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クルーズ船に乗ると普段の生活と違って毎日夜明け前に目が覚めるようになります。これは目覚まし時計を掛けなくても、時差があっても目が覚めてしまいます。クルーズ3日目も同じように目が覚めて15階からデッキに出ます。もちろん妻は起きることはないので1人で行動します。ちょうど太平洋から津軽海峡に入って大間岬から陸奥湾に入ったところでした。船の後方にはうっすらと北海道の渡島半島(おしまはんとう)が見えます。そして函館港を出た津軽海峡フェリーが青森港に向かっています。フェリーの方は慣れているのかダイヤモンド・プリンセスに肉薄してきます。どれだけの人が気が付いたか分かりませんが、フェリーから眺めるダイヤモンド・プリンセスは巨大なのだろうなと思います。さらに南下すると下北半島の仏が浦浦」の祈願が見えてきます。恐山から大間岬で美味しいマグロを食べて、佐井港から船に乗って仏が浦を見学して、脇野沢港から蟹田港へフェリーで陸奥湾を渡った旅のことが思い出されます。いろいろな旅をしていてつくづく良かったなと実感します。昨年のように三角形のアスパムに向かって進み、右にそれて「青森クルーズターミナル」に着岸します。アスパム近くの「青森港国際クルーズターミナル」には飛鳥Ⅱが停泊しています。デッキで風景を眺めている人からも「高いクルーズ船はいい場所に停泊できるね。」と声が上がります。前日に停泊して夜のねぶたを見学して、今日は昼ねぶたと海上運行と花火を観て出港する日程のようです。確かに高い船は日程も余裕があるようです。昨年昼ねぶたと海上運行と花火は観覧席から観たので、今年は船上から眺めることにしていました。デッキで知り合ったご夫婦とタクシーをシェアして「青森県立美術館」まで移動しました。2006年に開館した美術館はホワイトキューブのシンプルな外観が印象的です。昨年閉館前に訪ねた「棟方志功記念館」の収蔵品は今年からこちらに移されています。昨年は生誕120年の年でもあり、国立近代美術館で「メイキング・オブ・ムナカタ」を観たばかりでもありました。もちろん棟方志功以外の奈良美智やシャガールのバレエ「アレコ」のための背景画も素晴らしかったです。お昼は館内の「4匹の猫」でカレーをいただきました。店の名前はバルセロナにあるピカソも通った「クアトロ ガッツ」に由来するのかと思っていましたが、そんな様子は感じられませんでした。午後は近くにある「三内丸山遺跡」に向かいましたが、思ったよりも距離があり、真夏の炎天下に大汗をかいてしまいました。

ダイヤモンドプリンセス リベンジの夏祭りクルーズ(3)青森市内の昼ねぶたには行かず、青森県立美術館でシャガールとあおもり犬と対峙する。

5いいね!

2024/08/07 - 2024/08/07

1248位(同エリア1707件中)

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

クルーズ船に乗ると普段の生活と違って毎日夜明け前に目が覚めるようになります。これは目覚まし時計を掛けなくても、時差があっても目が覚めてしまいます。クルーズ3日目も同じように目が覚めて15階からデッキに出ます。もちろん妻は起きることはないので1人で行動します。ちょうど太平洋から津軽海峡に入って大間岬から陸奥湾に入ったところでした。船の後方にはうっすらと北海道の渡島半島(おしまはんとう)が見えます。そして函館港を出た津軽海峡フェリーが青森港に向かっています。フェリーの方は慣れているのかダイヤモンド・プリンセスに肉薄してきます。どれだけの人が気が付いたか分かりませんが、フェリーから眺めるダイヤモンド・プリンセスは巨大なのだろうなと思います。さらに南下すると下北半島の仏が浦浦」の祈願が見えてきます。恐山から大間岬で美味しいマグロを食べて、佐井港から船に乗って仏が浦を見学して、脇野沢港から蟹田港へフェリーで陸奥湾を渡った旅のことが思い出されます。いろいろな旅をしていてつくづく良かったなと実感します。昨年のように三角形のアスパムに向かって進み、右にそれて「青森クルーズターミナル」に着岸します。アスパム近くの「青森港国際クルーズターミナル」には飛鳥Ⅱが停泊しています。デッキで風景を眺めている人からも「高いクルーズ船はいい場所に停泊できるね。」と声が上がります。前日に停泊して夜のねぶたを見学して、今日は昼ねぶたと海上運行と花火を観て出港する日程のようです。確かに高い船は日程も余裕があるようです。昨年昼ねぶたと海上運行と花火は観覧席から観たので、今年は船上から眺めることにしていました。デッキで知り合ったご夫婦とタクシーをシェアして「青森県立美術館」まで移動しました。2006年に開館した美術館はホワイトキューブのシンプルな外観が印象的です。昨年閉館前に訪ねた「棟方志功記念館」の収蔵品は今年からこちらに移されています。昨年は生誕120年の年でもあり、国立近代美術館で「メイキング・オブ・ムナカタ」を観たばかりでもありました。もちろん棟方志功以外の奈良美智やシャガールのバレエ「アレコ」のための背景画も素晴らしかったです。お昼は館内の「4匹の猫」でカレーをいただきました。店の名前はバルセロナにあるピカソも通った「クアトロ ガッツ」に由来するのかと思っていましたが、そんな様子は感じられませんでした。午後は近くにある「三内丸山遺跡」に向かいましたが、思ったよりも距離があり、真夏の炎天下に大汗をかいてしまいました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
3.5
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • クルーズ3日目の朝です。目が覚めて15階のデッキに出るとすでに大間岬を過ぎて、船は陸奥湾に入るところでした。

    クルーズ3日目の朝です。目が覚めて15階のデッキに出るとすでに大間岬を過ぎて、船は陸奥湾に入るところでした。

  • 東の空から太陽が上がってきました。日の出を眺めたのはチュニジアのマトマタ以来です。普段は何とも思わない朝の風景も旅先だと違って見えます。

    東の空から太陽が上がってきました。日の出を眺めたのはチュニジアのマトマタ以来です。普段は何とも思わない朝の風景も旅先だと違って見えます。

  • 青森港を出て函館港へ向かう「津軽海峡フェリー」です。この航路もいつか利用してみたいと思いながら旅の計画が進んでいません。

    青森港を出て函館港へ向かう「津軽海峡フェリー」です。この航路もいつか利用してみたいと思いながら旅の計画が進んでいません。

  • ダイヤモンド・プリンセスと並走するように函館港から青森港へ向かうフェリーの姿も見えました。船体には「ブルードルフィン 」の文字も読み取れます。

    ダイヤモンド・プリンセスと並走するように函館港から青森港へ向かうフェリーの姿も見えました。船体には「ブルードルフィン 」の文字も読み取れます。

    津軽海峡フェリー 乗り物

  • 昨年も同じ夏祭りのクルーズに乗船しましたが、太平洋から津軽海峡を横断して、秋田港に入港して「秋田竿燈まつり」を観た後に再び青森港に戻りました。早朝に竜飛岬を通過したことを思い出します。薄っすらと津軽半島の先端も見えています。

    昨年も同じ夏祭りのクルーズに乗船しましたが、太平洋から津軽海峡を横断して、秋田港に入港して「秋田竿燈まつり」を観た後に再び青森港に戻りました。早朝に竜飛岬を通過したことを思い出します。薄っすらと津軽半島の先端も見えています。

  • 今年は下北半島に沿って青森港を目指しているので、去年とはまた違った景色が楽しめます。この山の向こう辺りが「恐山」なのだろうと想像します。「恐山温泉」の湯が良かったです。

    今年は下北半島に沿って青森港を目指しているので、去年とはまた違った景色が楽しめます。この山の向こう辺りが「恐山」なのだろうと想像します。「恐山温泉」の湯が良かったです。

