2025/07/17 - 2025/07/17
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kojikojiさん
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「鎮江」の観光を終えた後はバスに乗り高速道路に入って「揚州」に向かいます。「北固山」からも見えなかった長江は「潤揚大橋」の上から眺めることが出来ました。延々と続く貨物船の列に、現代でも重要な物流の地なのだと思います。20年ほど前の中国映画のジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の「長江哀歌」というものがありますが、舞台となった「重慶」はあまりにも変わってしまい、3月に行ったときはちょっとがっかりした部分もありました。この橋を渡っていて眺める風景は霞の掛かった天気のせいもあるかもしれませんが、映画の中の一場面のように思えました。1時間ほどの移動で「揚州」の「痩西湖」の畔でバスを降ります。「杭州」の「西湖」を模したということで「痩西湖」という名前がありますが、ずいぶん小さいなと思いました。実際これは間違った感想だということが後で分かります。次に行く「大明寺」が通りを渡ったところにあるのでこの場所が選ばれたようです。通りを渡ったと言ってもここから延々と石段を登り、寺院の入り口はかなり坂を登ったところにあります。境内に入るとこの寺院もここまでに見てきた「天童寺」と同じような伽藍の配置になっていると気が付きます。「大雄宝殿」を参拝した後は「鑑真記念堂」に向かいます。建物を見た瞬間に奈良の「唐招提寺」を小型にしたようだと感じます。この建物を設計したのは梁思成という中国の有名な建築家だそうです。堂内には「鑑真和上像」を倣った像も安置されていました。それ以外にも日本から寄進された遣唐使船の模型などもあり、日本との関係の深さを感じさせます。ツアーには「棲霊塔」の登塔が含まれていませんでしたが、全員が希望したため26元の入場料が半額の団体割引になって登ることが出来ました。もっとも妻も含めエレベーターがあるからという方も多かったようです。塔の上からの眺めはまさに絶景で、先ほど見てきた「痩西湖」がほんの一部で、実際は地平線まで続く巨大な湖だと分かりました。鑑真の生涯を考えると今回ここへ来ることが出来て良かったなと思えるところでもありました。最後は「揚州東関街散策」で、入り口のところで30分ほどのフリータイムになります。特に下調べもしていなかったので、15分メインストリートを歩いて15分で戻ってくるといういつもの方法で散策を始めます。15分炒ったところで「揚州漆器店」という店を見つけて、涼むつもりくらいで店を覗いてみました。すると今まで博物館でしか見たことのないような「堆朱(ついしゅ)」に漆器が並んでいます。その中に木製の下地ではないものがあり、出来栄えもよくひと目で気に入りました。値段は780元と16,000円くらいなので買わないと後で後悔しそうです。もう戻らないとならない時間なので妻を先に戻しました。すると店の女性が割引して580元だと言い出します。これはもう買わないとなりません。クレジットカードが使えなくて何度かトライして時間はどんどん過ぎていきます。結局手持ちの現金で何とかなったので買うことが出来ました。小走りで集合場所に戻り、ぎりぎりセーフです。バスでこの日宿泊する「辰茂京江酒店」にチェックインします。夕食はこのホテルのレストランということで15分後に4階のレストランに再集合になります。淮揚料理をいただいてこの日の日程は終わり解散になります。ガイドさんから「揚州」は炒飯だけでなく、中国全土でマッサージが一番うまいと言われる町だと聞いていたのでオプションを申し込んでいました。ショーなどは6人が最少催行人数になりますが、マッサージは2人なので大丈夫です。昨夜の全身マッサージの料金とほとんど変わらないので申し込みました。ガイドさんとタクシーに乗ってすぐの「御足堂」という店に入ります。これまで中国各地の数十軒の店に入りましたが、確かにこの店のマッサージは翌日の揉み返しもなく上手でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「北固山公園」で大汗をかいた後はバスに乗り込み「鎮江」を後にし、「揚州」を目指します。
北固山公園 史跡・遺跡
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1時間の移動の間に長江を渡るタイミングがありました。「北固山公園」の楼閣の上からでは直接見えなかった長江です。
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「潤揚大橋」(中央径間1,490メートル)はこれまで中国一であった「江陰大橋」(中央径間 1,385メートル)を抜き、2024年時点で中国1位、世界第7位の吊橋のようです。イスタンブール発着で下を潜った「チャナッカレ1915橋」(中央径間2,023 メートル)が世界1位でした。
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20年ほど前の中国映画でジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の「長江哀歌」というものがありますが、舞台となった「重慶」はあまりにも変わってしまい、3月に行ったときはちょっとがっかりした部分もありました。この橋を渡っていて眺める風景は霞の掛かった天気のせいもあるかもしれませんが、映画の中の一場面のように思えました。
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昨年公開されたジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督「新世紀ロマンティクス (風流一代)」という映画は長江周辺の変化と俳優の経年まで20年かけて制作した映画のようです。6月まで公開されていましたが、見逃したのが悔やまれます。
