2025/07/15 - 2025/07/15
30位(同エリア138件中)
kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
今回のツアーの日々の出発は午前8時でした。ホテルの朝食レストランはほとんどが午前6時30分からだったので、ほぼ開店の時間に合わせて食事していました。4月の北京の旅行ではめちゃめちゃ混んでいてストレスを感じながらの朝食でしたが、今回のホテルの朝食レストランはどこも空いていて良かったです。そして料理も美味しかったです。「中信寧波国際大酒店」でもオープンキッチンで麺を作ってくれて、それがまた美味しかったです。午前8時にホテルを出発して、最初の観光は昨晩1人で散歩した「天一広場」でしたが、魅せはほとんど閉まっていて閑散としていて全く楽しさが感じられません。夜に通りがかった古い薬局の建物が風情があったので行ってみるとすでに開店していました。中には漢方薬の処方待ちの人の姿もありました。入り口近くには小さなお土産を売るコーナーもあり、シルクの巾着に入った匂い袋がお手頃価格て売っています。さらにセットになった漢方薬もあり、目に良いとされるセットが1週間分で40元ほどなので買ってみました。20分ほどのフリータイムでしたが、妻も喜んで有意義に使えました。次は「鼓楼」に移動して、昔の「寧波」の城門だったところを見た後はやはり20分ほどのフリータイムになります。ここでもほとんど店は閉まっているのですが、1軒の文房具を扱う店が開いていました。表のウインドウに飾られていた美しい団扇を見せてもらうとこれも手軽な値段だったので3枚ほど買い求めます。日本の東京から来たというと喜んでくれて、この団扇に詩を書いてこの印鑑を押しなさいと印鑑をくれました。感激しておじさんと一緒に記念写真を撮らせてもらうと、自分のスマホを出してきて、上の階の店のおばさんを呼んで、3人での記念写真を撮ってもらいました。4月の上海空港のお茶道具屋さんでも同じような顛末になりましたが、いつもこんな風に旅が転がって、思いがけない出会いもありながら時間もかかってしまいます。お陰で5分ほど集合時間に遅れてしまい、初日から皆さんにお詫びをします。市内観光の最後は「老外灘」の散策で、ここでも20分のフリータイムになりますがただ川を眺めるだけです。「寧波」の歴史的には重要な場所ではありますが面白みは感じられません。市内観光を終えた後はバスに乗って郊外になる「天童善寺」に向かいます。ここも驚くほど参拝者の姿も少なかったのですが、寺院としては格式が高く「杭州」の「霊隠寺」と同じような伽藍の構成でした。ここでもフリータイムになりましたが、お寺の方に日本から来たというとお経の本をいただきました。アルファベットが振ってあるので帰ったら真面目にお経をあげてみようと思います。参拝の後は村の中の「天童考佗飯店」という農家の家常菜を食べさせるレストランで昼食をいただきました。ここの料理も美味しくて印象に残るものでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「中信寧波国際大酒店」の朝です。この日は午前8時にホテルを出発なので、午前5時30分には起きなければなりません。
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午前6時30分の開店に合わせて2階のレストランに向かいます。春の北京の旅で泊まったホテルは朝食レストランが混雑していたので身構えてエレベーターを降りましたが、拍子抜けするほど空いていました。
ニンボー CITIC インターナショナル ホテル ホテル
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この時間帯に食事をしているのは我々のツアー8人くらいと早起きの中国のビジネスマンと数人のおじさんくらいでした。
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「桂花糖藕」という糯米を詰めて甘く煮込んだ蓮根料理が懐かしいです。上海料理ですが妻と旅した「朱家角」の料理屋の名物料理の1つでした。「炒面」に「蒸餃」、「焼麦」というおこわを詰めた焼売のようなものも美味しいです。昨晩の夕食も美味しかったですが、このホテルの料理はおいしいです。
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出来立ての「豆腐脳」には醤油や辣油、ネギなどをお好みで入れていただきます。
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カウンターでは麺も作ってくれるのですが、米麺や数種類の麺から選ぶことが出来ます。茹で具合にはかなりこだわりがあるようで何度も確認しています。スープはシンプルで薄めなので、ここでも白エビやネギやパクチーを乗せて、「咸菜肉絲」などで味を調えます。
