミーノに幸のあれかし<br />カミーノの道の標(しるべ)の見ゆるとき 我に戻れと囁くものあり<br />遍路路に往(ゆ)く人もなく哀しけれただ一条の白き道あり<br />乾きたる一条の道続きたり歩む友影見ゆるあるらし<br />哀しみの井筒もいつか尽きならむ今は筆おき春風を聞く<br />音もなく心の眼(まなこ)開くなり透けたるなみだ流るあるらし<br />巡礼の長き旅路の終わるれど愚かさ深まるけふの我あり<br />帰りたき心の想い高けれど残すこころのなんぞ重たき<br />今こそは妻待つ国に帰らんぞ残すこころを深く沈めて<br /><br />これらの短歌はレオンからマドリードまでの<br />高速バスの車中で作った歌です。<br />4時間ほどの行程でしたが私の心がよほど感傷的に<br />なっていたためでしょうか<br />たくさんの歌が私の心から次々と流れ出してきました。<br /><br />北スペイン巡礼の道晩春篇(2013年4月29日~5月21日) <br /><俳句><br />遍路往く 黒き風吹く 春の昼<br />菜の群れや 黄金の焔(ほむら)おちこちに<br />春の宵 別れ秘めたる ふたつ道<br />春暮れて 酷(むご)き光の 月のぼる<br />アマポーラ 雪山遠く 見えかくれ<br />※アマポーラは”ひなげし”の西語(amapola)<br />遍路来て ひよどり交(さか)る 遠近(おちこち)に<br />※「鳥交(さか)る 季語は春で”鳥の恋”」春から初夏に<br />かけて鳥は美しい声で囀ったり、強く羽搏いたりして<br />様々な求愛行動をする。<br />狐(きつね)雨 躑躅(つつじ)は 山を染め上げぬ<br />※狐雨(きつねあめ)は別名「狐の嫁入り」で<br />そらには日が照っていながら雨が降ること。<br />つかの間の 約束果たし 花の散る<br />歩むれど 進めど果てぬ 春の暮れ<br />春の道 娘遍路は 愛の歌<br />春疾風(はやて) 心抱きしめ 遍路往く<br />春の朝 サンチャゴに伸ぶ 青き影<br />春の暮れ また逢うことのなきわかれ<br />緑陰に 夫婦(めおと)遍路の睦まじき<br />※英訳:In a spring afternoon<br />           Two peregrinos chatting quietly,silently<br />           Under deep green shade<br />鐘の音 鶴驚きぬ 春の暮れ<br />※鶴はこうのとり<br />往く人の 心を刻む 鐘の音<br />宿りして 小夜(さよ)春雨の 私語(ささめごと)<br />※私語(ささめごと)とは、ひそひそ話。ないしょ話。 <br />特に、男女間の恋の語らいをいう。<br />定めなき 日和辿りて 春の海<br />春の雨 夫婦巡礼 寄り添いぬ<br />西端の 岬しぐれて 春終わる<br />(雨に煙るフィニステーレの岬にて)<br />(聖都サンチャゴ・デ・コンポステーラに到着して)<br />石樋の 雨水いただく すみれ花<br />空越えて 妻の声あり 春の風<br />春風に こころも漫ろ 古都歩く<br />春の夢 旅は朧に 消ゆるなり<br />あさぼらけ うつつに今朝も 旅支度<br />春の雨 市場はなにやら かまびすし<br />春時雨 大道芸も 雨宿り<br />※大伽藍の前の石畳は春雨に白く濡れていました。<br />一人の大道芸人の女性が小ぬか雨に濡れながら<br />私に玉虫色に輝く小さな石をくれました。<br />勿論お金は渡しました。<br /><短歌><br />春雨に濡れにしままに傀儡女は愛(う)いの玉石我に賜ひぬ<br />※愛い(うい)とは「う(憂)し」から転じた語とも。<br />旅終えて ひとみな面(おも)に春陽あり<br />神さびぬ 伽藍の上に 春の空<br />春の陽に 短き閑の 遊行(ゆぎょう)かな<br />※私の大好きな俳句<br />「かぎりある 命のひまや 秋の暮れ」 ー 与謝蕪村<br />から連想いたしました。<br /><br />以上で私のカミーノ俳句と短歌は終わります。<br />素人の私にこれだけたくさんの詩を創らせてくれた<br />カミーノの大きな力に感謝しています。<br />きっと天国にいる父母も「表現は下手くそだが感心なやつだ。」<br />と喜んでくれたらありがたいと思っています。<br />毎日唱えた般若心経との”合わせ技”で少しは二人の供養になった<br />かもしれません。<br /><br />それではみなさんブエンカミーノ!よい旅を!<br />(2019年11月4日早朝)<br />  