  • 以前は「佐井港」から遊覧船に乗って来た「仏ヶ浦」の沖合を通過します。

    以前は「佐井港」から遊覧船に乗って来た「仏ヶ浦」の沖合を通過します。

  • 左側には「香爐岩」と「天龍岩」「双鶏門」「帆掛岩」「蓮華岩」が1つの塊になっています。その右手には「蓬莱山」と「極楽浜」が見えます。

    左側には「香爐岩」と「天龍岩」「双鶏門」「帆掛岩」「蓮華岩」が1つの塊になっています。その右手には「蓬莱山」と「極楽浜」が見えます。

    仏ヶ浦 自然・景勝地

  • 遊覧船が航行する時間より早いので人の姿はありません。

    遊覧船が航行する時間より早いので人の姿はありません。

  • 海底火山の噴火と地層の隆起で生まれた「仏ヶ浦」は不思議な形をした奇岩群で、この地の凝灰岩が途方もない年月をかけて風雨や波により削られてできたものです。

    海底火山の噴火と地層の隆起で生まれた「仏ヶ浦」は不思議な形をした奇岩群で、この地の凝灰岩が途方もない年月をかけて風雨や波により削られてできたものです。

  • 後方を見ると雲間から「渡島半島(おしまはんとう)」も山並みが頭を出していました。

    後方を見ると雲間から「渡島半島(おしまはんとう)」も山並みが頭を出していました。

  • ダイヤモンド・プリンセスよりもブルードルフィンの方がこの辺りの航行に慣れているせいかスピードも速いです。フェリーのお客さんもこちらの巨大な姿を見て驚いているのではないでしょうか?函館を午前3時20分五出港して青森には午前7時に到着する便のようです。

    ダイヤモンド・プリンセスよりもブルードルフィンの方がこの辺りの航行に慣れているせいかスピードも速いです。フェリーのお客さんもこちらの巨大な姿を見て驚いているのではないでしょうか?函館を午前3時20分五出港して青森には午前7時に到着する便のようです。

  • 「むつ湾フェリー」で下北半島の「脇野沢港」から津軽海峡側の「蟹田港」へのクルーズも楽しかったです。クルーズ船で港に入港するのは1つのイベントですが、人の姿はほとんどありません。

    「むつ湾フェリー」で下北半島の「脇野沢港」から津軽海峡側の「蟹田港」へのクルーズも楽しかったです。クルーズ船で港に入港するのは1つのイベントですが、人の姿はほとんどありません。

  • 青森港へ入港する前にタグボートが近づいてきました。

    青森港へ入港する前にタグボートが近づいてきました。

  • タグボートから水先案内人が乗り込みました。

    タグボートから水先案内人が乗り込みました。

  • 青森港が見えてきました。1年振りに戻ってきました。

    青森港が見えてきました。1年振りに戻ってきました。

  • 「青森県観光物産館アスパム」の三角形のビルも懐かしいです。初めて「青森ねぶた祭り」を観に来たのは2009年のことで、クラブツーリズム社の格安バスツアーでした。都内からバスで青森に入ってねぶたを見て、泊まりは八戸のホテルでした。翌日は十和田湖と奥入瀬を周って五所川原のねぶたも観ました。最終日は仙台の七夕を観て帰るというハードスケジュールでしたが、2泊3日で29,980円は魅力的でした。

    「青森県観光物産館アスパム」の三角形のビルも懐かしいです。初めて「青森ねぶた祭り」を観に来たのは2009年のことで、クラブツーリズム社の格安バスツアーでした。都内からバスで青森に入ってねぶたを見て、泊まりは八戸のホテルでした。翌日は十和田湖と奥入瀬を周って五所川原のねぶたも観ました。最終日は仙台の七夕を観て帰るというハードスケジュールでしたが、2泊3日で29,980円は魅力的でした。

    青森県観光物産館アスパム 名所・史跡

  • その時にアスパムの展望台から「青森港国際クルーズターミナル」に停泊している飛鳥Ⅱを見下ろしながら、いつかクルーズ船に乗ってねぶたを観に来るぞと思いました。

    その時にアスパムの展望台から「青森港国際クルーズターミナル」に停泊している飛鳥Ⅱを見下ろしながら、いつかクルーズ船に乗ってねぶたを観に来るぞと思いました。

  • 「津軽海峡フェリー」は青森港の少し西にある「津軽海峡フェリー 青森フェリーターミナル」に停泊しています。既にブルードルフィンは到着していました。

    「津軽海峡フェリー」は青森港の少し西にある「津軽海峡フェリー 青森フェリーターミナル」に停泊しています。既にブルードルフィンは到着していました。

    津軽海峡フェリー びるご 乗り物

  • ダイヤモンド・プリンセスは「あおもり北のまほろば歴史館」の近くの「青森クルーズターミナル」に停泊します。ターミナルと言っても建物などは何もありません。

    ダイヤモンド・プリンセスは「あおもり北のまほろば歴史館」の近くの「青森クルーズターミナル」に停泊します。ターミナルと言っても建物などは何もありません。

    みちのく北方漁船博物館 美術館・博物館

  • 「青森港国際クルーズターミナル」には飛鳥Ⅱが停泊しています。15年前と同じ光景を見るとは思いませんでした。

    「青森港国際クルーズターミナル」には飛鳥Ⅱが停泊しています。15年前と同じ光景を見るとは思いませんでした。

  • 薄っすらとですが八甲田山も姿を見せてくれました。東北の温泉巡りのツアーで「酸ヶ湯温泉旅館」に行ったことがありますが、3泊4日で8つの温泉に入るという楽しいものでした。

    薄っすらとですが八甲田山も姿を見せてくれました。東北の温泉巡りのツアーで「酸ヶ湯温泉旅館」に行ったことがありますが、3泊4日で8つの温泉に入るという楽しいものでした。

  • アドルフ・ムーロン・カッサンドル (Adolphe Mouron Cassandre)の「ノルマンディ号」というアール・デコのポスターを思い出します。

    アドルフ・ムーロン・カッサンドル (Adolphe Mouron Cassandre)の「ノルマンディ号」というアール・デコのポスターを思い出します。

  • 飛鳥Ⅱは前日に入港して、夜のねぶたを見学して、この日は日中のねぶたと海上花火と海上運行を観た後に出港するようです。さすが高級なクルーズツアーは内容が充実しています。

    飛鳥Ⅱは前日に入港して、夜のねぶたを見学して、この日は日中のねぶたと海上花火と海上運行を観た後に出港するようです。さすが高級なクルーズツアーは内容が充実しています。

  • 昨年はこの「あおもり北のまほろば歴史館」が無料開放されていたので、見学してから抹茶のふるまいを受けてからタクシーで市内へ向かいました。歴史館の前から赤い小さなねぶたん号というバスもありますが、クルーズ船の移動手段にはなり得ません。

    昨年はこの「あおもり北のまほろば歴史館」が無料開放されていたので、見学してから抹茶のふるまいを受けてからタクシーで市内へ向かいました。歴史館の前から赤い小さなねぶたん号というバスもありますが、クルーズ船の移動手段にはなり得ません。

  • 入港を見ている時に知り合ったご夫婦と話をして、同じような予定だったのでタクシーをシェアして移動することにしました。

    入港を見ている時に知り合ったご夫婦と話をして、同じような予定だったのでタクシーをシェアして移動することにしました。

  • まずは朝ご飯を食べましょう。料理の種類はたくさんありますが、どうも同じものばかり選んでしまいます。サラダとハシュドポテトやソーセージに目玉焼き、ヨーグルトが美味しいです。

    まずは朝ご飯を食べましょう。料理の種類はたくさんありますが、どうも同じものばかり選んでしまいます。サラダとハシュドポテトやソーセージに目玉焼き、ヨーグルトが美味しいです。

  • 下船口には臨時のタクシースタンドが出来ていて、ここから「青森県立美術館」を目指します。美術館までは思っていたよりも安くて、2,360円で済みました。その半額なのでシェアして良かったです。

    下船口には臨時のタクシースタンドが出来ていて、ここから「青森県立美術館」を目指します。美術館までは思っていたよりも安くて、2,360円で済みました。その半額なのでシェアして良かったです。

  • 「青森県立美術館」には以前から来たかったのですが、なかなか機会がありませんでした。昨年は閉館することが決まっていた「棟方志功記念館」に行ってしまいました。記念館に会った作品は現在はこの美術館に移されています。

    「青森県立美術館」には以前から来たかったのですが、なかなか機会がありませんでした。昨年は閉館することが決まっていた「棟方志功記念館」に行ってしまいました。記念館に会った作品は現在はこの美術館に移されています。

    青森県立美術館 美術館・博物館

  • 昨年は「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」という展覧会の巡回展が「国立近代美術館」で開催されました。これも素晴らしい展覧会でした。

