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いつか行ってみたいと思っていた「水木しげる記念館」に思いがけずに来ることが出来ました。事前にネットで予約してあったのですが、1時間ほど早く着いてしまいましたが、受付で尋ねると「少し混雑していますが良ければ入場できますよ。」ということでした。多分予約時間の後半に一般の入場もしているのだと思いましたが、炎天下の中で時間を潰すのも大変なので入場することにします。NHKの連ドラは観ていませんでしたが、水木しげるの人生歴については概略的なことは知っていましたが、ここで壁を覆う年譜をじっくり読みこんでいくと今まで点と点だったものが繋がっていく気がしました。特に太平洋戦争の従軍の時代の大変さは行間からも伝わってきましたし、氏のイラストともに書かれた言葉は重く感じられました。ここまで表の通りに並ぶブロンズ像の妖怪を見てきましたが、ここには彩色されたフィギュアが飾られていて、思わずカメラを持つ手に力が入ります。額装されたカラーの絵を見るのも初めてでしたが、改めて背景の素晴らしさに感じ入ります。NHKの番組「浦沢直樹の漫勉」でも今年の3月に水木しげるを取り上げていて、その背景の素晴らしさに言及されていましたが本当にその通りだと思っていました。何の作品だったか思い出せないのですが、昭和30年代の池袋西武を俯瞰した絵のクオリティの高さと時代を閉じ込めたような雰囲気にゾクッとしたことを思い出します。原画も初めて見たので、ここへ来て良かったと思います。個人的に興味深かったのは円形の柱の4面に飾られた仮面でした。そのいくつかはパプアニューギニア当たりのもので、同じようなものを10月のダイヤ・モンドプリンセスのニュージーランドクルーズでオークランドの博物館で同じようなものを見る機会がありました。それ以外にもスリランカの仮面博物館で見たようなものも数多く並んでいました。約1時間充実した見学でした。見学が終わると急にお腹が空いてきて、境港の内港の岸壁沿いの海岸道路沿いにある店に行くことにします。当初考えていた店は電話しても繋がらないので「Hatonova 三光丸 境港」に入りました。ここは回転寿司と魚屋さんのイートインがあったので、魚屋さんの方に入り、食べたいものを買い求めます。巨大な牡蠣が1個2500円という値段でしたが奮発します。白イカと栄螺は刺身にしてもらい、飲み物もビールからレモンハイに変わります。追加で地魚を天婦羅にしてもらい熱々をいただきます。お腹もいっぱいで元気になったところで、残りの「水木しげるロード」に突入します。

ダイヤモンドプリンセス リベンジの夏祭りクルーズ(8)「水木しげる記念館」で改めてその足跡の大きさに感嘆し、境港の海の幸を堪能する。

3いいね!

2024/08/09 - 2024/08/09

646位(同エリア797件中)

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

いつか行ってみたいと思っていた「水木しげる記念館」に思いがけずに来ることが出来ました。事前にネットで予約してあったのですが、1時間ほど早く着いてしまいましたが、受付で尋ねると「少し混雑していますが良ければ入場できますよ。」ということでした。多分予約時間の後半に一般の入場もしているのだと思いましたが、炎天下の中で時間を潰すのも大変なので入場することにします。NHKの連ドラは観ていませんでしたが、水木しげるの人生歴については概略的なことは知っていましたが、ここで壁を覆う年譜をじっくり読みこんでいくと今まで点と点だったものが繋がっていく気がしました。特に太平洋戦争の従軍の時代の大変さは行間からも伝わってきましたし、氏のイラストともに書かれた言葉は重く感じられました。ここまで表の通りに並ぶブロンズ像の妖怪を見てきましたが、ここには彩色されたフィギュアが飾られていて、思わずカメラを持つ手に力が入ります。額装されたカラーの絵を見るのも初めてでしたが、改めて背景の素晴らしさに感じ入ります。NHKの番組「浦沢直樹の漫勉」でも今年の3月に水木しげるを取り上げていて、その背景の素晴らしさに言及されていましたが本当にその通りだと思っていました。何の作品だったか思い出せないのですが、昭和30年代の池袋西武を俯瞰した絵のクオリティの高さと時代を閉じ込めたような雰囲気にゾクッとしたことを思い出します。原画も初めて見たので、ここへ来て良かったと思います。個人的に興味深かったのは円形の柱の4面に飾られた仮面でした。そのいくつかはパプアニューギニア当たりのもので、同じようなものを10月のダイヤ・モンドプリンセスのニュージーランドクルーズでオークランドの博物館で同じようなものを見る機会がありました。それ以外にもスリランカの仮面博物館で見たようなものも数多く並んでいました。約1時間充実した見学でした。見学が終わると急にお腹が空いてきて、境港の内港の岸壁沿いの海岸道路沿いにある店に行くことにします。当初考えていた店は電話しても繋がらないので「Hatonova 三光丸 境港」に入りました。ここは回転寿司と魚屋さんのイートインがあったので、魚屋さんの方に入り、食べたいものを買い求めます。巨大な牡蠣が1個2500円という値段でしたが奮発します。白イカと栄螺は刺身にしてもらい、飲み物もビールからレモンハイに変わります。追加で地魚を天婦羅にしてもらい熱々をいただきます。お腹もいっぱいで元気になったところで、残りの「水木しげるロード」に突入します。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • 「「水木しげるロード」のブロンズ像の写真とスタンプはまだ半分も終わっていませんが、先に「水木しげる記念館」を見学することにしました。

