2014/10/09 - 2014/10/17
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mugifumiさん
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旅行2日目(10月10日)に訪れたリトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街や、郊外のトラカイ城などの主な見どころを記事にしました。
◇◆ ヴィリニュス旧市街とトラカイ城 ◆◇
● 聖パトロパウロ教会
〇 ゲディミナス城
〇 大聖堂
〇 ヴィリニュス大学
〇 聖アンナ教会
● トラカイ城
<巻頭写真は、聖アンナ教会と聖ベルナルディン教会>
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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<ホテルの外観>
◆ リトアニアの首都ヴィリニュスの朝
皆様!おはようございます。
早速、「ヴィリニュスの朝」からをお伝えします。
昨夜、宿泊したホテルは「ラディソン・ブリュ・アストリア」というホテルで、「歴史的な建物!」という印象です。 -
<美味しそうな朝食>
本来ですと、ホテルでいただいた朝食の模様をお伝えするところですが、残念ながら撮影していませんでした。
「お前らしくない!」というご指摘をいただきそうですが、いつもと違ってこの日は、朝食の前に散歩があったものですから、そちらに関心が移ってしまったのかも知れません(^0^)ネ。
などといってますが、6時40分にいただき、ばっちり撮影していました。
また、散歩は朝食後でした。
そして、朝食に対するコメントをお伝えします。
「種類、量とも豊富だが、美味とはいいがたい!コーヒーはGood!」!
◆ 本日の予定
まず、Tさんのご厚意でホテル付近を散歩するそうです。
そして、9時00分にホテルを出発し、バスでヴィリニュス観光に向かいます。
訪れるところは、聖ペトロパウロ教会、ゲディミナス塔、ヴィリニュス大学、聖アンナ教会などです。
その後、市内レストランにて昼食、その際、メンバーの自己紹介があります。
午後はバスでトラカイ城に向かい、17頃ホテルに戻り、希望者にハレスという市場やスーパーマーケットに案内していただけるそうです。(ただし、時間がない場合は中止。)
最後に17時45分にロビーに集合して夕食のレストランに向かう予定となっています。
-
<聖カジミエル教会>
◆ 朝食後の散歩
さて、まず、朝食後の散歩ですが、ロビーに7時45分に集合して約40分間の散策です。
本当に楽しみですが、どこに行くのか?そんなこと分かるはずがない?などと勝手なことをいってますが、ちゃんとTさんがメモを残しておいてくれました。
ホテルの前に建つ「聖カジミエル教会」、「旧市庁舎」、16世紀の宗教的妥協から誕生した珍しいウクライナ・カトリックの「聖三位一体教会」、黒いマリア像のイコン画が残る「夜明けの門」だそうです。
ということは、私たちが宿泊したホテル「ラディソン・ブリュ・アストリア」は、この街の旧市街、それも、そのど真ん中に位置しているということになります。
しかも、ホテルは、目の前に聖カジミエル教会(SV.Kzimiero Baznycia)旧市庁舎(Rotuses Aikste)に面して建っているのです。
驚きはそれだけではありません。
なんと!ここは、1994年に世界文化遺産に登録された「ヴィリニュスの歴史地区」の中なのです。 -
<旧市庁舎?>
驚いてばかりでは話になりませんので、分かる範囲で説明したいと思います。
昨日、空港からホテルに到着したときに目の前に淡いピンク色の建物が目に飛び込んできました。
「この建物は何だろうか?」と何枚も写真をとりましたので、前日の記事にも掲載しました。
そして、近くには「旧市庁舎」が建っていますので、それもご覧いただきましょう。
といいたいのですが、ここに掲載した建物が「旧市庁舎」でしょうか?
聖カジミエル教会は、1604年にイエズス会によって建てられた教会で、聖カジミエルは、リトアニアの守護聖人だそうです。
上の写真ですと、「王冠」がよく見えませんが、中央の部分に「ちらり」と見えています。
この教会は、この国の歴史を物語るように、ロシア、ドイツ、ソ連などの支配者から建物の形や考え方も大きく影響を受けたそうです。
旧市庁舎は、広場の中央に大聖堂のコピーのような姿で建っているクラシック様式の建物だそうですから、写真の建物ではないのかも知れません。 -
<旧市庁舎広場>
次に見てきた建物は、南に歩いて(夜明けの門通り)の右側に建っている「聖三位一体教会(Sv.Trejybes Baznycia)」です。
この建物は、聖三位一体教会ではない?それに暗い!
