2024/03/08 - 2024/03/08
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/03/08
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前の晩はSPAに行ってマッサージを受けたせいか体も軽く目覚めも良かったです。と葉家荷物をまとめてチェックアウトしなければなりません。日中使うものと、夕方には空港へ行くのでセキュリティのことも考えて荷造りしなければなりません。出発時間がゆっくりだったのは助かりました。午前8時30分にホテルを出発して、「エローラ石窟寺院」までは1時間ちょっとの移動です。道中には「ダウラタバード」も通過します。ツアーの見学には含まれていないので、眺めの良い場所にバスを停めて遠望するだけですが、山頂の要塞などを見ることが出来ました。ここからは九十九折の山道を登り、ひと山超えた後はまた下り坂になり、それを降り切ったところに「エローラ遺跡」がありました。遺跡の見学で来る観光客相手のレストランや土産物買いが出来ていて、その中の1つの「ホテル・カイラス(Hotel Kailas)」にバスは停まりました。ここでトイレを借りて、その後は少し歩いて遺跡公園に入場します。入ったすぐ正面に一番有名な「カイラーサナータ寺院」が見えます。かなり距離は離れていて、逆光になっているので周囲の岩山の中に埋もれてしまっているように見えます。エローラには34の石窟寺院があるようで、さらにその中は仏教寺院とジャイナ教寺院、そしてヒンドゥー寺院の3つの宗教ごとにエリアが分かれています。ガイドさんはどこがどの時間に行くのがいいのか分かっているので、まずは電動カートに乗ってジャイナ教寺院のエリアに向かいます。入り口付近はものすごい数の観光客でしたが、ここは離れていることもあり、石窟寺院はガラガラでした。ガイドさんの説明に沿って「第32窟」と「第34窟」を見学します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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昨晩はSPAのマッサージとサウナで体も軽くなり、ぐっすり眠れた生家早くに目が覚めました。荷造りを終えてトランクを廊下に出して、午前7時の開店と同時にレストランに入ります。
アンバサダー アジャンタ ホテル アウランガバード ホテル
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今日もきれいに料理が並べられています。
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ドーナツのような「メデゥバダ(Medu Wada)」はレンズマメのフリッター、「ポーリバジ(poori bhaji)」と呼ばれるパンケーキの一種です。後はサンバルとポテトカレー、コーン炒めとセヴァイ・ウプマという南インドのビーフン炒めです。
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妻がオムレツを作ってもらってきたので半分づついただきます。フルーツとデザートを食べたらお腹いっぱいです。小麦粉の蒸しパンのようなグジャラート州のお菓子カマンド-クラ(Dhokla)」も美味しかったです。
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チェックアウトした後は観光に必要な手回りの荷物だけ持ってロビーでスタンバイします。
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午前8時30分にホテルを出てエローラに向かいます。
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高架に差し掛かったクランティ・チョークにはシヴァージー・ボーンスレー王の実物大の像が見えてきます。インド最大のチャトラパティ・シヴァージー像と言われます。
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マラーターの指導者にしてマラーター王国の創始者かつ初代君主であるシヴァージーはビジャープル王国やゴールコンダ王国、さらにはムガル帝国といったイスラム王朝に対抗しようとしてデカンにヒンドゥー王朝を復興しました。
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最近の東南アジアのベトナムやカンボジアではバイクに山のように荷物を積む姿は減ってきましたが、インドではまだ何でもありな雰囲気がいいです。
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午前9時前後は通勤通学の時間でもあり、辻々でバスを待つ人の数も多かったですが、トラックの荷台に乗っている人の数も多いです。
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街道沿いの商店も店開きの準備中のようです。ニワトリが生きたまま売られているのは新鮮な肉を提供する意味もありますが、それ以前に冷蔵設備が要らないということも大きな理由であると思います。
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町中を抜けてしばらく走ると巨大な岩山が見えてきました。これは何だろうと思っているといいタイミングでガイドさんが説明してくれました。
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「ダウラタバード」というところで、紀元前1世紀頃に造られたとされる石窟が残っていることから、その頃から仏教徒を含む人々が定住していた可能性があるようです。
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高さ200メートルの円錐状の丘の上に築かれた「ダウラターバード要塞」は、中世インドで最強の要塞の1つであり、現在も圧倒する景観を保っています。
ダウラターバード 城・宮殿
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要塞がそびえその緩やかな斜面部を削り取って造られた強固な防御用断崖と深い水堀を持ち、その周囲は三重の城壁で囲まれているそうです。
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12世紀末にヤーダヴァ朝のビッラマ5世は王位継承問題で紛糾していたチャールキヤ朝との一連の戦役に勝利を収め、1147年にデーヴァギリ(現ダウラターバード)を首都として独立しました。