    「「水木しげるロード」のブロンズ像の写真とスタンプはまだ半分も終わっていませんが、先に「水木しげる記念館」を見学することにしました。

    水木しげる記念館 美術館・博物館

  • まずは表にあるトイレに入ります。入り口にはこんなピクトがありました。

    まずは表にあるトイレに入ります。入り口にはこんなピクトがありました。

  • 6月末に行ったチュニジアではタニトというカルタゴの女神がピクトになって今井sたが、ここでは猫娘です。

    6月末に行ったチュニジアではタニトというカルタゴの女神がピクトになって今井sたが、ここでは猫娘です。

  • ハンディキャップトイレは目玉おやじです。

    ハンディキャップトイレは目玉おやじです。

  • 記念館の入り口の右手には鬼太郎の家と妖怪ポストが置かれています。

    記念館の入り口の右手には鬼太郎の家と妖怪ポストが置かれています。

  • 中には鬼太郎と茶碗風呂に入った目玉おやじ、悪だくみを考えていそうなねずみ男と明り取りの釣瓶火(つるべび)も見えます。

    中には鬼太郎と茶碗風呂に入った目玉おやじ、悪だくみを考えていそうなねずみ男と明り取りの釣瓶火(つるべび)も見えます。

  • 記念館の中にはオリジナル絵葉書と切手も売っていましたがいいお値段でした。港からシャトルバスで到着した時に駅前の鬼太郎ポストに絵葉書をまとめて投函してしまったのが残念です。

    記念館の中にはオリジナル絵葉書と切手も売っていましたがいいお値段でした。港からシャトルバスで到着した時に駅前の鬼太郎ポストに絵葉書をまとめて投函してしまったのが残念です。

  • 建物の中に入ると涼しいのがありがたいです。入り口ではゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじが回転しています。予約してあった時間より1時間早いのですが、受付で尋ねてみると「混雑していても良ければ。」ということで中に入れていただきました。

    建物の中に入ると涼しいのがありがたいです。入り口ではゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじが回転しています。予約してあった時間より1時間早いのですが、受付で尋ねてみると「混雑していても良ければ。」ということで中に入れていただきました。

  • 確かに予約した時間であれば入場規制されていて、じっくり見られたのだと思いますが、確かに混んでいてなかなか先に薦めません。まずはイラスト入りの年表で、水木しげるの生い立ちから再確認していきます。

    確かに予約した時間であれば入場規制されていて、じっくり見られたのだと思いますが、確かに混んでいてなかなか先に薦めません。まずはイラスト入りの年表で、水木しげるの生い立ちから再確認していきます。

  • 小学校時代の抗争なんてその当時はすごかったのではないでしょうか。自分が子供の頃の昭和40年代後半から50年代の初めの東京もすごいものがありました。暴走族はたくさんあったし、その頃の赤羽線(池袋と赤羽間)なんて高校生の頃は危なくて乗れませんでした。それと新大久保辺りは…。現代とは違う世界でした。

    小学校時代の抗争なんてその当時はすごかったのではないでしょうか。自分が子供の頃の昭和40年代後半から50年代の初めの東京もすごいものがありました。暴走族はたくさんあったし、その頃の赤羽線(池袋と赤羽間)なんて高校生の頃は危なくて乗れませんでした。それと新大久保辺りは…。現代とは違う世界でした。

  • 物心ついた頃には父方の祖母は「のんのんばあ」でしたが、母方の外祖母にはいろいろなことを教えてもらいました。不浄を転じて清浄となす烏枢沙摩明王の真言「オン シュリマリママリ マリシュシュリ ソワカ」は死んだ動物にあげるお経だと教えられました。その習慣はいまだに抜けることはありません。

    物心ついた頃には父方の祖母は「のんのんばあ」でしたが、母方の外祖母にはいろいろなことを教えてもらいました。不浄を転じて清浄となす烏枢沙摩明王の真言「オン シュリマリママリ マリシュシュリ ソワカ」は死んだ動物にあげるお経だと教えられました。その習慣はいまだに抜けることはありません。

  • 少年時代の水木しげるはのんのんばあに連れられて島根半島を旅しています。今朝クルーズ船で通過してきた「美保神社」などにも来ていたことがここで分かりました。早起きして風景を眺めていた甲斐がありました。

    少年時代の水木しげるはのんのんばあに連れられて島根半島を旅しています。今朝クルーズ船で通過してきた「美保神社」などにも来ていたことがここで分かりました。早起きして風景を眺めていた甲斐がありました。

