2023/08/07 - 2023/08/07
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kojikojiさん
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青森ねぶた最終日の運行が終わってしまうと夕方まで時間が空いてしまいます。考えていたのが「棟方志功記念館」を見に行くということでした。以前から青森市内と弘前市周辺を旅する計画は立てているのですが、このところ東北ばかり旅しているので実行に移せていません。ところが「棟方志功記念館」が施設の手狭なことから2024年3月末で閉館になってしまうということを知りました。年内の旅はすでにいくつも予約済みなので、それを理由に青森に来ることも出来ず、思案した結果ねぶたに乗じて見学するということでした。市役所でトイレを借りて少し休憩した後は歩いていくことしました。グーグルマップでは近そうでしたが、これが歩いてみるとかなりの距離があり、だんだん妻の起源が悪くなってきます。周りは住宅街や公園なのでタクシーどころか車も走っていません。何とかたどり着いた「棟方志功記念館」は校倉造を模した建物と池泉回遊式の閑静な日本庭園が美しい美術館でした。ロッカーに荷物を預けて涼しい館内に入るとホッとします。他に歩いている人は見掛けませんでしたが、館内はかなり混みあっていました。棟方志功の小品は自宅にもあり、それは早くに家を出た弟に母の死後に上げてしまいました。それ以降手に入れたいと思いながら3年が過ぎてしまっています。改めてまとまった作品をじっくり見学すると、余計に手に入れたいという気持ちが大きくなってきます。記念館には数多くの作品があるようですが、建物の規模から2部屋では展示しきれないので今後は「青森県立美術館」で見ることが出来るようです。ただ1975年に開館したこの建物で見ることが出来なくなる前に来ることが出来て良かったと思いました。見学した後は近くのバス停から青森駅まで戻りました。後は晩御飯をどこかで食べて、花火とねぶたの海上運行を見るだけなのですが一筋縄ではいきませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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青森のねぶたが終わりました。参加していなくても祭りの終わりは何か物悲しいものを感じます。国道4号線を青森市役所方向へ歩いていると金魚ねぶたが見たので寄ってみます。
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ここは「廣田神社」という神社で幸せを運ぶといわれる金魚ねぶたを大鳥居に掲げて街を彩り、地域の繁栄と人々の安寧を祈念する金魚ねふ?た献灯祭という祭りが開催されています。ここも夜になると明かりが灯るようで、多分きれいなことでしょう
廣田神社 寺・神社・教会
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「じゃんばらしめ縄」は鳥居に暖簾のようなしめ縄を飾るもので、形や大きさは神社それぞれですが、津軽地方を中心に根付いた独特の文様で編み込まれます。「じゃばら」と表記することもあり、「邪祓(じゃばらい)」がなまって転化したものといわれます。
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神社の近くの自動販売機でポカリスエットを500ミリ一気飲みして生き返ります。妻は近くのコンビニでガリガリ君を買ってきてくれたのでクールダウン出来ました。市役所のロビーは観光客に開放されていて、見慣れたクラブツーリズムやトラピックスのバッチをした人がたくさんいます。タクシーも捕まらなさそうなので歩いて「棟方志功記念館」に向かいます。
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グーグルマップで検索すると市役所から「棟方志功記念館」まで19分とありましたが、指示通りの道を歩いても30分はかかりました。途中の道は住宅街なので車も走っていません。この日は月曜日なので本来は休館日ですが、ねぶた期間中は開館とありました。心配なので歩きながら電話して確認もしておきました。
棟方志功記念館 美術館・博物館
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何とかたどり着いた「棟方志功記念館」は校倉造を模した建物と池泉回遊式の閑静な日本庭園が美しい美術館でした。
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「京都御所」の中の「仙洞御所」の州浜のような石が敷かれています。形も揃った丸石ですが、丸石1個につき米一升と交換したことから「一升石」と呼ばれる御所のものほどは揃っていません。
