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江戸時代、宿場があった小諸には城の玄関として使用された大手門や、宿場の雰囲気が残る通り、小諸城址・懐古園、島崎藤村ゆかりの場所などが点在しています。しかもこれらの史跡やエリアはコンパクトにまとまっていて、歩いて巡ることができます。小諸駅近くの宿に一泊し、1日目は布引観音と小諸市街を、2日目は懐古園を散策してきました。この旅行記は2日目・懐古園を巡った時のものです。徴古館、藤村記念館、懐古神社、小諸城址懐古園展望台、小山敬三美術館などを訪れました。

懐古園散策

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2024/09/10 - 2024/09/11

1054位(同エリア1061件中)

旅行記グループ 長野県の旅行記

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28

ぷーちゃんさん

この旅行記のスケジュール

2024/09/11

  • ホテルを出て、藤村旧柄地と藤村が使用した井戸を見てから、懐古園へ行く。

  • 小諸城三の門と徳川秀忠公憩石を見て、徴古館を見学する。

  • 二の丸跡に寄りながら藤村記念館へ向かう。

  • 園内マップを参考にして水の手展望台へ向かう。

  • 地獄谷に架かる酔月橋を渡り、鹿島神社に寄ってから小山敬三美術館へ向かう。

  • 隣りの小山敬三記念館を見学してから、酔月橋を渡り懐古神社へ向かう。

  • 懐古神社裏の天守台近くに上がり馬場を見てから、富士見展望台へ向かう。

  • 白鶴橋を渡り、小諸市動物園へ行く。

  • 徴古館まで戻り、小諸市児童遊園地へ向かう。

  • 小諸城三の門を出て、右へ進む。線路脇の小諸義塾跡石碑を見てから、小諸義塾記念館へ向かう。

  • 宿泊したホテルの駐車場に戻る。

この旅行記スケジュールを元に

江戸時代、宿場があった小諸には城の玄関として使用された大手門や、宿場の雰囲気が残る通り、小諸城址・懐古園、島崎藤村ゆかりの場所などが点在しています。しかもこれらの史跡やエリアはコンパクトにまとまっていて、歩いて巡ることができます。小諸駅近くの宿に一泊し、1日目は布引観音と小諸市街を、2日目は懐古園を散策してきました。この旅行記は2日目・懐古園を巡った時のものです。徴古館、藤村記念館、懐古神社、小諸城址懐古園展望台、小山敬三美術館などを訪れました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
  • 懐古園を散策する前に、島崎藤村ゆかりの場所へ行きました。木村熊二の招きで小諸義塾の教師として赴任した島崎藤村が妻冬子と暮らした家があった場所です。1899年から退職する1905年まで住んでいました。藤村旧柄地の石碑と説明板があります。

    懐古園を散策する前に、島崎藤村ゆかりの場所へ行きました。木村熊二の招きで小諸義塾の教師として赴任した島崎藤村が妻冬子と暮らした家があった場所です。1899年から退職する1905年まで住んでいました。藤村旧柄地の石碑と説明板があります。

  • 藤村旧柄地碑の近く、藤村プロムナードと名付けられている道に井戸があります。近所の人たちが飲み水を汲んだ井戸で、当時はロープと桶で水を汲み上げるつるべ井戸でした。藤村は早朝洗顔に訪れ、冬子夫人は水汲みや洗いものに通い近隣の人たちと交流を深めたと説明板に記されています。

    藤村旧柄地碑の近く、藤村プロムナードと名付けられている道に井戸があります。近所の人たちが飲み水を汲んだ井戸で、当時はロープと桶で水を汲み上げるつるべ井戸でした。藤村は早朝洗顔に訪れ、冬子夫人は水汲みや洗いものに通い近隣の人たちと交流を深めたと説明板に記されています。

  • 小諸駅の南にある小諸城三の門に来ました。国重要文化財で、懐古園のシンボルです。1615年に創建されました。1742年に起きた戌の満水で三の門と袖塀が流され、1765年に再建されました。袖塀に矢狭間と鉄砲狭間があります。

