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17世紀オランダ人画家、ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』などの作品が見られるということで、『フェルメール展』を見に行くことにしました。<br />ついでに上野公園を久しぶりに散歩。<br />夕方に日暮里から谷根千の『夕やけだんだん』をぶらりとしたのをつなげてみました。

『フェルメール』と上野公園、谷根千の『夕やけだんだん』も

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2018/12/05 - 2018/12/05

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RON3

RON3さん

17世紀オランダ人画家、ヨハネス・フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』などの作品が見られるということで、『フェルメール展』を見に行くことにしました。
ついでに上野公園を久しぶりに散歩。
夕方に日暮里から谷根千の『夕やけだんだん』をぶらりとしたのをつなげてみました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 「上野の森美術館」<br />『フェルメール展』は、JR上野駅の公園口から近い「上野の森美術館」で開催されていました。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』を見られるということで行きました。<br />美術館は、こじんまりとしていて、1階と2階はスロープで繋がっています。展示されたフェルメールの作品数からすれば、この美術館の広さがちょうど良かったのだと思います。<br />フェルメールブルーは、とても明るい鮮やかなブルーで、写真で見るのと違って、素敵でした。数年前にもオランダで見ましたが、直接見るのは何度見ても感動します。

    「上野の森美術館」
    『フェルメール展』は、JR上野駅の公園口から近い「上野の森美術館」で開催されていました。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』を見られるということで行きました。
    美術館は、こじんまりとしていて、1階と2階はスロープで繋がっています。展示されたフェルメールの作品数からすれば、この美術館の広さがちょうど良かったのだと思います。
    フェルメールブルーは、とても明るい鮮やかなブルーで、写真で見るのと違って、素敵でした。数年前にもオランダで見ましたが、直接見るのは何度見ても感動します。

    上野の森美術館 美術館・博物館

  • 「西郷隆盛像」は高村光雲の作。<br />『上野へのお上りさん』をしたので、振り出しに戻って「西郷隆盛像」から。<br />上野恩賜公園の入り口に立つ西郷隆盛の銅像ですが、たくさんのエピソードがあります。<br />「なぜ鹿児島の西郷隆盛が?」「なぜ上野公園のここに?」「なぜ浴衣姿なの?」「本当にこんな顔だったの?」<br />明治維新で『江戸幕府の無血開城』を行った貢献をたたえています。<br />徳川幕府の菩提寺である東叡山寛永寺に集まった彰義隊と西郷達が戦ったのがこの場所だったんです。<br />軍服姿よりは、平時のウサギ狩りをしていたときの格好の方が良いと、モチーフにした。しかし、除幕式の時にこの姿を見た西郷の奥様は、「公の人前でこんな格好は決してしなかった!」と驚かれたという話も有名です。<br />顔は、顔写真が一枚も残されていない西郷の顔を想像して描かれたものをもとにしたようです。<br />

    「西郷隆盛像」は高村光雲の作。
    『上野へのお上りさん』をしたので、振り出しに戻って「西郷隆盛像」から。
    上野恩賜公園の入り口に立つ西郷隆盛の銅像ですが、たくさんのエピソードがあります。
    「なぜ鹿児島の西郷隆盛が?」「なぜ上野公園のここに?」「なぜ浴衣姿なの?」「本当にこんな顔だったの?」
    明治維新で『江戸幕府の無血開城』を行った貢献をたたえています。
    徳川幕府の菩提寺である東叡山寛永寺に集まった彰義隊と西郷達が戦ったのがこの場所だったんです。
    軍服姿よりは、平時のウサギ狩りをしていたときの格好の方が良いと、モチーフにした。しかし、除幕式の時にこの姿を見た西郷の奥様は、「公の人前でこんな格好は決してしなかった!」と驚かれたという話も有名です。
    顔は、顔写真が一枚も残されていない西郷の顔を想像して描かれたものをもとにしたようです。

    上野恩賜公園 公園・植物園

  • 「寛永寺清水観音堂」<br />東叡山寛永寺を開山した天海大僧正が、京都の清水寺になぞらえて清水観音堂を建てたとのこと。

    「寛永寺清水観音堂」
    東叡山寛永寺を開山した天海大僧正が、京都の清水寺になぞらえて清水観音堂を建てたとのこと。

    寛永寺清水観音堂 寺・神社・教会

  • 『月の松』<br />『清水の舞台』から『月の松』を通して、不忍池の弁天堂が見えるという配置になっています。<br />琵琶湖に見立てた不忍池を『清水の舞台』から眺めるのに、さらに松を円形にして、そこから不忍池の弁天堂が中央に見えるという工夫がされているんですね。<br />江戸時代の浮世絵画家歌川広重も描いています。

    『月の松』
    『清水の舞台』から『月の松』を通して、不忍池の弁天堂が見えるという配置になっています。
    琵琶湖に見立てた不忍池を『清水の舞台』から眺めるのに、さらに松を円形にして、そこから不忍池の弁天堂が中央に見えるという工夫がされているんですね。
    江戸時代の浮世絵画家歌川広重も描いています。

