2025/07/17 - 2025/07/17
20位(同エリア82件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,460,278アクセス
- フォロワー169人
この旅行記スケジュールを元に
「桐郷」での夜が明けると昨晩のマッサージのおかげか体が軽いです。朝食は1階のレストランでしたが、午前6時30分の開店時には我々のツアーのメンバーくらいしかいませんでした。実際は7時からの営業をガイドさんが交渉して30分早めてくれたみたいです。午前8時にホテルを出発したバスは「鎮江」に向かいますが、3時間30分の移動になります。2時間30分ほど走った「常州」の「芳茂山恐竜主題服務区」でトイレ休憩がありました。「常州」は恐竜で有名な地で「中華恐竜園」というものがあって、「無錫」出身のガイドさんも家族で何度か行ったことがあるそうです。駐車場でバスを降りるといたるところに恐竜がいて、それは建物の中にまで続いていきます。入り口を入ると映画「ジュラシックパーク」さながらのTレックスの実物大の骨格標本が置かれています。大人も楽しめるサービスエリアでした。さらに1時間ほど走ると「鎮江」の町に入り、長江に近い「西津渡」でバスを降りました。ここも再開発された古鎮のようで、煉瓦造りの倉庫のような建物がいくつも並んでします。「西津渡」はかつて長江を南北に渡る渡し場で、山を背に長江に臨み、 川の水がとうとうと流れていたようです。「西津渡」には、数千年の間に 李白や孟浩然、王安石やマルコ・ポーロなど多くの有名人が足跡を残しました。 古鎮の入り口にはガラス張りになった地下に往時の船着き場の遺跡が見えました。現在より高さで2メートル、現在の長江もかなり離れてしまっていますが、ここを李白やマルコ・ポーロがと思うと感慨深いです。再集合場所と時間を決めた後は30分ほどのフリータイムになりますが、全員が真っすぐ斜面の石段を登っていきます。途中にあった地元のお爺さんが声を掛けてくれて、写真を撮るのによいポイントを教えてくれます。裸だから恥ずかしいよと言いながら一緒に写真に撮ってくれました。ここからは坂道に沿って歩きますが、ここでも通りの随所に六朝から清代までの歴史の形跡を見ることができます。坂の上には「昭関石塔」は中国で唯一現存している道を跨ぐ珍しい造りの仏塔です。その先には巨大な鉄製の香炉があり、「観音堂」と続きます。また、この地は昔から慈悲救世の精神が宿り、「昭関石塔」の右側には清代末期の建造物がありますが、これは世界でももっとも早い時期に創立された民間の救生組織「西津古渡救生会」の跡地でもある。山頂には「雲台閣」という建物があり、そこまで登ると長江が眺められるようですが、与えられた時間では行くことは出来ません。再集合した後は近くにある「新天地1933」というおしゃれなレストランに向かいます。ここでは鎮江料理をいただきますが、円卓のガラステーブルが電動で開店するのが面白かったです。「鎮江」には「鎮江三怪」と呼ばれる「香酢?不壊」「肴肉不当菜」「麵鍋里麵煮鍋蓋」がありますが、このうちの2つをこの店で味わうことが出来ました。午後の観光は近くの「北固山風景区」です。3世紀に創建され劉備が孫権の妹と見合いをした逸話が残る「甘露寺」、劉備と孫権が互いに願いを込め岩に剣を振り下ろしたと言う「試剣石」、曹操に対する戦略を語りあった場所とされる「狠石」など三国志ファンにはたまらないスポットがあります。山頂の「北固楼」からは長江の広大な風景が楽しめ、梁の初代皇帝が北固山の壮観な風景を「天下第一江山」と表したことが理解できます。また、中腹には阿倍仲麻呂の碑が建ち「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」と刻まれていました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
「桐郷」の朝は中国によくある地方都市の霞の掛かった風景でした。昨晩きれいなお姉さんの膝枕でマッサージを受けたせいか体が軽くなったみたいです。
Puyuan F GINLAN JIA Hotel ホテル
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朝食は1階のレストランで、午前6時30分に開店しました。本当は7時だったようですが、ガイドさんが交渉して30分早まりました。昔は近所の医院に行くとこんな消毒の機械がありましたが、この箸のライとは普通のLEDライトのようなので果たして効果があるのでしょうか。
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このレストランは点心が充実していて、肉まんや野菜まんが美味しかったです。
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「小米糕」は糕一文字で米の粉を蒸した練り固めて蒸した食品という意味があります。黒糖を淹れた蒸しパンは美味しいです。
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妻も昨夜のマッサージで元気になったようです。
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「香酥鶏米花」は中央にある小さな鳥の唐揚げのような料理です。「上海焼面」は日本の物よりも太くて味付けも濃厚です。
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それに比べて麺はシンプルで薄味です。これは自分で好みの味付けにするためのようです。
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午前8時に「桐郷美高楽大酒店」を出発します。この日も朝から30度を超えていそうです。
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バスは「桐郷」から「鎮江」を目指しますが、移動時間は3時間30分ほどだそうです。途中トイレ休憩が1回あるとガイドさんから説明があります。