  • 51年前に境港へ来たときは国鉄駅とフェリーターミナルの往復しか記憶がありません。その半分は父の遺してくれた写真によるものが大きいです。

    51年前に境港へ来たときは国鉄駅とフェリーターミナルの往復しか記憶がありません。その半分は父の遺してくれた写真によるものが大きいです。

  • 高等小学校卒業後は画家を目指して大阪で働きながら学ぶも、数々の失敗があったようです。

    高等小学校卒業後は画家を目指して大阪で働きながら学ぶも、数々の失敗があったようです。

  • やがて徴兵年齢に達し1943年に召集され、大日本帝国陸軍軍人として第二次世界大戦下のニューギニア戦線のラバウルに出征しています。

    やがて徴兵年齢に達し1943年に召集され、大日本帝国陸軍軍人として第二次世界大戦下のニューギニア戦線のラバウルに出征しています。

  • 「出征前酒器」にはその当時に感じた理不尽な思いが綴られていました。

    「出征前酒器」にはその当時に感じた理不尽な思いが綴られていました。

  • この当時の出征の旗やタスキや千人針や慰問袋など、日本ではあまり見る機会は少ないですが、中国の特に東北部を旅すると博物館で見る機会がありました。

    この当時の出征の旗やタスキや千人針や慰問袋など、日本ではあまり見る機会は少ないですが、中国の特に東北部を旅すると博物館で見る機会がありました。

  • 当初はラッパ卒になりましたが、うまく吹けなかったようです。

    当初はラッパ卒になりましたが、うまく吹けなかったようです。

  • 1943年の昭和18年に鳥取連隊に入営すると北か南かどっちがいいかと迫られ、「南」と答えたことで南方戦線に決まったようです。

    1943年の昭和18年に鳥取連隊に入営すると北か南かどっちがいいかと迫られ、「南」と答えたことで南方戦線に決まったようです。

  • ラバウルへ向かった船は日露戦争で日本海軍に貢献した信濃丸という古い船だったようです。信濃丸は日本郵船の貨客船で、貨客船としてよりも日露戦争時に仮装巡洋艦として哨戒中にバルチック艦隊を発見し、日本海海戦での日本海軍の勝利に貢献した船として知られます。

    ラバウルへ向かった船は日露戦争で日本海軍に貢献した信濃丸という古い船だったようです。信濃丸は日本郵船の貨客船で、貨客船としてよりも日露戦争時に仮装巡洋艦として哨戒中にバルチック艦隊を発見し、日本海海戦での日本海軍の勝利に貢献した船として知られます。

  • ラバウルは1914年9月にオーストラリア軍が占領し、その後オーストラリアにより統治された島です。第2次世界大戦中の1942年1月には、オーストラリア軍とイギリス軍と戦った末に日本軍が占領しました。

    ラバウルは1914年9月にオーストラリア軍が占領し、その後オーストラリアにより統治された島です。第2次世界大戦中の1942年1月には、オーストラリア軍とイギリス軍と戦った末に日本軍が占領しました。

  • ラバウルでの生活は戦争さえなければ天国のようなところだったようです。材木運搬や家造り、野菜取りなどの絵が残されています。

    ラバウルでの生活は戦争さえなければ天国のようなところだったようです。材木運搬や家造り、野菜取りなどの絵が残されています。

  • 「ニューギニヤから吹いてくる淡い風には死神の臭いがする」という言葉が重たく感じられます。

    「ニューギニヤから吹いてくる淡い風には死神の臭いがする」という言葉が重たく感じられます。

  • 鳥取連隊へ向かう列車の中で知り合い、ラバウルまで一緒だった友人が板ということは非常に心強かったことだと思います。その友人の死はどれほど辛いことだったのでしょう。

    鳥取連隊へ向かう列車の中で知り合い、ラバウルまで一緒だった友人が板ということは非常に心強かったことだと思います。その友人の死はどれほど辛いことだったのでしょう。

  • 「敗戦はみな骨で肯定し皮膚で否定していたにすぎぬ」なんて、戦争を直に知らない世代には想像するしかできませんが、すごい時代だったのだと思います。

    「敗戦はみな骨で肯定し皮膚で否定していたにすぎぬ」なんて、戦争を直に知らない世代には想像するしかできませんが、すごい時代だったのだと思います。

  • 子供の頃に「大空のサムライ」だったか零戦のパイロットだった坂井三郎という人の戦記を読んだことがありました。昭和40年代後半はまだ太平洋戦争に関した出版物なども多く、その中でラバウルという地名も知りました。

    子供の頃に「大空のサムライ」だったか零戦のパイロットだった坂井三郎という人の戦記を読んだことがありました。昭和40年代後半はまだ太平洋戦争に関した出版物なども多く、その中でラバウルという地名も知りました。

  • 坂井三郎は戦記物の漫画を書いていたが売れずに困っていた水木しげるに「戦記物は勝たなければダメだ」とアドバイスを送っていたそうです。日本軍が優位だった時期に活躍し、劣勢期には負傷して退いていた坂井に対し、負けだしてから戦地に送られたため劣勢期しか知らない水木は、なかなかアドバイスどおりに漫画を描くことができず苦労したそうです。