暗いのは、カメラの性能がよくないからではなく、夜明け前で暗かったことと小生のカメラの腕が未熟だからでしょうね。 -
<聖カジミエル教会>
へそ曲がりなものですから「こんなものも撮影した!」といいたかったのです。
でも、そのお陰で、ご覧のような聖カジミエル教会の王冠を見ることができました。 -
<聖三位一体教会の門>
聖三位一体教会は、ウクライナ・カトリックという珍しい宗派で、東方正教(ビザンチン)の儀礼を残しながらローマ法王に使えるというものだそうです。
16世紀のポーランド・リトアニア連合国が正教徒の多いウクライナ、ベラルーシに進出した結果、宗教的妥協のために興った宗派のようです。
-
<聖テレサ教会>
聖三位一体教会の反対側には、手前に「聖霊教会(Sv.Dvasios Corkve)」、その隣に「聖テレサ教会(Sv. Tereses Baznycia)」がありますが、「夜明けの門(Ausros Vartai)」の左手前に位置する聖テレサ教会が先に見えてくると思います。
聖テレサ教会は、1633年から1650年にかけて建造された初期バロックのファサードが特徴的な教会です。
装飾された渦巻き型のオベリスクが、どことなくローマ風の建築を思わせます。
レンガ造りが多かったこの時代に、リトアニア公国の副首相だったセテーボナス、バツァスの保護と寄附を受け、花崗岩と大理石などで豪華に建造された美しい教会です(リトアニア観光情報局)。 -
<聖霊教会の門>
また、聖霊教会は、ピンク色の門が特徴的なロシア正教の教会です。 外観も祭壇もバロック様式で作られていて、正教らしさがあまり感じられないロシア正教だといわれています。
祭壇前には、1347年に殉教した3人の聖人の遺体が綺麗に保存されているそうですが、私たちは教会の中を見学しませんでした。 -
<夜明けの門(内側)>
二つの教会の先には、クレヴァ(現ベラルーシ)や、メディニンカイという城に続く門があったことから、その名前を冠してメディニンカイ門などと呼ばれていた「夜明けの門」が見えてきました。
元々9つあった門のうち、現存しているのはこの門だけで、他の8つの門は18世紀の末に当局の指示によって壊されたそうです。 -
<夜明けの門(外側)>
この門は、建物の真ん中に通路がある!という感じですが、旧市街から見ると左手に内部に入る階段があり、2階に上がると礼拝所になっています。
礼拝所には、聖母のイコン画がおかれており、奇跡を起こす力があると今でも信じられています。
私たちは、もちろん、登りませんでした!(残念だな(*^o^*)) -
<夜明けの門の遠景>
-
<朝日を浴びる街並み>
こうして南に向かって散策した朝の楽しみが終了しましたので、世界遺産の街の朝を愛でながら8時15分頃にホテルに戻りました。 -
<聖ペトロ・パウロ教会到着手前の街の光景>
◆ リトアニアの首都ヴィリニュス観光
朝の散歩が終了しますと、予定通り9時00分にロビーに集合して市内観光に出発しました。
現地ガイドのユナスさんが同行しました。
まず、罪人が作り上げたという聖ペトロ・パウロ教会を訪れました。
ホテルから歩いても30分ぐらいの距離でしょうか?
聖ペトロ・パウロ教会がある場所は、旧市街から向かいますと、旧市街の北側を流れているネリス川の手前の東方向、旧市街から少し離れたところにあります。 -
<同じく街の光景>
ホテルから歩いて向かったのではないのか?
お年寄りが多い(失礼!)ものですから、もちろんバスです。
ご覧のようにヴィリニュスの街は、朝の光の中で青い空と調和して輝くような美しさでした。
-
<聖ペトロ・パウロ教会>
やがて、「聖ペトロ&パウロ(ペトロイルポヴィロ)教会(Sv.Petro ir Povilo Baznycia)」に到着しました。
それにしても、いろんな読み、書き方があるので戸惑ってしまいますよネ。
素直に横文字を読みますと、地球の歩き方にも書いてあった「ペトロ イル ポヴィロ」のような気がします。
ところで、建物が歪んでいる?そうではなく、単に斜めに撮影しただけの話です。 -
<教会前の光景>
さて、教会の説明ですが・・・。
バロックの街といわれるヴィリニュスを代表する建築(バロックの真珠?)だといわれています。
教会は、ロシアからの解放を記念して建てられたもので、1668年から建設がはじまり、建物に7年間、内装に30年あまりの歳月をかけています。
このように内部に多くの時間がかけられた理由は、「バロックの凍れる音楽」と呼ばれる内部を一目見れば分かるといいます。 -
<聖パウロ・ペトロ教会の入口>
ところで、教会の入口に墓石がありますが、どうしてなのでしょうか?