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グーグルマップで確認すると「桐郷」から「蘇州」を越え、「無錫」の先に「鎮江」があるのだということが分かります。
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2時間30分ほど走ったところでトイレ休憩に入るという案内がありました。芭蕉は「常州」というところだと地図が指し示しています。
常州駅 駅
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すでに「無錫」も通過しています。バスがスピードを落とし始めると恐竜の姿が見えてきます。「無錫」に住んでいるガイドさんによると「常州」には「中華恐竜園」というテーマパークがあって人気があるそうです。
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「芳茂山恐竜主題服務区」というのが正式名称です。
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中に入った途端に原寸大のTレックスの骨格標本らしきものが展示してあります。一気に映画の「ジュラシックパーク」の世界です。
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映画は何度も見ましたが、ラプトルに襲われたところで最後にホールにTレックスが入ってくるシーンを思い出します。トイレの便器も恐竜の顔だったりしないかなと思いましたが普通でした。
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こんなものがゴロゴロしています。20分ほどの休憩でしたが楽しかったです。
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さらに1時間ほど高速道路を走ると「鎮江」の料金所に着きました。ここから最初の観光地である「西津渡」に向かいます。
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西津渡は三国時代には「蒜山渡」と呼ばれ、唐代には「金陵渡」と変わり、「西津渡」と称されるようになったのは宋代以降のことのようです。もともとは長江に近くすぐ下を大河が滔々と流れる渡し場が設けられていました。清代以降は土砂の堆積によって長江の浅瀬が広がり、流れがしだいに北へと移動したため長江の岸から離れてしまいました。
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北宋の詩人の王安石がここで「京口瓜洲一水間、鍾山只隔数重山…」と詠ったのをはじめ、李白や孟浩然、マルコポーロなど名だたる人物がここを訪れ、その思いを後世に残しています。
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NHKの番組の空旅中国「李白 長江をゆく」を見て憧れを持ち、この3月には三峡を下り、こうして再び長江を訪れると感慨深いものがあります。
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ここも昔のままの古鎮ではなく再開発されている部分も多いようです。山を背負った平地の部分の建物は時代を感じさせる煉瓦造りですが、その全てが飲食店やお土産を売る店のようです。
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ここで30分ほどのフリータイムになります。鎮の入り口の観光案内所の中の休憩室が冷房が効いているので集合場所になりました。
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すでにお昼前ですが観光客の姿はほとんどなく、閑散とした雰囲気を感じます。何となく全員が坂のある方へと進んでいきます。
西津古渡 旧市街・古い町並み
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この辺りからが昔の建物を修復して残しているエリアのようです。住人は移動させられたのか生活感は全く感じられません。
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一目で千年の歴史が見えるという石段「一眼看千年」、かつてこの場所を行き来していた商人たちが船を待ったり、清朝の乾隆帝も雨宿りしたことがあるそうです。
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傍らには唐代の詩人の張祜の像がありました。晩唐の詩人で科挙に落第し、晩年は江南を中心に流浪を続けましたが、のち丹陽曲阿 (江蘇省) に隠棲して終りました。平易な詩風で詩約350首が現存すしますが、五言律詩「金山寺」など放浪中に歴訪した名勝や名寺の詠んだものが多いようです。
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「?金陵渡」
金陵津渡小山楼
一宿行人自可愁
潮落夜江斜月里
两三星火是瓜洲
千年前の唐代の詩人張祜が長江の南を歩いたとき、彼は建物に登って川を眺め、空高く下がる月が揺らめく静かな風景を前にこの詩を詠みました。 -
亭で休んでいたおじいさんがどこの写真を撮ればよいか声を掛けてくれました。ちょうどガイドさんがいたので通訳してもらえました。
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裸だから恥ずかしいよと言いながら一緒に写真を撮ってくれました。
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煉瓦を積んだ門をくぐると通りはさらに時間が止まったような姿を見せてくれます。