  • 「不忍池」<br />スワンボートと鴨と、背景の高層ビルが対照的。<br /><br />池の中の小さな島に「辯天堂」があります。<br />徳川家康の側近だった天海大僧正は、上野の山はもともと江戸城から見て鬼門(東北)にあたるため、『見立て』にとことんこだわって上野の山の設計したそうです。<br />「琵琶湖」に見立てて「不忍池」を、「比叡山延暦寺」に見立てて「東叡山寛永寺」を創建。<br />「竹生島の宝厳寺」に見立てて「不忍池辯天堂」を創建。<br />そして、不忍池を見晴らす位置に「清水観音堂」の「清水の舞台」を作ったというわけです。<br />

    「不忍池」
    スワンボートと鴨と、背景の高層ビルが対照的。

    池の中の小さな島に「辯天堂」があります。
    徳川家康の側近だった天海大僧正は、上野の山はもともと江戸城から見て鬼門(東北)にあたるため、『見立て』にとことんこだわって上野の山の設計したそうです。
    「琵琶湖」に見立てて「不忍池」を、「比叡山延暦寺」に見立てて「東叡山寛永寺」を創建。
    「竹生島の宝厳寺」に見立てて「不忍池辯天堂」を創建。
    そして、不忍池を見晴らす位置に「清水観音堂」の「清水の舞台」を作ったというわけです。

    不忍池 自然・景勝地

  • 「上野大仏」<br />「上野大仏」なるものがあることを知る人は、意外に少ないかもしれません。<br />

    「上野大仏」
    「上野大仏」なるものがあることを知る人は、意外に少ないかもしれません。

  • 『これ以上落ちない』ことから受験生も多い!<br />大仏様はお顔だけで、身体は100年前の関東大震災で頭が落ちた後に、寛永寺で保管されたんですが、身体は戦時中の軍へ金属類の供出されてしまったんです。

    『これ以上落ちない』ことから受験生も多い!
    大仏様はお顔だけで、身体は100年前の関東大震災で頭が落ちた後に、寛永寺で保管されたんですが、身体は戦時中の軍へ金属類の供出されてしまったんです。

  • 「上野東照宮」<br />江戸城から見て鬼門の上野に徳川家の菩提寺になる「寛永寺」を建てたので、徳川家康を祀る「上野東照宮」も建てられたそうです。<br />黒漆に金箔を使ったことで、とても引き締まった、荘厳さを感じます。<br />中でも中央に見える『唐門』は、金箔で光り輝いています。左甚五郎による『昇り龍と降り龍』は、本当に立体的で、生き生きとしています。

    「上野東照宮」
    江戸城から見て鬼門の上野に徳川家の菩提寺になる「寛永寺」を建てたので、徳川家康を祀る「上野東照宮」も建てられたそうです。
    黒漆に金箔を使ったことで、とても引き締まった、荘厳さを感じます。
    中でも中央に見える『唐門』は、金箔で光り輝いています。左甚五郎による『昇り龍と降り龍』は、本当に立体的で、生き生きとしています。

    上野東照宮 寺・神社・教会

  • 「新鶯亭」<br />「上野東照宮」と「上野動物園」入り口の間にある小山の上にある甘味処です。<br />庭も藤棚もあって、外の緋もうせんを敷いた縁台で、いただくのも乙です。

    「新鶯亭」
    「上野東照宮」と「上野動物園」入り口の間にある小山の上にある甘味処です。
    庭も藤棚もあって、外の緋もうせんを敷いた縁台で、いただくのも乙です。

    新鶯亭 グルメ・レストラン

  • ここの名物『鶯団子』は、小豆、白あん、抹茶あんの3種類のお団子です。中に求肥が入っています。<br />『ところてん』はサッパリして、口直しに良かったです。

    ここの名物『鶯団子』は、小豆、白あん、抹茶あんの3種類のお団子です。中に求肥が入っています。
    『ところてん』はサッパリして、口直しに良かったです。

  • 壁に掛かっていたかっぱの絵と句が気になって、後から調べてみました。

    壁に掛かっていたかっぱの絵と句が気になって、後から調べてみました。

  • 「あめつちの 中に我あり 一人あり」<br /><br />『宮本武蔵』や『三国志』などで知られる吉川英治が若い頃、雉子郎(きじろう)の名で川柳を詠んでいたようです。<br />「天地の中のちっぽけな私が、自分ひとりの力で生きているのではなく、動物や植物、ありとあらゆるものに支えられて生かされている身であり、「有難い」存在であるという確認の中からでた詩」と、祐天寺の竹村崇邦さんがHPに書いていました。