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行き交う貨物船の列に、長江は現代でも重要な物流の大動脈なのだと感じます。
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「揚州」の町に入りました。昨日の「桐郷」、「鎮江」と初めての町を訪れるのは楽しいものです。
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「痩西湖」に到着しました。湖岸には広場があり、ひと目で鑑真和上の物だと思いました。鑑真はここ「揚州」に生まれ、14歳で智満について得度し大雲寺に住みました。18歳で道岸から菩薩戒を受け、20歳で長安に入り、翌年には弘景について登壇受具し、律宗や天台宗を学びます。
痩西湖公園 広場・公園
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律宗とは仏教徒や僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派ですが、鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされています。
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揚州の「大明寺」の住職であった742年に日本から唐に渡った僧の栄叡や普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請されます。当時の奈良には自分で出家を宣言した僧侶である私度僧が多かったため、僧侶に位を与える伝戒師制度を普及させようと聖武天皇は僧侶を捜していました。
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最初の渡海は743年夏のことで、このときは渡海を嫌った弟子の如海が、港の役人へ「日本僧は実は海賊だ」と偽の密告をしたため日本僧は追放され、鑑真は留め置かれました。
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2回目の試みは744年1月で周到な準備の上で出航しましたが激しい暴風に遭い、明州の余姚へ戻らざるを得なくなってしまいます。再度の出航を企てましたが鑑真の渡日を惜しむ者の密告により栄叡が逮捕され、3回目も失敗に終わります。
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その後、栄叡は病死を装って出獄に成功し、江蘇や浙江からの出航は困難だとして、鑑真一行は福州から出発する計画を立て、福州へ向かいます。しかし、この時も弟子の霊佑が鑑真の安否を気遣って渡航阻止を役人へ訴えました。そのため官吏に出航を差し止めされて4回目も失敗しました。
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748年に栄叡が再び「大明寺」の鑑真を訪れました。再び懇願すると鑑真は5回目の渡日を決意します。6月に出航して舟山諸島で数ヶ月風待ちした後、11月に日本へ向かい出航しましたが、激しい暴風の中で14日間の漂流の末、遥か南方の「海南島」へ漂着しました。鑑真は「海南島」の「大雲寺」に1年滞留し、数々の医薬の知識を伝えました。そのため現代でも鑑真を顕彰する遺跡が残されています。
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751年に鑑真は揚州に戻るため「海南島」を離れます。その途上の端州の地で栄叡が死去してしまいます。動揺した鑑真は広州から天竺へ向かおうとしましたが、周囲に慰留されます。この「揚州」までの帰上の間に鑑真は南方の気候や激しい疲労などにより両眼を失明してしまいます。
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753年に鑑真のもとを訪ねてきた遣唐大使の藤原清河らに渡日を約束します。しかし明州当局の知るところとなり、清河は鑑真の同乗を拒否しました。それを聞いた遣唐副使の大伴古麻呂は清河に内密に第二船に鑑真を乗船させます。753年の天平勝宝5年に出航し、第一船と第二船は現在の沖縄本島(阿児奈波嶋)に到着しました。沖縄を出港した直後に藤原清河と阿倍仲麻呂の乗った第一船は岩に乗り上げ座礁しますが、第二船と三船はそのまま日本を目指します。第一船はベトナム北部に漂着し、後に唐に戻り阿倍仲麻呂の帰国は叶わなくなります。第二船と三船は共に翌日に屋久島(益救嶋島)に到着して、6度目にして鑑真の渡日が叶いました。
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「痩西湖」の一部を散策した後は通りを渡った先にある「大明寺」を参拝します。
大明寺 寺院・教会
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「牌楼」の右には清代の著名書家の蒋衡(しょうこう)が揮毫した「淮東第一観」の文字があります。
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「牌楼」の正面で手を合わせてから「大明寺」の参拝をします。
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伽藍の構成はこれまでの寺院と同じで、まずは弥勒菩薩が出迎えてくれます。
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今回のツアーの2日目に行った「寧波」郊外の「天童寺」で弥勒菩薩に参拝してしてきましたが、この後も「無錫」の「南禅寺」でも参拝することになります。