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中国を旅していて閉口するのは煮詰まったコーヒーや温かいケミカルなオレンジジュースだったりしましたが、こんなコーヒーマシーンが置かれていて好きなドリンクが飲めました。コーヒーショップチェーンも増えた中国ではこだわりが出てきたのだと感じます。
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蒸しパンのデザートも可愛らしいデザインです。肉球のモチモチ感が妙にリアルでした。
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午前8時にツアー2日目がスタートしました。8人だけの阿野でバスの乗り降りも時間がかからずに早くてよいです。この日も最後にバスに乗り込みましたが、一番前の4人掛けの席は空いていました。
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エアコンの室外機があるだけで中国や東南アジアの雰囲気が感じられてきます。
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「寧波」最初の観光は昨晩散歩した「天一広場」でした。午前8時過ぎではほとんどの店は閉まっているので、歩いている人は広場を掃除している人くらいです。ここで20分のフリータイムになりますが、何を見ればよいのか…。
寧波薬行街天主堂 建造物
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周囲の水盤越しの写真を撮って、昨晩は閉まっていた薬屋の方へ行くことにしました。
天一広場 広場・公園
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広場に近い天主堂の名前も「寧波教区薬行街天主堂」とあるようにこの辺りは昔の薬屋外だった場所です。
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この一画だけが昔の風情を遺しているので妻に見せてあげようと思いました。
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建物を周り込んでみると「國醫堂」の扁額が掲げられた店があり、扉が開いています。中国を旅していると各地で見掛けることのある漢方薬の店のようです。
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中に入ると吹き抜けがあり、この店では太鼓橋まで架かっていました。江南の庭園を押し込めたような風情を感じます。
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その奥には障壁が置かれているので、風水についても考えられているのだと思います。その奥にはいくつかの調合室が見えています。
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「醫者仁心」の扁額は「医者の慈悲」という職業上の信念ということでしょうか。
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調剤室には壁面にたくさんの抽斗が並び、その前では漢方薬が調合されています。その前には待合スペースがあり、たくさんの人が出来上がりを待っていました。
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入口の近くにはお土産物を売るコーナーもあり、妻は絹の巾着お香を入れた匂い袋を欲しがります。後でもっと買えばよかったと言うだろうと思って2個買い求めましたが、「もっと買えばよかったね。」だそうです。
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市販用に調合された漢方薬も並んでいて、その中に「?眼明眸茶」という目に良いというものを買い求めました。中には決明子と山査と枸杞と紫芝という内容でした。家には北京の「呉裕泰」で購入した決明子がまだ残っていますが、面白いので買い求めました。1週間分で40元でしたが、枸杞の実だけでもそれくらいの値段がしそうなほどの量でした。
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続いて至近距離にある「鼓楼」の観光です。中国の城郭都市に建てられた太鼓を設置するための建物で、太鼓は時刻や緊急事態を知らせるために鳴らされました。「寧波」の鼓楼は821年の唐の長慶元年に「明州子城」の「南門」に建てられた歴史のある建物です。何度も破壊と再建をくり返しているので現存する建物は、1855年に再建されたものです。
城隍廟 城・宮殿
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「四明偉観」と「海曙楼」の2つの扁額が掲げられています。その上の近代的な煉瓦造りの時計塔との組み合わせが面白いです。時を告げる太鼓は時計に負けたのでしょうか?