    私の巡礼スタイル。
    遠くからでもtomo(私の巡礼路での名前)が
    歩いているのが分かると中間達が言ってくれた

    (前ページからの続きでtomo作成の俳句と短歌を掲載します)

    北スペイン巡礼の道早春篇(2013年2月25日~3月22日)
    俳句30句と短歌20句
    <俳句>
    春の月 異国の街の 影きよし
    桃の木に ひそと寄りそふ 名残り雪
    白鳥(しらとり)の 背を打つ雨や 春寒し
    尾根は雪 越えれば里の 花の旅
    春寒や 旅立つ女(ひと)の 静かなり
    カミーノの 娘巡礼 花飾る
    春の午後(ひる) たずねて歩く 石たたみ
    春あらし 杖をたよりに 歩(ほ)を進む
    春寒や 霧を抜け出て 霧に入る
    春雨や 野を渡る虹 くぐり抜け
    春雨や 隠る陰なし 野の旅路
    手風琴 音ものびやに 春の街
    春寒し 炉辺の語らい 尽くるなし
    春嵐 歩む人影 吹き飛びぬ
    道遠し 終(つい)を飲み込む 春の闇
    春浅く 巡礼二人 野原道
    そのままに そのままに濡れて 野原行く
    雪を置く こずえの先に 春の彩(あや)
    遍路来て 風とおしゃべり 丘の道
    日輪の 虹天空に 円(まどか)なり
    春雨や 草食む牛の 目は静か
    遍路道 娘巡礼 春兆(きざ)す
    春寒や 天空星座は 凍てつけり
    風に乗り 雲陰迫る 野の遍路
    遍路終え けふ一日は 花の守り
    朝寒や 君は背を見せ 歩み去る
    早春の 妻待つ国へ 胸早(はや)る
    カミーノは 春風のごと 過ぎにけり
    うたたねの まぶたを透かし 春光る
    <短歌>
    離れても心を残す遍路道なほ歩く君はいかにあるらん
    道見れば歩く巡礼尋ねおり帰国はいまだ早くあるらし
    雪残る遥かに遠山ながむれば悪路を歩む君を思わん
    花過ぎる高速バスの疾(と)くあれば愛でる言葉を選ぶ間もなし
    巡礼の道を一日離るれば軽く歩める我に驚く
    乙女児の軽くその身を揺蕩(たゆた)えば菫の香りかすかに聞こゆ
    春の陽のその眩しさに驚かむきのうの氷雨夢にあるらし
    車窓よりはるけき街の見ゆるとき歩む巡礼如何にあるらん
    歩々(ほほ)進む歩みは亀に似たれども止むことなくば遥か歩めり
    やわらかに丘の緑は光るなりあの道歩めばこころ楽しも
    けふの日は歌の言の葉つくるなし悲しの井筒深くあるらし
    はるけきに巡礼姿見ゆるらし行くカミーノに幸のあれかし
    カミーノの道の標(しるべ)の見ゆるとき 我に戻れと囁くものあり
    遍路路に往(ゆ)く人もなく哀しけれただ一条の白き道あり
    乾きたる一条の道続きたり歩む友影見ゆるあるらし
    哀しみの井筒もいつか尽きならむ今は筆おき春風を聞く
    音もなく心の眼(まなこ)開くなり透けたるなみだ流るあるらし
    巡礼の長き旅路の終わるれど愚かさ深まるけふの我あり
    帰りたき心の想い高けれど残すこころのなんぞ重たき
    今こそは妻待つ国に帰らんぞ残すこころを深く沈めて