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コンクリートで造られた校倉は本来の意味を失っていますが、美しさは損なわれていません。この記念館は棟方の文化勲章受章を記念し、その業績を永く伝えるために青森県と青森市をはじめ各方面の協力のもとに1975年11月開館しました。2024年3月31日で閉館となりますが、その後の作品は青森県立美術館にて鑑賞できるようです。
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以前からここへは来たかったのですが、ANAの特典航空券で函館往復を予約し、津軽海峡フェリーと函館と大間、佐井から青森までも航路で往復しようと考えていたら歳からのフェリーは今年運行が無くなってしまいました。そこで計画がとん挫してしまいました。棟方志功の作品はこの記念館で観たかったので、今回のクルーズでの青森の寄港は渡りに船でした。
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平成24年の2012年には鎌倉にあった「棟方板画館」と合併し、497作品1112点が移管されました。これにより所蔵作品数は一気に3倍以上の1900点余りに増え、国内最大の棟方コレクションを持つようになりました。その時に庭にあった筆塚と一緒にこの石塔も運ばれました。益子の濱田庄司宅の庭にあった高麗時代の石塔を棟方が気に入ったことから大谷石で摸刻して贈ったそうです。
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花は咲いていませんでしたが、棟方の愛した沢瀉(おもだか)です。小学生の頃に同級生と一緒に飛んでいる飛行機を追いかけて畦道を走っていると躓いて転んでしまいました。顔を上げると目の前に沢瀉の白い花があり、この美しさを表せる人間になりたいと思ったそうです。
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ここまで人通りのない住宅地を歩いてきましたが、館内のモニターの前の席は満席でした。皆さん見学を終えられた後のようで展示室はガラガラでした。写真パネルと数点の作品以外は撮影が可能だったのが良かったです。コインロッカーに荷物を預けて、身軽になって作品を鑑賞します。
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「棟方志功像」高田博厚
高田博厚の「海」という作品を棟方は気に入っており欲しいと願っていました。高田は稲村ケ崎、棟方は鎌倉に住んでいたことから親交があり、高田は棟方像を作りたいと考えていました。棟方の存命中にその想いは叶わず、没後に写真をもとに制作されました。棟方の望んでいた「海」とこの作品をそれぞれ2体作り終えると鎌倉のアトリエ「雑華山荘」と「棟方志功記念館」に寄贈されました。 -
「わだばゴッホになる」草野心平
草野心平が公私に渡って親密な付き合いのあった棟方の生涯を讃えて詠んだ詩です。非常に喜んだ棟方はこの詩を彫り込んだ版画「わだばゴッホになるの柵」を制作します。棟方はこの詩を墨書してほしいと頼み、草野は入院中の棟方の見舞いに本作を持参しました。 -
「わだばゴッホになるの柵(左半分)」棟方の板画作品には「○○の柵」という作品名のものが多々あります。この「柵」について棟方は「四国の巡礼の方々が寺々を廻られるとき、首に下げる、寺々へ納める廻札、あの意味なのです。この札は一つ一つ、自分の願いと信念をその寺に納めていくという意味で下げるものですが、私の願所にひとつひとつ願かけの印札を納めていくということ、それがこの柵の本心なのです。ですから納札、柵を打つ、そういう意味にしたいのです。たいていわたくしの板画の題には「柵」というのがついていますけれども、そういう意味なのです。
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一柵ずつ、一生の間、生涯の道標をひとツずつ、そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく。柵を打っていく、そういうことで「柵」というのを使っているのです。この柵は、どこまで、どこまでもつづいて行くことでしょう。際々無限に。」といっています。
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「棟方図」(左)
1972年に草野心平と共にインドを旅した際の自画像です。タージ・マハルをスケッチしているときの姿と思われます。棟方にとっての初めてのインドは限りない大地と太陽と月と星の凄さに感動したそうです。
「大印度旭河図」(右)
我が家旅も来年からはインドに向かいたいと考えているので気になる作品でした。 -
「御三尊像図」
棟方の後援者である川勝堅一のために描いた三尊仏です。現在は額装されていますが、もとは大阪の川勝邸の居室の壁画でした。 -
