南京旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「揚州」で宿泊した翌朝は、前の日のマッサージの効果もあってとても体が軽いです。午前7時に朝食を食べに1階に降りると夏休みのゼミ旅行の学生でレストランはとても混んでいました。さらに食事のメニューも品数が少なく、ちょっと物足りない感じです。ツアーの方たちからは「コーヒーが一番おいしい。」なんて声が上がっていました。午前8時にいつものように出発し、この日は「南京」まで1時間30分ほどの移動から始まります。今回のツアーでは「南京博物館」と「明孝陵」が入っていないのは残念でしたが仕方ありません。まずは「中山陵」に参拝です。陵墓までは入り口から離れているので、電動カートに乗ろうという話になったのですが、おひとりが歩きたいということで見るものも無い林の中を延々と歩いて往復することになりました。たった10元、200円のことなのですが。巨大な「中山陵」の入り口の「牌楼」の前で簡単な説明を受けて1時間ほどのフリータイムになります。「南京」という土地柄、日本語での案内は控えた方が良いようです。孫文(孫中山)についてはいくつかの映画を観たり、多少学んだこともありました。広州の「中山紀念堂」やマレーシアのペナン島でも足跡を訪ねたことがありました。なので今回ここへ来ることは個人的には意味のあることでした。それにしてもこの日は40度を超えているのではないかと思えるほどの暑さでした。「中山陵」からは「南京城墻(明城墻)」の城壁の脇を走りながら「大報恩寺」の近くの駐車場でバスを降ります。現代的な「大報恩寺」には地下に巨大なレストランがあり、そこで遅めの昼食になります。食後は「夫子廟景区」に移動してフリータイムになります。「夫子廟(ふうしびょう)」は子牛を祀った廟ですがそれほど古いものでもなさそうで、「曲阜」にも訪ねたことがあるので街歩きをすることにしました。これまでの街歩きに比べると食べ物の店が多く、名物の鴨料理も買うことが出来ません。1軒のアクセサリー店で面白そうなものを買うにとどまりました。これで「南京」の観光は終わりで「無錫」に向かいます。途中で長江を渡る橋を見るという車窓観光があったのですが、「無錫」で行く予定の「南禅寺」が閉まってしまうので翌日に繰り越し、余裕が出来た時間で「金川河水文化長廊」へ立ち寄ることになりました。河岸から長江の流れと上を渡る巨大な橋を見上げました。2重構造になった橋は上の段を車が走り、下の段には鉄道が走っています。何度か列車の通過を見ることも出来ました。「南京」からはここまで来た高速道路を戻るようなルートになります。

クラブツーリズム 珠玉の13都市を巡る奥江南大周遊8日間(9)南京の中山陵を参拝し、貢院街をぶらついて金川河水文化長廊で長江を望む。

6いいね!

2025/07/18 - 2025/07/18

128位(同エリア288件中)

旅行記グループ 2025江南8日間

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kojikoji

kojikojiさん

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「揚州」で宿泊した翌朝は、前の日のマッサージの効果もあってとても体が軽いです。午前7時に朝食を食べに1階に降りると夏休みのゼミ旅行の学生でレストランはとても混んでいました。さらに食事のメニューも品数が少なく、ちょっと物足りない感じです。ツアーの方たちからは「コーヒーが一番おいしい。」なんて声が上がっていました。午前8時にいつものように出発し、この日は「南京」まで1時間30分ほどの移動から始まります。今回のツアーでは「南京博物館」と「明孝陵」が入っていないのは残念でしたが仕方ありません。まずは「中山陵」に参拝です。陵墓までは入り口から離れているので、電動カートに乗ろうという話になったのですが、おひとりが歩きたいということで見るものも無い林の中を延々と歩いて往復することになりました。たった10元、200円のことなのですが。巨大な「中山陵」の入り口の「牌楼」の前で簡単な説明を受けて1時間ほどのフリータイムになります。「南京」という土地柄、日本語での案内は控えた方が良いようです。孫文(孫中山)についてはいくつかの映画を観たり、多少学んだこともありました。広州の「中山紀念堂」やマレーシアのペナン島でも足跡を訪ねたことがありました。なので今回ここへ来ることは個人的には意味のあることでした。それにしてもこの日は40度を超えているのではないかと思えるほどの暑さでした。「中山陵」からは「南京城墻(明城墻)」の城壁の脇を走りながら「大報恩寺」の近くの駐車場でバスを降ります。現代的な「大報恩寺」には地下に巨大なレストランがあり、そこで遅めの昼食になります。食後は「夫子廟景区」に移動してフリータイムになります。「夫子廟(ふうしびょう)」は子牛を祀った廟ですがそれほど古いものでもなさそうで、「曲阜」にも訪ねたことがあるので街歩きをすることにしました。これまでの街歩きに比べると食べ物の店が多く、名物の鴨料理も買うことが出来ません。1軒のアクセサリー店で面白そうなものを買うにとどまりました。これで「南京」の観光は終わりで「無錫」に向かいます。途中で長江を渡る橋を見るという車窓観光があったのですが、「無錫」で行く予定の「南禅寺」が閉まってしまうので翌日に繰り越し、余裕が出来た時間で「金川河水文化長廊」へ立ち寄ることになりました。河岸から長江の流れと上を渡る巨大な橋を見上げました。2重構造になった橋は上の段を車が走り、下の段には鉄道が走っています。何度か列車の通過を見ることも出来ました。「南京」からはここまで来た高速道路を戻るようなルートになります。

