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洗足池、池上本門寺、本行寺の名前は知っていても、どこも行ったことがありませんでした。<br />その方面に用事ができたので、2日かけて街歩きをしました。<br />するとその3カ所には『日蓮』という共通点がありました。<br />さらに、力道山のお墓にも出会えました!

洗足池や池上本門寺を歩いたら力道山のお墓と出会った!2019

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2019/09/04 - 2019/09/05

57位(同エリア93件中)

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RON3

RON3さん

洗足池、池上本門寺、本行寺の名前は知っていても、どこも行ったことがありませんでした。
その方面に用事ができたので、2日かけて街歩きをしました。
するとその3カ所には『日蓮』という共通点がありました。
さらに、力道山のお墓にも出会えました!

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
4.5
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 【1日目】<br /><br />「洗足池公園」<br />鎌倉時代の1282年、日蓮が身延山から、池上宗仲の館(現在の池上本門寺)に向かう途中、ここで休憩。松の木に法衣をかけて池の水で手足を洗った。それで「洗足池」と名付けられたそうです。<br />今まで『誰の足を洗ったのか?』と考えても、まさか日蓮だとは思いもしませんでした! (自分の場合『足を洗う』と言えば、悪いことをした人が・・・ 失礼しました m(_ _)m)

    【1日目】

    「洗足池公園」
    鎌倉時代の1282年、日蓮が身延山から、池上宗仲の館(現在の池上本門寺)に向かう途中、ここで休憩。松の木に法衣をかけて池の水で手足を洗った。それで「洗足池」と名付けられたそうです。
    今まで『誰の足を洗ったのか?』と考えても、まさか日蓮だとは思いもしませんでした! (自分の場合『足を洗う』と言えば、悪いことをした人が・・・ 失礼しました m(_ _)m)

    洗足池公園 花見

  • 名馬『池月(いけづき)』の像<br />「馬のブロンズ像がなぜあるんだろう?」と思ったら・・・<br />1180年に、源頼朝が合戦に敗れてこの地に宿営した時に、名馬『池月』が舞い降りて、その馬が活躍。その後の快進撃に繋がったという伝説。<br />

    名馬『池月(いけづき)』の像
    「馬のブロンズ像がなぜあるんだろう?」と思ったら・・・
    1180年に、源頼朝が合戦に敗れてこの地に宿営した時に、名馬『池月』が舞い降りて、その馬が活躍。その後の快進撃に繋がったという伝説。

    名馬池月の像 名所・史跡

  • 「千束八幡神社」<br />そんな名馬『池月』伝説から、千束八幡神社は『旗揚げ八幡』とも呼ばれるそうです。<br />800年以上の歴史があって、源頼朝にも縁のある神社でした。

    「千束八幡神社」
    そんな名馬『池月』伝説から、千束八幡神社は『旗揚げ八幡』とも呼ばれるそうです。
    800年以上の歴史があって、源頼朝にも縁のある神社でした。

    千束八幡神社 寺・神社・教会

  • 「妙福寺」<br />日蓮が池の水で手足を洗った時に、法衣をかけた松の木が「日蓮上人袈裟掛けの松」。「日蓮上人像」と「日蓮上人袈裟掛けの松」は「妙福寺」の境内にあります。<br />

    「妙福寺」
    日蓮が池の水で手足を洗った時に、法衣をかけた松の木が「日蓮上人袈裟掛けの松」。「日蓮上人像」と「日蓮上人袈裟掛けの松」は「妙福寺」の境内にあります。

    妙福寺 寺・神社・教会

  • 「日蓮上人像」と「日蓮上人袈裟掛けの松」<br />日蓮が法衣をかけた松の木が「日蓮上人袈裟掛けの松」。<br />現在のものは三代目。

    「日蓮上人像」と「日蓮上人袈裟掛けの松」
    日蓮が法衣をかけた松の木が「日蓮上人袈裟掛けの松」。
    現在のものは三代目。

    日蓮上人袈裟掛けの松 名所・史跡

  • 「西郷隆盛留魂碑」<br />留魂碑を勝海舟が自費で建てたくらい、西郷隆盛を悼む思いが強かったんですね。<br />「江戸城の無血開城」では対立する立場であったふたりでしたが、国を良くしたいという思いは共通だったのでしょうね。

    「西郷隆盛留魂碑」
    留魂碑を勝海舟が自費で建てたくらい、西郷隆盛を悼む思いが強かったんですね。
    「江戸城の無血開城」では対立する立場であったふたりでしたが、国を良くしたいという思いは共通だったのでしょうね。