    坂井三郎は戦記物の漫画を書いていたが売れずに困っていた水木しげるに「戦記物は勝たなければダメだ」とアドバイスを送っていたそうです。日本軍が優位だった時期に活躍し、劣勢期には負傷して退いていた坂井に対し、負けだしてから戦地に送られたため劣勢期しか知らない水木は、なかなかアドバイスどおりに漫画を描くことができず苦労したそうです。

  • 小学生の頃に「アニメンタリー 決断」という番組がありました。アニメとドキュメンタリーを合わせた造語で、太平洋戦争中の日米英の司令官などの作戦中の「決断」の場面を描いたもので、子供向けというよりはその当時の「働き盛り」の壮年層に向けた番組としての戦史物だったようです。

    小学生の頃に「アニメンタリー 決断」という番組がありました。アニメとドキュメンタリーを合わせた造語で、太平洋戦争中の日米英の司令官などの作戦中の「決断」の場面を描いたもので、子供向けというよりはその当時の「働き盛り」の壮年層に向けた番組としての戦史物だったようです。

  • 1971年に放送されて以降は再放送されることも無かったと記憶していますが、何年か前にケーブルテレビで再放送されたものを見て懐かしく思い出しました。確かに子供向けの番組ではないなと感じました。

    1971年に放送されて以降は再放送されることも無かったと記憶していますが、何年か前にケーブルテレビで再放送されたものを見て懐かしく思い出しました。確かに子供向けの番組ではないなと感じました。

  • ニューブリテン島のバイエンの海岸で分隊長以下13人が全滅しながら1人生還するも「みんな死んだんだから お前も死ね!」と中隊長から責められた理不尽さ。

    ニューブリテン島のバイエンの海岸で分隊長以下13人が全滅しながら1人生還するも「みんな死んだんだから お前も死ね!」と中隊長から責められた理不尽さ。

  • 左腕を失った経緯についてもここで初めて詳しく知りました。究極の選択かもしれませんが、右利きで合ったことを考えると失ったのが左手で良かったのだろうとも感じます。

    左腕を失った経緯についてもここで初めて詳しく知りました。究極の選択かもしれませんが、右利きで合ったことを考えると失ったのが左手で良かったのだろうとも感じます。

  • 利き腕の右手があったからこそ治療中にもこんな絵が描けて、一時の心の慰みにもなったのではないでしょうか。そしてそれ以降の水木しげるの漫画が生まれることに繋がっていきます。

    利き腕の右手があったからこそ治療中にもこんな絵が描けて、一時の心の慰みにもなったのではないでしょうか。そしてそれ以降の水木しげるの漫画が生まれることに繋がっていきます。

  • 幸いなことに両親の親族でも戦争へ行った人は少なく、母の従兄が水木しげるの言うところの「北」に出征して、戦後は捕虜となってシベリアに何年か抑留されていました。その時の寒さについて話を聞いたことがありましたが、「南」も悲惨だったのだなと感じます。

    幸いなことに両親の親族でも戦争へ行った人は少なく、母の従兄が水木しげるの言うところの「北」に出征して、戦後は捕虜となってシベリアに何年か抑留されていました。その時の寒さについて話を聞いたことがありましたが、「南」も悲惨だったのだなと感じます。

  • 以前に妻と2人で旅したミャンマーのマンダレーから行ったザガインヒルにはインパール作戦などで亡くなったたくさんの日本人兵士の為の慰霊碑が建っていました。インパールへの行軍では40キロから50キロの荷物を背負って進んだそうです。途中に食料などの物資の補給も無かったそうで、餓死や疫病で亡くなった兵士は放置され、白骨化した遺骨が続いたので「白骨街道」と呼ばれたそうです。

    以前に妻と2人で旅したミャンマーのマンダレーから行ったザガインヒルにはインパール作戦などで亡くなったたくさんの日本人兵士の為の慰霊碑が建っていました。インパールへの行軍では40キロから50キロの荷物を背負って進んだそうです。途中に食料などの物資の補給も無かったそうで、餓死や疫病で亡くなった兵士は放置され、白骨化した遺骨が続いたので「白骨街道」と呼ばれたそうです。

  • 水木しげるの戦記物の作品はまだ読んだことがなかったので読まなければと思いました。子供の頃に日本海軍の艦艇や航空機に異常な思い入れがあり、自分で図面を描きたいと思い、小学3年生の時の誕生日には雲形定規を買ってもらったほどでした。小学生に持つ三角定規では描けない曲線が自由に描くことが出来ました。

    水木しげるの戦記物の作品はまだ読んだことがなかったので読まなければと思いました。子供の頃に日本海軍の艦艇や航空機に異常な思い入れがあり、自分で図面を描きたいと思い、小学3年生の時の誕生日には雲形定規を買ってもらったほどでした。小学生に持つ三角定規では描けない曲線が自由に描くことが出来ました。

