2024/08/07 - 2024/08/07
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/08/07
この旅行記スケジュールを元に
「青森県立美術館」の見学を終えて「三内丸山遺跡」まで歩いて移動しました。大したことないだろうと思って歩き出しましたが、真夏の炎天下に無理なことをしたと思います。かなり疲弊してしまいました。と言ってタクシーも止まっていないので仕方ありませんし、バスが来る気配もありません。何とか歩ききって建物の中に入ると涼しくて生き返ります。しばらく涼んでから見学を始めますが、最初に屋外の遺跡の見学になるので再び炎天下の中を歩くことになります。東京国立博物館で縄文土偶を見たことはありましたが、遺跡を見学するのは初めてのことでした。遠くに復元された大型掘立柱建物や大型竪穴建物が見えると気分は高揚してきます。失敗したのは飲み物を買ってこなかったことで、手持ちのポカリスエットはあっという間に空になってしまいます。1時間ほど表の遺跡を見学した後は博物館の見学に移ります。深鉢形土器や土偶などこれまで見たことのあるものの展示も充実していますが、骨角牙貝製品の精巧に作られた針や錐や刺突具(しとつぐ)には驚きました。編籠(あみかご)が原型をとどめたまま残されているのにもびっくりです。本来の夏祭りクルーズとは違った楽しみでしたが、「青森県立博物館」と「三内松山遺跡」に来て良かったと思います。見学が終わった後に館内のお土産コーナーに行くと、以前の旅行でも買ったカネショウのりんご酢が売っていたので1本買うことにします。すると販売員の女性が同じ会社のドレッシングを1本おまけに付けてくれます。これだけでも450円くらいする物なので3本買うことにしてドレッシングも3本貰ったら重たくなってしまいました。後日談ですが池袋の東武百貨店の青森フェアに行った妻は販売員の方に「この間、三内丸山遺跡で買ったらドレッシングいただいて…。」というと「それ私です。」とお互いにびっくりしたそうです。遺跡から船へはタクシーで戻りましたが、途中でコンビニに寄ってもらい、ミネラルウォーターとコーラとビールと缶チューハイを買い込みます。一応アルコール類や飲み物の持ち込みは禁止になっていますが、セキュリティでとがめられることはありません。早めに船に戻ってしばらくは休憩をして、ねぶたの海上運行と花火を観るためにインターナショナル・ダイニングで早めの夕食にします。そして早々にデッキに上がってねぶたの海上運行と花火に備えます。朝の入港時に「青森港国際クルーズターミナル」に停泊していた飛鳥Ⅱハ少し離れたところに沖止めしています。昨年は暑い中に堤防に並んだ折りたたみいすから海上運行と花火を観ましたが、船に戻るのに苦労したので今年は船上から眺めることにしていました。後で聞いた話では昨年工事中だったJR青森駅の工事が終わって、西口にはタクシーが並んでいて特に問題なく戻れたそうです。船上で乃花火はかなり距離が遠いのと迫力がないので、やはり埠頭で観た方が良かったかなとちょっと後悔しました。ただ、シアターで盛岡の「さんさ踊り」を観ることが出来たのは良かったです。2年前に盛岡のつなぎ温泉で「さんさ踊り」は見たことがありましたが、「サッコラチョイワヤッセ」という独特のかけ声と優雅な舞が素晴らしかったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 タクシー 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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「青森県立美術館」の近くにはタクシーも無く、バスが来るまで時間があったので「三内松山遺跡」まで歩いてしまいました。これは8月の厳しい日差しの中では大変でした。
特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡
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まずはエントランスホールで少し涼みました。巨大な縄文土器と一緒に記念写真。
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縄文時代のジオラマが展示してあります。縄文土器はいろいろな博物館で見たことがありますが、実際の遺跡を訪ねるのはこれが初めてです。
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現在見学できるエリアも確認しておきます。かなりの距離を歩かないとならなさそうです。8月上旬の青森は非常に暑く、快晴の天気なので陽射しも強いです。
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「縄文時遊館」の大きさと遺跡の大きさを比較して、自動販売機に戻ってスポーツドリンクを買い求めました。
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表に出るとまたじりじりするような暑さを感じます。この日はファン付きのベストを持ってこなかったのが悔やまれます。
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青草の草原の中に「竪穴建物」が点在しています。