    昨年は「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」という展覧会の巡回展が「国立近代美術館」で開催されました。これも素晴らしい展覧会でした。

  • 国際建築設計競技コンペの結果、建築設計者として青木淳が入選しています。地下2階、地上2階で遺跡の発掘現場のような土の大きな溝(トレンチ)に凹凸の白い構造体を被せるという設計で、近隣にある「三内丸山遺跡」と一体化したデザインとなっている。

    国際建築設計競技コンペの結果、建築設計者として青木淳が入選しています。地下2階、地上2階で遺跡の発掘現場のような土の大きな溝(トレンチ)に凹凸の白い構造体を被せるという設計で、近隣にある「三内丸山遺跡」と一体化したデザインとなっている。

  • 上向きと下向きの凹凸の間にできる隙間を「土の展示室」とし、それ以外は「展外展示室」や「創作ヤード」とすることで、全体が美術館として利用できるように設計されています。

    上向きと下向きの凹凸の間にできる隙間を「土の展示室」とし、それ以外は「展外展示室」や「創作ヤード」とすることで、全体が美術館として利用できるように設計されています。

  • 青森県は1994年に全4点から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、「第1幕」「第2幕」「第4幕」を収集しました。残る「第3幕」の背景画はアメリカの「フィラデルフィア美術館」に収蔵されていますが、現在は同館から借用して4点すべてをここで見ることが出来ます。今回ここへ来たかったのはこの絵を観たかったのも理由の1つです。妻が座っている車椅子は、鴻池朋子の「車椅子アレコバレエ」です。マルク・シャガールがバレエ「アレコ」公演のために制作した背景画全4作品と対比をなすように全国の美術館から借り受けた使っていない車椅子が20台以上が置かれています。

    青森県は1994年に全4点から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、「第1幕」「第2幕」「第4幕」を収集しました。残る「第3幕」の背景画はアメリカの「フィラデルフィア美術館」に収蔵されていますが、現在は同館から借用して4点すべてをここで見ることが出来ます。今回ここへ来たかったのはこの絵を観たかったのも理由の1つです。妻が座っている車椅子は、鴻池朋子の「車椅子アレコバレエ」です。マルク・シャガールがバレエ「アレコ」公演のために制作した背景画全4作品と対比をなすように全国の美術館から借り受けた使っていない車椅子が20台以上が置かれています。

  • 「第1幕 月光のアレコとゼンフィラ」<br />夜空には満月がこうこうと輝き、湖はその光を映しています。大地には流浪の民であるロマのテントが見えます。寄り添って宙に浮かぶ男女の姿はロシアの貴族の若者のアレコとロマの娘のゼンフィラです。文明社会に嫌気がさしていた主人公アレコは自由を求めてロマの一団に加わり、そこで首長の娘ゼンフィラと恋に落ちます。

    「第1幕 月光のアレコとゼンフィラ」
    夜空には満月がこうこうと輝き、湖はその光を映しています。大地には流浪の民であるロマのテントが見えます。寄り添って宙に浮かぶ男女の姿はロシアの貴族の若者のアレコとロマの娘のゼンフィラです。文明社会に嫌気がさしていた主人公アレコは自由を求めてロマの一団に加わり、そこで首長の娘ゼンフィラと恋に落ちます。

  • 描かれたアレコとゼンフィラの顔はシャガールと妻ベラの面影をとどめているといわれます。物語のはじまりの場面にふさわしく、宇宙の起源を思わせるような青い大気が渦巻いています。<br />

    描かれたアレコとゼンフィラの顔はシャガールと妻ベラの面影をとどめているといわれます。物語のはじまりの場面にふさわしく、宇宙の起源を思わせるような青い大気が渦巻いています。

  • 第1幕の最初の音楽の節に合わせて舞台に入ってくるのは、アレコとゼンフィラで、時の流れを感じさせるようにゼンフィラとアレコ、そしてロマの仲間の一群が幾度となく舞台を横切り、情熱的なダンスが繰り広げられます。

    第1幕の最初の音楽の節に合わせて舞台に入ってくるのは、アレコとゼンフィラで、時の流れを感じさせるようにゼンフィラとアレコ、そしてロマの仲間の一群が幾度となく舞台を横切り、情熱的なダンスが繰り広げられます。

  • 「第2幕 カーニヴァル」<br />アレコはゼンフィラやロマの仲間と一緒に旅をしながら、ロシアの村々を巡ります。カーニヴァルの季節にはサーカスの一団に加わり、動物たちに芸をさせ、仲間と共に踊り、歌いながら、窮屈な都会とは正反対の自由で気ままな暮らしを楽しみます。熊がヴァイオリンを奏で、満開の花咲く木の枝からは小さな猿が顔をのぞかせています。四角い画面に広大な平原を閉じ込めるかのように、農村の家々がカーブの中に描かれています。ペアになって浮かぶ雲は幸せな時間を過ごす恋人たちの姿を想わせます。

    「第2幕 カーニヴァル」
    アレコはゼンフィラやロマの仲間と一緒に旅をしながら、ロシアの村々を巡ります。カーニヴァルの季節にはサーカスの一団に加わり、動物たちに芸をさせ、仲間と共に踊り、歌いながら、窮屈な都会とは正反対の自由で気ままな暮らしを楽しみます。熊がヴァイオリンを奏で、満開の花咲く木の枝からは小さな猿が顔をのぞかせています。四角い画面に広大な平原を閉じ込めるかのように、農村の家々がカーブの中に描かれています。ペアになって浮かぶ雲は幸せな時間を過ごす恋人たちの姿を想わせます。

  • 舞台ではアレコが床に広げたマットの上で軽業師が得意げに技を披露し、道化師がこっけいなしぐさで群集の笑いを誘います。タンバリンを手にしたゼンフィラが曲芸師や楽隊の間をぬって軽やかに舞い踊ります。

    舞台ではアレコが床に広げたマットの上で軽業師が得意げに技を披露し、道化師がこっけいなしぐさで群集の笑いを誘います。タンバリンを手にしたゼンフィラが曲芸師や楽隊の間をぬって軽やかに舞い踊ります。

  • 「第3幕  ある夏の午後の麦畑」<br />巨大な2つの日光に照らされた黄金の麦畑が描かれています。実り豊かな麦畑を背景に、農村の青年や娘たちの官能的なダンスが繰り広げられています。夏の午後のひとときを楽しんだ若者たちが去ると、ゼンフィラが1人の新しい恋人のロマの若者と連れ立って現れます。

    「第3幕 ある夏の午後の麦畑」
    巨大な2つの日光に照らされた黄金の麦畑が描かれています。実り豊かな麦畑を背景に、農村の青年や娘たちの官能的なダンスが繰り広げられています。夏の午後のひとときを楽しんだ若者たちが去ると、ゼンフィラが1人の新しい恋人のロマの若者と連れ立って現れます。

  • 一方でみじめなアレコはゼンフィラのあとを追い、自分のもとへ戻ってくるよう懇願しますがゼンフィラはまったく取り合いません。<br />

    一方でみじめなアレコはゼンフィラのあとを追い、自分のもとへ戻ってくるよう懇願しますがゼンフィラはまったく取り合いません。

  • 金色に輝く麦畑の傍らに池が描かれ、浮かぶ小舟には人の姿が見られます。1人さびしく舟をこぐのはゼンフィラの愛を失って嘆き悲しむアレコの姿のようです。

    金色に輝く麦畑の傍らに池が描かれ、浮かぶ小舟には人の姿が見られます。1人さびしく舟をこぐのはゼンフィラの愛を失って嘆き悲しむアレコの姿のようです。

  • 「第4幕 サンクトペテルブルクの幻想」<br />最終幕ではゼンフィラを失い、嫉妬に燃えるアレコを狂気が襲います。真っ赤に染まったサンクトペテルブルクの街並の上空を車をひく白い馬がシャンデリアめがけて駆け上がります。左下には悲劇的な終わりを暗示する墓地や教会、十字架上のキリストが描かれています。<br />

    「第4幕 サンクトペテルブルクの幻想」
    最終幕ではゼンフィラを失い、嫉妬に燃えるアレコを狂気が襲います。真っ赤に染まったサンクトペテルブルクの街並の上空を車をひく白い馬がシャンデリアめがけて駆け上がります。左下には悲劇的な終わりを暗示する墓地や教会、十字架上のキリストが描かれています。

