2025/07/16 - 2025/07/16
129位(同エリア928件中)
kojikojiさん
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- 3,461,819アクセス
- フォロワー169人
この旅行記スケジュールを元に
ツアー3日目の朝は「杭州」の郊外の「海外海百納大酒店」からスタートします。朝食前にホテルの表に出て部屋の外に見えた沿上塘河健康遊歩道」を歩いてみることにします。ホテルの1階には直接遊歩道へ出られる扉があり、部屋のカードキーでドアを開けることが出来ます。散歩したりジョギングしたりと結構な人が行き交っています。歩道は運河沿いにあるので対岸で太極拳やダンスをする人の姿も見えます。この時期は朝から30度を超えているので、早々に引き上げて朝食を食べにレストランに向かいました。12年前に来たときとはレストランは改修されてとてもきれいになっていました。料理も洗練されていて、焼き餃子や目の前で作ってくれる麺料理やお粥など食べ過ぎてしまいます。この日も午前8時にホテルを出発して「杭州」の観光が続きます。朝のラッシュ時間ということもあり、市内までは1時間ほどかかり「西湖」の湖畔でバスを降りました。降りたのはかなりマイナーな場所で、3回目の「西湖」でもどの辺りにいるのか分かるまでしばらく時間がかかりました。対岸には「雷峰塔」が見えたので「長橋公園」の辺りだと分かります。湖の中には「小瀛州」も見えています。公園をかなり戻った辺りでようやく「錦帯橋」が見えましたが、「蘇堤」は全く見えません。ちょっと残念な「西湖」観光でしたが、マイナーなだけに今まで来たことのないエリアなので良しとします。続いては迎えに来たバスに乗って「六和塔」に移動します。ここへ来るのは20年振りのことで塔に登ったことと「銭塘江」がきれいに見渡せたことしか記憶に残っていません。今回は塔に登ることは含まれていませんでしたが、フリータイムがあったので一気に登ってきました。かなり息が切れたのと気温は35度くらいあったので命がけです。「銭塘江」とそこに架かる「銭塘江大橋」を眺めてタイムアップです。バスに戻って「宋城」の前をかすめて、茶畑の広がる梅霊南路を「龍井」方面に走り途中にある「梅家塢公社餐庁」でランチになりました。ここでも美味しい杭州料理がいただけました。「杭州」の観光を終えた後は再びバスに乗り、1時間ほど移動して「龍門古鎮」の観光です。位置的には「富陽」というエリアで、今回のツアーの一筆書きのルートからは唯一外れていましたので、「杭州」から往復するようなかたちになります。ここは「孫権故里」という別名もあり、三国志の呉王孫権の子孫が暮らしてありあり90%は孫姓とのことです。中国には諸葛亮孔明の子孫の住む「諸葛村」や貴州省では800年前に送られた漢族の屯田兵の村「老漢村」などもあり、不思議な歴史の長さを感じることがあります。ここはマイナーなのか我々のツアー以外には数名の観光客の姿しか見られず、フリータイムでは数百年タイムスリップしたような村を散策することが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「杭州」の朝です。早朝からホテルの部屋の外で話し声が聞こえるので表を見ると運河と遊歩道が見えました。話し声は遊歩道を散歩する人の声だと分かりました。
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まだ午前5時で朝食のレストランの開く6時30分まで時間もあるので散歩に出てみることにしました。12年前にも泊まった懐かしいホテルの外観を写真に撮っておきます。
ハイワイハイ バイナ ホテル (海外海百納大酒店) ホテル
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ホテルに向かって左側には「陽光超市」というミニスーパーがあります。ホテルの部屋には冷蔵庫が無いので、冷たい飲み物はここで買っておきました。夜遅くまで開いていますが、さすがにこの時間は閉まっています。杭州名物のお土産も置いてあるので、買い物がしにくいツアーの場合は便利です。
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ホテルの表から遊歩道に入るのはとても面倒だということが分かりました。後で気が付きますが、ホテルの1階から直接遊歩道にアクセスする扉があり、カードキーで開閉することが出来ました。
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ホテルに隣接した運河です。正式には「上塘河」というようです。初めて「杭州」へ来たのは20年前のことで、その時は「蘇州」から夜行の船に乗って一晩かけて「京杭運河」を航行して、早朝に「杭州」に入りました。その運河はこのホテルから西に3キロほど行ったところにあります。
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この「京杭運河」を往く船はもう運航していないようですが、船内のレストランで中国の旅行社と大宴会になって、ビールをご馳走になった楽しい思い出があります。
京杭運クルーズ:https://4travel.jp/travelogue/10353804 -
ホテルの部屋とはこの距離なので早朝から話し声が聞こえてしまうわけです。
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並んだ部屋の間に扉がありました。脇にカードキーの読み取り機があったので部屋のキーをかざしてみると扉が開きました。ここから出入りしたら遠回りせずに済みました。
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対岸の公園では太極拳や訳の分からないダンスをしている人たちがたくさんいました。対岸の方が風情がありますが、渡るための橋はかなり離れているので諦めました。
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ホテルの1階の奥にはこんな扉がありますので散歩に行かれる方は参考にしてみてください。
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部屋に戻ると妻も準備が出来ていたので朝ご飯を食べに行きます。12年の間にレストランはすっかりきれいに改装されていました。
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ライブキッチンでは麺や卵料理が作られています。妻は何やらシェフと話をしていますが、何語で会話しているのでしょう?