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通りの随所に六朝から清代までの歴史の形跡を見ることができるようになっています。1000年間の歴史が積み重なっているのだと感じます。
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誰もいない道をゆっくりと進んでいきます。こんなフォトジェニックな古鎮なので人気があると思うのですが、空白のようなタイミングだったのかもしれません。以前妻とモン・サン・ミッシェルに行ったときは、有名なオムレツ屋も2人で貸し切り状態で、さらに入場した大聖堂の中も誰もいないということがありました。さすがに2人だけだと怖かったです。
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通りの先には巨大な塔のような鉄製の香炉がそびえています。
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寺院の「本殿」の前に立つものはこれまでも数々見てきましたが、このように通りに置かれているのは初めて見ました。
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この香炉の前には前には「観音洞」があるので、敷地の問題場ここへ据え付けるしか方法が無かったのだと思います。
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「観音洞」宋代に造られ、戦乱のために幾度となく放棄と再建を繰り返し、現在の物は1859年の威豊9年に再建されました。
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門の上には「観音洞」と刻まれ、これは清代に「鎮江」に住んでいた宜興出身の学者の陳任陽によって書かれたものです。「観音洞」は古代から巡礼者の訪れる人気のある場所でした。
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「昭関石塔」は元の時代に建てられたチベット仏教の石塔で、中国で唯一現存している道を跨ぐ珍しい造りの仏塔だそうです。
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「観音洞」以外にも「超岸寺」などの仏教文化、「鉄柱宮」などの道教文化、そして沿道に林立する商店によって、独特の歴史文化街が形づくられています。
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渡し場として1000年余りの歴史を持つ「西津渡」には昔から慈悲救世の精神が宿り、
「昭関石塔」の右側には清代末期の建造物がありますが、これは世界でももっとも早い時期に創建された民間の救生組織「西津古渡救生会」の跡地です。 -
ここから先へ行くには時間が少なさすぎるので戻ることにします。事前に行き先を調べておかないと無駄な時間を過ごしてしまいそうです。
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倉庫のような飲食店街も観光客の姿はほとんどなく、映画のセットの中にいるような気になってきます。これは妻と一緒に中国ドラマの沼にハマってしまったせいでしょうか。
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甍の波は千円前と変わらないのでは無いでしょうか。
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再建されたエリアには往時を偲ばせる像などが並べられているので見てみることにします。「販夫(はんぷ)」には荷運び人と書かれてありましたが、商人や商売人といった意味が強いようです。先ほど通った石段の中央に溝があったのはこのように一輪車で荷物を運んだからでしょう。
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「船夫(せんぷ)」は船頭のことです。
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「驢馬上金山」はロバで金山を登るという意味です。「鎮江」の「三山」とは長江沿いの「金山」、「焦山」と午後に行く「北固山」を指しています。ここでこの地は「白蛇伝」の中に出てくる「金山寺」の地であったことに気が付きました。20年前に北京んで初めて見た京劇が「白蛇伝」の一部でした。
北京湖広会館:https://4travel.jp/travelogue/10359127 -
白素貞(白娘子)が金山に水とともに迫り夫を救う物語ですが、それはこの土地で起こったとされます。言い伝えによるとある白蛇が修業を積み、美しくて善良な人間の娘の白娘子と姿を変えます。許仙という青年に嫁いだ彼女はとても満ち足りた日々を過ごしていましたが、金山寺の和尚である法海は彼女が白蛇であることを見抜いてしまいます。許仙のもとへ出家を説きに行った和尚は許仙を騙して寺に閉じ込めてしまいます。それ知った白娘子は同じく蛇から人間へと姿を変えた侍女の小青と共に刺繍入りの靴を脱ぎ、長江に投げ浮かべて舟として海の水を逆流させます。
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「西津渡」からバスに乗ってすぐの場所にこの日お昼を食べる「新天地1933」がありました。再開発されたエリアなので、元々「西津渡」にいた人たちが移動させられたのではないかと思えました。
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かなりの高級店といった雰囲気で、驚いたのは円卓の料理を乗せる部分が電動で回転することでした。この日は鎮江郷土料理ということです。暑い中を歩いてきたのでまずは冷たいビールをいただきます。