  • 舞台では悪夢にうなされるアレコの周りを奇怪な化け物たちが現れては消え、消えては現れます。錯乱したアレコは仲睦まじく連れそうゼンフィラと若者の姿を目にして、怒りのあまりゼンフィラの恋人を刺し殺してしまいます。愛する人を亡くして生きる意味を失ったゼンフィラは、アレコの手にするナイフに自らの身を投げ出して恋人と共に死んでいきます。自由を望んで流浪の民の一群に身を投じたにもかかわらず恋人の奔放さを許せずに死に追いやったアレコは、墓地の哀悼の人ごみの中で気を失い、地に倒れてバレエは幕を閉じます。

    舞台では悪夢にうなされるアレコの周りを奇怪な化け物たちが現れては消え、消えては現れます。錯乱したアレコは仲睦まじく連れそうゼンフィラと若者の姿を目にして、怒りのあまりゼンフィラの恋人を刺し殺してしまいます。愛する人を亡くして生きる意味を失ったゼンフィラは、アレコの手にするナイフに自らの身を投げ出して恋人と共に死んでいきます。自由を望んで流浪の民の一群に身を投じたにもかかわらず恋人の奔放さを許せずに死に追いやったアレコは、墓地の哀悼の人ごみの中で気を失い、地に倒れてバレエは幕を閉じます。

  • この美術館を観に来たもう1つの目的は奈良美智の作品を見ることでもありました。コーナーの入り口には「アオモリ・ヒュッテ1」が置かれてあります。

    この美術館を観に来たもう1つの目的は奈良美智の作品を見ることでもありました。コーナーの入り口には「アオモリ・ヒュッテ1」が置かれてあります。

  • 奈良美智は1959年の昭和34年に青森県弘前市生まれ、1988年の昭和63年にドイツに渡っています。ぎりぎりベルリンの壁の崩壊前にドイツにいたのだと思うと、それだけで羨ましく思えます。1988年からデュッセルドルフ美術館で研鑽を積み、1991年からは画家A.R.ペンクに師事しています。

    奈良美智は1959年の昭和34年に青森県弘前市生まれ、1988年の昭和63年にドイツに渡っています。ぎりぎりベルリンの壁の崩壊前にドイツにいたのだと思うと、それだけで羨ましく思えます。1988年からデュッセルドルフ美術館で研鑽を積み、1991年からは画家A.R.ペンクに師事しています。

  • 1992年には「デュッセルドルフ美術館」の毎年恒例の学生展で独創的な作品「Knife Behind Back」(1991年)を展示し、その後の彼のスタイルを決定する絵画となりました。

    1992年には「デュッセルドルフ美術館」の毎年恒例の学生展で独創的な作品「Knife Behind Back」(1991年)を展示し、その後の彼のスタイルを決定する絵画となりました。

  • 1994年にケルンに移り、かつての紡績工場にスタジオとリビングスペースを構えます。この頃ヨーロッパと日本での展覧会は増え続けています。「ケルンを自転車で走り回り、ギャラリーをチェックし、カフェでコーヒーを飲み、夕方から絵を描き始めました。私は毎日をこのように過ごし、ドイツでの生活で何も欲しなかった。」と言っています。

    1994年にケルンに移り、かつての紡績工場にスタジオとリビングスペースを構えます。この頃ヨーロッパと日本での展覧会は増え続けています。「ケルンを自転車で走り回り、ギャラリーをチェックし、カフェでコーヒーを飲み、夕方から絵を描き始めました。私は毎日をこのように過ごし、ドイツでの生活で何も欲しなかった。」と言っています。

  • 1995年の個展「In the Deepest Puddle」(SCAI THE BATHHOUSE、東京)はキャリアのターニングポイントとなります。今ではその多くが作品の試金石とされ、見る者を被写体の複雑な内面世界へと引き込むことに成功し、可愛らしさ、弱さ、怒り、不安、痛みという不安な二項対立を生み出しています。

    1995年の個展「In the Deepest Puddle」(SCAI THE BATHHOUSE、東京)はキャリアのターニングポイントとなります。今ではその多くが作品の試金石とされ、見る者を被写体の複雑な内面世界へと引き込むことに成功し、可愛らしさ、弱さ、怒り、不安、痛みという不安な二項対立を生み出しています。

  • 1996年のグループ展「Tokyo Pop」(平塚美術館)、「Ironic Fantasy: Another World」(5人の現代アーティストによる)に(宮城県美術館、仙台)に参加。「Japan&#39;s New Pop」の一員として、村上隆志、相田誠、智恵三太郎、森万里子とともに注目を集めます。

    1996年のグループ展「Tokyo Pop」(平塚美術館)、「Ironic Fantasy: Another World」(5人の現代アーティストによる)に(宮城県美術館、仙台)に参加。「Japan's New Pop」の一員として、村上隆志、相田誠、智恵三太郎、森万里子とともに注目を集めます。

  • 1998年にはポール・マッカーシーの推薦でUCLAの客員教授に招かれました。この間は同じく招かれていた村上隆と同居していました。日本の女性トリオバンド「少年ナイフ」の山野尚子の依頼により、彼らのアルバム「ハッピーアワー」のドローイングを制作しました。

    1998年にはポール・マッカーシーの推薦でUCLAの客員教授に招かれました。この間は同じく招かれていた村上隆と同居していました。日本の女性トリオバンド「少年ナイフ」の山野尚子の依頼により、彼らのアルバム「ハッピーアワー」のドローイングを制作しました。

  • 奈良の出身地である青森県立美術館の準備委員会が作品の収集を始めています。1984年から1997年にかけて制作された「Mumps」や「The Last Match」など90年代を代表する絵画を含む124点がアーカイブされています。

    奈良の出身地である青森県立美術館の準備委員会が作品の収集を始めています。1984年から1997年にかけて制作された「Mumps」や「The Last Match」など90年代を代表する絵画を含む124点がアーカイブされています。

  • 「Wish for World Peace」<br />奈良美智はロックが好きなアーティストとしても有名ですが、このことは彼の作品を読み解くためのヒントになるようです。世代的にもほぼ同じなので、聴いていたアーティストも同じようです。

    「Wish for World Peace」
    奈良美智はロックが好きなアーティストとしても有名ですが、このことは彼の作品を読み解くためのヒントになるようです。世代的にもほぼ同じなので、聴いていたアーティストも同じようです。

  • 「Dead or Peace」<br />デスサイズ(Deathscythe)は死神が持つ大鎌のことで、画中の女の子も何かを睨みながらこの鎌を振っています。<br />「?Do You Believe in Magic ?」<br />魔法なんて信じません。こういうタイプの女の子には何度も痛い目に遭っています。<br />

    「Dead or Peace」
    デスサイズ(Deathscythe)は死神が持つ大鎌のことで、画中の女の子も何かを睨みながらこの鎌を振っています。
    「?Do You Believe in Magic ?」
    魔法なんて信じません。こういうタイプの女の子には何度も痛い目に遭っています。

  • 「Nowhere Girls」<br />シーソーの上に乗って互いを見つめる女性たち。英語でシーソーはSeesawをShe SawなのかSee Sawにかけているのでしょうか?<br />「So Far Apart」<br />よく見るとSo Far Apart の後にbut from whereと書かれてあります。

    「Nowhere Girls」
    シーソーの上に乗って互いを見つめる女性たち。英語でシーソーはSeesawをShe SawなのかSee Sawにかけているのでしょうか?
    「So Far Apart」
    よく見るとSo Far Apart の後にbut from whereと書かれてあります。

  • 「I Don&#39;t Know Why」<br />分かんなにけど何度も何度も描いているんでしょうか?<br />「Stand by Me」<br />5回も書かれたら、少し距離を置きたくなりますね。<br />

    「I Don't Know Why」
    分かんなにけど何度も何度も描いているんでしょうか?
    「Stand by Me」
    5回も書かれたら、少し距離を置きたくなりますね。

  • 「You&#39;ve Gotta Love Something」<br />何かを愛さなければならない、なんて溜息が出ちゃいますよね。<br />「Kill Your Timid Notion」<br />臆病な考えを捨てる。

    「You've Gotta Love Something」
    何かを愛さなければならない、なんて溜息が出ちゃいますよね。
    「Kill Your Timid Notion」
    臆病な考えを捨てる。

  • 「Faked E,S,P」<br />インチキ超能力者の尊師は見覚えがありますね。<br />「Let&#39;s Go!! Dan,Dan,Dan」<br />ラーメン美味しいよね。

    「Faked E,S,P」
    インチキ超能力者の尊師は見覚えがありますね。
    「Let's Go!! Dan,Dan,Dan」
    ラーメン美味しいよね。

  • 「Final Count」<br />RotenだけどこれはRottenではないかな?