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そのカウンターに並ぶフライドエッグとクレープのような「葱油餅」、そして焼き餃子。この餃子は美味しかったです。
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午前6時30分のレストランでは我々ツアー以外は数人のお客しかいませんでしたが、7時を過ぎると学生の姿が多くなりました。ガイドさんによるとこの時期は夏休みで、学校の先生とゼミ合宿のような旅が人気のようです。
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杭州名物の「片儿川」という麵のようですさっぱりしたスープの味は江南を感じさせます。ホテルの朝ご飯は名物料理が並び、料理の名前も分かるので楽しいです。
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焼き餃子も4ついただきました。東北地方では餃子の注文を気を付けないといけません。「1斤(500グラム)」と書いてあるとそれは小麦粉の量なので、大体50個くらいの大きな餃子が出てきます。
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白エビと油条を乗せてお粥もいただきます。中国は何日旅しても食事で困ることはありません。
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この日も午前8時にホテルを出発しました。過去の経験から移動は大体1時間と踏んでいましたが、朝のラッシュということもあって「西湖」周辺は混雑していました。
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ガイドさんとドライバーさんはどこで下車するか悩んでいましたが、過去に「西湖」はほぼ1周しているのでどこでもよかったです。バスが停まって下車してもここがどこだか分かりません。シェアサイクルが発達しているので、次回はこれで湖を1周してみようかと思います。
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古玩に出ても最初はどこだか分かりませんでしたが、「雷峰塔」の位置湖の南側南側の「長橋公園」の辺りだと分かりました。この辺りは歩いたことが無いので我々は良かったですが、初めての人には物足りない場所だったと思います。
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「雷峰塔」は伝説では呉越王の銭弘俶により、その寵妃である黄氏が子を得たことを祝うために建てられたとされ、古くは「黄妃塔」とも呼ばれました。「雷峰」の名は西湖南岸の夕照山の最高峰である雷峰頂に由来します。
杭州海底世界 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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「雷峰塔」の煉瓦が病気を治して体を丈夫にしたり安産に験があるという伝説により、多くの人が塔の煉瓦をけずり取ったり砕いたりして破片を持ち帰ったり、盗掘などが原因で1924年に倒壊してしまいます。その後2002年にコンクリート造の塔として再建されています。
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「雷峰塔」は西湖十景の1つにあげられ、また「白蛇伝」の伝説によれば、宋の時代に鎮江金山寺の住職であった法海が、檀家である許仙の妻の白娘子が蛇の化身であると見ぬき、白娘子を「雷峰塔」の下に封印して許仙から引き離しました。
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北京にある「北京湖広会館」で初めて京劇を見た時の演目が「白蛇伝」だったことを思い出します。「北京湖広会館」は建物も素晴らしく、テーブル席に座って、お茶を飲みながら京劇を鑑賞する楽しさも知りました。
北京湖広会館:https://4travel.jp/travelogue/10359127 -
ここでも20分ほどのフリータイムなので、舟に乗ったりする時間はありません。「西湖」に来て湖を遊覧しないのは初めてのことです。
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あまり人気のないエリアなので観光客が少ないのは良いことでした。皆さん普通に「九曲橋」を歩いているのでキョンシーではなさそうです。折れ曲がった橋は魔除けの意味があり、中国では魔物などは真っすぐしか進めないと考えられています。
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キョンシーは中国湖南省西部からの出稼ぎ人の遺体を道士が故郷へ搬送する手段として呪術で歩かせたのが始まりという伝承があります。1985年公開の「霊幻道士」という映画で日本でもポピュラーになりました。
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まだ時間があったので「雷峰塔」から離れた右側に進んでみます。少し開けた辺りまで進むと思った通りの風景が現れました。
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「保俶塔」は宋時代の948年から960年の間に建てられ、高さは45.3メートルであり、六角形で7階建ての煉瓦で造られた仏塔です。現存の塔は1933年に再建されたもので、夜になるとライトアップされて美しいのですが近くまで行ったことはありません。
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「中山公園」の辺りを望遠レンズで切り取ってみます。
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この辺りは元々高級別荘地で、毛沢東や宋美齢の別荘だった建物が残っています。
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この建物は「浙江省博物館」だと思います。行きたいと思っていながらまだ行けていない中国の博物館の1つです。