旅行の満足度
4.0
観光
3.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
観光バス タクシー 徒歩
航空会社
中国東方航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 午前7時に朝食を食べに1階に降りると夏休みのゼミ旅行の学生でレストランはとても混んでいました。奥の部屋が空いていたので席を確保して料理を取りに行きます。

    午前7時に朝食を食べに1階に降りると夏休みのゼミ旅行の学生でレストランはとても混んでいました。奥の部屋が空いていたので席を確保して料理を取りに行きます。

  • 山芋をふかしただけの物やキュウリを唐辛子で炒めたものなどシンプル過ぎる料理が並んでいます。

    山芋をふかしただけの物やキュウリを唐辛子で炒めたものなどシンプル過ぎる料理が並んでいます。

  • それでも「揚州」なので炒飯があると嬉しいです。

    それでも「揚州」なので炒飯があると嬉しいです。

  • 2晩連続のマッサージで体は軽いですが、8日のツアーを半分過ぎたところで連日の酷暑で疲れ気味です。

    2晩連続のマッサージで体は軽いですが、8日のツアーを半分過ぎたところで連日の酷暑で疲れ気味です。

  • カウンターで作ってくれるシンプルな麵は自分で好みの味付けに整えます。

    カウンターで作ってくれるシンプルな麵は自分で好みの味付けに整えます。

  • 大好きな「豆腐干絲」も並んでいました。豆乳ににがりを入れて混ぜた豆腐花をプレスし、成形した豆腐干を麺のように細切りにしたものです。

    大好きな「豆腐干絲」も並んでいました。豆乳ににがりを入れて混ぜた豆腐花をプレスし、成形した豆腐干を麺のように細切りにしたものです。

  • 今回宿泊したホテルの中では一番シンプルな朝食でした。

    今回宿泊したホテルの中では一番シンプルな朝食でした。

  • ここまでコーヒーの置いていないレストランもあったのですが、ツアーの方の中には「コーヒーが一番おいしかった。」とおっしゃる人もいました。

    ここまでコーヒーの置いていないレストランもあったのですが、ツアーの方の中には「コーヒーが一番おいしかった。」とおっしゃる人もいました。

  • お菓子は充実していて、「小米山薬八珍」という米粉や山芋やサンザシなどを入れた蒸しケーキのようなものも並んでいます。これは日本でもネットで買うことが出来ます。

    お菓子は充実していて、「小米山薬八珍」という米粉や山芋やサンザシなどを入れた蒸しケーキのようなものも並んでいます。これは日本でもネットで買うことが出来ます。

  • 「麻薯面包」は中が空洞になっていて、外側はさくさく中は柔らかい口当りでとてもおいしいです。コーヒーと一緒にいくつかいただきました。

    「麻薯面包」は中が空洞になっていて、外側はさくさく中は柔らかい口当りでとてもおいしいです。コーヒーと一緒にいくつかいただきました。

  • ツアー5日目も午前8時にホテルを出発して「南京」を目指します。まずは1時間30分の移動です。

    ツアー5日目も午前8時にホテルを出発して「南京」を目指します。まずは1時間30分の移動です。

    揚州汽車客運東站 バス系

  • 中国各地を車で走っていると不思議なデザインのビルを見掛けることがあります。と手銭洗われては消えていくので、高速道路を走っていても車窓の景色は見逃せません。

    中国各地を車で走っていると不思議なデザインのビルを見掛けることがあります。と手銭洗われては消えていくので、高速道路を走っていても車窓の景色は見逃せません。

  • 今回のツアーで「南京」は一番西になり、この後は「上海」に向かって戻ることになります。

    今回のツアーで「南京」は一番西になり、この後は「上海」に向かって戻ることになります。

  • 1時間を過ぎた辺りで長江を渡りました。陸路の交通がまだ発達していなかったころは、長江が「重慶」と中国東部や海を結ぶもっとも重要なルートでした。しかし1950年代に道路や鉄道が急速に発展する一方、長江上流の船舶の航行能力には限界があったため、長江の「重慶」地区の水運はいったんさびれてしまいます。

    1時間を過ぎた辺りで長江を渡りました。陸路の交通がまだ発達していなかったころは、長江が「重慶」と中国東部や海を結ぶもっとも重要なルートでした。しかし1950年代に道路や鉄道が急速に発展する一方、長江上流の船舶の航行能力には限界があったため、長江の「重慶」地区の水運はいったんさびれてしまいます。

  • 三峡ダムが完成すると上流の水位が上がるとともに川幅が広がり、大型船が航行できるようになります。それに伴い下流の水運も再び活気が戻ったようです。<br />

    三峡ダムが完成すると上流の水位が上がるとともに川幅が広がり、大型船が航行できるようになります。それに伴い下流の水運も再び活気が戻ったようです。

  • 「南京」の町に着きました。午前中は「中山陵」の見学になります。今回のツアーでは「南京博物館」と「明孝陵」が入っていないのは残念でしたが仕方ありません。

    「南京」の町に着きました。午前中は「中山陵」の見学になります。今回のツアーでは「南京博物館」と「明孝陵」が入っていないのは残念でしたが仕方ありません。

  • 「中山陵」周辺はとても混雑していていましたが何とか駐車場でバスを降ります。ここからは林の中を20分ほど歩いて陵墓の入り口まで進むのですが、電動カートがあるので乗りたいという声が上がります。ところが1人の方が歩きたいということで諦めなければなりませんでした。