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1294年になるとヤーダヴァ朝はハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーの侵攻を受けて敗北したため、次第にハルジー朝の属国と化して、1317年に完全にハルジー朝に併合されました。「バラコット」は円錐形のデオギリの丘にある岩の砦に付けられた名前で、トゥグルク朝時代にはそう呼ばれました。
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町を抜けた先は山道になり、ヘアピンカーブが続く途中の見晴らしの良い場所でガイドさんがバスを停めてくれました。「ダウラタバード」が繁栄したのは交通の要衝だったからではないかということが感じられます。
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山の頂上にある砦までは歩いて1時間弱で行けるようです。砦からは彼方に続くデカン高原の絶景が見られるようです。
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「チャンド・ミナール」という名前の塔は西暦1445年にアラー・ウッディーン・バフマニー王が砦を占領したことを記念して建立されました。チャンド・ミナールはデリーのクトゥブ・ミナールからインスピレーションを得ているという説明は納得できるものでした。高さは63メートルあり、4階建ての24の部屋に分かれています。ペルシャブルーのタイルで覆われた小さなモスクや礼拝堂は塔の足元にあるようですが、木々の向こうなのでよく見えませんでした。
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ヘアピンカーブの峠を越えると標高も上がったのか木々に覆われた道を進みます。
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ガイドさんによると今日はシヴァ神の祭日「マハー・シヴァラートリー」という日で、ヒンドゥー暦で最後の月である「Phalguna」の祭日で、インドの多くの州やネパール、モーリシャスでは休日となり、スリランカでもパブリックホリデーに当たるそうです。
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この祭りには3つのことを祝っているとされ、その1つは「シヴァ神が夜に宇宙の創造・維持・破壊のダンスを踊ったこと」で、「シヴァ神と女神パールヴァティーが結婚したこと」と「シヴァ神が乳海攪拌で毒を飲み込んだ世界を救ったこと」の3つになります。
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シヴァ神は世界の「創造」「維持」「破壊」を司る最高神とされていますが、この日の夜にシヴァ神が宇宙の創造・維持・破壊のダンスを踊ったとされています。ヒンドゥー教の天地創造神話「乳海攪拌」ではシヴァ神が毒を飲み込み、喉が青くなったとされます。アンコール・ワットの回廊の壁画のことが思い出されます。
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再び峠を越えていきますが、周囲はピンク色の花が咲いていてとてもきれいでした。ガイドさんに花の名前を尋ねる方もいましたが、「インド人にとって花は花で、鳥は鳥です。」という答えが返ってきます。
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インド人は個別の名前には学者でもなければ興味を持たないという話なのですが、同じ説明を前回のデリーのガイドさんもしていました。今回のガイドさんとはムンバイで合流しましたが、デリーから来ていたと話していました。日本語ガイドはみんな友達だから知っていますよ。という話もあったのでLIMEの友達になっている前のガイドさんの名前を見せると「友達です。毎日朝の挨拶のメッセージが来ます。」と画面を見せてくれました。エローラのどこかで記念写真を撮って、その写真を送って驚かそうということにしました。
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エローラに到着しました。町というよりは遺跡見学に来る観光客目当てのホテルとレストランとお土産屋が連なっているという感じです。
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バスはそんなホテルの1つの「ホテル・カイラス(Hotel Kailas)」に停まりました。お昼は遺跡見学後にここで食べるということです。見学に必要なものだけを持ってバスを降りてトイレを借ります。カイラスは山の名前で、チベット仏教、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教で聖地とされ、信仰の山であるために登頂許可は下りない未踏峰です。
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ヒンドゥー教ではカイラス山をリンガ(男根)として崇拝し、ボン教では開祖のシェーンラップ・ミヨが降臨した地としています。カイラス山の周囲の巡礼路をチベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りにコルラと呼ばれる巡礼を行います。昨年はネパール旅行が台風による航空機の欠航で、前日に中止になってしまいました。今年はリベンジを考えていましたが、6月のチュニジア旅行の帰路に快晴のヒマラヤ山脈を見ることが出来ました。
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ガイドさんが入場チケットを買いに行ってくれるのを待ちましたが、ここでもインドやその周辺国の料金とそれ以外の国では15倍の格差がありました。
エローラ石窟群 寺院・教会
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入口の案内板を見ると遺跡公園はアジャンターよりも広大で、左にあるジャイナ教の石窟へは歩いては行けなさそうです。水色の絵3本の川筋の左側がヒンドゥー教、一番右側は仏教の石窟が続いています。
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そして目の前にはヒンドゥー教の「カイラーサナータ石窟寺院」があります。かなり離れた位置にあるのと、逆光になっているので周囲の岩肌と同化してその姿は見えません。
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元々はここにある岩山から寺院を掘り出しているので、素材は100%同じなのでどうかしてしまうのは当たり前なのですが。