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以前より旅行用の茶器をいくつか買い求め、3月の重慶行きの旅では上海浦東空港の国内線のターミナルで素晴らしいデザインの茶器を手に入れました。本当は中国を旅した際にこんな「亭」で茶を淹れて飲みたいのですが、そんな余裕はない旅ばかりです。
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「西湖」の中に浮かぶ「小瀛州」という島も見えました。初めて来た「杭州」では早朝7時にホテルに荷物を預け「西湖」をぶらぶら散歩したのですが、半周した辺りで妻が説かれてしまい、船でこの島に渡りました。1元札の裏側に描かれた「三潭印月」はこの島の向こう側にあります。見えている建物のベンチで妻は横になって寝てしまって困ったことを思い出しました。
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2回目の「西湖」ではこんな船をツアー全員でチャーターして優雅に湖をクルーズしました。1人50元でしたがまだ為替レートが円に有利な時代でした。
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望遠レンズにデジタルズームでさらに拡大すると「錦帯橋」が見えてきました。日本人は古くから中国の名勝風景に強い憧れを抱き、中でも「杭州」の「西湖」の「西湖十景」が最もよく知られています。
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「西湖」の美景が日本に伝えられたのは、禅文化の移入と共に好まれた中国の詩文や水墨画等の影響があると思われます。江戸時代初頭に大名や文化人達の間で「西湖」が有名になると、その景色を庭園に取り入れたいという動きが起こります。
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「小石川後楽園」や「旧芝離宮恩賜庭園」、広島の「縮景園」、和歌山の「養翠園」、水戸の「千波湖・偕楽園」に大名たちの思いを感じることが出来ます。
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早々に「西湖」の観光を切り上げ、「六和塔(りくわとう)」に移動しました。ここに来るのも20年振りのことです。
六和塔 建造物
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「六和塔」は銭塘江沿いの西湖区月輪山に位置し、高さ59.89メートルの7階建ての塔身は南宋時代のもので、13層の外層は清末に増築されたものです。外観は13階に見えますが中を登ると7階しかありません。
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塔は970年開宝3年に脇を流れる「銭塘江」の逆流を鎮めることを願い、智覚禅師によって建てられました。また塔の明かりは川を行きかう船のための灯台の役割も果たしました。北宋の宣和年間に起きた方臘の乱のために焼失しますが、南宋時代の1152年、紹興22年に僧侶智曇の働きかけにより、現在まで残る磚造りの塔身が再建され、1900年の光緒26年に木造の外層が造られました。
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30分ほどのフリータイムになりますが、景色もそれほど良くないので塔に登ることにしました。もちろん妻は登るわけが無く、他の6名も年配の方ばかりなので登ったのは1人だけでした。入場料10元は個人の支払いになります。
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南宋時代の1152年に造られたとは思えないほど頑丈に造られた塔身の階段を登りますが、あまりの暑さに息が切れてきます。さらに階段は会津の「さざえ堂」のような螺旋階段は登りにくいです。
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何とか上りきると「銭塘江」の絶景を見ることが出来ました。この風景は20年前とそれほど変わってはいません。「銭塘江」の逆流を鎮めるために造られた塔ですが、現在では大きな観光資源になっています。
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河口では潮流の関係で河水が海から激しく逆流し、大潮の時期には激浪になって川をさかのぼる「海嘯(かいしょう)」という特異な現象が発生することで古くから知られています。昨日渡った「杭州湾海上大橋」の上から眺めた「杭州湾」の広さはこの辺りに来るとかなり狭くなっていますが、集まった海水が押し寄せることがリアルに感じられます。
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首に巻いていたタオルを振ると下にいた妻やガイドさんが気付いてくれました。
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7層の塔を降りて行くと各所に掛けられた「扁額」が目に留まります。
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るのも大変でしたが、下りの階段も急なので足元がおぼつきません。下りきった出口の先には博物館のような建物があったので入ってみます。
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「初地堅固」の初地は仏教用語で菩薩が悟りを開くための修行段階である「十地」の最初の段階を指します。「二師?融」「三明静域」「四天寶網」「五雲扶蓋」「六鰲負載」「七寶荘厳」は仏教における修行の段階を表します。
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再び塔のもとに戻るとすでにツアーのメンバーも妻の姿もありませんでした。1人だけ大汗をかいてしまいましたが、再集合してバスに乗り込み、お昼を食べるレストランに向かいます。