    「Final Count」
    RotenだけどこれはRottenではないかな?

  • 「Invisible Vision」<br />ビンゲンのヒルデガルト(Hildegard von Bingen)というドイツ神秘主義の源流に位置する修道女の幻視による「VISION」というCDがあるのですが、そんなことを思い出しました。

    「Invisible Vision」
    ビンゲンのヒルデガルト(Hildegard von Bingen)というドイツ神秘主義の源流に位置する修道女の幻視による「VISION」というCDがあるのですが、そんなことを思い出しました。

  • 「Over the Rainbow」<br />

    「Over the Rainbow」

  • 「TOKI」

    「TOKI」

  • 「End of The Road」<br />羅臼市街から知床半島を海岸沿いに北上する道道87号のどんづまりが相泊(あいどまり)です。相泊橋の先は道も人家もなく、あるのは断崖と漁師の番屋だけです。突端が語源の知床(シリエトク)のまさに最果ての地「End of The Road」となっています。

    「End of The Road」
    羅臼市街から知床半島を海岸沿いに北上する道道87号のどんづまりが相泊(あいどまり)です。相泊橋の先は道も人家もなく、あるのは断崖と漁師の番屋だけです。突端が語源の知床(シリエトク)のまさに最果ての地「End of The Road」となっています。

  • 「Can’t See Kunashir Islamd 2020」<br />鉛筆で「国後島は見えません。択捉島も見えません。」と書かれてあります。奈良美智と探検家で写真家の石川直樹は2014年に青森、北海道、サハリンを旅したようです。

    「Can’t See Kunashir Islamd 2020」
    鉛筆で「国後島は見えません。択捉島も見えません。」と書かれてあります。奈良美智と探検家で写真家の石川直樹は2014年に青森、北海道、サハリンを旅したようです。

  • ベルギーのブリュージュに置かれていた窓と扉だけで組まれた屋外のインスタレーションを思い出します。

    ベルギーのブリュージュに置かれていた窓と扉だけで組まれた屋外のインスタレーションを思い出します。

  • 「Angel」<br />AngelがAnglyとは、1文字違っただけで違った意味になってしまいますね。

    「Angel」
    AngelがAnglyとは、1文字違っただけで違った意味になってしまいますね。

  • 「Broken Heart Bench(Aomori Virsion)」<br />オオカミ少年ケンの視線を思い出しました。

    「Broken Heart Bench(Aomori Virsion)」
    オオカミ少年ケンの視線を思い出しました。

  • すぐ近くに「あおもり犬」が見えますが、ここからはアクセスできません。足の痛い妻は大変な思いをして階段を登って降りていました。車椅子を借りればよかったと思っても後の祭り。車椅子だとどこかの扉を開けてくれるみたいです。

    すぐ近くに「あおもり犬」が見えますが、ここからはアクセスできません。足の痛い妻は大変な思いをして階段を登って降りていました。車椅子を借りればよかったと思っても後の祭り。車椅子だとどこかの扉を開けてくれるみたいです。

  •  「HULA HULA GARDEN」 <br />小窓から中を覗く仕掛けの立体展示となっています

    「HULA HULA GARDEN」
    小窓から中を覗く仕掛けの立体展示となっています

  • ようやく1階の展示を観終わりました。「あおもり犬」は後回しです。

    ようやく1階の展示を観終わりました。「あおもり犬」は後回しです。

  • 2階の「棟方志功展示室」の見学に移ります。「棟方志功記念館」は2024年3月31日をもって閉館してしまいました。その情報は前から知っていたので、前年のクルーズで青森に来たときに見学してありました。素敵な建物だったので、身に行っておいて良かったと思います。<br />棟方志功記念館:https://4travel.jp/travelogue/11852760

    2階の「棟方志功展示室」の見学に移ります。「棟方志功記念館」は2024年3月31日をもって閉館してしまいました。その情報は前から知っていたので、前年のクルーズで青森に来たときに見学してありました。素敵な建物だったので、身に行っておいて良かったと思います。
    棟方志功記念館:https://4travel.jp/travelogue/11852760

  • 「二菩薩釈迦十大弟子 文殊菩薩の柵(改刻前)」<br />昭和14年当時に仏教に関心を深めていた棟方が、東京上野の国立博物館で展示されていた奈良興福寺の須菩提の乾漆像を見て構想を得た作品です。棟方とともに十大弟子の板木は東京から富山県福光に疎開しましたが、送り遅れた普賢と文殊菩薩の2面の板木は5月の東京空襲で灰燼に帰してしまいます。その後の福光滞在中の昭和23年の1948年に二菩薩図を改めて彫りなおしました。確かに改刻前後ではその手の表現が違っています。

    「二菩薩釈迦十大弟子 文殊菩薩の柵(改刻前)」
    昭和14年当時に仏教に関心を深めていた棟方が、東京上野の国立博物館で展示されていた奈良興福寺の須菩提の乾漆像を見て構想を得た作品です。棟方とともに十大弟子の板木は東京から富山県福光に疎開しましたが、送り遅れた普賢と文殊菩薩の2面の板木は5月の東京空襲で灰燼に帰してしまいます。その後の福光滞在中の昭和23年の1948年に二菩薩図を改めて彫りなおしました。確かに改刻前後ではその手の表現が違っています。

  • 「二菩薩釈迦十大弟子」<br />十大弟子とは釈迦の弟子の中で優れた10名のことを指します。屏風には目鍵連、舎利弗、優婆離、須菩提、阿難陀、羅睺羅、魔訶迦葉、阿那律、富楼那、迦旃延と、その両端に普賢延命菩薩と文殊止利菩薩が配されています。これは昨年に「棟方志功記念館」に展示してあったものとは表層が違っています。

    「二菩薩釈迦十大弟子」
    十大弟子とは釈迦の弟子の中で優れた10名のことを指します。屏風には目鍵連、舎利弗、優婆離、須菩提、阿難陀、羅睺羅、魔訶迦葉、阿那律、富楼那、迦旃延と、その両端に普賢延命菩薩と文殊止利菩薩が配されています。これは昨年に「棟方志功記念館」に展示してあったものとは表層が違っています。

  • 「文殊菩薩の柵(改刻前)」<br />昭和14年当時に仏教に関心を深めていた棟方が、東京上野の国立博物館で展示されていた奈良興福寺の須菩提の乾漆像を見て構想を得た作品です。棟方とともに十大弟子の板木は東京から富山県福光に疎開しましたが、送り遅れた普賢と文殊菩薩の2面の板木は5月の東京空襲で灰燼に帰してしまいます。その後の福光滞在中の昭和23年の1948年に二菩薩図を改めて彫りなおしました。

    「文殊菩薩の柵(改刻前)」
    昭和14年当時に仏教に関心を深めていた棟方が、東京上野の国立博物館で展示されていた奈良興福寺の須菩提の乾漆像を見て構想を得た作品です。棟方とともに十大弟子の板木は東京から富山県福光に疎開しましたが、送り遅れた普賢と文殊菩薩の2面の板木は5月の東京空襲で灰燼に帰してしまいます。その後の福光滞在中の昭和23年の1948年に二菩薩図を改めて彫りなおしました。

  • 「二菩薩釈迦十大弟子 板木」<br />ここに並んでいるのは二菩薩が彫られた1枚と十大弟子が彫られた5枚の板木です。その理由は裏表が使われているからです。自分の身長ほどの大きさのものを考えていた棟方は「丁度良い位の贅沢な木を見つけたので、この材料を全然無駄にせずにやろうと思いました。」と書き残しています。両脇の二菩薩の板木は戦火で消失したために掘り直していますが、十大弟子の5枚は妻のチヤが疎開先へ荷物を送る際の添え木として使用したために難を逃れて戦後に大活躍します。