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ガイドさんは混み具合にも精通しているので、まずは電動カートに乗って左奥に飛び地になったジャイナ教の石窟寺院に向かいます。
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2台のカートに分乗して「第32窟」と「第34窟」に向かいます。最後尾に座っているので後ろがよく見渡せました。
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エローラ石窟群には3つの重要な建築期があり、初期ヒンドゥー教時代の550年から600年にかけて、仏教期である600年から730年頃、後期ヒンドゥー教とジャイナ教の段階だった730年から950年にかけてです。
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ナンバーを振られた石窟のうち仏教遺跡は「第1窟」から「第12窟」、ヒンドゥー教遺跡が「第13窟」から「第29窟」、ジャイナ教遺跡が「第30窟」から「第34窟」になります。
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エローラの北端には9世紀から10世紀初頭にかけて発掘されたディガンバラ派に属するジャイナ教の5つの石窟があります これらの石窟は仏教やヒンドゥー教のものよりも小さいですが非常に繊細な彫刻が施されています。
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後の時代のヒンドゥー教の石窟は同じような時期に建てられ、柱のあるベランダや対称的なマンダパ、プージャ(礼拝)などの建築的共通性が見られます。ヒンドゥー教の寺院とは異なり24人のジーナ(無限の輪廻転生のサイクルから解放された精神的な征服者)の描写に重点が置かれています。
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それらのジーナに加えてジャイナ教寺院の彫刻にはジャイナ教の神話に登場する神々と女神、ヤクサ(男性の自然神)やヤクシ(女性の自然神)、人間の信者の彫刻が含まれます。場所の離れた「第30窟」の見学は割愛されていたのには後になって気が付きました。
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ここは「第31窟」は4本の柱からなり、小さな祠堂には多数の彫刻が施されていますが完成しませんでした。
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7人の頭巾をかぶった夜叉のダラネンドラに守られたパールシュヴァナータの像が衣などをまとわない姿で彫られています。ジャイナ教の像が裸なのは「無所有」という戒律によるものだそうです。服も下着も靴も何も所有しないという教えだそうで、現在でもジャイナ教の聖者は全裸で過ごしているそうです。
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出家者には5つの大禁戒マハーヴラタがあり、「生きものを傷つけないこと」「虚偽のことばを口にしないこと」「他人のものを取らないこと」「性的行為をいっさい行わないこと」「何ものも所有しないこと(無所有)」の戒律を守らなければなりません。
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ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物や植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めます。アヒンサーの禁戒のためにあらゆる機会に細心の注意を払い、宗派によっては空気中の小さな生物も殺さぬように白い小さな布きれで口をおおうことからマスクの発祥はジャイナ教ともいわれます。
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食生活は生物の分類学上できる限り下等なものを摂取すべきであり、豆類、葉菜類と茎野菜を中心とした食事となることが多いそうです。殺生を徹底的に忌むことから、肉・魚介類・卵・球根類などは口にしません。
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敬虔な信徒は蜂蜜や鰹節や煮干しの出汁・ブイヨン・ゼラチン・肉エキス・バター・ラード・ヘット(牛脂)・魚油・馬油やそれらを使用した調理器具も忌むことがあります。また誤って虫を殺めぬように火を使用する調理を避け、調理と食事は日の出ている時間内に済ませます。
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殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業は例外的に知られているわずかな農民を除けばほとんどが商業関係の職業に従事していて、なかでも豪商と名高いジャイナ商人(ジェイン)が知られます。インドにおける個人所得税の2割はジャイナ教信徒により納税され、その理由として「嘘を禁忌として、約束は絶対に守る」「信徒は死後、生前の善行と悪行が帳簿の債権・債務のように集計され、来世の行方が決定づけられる」「事業の成功も泡沫のものである」と戒められ、また積極的な慈善行為、無所有主義など彼らが日頃から厳しい戒律を遵守していることから、清く正しい印象を客観づけられ、圧倒的な信用を集めているためといわれます。
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そのために信用第一である宝石や貴金属商に従事する者が多く、インド商人ならではの高い語学力と計算能力からも、ビジネスマンとして重宝されています。12月のデリーの旅でガイドさんに教えてもらった知識がようやく役に立ちました。
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中央に座するマハーヴィーラはジャイナ教の第24代ティルタンカラ(最高教師)としても知られています。紀元前6世紀初頭に古代インドのジャイナ教の王家に生まれ、アヒンサー(非暴力)、サティヤ(真理)、アステーヤ(盗み禁止)、ブラフマチャリヤ(純潔)、アパリグラハ(無執着)の誓いを守ることが精神的な解放に必要であると教えました。ジャイナ教の宇宙論によれば、24人のティルタンカラが地球上に現れ、マハーヴィーラはアヴァサルピニー(現在の時間サイクル)の最後のティールタンカラとされます。