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バスは「宋城」の蕎麦を通過しました。ここは中国最大の宋代文化テーマパークで、12年前にはオプションでここへ来たことがありました。「宋城千古情」はかなりはくりょぅもあり、見ごたえがありましたが、本当は「印象西湖」が見たかったのですが…。
宋城千古情:https://4travel.jp/travelogue/11226825宋城 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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「宋城」の前でバスが右折すると次に現れる風景がお茶畑だということは分かっていました。この先には「龍井村」もあります。
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「梅家塢村」は以前のツアーでもお茶農家に行って、お茶の試飲と買い物をしたことがありました。
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妻にとっては見慣れた風景なのですが、珍しく写真を撮っていました。妻の実家の玄関の扉を開けると目の前には富士山があり、居間の窓からは相模湾に向かって広がる茶畑が見えます。
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美しい茶畑の中をしばらく走ると「杭州」の町中とは空気も違って感じます。
雲棲竹径 自然・景勝地
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「梅家塢公社餐庁」というレストランでバスは停車しました。思っていたよりも高級そうな店でした。
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巨大な茶壺が置かれてありました。ここでも茶葉などは売っていたのかもしれませんが気が付きませんでした。
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まずは冷たく冷えた地元の「西湖啤酒」をいただきます。今日はここで田舎風郷土料理をいただきます。
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揚げた川エビをつまみにビールをいただきます。
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ここでも美味しいカリフラワー炒めが出されました。それ以外にもピーマンと鶏肉炒めや卵焼きなど出されました。皆さんの箸が止まらないように急いで写真を撮っているのでブレてしまうものもありました。
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豚肉といろいろなスープの入ったスープは枸杞の実が浮いて漢方のように思えます。
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シンプルに茄子を醤油と炒めただけの料理も驚くほどおいしいです。この辺りから白ご飯もいただきます。
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八宝菜のような料理も日本人の口にはよく合います。
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セロリとニンジンとゆり根を炒め、片栗でとろみをつけた野菜炒めもシンプルな塩味で美味しいです。
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そして日本のとんかつのような料理も並びました。
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「西湖」の名物である蓮根の料理少し酸っぱいですが、癖になる味付けでした。
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紐で括られた本格的な「蘇東坡」も出されました。1079年の元豊2年に蘇軾は政治を批判した咎で逮捕され、現在の湖北省黄州に左遷されます。黄州に流された蘇軾は「晴耕雨読」の生活を送り、自身が農作業を行っていた場所に因んで東坡居士と号しました。蘇軾は黄州の豚肉に目をつけ、東坡肉の原型となる豚肉の醤油煮の紅焼肉(ホンシャオロウ)を考案します。
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皇帝の神宗が没した後に蘇軾は中央政界に復帰しますが政争に巻き込まれ、1089年の元祐4年に杭州に再び左遷されます。蘇軾は杭州で西湖の水利工事を行い、その際に工事を感謝した現地の人々から豚と紹興酒を献上されました。豚肉と酒を使って紅焼肉を作るよう自宅の料理人に命じ、工事の寄付台帳に名前のあった家に料理が振る舞われると、蘇軾の振る舞った料理を絶賛した杭州の人々は料理に「東坡肉」と名付けました。春の三峡下りの旅では蘇軾親子の足跡を訪ねたこともあり、感慨深いものがあります。
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美味しそうなイチジクやナツメの実が売っていますが、ガイドさんは素通りしてしまうので買い食いすることは出来ませんでした。
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バスは「杭州」を抜けて30分ほど走った「富陽」に向かいます。今回のツアーはほとんどが一筆書きのルートになっていますが、この「富陽」だけが盲腸のように往復することになります。
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「富陽」へ来るのは初めてでしたが、以前に「杭州」からタクシーに乗って「富春」へは着たことがありました。そんな地名が高速道路の案内板に見ることが出来ました。そ
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その当時何かの雑誌で紹介されていた「富春山居」というゴルフ場に併設されたリゾートでした。あの時から20年がたったのだと思うと年月の流れの速さを感じます。