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R・R・トールキンの「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」「ホビットの冒険(ホビット)」などの映画の中に出てくるホビット庄を思い出します。10月に行くニュージーランドクルーズのエクスカーションには映画ロケ地を巡るものがありますが、あまりに高いので諦めていました。これで十分かなと思います。
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「三内丸山遺跡」では1992年の平成4年から始まった発掘調査で、縄文時代前期から中期に当たる紀元前約3,900から2,200年の大規模な集落跡が見つかりました。たくさんの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土しています。
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1997年の平成9年には史跡に指定され、さらに2000年の平成12年には特別史跡に、2003年の平成15年に出土品1958点が重要文化財に指定されました。
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日本の建築はまず屋根が必要だったところから始まったのだろうなと感じます。そして、地面に穴を掘って住まうことの不便さから床が生まれていくのでしょう。
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復元した「大型掘立柱建物」と巨大な「大型堅穴建物」と妻の大きさの対比すると、かなり大掛かりな集団生活が営まれていたのだろうと感じます。
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「大型堅穴建物」の中に入ってみます。1メートルほど掘り下げられた地面に穴を掘って丸太を立てた小屋組みの構造が良く分かります。中央部には火を焚いたのであろう場所もあります。
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屋根は茅のような植物で葺いてあります。ほとんど現在も残る合掌造りの建物の屋根と変わらないように思えます。
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長さが10メートル以上のものを「大型堅穴建物」と呼びようです。「三内丸山遺跡」で最大のもので長さ約32メートル、幅約9.8メートルあり、日本最大のものです。
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集落の中央付近から見つかることが多く、集会所や共同作業所、共同住宅などの説があるようです。パプアニューギニアやブラジルのアマゾンの奥地に住む人を紹介したテレビ番組で観たような建物です。
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棟の上には草が生えていますが、これは鳥がとまって糞をして、そこに含まれた植物の種子が発芽して育ってしまうのだそうです。
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「大型掘立柱建物」は思っていたよりも丸太は太く巨大なものでした。以前に九州の窯元巡りの旅をした際に長崎本線の車内から「吉野ヶ里歴史公園」を観てびっくりしたのを思い出しました。
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「大型掘立柱建物」は地面に穴を掘り柱を建てて造った建物です。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていました。
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地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていた6本柱で、長方形の大型高床建物と考えられます。
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遺っていた丸太の底部はこの後見学した「縄文時遊館」で見ることが出来ました。
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「掘立柱建物」は地面に柱穴を掘り、柱を建てて屋根を支えたものと考えられます。この集落跡の中央と南盛り土西側などから密集して見つかっています。
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ここでどんな生活が営まれていたのか、その場所に立って考えるのは大切なことだと感じます。
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柱穴の遺構より上部は想像で再現したものだと思いますが、奈良の正倉院などに遺る「校倉造り」に引っ張られている気がします。校倉造の成立年代は不明で、成り立ちについては「高床倉庫」から発展したとする説と大陸から渡来したとみる説があり、律令制と共に普及したことから渡来した建築様式のようです。
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中国の貴州省や雲南省を旅した時に似た建物を観て驚いたことがあります。