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「鼓楼」の門をくぐると広い商業エリアが広がっています。ここは小吃店(軽食堂)やお菓子、雑貨、切り絵、絵画、刺繍、彫刻、楽器などを売る大小さまざまな店舗が並んでいる鼓楼歩行街です。
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メインストリートにはこんな橋が掛けられ、2階建ての建物の回廊からアクセスすることが出来ます。ここもまだ午前8時半なので店のほとんどが閉まったままです。ここでも20分のフリータイムになりますが、何を見ればよいのか分かりません。
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立派な「戯台(ぎだい)」が広場に建てられています。「戯台」はかつての社会の公共建築であり、寺院や祠堂、村落、住宅建築群にとっての重要要素でした。屋内閉鎖型(戯楼)と屋外中庭型の2種類に分けることができますがこれは後者のタイプです。こんなところで「越劇」でも観てみたいと思います。
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両側には「寧波」の伝統的な建築スタイルを模倣した店が立ち並び、小さな緑色の瓦屋根、風火馬頭壁、様々な精巧な外壁の木彫装飾が施され、寧波の伝統的な商店街の風格と歴史文化の深い感覚を備えています。梲(梲)のような風火馬頭壁は、昔は政府の役人か貴族しか馬に乗ることができなかったため、一般市民は自分の子どもが将来出世して大きな馬に乗れるようになることを願って軒先をこのようなデザインにしました。
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振り返った「コロン」の建物はバランス的にも不思議なデザインだということが感じられます。
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「古庭穿越」というタイトルのトリックアートのような壁は、清代の「慈城」(寧波近郊の鎮)の「孔子廟」の空間を融合させているようです。
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その先には「三朝同堂」というタイトルの銅像がありました。監察官邸の表に立つこの像は1つの空間に3つの時代を融合させる意味があるようです。
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2人乗りの自転車の後ろの座席はピカピカに磨かれたようになっているのはこうやって写真を撮った跡なのでしょう。明代の教師の前には清代の子供が立ち、現代の女子高校生が一緒に立っています。そして55年前の女子高校生が乱入しています。
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近くある書画や文房具を扱う店のウインドウに並んでいた団扇が気になったので店に入ってみました。英語は全く通じませんが「日本人」と「東京」くらいの中国語は離せたので伝えるととても喜んでもらえました。団扇を3つ買い求めると「ここに書を書いてこの印を押しなさい。」と印鑑を袋に入れてくれました。
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おじさんは自分のスマホを持って表に出ると2階に店のおばさんを呼んで3人の記念写真を撮りたかったようです。この時点で集合時間になっていますが、断るに断れません。
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走って「鼓楼」まで戻りましたが5分ほど遅れてしまいました。いきなりガイドさんとツアーの方々にお詫びをします。
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再びバスに乗り込んで「老外灘」に移動しました。今回小型のバスなので大型バスでは停車できない場所でバスの乗り降りをすることが出来て良かったです。
寧波外灘公園 広場・公園
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到着した「老外灘」も夜であればきれいだったのであろうと思われます。午前10時前では河岸のレストランには人影もなく閑散としています。一般的なツアーで立ち寄る場所ではないように思えます。
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「老外灘」は「余姚江」とホテルの脇を流れていた「奉化江」と「甬江」の3つの河川の合流地点である「三江口」の北岸にあります。それは、かつてイギリス領事館や浙江税関、カトリック教会、寧波郵便局、商業銀行などとして使われた建物が並び、中国の伝統的な住宅建築とは対照的な欧風の雰囲気が漂う地域です。
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「三江口」は唐代からの中国四大港湾の1つで、鑑真和上はここから日本へ向かいました。ここは寧波幇(寧波商人)発祥の地でもあり、1840年から42年のアヘン戦争の後に清国は南京条約を結び、寧波は五大通商港の1つになりました。
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開港後まもない「甬江」の北岸はイギリスやフランスなどの居留地として発展し、それが「外灘」と呼ばれました。「外灘」というと上海のBund(バンド)がよく知られていますが、寧波の「外灘」の方が上海より20年ほど古い歴史があるそうです。
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「寧波」の貿易を支えたのは「寧波幇」と呼ばれている同郷の商人集団で、通商港としての重要性を帯びたことから「甬江」沿岸一帯は寧波人の商業活動の拠点となりました。そこまでの歴史を踏まえてこの地に来ると感慨深いものがありました。