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少し香ばしい茶わん蒸しはどこの店で食べても美味しいです。
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芥子菜のような野菜と豚細切り肉を炒めたものは白ごはんによく合います。
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フナのような魚の醤油煮込みは手が出ません。ツアーの方々が川魚好きの方が多くてよかったです。
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骨付きの鶏肉の辛味炒めは食べにくいですがピリ辛で美味しいです。こちらでは骨付きのまま中華包丁でバンバン切ってしまいますが、日本人には馴染みません。
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木綿豆腐を揚げた油揚げと木耳とニンジンなどと醤油で煮込んだ料理も美味しいです。
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これはツミレやダイコンやニンジンなどを煮込んでいますが、おでんのような足でした。中国では関東煮と呼んでおでんは定番料理になっているようです。京都の伯母たちがおでんのことを関東焚きと呼んでいましたから関西から伝わったのだと思います。
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美味しかったのは海老を蒸しただけのものです。これは皆さんあまり手を付けないのでたくさんいただきました。ちょっと香ばしい醤油がポイントです。
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「獅子頭」と呼ばれる肉団子の煮込み料理です。これを初めて食べたのは20年ほど前の北京郊外のレストランでした。八角が効いて美味しかったのを覚えています。その当時日本の中華レストランのメニューには無い家常菜のような料理が新鮮でした。
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妻にお玉で箸上げをしてもらいました。鶏肉とキノコのスープはシンプルな味で、白ご飯にかけて雑炊のようにしていただきました。やはり日本のお米と比べて味は落ちます。
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朝ご飯でも食べた「香酥鶏米花」をトマトソースで煮込んだ料理はもう中華ではない美味しさです。
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小籠包も出来立てなので美味しかったです。鎮江の食べ物については「鎮江三怪」という言葉があります。お昼の料理でもそれらが出されるのかと思いましたが、全部が出たわけではありませんが備忘録として書き残しておきます。
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第二怪は「肴肉不当菜」というもので、「水晶肴肉」という鎮江伝統の名物料理です。豚足を食材として硝石と塩で漬け込んだ後にネギ、ショウガ、黄酒など数種類の薬味や調味料とともに蓋をして、たっぷりのお湯でほろほろになるまでとろ火で煮込みます。その後で冷やして煮凝りにしたら完成です。煮凝りの透明さはまるで水晶のようだということから「水晶」という美しい呼び名になりました。薬味であるショウガの千切りと鎮江香酢との味わいは格別す。
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第三怪は「麵鍋里麵煮鍋蓋」という料理で、鍋蓋麵は鎮江の飲食技芸における1つの創造です。麵を沸騰したお湯に入れた後に小さな鍋蓋をお湯と麵の上に被せます。これにはいくつかのメリットがあり、第1に生麺を何回かに分けて投入することで、茹で上がった後にねばついたりバラバラになりすぎたりせず、麵の分量が統一されます。第2に麵を茹でるお湯が沸騰するときに表面に浮いている鍋蓋が灰汁を取り去ることでスープの濁りを防ぐことができます。第3に麵に火が通りやすく、芯が残ったりくたくたに茹ですぎたりすることを防ぐことができます。乾隆帝が江南を視察した時に「鎮江」でこの麵を食べ、その美味しさを褒めたという伝説が残っています。この料理は今回は出てきませんでした。
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第一怪は「香酢置不壊」です。鎮江香酢は中国内外で名声を博し、色合い、香り、酸味、純度、濃厚さの5つが大きな特徴です。色の濃さや味の良さ、香ばしくわずかに甘く、渋みのない酸味、長く寝かせれば寝かせるほど、味は良くなるといいます。この香酢を調味料として使うと味を引き立て香りを増し、臭みを取り去り、脂っこさを消すことができます。あそして食欲を増し、消化を助ける作用もあります。町中で買い物をする時間はないということで、このレストランの売店で小瓶をお土産に買い求めました。
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今回のバスの移動では電気自動車を見ることが非常に多かったです。EV社は緑色のナンバープレートなのですぐに判断できます。「特斯拉(テスラ)」も多かったですがBYDなどの中国ブランドの車も多く走っています。
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食事の後は「北固山風景区」の観光になります。この山は長江の畔にそびえ、古くから詩人や旅行者に愛されてきました。特筆すべき点はその絶景とともに歴史的な建物が点在していることです。
北固山公園 史跡・遺跡