    「あめつちの 中に我あり 一人あり」

    『宮本武蔵』や『三国志』などで知られる吉川英治が若い頃、雉子郎(きじろう)の名で川柳を詠んでいたようです。
    「天地の中のちっぽけな私が、自分ひとりの力で生きているのではなく、動物や植物、ありとあらゆるものに支えられて生かされている身であり、「有難い」存在であるという確認の中からでた詩」と、祐天寺の竹村崇邦さんがHPに書いていました。

  • 公園内では、時々大道芸人が芸を見せたり、写真のように『パンフルート』を吹いていた人もいました。

    公園内では、時々大道芸人が芸を見せたり、写真のように『パンフルート』を吹いていた人もいました。

  • 『スプレーアート』を実演して販売している人もいました。

    『スプレーアート』を実演して販売している人もいました。

  • 手慣れたもんで、本当に仕上げるのが早かったです。<br /><br />上野公園をあとにしました。

    手慣れたもんで、本当に仕上げるのが早かったです。

    上野公園をあとにしました。

  • 『夕やけだんだん』<br />JR日暮里駅の北口を出て、御殿坂を歩いて「谷中銀座商店街」に向かいました。<br />商店街が見えると『夕やけだんだん』と呼ばれる階段があります。一般公募によって命名されましたこの名前のように、日没時でちょうど夕焼けを眺めることができました。なんとか間に合って良かった! 

    『夕やけだんだん』
    JR日暮里駅の北口を出て、御殿坂を歩いて「谷中銀座商店街」に向かいました。
    商店街が見えると『夕やけだんだん』と呼ばれる階段があります。一般公募によって命名されましたこの名前のように、日没時でちょうど夕焼けを眺めることができました。なんとか間に合って良かった! 

    夕やけだんだん 名所・史跡

  • 日没が進むにつれて、「ひぐらしの里 谷中ぎんざ」に夕餉の支度をする買い物客も増えてきます。商店街の明かりや人々の光景は、典型的な下町風景で、懐かしい気持ちになりました。

    日没が進むにつれて、「ひぐらしの里 谷中ぎんざ」に夕餉の支度をする買い物客も増えてきます。商店街の明かりや人々の光景は、典型的な下町風景で、懐かしい気持ちになりました。

  • ちなみに「ひぐらしの里」は、かつての新堀(にいほり)が、江戸時代から「日が暮れるまで過ごしても飽きない里」ということで「日暮里」の文字を当てはめたとか。

    ちなみに「ひぐらしの里」は、かつての新堀(にいほり)が、江戸時代から「日が暮れるまで過ごしても飽きない里」ということで「日暮里」の文字を当てはめたとか。

  • 「岡倉天心記念公園」<br />1889年(明治22年)に開校した東京美術学校(東京藝術大学美術学部)の初代校長になって、横山大観らに講義を行った時代に、ここで暮らしたそうです。

    「岡倉天心記念公園」
    1889年(明治22年)に開校した東京美術学校(東京藝術大学美術学部)の初代校長になって、横山大観らに講義を行った時代に、ここで暮らしたそうです。

    岡倉天心記念公園 公園・植物園

  • 「岡倉天心像」<br />公園内の六角堂に金色の天心坐像が安置されています。<br />「院展」の名で知られる日本美術院を発足したのもこの地。

    「岡倉天心像」
    公園内の六角堂に金色の天心坐像が安置されています。
    「院展」の名で知られる日本美術院を発足したのもこの地。

  • 「観音寺の築地塀」<br />赤穂浪士にもゆかりがあるお寺で、周りを囲む土塀がとても珍しい!<br />土と瓦を交互に積み重ねた土塀に、屋根瓦を乗せてあります。まるで武家屋敷のような重厚さです。

    「観音寺の築地塀」
    赤穂浪士にもゆかりがあるお寺で、周りを囲む土塀がとても珍しい!
    土と瓦を交互に積み重ねた土塀に、屋根瓦を乗せてあります。まるで武家屋敷のような重厚さです。

    観音寺 寺・神社・教会

  • 「養傳寺」<br />400年の歴史のある日蓮宗のお寺。白木の山門は、まるで武家屋敷のようでした。黄土色の塗り壁に埋め込まれた明かりが現代的で、お洒落でした。<br /><br />観音寺の江戸時代の土塀と路地を挟んで、養傳寺の現代的な塗り壁とが非常に対照的でした。<br /><br />このあと、「谷中の墓地」を通って、帰路につきました。<br />今回は「谷根千」の「谷中」だけでした。またいつか、「根津」、「千駄木」にも行かなくちゃ。

    「養傳寺」
    400年の歴史のある日蓮宗のお寺。白木の山門は、まるで武家屋敷のようでした。黄土色の塗り壁に埋め込まれた明かりが現代的で、お洒落でした。

    観音寺の江戸時代の土塀と路地を挟んで、養傳寺の現代的な塗り壁とが非常に対照的でした。

    このあと、「谷中の墓地」を通って、帰路につきました。
    今回は「谷根千」の「谷中」だけでした。またいつか、「根津」、「千駄木」にも行かなくちゃ。

    養傳寺 寺・神社・教会

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