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「第32窟」の見学に移ります。9世紀に発掘された「インドラ・サバー(Indra Sabha)」は2階建ての石窟で、中庭には一枚岩から彫り出した神殿があります。
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19世紀の歴史家はジャイナ教のヤクシャを仏教やヒンドゥー教の芸術作品に見られるインドラの別のイメージと混同したため、寺院には「インドラ・サバー」という誤った名前が付けられました。
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インドラは3つの宗教すべてにおいて重要な神ですが、彼は天界を支配する64の神々の1人であるだけでなく、ジャイナ教の天国であるサウダルマカルパの王であり、ジャイナ教の聖典アディプラーナによると天の集会所の建築家であるため、ジャイナ教では特に重要な神とされます。
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この石窟寺院ではジャイナ教の集団が内部で崇拝していた証拠を層状の堆積物からも読み取れるために歴史的に重要と考えられています。
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聖堂を囲む回廊は全て2層になっており、後から見学した「第16窟」の「 カイラーサナータ寺院」を彷彿とさせます。
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入口上部の彫刻も見事で、天を舞うアプサラや水を吐くマカラなどこの彫刻のスタイルがカンボジアなど東南アジアまで伝わっていると考えると宗教美術の凄さを感じます。
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基本的な超奥の構成は先に見てきた「第31窟」と同じようです。祠堂の中のマハヴィーラと左右に夜叉マタンガとヤクシシッダイキの姿があります。
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マハヴィーラは瞑想的な姿勢で描かれ、その台座にはライオンがシンボルとして描かれています。
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左右の壁にはスパルシュワナス(Suparswanath)、ゴマテシュワラ(Gomteshvara)、マタンガ(Matang )、シッダイカ ヤクシニー(Siddhaika)、出産の女神 )などの彫刻が施されています。
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ゴマテシュワラ(Gomteshvara)はバーフバリとも呼ばれ、リシャバナータ(ジャイナ教の最初のティールタンカラ)の息子でした。彼は12年間も立った姿勢(カヨツァルガ)で動かずに瞑想し、足の周りにはつる植物が生えていたと言われています。この像でも足腰につるが巻き付いた姿で表現されています。
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ネミナト( Neminath)のヤクシニであるアンビカ (Ambika)が、マンゴーの木の下でライオンの上に座り、果物を積んでいる像もありました。
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この時にこの石窟を見学しているのは我々のツアー20名ほどだけだったので、ゆっくりじっくり見学することが出来てとても良かったです。
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こんな空間に身を置いていると水木しげるの妖怪漫画の背景画の中に迷い込んだような気分になってきます。彼の漫画を読んでいるとその背景の中に吸い込まれそうで息苦しくなることがあります。
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祠の中心にはサルヴァトバドラがあり、ジャイナ教の4人のティルタンカラ(tīrtha?kara)で初代ルシバ、22代ネミナタ、23代パールスヴァナータ、24代のマハーヴィーラがそれぞれ納められています。
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ティルタンカラ(tirtha kara)とはジャイナ教によるとダルマ(宗教)の最高の説教者であり、彼自身でサンサーラを征服し信者が従うべき道を作りました。
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2層に分かれた石窟にはいくつ戻祠があり、基本的には同じような像で構成されています。ただその彫刻は精緻を尽くされているので写真だけを紹介していきます。
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
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「第32窟」インドラ・サバー(Indra Sabha)
2階へ上がる階段まで設けてあります。 -
昇り切ったエントランスからは美しい添乗の絵画と壁面を覆う彫刻に圧倒されます。マンゴの木の下で獅子の背で休む女神シダイカ( Sidaika)。
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象の背に座りマンゴの木の下に休むマタンガ(Matang )の姿です。
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アジャンター石窟寺院で見てきた寺院と比べてもその完成度は非常に高く、仏教寺院とジャイナ教という違いはあっても基本的な建築は同じだと思えます。床に残された正方形の台座は右側に注ぎ口のようなものがあります。これは女性器を表すヨニ(Yoni)で、失われていますがその中央にはリンガ(Linga)と呼ばれる男性器がありました。
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その真上には巨大な蓮の花が見えます。
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この祠の中の像は往時の色彩がよく残されているので、ガイドさんが中まで案内してくれます。
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黄色い色を見るとスリランカの各地で観た仏教史跡のカラフルな像を思い出します。そのルーツがここにあったのだろうかと思うと感慨深いものがあります。