富春山居:https://4travel.jp/travelogue/10353940 -
「富陽」にある「龍門古鎮」に到着しました。 ガイドさんがチケットを買っている間に周囲を見渡しましたが、我々以外に観光客の姿はありません。
龍門古鎮 旧市街・古い町並み
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わざわざこんなところまで来る必要があったのだろうかと思うような場所ですがちゃんと理由があります。ここに村が作られたのは孫権から数えて27代目となる「孫忠 」が西暦980年に移り住んだのが始まりです。
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景区に入る入り口には大きな案内看板がありました。インフォメーションで貰った地図には細かい道が載っていないのでこの地図は非常に重要です。フリータイムの30分ではこの地図が無ければ赤い点々のルートは半分も歩けないと思います。古鎮に入る前にスマホで写真を撮っておいた方がいいです。
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こんなところにも日本語の案内がありました。それだけ日本人の観光客が来るということなのかもしれませんが、これまでここへ来るツアーなどは見たことがありません。
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龍門古鎮は富陽区市街地から16キロ離れた富春江の南岸に位置し、後漢の文人の厳光が地元の龍門山を訪れ、「呂梁龍門に似ている」と称賛したことから「龍門」と名付けられました。
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古いのが龍門古鎮の特徴ですが、町全体には2600世帯余りがあり、人口は7000人を超え、住民の90%以上が孫権の末裔で定住の歴史は千年を超える歴史があります。
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鎮内には明時代から清時代、民国時代にまで及ぶ古い庁堂が40基あまり残され、古い民家は400軒、千年を越える禅寺や古塔、古い牌楼が3基、古橋が5基保存されています。江南地方では明清時代の古建築が保存されたことで知られているようです。
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孫権は三国時代の武将で呉の初代皇帝として知られています。182年の光和5年に孫堅が下邳県丞であった時、五男三女の次男で第四子として生まれました。孫権は兄の孫策の遺志を引き継いで江東地域を統一し、地方豪族と強力な同盟を結ぶことで統治基盤を固めました。彼はまた南方への領土拡大を進め、呉の支配領域は現在の中国南部から北ベトナムにまで広がりました。これにより呉は経済的な繁栄も迎えます。
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孫権の軍事的手腕が発揮された最も有名な戦いが、208年に起こった「赤壁の戦い」です。彼は蜀の劉備と同盟を結び、曹操の大軍を撃退しました。この戦いは呉が独立した勢力として存続する大きな転機となり、三国時代の勢力図を決定づけるものとなりました。
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孫権は防御戦略にも秀でており、呉の地理的特性を活かして長江を天然の防御線として魏からの侵攻を防ぎました。さらに祖父の時代から築かれていた水軍を強化し、呉を水上戦に強い国へと発展させます。孫権が統治した三国時代は歴史上もっとも激しい動乱期の1つです。魏の曹操、蜀の劉備という強力なライバルが存在する中で孫権は呉を一大勢力として確立しました。
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「思源堂」は宋代に建てられ、龍門孫氏の直系(正房)である孫権から28世代孫の孫世治の宗祠です。もとは傍系の孫治公と同じ宗祠を共有していましたが、龍門孫氏は絶えず強大になり、この「思源堂」を建てました。建物の中には孫鐘像が描かれたものや孫家の家系図なども掲げられています。中には「国父孫中山」の文字も見られ、「孫文」も孫権の末裔だったのだと知りました。
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鎮の中には観光客向けなのか地元の住人向けなのか判断が付かないような雰囲気の店もあります。通りを歩く人の姿もないので、どの店も人のいる気配は感じられません。
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龍門老街は1キロほど延々と続き、通りの幅はどこも4メートルから5メートルほどです。通りの店の多くは前が店で後ろに工房があるか住居になっています。明清時代の山郷街市の独特な趣きが感じられます。
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1軒の農家の屋敷門には古い黒板が掲げられて、白墨で立派な松と老人と子供が描かれています。この家の家訓の「誠実」「勤労」「倹約」などが書かれています。
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黒板はさらに「龍門家訓」として「孝」は最も重要な美徳であり、「悌」は年長者を敬い、「勤」は勤勉を良しし、「倹」は家を守るには倹約が必要だというようなことが書かれているようです。
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我が家の家訓は何だったのだろうかと思い返してみますが、兄弟3人が仲良くすること以外に思い当たりません。両親あてに絵葉書を書いても答えは返ってきません。
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これまで中国の古い古鎮を幾つも周ってきましたが、桂林から陽朔(やんしょう)まで船下りした後にミニバスで興坪(しんぴん)へ行き、船をチャーターして渡った漁村(ゆっくん)が一番浮世離れした鎮でした。ここもそれに近いような雰囲気を感じました。
