2023/04/30 - 2023/04/30
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FUKUJIROさん
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国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追は、相馬氏の先祖である平将門が野生馬を相手に軍事訓練を行なったとされることに因んでいます。
公式HPには、「約400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗指物を風になびかせながらの威風堂々にして豪華絢爛な時代絵巻を繰り広げる様子は、まさに天下無比。」「400騎あまりの騎馬武者が、神輿を擁し市中を進軍する「お行列」。 土ぼこりが舞う中を、人馬が一体になって駆け抜ける「甲冑競馬」。 舞い降りる御神旗を数百の騎馬武者が奪いあう「神旗争奪戦」。 騎馬武者の勇猛果敢な戦国絵巻が甦ります。」と紹介されています。
旅の2日目は、天気予報どおり雨。昼過ぎには雨が止みそうなので、午前中に南相馬市博物館を見学することにしました。
原ノ町駅からは約2.2km、天気が良ければ歩くのですが、雨の中を歩きたくはなかったので、奮発してタクシーで移動しました。残念なことに公共交通機関はありません。
1日目
埼玉県からローカル線を乗り継いで菊池寛実記念高萩炭礦資料館へ。
原ノ町へ移動して宿泊。
よろしければこちらの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11801465
2日目
南相馬市博物館と雲雀ヶ原祭場地を見学、相馬中村神社を参拝。
3日目
双葉町へ移動し、東日本大震災・原子力災害伝承館を訪問しました。
ローカル線を乗り継いで帰宅しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- タクシー JRローカル 徒歩
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勿来の関(の近く)を越えて、奥州に入りました。長閑な景色の先の山々に常磐炭礦が広がっていました。
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いわき駅に着きました。
いわき市は人口32万人を超え、福島県最大の都市。昭和41年(1966年)に14市町村が合併して誕生、同年に常磐ハワイアンセンターが開業、映画フラガールの舞台となりました。 -
原ノ町行きの普通電車に乗り換えます。
本日6回目の乗り換えです。 -
Jヴィレッジ駅(福島県双葉郡楢葉町大字山田岡字下岩沢)。
令和2年(2020年)3月14日時点で日本で唯一、「ヴ」が使われている駅です。 -
平成31年(2019年)4月20日の開業。
平成の最後に開業した鉄道駅です。
因みに、東京2020オリンピック聖火リレーがスタートした場所がJヴィレッジで、令和3年(2021年)3月25日のことでした。 -
海側には津波対策の防波堤が見えていました。
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富岡駅(双葉郡富岡町大字仏浜字釜田)。
富岡町、大熊町、双葉町のそれぞれ全域、田村市、南相馬市、楢葉町、川内村、浪江町、葛尾村のそれぞれ一部は、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故により、警戒区域に指定されました。 -
富岡駅には、JR東日本の「保守用線隊 Gレンジャー」が停まっていました。
令和3年までに全3両が完成、常磐線(富岡~原ノ町間)で試験運行をしているようです。
左が検査駆動車、全長 15.650m、幅 2.944m、高さ 4.046m。総重量 45.3t、出力 454kw(617PS)、最高速度 45 km/h。
検査駆動車は、鉄道設備の状態や周辺環境などのデータを収集する測定機器を搭載 した軌道モータカーです。 -
検査駆動車の右に材料運搬車か連結されていました。レールなどの長尺物や枕木などの重量資材を運搬、側面にパワーゲートを設置しています。
もう一つの移動作業車は見当たりませんでした。 -
夜ノ森駅(双葉郡富岡町夜の森北)。
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夜ノ森は桜の名所として有名です。
また、ホームの両側1kmほどの範囲に約6,000株のツツジが植えられています。 -
大野駅(双葉郡大熊町大字下野上字大野)。
福島第一原子力発電所は、大熊町と双葉町の町境に近い、福島県双葉郡大熊町夫沢北原に所在しています。福島第一原子力発電所に最も近い駅で、直線距離は3,532m。 -
双葉駅(双葉郡双葉町大字長塚字町西)。
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浪江駅(双葉郡浪江町大字権現堂字塚越)。
この駅まではJRの東京近郊区間に入り、首都圏のSuicaエリアです。 -
桃内駅(南相馬市小高区耳谷字桃内)。
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ついに原ノ町駅(南相馬市原町区旭町二丁目)に到着です。南相馬市の中心地域です。
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相馬野馬追の大きなイラスト。
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原ノ町駅。
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木製の表札が格好良いです。
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相馬野馬追の大きなな写真が駅舎の壁に貼られています。
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相馬野馬追の大きなな写真が駅舎の壁に貼られています。
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2泊したホテル丸屋グランデ。
駅を出ると目の前に見えているので、暗くなってからの到着でも心強いですね。 -
広々としたロビー。
廊下の奥にレストランがあります。 -
ロビーの奥の休憩スペース。
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宿泊フロアのエレベーターホールの前に、備品類や電子レンジがありました。
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室内。しっかりした机があり、明るい部屋です。
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ベッド。
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バスルーム。
ホテルには大浴場があるので、私は大浴場を利用しました。 -
夜の原ノ町駅。
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4Fはラウンジと大浴場です。
たくさんの漫画本がありました。 -
マッサージ機や簡単なジムの機械もありました。
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無料のコーヒーメーカーもありました。
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朝の原ノ町駅。
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駅前の図書館。
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朝食。ブッフェ形式です。
品数がたくさんあり、とても美味しかったです。 -
天気予報どおり雨が降っていたので、タクシーで南相馬市博物館へ行きました。
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駐車場から少し歩いて博物館に到着です。
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入り口の前にも馬の絵が、野馬追みたいです。
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パンタネリウムの拡大模型。
実際のパンタネリウムは、0.2mmほどの海洋性プランクトン。 -
大正10年に建てられた磐城無線電信局の送信塔の頂部。昭和に入って、短波通信が普及した後、役目を終了しました。
その後も原町市(現在の南相馬市)のシンボルとして保存されて来ましたが、昭和56年に解体撤去されました。 -
企画展は、アンモナイト合戦。
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アンモナイト合戦のイメージ。
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アリエタイテスの化石。
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オルソテラスの化石。
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オウムガイの化石。