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「竪穴建物」の見学に移ります。縄文時代の住居は地面を掘り込んで床を造りました。中央には火を焚いた炉があり、住居の平面形や柱の配置や炉の位置や構造は時代によって変化が見られるようです。
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子供の頃に小学校で習ったのは「大森貝塚」と静岡にある「登呂遺跡」くらいだったと記憶しています。その後の50年でいろいろな遺跡が発見されているのだと感じます。
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幾つかは中まで入ることが出来ました。日傘をさしたままの妻は近くから覗くだけです。
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この姿はほとんどムーミンに出てくる「モラン」にしか見えません。マイナーなキャラクターですが個人的には好きです。
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「モラン」はムーミン谷の住人たちから恐れられる女の魔物で、いつもひとりぼっちで冷気をまとっていて、彼女が歩くと草木は凍り、地面には霜がおります。その姿は岩のように巨大でぼろぼろのスカートのすそを引きずって、どこからともなく現れます。
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土が盛られた住居は夏は涼しく、冬はある程度の寒さを凌げたと思えますが、このような木の皮を張っただけの建物は雨を凌ぐくらいだけだったのではないでしょうか。アメリカの先住民族のテントのようにも見えます。
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この中央部に囲炉裏があったのでしょう。その上では煙を使って燻製のような物も作られたのでしょうか。これらの復元はどこまでが検証されたものなのでしょうか。もう暑さが限界なので、屋外の見学はここまでにします。
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「縄文時遊館」に戻って博物館のエリアの見学をします。
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入ってすぐの展示室には遺跡から発掘された竪穴跡から発見された柱の基礎部分が展示されています。これが数千年前のものだと思うと感慨深いものがあります。
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展示してあるのが逆さまになっているのは腐敗せずに残ったために石斧を使って加工した痕が残っているからです。また土に埋まる部分をあらかじめ焼いて炭化させることで防腐することもこの時代の人は知っていたようです。
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「北海道・北東北の縄文遺跡群」は1万年以上にわたり採集・漁労・狩猟により定住した人々の生活と精神文化を伝える文化遺産です。北海道・青森県・岩手県・秋田県に所在する17の遺跡で構成されています。
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「ブラキストン線」とは津軽海峡を通る動物相の分布境界線のことで、「津軽海峡線」ともいいます。日本における重要な分布境界線の1つとされ、ここを境に本州と北海道の動物の分布が切断されています。動物が渡れない海峡を人間が渡ったのだと思うと、早朝に航行してきた航路が思い出されます。
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縄文時代の遺物というと土器ばかりがクローズアップされますが、このような木製品も残されていることに驚かされます。この時代でも東北と北海道との交流はあったので、津軽海峡を舟で渡っていたことが分かっています。こういった小型の舟の模型のような木製品は航海の安全を祈願するためだったり、悪いものを別の世界へと運ぶ乗り物だったのではないでしょうか。
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「中茶路式時」は北海道全域に分布して、底径が口径と比べて小さく、文様は横方向に細い粘土紐を貼り付けて縄文を施す特徴があります。これと同じ文様を施した土器は青森県でも発掘されています。
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「円筒上層式土器」
縄文時代中期5300年前から4200年前に作られた土器がそのまま残っているのも脅威ですが、その造形美に魅了されます。 -
縄文文化というと今では誰もが疑うことなく日本文化の源流だと思っているますが、つい50年前までは日本美術史に縄文は存在しませんでした。縄文の美を再発見し日本美術史を書き換えたのは岡本太郎です。
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縄文について美術的な視点からの発言は誰もしていなく、岡本太郎が1952年に「みずゑ」誌上で「四次元との対話――縄文土器論」を発表するまで、縄文土器や土偶は美術品ではなく工芸品という扱いを受けていました。
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岡本太郎はパリのソルボンヌ大学でフランス民族学の父マルセル・モース門下で民族学を修めており、芸術家であり民族学者でもある岡本太郎が火焔型土器の写真を載せた「縄文土器論」で提示したのは、考古学的な解釈ではなく縄文土器の造形美、四次元的な空間性、縄文人の宇宙観を土台とした社会学的、哲学的な解釈でした。