  • そこから設計に興味が膨らみ、建築関係の学校に進み、60歳まで建築設計や内装デザインの仕事をすることが出来たのは幸いでした。「水木しげるロード」の妖怪を見て童心に返り、「水木しげる記念館」でも子供の頃の記憶が鮮明に蘇ってきました。

    そこから設計に興味が膨らみ、建築関係の学校に進み、60歳まで建築設計や内装デザインの仕事をすることが出来たのは幸いでした。「水木しげるロード」の妖怪を見て童心に返り、「水木しげる記念館」でも子供の頃の記憶が鮮明に蘇ってきました。

  • 小学校最後の夏休みの隠岐島への旅のスタートが境港だったということもあるのかもしれませんが、51年振りにここへ来て良かったと思いました。

    小学校最後の夏休みの隠岐島への旅のスタートが境港だったということもあるのかもしれませんが、51年振りにここへ来て良かったと思いました。

  • 終戦後のスケッチを見ていて心休まるものがありました。日本軍とオーストラリアやニュージーランドの戦いについてはあまり知りませんでした。映画「オーストラリア」を見ても、日本軍がここまで進軍していたんだと思うくらいでした。この8月のクルーズの後、10月に再びダイヤモンド・プリンセスでオーストラリアからニュージーランドを周遊するクルーズに行きましたが、オークランドの博物館で本物の零戦を見て、改めて太平洋戦争について考えさせられました。

    終戦後のスケッチを見ていて心休まるものがありました。日本軍とオーストラリアやニュージーランドの戦いについてはあまり知りませんでした。映画「オーストラリア」を見ても、日本軍がここまで進軍していたんだと思うくらいでした。この8月のクルーズの後、10月に再びダイヤモンド・プリンセスでオーストラリアからニュージーランドを周遊するクルーズに行きましたが、オークランドの博物館で本物の零戦を見て、改めて太平洋戦争について考えさせられました。

  • ようやく展示も「漫画家」への道筋に変わり、気分的にもホッとします。

    ようやく展示も「漫画家」への道筋に変わり、気分的にもホッとします。

  • 日本に帰還して生まれ故郷の境港に戻って、ようやく「生き返った」と実感したようです。その後武蔵野美術学校へ通い、魚の名前も知らずに魚屋を開店したりと紆余曲折があり…。

    日本に帰還して生まれ故郷の境港に戻って、ようやく「生き返った」と実感したようです。その後武蔵野美術学校へ通い、魚の名前も知らずに魚屋を開店したりと紆余曲折があり…。

  • 復員後は貧窮により画家の修行を諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京します。1958年に貸本漫画「ロケットマン」で貸本漫画家としてデビューして、1960年から断続的に「墓場鬼太郎」シリーズを発表し始めます。

    復員後は貧窮により画家の修行を諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京します。1958年に貸本漫画「ロケットマン」で貸本漫画家としてデビューして、1960年から断続的に「墓場鬼太郎」シリーズを発表し始めます。

  • 1963年に「悪魔くん」を貸本の東考社から出版し、1964年には「ガロ」で商業誌デビューします。日本初の青年漫画雑誌「月刊漫画ガロ」は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年に創刊されました。<br /><br />

    1963年に「悪魔くん」を貸本の東考社から出版し、1964年には「ガロ」で商業誌デビューします。日本初の青年漫画雑誌「月刊漫画ガロ」は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年に創刊されました。

  • 1960年代の「ガロ」は白土三平の「カムイ伝」と水木しげるの「鬼太郎夜話」の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、滝田ゆうなどがレギュラーとして作品を発表していました。

    1960年代の「ガロ」は白土三平の「カムイ伝」と水木しげるの「鬼太郎夜話」の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、滝田ゆうなどがレギュラーとして作品を発表していました。

  • 1965年に「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞し、貸本時代に描いていた「ゲゲゲの鬼太郎」や「河童の三平」といった作品が週刊少年マガジンや週刊少年サンデーにそれぞれ掲載され、妖怪を扱った作品により人気作家となっていきます。

    1965年に「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞し、貸本時代に描いていた「ゲゲゲの鬼太郎」や「河童の三平」といった作品が週刊少年マガジンや週刊少年サンデーにそれぞれ掲載され、妖怪を扱った作品により人気作家となっていきます。