    小諸駅の南にある小諸城三の門に来ました。国重要文化財で、懐古園のシンボルです。1615年に創建されました。1742年に起きた戌の満水で三の門と袖塀が流され、1765年に再建されました。袖塀に矢狭間と鉄砲狭間があります。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 三の門を見た時は狭間がある袖塀を意識しませんでしたが、徴古館に置いてあった資料を読んで昨年災害復旧したばかりだと知りました。2020年の暴風雨が引き金となり、袖塀が土台の石垣ごと崩落しました。資料に崩落直後の画像や、発掘調査、復旧工事の様子などが載っていました。重要文化財を保存する努力を知ることができました。

    三の門を見た時は狭間がある袖塀を意識しませんでしたが、徴古館に置いてあった資料を読んで昨年災害復旧したばかりだと知りました。2020年の暴風雨が引き金となり、袖塀が土台の石垣ごと崩落しました。資料に崩落直後の画像や、発掘調査、復旧工事の様子などが載っていました。重要文化財を保存する努力を知ることができました。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 関ケ原合戦出陣途中、徳川秀忠率いる徳川本隊は上田城主真田氏攻略のため小諸城を本陣としました。その時に徳川秀忠が腰を下ろしたと伝えられている憩石が、袖塀のそばにあります。低い石なので座り心地はどうだったのかと思いました。

    関ケ原合戦出陣途中、徳川秀忠率いる徳川本隊は上田城主真田氏攻略のため小諸城を本陣としました。その時に徳川秀忠が腰を下ろしたと伝えられている憩石が、袖塀のそばにあります。低い石なので座り心地はどうだったのかと思いました。

  • 懐古園の受付で共通券を見せて、三の門そばの徴古館を見学しました。小諸城の城主と領主が年表で展示されています。小諸城は1181年に木曽義仲の武将小室太郎光兼が館を築いたことから始まり、1487年に大井光忠が城を建て、武田信玄に攻略されました。武田氏滅亡後、小諸城の争奪が繰り返されますが、豊臣秀吉の時代に仙石秀久が城主となり城の大改修と城下町を整備しました。小諸城は城下町より低い土地に建つ珍しい城です。藩主が使った鎧兜、軍配、軍扇などや、屏風、羽織、家宝の左甚五郎作「徳川家光と春日局の木像」が展示されています。寄贈された器や貨幣の展示もありました。20分ほどのビデオで小諸城の歴史などが上映されていました。

    懐古園の受付で共通券を見せて、三の門そばの徴古館を見学しました。小諸城の城主と領主が年表で展示されています。小諸城は1181年に木曽義仲の武将小室太郎光兼が館を築いたことから始まり、1487年に大井光忠が城を建て、武田信玄に攻略されました。武田氏滅亡後、小諸城の争奪が繰り返されますが、豊臣秀吉の時代に仙石秀久が城主となり城の大改修と城下町を整備しました。小諸城は城下町より低い土地に建つ珍しい城です。藩主が使った鎧兜、軍配、軍扇などや、屏風、羽織、家宝の左甚五郎作「徳川家光と春日局の木像」が展示されています。寄贈された器や貨幣の展示もありました。20分ほどのビデオで小諸城の歴史などが上映されていました。

    小諸徴古館 美術館・博物館

  • 徴古館を出て石垣に沿って進むと二の丸跡があります。真田氏との戦いで、徳川本陣が置かれた場所です。萩の花が咲いていました。

    徴古館を出て石垣に沿って進むと二の丸跡があります。真田氏との戦いで、徳川本陣が置かれた場所です。萩の花が咲いていました。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 緩やかな太鼓橋、黒門橋を通りました。紅葉谷に架かる橋です。谷の斜面や底に紅葉が生えていて、緑がきれいでした。木々の葉が茂り谷の深さを実感できませんでしたが、かなり深い谷で自然の地形を利用した小諸城の一面を見ることができます。10月中旬から11月中旬にかけてライトアップされる紅葉まつりが行われるそうです。