それは、教会の建築資金を出した当時の将軍(パツァス(M. K. Pacas))が教会を自らの廟としたということのようです。
-
<教会入り口の右側にある墓石>
この墓石には、「Hic jacet pecator(ここに罪人眠る)」と書かれているようですが、小生には、(リトアニア語は分かりませんが、)「HANC ECCLESIAFUND 1668 AN HIC JACET PECATOR」という文字と「PAC MORT.4APRLL 1682 AN」という文字に見えますので、「ここに罪人眠る」という墓石であることは間違いないようです。
ただし、お金を出した人が「罪人」なのか?という素朴な疑問は残ります。 -
<教会の正面>
さて、「バロックの凍れる音楽」と呼ばれる教会の内部ですが、真っ白な内壁が無数の彫刻で埋め尽くされていて、イタリア人の建築家の指揮で200人以上の手によって彫り上げられた2000以上の漆喰彫刻は、一つとして同じものがないといわれているそうです。
その見事な彫刻群を撮影順にご覧いただきたいと思います。
天井も、壁も、柱も、漆喰彫刻で埋め尽くされています。 -
<骸骨!>
骸骨のように見えるこの彫刻は、「死神」といわれる作品でしょうか? -
<天井付近の彫刻の数々>
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<バーバラとキャサリナの彫刻?>
左の彫刻には「S.BARBARA V.M」と、右の彫刻には「S.CATHARINA V.N」という文字が刻まれています。 -
<正面左方向>
ところで、すべての彫刻が白い色でできているのか?と思っていましたら、小さくて分かりづらいのですが、左の斜め前の柱の部分に赤いマントを着た人物の彫刻がありました。 -
<教会の入口付近>
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<光に照れし出されている彫刻>
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<正面右の手前にあるマリア像?>
さて、彫刻のテーマは、聖人からはじまって天使や想像上の獣、植物、その他の無生物など多岐に渡っていますが、同じ天使でもポーズや表情が異なっています。
また、この像も、白ではなく、ブルーが施されています。 -
<黒いツル?>
この写真を見ますと、黒いツルのような鳥が飛んでいるとも見えますが、これは、「ノアの方舟」を形取ったシャンデリアがつり下がっているそうです。(驚いたな!) -
<教会正面の祭壇>
この祭壇には、「聖ペトロとパウロの告別」と題する絵画がかかっていましたが、これ以外にも人物画がありました。 -
<人物画>
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<太鼓>
30年をかけてこれらの彫刻を制作したのは、イタリアから招かれた彫刻家ですが、数百人もの地元の職人たちがアシスタントとして加わったそうです。
これらの人々の技術と想像力が、こうした素晴らしい作品を残したのではないでしょうか? -
<バスを下車した国立博物館付近>
こうして、9時40分頃に聖パトロ・パウロ教会の見学が終了しますと、教会から約1キロメートルの距離で旧市街にある「ゲディミナスの塔」に向かいました。
この塔の近くには、ゲディミナス城や、大公宮殿、大聖堂、リトアニア国立博物館などの見どころが集まっています。 -
<トロリーバス>
観光の順番としては、旧市街を先に見学してから「ビリエス」という通りを北に向かってゲディミナスの塔を目指すのが通常のコースですが、私たちは、旧市街の北東にある聖ペトロ・パウロ教会から南西に向かってきましたので、ネリス川沿いの「アルセナロ」という通りを走ってきたようです。
このトロリーバスは、アルセナロ通りを走っているバスのようです。
さて、私たちは、バスを降りてリトアニア国立博物館の前を歩いてゲディミナスの塔が建っている丘に向かうことになりました。
でも、私を含めて脚力に自信のない方が多いためでしょうか?国立博物館の隣にある「考古学資料館展示館・工芸博物館」の横に設置されているリフトにお世話になりました。 -
<紅葉が美しい国立博物館>
◆ ゲディミナスの塔
まず、赤い屋根が印象的なリトアニア国立博物館をご覧ください。
-
<国立博物館の裏側>
ここから考古学博物館展示室のそばに設置されているリフト(丘の高さ約50m)に乗ってゲディミナスの塔に向かいました。 -