  • 43体の妖怪が潜む「妖怪洞窟」ではリアルな妖怪が出迎えてくれます。表の通りに並んでいるブロンズ像の妖怪より迫力があります。

    43体の妖怪が潜む「妖怪洞窟」ではリアルな妖怪が出迎えてくれます。表の通りに並んでいるブロンズ像の妖怪より迫力があります。

  • 妻からしてみると暑いさなかに表のブロンズ像の写真を撮るよりも、涼しい記念館の中で写真撮ればいいのにと思ったでしょう。

    妻からしてみると暑いさなかに表のブロンズ像の写真を撮るよりも、涼しい記念館の中で写真撮ればいいのにと思ったでしょう。

  • 「輪入道」<br />塗りの御所車の車輪と毛むくじゃらの顔がリアルです。

    「輪入道」
    塗りの御所車の車輪と毛むくじゃらの顔がリアルです。

  • 「小豆洗い」<br />ほぼ表のブロンズ像と同じデザインですが、彩色と髪の毛がやはりリアルです。<br />

    「小豆洗い」
    ほぼ表のブロンズ像と同じデザインですが、彩色と髪の毛がやはりリアルです。

  • 「ぬらりひょん」<br />鬼太郎を宿敵とみなす敵役の総大将として描かれることもあります。

    「ぬらりひょん」
    鬼太郎を宿敵とみなす敵役の総大将として描かれることもあります。

  • 「濡れ女」<br />それぞれの妖怪はせいぜい数十センチなのですが、これが人間と同じサイズの顔だったら絶対に怖いと思います。

    「濡れ女」
    それぞれの妖怪はせいぜい数十センチなのですが、これが人間と同じサイズの顔だったら絶対に怖いと思います。

  • 「百目」<br />子供の頃に一番不気味でありながら好きだったのがこの「百目」でした。

    「百目」
    子供の頃に一番不気味でありながら好きだったのがこの「百目」でした。

  • 「油すまし」<br />子供の頃に秋田県の横手で買ってもらったケラという箕を思い出します。

    「油すまし」
    子供の頃に秋田県の横手で買ってもらったケラという箕を思い出します。

  • 「枕返し」<br />表でも見たのと同じ姿です。この妖怪にはずっと憑つかれているような気がします。気が付くと夜中に何度も枕をひっくり返していることがあります。

    「枕返し」
    表でも見たのと同じ姿です。この妖怪にはずっと憑つかれているような気がします。気が付くと夜中に何度も枕をひっくり返していることがあります。

  • 「一つ目入道」<br />この一つ目入道や一つ目小僧が入道(僧)の姿であるのは比叡山に伝わる妖怪に由来するとの説があるようです。比叡山で修行を怠ける僧がいると一つ目で睨みつけて戒め、怠けのひどい僧は山から追い出したといいます。この妖怪のブロンズ像は表では見かけませんでした。筆の部分が尖っていて危ないからでしょうか。

    「一つ目入道」
    この一つ目入道や一つ目小僧が入道(僧)の姿であるのは比叡山に伝わる妖怪に由来するとの説があるようです。比叡山で修行を怠ける僧がいると一つ目で睨みつけて戒め、怠けのひどい僧は山から追い出したといいます。この妖怪のブロンズ像は表では見かけませんでした。筆の部分が尖っていて危ないからでしょうか。

  • 「妖怪洞窟」の脇には額装した妖怪たちの絵が展示されています。改めて水木しげるの作品の背景のリアルさに驚かされます。

    「妖怪洞窟」の脇には額装した妖怪たちの絵が展示されています。改めて水木しげるの作品の背景のリアルさに驚かされます。

  • NHKの「BSマンガ夜話」で主要キャラ以外の人物はつげ義春や池上遼一が描いて、背景等はアシスタントが描いていたと聞きましたが、本人も相当に上手かったそうです。

    NHKの「BSマンガ夜話」で主要キャラ以外の人物はつげ義春や池上遼一が描いて、背景等はアシスタントが描いていたと聞きましたが、本人も相当に上手かったそうです。

  • こういった自然描写や迷い込んだ冥界や異界の情景を見ていると本来の漫画のストーリーからかけ離れて、その世界に引き込まれてしまうような怖さを感じます。

    こういった自然描写や迷い込んだ冥界や異界の情景を見ていると本来の漫画のストーリーからかけ離れて、その世界に引き込まれてしまうような怖さを感じます。

  • そんな世界観と合成される人物や妖怪が全くタッチも違いながら、違和感なく調和していることが不思議です。

    そんな世界観と合成される人物や妖怪が全くタッチも違いながら、違和感なく調和していることが不思議です。

  • 昭和40年代ぐらいまでの日本にはまだこんな風景がたくさん残っていました。そんな時代に日本各地を旅して肌で感じた間隔はいまだに残っていて、日本のどこかにまだ残こされていないか探してしまうことがあります。

    昭和40年代ぐらいまでの日本にはまだこんな風景がたくさん残っていました。そんな時代に日本各地を旅して肌で感じた間隔はいまだに残っていて、日本のどこかにまだ残こされていないか探してしまうことがあります。

  • スキーで行った田舎の旅館などに泊まると中綿の硬くなった敷布団から伝わってくる湿気だったり、掛布団の綿の重さや布団カバーの何とも言えない臭いを感じたことがこの1枚の絵を見ていると思い出されてきます。枕の中身もそば殻だったりしました。

    スキーで行った田舎の旅館などに泊まると中綿の硬くなった敷布団から伝わってくる湿気だったり、掛布団の綿の重さや布団カバーの何とも言えない臭いを感じたことがこの1枚の絵を見ていると思い出されてきます。枕の中身もそば殻だったりしました。