ベニヤ板に胡粉を塗ってから描いたため棟方の倭画の特徴である筆の勢いや伸びやかさはあまり見られません。倭画(やまとが)とは肉筆による日本画のことで、棟方自身が名付けたものです。板画より奔放に、そして油絵より自由に表現できる倭画は棟方が得意とした画法の1つでした。
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川勝堅一は高等小学校卒業の翌年に京都高島屋に就職します。高島屋東京支店の宣伝部長から最後は横浜高島屋の専務取締役になっています。宣伝部長時代に河井寛次郎と出会った時から意気投合し、生涯親交を結ぶこととなります。川勝は河井寛次郎を心から応援し、その作品収集に情熱をかたむけ、収集した河井寛次郎の代表的な作品425点が、「京都国立近代美術館」に「川勝コレクション」として収蔵されています。
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棟方にも1940年頃から高島屋での個展開催の機会を提供したり、疎開先から東京へ戻る資金集めを呼びかけた柳宗悦に賛助として名を連ね、折々で援助を行っています。川勝の著書「日本橋の軌跡 デパート随筆」の装丁は棟方が担当しました。
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「御鷹々々図(おんたかたかたかず)」
岩山に立つ2羽の鷹と大きく羽を広げ飛翔する1羽の鷹を描いた「御鷹々々図」は高さ約1.7メートル、幅約7.2メートルの大作で、余白を大胆に利用した構図からは広大な空の奥行きが感じられます。 -
昭和29年の夏に鹿内仙人達と八甲田大岳を登っていた棟方は両翼に見事な丸い模様を持つ鷹に出合います。当時画家として成功しつつあった棟方は祝福を感じ、以来好んで鷹を描くようになったそうです。
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屏風絵や襖絵などの依頼も数多く受けて制作しています。障屏画は依頼主の元へ赴きそこで直接筆を下ろして描くものであるため、個人宅の場合は特に棟方と依頼主との間に強い結びつきがあることを物語っているようです。
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制作時の棟方の集中力は凄まじく大画面にもかかわらずわずかな時間で一気に描き上げることもあったそうです。
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この鷲は屏風の枠に収まりきらず縁の金箔も感じさせないほどの迫力で一気に描かれています。
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「火の願い版画柵」
富山県南砺市の福光に疎開すると大きな板木が入手困難となったために不揃いの小さな板を活用した板画を冊子としてまとめる「板画本」の製作に熱中します。師と仰いだ河井寛次郎の詩集「いのちの窓」から抜粋した詞を板画化したものです。 -
手摺りに手彩色、手綴じといくつもの工程で出来上がる「板画本」の多作には優れた助手である石崎俊彦の存在が欠かせませんでした。手先が器用だった石崎に大量の摺りを一任できたからです。この作品は製本されなかった「まくり」を屏風に仕立てたものです。
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石崎俊彦は棟方が6年8カ月過ごした疎開先の富山県南砺市福光での最大の協力者でした。棟方が住居を新築する際には土地を提供し、後にその隣に自身も家を建てて住み、献身的に棟方一家を支えました。福光町立図書館の館長を勤めながら板画の摺りを一手に引き受けました。
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京都の二条陣屋で陶器の絵付けをしていた外祖父や、祖母の弟たち、祖父の友人だった陶芸家の高山泰造氏と河井寛次郎は同じ時代の人なので、民芸運動とも相まってとても興味を持っています。
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「松木満史スケッチ」松木満史
松木満史が描いた絵仲間の肖像画です。中央が棟方志功で、その下の花押は「志」の文字を工夫したものです。右は弘前出身の版画家の下澤木鉢郎で、1924年の夏に知り合った3人は最初に帝展に入選したものが兄貴になるという盟約を結んだそうです。 -
「尚武頌(なおたけしょう)A」
尚武とは弘前出身の外交官の佐藤尚武の鏝で、佐藤への哀悼の意を込めて相馬貞三が詠んだ歌と、津軽のシンボルの岩木山や志功の好きな八咫烏、兎などが彫り込まれています。民芸運動の発展に尽くした相馬貞三は陶淵明を好み、詩風は河井寛次郎に似て民芸精神の探求は柳宗悦の影響が大きかったようです。 -