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妻をいきなりインドに連れてくると拒絶反応があると考え、東南アジアの国々を20年近くかけて旅を続け、スリランカからインドへ来るまでのコロナ禍もあり6年ほどかかりました。個人旅行でじっくり見てきた甲斐がありました。
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最後のインドはツアーで来てしまったのはちょっと残念でもありますが、個人出来てもアジャンタもエローラも3時間くらいの見学時間が限界だとも感じます。
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祠の中の壁面にも美しく絵画が残されていました。入り口には禁止事項として個人でのライトアップという項目がありましたが、ほとんどのガイドさんが懐中電灯を持っていました。
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インドで確立された壁画のスタイルが日本に伝わり、奈良の法隆寺へ伝わったと思うと歴史のロマンを感じます。
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個人的にはエローラでも上位に入る石窟だと思いました。ジャイナ教についてもっと詳しく知りたいと思いましたが、この時点では仏像もジャイナ教やヒンドゥー教の神像もごちゃまぜでした。
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じっくり写真を撮っているといつの間にか誰もいなくなってしまいました。妻も自分で歩くのでいっぱいいっぱいなので待ってはいてくれません。
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お陰で誰もいない石窟寺院を堪能することが出来ました。
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とはいえ、ガイディング・レシーバーのガイドさんお説明の声がかすれてきて、消えてしまわない間に合流しないと迷子になってしまいます。
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「第33窟」はジャガンナータ・サブハ(Jagannatha Sabha)と呼ばれ、エローラで2番目に大きいジャイナ教の洞窟で、建立は柱の碑文によると9世紀にさかのぼります。
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先の「第32窟」と同じように蓮の花が天井に咲いていますが、足元にヨニとリンガはありませんでした。
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ここにも象の背に座りマンゴの木の下に休むマタンガ(Matang )の姿がありましたが、「第32窟」に比べると彫刻が立体的です。
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昨年は長年の夢だった大分の臼杵の石仏を見ることが出来ましたし、今回アジャンタとエローラを見ることが出来ました。インドにもまだまだ来なければならないと思いますし、中国のいくつかの石窟にも行かなければと思っています。
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妻も最近は足の具合が悪かったりするので、いつまで一緒に旅が出来るか分かりませんが、出来る限り一緒にいろいろな国へ行きたいと思います。
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「第34窟」へは道内から階段を下っていけるようです。
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もうガイドさんもツアーのメンバーも妻の姿も見えません。1人で堂内を彷徨い歩くといろいろな思いが頭の中に浮かんできます。
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各石窟の入り口にはこのようなプレートが置かれているので、それを写真に撮っておかないと後になって度の石窟の写真だか分からなくなります。
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「第34窟」の碑文はまだ解読されていなく、石窟の建立は紀元800年から850年の間に行われたと思われています。
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ここも基本的な建築様式は同じようです。
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前室の左右には同じように獅子に座る夜叉と象に座る夜叉の姿があります。文殊菩薩は舎衛国の多羅聚落のバラモンの子だと説かれているのでジャイナ教との関連性はないと思いますが、夜叉に乗る姿は文殊菩薩を想像させます。
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象に乗る姿の夜叉は普賢菩薩を想像してしまいます。
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約1時間ほどかけて「第30窟」から「第34窟」のジャイナ教石窟寺院を見学しました。まだんだまえりーらのほんの一部ですが、昨日はツアーの予定表にあった2時間を大きく超えてほぼ全部を見学できたので、残り時間の心配はしませんでした。
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午前中の早い時間でしたが、だんだん暑くなってきました。
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全員が揃ったところで再びカートに乗って入り口に戻ります。
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帰りも2台のカートに分乗して移動します。こんなところもツアーの人数が限られて少人数だった理由かもしれません。
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次は仏教遺跡の「第1窟」から「第12窟」の見学に移ります。
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