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河岸の煉瓦造りの建物の壁には壁龕が設けられ、いくつもの石像が並べられていました。表側に行ってみると「寧波美術館」だということが分かりました。
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美術館は江北区の「旧外灘本館」と鄞州区の「東銭湖分館」の2つの分館に分かれています。有名な王澍(ワン・シュウ)の設計した壊された民家に使われていた無数のレンガが外壁に貼られた建物は「東銭湖分館」なので見ることは出来ませんでした。ただこの建物も王澍(ワン・シュウ)の設計した建物のようです。
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2次元コードを読み取ってみると、ここに並べてあるのはオリジナルの陶器を模した石彫だということが分かりました。これは「金蟾(きんせん)」と呼ばれるお金が貯まる中国の縁起物の3本足のカエルです。
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この南宋時代の文人と武将像もオリジナルは別にあり、宰相であった王昊の側室で後の宰相石密遠の母である周恵の墓の前に置かれてあります。大きさも倍以上の3.5メートルもあるようです。
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西方広目天石刻のオリジナルは寧波「阿育王寺」の西塔再建時の1364年の元第4年に製作されました。左手を腰に当て、右手に戟を持ち、雲間から舞い上がる姿は強大な力と恐ろしい怒りに満ちています。唐や宋の彫刻の力強い伝統を受け継いでいるようです。「阿育王寺」は中国国内で唯一インドの「アショーカ」の名前が残っている古寺で、744年の唐の天宝3年(天平16年)に鑑真が日本に渡るときに、この寺で休息したといわれ、鎌倉時代の僧侶の重源がこの寺を訪れ、帰国後に舎利殿の再建のために日本の周防国の木材を送った事が知られています。
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徳化窯白瓷関公坐像も名前の通りオリジナルは陶器で造られた作品です。頭に頭巾を巻き、丸く広い顔に県のような眉と目をしています。長い衣をまと利、胸には鎧を付け、腰には玉帯を締め、両手を膝の上に組んで、長靴を履いています。虎皮を敷いた四角い座に正座しています。関公とは三国志演義に登場する関羽のことで、「美髯公(びぜんこう)」とも呼ばれましたが、この像には髭がありません。
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「寧波」の名は「寧静の波」を意味し、その歴史は深く文化は多彩ですが、港湾都市と呼ばれながらそんな雰囲気も「老外灘」からもあまり感じられませんでした。
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唐代には「寧波」を訪れる日本の遣唐使たちも多く、彼らは中国の先進的な文化や技術、制度を日本に持ち帰りました。特に仏教の伝播にも重要な役割を果たした都市であり、日本の僧侶たちは「寧波」で修行を積み、その教えを日本に持ち帰りました。
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次はそんな日本と中国の仏教に縁のある寺院の参拝に向かいます。「寧波」市内から高速道路に入って50分ほど離れた「天童村」に入りました。
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古い甍の村を走り抜けると寺院の塔が見えてきました。今回のツアーはまだ新しく出来たばかりで、我々で2回目の催行だということです。そのためガイドさんもドライバーさんも駐車場の位置が分からないようでした。
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ところが着いた駐車場はこんな小さな村には似つかわしくないほど巨大で奇麗に整備されています。そんな駐車場にバスは数台しか停まっていませんでした。
天童寺 寺院・教会
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広大な寺院の境内の入り口も立派で、案内図を見るとかなり離れていることが分かりました。まずはトイレに寄ってチケットを購入します。
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現在地の「旅客中心」から「天童寺」までは歩いて20分ほどの山道を歩くようですが、年寄りばかりのツアーなのでガイドさんが交渉して「観光車」に乗ることになりました。
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大人と一緒の12歳以下の子供と「老年人」と「軍人」は無料とあるので、その対象だったのかもしれません。気温はすでに35度を超えているのでこれには助かりました。
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我々はモバイルバッテリーで稼動するファン付きのベストを着ていますが、持って来て良かったと思います。
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我々8人とガイドさんだけで「観光車」は出発しました。もっとも我々以外には観光客の姿は全くありません。5分ほどで「天童寺」の参道に到着しました。