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堂内には巨大な四天王像が安置されています。ここでも「西方広目天」は右手に金色の龍を掴んでいます
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「北方多聞天」は右手に宝傘を持ち、左手には神鼠を握っています。
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「南方増長天」は緑の顔で宝剣を持った姿で表されています。
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「東方持国天」は白い顔で琵琶を持った姿で表されます。
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弥勒菩薩の背面にはここでも「韋駄天」の像が安置されています。
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続いて「大雄寶殿」が見えていますが、その間には傘を被った像が見えます。
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「四菩薩」かと思いましたが、大慈観音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩と組み合わせが良く分かりません。通常は普賢菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、弥勒菩薩を「四菩薩」と称することが多いようです。
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「大雄寶殿」を参拝します。「三世仏」が並び、中央の「釈迦牟尼」の脇侍には「阿難」と「迦葉」が立っています。ここでは「横三世仏」の「東方薬師王仏」、「中央現在仏釈迦牟尼」、「西方阿弥陀仏」のようです。
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「鑑真記念堂」の建設を指示したのは周恩来で、完成したのは1973年のことでで、日中国交正常化の翌年のことです。この記念館建設が計画されたのは1963年で、鑑真が亡くなってからちょうど1200年の節目にあたる年でした。それから10年をかけて建築され、その間に国交正常化を果たしたということになります。
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記念堂を設計した梁思成(りょうしせい)は1898年の戊戌の変法の挫折により亡命した維新立憲派の梁啓超の息子で、伊藤博文らの努力によって日本で亡命生活を送っていました。1901年に神戸市で生まれた梁思成は1912年の辛亥革命が万全の状態を回復すると両親とともに中華民国北京に帰国し、中国建築を学んでいきます。「中華人民共和国国章」をデザインしたことでも知られます。
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「鑑真和尚記念碑」の文字を書いた郭沫若(かくまつじゃく)は日本に留学したこともあり、日本に縁のある人物が関わっていることを感じます。
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堂内には「唐招提寺」の「鑑真和上像」を模した像が安置されています。これは日本から寄進されたもののようです。
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真正面に入り口があり、ガラスケースの中に納められているので斜めからでないと写真を撮ることが出来ません。
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やはり日本から寄進された遣唐使船の模型が置かれてありました。実際の船は長さ30メートルから40メートル、排水量はおよそ300トンあり、大量の水と食料を積み込んだ上に200人から300人が乗船していました。
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ここでも1回目から6回目までの渡航ルートが紹介されていました。現在であれば大阪や神戸から舟で2泊3日、飛行機であれば3時半ほどの距離を大変な思いをして渡ったのだと感じます。
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「楠木香亭」は清時代の古物で貴重な楠木を使って丹念に刻まれ、揚州木彫りのレベルの高さを表しています。香亭とは昔の「出会」という神様を迎える祭りの時に使われたもので、その上に仏像や香炉などが置かれました。
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表に出ると「棲霊塔」が見えてきました。「大明寺」自体は南北朝から宋の時代の大明年間に創建された仏教寺院ですが、601年の隋の仁寿元年に隋の初代皇帝の楊堅の60歳の誕生日を祝って、遺骨を納めるために全国に30の塔を建てるという勅令が出され、この寺院にも「棲霊塔」と呼ばれる塔が建立されました。
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この塔にはエレベーターで昇れるのですが、ツアーには登塔の料金は含まれていません。1人26元なのですが、8人全員が登るということでガイドさんが交渉して団体割引の13元になりました。
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エレベーターは2階から7階まで登って、帰りは7階から1階まで降りることが出来ます。乗り降りがストレス無いように分けられているのだと分かります。塔には8階と9回もあるようですが、ここに登るには係りの方からお経を受けるようなので、上には行きませんでした。