    「中山陵」周辺はとても混雑していていましたが何とか駐車場でバスを降ります。ここからは林の中を20分ほど歩いて陵墓の入り口まで進むのですが、電動カートがあるので乗りたいという声が上がります。ところが1人の方が歩きたいということで諦めなければなりませんでした。

    中山陵 史跡・遺跡

  • 何しろ朝から35度を超えているので無駄な体力は使いたくありませんでした。片道だけでもと提案しましたがダメでした。ちなみに片道の乗車料金は10元でした。「中山陵」の入場は無料ですが、事前に予約が必要でパスポートも必須です。

    何しろ朝から35度を超えているので無駄な体力は使いたくありませんでした。片道だけでもと提案しましたがダメでした。ちなみに片道の乗車料金は10元でした。「中山陵」の入場は無料ですが、事前に予約が必要でパスポートも必須です。

  • 「博愛坊」まで来てガイドさんから簡単な孫文についての説明があり、その後は1時間ちょっとのフリータイムになります。南京ということもあって、日本語で説明を行わない方がよいだろうということでした。最近「南京照相館」という映画が公開されたこともあるようです。

    「博愛坊」まで来てガイドさんから簡単な孫文についての説明があり、その後は1時間ちょっとのフリータイムになります。南京ということもあって、日本語で説明を行わない方がよいだろうということでした。最近「南京照相館」という映画が公開されたこともあるようです。

  • ガイドさんによると「博愛坊」の柱は別の場所で造られたものをここで組み立てたそうです。1本の長さを間違えてしまったようで、一番上で接いでありました。完璧なものは完成したところから崩壊が始まるというので、わざと未完成にしたくらいに説明すればいいのにと思いました。

    ガイドさんによると「博愛坊」の柱は別の場所で造られたものをここで組み立てたそうです。1本の長さを間違えてしまったようで、一番上で接いでありました。完璧なものは完成したところから崩壊が始まるというので、わざと未完成にしたくらいに説明すればいいのにと思いました。

  • 参道を歩いていると中国の人がちゃんと右側通行で並んで歩いていることに違和感を覚えました。よく考えたら右側が日影になっているだけでした。南に向いて一直線に並んだ参道を進みます。

    参道を歩いていると中国の人がちゃんと右側通行で並んで歩いていることに違和感を覚えました。よく考えたら右側が日影になっているだけでした。南に向いて一直線に並んだ参道を進みます。

  • ここから先を「墓道」と呼びます。孫文の墓である「中山陵」は1926年から1929年にかけて建設され、100年近い歴史を持っています。

    ここから先を「墓道」と呼びます。孫文の墓である「中山陵」は1926年から1929年にかけて建設され、100年近い歴史を持っています。

  • 昔だったら半分くらいの男性が上半身裸になりそうなものですが、そんな人は1人もいなく、日傘もすっかりポピュラーなアイテムになっています。

    昔だったら半分くらいの男性が上半身裸になりそうなものですが、そんな人は1人もいなく、日傘もすっかりポピュラーなアイテムになっています。

  • そんな中国でもファン付きのベストを着ている人の姿はなく、どこへ行っても驚かれました。声を掛けられた時は「これは中国製だよ。」と答えておきました。外気温が体温より低いと良いのですが、周りが39度くらいだとあまり効果は無かったですが、機内よりはマシでした。

    そんな中国でもファン付きのベストを着ている人の姿はなく、どこへ行っても驚かれました。声を掛けられた時は「これは中国製だよ。」と答えておきました。外気温が体温より低いと良いのですが、周りが39度くらいだとあまり効果は無かったですが、機内よりはマシでした。

  • 墓道の先に見えるのが「陵門」です。「天下為公」の金文字が彫られています。「天下為公=天下は権力者の私物ではなく、公の為のものである」と主張した孫文の思想を表した言葉です。<br /><br /><br />

    墓道の先に見えるのが「陵門」です。「天下為公」の金文字が彫られています。「天下為公=天下は権力者の私物ではなく、公の為のものである」と主張した孫文の思想を表した言葉です。


  • 陵の門は全て福建省の花崗岩で建てられ、屋根は単層庇で、その上に青色の瑠璃瓦で覆われて、3つのアーチ門にそれぞれ彫刻した銅の双扉を取り付けており、真ん中の扉上方の横額に孫中山の筆跡「天下為公」を刻んでいる。と説明文がありました。

    陵の門は全て福建省の花崗岩で建てられ、屋根は単層庇で、その上に青色の瑠璃瓦で覆われて、3つのアーチ門にそれぞれ彫刻した銅の双扉を取り付けており、真ん中の扉上方の横額に孫中山の筆跡「天下為公」を刻んでいる。と説明文がありました。

  • その先には「牌楼」があります。「牌楼」の名の通り中には巨大な石碑が建てられています。

    その先には「牌楼」があります。「牌楼」の名の通り中には巨大な石碑が建てられています。

  • 中国の皇帝陵の場合は石碑は贔屓が背中に背負っていますが、この「中山陵」は中国建築と西洋建築が融合されていることもあり、贔屓の姿はありませんでした。竜生九子の中の1つの贔屓は重たいものを背負うことを好むといい、贔屓を牽くと背中の碑が倒れることから贔屓の引き倒しという言葉が生まれました。

    中国の皇帝陵の場合は石碑は贔屓が背中に背負っていますが、この「中山陵」は中国建築と西洋建築が融合されていることもあり、贔屓の姿はありませんでした。竜生九子の中の1つの贔屓は重たいものを背負うことを好むといい、贔屓を牽くと背中の碑が倒れることから贔屓の引き倒しという言葉が生まれました。