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「天童寺」は「天童禅寺」とも呼ばれ、「東南佛国」とも称される禅宗の寺院です。西暦300年の西晋の永康元年に遊行僧の義興が創建されたといわれます。
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嘉定年間になると「禅院五山十刹」の第三山に列せられ、1225年の宝慶元年には曹洞宗の第十三祖の如浄禅師が住職になります。ちょうどその頃に日本から道元が来朝しており、天童寺で修行していました。道元は帰国後に日本で曹洞宗を開いています。
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明の太祖は天下名寺を冊封し、天童禅寺を「天下禅宗五山」の第二山に列しましたが、1587年の万暦15年7月21日に大雨と洪水によりことごとく破壊され、礎石や瓦礫すら残らない有様であった伝わります。
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「七佛塔」は「内王宮池」と「外王宮池」の間にあり、宗洪之漸次によって建立されました。中央の塔は六角七層で、両脇の2つの塔は円腹構造をしています。仏塔式と漢風建築が融合し、色彩は白と朱に分かれています。「白は水を生じ、赤は火を押さえる」という諺があります。
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「万工池」は757年の唐代2年に初めて築造され、その規模の大きさから「王宮池」と名付けられました。2つの池は「双景池」と呼ばれています。
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「千仏塔」は天良寺の住職の玄懐清法師の恩に報いるために、宋代に仏法を求めに渡った銭光栄熙、仏師の千仏閣の増築を支援しました。再建された現在の塔は高さ59メートルもあります。
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道元は4歳にして漢詩「百詠」、7歳で孔子が編纂したと伝えられる「春秋左氏伝」、9歳にて「阿毘達磨倶舎論」を読んだ神童であったと云われており、世の無常を感じ14歳で天台の僧となりますがその教義に満足せず、栄西を尋ね禅宗に入ります。1223年の貞応2年に宋に渡り、「天童山」に参禅して1227年の安貞元年に帰国します。興聖寺を経て越前の「永平寺」に移ります。
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昨年2月に「永平寺」を参拝したばかりなので、道元の足跡を訪ねることが出来て感慨深いものがあります。日本との関係が深いからか案内板には日本語の解説も記されてありました。
永平寺:https://4travel.jp/travelogue/11906181 -
「天王殿」までは全員で参拝をして、その後は30分ほどのフリータイムになりました。お昼前の時間ですが、日差しは強く体感的には40度近く感じられました。寧波の7月8月の最高気温は42度くらいになるそうですが、中国では40度を超えると会社は休まなければならないため、天気予報では39度としか説明しないそうです。
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「天王殿」は明時代の1635年の崇禎8年に密雲禅師によって創建され、1936年に圓瑛禅師によって再建されました。
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「影壁(えいへき)」は中国建築様式の特色である魔除けの壁です。中国では「邪気(魔物)は直進する性質を持つ」と考えられており、道の突き当りにある家は「凶」と信じられています。そのために邪気を避けるための対処として、玄関の前に塀や垣根を作ったり、鏡を置いたりして「邪気」を跳ね返します。影壁もその1つで、入り口から直進してくる邪気を阻むためのものです。
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ジグザグに曲がった箸も中国ではよく見掛けますが、これも同じ身を持っています。80年代に流行ったサモ・ハン・キンポー監督の映画「霊幻道士(殭屍先生)」でもキョンシーは真っすぐ前にしか進めないのはこのためです。
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「天王殿」に入って本尊に参拝をします。ここで気が付きましたが、寺院の伽藍の配置が「杭州」の「霊隠寺」に似ていることに気が付きました。ガイドさんに尋ねると「霊隠寺」も五山の1つだということが分かりました。調べてみると五山とは杭州径山にある「万寿寺」、同じく太白山麓にある「霊隠寺」、西湖湖畔の南屏山の「報恩光孝寺」、寧波の阿育王山「広利寺」とここ「天童寺」と知りました。
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本尊の「弥勒菩薩」は日本で姿と違い中国では「布袋」の姿をしています。中世以降の中国では「布袋」になぞらえた太鼓腹の姿が「弥勒仏」の姿形として描かれるようになり、寺院の主要な仏堂に安置されるのが通例となりました。日本でも京都の黄檗宗大本山「萬福寺」で、三門と大雄宝殿の間に設けられた「天王殿」に四天王や韋駄天と共に安置されている布袋形の金色の弥勒菩薩を見ることができます。
黄檗山萬福寺:https://4travel.jp/travelogue/11724015 -
堂内には巨大な四天王像が安置されています。こちらの「西方広目天」は右手に龍を掴んでいますが、蛇の場合もあるそうです。日本では筆と巻物か戟という槍のような武器を持っています。