    西郷隆盛留魂碑 名所・史跡

  • 「西郷隆盛留魂碑」<br />留魂碑は七言律詩で、ちんぷんかんぷん・・・<br />有り難いことに、読み下し文とフリガナがついた解説も立っていたので、助かりました。<br />内容は、西郷隆盛が沖永良部島の獄中で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心を詠んだもののようです。

    「西郷隆盛留魂碑」
    留魂碑は七言律詩で、ちんぷんかんぷん・・・
    有り難いことに、読み下し文とフリガナがついた解説も立っていたので、助かりました。
    内容は、西郷隆盛が沖永良部島の獄中で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心を詠んだもののようです。

  • 「勝海舟別邸跡」<br />勝海舟が「江戸城の無血開城」の前に、西郷隆盛のいた池上本門寺に向かう途中、洗足池で休憩したそうです。そのときに、ここが非常に気に入って、後に別邸を建てて住んだそうです。<br />別邸跡には、この解説板しかありません。

    「勝海舟別邸跡」
    勝海舟が「江戸城の無血開城」の前に、西郷隆盛のいた池上本門寺に向かう途中、洗足池で休憩したそうです。そのときに、ここが非常に気に入って、後に別邸を建てて住んだそうです。
    別邸跡には、この解説板しかありません。

    勝海舟別邸跡 (洗足軒) 名所・史跡

  • 「勝海舟夫妻の墓」<br />勝海舟が別邸を建てて住んだほど、ここが気に入っていた。死んだらここに葬って欲しいと遺言に残したことからここに墓があるのだそうです。<br />さらに、奥様のお墓も青山墓地から改葬されたとのことでした。<br /><br />このあとは、洗足池から池上本門寺へ向かいました。<br />途中、商店街で昼食用の『鳥めし』を購入。

    「勝海舟夫妻の墓」
    勝海舟が別邸を建てて住んだほど、ここが気に入っていた。死んだらここに葬って欲しいと遺言に残したことからここに墓があるのだそうです。
    さらに、奥様のお墓も青山墓地から改葬されたとのことでした。

    このあとは、洗足池から池上本門寺へ向かいました。
    途中、商店街で昼食用の『鳥めし』を購入。

    勝海舟夫妻の墓 名所・史跡

  • 「池上本門寺」に到着。<br />1282年10月13日に、日蓮上人が61歳でこの地で亡くなったので、身延山久遠寺と共に、ここは日蓮宗大本山とされています。

    「池上本門寺」に到着。
    1282年10月13日に、日蓮上人が61歳でこの地で亡くなったので、身延山久遠寺と共に、ここは日蓮宗大本山とされています。

    池上本門寺 花見

  • 「五重塔」<br />大きな塔が見えました。行ってみると、凄い歴史があるとわかりました。<br />関東に現存する4基の五重塔の中で最古の五重塔。<br />徳川二代将軍になる前の秀忠が15歳の時にかかった病気の治癒祈願が叶い、将軍となって、慶長12年(1607年)に建立。<br /><br />歩いている途中で、『力道山のお墓⇒』の立て札を見つけて、探しました。

    「五重塔」
    大きな塔が見えました。行ってみると、凄い歴史があるとわかりました。
    関東に現存する4基の五重塔の中で最古の五重塔。
    徳川二代将軍になる前の秀忠が15歳の時にかかった病気の治癒祈願が叶い、将軍となって、慶長12年(1607年)に建立。

    歩いている途中で、『力道山のお墓⇒』の立て札を見つけて、探しました。

    五重塔 (池上本門寺) 寺・神社・教会

  • 「力道山のお墓」<br />なかなか見つからず、墓地周辺を通りかかった品の良いご婦人に尋ねると、教えてくれました。<br /><br />力道山は、昭和のプロレスラーで一番人気だった。

    「力道山のお墓」
    なかなか見つからず、墓地周辺を通りかかった品の良いご婦人に尋ねると、教えてくれました。

    力道山は、昭和のプロレスラーで一番人気だった。

  • あった! しかも銅像もある。

    あった! しかも銅像もある。

  • プロレスをやる前は力士だったので、『力道山』の名前なんですよね。<br />最期は、暴力団関係で刺されたんでしたっけ?

    プロレスをやる前は力士だったので、『力道山』の名前なんですよね。
    最期は、暴力団関係で刺されたんでしたっけ?