  • そんな感覚は付喪神である「白溶裔(しろうねり)」みたいな妖怪の仕業だったのかもしれません。

    そんな感覚は付喪神である「白溶裔(しろうねり)」みたいな妖怪の仕業だったのかもしれません。

  • 「毛羽毛現(けうけげん)」も姿は見えなくても出会っていたのかもしれません。

    「毛羽毛現(けうけげん)」も姿は見えなくても出会っていたのかもしれません。

  • 「垢嘗(あかなめ)」も子供の頃に存在を感じた妖怪です。地方の旅館などに泊まると木製の木桶の風呂だったり、スノコだったりがカビで黒く変色していて子供心にもちょっと嫌な感じがありました。

    「垢嘗(あかなめ)」も子供の頃に存在を感じた妖怪です。地方の旅館などに泊まると木製の木桶の風呂だったり、スノコだったりがカビで黒く変色していて子供心にもちょっと嫌な感じがありました。

  • クルーズ船に乗って境港にやってきた身としては、出会いたくないのが「海坊主」ですね。

    クルーズ船に乗って境港にやってきた身としては、出会いたくないのが「海坊主」ですね。

  • 描かれた妖怪の中でもこの「河童」だけが妙にリアルに描かれています。それだけこの妖怪に思い入れがあったのでしょうか。

    描かれた妖怪の中でもこの「河童」だけが妙にリアルに描かれています。それだけこの妖怪に思い入れがあったのでしょうか。

  • 水木しげるも参考にしたであろう鳥山石燕の妖怪画集「画図百鬼夜行」などには中国由来の妖怪も多いようです。中国の奇譚集などの本を読んでいても共通するものを感じることがあります。

    水木しげるも参考にしたであろう鳥山石燕の妖怪画集「画図百鬼夜行」などには中国由来の妖怪も多いようです。中国の奇譚集などの本を読んでいても共通するものを感じることがあります。

  • 英国にはグルアガッポ(Gruagach)というゴブリンがいると初めて知りました。家の所有者が眠っている夜に出てきて、さまざまな雑用や農業の仕事をしているそうです。家の人間の所有者は通常は暖炉のそばに、ミルクやクリームなどの供物のボウルを置かなければならないようです。

    英国にはグルアガッポ(Gruagach)というゴブリンがいると初めて知りました。家の所有者が眠っている夜に出てきて、さまざまな雑用や農業の仕事をしているそうです。家の人間の所有者は通常は暖炉のそばに、ミルクやクリームなどの供物のボウルを置かなければならないようです。

  • この絵は見たかったものです。アメリカのバックベアード(Backbeard)という妖怪です。巨大な黒い円形に枝のような物が放射状に生えており、中心に目が付いた姿をしています。ゲゲゲの鬼太郎の「妖怪大戦争」の回では、西洋妖怪の総大将として描かれいました。オディロン・ルドンの絵画に着想を得ていると感じます。

    この絵は見たかったものです。アメリカのバックベアード(Backbeard)という妖怪です。巨大な黒い円形に枝のような物が放射状に生えており、中心に目が付いた姿をしています。ゲゲゲの鬼太郎の「妖怪大戦争」の回では、西洋妖怪の総大将として描かれいました。オディロン・ルドンの絵画に着想を得ていると感じます。

  • 「河童の三平」の原画を見てもどうしても背景に目が行ってしまいます。

    「河童の三平」の原画を見てもどうしても背景に目が行ってしまいます。

  • 悪魔くんの背後にいる巨大な顔はラオスのルアンパバーンで見た聖霊の「プーニュ・ニャーニュ・シィン」にも似ている気がします。

    悪魔くんの背後にいる巨大な顔はラオスのルアンパバーンで見た聖霊の「プーニュ・ニャーニュ・シィン」にも似ている気がします。

  • それよりもイタリアのボマルツォで出会った巨大な顔でしょうか。澁澤龍彦に傾倒していた30代の初めに「ヨーロッパの乳房」と「ボマルツォの怪物」を読んでどうしても行きたかった場所でした。

    それよりもイタリアのボマルツォで出会った巨大な顔でしょうか。澁澤龍彦に傾倒していた30代の初めに「ヨーロッパの乳房」と「ボマルツォの怪物」を読んでどうしても行きたかった場所でした。

  • 展示室の中央には1本の丸柱がありました。ほとんど誰も気にも留めていませんが非常に面白いものでした。一番上の仮面はスリランカのもので、同じようなものを買おうとしたら妻に止められました。

    展示室の中央には1本の丸柱がありました。ほとんど誰も気にも留めていませんが非常に面白いものでした。一番上の仮面はスリランカのもので、同じようなものを買おうとしたら妻に止められました。

  • これを買おうとしたのですが残念なことをしました。「マハ・コーラ・サンニ・ヤカー」という悪霊の総大将です。左右に18の病気を司る悪霊を従えています。まさかここで再会するとは思いませんでした。