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梵名:のヴィルーパークシャはサンスクリット語で「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」さらに「千里眼」と拡大解釈され、広目と訳されました。日本では筆と巻物を持ちなにかを書き留める姿で表されます。中国では毘楼博叉と表記され、須弥山の白銀堹に住み、群龍の首とされます。
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「北方多聞天」は中国では右手に宝傘を持ち、左手には神鼠を握っています。日本では宝塔と三叉の戟が三昧(持ち物)なのでその姿は違っています。
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梵名のヴァイシュラヴァナから毘沙門天とも呼ばれ、須弥山の水晶堹に住み、宝傘で魔衆を征服し、衆生の財物を守ると言われます。日本においては「五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世」といった現世利益を授ける七福神の一柱として信仰されています。
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「東方持国天」は梵名:をドゥリタラーシュトラといい、提頭頼?とも称されます。中国の民間信仰に於いては白い顔で琵琶を持った姿で表されます。
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東方世界を護り、国王を護持することから東方持国天と呼ばれ、音楽を用いて衆生を仏教に帰依させます。
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「南方増長天」は梵名のヴィルーダカから毘楼勒叉とも呼ばれます。中国の民間信仰においては青い顔で宝剣を持った姿で表されます。
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本来はインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教の守護神として取り入れられました。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1人として南瑠璃埵に住み、衆生に善根を成長させることで仏法を護符します。
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「弥勒菩薩」の背面には黄金の「韋駄天」像が配されています。これらの配置は「無錫」の「南禅寺」とも共通しています。
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ヒンドゥー教の神スカンダが仏教に入って仏法の護法神となったもので、塞建陀天と表されます。
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増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神とされます。特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王や布袋尊とともに山門や本堂前によく祀られます。韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して「御馳走(ごちそう)」という言葉が出来ました。
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続いて石段を登ると「仏殿」が見えてきます。
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仏教では宝の三脚と呼ばれる寺院の香炉は、前脚が1つ後脚が2つの3本の脚が同じように配置されています。
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この塔型の香炉は日本に住む華僑の人が寄進したのだということが分かりました。
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「仏殿」の中央には「三世仏」が並び、中央の「釈迦牟尼」の脇侍には「阿難」と「迦葉」が立っています。「阿難」と「迦葉」は釈迦の十大弟子で、「阿難」は釈迦の侍者として常に説法を聴いていたことから「多聞第一(たもんだいいち)」と称せられ、禅宗では仏法付法蔵の第三祖であると言われます。「迦葉」は釈迦の後継の仏教第二祖とされ、釈迦の死後に初めての結集の座長を務めました。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれずに清貧の修行を行いました。
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「三世仏」は大乗仏教で崇拝されている仏様です。インド哲学によると時間と空間は混ざり合っているため、「三世仏」は縦横の分別があります。「横三世仏」は「東方薬師王仏」、「中央現在仏釈迦牟尼」、「西方阿弥陀仏」を指します。「中央現在仏釈迦牟尼」は我々が現在住む娑婆の世界を司り、本来は「大智」文殊菩薩と「大行」普賢菩薩の2人の侍従がいます。
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「東方薬師王仏」は東方の瑠璃光の世界を司り、本来は「日光普照菩薩」と「月光普照菩薩」の2人の侍従がいます。
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「西方阿弥陀仏」は西方極楽世界を司り、本来は「大勇」大勢至菩薩と「大悲」観世音菩薩の2人の侍従がいます。ちなみにもう1つの「縦三世仏」とは「過去仏燃灯古仏」、「現在仏釈迦牟尼」、「未来仏弥勒仏」を指します。