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「石棒」
縄文時代中期5300年から4200年前【重要文化財】 -
「青竜刀形石器」
縄文時代中期5300年から4200年前 -
「骨刀」
縄文時代5900年前【重要文化財】 -
「石冠」
縄文時代中期5300年から4200年前【重要文化財】 -
北海道式石冠は冠に似た形状から命名され、幅の広い磨り面を持ち、上部に持ち手を造った特徴的な形です。木の実を剥いたり尻潰すのに使われたということはその形からも想像できます。分布範囲を考えると北海道から東北に持ち込まれたのだと考えられているようです。
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「異形石器」
縄文時代中期5300年から4200年前【重要文化財】
こうした異形石器は続縄文時代の北海道から千島列島にかけて広く見られるもののようです。 -
「岩偶」
縄文時代中期3900年から3000年前
やわらかい凝灰岩質の泥岩などで作った人形です。 -
「土偶」
縄文時代中期5900年から5300年前【重要文化財】 -
「耳飾り」
縄文時代中期5900年から4200年前 -
「刺突具(しとつぐ)」
縄文時代中期5900年前【重要文化財】
刺突具は一般に狩猟具として使われたもので、ナイフ形石器の一部のほか、槍先形尖頭器・石銛・有舌尖頭器・石鏃などの石器、鹿角製銛やヤスなどの骨角器、また先端を鋭く尖らせた木槍などが主要なものです。 -
「針」
縄文時代中期5900年前【重要文化財】
一番驚いた展示品がこの針でした。これらの道具でどれだけのものが河口で北野でしょうか。その完成度と輝く美しさに魅了されました。 -
「石錐」「石匙」「石箆」「削器」
それぞれ重要文化財に指定されています。 -
「編籠」
縄文時代前期紀元前3800年【重要文化財】
高さ16センチ、幅10センチの小さな編籠です。ヒノキ科の針葉樹の樹皮を縦横に組んだ「網代編み」で作られています。中からは半分に割れたクルミの殻が見つかっています。 -
「三内丸山遺跡」の低湿地の捨て場から見つかりました。水分が多く空気から遮断された状態で埋まっていたために5800年間分解されずに残りました。このように大きさや形が分かる編み籠としては全国で唯一のものです。
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「大型板状土偶」
縄文時代中期3000年前【重要文化財】
十字形に作られた粘土板に頭部と両腕の表現がありますが足の表現はありません。頭部の上側には結髪の表現があり、顔面は逆三角形をしています。耳や口は穴で表現され、後頭部には把手のような部分があり、吊り下げて使用されたとも考えられます。 胴体には当時の円筒上層式土器とよく似た撚り糸を押し付けてつけたと思われる装飾が見られます。 -
「微隆線土器(漆塗り土器)」
縄文時代中期3500年前から3300年前
北海道八雲町で発掘された土器です。漆の木は北海道には自生していなかったと考えられており、縄文時代においても木材や花粉の出土はされていません。 -
しかし、このような漆を使った土器が発掘されたり、当時北海道に分布していなかったトチノキを使った漆器が発見されたことにより、本州から持ち込まれた可能性が指摘されrています。
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黒曜石は火山の噴火に伴い噴出したマグマなどが急速に冷却されてできる火山ガラスです。割ると鋭い刃が出来るのが特徴で、旧石器時代から利用されていました。
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北海道原産の黒曜石には「白滝」「置戸」「十勝」「赤井川」の「北海道四大産地」が知られており、「三内丸山遺跡」でもそれぞれの産地の黒曜石が発見されています。特に一番近い「赤井川」のものが多いようです。
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北海道「白滝」の黒曜石の原石です。
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「縄文土器」
縄文時代前期5900年から5300年前【重要文化財】 -
「縄文土器」
縄文時代前期5300年から5000年前【重要文化財】 -
「台付浅鉢形土器」
縄文時代前期5300年から5000年前【重要文化財】 -
「片口付皿形土器」
縄文時代前期5300年から5000年前【重要文化財】 -
「イノシシ形土製品」
縄文時代3000年から2400年前
北海道函館市日の浜遺跡出土縄文時代にはさまざまな動物の造形がつくられました。イノシシ形土製品は犬形土製品と組み合って猪狩の成功を願ったのかもしれません。ただこれが出土したのはイノシシのいないとされた北海道なので、本州から運ばれたのだと考えられます。 -
「けつ状耳飾」
縄文時代5900年から4200年前
けつ状耳飾は縄文時代早期末から出土し始め、縄文前期に全国的に流行し、この時期の一般的な装飾品として用いられるようになりますが、中期の初頭にはほぼその出土はなくなります。一般的な装飾品といっても誰もが使用していたものではなく、けつ状耳飾は特定の人しか装着することができなかったアクセサリーであることが推測されます。けつ状耳飾の原材料の多くは比較的硬度が低く柔らかい滑石や蛇紋岩が用いられています。 -