    緩やかな太鼓橋、黒門橋を通りました。紅葉谷に架かる橋です。谷の斜面や底に紅葉が生えていて、緑がきれいでした。木々の葉が茂り谷の深さを実感できませんでしたが、かなり深い谷で自然の地形を利用した小諸城の一面を見ることができます。10月中旬から11月中旬にかけてライトアップされる紅葉まつりが行われるそうです。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 黒門橋から右に進んで、藤村記念館に行きました。展示室は広くなかったですが、小諸義塾の教師として赴任した島崎藤村に関係する資料が多く展示されています。千曲川のスケッチや破戒などの初版本や藤村筆の掛軸、書簡などがあります。小諸義塾時代の学生との集合写真など珍しい資料がありました。藤村の妻冬子の書簡も展示されていました。

    黒門橋から右に進んで、藤村記念館に行きました。展示室は広くなかったですが、小諸義塾の教師として赴任した島崎藤村に関係する資料が多く展示されています。千曲川のスケッチや破戒などの初版本や藤村筆の掛軸、書簡などがあります。小諸義塾時代の学生との集合写真など珍しい資料がありました。藤村の妻冬子の書簡も展示されていました。

    藤村記念館 美術館・博物館

    直筆の書簡があります by ぷーちゃんさん
  • 藤村記念館の前に島崎藤村像がありました。

    藤村記念館の前に島崎藤村像がありました。

    藤村記念館 美術館・博物館

    直筆の書簡があります by ぷーちゃんさん
  • 藤村記念館の先に天守台があります。野面積の石垣で荒々しく鋭い傾斜です。ここに天守閣が建っていましたが、寛永時代の落雷で焼失したと伝えられています。

    藤村記念館の先に天守台があります。野面積の石垣で荒々しく鋭い傾斜です。ここに天守閣が建っていましたが、寛永時代の落雷で焼失したと伝えられています。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 天守台の脇を通り水の手展望台に向かいました。展望台の柵に、水の手不明御門跡の説明板がありました。ベンチがあり休憩できます。千曲川が見えました。

    天守台の脇を通り水の手展望台に向かいました。展望台の柵に、水の手不明御門跡の説明板がありました。ベンチがあり休憩できます。千曲川が見えました。

    小諸城址懐古園展望台 自然・景勝地

    いい景色でした by ぷーちゃんさん
  • 展望台から振り返ると、下に地獄谷に架かる酔月橋が見えました。

    展望台から振り返ると、下に地獄谷に架かる酔月橋が見えました。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 酔月橋から水の手展望台を見ると、地獄谷の急な斜面がよく分かります。歴史番組で取り上げられた谷を実際に見て、要塞のような小諸城にぞくぞくしました。

    酔月橋から水の手展望台を見ると、地獄谷の急な斜面がよく分かります。歴史番組で取り上げられた谷を実際に見て、要塞のような小諸城にぞくぞくしました。

    小諸城址懐古園展望台 自然・景勝地

    いい景色でした by ぷーちゃんさん
  • 酔月橋を渡り、閉まっていた料金所を出ると鹿島神社があります。小諸城大手門付近に建っていましたが、小諸駅拡張のため1949年に現在地に移ったようです。木造瓦屋根の社殿は不思議な感じでした。破風の屋根瓦が曲がっていて、社殿の規則正しいまっすぐな瓦との対比が面白かったです。

    酔月橋を渡り、閉まっていた料金所を出ると鹿島神社があります。小諸城大手門付近に建っていましたが、小諸駅拡張のため1949年に現在地に移ったようです。木造瓦屋根の社殿は不思議な感じでした。破風の屋根瓦が曲がっていて、社殿の規則正しいまっすぐな瓦との対比が面白かったです。

  • さらに進むと小山敬三美術館があります。小山敬三美術館と小山敬三記念館の前に浅間火山岩石園があり、浅間山付近と秩父の火山石がいくつも置かれていました。小山敬三美術館の受付のスタッフから、ビデオ「画家小山敬三の世界」を見てくださいと言われました。小山敬三の生涯と作品について、わかりやすい内容でした。

