2021/05/14 - 2021/05/15
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この旅行記のスケジュール
2021/05/14
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山本五十六長官の生家跡
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秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)
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貴渡神社
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大倉沢休憩所
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この旅行記スケジュールを元に
平成18年に長岡市と合併した長岡市栃尾は、上杉謙信公が青年期を過ごした栃尾城の城下町として発展した歴史の町です。天文20年(1551年)、謙信公は常安寺の守護神として秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)を勧請しました。
かつて長岡市の岩野には、大同年間に奈良県吉野山から勧請した蔵王権現が祀られていて、この地における修験道の中心地であったといいます。最盛期には蔵王堂を中心に12の坊堂が建っていました。
三尺坊は信州戸隠の生れと伝わり、諸国を修行中に岩野に至り、坊堂の一つ般若院叶坊で修行しました。三尺坊はここで不動の行法を修め、飛行自在の神通力を得ました。現れた白キツネに乗り、遠州の秋葉山まで飛行し、そして秋葉山を安住の地にしたと云います。
三尺坊は秘法を会得したとき「もし我が名を呼ぶものがあれば願を入れ、七難を滅する」と叫んだことから、秋葉の地に社を建ててお祀りしました。
江戸時代、栃尾の秋葉権現は大きな勢力を持ち、火除けのお札を配ったことから、遠州の秋葉山と本末を争い、寛保3年(1743年)には寺社奉行の裁定を仰ぎました。奉行は、遠州の秋葉三尺坊は布教弘風の地で「今の根源」、越後栃尾の秋葉三尺坊は行法成就の地で「古来の根源」と呼ぶよう
にと裁決を下したそうです。
以来、二つの社は全国に点在する秋葉神社の総本社となりました。
因みに、遠州秋葉神社は廃仏毀釈の折に火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)にご祭神を変更しており、秋葉寺(しゅうようじ)において秋葉三尺坊大権現を祀っています。
栃尾の秋葉神社・奥の院は、全面に彫刻が施されており、石川雲蝶と小林源太郎の共作と伝わっています。
貴渡神社(たかのりじんじゃ)の創建は嘉永元年(1848年)と新しく、庄屋・植村貴渡翁を祀っています。
天明の飢饉(1784年)を体験した植村翁は、米作りの他に収入源となる産業を模索し、養蚕を奨めて織物を普及しようとしました。後に栃尾紬の技法を確立し、地元民衆の崇敬を受けました。
上杉謙信公と縁深い巣守神社の境内に、貴渡翁の孫の植村覚左衛門敏敬が建立したといいます。栃尾紬をはじめた植村貴渡翁をご祭神として祀ったことから、通称「機(はた)神様」と呼ばれてきました。
小さな社殿には、石川雲蝶の彫刻が施されています。おそらく、秋葉神社と同時期に手がけた作品と思われます。
コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
PR
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やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
今でも耳にする言葉ですが、長岡市生まれの山本五十六連合艦隊司令長官の名言です。長岡市内にある山本五十六記念館に来ました。 -
この張り紙を見て、がっくりでした。
後日、よ~く考えたら、当日は14日だったので、もう一度がっくりしました。 -
山本五十六長官が鎌倉在住の時に買い求め、青山の邸宅でも大切に育てていたと伝わる唐楓の盆栽です。鎌倉に住んでいたのは1920年代ですから、樹齢は90年以上です。
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記念館の近くに山本五十六長官の生家跡があります。
実家の高野家があった地に整備された小公園です。駐車場はなく、記念館に駐めてくださいと張り紙がありました。 -
生家は長岡大空襲で焼失してしまい、こちらは再現された家屋です。
通常は内部の見学もできるようですが、この日は鍵がかかっていました。 -
生家と向かい合うように山本五十六司令長官の胸像が建っています。
山本長官が戦死した昭和18年に土浦海軍航空隊で作られた全身像が元になっています。 -
大東亜戦争の終結後、米軍に接収されることを恐れて霞ヶ浦に沈められた上半身から型どりした胸像です。昭和45年に生家跡に建立されました。
因みに復元された全身像は茨城県阿見町の予科練平和記念館・雄翔館に建っています。 -
長岡市のマンホール蓋。
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別デザインのマンホール蓋。
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ホテルルートイン長岡インター。
まだ明るい内にホテルに着きました。 -
今夜の打ち合わせは、隣接する甲羅本店なのでとても便利です。
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甲羅本店は、蟹料理の専門店です。感染防止もしっかりとできていました。
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小鉢、サラダ、蟹刺、茹で蟹、蟹すき。
蟹料理って無口になるので、感染防止に効果がありますね。 -
蟹茶碗蒸し、蟹グラタン、蟹天ぷら、蟹雑炊。
とっても美味しく大満足でした。マスク会食でも不満はありません。 -
朝日です。
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ホテルの朝食です。ルートインの朝食は美味しいですね。