「亀ヶ岡式土器」
縄文時代2800年前から2500年前
亀ヶ岡文化は今から約3000年ほど前に始まり、紀元前3世紀から4世紀に終末を迎えました。亀ヶ岡式土器の大きな特徴は様々な器形に多様で複雑怪奇な文様が描かれ、赤色塗料が塗布されている点があげられます。 -
「土偶」
縄文時代2700年前から2600年前【重要文化財】 -
時代の流れによる土器の形状の変化が分かりやすく展示されています。
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先ほど屋外で見てきた「竪穴住居」の模型が展示してあります。これはリアルなのでその当時の生活が良く分かります。
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こうやって見ると不便なこともありますが、基本的な家族の営みは変わらない気がします。
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「漆塗り土器」
縄文中期紀元前2800年【重要文化財】 -
子供や乳幼児は土器に入れられて埋葬されました。普段は煮炊きに使った土器を転用し、底や横にわざと穴を開けていたようです。中からこぶし大の丸い石が出土することもありました。
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菅江真澄は江戸時代後期の紀行家で、三河で生まれて30歳で国を出て信越から東北と蝦夷地など各地を旅しています。その旅で見聞きしたことを書き溜め200冊以上の著書を遺しています。その中の「栖家の山(すみかのやま)」では三内地区の桜を観る途中で縄文土器や土偶を見て図を描いています。
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見学が終わって、館内のお土産物屋にも立ち寄りました。以前の旅行でも買ったカネショウのりんご酢が売っていたので1本買うことにします。すると販売員の女性が同じ会社のドレッシングを1本おまけに付けてくれます。これだけでも450円くらいする物なのでリンゴ酢を3本買うことにしてドレッシングも3本貰ったら重たくなってしまいました。後日談ですが池袋の東武百貨店の青森フェアに行った妻はりんご酢の販売員の方に「この間、三内丸山遺跡で買ったらドレッシングいただいて…。」というと「それ私です。」とお互いにびっくりしたそうです。
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「三内丸山遺跡」から港へはタクシーで戻りましたが、途中でコンビニに寄ってもらい、ミネラルウォーターとコーラとビールと缶チューハイを買い込みました。一応アルコール類や飲み物の持ち込みは禁止になっていますが、セキュリティでとがめられることはありません。
みちのく北方漁船博物館 美術館・博物館
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この日の夕食は予定がはっきり決まっていなかったのでダイニングの予約はしてありませんでした。予約なしでも入れる「インターナショナル・ダイニング」にしてみました。丸テーブルで初めて会う方と一緒の食事でした。
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「クリスピーな台風野菜春巻き」はスパイシーで美味しかったです。そろそろ洋食以外の料理が食べたくなってきます。
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妻はダイレクトに「タコの酢の物」です。
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「ニューイングランド風クラムチャウダ」も濃厚でアサリもたっぷり入って美味しいです。
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妻は「鮭の味噌焼き」シイタケとほうれん草とパプリカが付け合わせで、味噌のソースが廻りに。
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「アサリとエビのベルモット蒸し」はクラムチャウダに被ってしまいましたが、とても美味しいです。
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妻のデザートは「フルーツ盛り合わせ」
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こちらは「アイスクリーム」3種類の盛り合わせです。後の予定があるので先に席を立って失礼します。他の皆さんは毎晩このレストランで新しい方と会うのが楽しいようですが、あまり得意ではありません。
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デッキに上がると夜風が気持ち良い涼しさです。朝知り合って、一緒にタクシーで「青森県立美術館」までご一緒したご夫婦と再会しました。美術館の後はバスで市内まで出て、昼間のねぶたを観てタクシーで帰ってきたそうです。
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「青森港国際クルーズターミナル」に停泊していた飛鳥Ⅱも沖合に停泊しています。