    さらに進むと小山敬三美術館があります。小山敬三美術館と小山敬三記念館の前に浅間火山岩石園があり、浅間山付近と秩父の火山石がいくつも置かれていました。小山敬三美術館の受付のスタッフから、ビデオ「画家小山敬三の世界」を見てくださいと言われました。小山敬三の生涯と作品について、わかりやすい内容でした。

    小山敬三美術館 美術館・博物館

    素人にも分かりやすい展示です by ぷーちゃんさん
  • 第一展示室に、スペインの風景画や姫路城、浅間山など有名な作品が展示されています。十代の時に描いた絵があり、フランス留学中の絵との違いが、素人にもわかりました。第二展示室にスケッチ画が展示されていて、描き上げた絵と見比べることができました。

    第一展示室に、スペインの風景画や姫路城、浅間山など有名な作品が展示されています。十代の時に描いた絵があり、フランス留学中の絵との違いが、素人にもわかりました。第二展示室にスケッチ画が展示されていて、描き上げた絵と見比べることができました。

    小山敬三美術館 美術館・博物館

    素人にも分かりやすい展示です by ぷーちゃんさん
  • 小山敬三美術館の隣りに小山敬三記念館が建っています。神奈川県茅ケ崎にアトリエ兼住居を建てて、創作活動をしていました。2002年に茅ヶ崎から移築され、一般公開しています。

    小山敬三美術館の隣りに小山敬三記念館が建っています。神奈川県茅ケ崎にアトリエ兼住居を建てて、創作活動をしていました。2002年に茅ヶ崎から移築され、一般公開しています。

  • リビングルームの調度品やアトリエの画材道具を見ました。

    リビングルームの調度品やアトリエの画材道具を見ました。

  • 再び酔月橋を渡って戻り、懐古神社に行きました。1871年に廃藩置県で荒廃していく城址を憂えた旧小諸藩士が中心となり、本丸跡に懐古神社が創建されました。

    再び酔月橋を渡って戻り、懐古神社に行きました。1871年に廃藩置県で荒廃していく城址を憂えた旧小諸藩士が中心となり、本丸跡に懐古神社が創建されました。

    懐古神社 寺・神社・教会

    懐古園にあります by ぷーちゃんさん
  • 小諸城の鎮守神だった天満宮や火魂社、歴代の小諸藩主が祀られています。木造瓦屋根の社殿です。本丸庭園に池があり鯉が泳いでいました。紅葉、桜、サルスベリなどの木々が生えています。<br /><br />

    小諸城の鎮守神だった天満宮や火魂社、歴代の小諸藩主が祀られています。木造瓦屋根の社殿です。本丸庭園に池があり鯉が泳いでいました。紅葉、桜、サルスベリなどの木々が生えています。

    懐古神社 寺・神社・教会

    懐古園にあります by ぷーちゃんさん
  • 懐古神社の脇から石段を上がると天守台の近くに行けます。真下に桜が植えられた馬場があります。以前桜の時期に訪れたことがあります。馬場に咲く桜の花を上から眺めた感動を思い出しました。また桜を見に来たいです。

    懐古神社の脇から石段を上がると天守台の近くに行けます。真下に桜が植えられた馬場があります。以前桜の時期に訪れたことがあります。馬場に咲く桜の花を上から眺めた感動を思い出しました。また桜を見に来たいです。

    小諸城跡 懐古園 名所・史跡

  • 馬場から富士見展望台へ進みました。戦国時代、小諸城は武田信玄が支配した時期があり、甲斐の山々や富士山を眺めることができる要衝の地として整備されたと説明板に記されています。上杉謙信の動きを甲斐の信玄に知らせる狼煙を上げたそうです。この日あいにく富士山は見えませんでした。

    馬場から富士見展望台へ進みました。戦国時代、小諸城は武田信玄が支配した時期があり、甲斐の山々や富士山を眺めることができる要衝の地として整備されたと説明板に記されています。上杉謙信の動きを甲斐の信玄に知らせる狼煙を上げたそうです。この日あいにく富士山は見えませんでした。