  • 力道山のお墓の近くで、非常に目立つ大きなお墓で、お花がいっぱい供えられていました。「一体誰のお墓なんだろう?」 でも、わかりませんでした。<br /><br />このあと、墓地の先に緑の多い本門寺公園があって、そこでランチの『鳥めし』をいただきました。<br />この日はそのあと用事があったので、池上本門寺の詳しい散策は翌日に回しました。

    力道山のお墓の近くで、非常に目立つ大きなお墓で、お花がいっぱい供えられていました。「一体誰のお墓なんだろう?」 でも、わかりませんでした。

    このあと、墓地の先に緑の多い本門寺公園があって、そこでランチの『鳥めし』をいただきました。
    この日はそのあと用事があったので、池上本門寺の詳しい散策は翌日に回しました。

  • 「ステーキガスト南荻島店」<br />夕食は、しっかりスタミナをつけるべく、ステーキを食べに行きました。<br />メインのステーキを選ぶと、サラダ、ライス、ご飯、カレー、フルーツなどが食べ放題でした。<br />

    「ステーキガスト南荻島店」
    夕食は、しっかりスタミナをつけるべく、ステーキを食べに行きました。
    メインのステーキを選ぶと、サラダ、ライス、ご飯、カレー、フルーツなどが食べ放題でした。

  • 【2日目】<br />「コメダ珈琲東川口店」<br />名古屋式の『モーニングサービス』を食べたくて、コメダ珈琲に行きました。<br />

    【2日目】
    「コメダ珈琲東川口店」
    名古屋式の『モーニングサービス』を食べたくて、コメダ珈琲に行きました。

  • モーニングサービスの『トーストに餡バター』と初めから決めていました。サラダも付いているし、ゆっくりできる店の雰囲気が良いです。<br /><br />食べた後、昨日に続いて再び池上本門寺に行きました。

    モーニングサービスの『トーストに餡バター』と初めから決めていました。サラダも付いているし、ゆっくりできる店の雰囲気が良いです。

    食べた後、昨日に続いて再び池上本門寺に行きました。

  • 再び「池上本門寺」<br /><br />「総門」<br />五重塔、多宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた。<br />安藤広重の『江戸みやげ』や『江戸近郊八景』にも描かれた。<br />「本門寺」と書かれた扁額は、門より古くて、寛永4年(1627年)本阿弥光悦の筆。

    再び「池上本門寺」

    「総門」
    五重塔、多宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた。
    安藤広重の『江戸みやげ』や『江戸近郊八景』にも描かれた。
    「本門寺」と書かれた扁額は、門より古くて、寛永4年(1627年)本阿弥光悦の筆。

    池上本門寺 花見

  • 「日蓮上人像(説法像)」<br />宗祖700遠忌記念に昭和58年に奉納。北村西望制作。

    「日蓮上人像(説法像)」
    宗祖700遠忌記念に昭和58年に奉納。北村西望制作。

  • 「経蔵」<br />江戸中期、天明4年(1784年)に建てられた経蔵。<br />蔵の中心に軸があって、回転する八角形の書架に『天海版一切経(仏教の経典)』が収められていた。今は「霊宝殿」で保存。

    「経蔵」
    江戸中期、天明4年(1784年)に建てられた経蔵。
    蔵の中心に軸があって、回転する八角形の書架に『天海版一切経(仏教の経典)』が収められていた。今は「霊宝殿」で保存。

    経蔵 (池上本門寺) 寺・神社・教会

  • 「池上本門寺大堂(祖師堂)」<br />旧大堂は、加藤清正が慈母のために建立、間口が25間。清正が兜をかぶったまま縁の下を通れたことから『池上の大堂』、上野の寛永寺は『中堂』、芝の増上寺は『小堂』と呼ばれたというのを初めて知りました。<br /><br />旧大堂が空襲で焼けて、現在の鉄筋コンクリート造の大堂が再建されたのは、昭和39年のこと。

    「池上本門寺大堂(祖師堂)」
    旧大堂は、加藤清正が慈母のために建立、間口が25間。清正が兜をかぶったまま縁の下を通れたことから『池上の大堂』、上野の寛永寺は『中堂』、芝の増上寺は『小堂』と呼ばれたというのを初めて知りました。