「東西湧没嬢図」
2歳か3歳に成長した相馬貞三の長女が描かれています。大人たちに構ってもらえずふくれっ面しているところです。「東西湧没」とは「東枠西没」と同様の意味で、幼子の出没自在な様を表しているようです。 -
「擧身微笑図」
1945年に生まれた相馬貞三の長女の姿です。ランプに明かりが灯った時に見せた驚きの表情をとらえて、棟方の特徴である速筆で描き上げられています。6月に行った青荷温泉のランプが思い出されます。 -
「東西湧没韻」
1942年に相馬貞三を支部長として結成された日本民芸協会青森県支部の発足式の会場を飾った倭絵です。 -
棟方は相馬から聞いた中国の仏教書の緑巌録(へきがんろく)の第1則「東湧西没、逆順縦横…」の話しに大きな世界を感じたそうです。右下の「於吐雲山荘」とは相馬の家のことです。相馬自身は帰鳥参謀と呼び、棟方は吐雲山荘、松下山房と名付けています。
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「華狩頌(はなかりしょう)」
「棟方志功ヨロコビノウタ」の中の、1954年に製板された「華狩頌」という作品は鳥や獣がいる花咲く森の中で、武器を持たず馬に乗って狩猟をする古代人が描かれています。これはアイヌ民族が祭りの際にきれいな花矢を天の四方に向かって放つ儀式に想を得ています。 -
棟方は自己中心的だった若かりし頃に柳宗悦から意識された自己を消すことを教えられました。試行錯誤しながら研鑽するなかで広大な仏の世界に目覚めたときからその芸術は大きく変貌したといわれます。
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花を狩るこころおもいで版画しました。
けものを狩るには、弓とか鉄砲とかを使うけれども、
花だと、心で花を狩る。
きれいな心の世界で美を射止めること、
人間でも何でも同じでしょうが、心を射とめる仕事、
そういうものを、いいなあと思い、
弓を持たせない、鉄砲を持たせない、
心で花を狩るという構図で仕事をしたのです…… -
馬上の3人の人物は狩のポーズをしています。でも、弓矢や鉄砲はもってないません。それは獣を狩るのではなく花を狩るからです。心で花を狩り、美を射止める。弓矢をもつ手つきだけをし、空を狩るもの、地を狩るもの、地下を狩るものを表しています。
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画面の上に空をとぶ鳥、真ん中に地上を駆けるもの、下には地下にもぐる花や貝を配しています。メッセージの美しさと画面の華やかさが相まって、海外の美術館にも多く収蔵されている作品です。
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「つがる工芸店包装紙原画」
相馬貞三が弘前に開業した「つがる工芸店」のために提供した包装紙の原画です。岩木山や鷹、弘前ねぷたなど津軽を代表するモチーフが描かれています。 -
「つがる工芸店包装紙原画」
この2年ほど青森を何度も訪れ感じてきたことが走馬灯のように思い出されます。コロナ禍で大変な3年ではありましたが、リタイアしたタイミングでもあり、改めて日本の良さを知った年月でした。 -
「炫火頌(かぎろいしょう)」
文芸評論家で歌人の保田興十郎が折々で詠んだ短歌を板画にしたものです。50柵制作することを目標に1947年から政策を続けますが、最終的に何柵になったかは不明のようです。その中から12柵を選んで屏風に仕立ててあります。 -
「身緊(みしまる)の柵」
「秋とひは 身緊まるころや 堤の上たくましき 尾花ふるつつゆかな」
「懐郷(かいきょう)の柵」
「けふもまた かくてむかしとなりならむ わかやまかわよ しづみける」 -
「未通女(おとめ)らの柵」
「未通女(おとめ)らが 朱裳すそひきひさかたの 天ひとさびす時すぎにけり 山かけを立ちのぼりゆく夕烟ゆか 日の本のくらしなりけり」
「深碧(ふかみどり)の柵」
「三千年 胡北の民を誘ひし北京の空の 深き碧かな」 -
「花鎮(はなしずめ)の柵」
「椊乃花のもの 日の花しつめ…もかざす花の一枝」
「神火(じんか)の柵」
「火の國の 阿蘇の神山 神の火の 魂依りしづか 燃えていませり」 -
「新室(にいむろ)の柵」
「みささきの この片岡の とよ秋に わがにひ室の 眞木柱はも」
「夢醒(ゆめさむ)の柵」
「夢さめて うつつの花の すさましさ ななに流せし 涙なりけむ」 -
「かがり火の柵」
「うつそみは 炎となりぬ炫火の 炎と燃えて 魂氷るなり」
「迷春(めいしゅん)の柵」
「ささなみの 志賀の山路の春にまよひ ひとりながめし はなざかりかな」 -
「悲涙(ひるい)の柵」
「うつそみを 音たて流る涙川 かなしきことを 和りにけるかな」
「四方の山 ひかりにみちぬ うつそみに かなしきこのは 一つなりけり」
「身沁(みにしむ)の柵」
「冬の日 はぐれゆくほどの身に沁むに かなしきことを 語るひとかな」 -