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「北固山」は三国時代に重要な戦略地であったため、有名な戦の舞台として歴史に刻まれています。孫権が曹操を迎え撃った場所としても知られ、古代中国の軍事的要所でした。この地は攻めるも守るも容易でないとして多くの物語が伝わっています。つまり観光客にとっても長い石段があり、真夏では登りも下りも厳しいです。
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「衛公塔」は重要文化財に指定された鉄塔で、中国に残る6基のうちの1つで、江蘇省では唯一のものです。825年に石塔として建てられて以降、さまざまな自然災害や戦争などを経て現在残るものは土台から2層目までは北宋時代のもの、3層4層は明代のものと言う独特な形状の珍しい建築物です。1960年の修復工事では党の中に唐代と宋代の仏舎利が納められていたことが分かりました。
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「望月望郷」の碑の「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」と読むと隣にいたガイドさんが「中国語読めるのですか?」とびっくりしますが、
?首望?天,神?奈良?。
三笠山?上,想又皎月?。
の横に日本語でも書いてあります。 -
遣唐使の阿倍仲麻呂は中国で50年余り過ごし、帰郷の途中で鎮江を通り、夜に鎮江に泊まりました。優しい月明かりはいつも人の心の中で最も脆弱な感情を引き出せるようで、阿倍仲麻呂も月を見上げて郷愁を感じ、この有名な「天の原」を「寧波」で書き下ろしたようです。この碑は日中両国の書家によって共同で書かれ、「北固山」の詩碑に刻まれています。
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帰郷は彼の願望であり最も残念な期待でもあったことでしょう。結局は中国に来てから故郷に帰ることは出来ませんでした。仲麿が逝去した時は李白も悲しみ、「晁卿衡(ちょうけいこう)を哭す」という詩を作っています。
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梁の初代皇帝である武帝が「北固山」の壮観な風景を「天下第一江山」と書したその復元石刻もありました。
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ここからは左手に進んで「甘露寺」を参拝することにします。ここでも参拝に訪れる人の姿はまばらで、古代に思いをはせるにはいい雰囲気です。
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「古甘露禅寺」の文字が読み取れます。「甘露寺」の名は「甘露寺の婚儀」の故事で知られています。「甘露寺」は呉国太の孫権、喬国老が宴を設けて劉備を引見した場所でもあります。
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「赤壁の戦い」の後に劉備に占領された「荊州」を取り返すため、孫権は周瑜の計略を採用しました。自らの妹を劉備に嫁がせるという名目で劉備を「鎮江」までおびき出して人質にしようというのでした。もし劉備が「荊州」を明け渡さないならばその場で殺せばいいと考えますが思わぬことに、この謀略は諸葛亮に見抜かれてしまいます。
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諸葛亮は孫権の計略の裏をかき、3つの巧妙なやり方で対処し、孫権が劉備を騙そうとしてついた嘘をすべて現実のものにしてしまいます。こうして劉備は孫権の妹の孫尚香を娶っただけではなく、彼女を連れて東呉の魔手から逃れてしまいます。
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孫権と周瑜は兵馬を派遣し後を追いましたが、またしても諸葛亮の伏兵に破れました。孫権は劉備に夫人を送ったうえに兵を失ってしまいます。一方の劉備は美しい妻を娶り、窮地を脱しました。
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「鎮江」の洒落言葉ではこれを「粽を食べて竜舟を漕ぐ。」つまり、とても幸運なことだ」と言い表しています。
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この3月の三峡下りの旅では最終地の「武漢」へ入る前に「荊州」にも立ち寄り、劉備や関羽、そして孫権についてもいろいろ学びました。そして、今回の旅で又知識が繋がっていきます。
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「北固楼」までたどり着きました。東晋書記に建てられた建物は「武漢」の「黄鶴楼」に次いで1世紀余の歴史を持ちます。2010年に再建されたこの建物は宋代様式の棟梁式屋根裏建築で、江南の建築様式を際立たせています。チーク材とヒノキを用いた建築は釘を1本も使わずにほぞ継で組み上げられています。
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「北固楼」の扁額は毛沢東の揮毫によるものだと分かります。毛沢東は書道家としても有名で、左から右へ上がり気味に書く書体を「毛体」といいます。朱金平がこの書体を真似たことから人気が出たらしく、中国のポータルサイトではどんな文字でも「毛体」に変換してくれるものがあるそうです。
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楼上には見事な書が額に納まっていますが薄学で読めないのが残念です。
-
さらに大きな額が2枚掲げられ、毛沢東の書だということだけはすぐに分かります。
何處望神州
滿眼風光北固樓。
千古興亡多少事 悠悠。
不盡長江滾滾流。
年少萬兜鍪。
坐斷東南戰未休。
天下英雄誰敵手?