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巻が不完全になってしまったアンキロセラスの化石。
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ヴェロキラトプスの化石。
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プシッタコサウルスの化石。
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サウロロフスの化石。
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右上、アカドパラドキシデスの化石。
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スバル360。マイカーブームの走りでしたね。
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昭和41年(1966年)製。
フォルクスワーゲンとイメージが被るのは、日独伊三国同盟の名残です。 -
常設展。浦尻貝塚(南相馬市小高区)の断面を剥ぎ取ったものです。
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とても小さな骨の化石から魚の種類を特定しています。
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常設展示の中央にド~ンと置かれているのが、相馬野馬追(神旗争奪戦)の実物大模型。
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間近で見ることができ、迫力満点です。
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馬も武者も動きそうな迫力です。
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神旗争奪戦は、相馬馬追の華ですね。
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神輿と武具。
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屏風。
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縄文時代中期の深鉢。
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展示室の様子。
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長瀞遺跡の製鉄炉(8世紀後半)。原町から鹿島にかけて広がる金沢製鉄遺跡群の一つ、実物を切り取り保存しています。
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石皿で木の実を潰している様子。
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木造十一面観音立像(複製)。高さ160cm。
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鎌倉時代末期の嘉元二年の板碑。中央の種子はアーンク(胎蔵界大日如来)。その下の蓮台も彫りが深く、良い作品です。
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農耕馬。
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絵馬。
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江戸時代の商家。
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富田高慶坐像(複製)。文化11年生まれの相馬中村藩士。
江戸に出て、二宮尊徳に師事し、4門人の一人として活躍しました。後年、日光仕法、相馬仕法に従事し、相馬仕法では二宮尊徳の代理として、弘化2年(1845年)から明治維新まで、領内の村々を回り、大きな成果を上げました。
明治2年(1869年)に相馬中村藩家老上席となり、廃藩置県を迎えました。二宮尊徳の没後に「報徳記」、「報徳論」を著し、明治23年没、77歳でした。
大正の初め、彫刻家・佐藤朝山氏の作品。 -
二宮尊徳翁坐像。昭和の初め、本多朝忠氏が製作した銅像です。
よろしければ、二宮尊徳翁に関する旅行記もご覧ください。
栃木県真岡市にある二宮尊徳資料館を訪問した記録です↓。
https://4travel.jp/travelogue/11178509
また、神奈川県小田原市の報徳二宮神社を訪問した記録です↓。
https://4travel.jp/travelogue/11575694 -
新田川の鮭漁で使った舟。
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新田川の鮭は、相馬地方の恵みでした。
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磐城無線電信局の送信塔の模型。
底面直径17.7m、尖塔高201m、鉄筋コンクリート製の電波塔でした。 -
常磐線の駅員さん。
雰囲気あるね。いそうだよ。 -
駅名表札。昭和20年まで使われていました。
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タブレット。
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転車台の模型。
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和紙で作られた相馬野馬追の人形。
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和紙で作られた相馬野馬追の人形。
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とても良い作品です。前方には騎馬武者。
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後方の従者。
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建物の外には野馬土手(断面)を見ることができます。
野馬が逃げ出したり、また田畑を荒らしたりしないように築いた土手。寛文6年(1666年)から3年をかけて、野間追原を取り囲むように築きました。 -
C50103。
昭和5年製造。大東亜戦争前は埼玉県大宮において、戦後は茨城県高萩において長く活躍しました。 -
昭和45年引退。走行距離 1,596,289.2km。
平成11年、当時の原ノ町市立博物館に移設保存されました。 -
雨はポツポツと降っていますが、濡れるほどではありません。坂道を上って、野馬追神事の甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる雲雀ヶ原祭場地へ向かいます。
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小さなピークを超えて下り道。
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とても広い馬場に出ました。
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ここが正門でしょうか。
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ダートコースです。
雨の影響で、ちょうど良く締まっていました。 -
雲雀ケ原祭場地は、相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の飛び地として管理されています。
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正門の反対側にある観客席です。
祭場地が広いため、奥の方まではかなり距離がありますね。
神旗争奪戦などは肉眼では見えないかも。
観たいけど、見えないとねえ。 -
原ノ町駅に向かって歩きます。
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百合の花をデザインしたマンホール蓋。
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街中を歩いていますが、全く人がいませんでした。
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馬頭観世音。
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右奥の建物が、宿泊したホテル丸屋グランデです。
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駅前には、相馬野馬追の騎馬像が立っています。
少し昼休憩を取りましょう。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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東北の旅その2
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