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「帝釈天」は仏教の守護神である天部、十二天の一尊で東方を守護します。天衆をひきいて阿修羅を征服し、常に使臣をつかわして天下の様子を知らしめ、万民の善行を喜び、悪行をこらしめ、大きな威徳を有する天上界の王とされます。諸天中の天帝という意味で天帝釈、天主帝釈、天帝ともいい、雷を人格化した神とされます。梵天と一対の像として表されることが多く、両者で「梵釈」とも呼びます。
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「大梵天」は仏教の天部の一尊で、仏教の世界観において最高位の1つである梵天界の主とされます 。十二天の一尊として天上を守護します。仏教の伝説では悟りを開いた直後の「釈迦」はその教えを広めることをためらいましたが、教えを広めるよう勧めたのが「梵天」とされ、この出来事は「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」と称されます。
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鐘の下に坐るのは世澤法師とありましたが、どのような人物なのかまでは分かりませんでした。
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「三世仏」の背面には「海島観音像」を中心とした世界が広がります。
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「海島観音」と脇侍の周りには「五百羅漢」でしょうか?金色小さな像が五彩の雲の立ち込める仙境の岩の上に座っています。
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「六牙白象」の上に座る「普賢菩薩」はすぐに分かりました。6本の牙を持った白い象は釈迦の母である摩耶夫人がこの象を夢に見て釈迦を懐妊したところから、釈迦の入胎を象徴します。
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獅子に乗った姿は「文殊(もんじゅ)の智恵」で知られる「文殊菩薩」です。ことわざの通り特に智恵に優れた菩薩です。周りには4人の従者の「善財童子」、「仏陀波利三蔵」、「優填王」、「大聖老人」がいるのかまでは確認できません。
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堂内の壁面には左右に9体づつの羅漢の姿がありました。合わせて18人いるので「十八羅漢」だと分かります。特徴的な長い眉は「長眉尊者」は前生には修行に失敗した老僧であり、転生後は釈迦牟尼に似た姿のために仏教に入門し、最終的に羅漢の座まで修煉したといわれます。 そのイメージは親切な老人として表現され、長い眉は世界を理解する知恵を象徴します。
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「羅漢」とは「阿羅漢」の略称で、古代インドで「尊敬に値する人」を意味するサンスクリット語を音写したことばです。
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仏教では修行を終えて悟りを開いたにもかかわらず、現世の人びとに寄り添って幸福をもたらす超人とされ、とくに中国で厚い信仰を集めました
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世にとどまって仏法を護持する16人の羅漢は(1)賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)、(2)迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)、(3)迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)、(4)蘇頻陀(そびんた)、(5)諾距羅(なくら)、(6)跋陀羅(ばっだら)、(7)迦理迦(かりか)、(8)伐闍羅弗多羅(ばざらほったら)。
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(9)戍博迦(じゅばか)、(10)半託迦(はんだか)、(11)囉怙羅(らこら)、(12)那伽犀那(ながさいな)、(13)因掲陀(いんがだ)、(14)伐那婆斯(ばなばし)、(15)阿氏多(あした)、(16)注荼半託迦(ちゅうだはんたか)をいいます。ここでは16人に2人が追加された十八羅漢が並んでいます。
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「開心尊者」は日本では「羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)」です。釈迦の妻である耶輸陀羅妃が釈迦の出家前に妊娠した子で、釈迦が出家して5年後に生まれたとされます。釈迦十大弟子の1人に数えられ、密行第一と称され十六羅漢の1人でもあります。
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「伏虎尊者」は伝説によると長い間空腹の虎に菜食の食事を与え、最終的に慈悲の力で虎を制圧したため、「伏虎羅漢」の称号を得ました。
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続いて周囲の伽藍の建物も参拝していきます。「祖師室」には禅宗の祖師三尊が祀られています。
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中央には祖師である「達磨」、その右には六祖「彗能」、左側には「百丈懐海」です。
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山腹に建てられた伽藍のだいぶ上まで上がってきました。