曹劉。
生子當如孫仲謀。 -
何處にか 神州を望まん。
滿眼の風光は 北固樓。
千古の興亡 多少の事,
悠悠。
盡きざる長江は 滾滾と流る。
年少 萬の兜鍪。
いま東南を坐斷して 戰ひ未だ休めず。
たれ天下の英雄の 誰か敵手なる?
曹・劉ならん。
子を生むは 當に孫仲謀の如くあるべし。 -
千古江山,英雄無覓,
孫仲謀處。舞榭歌臺,
風流總被,雨打風吹去。
斜陽草樹,尋常巷陌,
人道寄奴曾住。想當年,
金戈鐵馬,氣呑萬里如虎。
元嘉草草,封狼居胥,贏得倉皇北顧。
四十三年,望中猶記,烽火揚州路。
可堪囘首,佛狸祠下,一片?鴉社鼓。
憑誰問,廉頗老矣,尚能?否。 -
千古の江山,英雄覓むる無く,
孫仲謀の處。舞榭 歌臺,
風流は總じて,雨打たれ 風吹かれ去く。
斜陽は草樹にさし,尋常の巷陌(横町)に,人は道ふ:
寄奴曾て住めりと。當年(かのとし)を 想ふに,
金戈鐵馬,氣萬里を呑みて 虎の如くなりき。 -
楼上から下を望みますが、妻やツアーの方々の姿は見えません。時間が無いので先に進むことにします。
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楼上から展望できるのは長江から分かれた「金山湖」でのようで、実際の長江本流はもっと先にあるようです。
-
目を凝らしても長江の本流の姿を見ることが出来ません。
-
「焦山碑林」の脇にはポッコリとした島があり、その山頂には塔が見えました。
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時間が無くなってきたので「多景楼」へ行ってみることにします。
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「狠石」という石羊にまつわる相伝では諸葛亮孔明がこの上に座り、孫権と共に曹操について議論した伝えられています。「狠石」は南朝時代以前から「北固山」に存在しており、三国史の有力な物証であると分かります。その「狠石」はここには置かれていないようでした。
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この先は入り口と出口が複雑で、迷路のような通路を行ったり来たりしました。出口から入れば簡単なのですが誰かに咎められるようなことはしたくありません。同じように迷っていた中国の人はその後出口から堂々と入ってきました。
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「多景楼」まで上がってきました。興味は「三国志」から「白蛇伝」に移ってしまいました。金山は高さ44メートルで周囲520メートルで、元々は長江に孤立する島でしたが、清の時代陸続きになったと言います。この寺から伝わった金山寺味噌は日本人になじみがあります。
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「金山寺」は東普の時代の創建でこの辺りからなら見えると思ったのですが、肉眼ではどこなのか分かりませんでした。
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「数帆亭」中に納められた石碑には新末期の政治家の劉抻一が太子少保・両江総督としてある人物を称賛したもののようです。
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こんなところで「ヤーンボーミング」を見るとは思いませんでした。日本語に訳すと「糸爆弾」でしょうか。カラフルな編み物やかぎ針編みを使ったストリートアートのこと です。石段を駆け下りて時間内に再集合することが出来ました。
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