    「二菩薩釈迦十大弟子 板木」
    ここに並んでいるのは二菩薩が彫られた1枚と十大弟子が彫られた5枚の板木です。その理由は裏表が使われているからです。自分の身長ほどの大きさのものを考えていた棟方は「丁度良い位の贅沢な木を見つけたので、この材料を全然無駄にせずにやろうと思いました。」と書き残しています。両脇の二菩薩の板木は戦火で消失したために掘り直していますが、十大弟子の5枚は妻のチヤが疎開先へ荷物を送る際の添え木として使用したために難を逃れて戦後に大活躍します。

  • 「美寫扣(びしゃひかえ)」<br />表紙には昭和戌辰念(昭和3年)と姓名 幸吉三男 棟方志功と住所が書かれています。裏表紙には「愛・熱・力」という三文字を四角で囲み、その周囲に昇り龍、降り龍、太陽、雲を描いています。

    「美寫扣(びしゃひかえ)」
    表紙には昭和戌辰念(昭和3年)と姓名 幸吉三男 棟方志功と住所が書かれています。裏表紙には「愛・熱・力」という三文字を四角で囲み、その周囲に昇り龍、降り龍、太陽、雲を描いています。

  • 「少女のスケッチ」<br />小野忠明が初めて棟方と会った時のことを回想しています。「ちびた4Bの鉛筆を舐め舐め、まるで紙面に鼻頭を擦り付けるような格好で絵を描いている。覗き見したら、少女雑誌の挿絵でも真似たような稚拙な絵がかかれてあった」

    「少女のスケッチ」
    小野忠明が初めて棟方と会った時のことを回想しています。「ちびた4Bの鉛筆を舐め舐め、まるで紙面に鼻頭を擦り付けるような格好で絵を描いている。覗き見したら、少女雑誌の挿絵でも真似たような稚拙な絵がかかれてあった」

  • 「星座の花嫁」<br />大正14年の第5回国画会展に出展された川上澄生の「初夏の風」を観て感動したことから、棟方は版画への道を歩むことになります。この作品集では川上澄生の影響を多く受けています。作品も多色刷り版画となっています。

    「星座の花嫁」
    大正14年の第5回国画会展に出展された川上澄生の「初夏の風」を観て感動したことから、棟方は版画への道を歩むことになります。この作品集では川上澄生の影響を多く受けています。作品も多色刷り版画となっています。

  • 江戸時代より版画は彫師や摺師らによる分業制で版元から発行され、冊子の形で流通していました。自ら版木を彫り、自ら摺ることを表現活動とする創作版画運動が実を結び、版画の出品が認められるようになったのは昭和27年のことです。棟方が上京したのはちょうど版画が展覧会で鑑賞する「作品」へと変化する時期でした。

    江戸時代より版画は彫師や摺師らによる分業制で版元から発行され、冊子の形で流通していました。自ら版木を彫り、自ら摺ることを表現活動とする創作版画運動が実を結び、版画の出品が認められるようになったのは昭和27年のことです。棟方が上京したのはちょうど版画が展覧会で鑑賞する「作品」へと変化する時期でした。

  • 「読みもの」と「作品」の間を行き来しているのがこの時期の棟方作品の特徴のようです「読みもの」としての名残もしっかり残っていて、額縁のような縁には「一とすじみちを行く人 先を行く人 じゃまです。」と書かれてあります。

    「読みもの」と「作品」の間を行き来しているのがこの時期の棟方作品の特徴のようです「読みもの」としての名残もしっかり残っていて、額縁のような縁には「一とすじみちを行く人 先を行く人 じゃまです。」と書かれてあります。

  • 「星座の花嫁」の中の「貴女・裳を引く」では画中に「裳(もすそ)には霞に無之候 もすそはかすみに似たりと云いども 裳は霞に 御座なくさふらふ 貴女等裳を引く 悠々とそれぞれ悠ゆうと」

    「星座の花嫁」の中の「貴女・裳を引く」では画中に「裳(もすそ)には霞に無之候 もすそはかすみに似たりと云いども 裳は霞に 御座なくさふらふ 貴女等裳を引く 悠々とそれぞれ悠ゆうと」

  • 「貴女等 聖堂を出づる」

    「貴女等 聖堂を出づる」

  • 「べチレヘムに聖堂を観る」

    「べチレヘムに聖堂を観る」

  • 「貴女等 箒星を観る」

    「貴女等 箒星を観る」

  • 「ちょうちょうと女」

    「ちょうちょうと女」

  • 蔵書票は本の見返し部分に貼って、その本の持ち主を明らかにするための小紙片のことです。国際的には「だれそれの蔵書から」を意味するラテン語エクスリブリス(ex libris)と呼ばれ、英語ではブックプレート(bookplate)といいます。蔵書票が誕生したのは15世紀のドイツとされ、その背景に製紙技術の発達とグーテンベルクの発明した活版印刷によって大量生産が可能になった書籍の普及があります。

    蔵書票は本の見返し部分に貼って、その本の持ち主を明らかにするための小紙片のことです。国際的には「だれそれの蔵書から」を意味するラテン語エクスリブリス(ex libris)と呼ばれ、英語ではブックプレート(bookplate)といいます。蔵書票が誕生したのは15世紀のドイツとされ、その背景に製紙技術の発達とグーテンベルクの発明した活版印刷によって大量生産が可能になった書籍の普及があります。

  • 「星座の花嫁 貴女等箒星を観る 板木」<br />この板木は「七季志功之写」と描かれた昭和7年制作の油絵の裏面です。棟方の戦前の板木は空襲で東京の自宅と共にほとんどが焼失しているので貴重な資料と言えます。

    「星座の花嫁 貴女等箒星を観る 板木」
    この板木は「七季志功之写」と描かれた昭和7年制作の油絵の裏面です。棟方の戦前の板木は空襲で東京の自宅と共にほとんどが焼失しているので貴重な資料と言えます。

  • 「勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅」<br />能の演目「善知鳥」を下敷きにした作品。で、「能の持っている幽玄さを、白と黒の絶対性でつかみたい」と31点の絵巻として構成されています。伝説によると善知鳥の親は砂の中に巧みに雛を隠し、「うとう」と呼んで雛鳥を呼び、雛は「やすかた」と答え居場所を知らせるといいます。猟師は親鳥の呼び方を真似て雛鳥を捉えようとし、子を捉えられた親鳥は血の涙を流しながら雛鳥を取り戻そうと追います。その血が一滴でも身に掛かれば、生きたまま幽鬼にされてしまうと言われています。 「善知鳥」は棟方の出生地の青森市の古名でもあること、亡くなった猟師が富山県の立山で僧に出会うことから、故郷の青森と富山をつなぐ物語として棟方にとって特別の愛着があったのだそうです。6月に行った京都の「丸太町十二段屋」にはこの中の1枚「夜訪の柵」が飾ってありました。

    「勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅」
    能の演目「善知鳥」を下敷きにした作品。で、「能の持っている幽玄さを、白と黒の絶対性でつかみたい」と31点の絵巻として構成されています。伝説によると善知鳥の親は砂の中に巧みに雛を隠し、「うとう」と呼んで雛鳥を呼び、雛は「やすかた」と答え居場所を知らせるといいます。猟師は親鳥の呼び方を真似て雛鳥を捉えようとし、子を捉えられた親鳥は血の涙を流しながら雛鳥を取り戻そうと追います。その血が一滴でも身に掛かれば、生きたまま幽鬼にされてしまうと言われています。 「善知鳥」は棟方の出生地の青森市の古名でもあること、亡くなった猟師が富山県の立山で僧に出会うことから、故郷の青森と富山をつなぐ物語として棟方にとって特別の愛着があったのだそうです。6月に行った京都の「丸太町十二段屋」にはこの中の1枚「夜訪の柵」が飾ってありました。

  • 「庭」<br />当時寄宿していた同郷の画家の松本満史のアトリエ兼住宅から庭木越しに向かいの洋館や路地を描いた食の油絵作品です。

    「庭」
    当時寄宿していた同郷の画家の松本満史のアトリエ兼住宅から庭木越しに向かいの洋館や路地を描いた食の油絵作品です。

  • 「少年」<br />「大和し美し」が日本民芸館買い上げとなった1936年に柳宗悦が河井寛次郎を連れて棟方宅を訪れると、部屋いっぱいに大きな絵がうようよしていました。