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水郷の川の畔には竹が良く育つようで、その竹を使った竹細工も盛んなようです。このような漆喰の壁の上に描かれた書画も最近の中国からは姿を消しつつあります。
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20年前はこのようなスローガンが掛かれた家はたくさんありましたが、最近は農村部をバスで走っていても見掛けなくなりました。
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工部(こうぶ)は中国古代の役所のことで、隋唐代に工部の下には建設と庶務を担当する工部、開墾を担当する屯田(とんでん)、山川を担当する虞部(ぐぶ)、水利事業を担当する水部(すいぶ)の4司が設けられました。
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祠堂なのか一般の住宅なのか判断が付かない建物もいくつかあります。門扉は立派な造りなので由緒ある家なのだと感じます。
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この路地の先には床屋があるのだと分かります。この絵が描かれた時点で床屋の主もお客も結構な年齢のようなので、現存しているのかは定かではありません。
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路地に面した黒板の文字は長く書き直されていないようです。チャン・イーモウ(張芸謀)監督の映画「紅高粱」や「菊豆」、「我的父親母親」を初めて見た時のような気持になってきました。
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「保和堂」は解放以前は龍門でも有名な薬局でした。清朝末期に孫景業によって設立されました1927年に彼が亡くなると薬局は一時閉鎖されますが、1929年に国民解放軍の医師であった孫保宗が辞職して帰郷し、父の事業を継承しましたが、1994年に亡くなると薬局は閉鎖されました。
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今回の旅では「寧波」や「杭州」で古い薬局を訪ねることが多かったように思います。薬局が目に留まる年頃になったのかもしれません。
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小さな「関帝廟」もありましたが、門扉は閉ざされていました。
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「関帝廟」の先には小さな川が流れ、「万慶橋」を渡ってみますが、この先には何もなさそうです。
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橋の上はきれいに舗装されていることが多いので、中国各地の田舎では米や雑穀や野菜を干す場所になっていることが多いです。ここでも何かが干されています。鶏が放し飼いされていないだけこの鎮は文明的だと感じます。
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「迎?堂」は孫権の48代目の子孫の孫監文によって清代末期に建てられました。抗日戦争や土地革命の時期には新四軍や地下党の活動場所となり、新四軍が富春江を横断した時の指揮所でした。閉ざされた扉は元々黒漆喰が塗られていましたが、風雨によりその多くが剥離しています。
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こういった古い家を維持管理していくのは大変なことだと思います。祖父が生まれ母が育った京都の家は約400年残されていますが、その管理や修繕は大変だと思います。現在は”またいとこ”が継いでくれていますが、頭が下がる思いです。
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ここにも通り抜けられる道がありました。先へ進んだら集合場所に戻れなくなりそうなので、来た道を戻ることにしました。広場にあった地図をスマホで撮影していたら先の川沿いの道を進んでもっと見学が出来たのが残念でした。
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何となく昔観た「芙蓉鎮」という映画を思い出しました。文化大革命期の混乱を生きた若い女性の辛苦に満ちた人生を描き出した映画なのですが、その女性が米豆腐の店を営むのですが、その米豆腐を食べたくて現地まで行きました。
芙蓉鎮:https://4travel.jp/travelogue/10354154 -
こんな古鎮を30分で見て回らなければならないのは残酷なことだと思います。多分もう一度来ることは無いと思います。
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「十牛図」の6番目の「騎牛帰家」のようです。祖父がこの場面が好きでよく描いていたことを思い出します。自分では持っていなかったのですが、昨年ヤフオクに何枚かの絵と一緒に出品されていたので手に入れることが出来ました。
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何とか集合時間ぎりぎりに戻ってくることが出来ました。広場では壁の漆喰の補修工事が行われていましたが、バケット車で表面をグラインダーで平らにしているのが面白かったです。
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軽トラのような消防車は子の古鎮では活躍しそうです。というよりも普通サイズの消防車では鎮の中に入ることは出来ません。冷房の効いたバスに乗って「杭州」方面に戻りながら「烏鎮」に向かいます。
烏鎮東柵景区 旧市街・古い町並み
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旅行記グループ 2025江南8日間
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