    小諸城址懐古園展望台 自然・景勝地

    いい景色でした by ぷーちゃんさん
  • 白鶴橋を渡り、小諸市動物園へ行きました。リニューアル工事中で、部分休園中でした。見ることができる動物は少なかったです。

    白鶴橋を渡り、小諸市動物園へ行きました。リニューアル工事中で、部分休園中でした。見ることができる動物は少なかったです。

    小諸市動物園 動物園・水族館

    リニューアル工事中でした by ぷーちゃんさん
  • 土日祝日限定で、エサやり体験や小動物とふれあうことができます。ポニーやペンギンがいました。ペンギンは塀の日陰に集まっていました。

    土日祝日限定で、エサやり体験や小動物とふれあうことができます。ポニーやペンギンがいました。ペンギンは塀の日陰に集まっていました。

    小諸市動物園 動物園・水族館

    リニューアル工事中でした by ぷーちゃんさん
  • 動物園の下に小諸市児童遊園地があります。楽しそうな音楽が流れていました。平日午前だったので利用者は2,3組でした。利用したい人がいると遊具を動かしてくれます。メリーゴーランド、スワンサイクル、コーヒーカップ、ツインドラゴン、豆電車など幼児や児童が安心して乗れる遊具があります。自分たちは見るだけでしたが、利用していた親子連れは貸し切り状態で楽しんでいました。

    動物園の下に小諸市児童遊園地があります。楽しそうな音楽が流れていました。平日午前だったので利用者は2,3組でした。利用したい人がいると遊具を動かしてくれます。メリーゴーランド、スワンサイクル、コーヒーカップ、ツインドラゴン、豆電車など幼児や児童が安心して乗れる遊具があります。自分たちは見るだけでしたが、利用していた親子連れは貸し切り状態で楽しんでいました。

    小諸市児童遊園地 テーマパーク

    のどかな雰囲気の遊園地です by ぷーちゃんさん
  • 三の門から出て小諸義塾記念館方向へ歩きました。小諸駅の東西自由通路の下に小諸義塾跡の石碑が建っています。木村熊二が開設した私塾です。

    三の門から出て小諸義塾記念館方向へ歩きました。小諸駅の東西自由通路の下に小諸義塾跡の石碑が建っています。木村熊二が開設した私塾です。

  • 小諸義塾跡石碑の近くに、白壁瓦屋根の四角い二階建て建物があります。小諸義塾記念館です。1892年に全人教育を目指した小諸義塾を木村熊二が開校しました。1896年に石碑のあった場所に塾舎本館が建てられました。教師として、島崎藤村、鮫島晋、三宅克己らが着任しました。国家方針や社会風潮と相容れず、1906年に閉校しました。1994年に校舎本館が小諸市に寄贈され、1996年に現在地に移築されました。館内に木村熊二や教師たちの略歴が展示され、当時の写真などで様子を知ることができます。使用していた教科書は興味深かったです。明るく開放的な印象は、館内の白壁とガラス戸によります。<br />暑い日でしたが、懐古園をゆっくり散策した半日でした。

    小諸義塾跡石碑の近くに、白壁瓦屋根の四角い二階建て建物があります。小諸義塾記念館です。1892年に全人教育を目指した小諸義塾を木村熊二が開校しました。1896年に石碑のあった場所に塾舎本館が建てられました。教師として、島崎藤村、鮫島晋、三宅克己らが着任しました。国家方針や社会風潮と相容れず、1906年に閉校しました。1994年に校舎本館が小諸市に寄贈され、1996年に現在地に移築されました。館内に木村熊二や教師たちの略歴が展示され、当時の写真などで様子を知ることができます。使用していた教科書は興味深かったです。明るく開放的な印象は、館内の白壁とガラス戸によります。
    暑い日でしたが、懐古園をゆっくり散策した半日でした。

    小諸義塾記念館 美術館・博物館

    教室に入れます by ぷーちゃんさん
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