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「青森港国際クルーズターミナル」にはパイプ椅子が並べられ、海上花火の観覧席になっています。昨年はこの観覧席で海上花火とねぶたの海上運行を観ました。
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遥か彼方にこの日受賞したねぶたの海上運行が見えます。
青森ねぶた祭協賛青森花火大会 花火
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200ミリの望遠レンズをデジタルズームで4倍にしてこのくらいの大きさで写真が撮れましたが、手持ちではこれが限界です。
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実際はこれくらいの距離感です。
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お囃子の音も聞こえてこないのでちょっと物足りなかったです。海上運行にはねぶた大賞と最優秀制作者賞に輝いたあおもり市民ねぶた実行委員会の「鬼子母神」など、合わせて4台の大型ねぶたが出陣したようです。
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そのうちに花火が始まりました。
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前年は頭上で花火が炸裂するような感じだったのと、音楽がシンクロして感動しましたが、これもちょっと物足りないです。
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それでもこれくらいの距離感で観ることが出来ました。
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妻がビュッフェレストランからつまみを持って来てくれたので、それをつまみながらの花火鑑賞です。
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善円は個人で観覧席のチケットをネットで予約して観覧しましたが、終わった後の船に戻るのに非常に苦労しました。
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「青森ベイブリッジ」は花火が終わっても通行禁止のままでした。「青森駅」は改装中で駅前のタクシー乗り場には車は1台も入ってきませんでした。西口に行くにはかなり離れた「あすなろ橋」を渡るしかありませんでした。そこで1台停車していたタクシーに乗れて難を逃れました。
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前の年の苦労があったので、今年は船上から眺めることにしていました。後で聞いたところによると「青森駅」の工事は終わり、西口へのアクセスも出来たのでタクシーにも簡単に乗れて帰ってこれたそうです。
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二尺玉やスターマインといったおよそ1万発の花火が打ち上げられ、夏の夜空を照らしました。
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一番好きなのがこのタイプの「冠(かむろ)」です。星が比較的長い時間燃えることで独特な形を作ります。
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丸く広がって大きく流れ落ちて地面近くで消えるのが特徴です。
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昔はおかっぱ頭のことを「冠(かむろ)」と呼んだことから名づけられたそうです。
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昨年のフィナーレは「超特大ファイナルミュージックスターマイン」と「二尺玉」の「紅小花入り錦冠菊」というもので、東奥日報がスポンサーでした。
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青森市出身のシンガー・ソングライター矢野顕子の作詞作曲によるMISIAの「希望のうた」とシンクロして素晴らしかったのですが、今回は曲は聞こえません。
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花火はちょっと残念でしたが、シアターでは午後9時15分から10時まで「盛岡さんさ踊り」のショーがありました。前半は観客も踊れるように手の書さを教えてもらい、一緒に踊る気分を味わえました。
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「盛岡さんさ」は2年前にトラピックスの「盛岡つなぎ温泉2泊3日」というフリーツアーで泊まったホテルで2晩観ることが出来ました。いつか実際に「さんさ祭り」を観たいと思いながらまだ観ることが出来ていません。
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青森のねぶたが終わるとダイヤモンド・プリンセスは日本海を「境港」に向けて航行します。翌日は終日航海日なのでゆっくりすることが出来ます。
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