    これを買おうとしたのですが残念なことをしました。「マハ・コーラ・サンニ・ヤカー」という悪霊の総大将です。左右に18の病気を司る悪霊を従えています。まさかここで再会するとは思いませんでした。

  • 多分パプアニューギニアかその辺りの仮面だと思います。水木しげる記念館にいながら諸星大二郎の「オンゴロの仮面」とかを思い出してしまいます。

    多分パプアニューギニアかその辺りの仮面だと思います。水木しげる記念館にいながら諸星大二郎の「オンゴロの仮面」とかを思い出してしまいます。

  • 「悪魔くん」も好きな漫画でした。その原画も観ることが出来ました。

    「悪魔くん」も好きな漫画でした。その原画も観ることが出来ました。

  • 「悪魔くん 妖怪大襲来」の場面ですね。十二使徒の「百目」が妙に不貞腐れた性格だったことを思い出します。

    「悪魔くん 妖怪大襲来」の場面ですね。十二使徒の「百目」が妙に不貞腐れた性格だったことを思い出します。

  • 「墓場の鬼太郎」の鬼太郎の誕生の原画です。

    「墓場の鬼太郎」の鬼太郎の誕生の原画です。

  • 吹き出しの中のセリフを見ていると懐かしくなります。まだパソコンはおろかワープロも無かった時代には「写植屋」という印刷屋さんで、文章を指定した書体で作ってもらっていました。割と安かったですが、作ってもらうのに1日かかったりして、なにをしても時間のかかる時代でした。

    吹き出しの中のセリフを見ていると懐かしくなります。まだパソコンはおろかワープロも無かった時代には「写植屋」という印刷屋さんで、文章を指定した書体で作ってもらっていました。割と安かったですが、作ってもらうのに1日かかったりして、なにをしても時間のかかる時代でした。

  • 展示室の最後には「墓場の鬼太郎」が生まれたばかりの姿を見せてくれました。ようやく記念館に来ることが出来て大感激です。

    展示室の最後には「墓場の鬼太郎」が生まれたばかりの姿を見せてくれました。ようやく記念館に来ることが出来て大感激です。

  • お腹も空いたので境水道の大型漁船の並ぶ港の前の「Hatonova 三光丸 境港」に向かいました。

    お腹も空いたので境水道の大型漁船の並ぶ港の前の「Hatonova 三光丸 境港」に向かいました。

    おさかなロード 名所・史跡

  • ここには回転寿司と海鮮のバーベキューが楽しめる店があります。

    ここには回転寿司と海鮮のバーベキューが楽しめる店があります。

    三光水産 グルメ・レストラン

  • 回転寿司はかなりの人数が並んでいるので、魚屋さんで食べたい食材を買って調理してもらうことにしました。出来上がるまでビールとレモンサワーでクールダウンです。

    回転寿司はかなりの人数が並んでいるので、魚屋さんで食べたい食材を買って調理してもらうことにしました。出来上がるまでビールとレモンサワーでクールダウンです。

  • 暑い中をずっと歩きっぱなしだったので座れたことと冷たい飲み物で生き返ります。

    暑い中をずっと歩きっぱなしだったので座れたことと冷たい飲み物で生き返ります。

  • 1個2500円の岩ガキを奮発しました。これでは大きさが良く分かりませんね。

    1個2500円の岩ガキを奮発しました。これでは大きさが良く分かりませんね。

  • ほとんど人の顔と同じくらいの大きさです。これはポン酢でいただきましたが、美味しかったです。

    ほとんど人の顔と同じくらいの大きさです。これはポン酢でいただきましたが、美味しかったです。

  • 白イカは一番大きなもので調理してもらって1800円です。mなとにはイカ釣り漁船が停泊していたので絶対に食べたいと思っていました。甘くてもっちりとして美味しかったです。

    白イカは一番大きなもので調理してもらって1800円です。mなとにはイカ釣り漁船が停泊していたので絶対に食べたいと思っていました。甘くてもっちりとして美味しかったです。

  • サザエも刺身にしてもらいました。ケンカしないように2個注文しました。コリコリして磯の香りが強いです。

    サザエも刺身にしてもらいました。ケンカしないように2個注文しました。コリコリして磯の香りが強いです。

  • 追加で注文したのはお店のおすすめのメゴチの天婦羅です。これも塩でいただきましたが絶品でした。地魚を満喫して大満足の昼食でした。

    追加で注文したのはお店のおすすめのメゴチの天婦羅です。これも塩でいただきましたが絶品でした。地魚を満喫して大満足の昼食でした。

  • 店の前はこんな感じの境水道と停泊している漁船が見えます。

    店の前はこんな感じの境水道と停泊している漁船が見えます。

  • この水道を通って51年前に隠岐島へ行ったのだと思うと感慨深いものがありました。元気になったところで残り半分の「水木しげるロ度」の妖怪をやっつけます。

    この水道を通って51年前に隠岐島へ行ったのだと思うと感慨深いものがありました。元気になったところで残り半分の「水木しげるロ度」の妖怪をやっつけます。

    水木しげるロード 名所・史跡

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