「鷲栖図(しゅうせいず)」
「栖」は ねぐらとか鳥の巣という意味なので、鷲が自らの巣へ戻ったことを意味しています。 -
板画で名を成した志功ですが生涯通じて筆との縁は深く、倭画や書、板画の彩色など、数えきれないほどの筆による仕事を残しています。あふれんばかりの心情が筆によって描き出された作品群のその多くが熊野筆から生まれました。
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棟方は自身の色彩感覚について「強烈きわまる染料で、黄、赤、青、紫の、さまざまな極端な原色を駆使して作るのです。このねぶたの色、これこそ絶対まじりけのないわたくしの色彩でもあります。」と語り、幼い頃に見たねぶたの強烈な原色が身についていると自伝で振り返っています。ねぶたのタイミングでここへ来れて良かったと思います。
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「二菩薩釈迦十大弟子」
この作品は過去に何度か見たことがあります。1956年ヴェネツィア・ヴィエンナーレで絶賛され、日本人初のグランプリを受賞します。「世界の棟方」への機となった作品でもあります。 -
「私が彫っているのではありません。仏様の手足になって、ただ転げ回っているのです」下絵なしで一気に彫り進め、わずか1週間で仕上げられたとされる棟方の大作です。1956年ヴェネツィア・ヴィエンナーレで絶賛され、日本人初のグランプリを受賞。「世界の棟方」への機となった作品である。
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十大弟子とは釈迦の弟子の中で優れた10名のことを指します。屏風には目鍵連、舎利弗、優婆離、須菩提、阿難陀、羅睺羅、魔訶迦葉、阿那律、富楼那、迦旃延と、その両端に普賢延命菩薩と文殊止利菩薩が配されています。
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「文殊菩薩の柵」
昭和14年当時に仏教に関心を深めていた棟方が、東京上野の国立博物館で展示されていた奈良興福寺の須菩提の乾漆像を見て構想を得た作品です。棟方とともに十大弟子の板木は東京から富山県福光に疎開しましたが、送り遅れた普賢と文殊菩薩の2面の板木は5月の東京空襲で灰燼に帰してしまいます。その後の福光滞在中の昭和23年の1948年に二菩薩図を改めて彫りなおしました。 -
「迦旃延(かせんねん)の柵/論議第一」
子供の頃より聡明で、一度聞いた内容は忘れず良く理解したと言われます。それでも難解で理解できないことがあり、釈迦に教えを請うことになり、これがきっかけで弟子となったとされます。 -
「富楼那(ふるな)の柵/説法第一」
釈迦と生年月が同じで、幼くして既に聡明で、バラモンの四ヴェーダ(聖典)と五明(声・因・医・工・内)に通じていましたが、世塵を厭うて雪山(ヒマラヤ)に入山学道し、苦行を重ねて四禅定と五神通を得ました。釈迦の成道を聞き、波羅奈(ヴァーラーナシー)国の鹿野苑へ同朋と赴き仏弟子となります。 -
「阿那律(あなりつ)の柵/天眼第一」
釈迦が故郷カピラ城に帰り、難陀(アーナンダ)、羅睺羅(ラーフラ)がまず仏弟子となり、阿那律は兄の摩訶男と相談して彼が出家することになったといいます。祇園精舎での釈迦の説法中に眠ってしまい釈迦より叱責されると、不眠不休の誓いをたて常坐不臥の修行をしました。これには釈迦仏も心配され、眠ってもよいと諭されましたが、彼はその誓いを全うしついに失明してしまいます。しかしその失明により天眼を得たといわれます。 -
「阿難陀(あなんだ)の柵/多聞第一」
阿難陀は美男子ゆえに女難を被ることが度々あったと言われますが、志操堅固にして身を護り修行を全うしました。また智慧多くして諸経を持誦していたが、心を摂する点に欠け、定と慧が均等でなく、漏尽通を起くことができず、仏の入滅時には未だ有学の人で阿羅漢果を得ていなかったと言われます。出家後は釈迦が入滅するまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていました。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞き、よく記憶していたので多聞第一といわれます。 -
「羅睺羅(らごら)の柵/蜜行第一」
羅候羅は釈迦の実子で、釈迦の妻である耶輸陀羅妃が釈迦の出家前に妊娠した子で、釈迦が出家して5年後に生まれたとされます。密行第一と称され十六羅漢の1人でもあります。スリランカのコロンボの「ガンガマーラ寺院」には釈迦に手を差し伸べる羅睺羅の可愛らしい姿の像がありました。
https://4travel.jp/travelogue/11253907 -
「優婆離(うばり)の柵/持律第一」