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塔の上からは4方向が見渡せ、ここで初めて「揚州」の全体を把握することが出来ました。足元には「大明寺」の伽藍の配置もよくわかります。
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南側には「痩西湖」が見えるのですが、先ほど歩いてきたのは湖のほんの一部だったということが分かりました。ここを散策するだけで1日かかりそうな気がします。
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先ほど歩いた亭と回廊が見えています。その先には白い建物の前に咲いていた蓮も見えます。
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塔を降りた後でも時間があったので「鑑真戒壇院」も参拝してみます。「福来」の文字に魅かれたということもあります。
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「戒壇大殿」という建物に進みます。ここは僧侶の方が授戒を受けるところのようです。
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内陣には四天王像に護られるように「棲霊塔」が据えられていました。「律宗(りっしゅう)」は戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派で、中国で東晋代に戒律について翻訳されると唐代には道宣が成立させました。日本には鑑真が伝来させ、南都六宗の日本仏教の1つとなります。「律宗」の寺院らしい施設なのかもしれません。奥には観音堂もあったので参拝に行くと、僧侶の方から話しかけられました。言葉が分からないので「日本人です。」というと喜んでくださり、案内してくださいました。
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「大明寺ん」の参拝が終わるとこの日最後の日程である「揚州東関街」の散策に向かいます。近くには「馬可波羅紀念館」がありました。
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「馬可波羅」はマルコポーロのことです。黄金の国ジパングと言いながら日本へは到達していませんが、「揚州」には滞在したことが分かっています。
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運河の手前には「東関古渡」と書かれた「牌楼」があり、そこから真っすぐと道が伸びています。
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その延長線に宋時代の「東門城楼」がそびえていて、さらに先に道が続いています。「揚州城」の東の城門だった場所で、唐代、五代、北宋、南宋の遺構が残されています。失われた城壁は高さ13メートルもあったとされます。この「城楼」は宋代の後方をもとに2009年に再建されたものです。
メルキュール揚州東関街 (〓州〓〓街美居酒店) ホテル
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「揚州東関街」では30分のフリータイムになったので、いつものように15分進んで15分戻ってくることにします。どこも新しいお土産屋ばかりで特に買いたいものもありません。
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どこまでが再現されたものなのか分からないのが中国の古い都市の良いところで、ここでも程よいエイジングが施されています。
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袋小路の先には「カウズ(KAWS)」の人形が打ち捨てられています。迷子になって泣いているようにも見えます。これが本物だったら大変なものですが…。
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15分が過ぎたのでそろそろ戻ろうとすると、ところが「揚州漆器廠」なんて店を発見してしまいました。涼みがてらに数分ならいいだろうと入ったらハマりました。中国の漆器には「堆朱(ついしゅ)」という技法があります。何度も重ね塗りして厚さが出来た漆を彫刻していくものです。
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調べてみると「揚州」は隋や唐の時代から漆器工芸は秀でて、明代清代では揚州漆器の最盛期を迎えました。また「揚州八刻」と呼ばれる木彫り、竹彫り、石彫り、れんが彫り、磁器彫り、歯彫りと紙彫り、漆器彫りなど8種類の工芸が盛んです。琉球の東道盆のような菓子入れが気に入って値段を尋ねてみます。
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値段は780元と16,000円くらいなので買わないと後で後悔しそうです。もう戻らないとならない時間なので妻を先に戻しました。すると店の女性が割引して580元だと言い出します。これはもう買わないとなりません。クレジットカードが使えなくて何度かトライして時間はどんどん過ぎていきます。結局手持ちの現金で何とかなったので買うことが出来ました。
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小走りで集合場所に戻ると時間前だったのでホッとします。バスに乗り込んで着いたのがこの日宿泊する「辰茂京江酒店」です。チェックインした後は15分後に4階のレストランに再集合になります。
Yangzhou Excemon Jingjiang Hotel ホテル