  • 碑には南に面して金文字が彫られていますが、裏面には文字1つ書かれていません。

    碑には南に面して金文字が彫られていますが、裏面には文字1つ書かれていません。

  • 「牌楼」から先のこの石段は392段あり、建設当時の中国の人口3億9千200万人にちなんでいるそうです。高低差は72メートルあるそうです。

    「牌楼」から先のこの石段は392段あり、建設当時の中国の人口3億9千200万人にちなんでいるそうです。高低差は72メートルあるそうです。

  • ここでふと我に返り、後ろを歩いていた妻の姿を探します。いくら後ろを見てもその姿を見つけることが出来ません。

    ここでふと我に返り、後ろを歩いていた妻の姿を探します。いくら後ろを見てもその姿を見つけることが出来ません。

  • ところが階段に向いて日影の辺りを探してみると前を歩いていました。これにはビックリしました。

    ところが階段に向いて日影の辺りを探してみると前を歩いていました。これにはビックリしました。

  • 「祭堂」に向かってラストスパートです。3つのアーチの上に「民族」「民権」「民生」の金文字が刻まれています。孫文の指導理念である「三民主義」を表す言葉です。孫文は民族主義、民権主義、民生主義の3つを柱に異国に侵食されて弱体化していた清朝末期の中国を救おうと主張しました。

    「祭堂」に向かってラストスパートです。3つのアーチの上に「民族」「民権」「民生」の金文字が刻まれています。孫文の指導理念である「三民主義」を表す言葉です。孫文は民族主義、民権主義、民生主義の3つを柱に異国に侵食されて弱体化していた清朝末期の中国を救おうと主張しました。

  • ようやく「祭堂」の前にたどり着きました。これより先に登るところはありません。真っすぐ中に入れるのかと思いましたが、右側には参拝する人の長い列が出来ていました。

    ようやく「祭堂」の前にたどり着きました。これより先に登るところはありません。真っすぐ中に入れるのかと思いましたが、右側には参拝する人の長い列が出来ていました。

  • 中には孫文の漢白玉像が安置されています。孫文の棺はこの「祭堂」の下に安置されているようです。内部の壁には孫文が書いた「建国大綱」の全文が刻まれています。<br />観光客は「祭堂」に入るために行列に並び、この孫文像の周りをぐるっと回って左側から外に出てきます。

    中には孫文の漢白玉像が安置されています。孫文の棺はこの「祭堂」の下に安置されているようです。内部の壁には孫文が書いた「建国大綱」の全文が刻まれています。
    観光客は「祭堂」に入るために行列に並び、この孫文像の周りをぐるっと回って左側から外に出てきます。

  • 右手の列に並ぶと孫文の生涯についての写真パネルと説明文、この陵墓の建設飼料などが展示してあり、並んでいても飽きないようになっています。孫文は「中国革命の父」として、中華民国では中国最初の共和制の創始者として長らく国父と呼ばれ、近年は中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」の「国父」として、再評価が進んでいるようです。

    右手の列に並ぶと孫文の生涯についての写真パネルと説明文、この陵墓の建設飼料などが展示してあり、並んでいても飽きないようになっています。孫文は「中国革命の父」として、中華民国では中国最初の共和制の創始者として長らく国父と呼ばれ、近年は中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」の「国父」として、再評価が進んでいるようです。

  • 中国語圏では孫文という呼び方よりも日本名の中山 樵(なかやまきこり)をとった孫 中山(そんちゅうざん)の名称が一般的なようです。孫文は日本亡命時代には東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期がり、公園の界隈に「中山」という邸宅がありました。孫文はその門の表札の字が気に入り、日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていました。

    中国語圏では孫文という呼び方よりも日本名の中山 樵(なかやまきこり)をとった孫 中山(そんちゅうざん)の名称が一般的なようです。孫文は日本亡命時代には東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期がり、公園の界隈に「中山」という邸宅がありました。孫文はその門の表札の字が気に入り、日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていました。

  • 「中山陵」は著名な建築家である呂彦直によって設計され、中西建築の美学が見事に融合されています。厳格で荘厳なレイアウトにより、圧倒的な美しさを誇っています。主要な建築物として、「陵門」「陵道」「中山記念堂」などが挙げられます。

    「中山陵」は著名な建築家である呂彦直によって設計され、中西建築の美学が見事に融合されています。厳格で荘厳なレイアウトにより、圧倒的な美しさを誇っています。主要な建築物として、「陵門」「陵道」「中山記念堂」などが挙げられます。

  • 陵墓は伝統的な中国の様式を取り入れたデザインを採用していますが、敵院コンクリートや腎臓隻、モザイクやアスファルトなど西洋の材料と建設技術を採用し、外観との融合を図っています。

    陵墓は伝統的な中国の様式を取り入れたデザインを採用していますが、敵院コンクリートや腎臓隻、モザイクやアスファルトなど西洋の材料と建設技術を採用し、外観との融合を図っています。

  • 今回は「中山陵」を参拝していますが、個人的には隣にある「明孝陵」へ行きたかったというのが本音です。明の太祖の洪武帝朱元璋と后妃の陵墓ですが、この陵墓は蒋山寺と呼ばれていた霊谷寺を移転し、その地に造営されました。「国父」とはいえ古代中国の皇帝の陵墓の隣に設けるとはすごいことだと思います。

    今回は「中山陵」を参拝していますが、個人的には隣にある「明孝陵」へ行きたかったというのが本音です。明の太祖の洪武帝朱元璋と后妃の陵墓ですが、この陵墓は蒋山寺と呼ばれていた霊谷寺を移転し、その地に造営されました。「国父」とはいえ古代中国の皇帝の陵墓の隣に設けるとはすごいことだと思います。