    旧大堂が空襲で焼けて、現在の鉄筋コンクリート造の大堂が再建されたのは、昭和39年のこと。

    池上本門寺大堂 寺・神社・教会

  • 「御廟所」<br />日蓮聖人の御灰骨を祀ってある墓塔が廟堂内中央にある。境内の一番奥の、築地塀で囲まれている。<br />左の廟堂に第二世日朗聖人の墓塔が、右には第三世日輪聖人の墓塔が安置されている。

    「御廟所」
    日蓮聖人の御灰骨を祀ってある墓塔が廟堂内中央にある。境内の一番奥の、築地塀で囲まれている。
    左の廟堂に第二世日朗聖人の墓塔が、右には第三世日輪聖人の墓塔が安置されている。

  • 「池上廟」<br />大宝塔の背後にある高い所に歴代聖人御廟所があります。池上宗仲夫妻の墓碑がある。<br />その前に、こうした石碑があります。

    「池上廟」
    大宝塔の背後にある高い所に歴代聖人御廟所があります。池上宗仲夫妻の墓碑がある。
    その前に、こうした石碑があります。

  • 「宝塔」<br />1282年10月13日に、61歳の日蓮聖人が入滅後に荼毘に付された場所で、その灰を納めるためにお堂が作られた。<br />現在の多宝塔は、江戸後期の文政11年(1828年)に再建されたもの。<br />屋根は正方形で、下の部分の円柱との組み合わせが個性的。しかも真っ赤な色で、インパクトがあります。<br />国の重要文化財指定。

    「宝塔」
    1282年10月13日に、61歳の日蓮聖人が入滅後に荼毘に付された場所で、その灰を納めるためにお堂が作られた。
    現在の多宝塔は、江戸後期の文政11年(1828年)に再建されたもの。
    屋根は正方形で、下の部分の円柱との組み合わせが個性的。しかも真っ赤な色で、インパクトがあります。
    国の重要文化財指定。

    宝塔 (池上本門寺) 名所・史跡

  • 「長崇山本行寺」<br />日蓮聖人がここで亡くなった。<br />池上宗仲は日朗の弟子、日澄に日蓮聖人が泊まられていたこの館を寄進して、お寺にした。<br />通称『大坊』と呼ばれている。

    「長崇山本行寺」
    日蓮聖人がここで亡くなった。
    池上宗仲は日朗の弟子、日澄に日蓮聖人が泊まられていたこの館を寄進して、お寺にした。
    通称『大坊』と呼ばれている。

    本行寺 寺・神社・教会

  • 約740年前、61歳の日蓮上人が亡くなった場所。<br />亡くなる前の1カ月間、重病の身でありながら、日蓮上人は、池上宗仲の所に滞在して、多くの弟子達に法華経などを講義をしていた。<br />その部屋の跡に「日蓮上人御入滅の旧跡」というお堂が建てられた。<br /><br />自宅の近くにも「本行寺」があって、どういうつながりがあるのか知りたくて、2日間にわたって「洗足池」と「池上本門寺」と「大坊本行寺」を巡ってきました。なるほど、全て日蓮さんとつながっていました!<br /><br />つたない旅行記を最後まで読んでくださって、ありがとうございました m(_ _)m

    約740年前、61歳の日蓮上人が亡くなった場所。
    亡くなる前の1カ月間、重病の身でありながら、日蓮上人は、池上宗仲の所に滞在して、多くの弟子達に法華経などを講義をしていた。
    その部屋の跡に「日蓮上人御入滅の旧跡」というお堂が建てられた。

    自宅の近くにも「本行寺」があって、どういうつながりがあるのか知りたくて、2日間にわたって「洗足池」と「池上本門寺」と「大坊本行寺」を巡ってきました。なるほど、全て日蓮さんとつながっていました!

    つたない旅行記を最後まで読んでくださって、ありがとうございました m(_ _)m

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この旅行記へのコメント (3)

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  • こたままさん 2022/08/23 17:14:14
    スタンプラリー?
    RON3さま
    こんにちは!