    「少年」
    「大和し美し」が日本民芸館買い上げとなった1936年に柳宗悦が河井寛次郎を連れて棟方宅を訪れると、部屋いっぱいに大きな絵がうようよしていました。

  • 「南無華厳」<br />棟方にとって書というものは絵を描く事と同じ感覚で書いており、作品に自分からぶつかっていくような迫力があります。「南無華厳」という言葉の意味は修行によって悟りの境地に至るということです。墨の濃淡や掠れといったものに一切無頓着に自分の想いをこめて一気に書いているようです。

    「南無華厳」
    棟方にとって書というものは絵を描く事と同じ感覚で書いており、作品に自分からぶつかっていくような迫力があります。「南無華厳」という言葉の意味は修行によって悟りの境地に至るということです。墨の濃淡や掠れといったものに一切無頓着に自分の想いをこめて一気に書いているようです。

  • 「御吉祥辨財天舞妃尊像図」<br />これは板画ではなく肉筆画の「倭画(やまとが)」で、軸装されたの状態の作品の鮮やかな彩色と衣服には金彩も施されて、リズミカルな輪郭線や衣文線がダイナミックです。

    「御吉祥辨財天舞妃尊像図」
    これは板画ではなく肉筆画の「倭画(やまとが)」で、軸装されたの状態の作品の鮮やかな彩色と衣服には金彩も施されて、リズミカルな輪郭線や衣文線がダイナミックです。

  • 「神説御蓬莱之図」<br />中国の神仙思想で仙人が住むといわれる伝説の「蓬莱山」を描いています。棟方が還暦の年の七夕に作られました。死後の世界の理想郷を表して、鶴や亀や龍など縁起の良いものをちりばめています。月にウサギ、太陽に八咫烏(やたがらす)を入れるのも棟方の特徴で、一気に仕上げた筆の勢いも見られます。

    「神説御蓬莱之図」
    中国の神仙思想で仙人が住むといわれる伝説の「蓬莱山」を描いています。棟方が還暦の年の七夕に作られました。死後の世界の理想郷を表して、鶴や亀や龍など縁起の良いものをちりばめています。月にウサギ、太陽に八咫烏(やたがらす)を入れるのも棟方の特徴で、一気に仕上げた筆の勢いも見られます。

  • 「山気清妙図」「作陶図」「柳緑花紅図」「妙風之韻図」「丸双山清閑之図」「志功三友図」

    「山気清妙図」「作陶図」「柳緑花紅図」「妙風之韻図」「丸双山清閑之図」「志功三友図」

  • 「風景図」「玄関図」「三楽図」「志功執筆図」「懐邦図」「和妙之界図」

    「風景図」「玄関図」「三楽図」「志功執筆図」「懐邦図」「和妙之界図」

  • 棟方は頼まれれば気軽に包装紙のデザインを引き受けたために、全国津々浦々に店舗の包装紙や商品パッケージが残っています。これは京都の寺町御池にある「亀屋良永」の「御池煎餅」の缶です。

    棟方は頼まれれば気軽に包装紙のデザインを引き受けたために、全国津々浦々に店舗の包装紙や商品パッケージが残っています。これは京都の寺町御池にある「亀屋良永」の「御池煎餅」の缶です。

  • 9月に京都へ行った際には奮発して煎餅を買おうと思っ行ったのですが。

    9月に京都へ行った際には奮発して煎餅を買おうと思っ行ったのですが。

  • 妻がこれを買うなら「村上開進堂」のクッキーを買って欲しいというのでそちらになってしまいました。9月に注文して受け取りは翌年の10月とのことです。

    妻がこれを買うなら「村上開進堂」のクッキーを買って欲しいというのでそちらになってしまいました。9月に注文して受け取りは翌年の10月とのことです。

  • 「女人観世音板画巻」<br />棟方志功は戦前「女人芸術」創刊号の扉を飾った岡本かの子の詩「女人ぼさつ」を読んで、女人にひそむ愛憐の詩としてこの詩を長く愛誦し、昭和24年になってこの詩を題材に「女人観世音板画巻」8柵 に題字などを加え12柵を制作しました。

    「女人観世音板画巻」
    棟方志功は戦前「女人芸術」創刊号の扉を飾った岡本かの子の詩「女人ぼさつ」を読んで、女人にひそむ愛憐の詩としてこの詩を長く愛誦し、昭和24年になってこの詩を題材に「女人観世音板画巻」8柵 に題字などを加え12柵を制作しました。

  • 棟方にとって長い間あたためられてきたテーマで、ほとんど丸刀だけで制作した技法の上でも新天地を開いた作品です。昭和27年スイス・ルガーノ版画展で優秀賞を受賞し、「世界のムナカタ」となるきっかけを成した代表作といえます。<br />

    棟方にとって長い間あたためられてきたテーマで、ほとんど丸刀だけで制作した技法の上でも新天地を開いた作品です。昭和27年スイス・ルガーノ版画展で優秀賞を受賞し、「世界のムナカタ」となるきっかけを成した代表作といえます。

  • この「女人観世音板画巻」はその後晩年にいたるまで何度か摺られ、彩色されてそれぞれその時代の棟方がもつ色彩の変化をよく示しています。

    この「女人観世音板画巻」はその後晩年にいたるまで何度か摺られ、彩色されてそれぞれその時代の棟方がもつ色彩の変化をよく示しています。

  • 「いろは板画柵」<br />いろは48文字を1字づつ板画化し、4文字12列に貼り交ぜた六曲一双屏風です。文字そのものが装飾として独立発展しています。日本民芸館にはこの板画の彩色したバージョンが収蔵されています。<br />「い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち」<br />

    「いろは板画柵」
    いろは48文字を1字づつ板画化し、4文字12列に貼り交ぜた六曲一双屏風です。文字そのものが装飾として独立発展しています。日本民芸館にはこの板画の彩色したバージョンが収蔵されています。
    「い・ろ・は・に・ほ・へ・と・ち」

  • 「り・む・る・を・わ・か・よ・た」

    「り・む・る・を・わ・か・よ・た」

  • 「れ・そ・つ・ね・な・ら・む・う」

    「れ・そ・つ・ね・な・ら・む・う」

  • 「ゐ・の・お・く・や・ま・け・ふ」

    「ゐ・の・お・く・や・ま・け・ふ」

  • 「こ・え・て・あ・さ・き・ゆ・め」

    「こ・え・て・あ・さ・き・ゆ・め」

  • 「み・し・	ゑ・ひ・も・せ・す・ん」

    「み・し・ ゑ・ひ・も・せ・す・ん」

  • 大きな展示室の奥には巨大な作品が展示してあります。全長約26メートルにも及ぶ棟方最大の作品でもあります。

    大きな展示室の奥には巨大な作品が展示してあります。全長約26メートルにも及ぶ棟方最大の作品でもあります。

  • 「大世界の柵 乾坤頌 ー人類より神々へー」<br />これは1963年、倉敷国際ホテルのオープンに合わせて大原總一郎(大原美術館創設者大原孫三郎の息子で当ホテルの創設者)が制作を依頼したものです。<br /><br />

    「大世界の柵 乾坤頌 ー人類より神々へー」
    これは1963年、倉敷国際ホテルのオープンに合わせて大原總一郎(大原美術館創設者大原孫三郎の息子で当ホテルの創設者)が制作を依頼したものです。

  • この作品は初め「乾坤頌 ー人類より神々へー」という作品名でしたが、この版画の版木の裏面を使い大阪万国博覧会の日本民藝館に展示した「大世界の柵<乾>神々より人類へ」という作品を制作したことから、後に改名されたという逸話も残されています。

    この作品は初め「乾坤頌 ー人類より神々へー」という作品名でしたが、この版画の版木の裏面を使い大阪万国博覧会の日本民藝館に展示した「大世界の柵<乾>神々より人類へ」という作品を制作したことから、後に改名されたという逸話も残されています。

  • 作品はベートーベンの第九の情熱、皇帝などの韻律を裸体の中に響かせ、神々の芸術への讃歌を版画化したとも、ピカソの「ゲルニカ」を見た感動をモチーフに作ったとも言われています。

    作品はベートーベンの第九の情熱、皇帝などの韻律を裸体の中に響かせ、神々の芸術への讃歌を版画化したとも、ピカソの「ゲルニカ」を見た感動をモチーフに作ったとも言われています。