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長岡市ではありますが、市内からは少し離れた(車で約40分)栃尾の秋葉公園に移動しました。
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秋葉公園内にたたずむ秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)は、天文20年(1551年)に上杉謙信公が楡原の岩野蔵王堂より遷したと伝えられています。
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鉄骨製の頑丈な建屋に覆われているのが、奥の院です。
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秋葉三尺坊大権現の参道です。もともと常安寺の守護のために建てられ、常安寺からの長い石段を上ると、この参道に出てきます。
常安寺は天文16年(1547年)に謙信公が開いたお寺で、兜の前立や真筆の軸が残されています。 -
参道の左手に鐘楼が建っています。
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平和の金。昭和48年の作で、3面に明治天皇、大正天皇、今上天皇(昭和天皇)が詠まれた歌が彫られています。
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手水舎。こちらも水が貼られていました。
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参道。正面手前は、百度石。
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火伏の神として名高く、江戸時代から二大霊山の一つ「火坊日本総本廟秋葉三尺坊大権現」として多くの崇敬を集めています。
安永5年(1776年)に再建され、平成8年に一部改修されています。 -
右、阿形の狛犬。
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左、吽形の狛犬。
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社殿には秋葉大権現の扁額と額の左右には鬼の面を掲げています。
左が阿形で、右が吽形。 -
社殿の内部。秋葉山の額が掲げられています。
ご本尊は秋葉三尺坊威徳大権現です。「わが名を唱えれば、失火と延焼と火難を逃す」と宣したことから、火伏の神として信仰されるようになりました。 -
秋葉山の額と並んで掲げられている額ですが、詳細不明です。
謙信公でしょうか。 -
秋葉神社算額(複製)。市内の数学者諏佐嘉右衛門喜継と弟子たちが研究した和算について、研鑽できたお礼に奉納した算額です。
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社殿内に祀られていましたが、不明です。
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秋葉三尺坊大権現(手前)と奥の院です。
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奥の院。弘化3年(1846年)に落慶し、その後の安政年間に彫刻が施されたようです。石川雲蝶と武州熊谷出身の小林源太郎が8年の歳月をかけて彫ったもので、和様と唐様の折衷になっています。
雲蝶より15歳年長の小林源太郎は、早くから越後各地で活躍していました。 -
正面は源太郎の作と伝わります。
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東側。中央部分の彫刻は、東面→南面→西面と物語が続いています。
秋葉神社にゆかりの烏天狗を題材としています。
この物語部分は雲蝶の作と伝わります。 -
東側には、烏天狗の酒宴。
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南側。全体が鉄骨と金網で覆われているため、写真を撮るのが難しい。
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南側。
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南側には、大天狗の前での烏天狗と若武者(牛若丸との説もある)の試合。
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西側。
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西側には烏天狗の敗北の図が彫られています。
上部の左側の彫刻がありません。 -
正面の下部にも彫刻がありました。
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正面中央。
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正面右。金網越しに下から見上げていると、首が痛くなりました。
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秋葉公園に行ってみましょう。
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芭蕉句碑。
逆光で読めませんが「此のあたり 目に見ゆる物は みな涼し」。
天保14年に夜梅庵連中によって建てられました。 -
平和祈念塔。
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一夜梅の碑。
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後方には、栃尾城跡と守門岳があるのですが、見えているのがそうでしょか。
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栃尾城跡と守門岳を背に、上杉謙信公の像。
昭和40年(1965年)に建立。 -
謙信公の視線には秋葉神社。
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山田錫碑。長岡藩で朱子学や蘭学を講じて、河井継之助や小林虎三郎なども教えを受けました。