    これらの短歌はレオンからマドリードまでの
    高速バスの車中で作った歌です。
    4時間ほどの行程でしたが私の心がよほど感傷的に
    なっていたためでしょうか
    たくさんの歌が私の心から次々と流れ出してきました。

    北スペイン巡礼の道晩春篇(2013年4月29日~5月21日) 
    <俳句>
    遍路往く 黒き風吹く 春の昼
    菜の群れや 黄金の焔(ほむら)おちこちに
    春の宵 別れ秘めたる ふたつ道
    春暮れて 酷(むご)き光の 月のぼる
    アマポーラ 雪山遠く 見えかくれ
    ※アマポーラは”ひなげし”の西語(amapola)
    遍路来て ひよどり交(さか)る 遠近(おちこち)に
    ※「鳥交(さか)る 季語は春で”鳥の恋”」春から初夏に
    かけて鳥は美しい声で囀ったり、強く羽搏いたりして
    様々な求愛行動をする。
    狐(きつね)雨 躑躅(つつじ)は 山を染め上げぬ
    ※狐雨(きつねあめ)は別名「狐の嫁入り」で
    そらには日が照っていながら雨が降ること。
    つかの間の 約束果たし 花の散る
    歩むれど 進めど果てぬ 春の暮れ
    春の道 娘遍路は 愛の歌
    春疾風(はやて) 心抱きしめ 遍路往く
    春の朝 サンチャゴに伸ぶ 青き影
    春の暮れ また逢うことのなきわかれ
    緑陰に 夫婦(めおと)遍路の睦まじき
    ※英訳:In a spring afternoon
    Two peregrinos chatting quietly,silently
    Under deep green shade
    鐘の音 鶴驚きぬ 春の暮れ
    ※鶴はこうのとり
    往く人の 心を刻む 鐘の音
    宿りして 小夜(さよ)春雨の 私語(ささめごと)
    ※私語(ささめごと)とは、ひそひそ話。ないしょ話。
    特に、男女間の恋の語らいをいう。
    定めなき 日和辿りて 春の海
    春の雨 夫婦巡礼 寄り添いぬ
    西端の 岬しぐれて 春終わる
    (雨に煙るフィニステーレの岬にて)
    (聖都サンチャゴ・デ・コンポステーラに到着して)
    石樋の 雨水いただく すみれ花
    空越えて 妻の声あり 春の風
    春風に こころも漫ろ 古都歩く
    春の夢 旅は朧に 消ゆるなり
    あさぼらけ うつつに今朝も 旅支度
    春の雨 市場はなにやら かまびすし
    春時雨 大道芸も 雨宿り
    ※大伽藍の前の石畳は春雨に白く濡れていました。
    一人の大道芸人の女性が小ぬか雨に濡れながら
    私に玉虫色に輝く小さな石をくれました。
    勿論お金は渡しました。
    <短歌>
    春雨に濡れにしままに傀儡女は愛(う)いの玉石我に賜ひぬ
    ※愛い(うい)とは「う(憂)し」から転じた語とも。
    旅終えて ひとみな面(おも)に春陽あり
    神さびぬ 伽藍の上に 春の空
    春の陽に 短き閑の 遊行(ゆぎょう)かな
    ※私の大好きな俳句
    「かぎりある 命のひまや 秋の暮れ」 ー 与謝蕪村
    から連想いたしました。

    以上で私のカミーノ俳句と短歌は終わります。
    素人の私にこれだけたくさんの詩を創らせてくれた
    カミーノの大きな力に感謝しています。
    きっと天国にいる父母も「表現は下手くそだが感心なやつだ。」
    と喜んでくれたらありがたいと思っています。
    毎日唱えた般若心経との”合わせ技”で少しは二人の供養になった
    かもしれません。

    それではみなさんブエンカミーノ!よい旅を!
    (2019年11月4日早朝)
      

  • 経由地イスタンブールからの帰りの飛行機。<br />ここでも旅人とのいろいろな出会いがあった。<br />最後まで充実した旅であった。<br /><br />

    経由地イスタンブールからの帰りの飛行機。
    ここでも旅人とのいろいろな出会いがあった。
    最後まで充実した旅であった。

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