  • 「博愛坊」という名称が正式化と思いましたが。「牌坊」という古代からの名称が正式でした。

    「博愛坊」という名称が正式化と思いましたが。「牌坊」という古代からの名称が正式でした。

  • 青い瑠璃瓦のディティールについての説明もありました。皇帝廟にあるような軒先の「走獣」もここでは単純なデザインに変えられています。

    青い瑠璃瓦のディティールについての説明もありました。皇帝廟にあるような軒先の「走獣」もここでは単純なデザインに変えられています。

  • 孫文の揮毫した文字はこの陵墓の中に取り入れられています。

    孫文の揮毫した文字はこの陵墓の中に取り入れられています。

  • 陵墓を参拝した毛沢東や鄧小平の姿がありました。習近平も参拝していると思うのですが、写真は飾られていませんでした。

    陵墓を参拝した毛沢東や鄧小平の姿がありました。習近平も参拝していると思うのですが、写真は飾られていませんでした。

  • 参拝はここまでです。孫文の足跡としてはマレーシアのペナン島などでいくつか見学に行ったことがありました。その当時は「南京」まで来て陵墓に参拝するとは思いませんでした。

    参拝はここまでです。孫文の足跡としてはマレーシアのペナン島などでいくつか見学に行ったことがありました。その当時は「南京」まで来て陵墓に参拝するとは思いませんでした。

  • 全く日影なの帷石段を同じように下りるしか方法はありません。

    全く日影なの帷石段を同じように下りるしか方法はありません。

  • 階段の踊り場ではいまだにカメラマンが記念写真の撮影をする商売が成り立っていました。もちろんデジタル化しているので別のテントではプリントアウトの作業もしていました。まだこんな商売が成り立つのですね。昔は「上海」の外灘でもたくさんのカメラマンが古いカメラを首から下げて商売していました。

    階段の踊り場ではいまだにカメラマンが記念写真の撮影をする商売が成り立っていました。もちろんデジタル化しているので別のテントではプリントアウトの作業もしていました。まだこんな商売が成り立つのですね。昔は「上海」の外灘でもたくさんのカメラマンが古いカメラを首から下げて商売していました。

  • 暑い中ご苦労様でした。これだけ汗を書けば2キロぐらい体重が落ちているだろうと思っていましたが、帰国して体重を量ったら1キロ増えていました。

    暑い中ご苦労様でした。これだけ汗を書けば2キロぐらい体重が落ちているだろうと思っていましたが、帰国して体重を量ったら1キロ増えていました。

  • 子供にとっては「中山陵」もただの遊び場のようです。

    子供にとっては「中山陵」もただの遊び場のようです。

  • 階段の途中には孫文のボディガードだった人の家が左右に2軒ありました。片方は使われていませんが、片方はお土産物屋になっていました。店の奥にスタンプが15種類ほど置かれてありました。ちょうどメモ帳があったので押すことにしました。社会科見学の女の子もいて、彼女は並べられた左から順に押して、こちらは右から押し始めました。

    階段の途中には孫文のボディガードだった人の家が左右に2軒ありました。片方は使われていませんが、片方はお土産物屋になっていました。店の奥にスタンプが15種類ほど置かれてありました。ちょうどメモ帳があったので押すことにしました。社会科見学の女の子もいて、彼女は並べられた左から順に押して、こちらは右から押し始めました。

  • 途中でスタンプがクロスするのですが、彼女は自分が押したスタンプを手渡してくれました。「謝謝!」というと「不謝!」、こちらのスタンプを渡すと「謝謝!」。途中からはそんな言葉のやり取りでした。英語で話しかけたいとも思いましたが、歴史的にも複雑な場所でもあるのでそのまお別れしました。

    途中でスタンプがクロスするのですが、彼女は自分が押したスタンプを手渡してくれました。「謝謝!」というと「不謝!」、こちらのスタンプを渡すと「謝謝!」。途中からはそんな言葉のやり取りでした。英語で話しかけたいとも思いましたが、歴史的にも複雑な場所でもあるのでそのまお別れしました。

  • ようやく最初の「博愛坊」に生還しました。再集合した後は往路と同じ林の中を20分以上歩いて駐車場に戻りました。午後の「夫子廟」には行かなくていいので、「明孝陵」に変更して欲しい!

    ようやく最初の「博愛坊」に生還しました。再集合した後は往路と同じ林の中を20分以上歩いて駐車場に戻りました。午後の「夫子廟」には行かなくていいので、「明孝陵」に変更して欲しい!

  • バスの中で涼みながら「南京」の市内に向かいます。

    バスの中で涼みながら「南京」の市内に向かいます。

  • 車窓からは「南京城墻(明城墻)」が見えてきました。「明城牆」は世界で最も長く、規模が最大級で完全なまま保存された古代の城壁であり、現在では25.1キロ保存されています。「明城牆」は1366年に建てられて1393年に竣工し、28万人の出稼ぎ農民と約3.5億個のレンガで「?城」「皇城(皇居)」「京城(都)」「城廓外部」の四重の城壁を建てました。

    車窓からは「南京城墻(明城墻)」が見えてきました。「明城牆」は世界で最も長く、規模が最大級で完全なまま保存された古代の城壁であり、現在では25.1キロ保存されています。「明城牆」は1366年に建てられて1393年に竣工し、28万人の出稼ぎ農民と約3.5億個のレンガで「?城」「皇城(皇居)」「京城(都)」「城廓外部」の四重の城壁を建てました。