  • この作品を観たときにウィーンの「セセッション」の地下にあるクリムトの「ベートーヴェン・フリース」を思い出しましたが、あながち的外れでもなかったようです。<br />ウィーン/セセッション:https://4travel.jp/travelogue/10563139

    この作品を観たときにウィーンの「セセッション」の地下にあるクリムトの「ベートーヴェン・フリース」を思い出しましたが、あながち的外れでもなかったようです。
    ウィーン/セセッション:https://4travel.jp/travelogue/10563139

  • 棟方志功の使用していた筆や刷毛や絵の具類が展示してありました。これらの道具で板画に彩色が施されていたと思うと感慨深いものがありました。

    棟方志功の使用していた筆や刷毛や絵の具類が展示してありました。これらの道具で板画に彩色が施されていたと思うと感慨深いものがありました。

  • 「海とオルゴールの柵」<br />竹内てるよの詩を板画で表した作品です。母の自殺・結核・離縁・息子との生き別れ・貧困、そして再会した息子は犯罪者として刑務所に収監され34歳で亡くなります。そんな数々の試練を顔も知らぬ息子への愛情と詩の創作で乗り越えてきた自伝小説です。

    「海とオルゴールの柵」
    竹内てるよの詩を板画で表した作品です。母の自殺・結核・離縁・息子との生き別れ・貧困、そして再会した息子は犯罪者として刑務所に収監され34歳で亡くなります。そんな数々の試練を顔も知らぬ息子への愛情と詩の創作で乗り越えてきた自伝小説です。

  • 棟方志功の眼鏡と双眼鏡とカメラがケースに納められていました。極度の近視だったこともこのレンズの厚さからうかがえます。父も同じような双眼鏡とオリンパスペンを残しているので身近に感じます。カメラは弟が持っていますが、双眼鏡は今でも一緒に旅に出ています。

    棟方志功の眼鏡と双眼鏡とカメラがケースに納められていました。極度の近視だったこともこのレンズの厚さからうかがえます。父も同じような双眼鏡とオリンパスペンを残しているので身近に感じます。カメラは弟が持っていますが、双眼鏡は今でも一緒に旅に出ています。

  • 「青森凧絵」<br />自伝お腹で幼少年時代に心惹かれ「わたくしに絵を描けと教えてくれた」存在としてねぶたと共に凧絵をあげています。

    「青森凧絵」
    自伝お腹で幼少年時代に心惹かれ「わたくしに絵を描けと教えてくれた」存在としてねぶたと共に凧絵をあげています。

  • 青森と弘前と五所川原の3つの凧の流れをそれぞれ体の中に入っていて「わたくしの絵や板画の魂を入れている。」と書いています。題材は青森の流れのある題材で「曽我五郎」と「鬼神のお松」を描いています。

    青森と弘前と五所川原の3つの凧の流れをそれぞれ体の中に入っていて「わたくしの絵や板画の魂を入れている。」と書いています。題材は青森の流れのある題材で「曽我五郎」と「鬼神のお松」を描いています。

  • 「青森ねぶた図」<br />「人間の持っている喜びとか、悲しみとか、驚き。そういうものの極致から出たものこそ、本当の重要なもの。ねぶた正面がおどろに向いた時よりも、むしろ、ねぶたが帰っていく後ろ姿のなんとも言えない寂滅の世界。ああいうことが私の仕事の根源になっているのではないか」という言葉を遺しています。

    「青森ねぶた図」
    「人間の持っている喜びとか、悲しみとか、驚き。そういうものの極致から出たものこそ、本当の重要なもの。ねぶた正面がおどろに向いた時よりも、むしろ、ねぶたが帰っていく後ろ姿のなんとも言えない寂滅の世界。ああいうことが私の仕事の根源になっているのではないか」という言葉を遺しています。

  • 「青森の子(AOMORI NO KO)」<br />棟方志功は柳宗悦を通じてバーナード・リーチとも会っているようです。この陶器はそんなリーチの得意としたイギリスのスリップウェアを感じさせます。

    「青森の子(AOMORI NO KO)」
    棟方志功は柳宗悦を通じてバーナード・リーチとも会っているようです。この陶器はそんなリーチの得意としたイギリスのスリップウェアを感じさせます。

  • スリップウェアは化粧土と泥漿(でいしょう)で装飾した陶器のことです。釉薬は基本的に鉛釉(えんゆう)を施します。この作品では粘土を水で熔いたものをスポイトで絞り出して文字を書き込んでいます。共箱の文字と絵も素晴らしいです。

    スリップウェアは化粧土と泥漿(でいしょう)で装飾した陶器のことです。釉薬は基本的に鉛釉(えんゆう)を施します。この作品では粘土を水で熔いたものをスポイトで絞り出して文字を書き込んでいます。共箱の文字と絵も素晴らしいです。

  • 「自筆書簡」<br />棟方志功記念館の建設当時に庭園整備を所管知っていた青森市の建設部の課長に宛てた書簡です。自分の思い描く記念館の庭園の植栽について具体的なイメージ図を添えています。

    「自筆書簡」
    棟方志功記念館の建設当時に庭園整備を所管知っていた青森市の建設部の課長に宛てた書簡です。自分の思い描く記念館の庭園の植栽について具体的なイメージ図を添えています。

  • 最後に「青森戌」と記念写真も撮りました。

    最後に「青森戌」と記念写真も撮りました。

  • 井田大介の「Synoptes」<br />「SYNOPTES(シノプテス)」はギリシャ神話に登場する複眼の巨人「アルゴスパノプテス」とノルウェーの社会学者トマス・マシーセンが提唱している「Synopticon(シノプティコン)」という概念を掛け合わせた造語だそうです。

    井田大介の「Synoptes」
    「SYNOPTES(シノプテス)」はギリシャ神話に登場する複眼の巨人「アルゴスパノプテス」とノルウェーの社会学者トマス・マシーセンが提唱している「Synopticon(シノプティコン)」という概念を掛け合わせた造語だそうです。

  • 18世紀に登場した監視システムを指す言葉「パノプティコン」の語源にもなった複眼の巨人の神話を下敷きにした作品は、じっと見ていると瞬きをするのには鳥肌が立ちました。

    18世紀に登場した監視システムを指す言葉「パノプティコン」の語源にもなった複眼の巨人の神話を下敷きにした作品は、じっと見ていると瞬きをするのには鳥肌が立ちました。

  • ここでお腹が減ったので美術館の中にある「cafe 4匹の猫」というカフェレストランに入りました。美術館自体はまあまあ混雑していましたが、5分ほど待って座ることが出来ました。店の名前からバルセロナにある「クアトロ ガッツ(Els Quatre Gats)」というピカソも通った店に由来するのかと思いましたが、そうでもなさそうです。

    ここでお腹が減ったので美術館の中にある「cafe 4匹の猫」というカフェレストランに入りました。美術館自体はまあまあ混雑していましたが、5分ほど待って座ることが出来ました。店の名前からバルセロナにある「クアトロ ガッツ(Els Quatre Gats)」というピカソも通った店に由来するのかと思いましたが、そうでもなさそうです。

  • シードルと一緒にブランド鶏「あべどり」を使用して県産りんごと一緒に煮込んだチキンカレーをいただきます。

    シードルと一緒にブランド鶏「あべどり」を使用して県産りんごと一緒に煮込んだチキンカレーをいただきます。

  • ここでお昼を食べるのに集中し過ぎて奈良美智の「Miss Forest/森の子」を観てくるのを忘れてしまいました。これは2人とも凹みました。

    ここでお昼を食べるのに集中し過ぎて奈良美智の「Miss Forest/森の子」を観てくるのを忘れてしまいました。これは2人とも凹みました。

    4匹の猫 グルメ・レストラン

  • グラフィックデザイナーの菊地敦己の作品が外壁を覆っています。夜になるとネオン管のように光るようですが、日中は主張するものはあまり感じられません。

    グラフィックデザイナーの菊地敦己の作品が外壁を覆っています。夜になるとネオン管のように光るようですが、日中は主張するものはあまり感じられません。

  • 「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」という展覧会の展示作品を観た後はまなつのひざしのなか「三内丸山遺跡」まで歩きました。

    「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」という展覧会の展示作品を観た後はまなつのひざしのなか「三内丸山遺跡」まで歩きました。

    特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡

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