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部屋はかなり広めのツインルームです。寝心地の良さそうなベットが2床並んでいます。
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インテリアは中国のホテルにありそうなマホガニー風の木を多用したデザインです。
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身にバーはありましたが、冷蔵庫が無いのは中国の地方都市のホテルのアルアルです。
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洗面台も広く2人分の洗面道具を置いても十分な広さがありました。毎日の洗濯もあるので大きめのボウルは洗面器を入れるのに十分な広さです。
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このホテルはバスタブが無くてシャワーブースだけでしたが、暑い夏なのでシャワーだけで十分です。バッテリー類を充電して、急いで4階に降りるとバンケットルームのような個室に円卓が置かれてありました。
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淮揚料理(わいようりょうり)は中国の国賓晩餐会で提供される料理です。上海料理と近い食材本来の味を引き出すのが特徴のようです。
ニラと玉子と豚バラを菜種油で炒めた料理です。家でも作ってみたい美味しい料理です。 -
驚いたのは巨大なモヤシで、玉ねぎと豚バラを唐辛子で炒めたピリ辛の料理です。シャキシャキした巨大も太氏の食感が癖になります。
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淮揚料理の名物の1つである「獅子頭」という巨大肉団子のスープ蒸しです。巨大肉団子の料理はいろいろな所で食べましたが、スープ仕立ては初めてでした。
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今回美味しいと思ったのがカリフラワーを素揚げ料理でしたが、ここでは豚バラと玉ねぎやピーマンと炒めています。これも家で再現できそうです。
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青菜と豆腐とキノコのシンプルなスープ。
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素揚げしたジャガイモとナスをインゲン豆と一緒に炒めた料理も作れそうだねと妻にプレッシャーを与えます。
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セロリとパプリカと玉子炒めは自分でも作れるよねと返されます。
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空心菜のような青菜と皮を?いたソラマメをニンニクで炒めて醤油で煮込んだ料理も発想が面白いです。
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牛肉と揚げたジャガイモの煮込み料理はピリ辛でご飯が進むおかずです。
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さらに瓜と豚肉炒めとダイエット中の我々には悪魔のような料理が続きます。毎食8人で食べるには多すぎる量のお皿が並びます。
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湖北省には毛沢東が好きだったという「武昌魚」という魚の「清蒸武昌魚(チンジャンユー)」という魚料理がありますが、それに似た料理が出てきました。
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「揚州」と言えば揚州炒飯ですね。 発祥としては「揚州」は海のシルクロードの中国側拠点であり、当時滞在したアラビア人が白米を炒めて食べた説や、隋の時代よりも昔から「揚州」の漁民は卵チャーハンを食べていたという説もあるようです。
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卵以外の具材を加える現在の揚州炒飯の原型が成立したのは明代だと言われており、清代に太守を勤め書家でもある伊秉綬がこれを広めて、また揚州出身の料理人も全国に普及させたそうです。いずれにせよ本場のチャーハンが食べられて満足です。
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この店では茶ば語とポットに入った緑茶がいただけました。もちろん食事中はビールを2本頂いています。
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食事が終わった後は部屋でシャワーを浴びて、着替えたところでガイドさんと合流してマッサージ店に向かいます。昨晩もフットマッサージに行っていますが、中国一だという「揚州」のマッサージを受けないわけにはいきません。
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オプション料金は60分で260元でしたが、昨晩の店も同じようだったのでお願いしました。ここまでタクシーで移動しました。
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「御足堂」とあったの意で足の方がおすすめだったのかもしれませんが全身マッサージでお願いしました。確かに今までに中国の数十の都市で受けたマッサージの中でも1番と言えるほどの上手さでした。帰りもタクシーだったので汗もかかずに戻れました。
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