    南京城壁 (明城壁) 史跡・遺跡

  • やはり「南京」へはもう一度来ないとならないような気になってきます。ただ、国内旅行ブームとアプリによる事前予約、タクシーアプリなどを考えると事前準備が必要だとも感じます。

    やはり「南京」へはもう一度来ないとならないような気になってきます。ただ、国内旅行ブームとアプリによる事前予約、タクシーアプリなどを考えると事前準備が必要だとも感じます。

  • 「大報恩寺」近くの駐車場でバスを降りて寺院に向かいます。目的はここではなく、敷地内にあるレストランのようです。これまで参拝してきた寺院とは違った現代的な造りに驚きます。

    「大報恩寺」近くの駐車場でバスを降りて寺院に向かいます。目的はここではなく、敷地内にあるレストランのようです。これまで参拝してきた寺院とは違った現代的な造りに驚きます。

  • こんなSNS映えするものもありました。暑いところが嫌いな妻はどんどん先へ行ってしまいました。

    こんなSNS映えするものもありました。暑いところが嫌いな妻はどんどん先へ行ってしまいました。

  • 地下にある「大報恩寺餐庁」というレストランに入りました。まずは冷たいビールを注文します。料理はどんどんと出来立ての物が運ばれてきます。パンフレットによると南京郷土料理ということです。

    地下にある「大報恩寺餐庁」というレストランに入りました。まずは冷たいビールを注文します。料理はどんどんと出来立ての物が運ばれてきます。パンフレットによると南京郷土料理ということです。

  • 青菜炒めに続いて豚肉と大根を煮込んだ料理です。さっぱりしながら味が浸み込んだ大根が美味しいです。

    青菜炒めに続いて豚肉と大根を煮込んだ料理です。さっぱりしながら味が浸み込んだ大根が美味しいです。

  • 鶏の細切り肉を揚げた唐揚げは日本人の好みに合わせたのでしょうか。

    鶏の細切り肉を揚げた唐揚げは日本人の好みに合わせたのでしょうか。

  • 南京の名物料理「塩水鴨」です。これは説明が無いので手を付ける人が少なかったです。骨付き肉はあまり人気が無いようです。

    南京の名物料理「塩水鴨」です。これは説明が無いので手を付ける人が少なかったです。骨付き肉はあまり人気が無いようです。

  • 醤油ソースの掛かった茶碗蒸しは優しい味です。子供の頃は風邪をひくと母が丼で茶碗蒸しを作ってくれました。

    醤油ソースの掛かった茶碗蒸しは優しい味です。子供の頃は風邪をひくと母が丼で茶碗蒸しを作ってくれました。

  • モヤシと厚揚げの煮込みは中華料理っぽくないです。これも日本人向けの料理のようです。

    モヤシと厚揚げの煮込みは中華料理っぽくないです。これも日本人向けの料理のようです。

  • カリカリに揚げた川エビとポリンキーみたいなポテトの揚げたものはビールによく合います。

    カリカリに揚げた川エビとポリンキーみたいなポテトの揚げたものはビールによく合います。

  • ジャガイモと豚肉の煮込み料理。周りには分厚いポテトチップのようなものが並べられています。

    ジャガイモと豚肉の煮込み料理。周りには分厚いポテトチップのようなものが並べられています。

  • 豚肉とモヤシの煮込みは濃厚な辛味でご飯によく合いました。

    豚肉とモヤシの煮込みは濃厚な辛味でご飯によく合いました。

  • 辛そうな魚料理は手を出さなかったので味は分かりません。今回の旅は呉の国と越の国を訪ねていますが、料理は大きく違いが無いように感じました。こういうのも「呉越同舟」

    辛そうな魚料理は手を出さなかったので味は分かりません。今回の旅は呉の国と越の国を訪ねていますが、料理は大きく違いが無いように感じました。こういうのも「呉越同舟」

  • 食事の後は「夫子廟」のある「貢院街」に移動します。ロータリーでバスを降りた後は40分ほどのフリータイムになります。

    食事の後は「夫子廟」のある「貢院街」に移動します。ロータリーでバスを降りた後は40分ほどのフリータイムになります。

  • 「牌楼」から先は「南京」でも有数の繁華街だそうで、ガイドさんは「南京の浅草」と呼んでいます。ここまでも清河坊は「杭州の浅草」でしたし、この後も「無錫の浅草」に「上海の浅草」もありました。

    「牌楼」から先は「南京」でも有数の繁華街だそうで、ガイドさんは「南京の浅草」と呼んでいます。ここまでも清河坊は「杭州の浅草」でしたし、この後も「無錫の浅草」に「上海の浅草」もありました。