元は理髪師であり、直弟子の中でも戒律に最も精通していたことから持律第一と称せられ、釈迦入滅後の第一結集では戒律編纂事業の中心を担います。アヌピヤー村にいた釈迦のもとで、諸王の王子たちを差し置いて仏弟子となります。釈迦より儀礼に従い先に出家した者を敬い礼拝するように命じられると、王子たちは使用人であったシュードラ出身の優波離にも礼拝しました。これを見て釈迦は「釈迦族の高慢な心をよくぞ打ち破った」と讃嘆します。 -
「舎利弗(しゃりほつ)の柵/知恵第一」
釈迦の弟子となった舎利弗はすぐに最高の悟りを得て教団の上首となります。釈迦からの信任も厚く、時には釈迦に代わって説法を委ねられることもあり、釈迦の実子である羅睺羅の師僧も任されていました。舎利弗と目連の二大弟子は釈迦よりも年長ではあったものの教団の後継者になるであろう人物として注目されていました。しかし最有力とされた目連が撲殺されてしまい、相次いで舎利弗もまた晩年に重い病に罹ると釈迦の許しを得て帰郷し、母に看取られながら病没してしまいます。 -
「魔訶迦葉(まかかしょう)の柵/頭陀第一」
仏教教団における釈迦の後継である仏教第二祖とされ、釈迦の入滅後に初めての経典の編纂事業の結集の座長を務めました。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれずに清貧の修行を行いました。 -
「須菩提(すぼだい)の柵/解空第一」
須菩提はもとは粗暴で短気な性格だったともいわれますが、後に外道から非難や中傷や迫害を受けても決して言い争うことなく円満柔和を心がけたといわれ、このため弟子中で無諍第一といわれます。また多くの人々から尊敬せられ限りなく供養を受けたので被供養第一とも空の思想を良く理解した人物として解空第一とも称されます。 -
「目鍵連(もっけんれん)の柵/神通第一」
目鍵連はある日、先に亡くなった実母である青提女が天上界に生まれ変わっているかを確認すべく、母の居場所を天眼で観察します。母親は天上界どころか餓鬼界に堕し地獄のような逆さ吊りの責め苦に遭っていました。驚いて供物を捧げたところ供物は炎を上げて燃え尽きてしまい、困り果てた彼は釈迦に相談します。釈迦は亡者救済の秘法を伝授し、目鍵連は教えに従って法を施すと母親は地獄から浮かび上がり、歓喜の舞を踊りながら昇天しました。この盂蘭盆の逸話により、目鍵連が日本におけるお盆及び盆踊りなどの行事の創始者として受け取られています。 -
「普賢菩薩の柵」
文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として祀られることから十大弟子を護るようにこの菩薩が選ばれたのでしょうか。改めて十大弟子の由来を考えると描かれた人物像と合致することが多く、本当にこれを下絵なしに一気に彫れたのだろうかと思います。夏目漱石の「夢十話」の「第六夜」の運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる話を思い出します。明治の木には仁王は埋まっていませんでしたが、棟方志功の周りの木にはいろいろ埋まっていたようです。 -
「茶碗/銘:宇宙」
展示室には茶碗が2点展示してありましたが、この器は幾何学的な模様が素晴らしく思えました。素焼きした陶器に鉄釉の釉をかけて、鉄筆か何かで2種類の模様を掻き落としただけですが味わいがあります。 -
「茶碗/銘:女人図」
こちらも描き落としですが、淡い釉薬に優しそうな笑顔の女性が描かれています。器の形が女性の頬のカーブに思えたのではないでしょうか。 -
「御群鯉図(おんぐんりず)」六曲一双の屏風には32匹の緋鯉が優雅に画面いっぱいに泳いでいます。
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鯉は棟方が得意として繰り返し描いたモチーフとして知られます。この作品は昭和15年に倉敷の実業家の大原總一郎が数え32歳の誕生日を迎える際のお祝いとして描かれたと伝わります。
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倉敷の大原美術館は大原孫三郎がパトロンとして援助していた児島虎次郎に託して収集した作品を展示するために開館した美術館ですが、その息子の大原總一郎も同じような美術愛好家で、大原美術館に棟方志功館を設けるほどでした。
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見学した際の屏風絵はそんな支援者と友人との縁を紹介した「棟方志功生誕120年記念特別展 友情と信頼の障壁画」という展示会でした。記念館オリジナルの絵葉書を何種類かセットで購入して、路線バスの停留所まで歩きます。いよいよ青森佞武多のクライマックスの海上運行と花火の時間が迫ってきました。
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旅行記グループ 2023ダイヤモンド・プリンセスの旅
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