    日蓮上人は義務教育の社会の授業で習った様な気がしますが、内容はあまり覚えていません(←要するに名前しか知らない(^-^;)
    亡くなった場所というのはわかるとして、荼毘に付された場所や足を洗った池、法衣を掛けた木までが後世に残されて信仰の対象になるとは、凄い人だったんですね。
    説法像もなんだか迫力があって、力道山の銅像が優しく見えます。

    私は神社仏閣を訪ねても由緒などは深く気にしないですが、歴史と深い結びつきがあるんですね。
    徳川秀忠が建てた五重塔!?え!そんなに古いんですか?と驚くくらいきれいな姿で立っています。
    「宝塔」も江戸時代末期に作られたとは思えないモダンなデザインで素敵です。
    胴体の赤色が長い年月でいい感じに変わるのも計算済みなのでしょうか。

    そして最後の写真、本行寺の看板に私の好きな「スタンプラリー」の文字を見つけてしまいました!(^^)!。。あー!めっちゃ気になる\(^o^)/。。

    こたまま
    (2回消えて半ば意地で投稿させて頂きました。4日程かかった割には中身薄くてすみません(;´∀`))

    RON3

    RON3さん からの返信 2022/08/23 18:20:38
    Re: スタンプラリー?
    こたままさん、お疲れ様でした (^^;)

    4travelのコメント欄に入力中、何が原因かわからないけれども、長文が一気に消えてしまったことが、わたしも何度かありました。こたままさんは2回続けて消えてしまったんですね。それはそれは、気持ちが萎えるのも無理はありません。そのお気持ちよくわかります。それにも関わらず、こうして「最終完成版」まで頑張って投稿してくださったんですね。本当にありがとうございます m(_ _)m

    私も実は、「歴史」「神社仏閣」「○○時代」「年号」「人物名」などは、覚えるのも苦手で、社会科は小学生からずっと苦手でした。社会科の先生まで嫌って避けていたくらいです。

    海外旅行に行くようになってから、世界史に興味が湧くようになりました。フランス(ナポレオン時代)、トルコ(オスマントルコ)、ローマ(ローマ帝国)、ギリシャ、エジプト・・・とさかのぼるにつれて、訪れる国々の世界史に少しずつ興味を持ち始めました。
    大学で「ラテン語」も履修登録をしましたが、1回も出席せずに諦めました。でも、「ラテン語」が「ローマ帝国時代のことば」だと知ったのが社会に出てだいぶ経ってからのこと。もう手遅れです・・・

    今まで海外旅行を55回くらい、55カ国くらいしましたが、そうしているうちに自分が自分の国の歴史、日本史を知らないことにやっと戻ってきました。毎日時間に急かされないで済む、退職後になって、神社仏閣を見て、「はて、これはどんな歴史的背景があるのかな?」と考えるようになったんですよ。身近な神社仏閣でも、その歴史的背景に、日本史で出てくる名前が出てきたんでビックリしたという感じです。

    「洗足池」も同じです。訪れるまで今まで知りませんでした。「足を洗う」=「悪いことをした人のこと?」とか勝手に想像していましたよ。

    旅行記の最後に書いた通り、目の前に「本行寺」というお寺があって、長年どういうお寺なのかなと思っていたということも繋がっていましたけどね。

    ついこの間までの自分は、こたままさんとほとんど変わりないと思うけどな。

    「無理は禁物」ですよ。
    いつか「昔は興味が無かったこと」「昔は美味しいと思わなかった食べ物」がちょっとずつ変わることってあるかもね (^_-)

    コメントの「最後の写真、本行寺の看板に私の好きな『スタンプラリー』の文字を見つけてしまいました!(^^)!。。あー!めっちゃ気になる\(^o^)/。。」
    は何のことだろうと思って調べました。
    『スタンプラリー』からちょっと興味・関心を持つのも有りですね (^o^)V

    『歩こう!池上・本門寺周辺~寺めぐり』
    http://honmonji.blog88.fc2.com/

    4Travelの peanuts-snoopyさん『池上本門寺周辺の寺めぐり』
    https://4travel.jp/travelogue/11672122

    ところで、今日はたくさんの「いいね!」をありがとうございます m(_ _)m

         RON3

    こたまま

    こたままさん からの返信 2022/08/25 11:30:47
    Re: スタンプラリー?
    RON3さま
    返信ありがとうございます(^.^)

    社会嫌い、ラテン語諦め…RON3さまの過去がどんどん剥がされていきますね(笑)。

    色々と楽になるお言葉が有り難く、ひとつひとつ心に刻ませて頂いています。

    スタンプラリー、調べてくださってありがとうございます\(^^)/
    馴染みの無い分野、しかも沢山あって大変そう、とちょっと怯みましたが、RON3さまがおっしゃる通り「きっかけ」ですね。
    難しく考えないで楽しくお散歩しに行ってみたくなりました。
    ありがとうございました(*^^*)。

    こたまま

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