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虎千代の隠れ岩。栃尾と長岡の街道筋にあった岩を移設。
謙信公(幼名、虎千代)8歳の頃、敵の刺客に襲われそうになったとき、庶民の子供と服を取り替え、この岩に隠れて難を逃れたと伝わっています。 -
遠山夕雲歌碑。
栃尾小学校、栃尾中学校などの校歌を作った大正時代の人。 -
秋葉公園から西方向の景色。
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白峰神社の碑。
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秋葉公園の駐車場の奥には墓地が広がっています。
墓石が珍しかったので、一枚。 -
秋葉神社から車で10分ほど山間を進むと、貴渡神社(たかのりじんじゃ)に着きました。社殿を木造家屋で覆っています。
駐車場はないので、巣守神社の石段下の少し広い所に駐めました。 -
社殿全体が覆われているため、一見すると神社とはわかりませんでした。
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貴渡神社(たかのりじんじゃ)。
事前に拝観したい旨を連絡していたので、扉を開けて頂いておりました。
自由に見学してください、とのことでした。 -
正面向拝には、竜、獅子鼻、象鼻。
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獅子鼻、阿形。
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獅子鼻、吽形。
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扁額とその左右にも彫刻。
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社殿南側。近くで見ることができるのは嬉しいのですが、全体が写りません。
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煮繭(しゃけん)。蚕が出す糸が絡み合っている繭、そこから糸を取り出すためには、繭を煮てセリシンという物質を取り除きます。
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糸取りから機織りまでの様子。唐風の衣装です。
栃尾紬が盛んであった頃の様子が分かります。 -
機織りの様子を見つめる人物は、植村貴渡翁でしょうか?
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糸取りから機織りまでの様子。
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社殿北側。近過ぎて歪んでしまいました。
南側も同じですが、2枚の板を継いで使用しています。 -
橋の上で睨み合う男性。背負っているのは繭でしょうか。
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桑摘みと蚕の飼育。
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桑摘みの女性。
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蚕の世話をする女性。石川安兵衛の署名がありました。
年代的に、酒井家に婿入りする前でしょうか。 -
社殿西側(裏側)には、細工はありませんでした。
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貴渡神社は、謙信公ゆかりの巣森神社の境内にあります。
巣森神社にお参りしましょう。 -
参道と鳥居。
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鳥居の額は風化して読めません。
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手水。
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龍の口から、わずかにお水が出ていました。
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巣森神社(すもりじんじゃ)。
創建は不詳ながら、雄略天皇の御代と伝わっています。 -
巣守神社拝殿。ご祭神は守門大明神とされ、栃尾固有の守門岳信仰と見ることができます。後に、謙信公が毘沙門天を祀り、豊作を祈願したと伝わります。
毎年2月第2土曜日の夜に開催される「巣守神社裸押合大祭」は、下帯一本にわらじ履きの男達が毘沙門天像の前で「サンヨ、サンヨ(撒与)」「押ッセ、押ッセ、押ッセヤイ」の掛け声で押し合い、福札を奪い合う勇ましい祭りです。
村人以外も参加できるようなので、チャレンジしようかな。 -
拝殿向拝。平成31年4月の句会で詠まれた俳句が奉納されていました。
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巣守神社の扁額。
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ご本殿。
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巣守神社の境内から見た貴渡神社。
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不動堂。石段の途中にありました。
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水掛け不動。目、耳、口(歯)、左肩、左腕、腰から両足と、ほぼ満身創痍の私、お不動様をびしょびしょにしてしまいました。
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栃尾から魚沼を目指して国道252号線を走行、途中の大倉沢休憩所からの景色です。破間川とJR只見線、遠くに雪山が見え、SLが定期運行していた頃の絶景ポイントでした。今はディーゼル列車が1日4往復です。
次は魚沼で雲蝶の作品を探しましょう。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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