  • 「秦淮河」には船溜まりがありますが、40分の自由時間では乗っている暇はありません。

    「秦淮河」には船溜まりがありますが、40分の自由時間では乗っている暇はありません。

  • 対岸には巨大な龍のレリーフが見えました。夜になるとこの龍がイルミネーションで輝くそうなので見てみたい気もします。

    対岸には巨大な龍のレリーフが見えました。夜になるとこの龍がイルミネーションで輝くそうなので見てみたい気もします。

  • こんな亭もキャラクターのショップになっています。

    こんな亭もキャラクターのショップになっています。

  • 「夫子廟(ふうしびょう)」の前まで来ました。同じツアーのメンバー数人の方が中に入るとのことでしたが我が家はパスします。

    「夫子廟(ふうしびょう)」の前まで来ました。同じツアーのメンバー数人の方が中に入るとのことでしたが我が家はパスします。

    夫子廟 文化・芸術・歴史

  • 山東省の「曲阜」にある三孔と呼ばれる「孔府」「孔廟」「孔林」に行っているのであえてここで参拝しなくても良いなと思いました。

    山東省の「曲阜」にある三孔と呼ばれる「孔府」「孔廟」「孔林」に行っているのであえてここで参拝しなくても良いなと思いました。

  • 奥にある「大成殿」は「夫子廟」の主要建築物で、孔子を祀る場所のようです。殿内には中国最大の孔子の肖像画「孔子行教図」が陳列されているようです。

    奥にある「大成殿」は「夫子廟」の主要建築物で、孔子を祀る場所のようです。殿内には中国最大の孔子の肖像画「孔子行教図」が陳列されているようです。

  • 「貢院街」には塩水鴨などを売る老舗店舗以外にも観光施設はいろいろあるようです。時間が無いのもそうですが、入場料50元では入れませんね。

    「貢院街」には塩水鴨などを売る老舗店舗以外にも観光施設はいろいろあるようです。時間が無いのもそうですが、入場料50元では入れませんね。

  • 「文源橋」の上から「秦淮河」の流れを眺めて戻ることにします。

    「文源橋」の上から「秦淮河」の流れを眺めて戻ることにします。

  • 正直個々の観光が必要なのかは分かりませんでした。来るとしても夜ならもっと楽しめたと思います。

    正直個々の観光が必要なのかは分かりませんでした。来るとしても夜ならもっと楽しめたと思います。

  • そう言いながら妻の興味はこの後に行く「無錫」や「太湖」に移っていて、淡水真珠などを見たいようです。センスの良い「留恋」という店があったので覗いてみます。

    そう言いながら妻の興味はこの後に行く「無錫」や「太湖」に移っていて、淡水真珠などを見たいようです。センスの良い「留恋」という店があったので覗いてみます。

  • 「BEARBRICK(ベアベリック)」を思わせるようなキラキラのキーホルダーがあったので1個買ってみました。

    「BEARBRICK(ベアベリック)」を思わせるようなキラキラのキーホルダーがあったので1個買ってみました。

  • フリータイムが1時間あったら近くにある「瞻園」という庭園に行きたかったのですが。南京で唯一保存状態がよく一般公開される明代の王府で、600年余の歴史を持ち、明太祖朱元璋が皇帝に即位して建国第一功臣の中山王徐達のために建造した邸宅です。清の乾隆帝が南巡の際にここに泊まったことがあり、「金陵第一園」と言われます。入り口門の扁額の「瞻園」という2字は乾隆帝の親筆だそうです。

    フリータイムが1時間あったら近くにある「瞻園」という庭園に行きたかったのですが。南京で唯一保存状態がよく一般公開される明代の王府で、600年余の歴史を持ち、明太祖朱元璋が皇帝に即位して建国第一功臣の中山王徐達のために建造した邸宅です。清の乾隆帝が南巡の際にここに泊まったことがあり、「金陵第一園」と言われます。入り口門の扁額の「瞻園」という2字は乾隆帝の親筆だそうです。

  • 盛りだくさんのツアーなのでありがたいのですが、多少のマイナーチェンジは必要だと思います。まだ時間前ですが、集合場所に向かって戻ることにします。

    盛りだくさんのツアーなのでありがたいのですが、多少のマイナーチェンジは必要だと思います。まだ時間前ですが、集合場所に向かって戻ることにします。

  • 「南京」の観光の最後は町を離れる時に「南京長江大橋」を車窓から見学するというものがありました。橋を車窓から眺めるのはどうでもよいと思っていたのですが、ガイドさんがドライバーさんと話をして少し観光の内容を変えてくれました。

    「南京」の観光の最後は町を離れる時に「南京長江大橋」を車窓から見学するというものがありました。橋を車窓から眺めるのはどうでもよいと思っていたのですが、ガイドさんがドライバーさんと話をして少し観光の内容を変えてくれました。

  • 橋のたもとに「金川河水文化長廊」という施設があり、そこへ立ち寄るということでした。その分「無錫」郊外の「恵山古鎮」への到着は遅くなりますが、その分で「恵山古鎮」のライトアップが見られるだろうということでした。「南禅寺」の参拝もこの日の予定にありましたが、時間的に無理なので翌日の朝に参拝することになります。

    橋のたもとに「金川河水文化長廊」という施設があり、そこへ立ち寄るということでした。その分「無錫」郊外の「恵山古鎮」への到着は遅くなりますが、その分で「恵山古鎮」のライトアップが見られるだろうということでした。「南禅寺」の参拝もこの日の予定にありましたが、時間的に無理なので翌日の朝に参拝することになります。

  • 通りをバスで走っていても観光施設があるのだろうかと思うようなところで停車してしばらく「金川河」の川沿いを歩くことになります。

    通りをバスで走っていても観光施設があるのだろうかと思うようなところで停車してしばらく「金川河」の川沿いを歩くことになります。

  • オブジェを見て長江(揚子江)にはヨウスコウカワイルカがいたことを思い出しました。が口の部分の形が違い背びれもありません。ネットで調べてみると本来は海にいるはずのスナメリが東洞庭湖にいるということです。

    オブジェを見て長江(揚子江)にはヨウスコウカワイルカがいたことを思い出しました。が口の部分の形が違い背びれもありません。ネットで調べてみると本来は海にいるはずのスナメリが東洞庭湖にいるということです。