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この先には「蔵経楼」「法堂」が並びます。ここは扉が閉められ中に入ることは出来ないようでした。この建物は1932年の民国21年に圓瑛禅師によって修繕されました。
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1階部分の「法堂」は説法の場所で、上階の「蔵経楼」は清代の「龍蔵」が内蔵されています。
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参拝者の姿はほとんど無いことで、寺院で修業する僧侶の方々の動きが手に取るように分かります。この先まだ上まで伽藍を歩けるようですが、集合時間を考えてここまでにします。
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「仏殿」の東側には「伽藍殿」があり、中には「伽藍菩薩」が祀られてありました。伽藍神(がらんじん)、寺院を守護する神で、仏殿の隅などに数体まとまって安置されていることが多いですが、ここでは「伽藍殿」という別の建物に祀られています。像の形態は立像か腰かけた倚像(いぞう)が多く、その服装やポーズ、表情などはさまざまですが、中国風の道服を着て冠を被るものが多いとされます。
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それにしてもこれだけの巨大な伽藍でありながら参拝者の姿がほとんどありません。
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「新新堂」には千手観音菩薩が祀られ、それ以外の部屋は僧舎になっています。
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「仏殿」の売店で働いている僧侶の方と少し話をして、日本から来たと知ると喜んでくれて「地蔵菩薩本願経」という本をくださいました。地蔵菩薩を信仰することによる28種の利益と7種利益などが説かれるものですが、読み仮名がアルファベットで振ってあるので帰国したら読んでみようと思います。
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「天童寺」の参拝が終わると暑さでかなりの疲労がありました。バスに乗ると冷房が心地よく、このまま極楽浄土へ行ってしまいそうな気分です。寺から少し戻った「天童考佗飯店」という農家の家常菜を食べさせるレストランで昼食になります。
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まずは冷たいビールを2本注文します。値段はこんな田舎の店でも30元で、お金はガイドさんに支払います。まずは茄子の醤油の煮びたしのような料理が出てきました。新鮮な野菜なのでシンプルな料理でも美味しいです。
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大きな唐辛子とニンニクを炒めた料理も辛すぎずに醤油が染みて美味しいです。
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「寧波」が近いので新鮮なアサリの醤油蒸しも出てきました。見た目の通りでとても美味しいです。砂を全く噛んでいないのも嬉しいです。
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茄子と八つ頭のような芋の似た料理も初めて食べたのに懐かしい味を感じます。
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新鮮なエビを蒸しただけの料理もほんのり生姜が効いていてとても美味しいです。添えられた醤油の味も良く、この先の江南の古鎮で醤油を買いたくなります。
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豚バラ肉と隠元豆を炒めた料理もご飯が進みます。隠元豆も元々は中国から日本に渡った野菜です。1654年の江戸時代に明からの帰化僧である隠元隆琦が日本に持ち込んだとされることからこの名がついたことを思い出しながら頂きます。
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タケノコやキノコと骨付きの鶏肉の入ったスープも薄味ですが、出汁がよく出ていて体がほっこりします。
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スライスした餅と玉ねぎと白菜炒めも初めて食べる料理でしたが、日本人の口によく合います。
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ほとんど東坡肉のような料理です。皮付きの豚のばら肉を一度揚げるか茹でるかして余分な油を取り、醤油と酒と砂糖で煮含めた料理です。
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そして生姜と一緒に蒸し上げた川魚の料理も出ました。昔は泥臭くて日本人が食べなかったのですが、最近は魚の状態も良くなって味は良いのですが、小骨が多いので我が家はあまり箸が進みません。
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久し振りにラッピングされた食器を見ました。最初に見たのは20年ほど前の桂林でした。その頃は出された食器や箸はお湯かお茶で一度洗うのが当たり前の時代でした。その後、こうやって店では洗わずに交渉で洗浄されたものがラッピングされて店に貸し出されるようになりました。満腹になったところでバスに乗り込んで、午後の観光の「紹興」に向かいます。
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