  • 橋の橋脚には「南京」を流れる長江での最高水位のメジャー洪水などは皆無なのだと思っていましたが、皆無なのだと思っていましたが、2020年でも10メートルを超える水位の上昇があったと知って驚きです。

    橋の橋脚には「南京」を流れる長江での最高水位のメジャー洪水などは皆無なのだと思っていましたが、皆無なのだと思っていましたが、2020年でも10メートルを超える水位の上昇があったと知って驚きです。

  • 「南京長江大橋」は1960年に建設が開始され1968年に完成しました。1950年代の「武漢長江大橋」がソ連の援助によって建設されたのに対し、「南京長江大橋」は中国の独自技術により設計と施工され、文化大革命中に完成したために中国における自力更生と革命の象徴として喧伝されたそうです。

    「南京長江大橋」は1960年に建設が開始され1968年に完成しました。1950年代の「武漢長江大橋」がソ連の援助によって建設されたのに対し、「南京長江大橋」は中国の独自技術により設計と施工され、文化大革命中に完成したために中国における自力更生と革命の象徴として喧伝されたそうです。

  • 橋脚部のデザインをみても中華人民共和国のイデオロギーを強く感じます。左手にマシンガンを握った兵士が右手で掲げているのは紅宝書、毛主席語録と書かれてあります。

    橋脚部のデザインをみても中華人民共和国のイデオロギーを強く感じます。左手にマシンガンを握った兵士が右手で掲げているのは紅宝書、毛主席語録と書かれてあります。

  • この本は1964年から1974年頃までに中国を始め世界各国で広く読まれ、当時の政治や文化、学生運動に強い影響を与えた本です。とくにフランスの五月革命に強い影響を与え、毛沢東はスターリン亡き後の中ソ対立の世界にあって、新しい共産主義世界の指導者と見なされていました。

    この本は1964年から1974年頃までに中国を始め世界各国で広く読まれ、当時の政治や文化、学生運動に強い影響を与えた本です。とくにフランスの五月革命に強い影響を与え、毛沢東はスターリン亡き後の中ソ対立の世界にあって、新しい共産主義世界の指導者と見なされていました。

  • 自動車と鉄道の両用橋梁なので散策中も何度か列車が通過するのが見えました。緑色の車体に黄色いラインの入った列車は懐かしいです。2000年の正月に「上海」から「蘇州」を往復した際や「大連」から「旅順」の往復、「哈爾濱」から「大連」への夜行寝台列車など思い出がいくつかあります。

    自動車と鉄道の両用橋梁なので散策中も何度か列車が通過するのが見えました。緑色の車体に黄色いラインの入った列車は懐かしいです。2000年の正月に「上海」から「蘇州」を往復した際や「大連」から「旅順」の往復、「哈爾濱」から「大連」への夜行寝台列車など思い出がいくつかあります。

  • 道路橋は全長4,589メートルで長江にかかる主な部分は長さ1,577メートルであり、上部が道路、下部が鉄道と2階構造となっており、橋の両端には4つの橋頭堡があり、各橋頭堡の高さは70メートルあります。

    道路橋は全長4,589メートルで長江にかかる主な部分は長さ1,577メートルであり、上部が道路、下部が鉄道と2階構造となっており、橋の両端には4つの橋頭堡があり、各橋頭堡の高さは70メートルあります。

  • ゆっくりと流れる川面を少し早いスピードで貨物船が上海方面へ下っていきます。積んでいるのは砂利か砂なのだと思います。

    ゆっくりと流れる川面を少し早いスピードで貨物船が上海方面へ下っていきます。積んでいるのは砂利か砂なのだと思います。

  • 5月に行ったイギリスクルーズの寄港地に「エディンバラ」があったのですが、停泊したのはクイーンズフェリーだったのでテンダーボートの上から真っ赤な「フォース橋」が見えました。世界遺産の美しい橋でしたが、この橋も美しいと思います。

    5月に行ったイギリスクルーズの寄港地に「エディンバラ」があったのですが、停泊したのはクイーンズフェリーだったのでテンダーボートの上から真っ赤な「フォース橋」が見えました。世界遺産の美しい橋でしたが、この橋も美しいと思います。

  • 橋の袂の公園にはループ橋があり、いろいろな角度から橋や長江を眺めることが出来ます。

    橋の袂の公園にはループ橋があり、いろいろな角度から橋や長江を眺めることが出来ます。

  • 三峡下りのクルーズではこういった警察の船は見掛けませんでしたが、大きな都市部になるといろいろ事情が違うのかもしれません。

    三峡下りのクルーズではこういった警察の船は見掛けませんでしたが、大きな都市部になるといろいろ事情が違うのかもしれません。

  • 公園の一角にはキッチンカーのようなものが並び、あまりの暑さにペプシとスプライトを買い求めました。こんな場所でも1本5元と良心的な値段なのがありがたいです。ほとんど観光客も無いのに何軒もの店が営業していましたが商売になるのでしょうか。多分夕方以降の商売なのだと思います。

    公園の一角にはキッチンカーのようなものが並び、あまりの暑さにペプシとスプライトを買い求めました。こんな場所でも1本5元と良心的な値段なのがありがたいです。ほとんど観光客も無いのに何軒もの店が営業していましたが商売になるのでしょうか。多分夕方以降の商売なのだと思います。

  • 「南京の観光が全て終わり、バスは高速道路に入って「無錫」を目指します。

    「南京の観光が全て終わり、バスは高速道路に入って「無錫」を目指します。

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