<リフト乗り場>
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<リフト乗り場に秋の気配!>
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<丘の北東側、工芸博物館>
ゲディミナスの城は、13世紀から建設が始まり、まずはじめに丘の上に城が築かれ、その後、16世紀までに下の城もほぼ完成し、大聖堂や現在、博物館として使われている武器庫などもこの頃の城を構成して建築物だとされています。
ゲディミナス大公がトラカイからヴィリニュスに遷都したのは、「鉄の鎧を着けた狼の夢」を見たことが原因だという話が人々に語り継がれているそうですから、面白いものですね。 -
<ゲディミナス塔>
ところで、ゲディミナス城の大部分は、19世紀初めにロシアの命令によって破壊されましたが、大聖堂裏手にあった王宮は、再建が終了して2013年にオープンし博物館として公開されています。
写真のゲディミナス塔は、現在残っている城壁の塔で、監視塔として使われていましたが、現在は博物館と展望台になっていて、ヴィリニュスの歴史とパノラマを同時に楽しめる建物となっています。 -
<バルトの道のプレート>
なお、ゲディミナス塔の登り口の右手には、「バルトの道(人間の鎖)」の起点を示すプレートがありました。
バルトの道とは、1989年8月23日にソビエト連邦の統治下にあったバルト三国で独立運動の一環として行われたデモ行進のことです。
およそ200万人が参加して手をつなぎ、約600㎞以上の鎖を形成したのです。
このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを国際社会に訴えるために行われたそうです。
プレートには、「バルトの道 リトアニアーラトヴィアーエストニア 1989年8月23日」との文字が記されています。
それしても、こういう歴史があるとは驚きですね! -
<ヴィリニュスの新市街>
さて、塔の上からは、旧市街と新市街が一望でき、また、塔の北側にある国立博物館や、考古学資料展示館、南西の大聖堂、王宮なども目に飛び込んできます。
まず、手前に赤い屋根の国立博物館、そして、その向こうには北に流れているネリス川と高層ビル群が建っている新市街が見えています。 -
<王宮と大聖堂>
この白い建物は、手前が王宮で、奥が大聖堂となっています。
塔から見ますと、旧市街の南西方向になりますが、王宮と大聖堂の前に見える樹木の後ろの赤い低層の建物は、リトアニア旧和国の政府機関(総務省)のようです。
さらに、左方向を望みますと、ヴィリニュス大学、聖ヨハネ教会、大統領官邸などが見えるはずです。 -
<大学と聖ヨハネ教会の塔>
などと勝手に説明していますが、聖ヨハネ教会の塔が僅かに見えるくらいですね。 -
<ゲディミナス城址>
ここは、塔から見ますと、右側の北東にあるゲディミナス城の跡のようです。
ここからは、「3つの十字架の丘」が小さく見えているのですが、残念ながら小さすぎて確認できないようです。
伝説によると、この丘でフランシスコ派の僧侶7人が殺害され、、そのうちの3人が磔にされたことがあったそうです。
彼らを祈念して17世紀ぐらいから十字架が建てられ、後に3つの十字架が建てられたそうです。
しかし、ソ連領の初期に破壊されてしまいました。
独立運動の高まりとともに再建され、1989年6月14日に除幕式が行われ、再び市街を見下ろす丘にその姿を現したそうです。 -
<紅葉が美しいヴィリニュス>
この光景は、今回の旅のテーマである「バルト三国の秋」に相応しいものですね。 -
<聖アンナ教会など>
この光景は、ヴィリニュス大学、聖ヨハネ教会の東側に見える聖アンナ教会やミカエル教会、ベルナルデキン教会かも知れません。
この後、再びケーブルカーで下に降りて、考古学博物館展示室や国立博物館の前を通り、大聖堂に向かいました。 -
<考古学資料展示館>
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<国立博物館>
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<ゲディミナス塔>
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<考古学の看板>
大聖堂に向かう途中では、ご覧のような面白い光景が広がっていました。
この蛇の首のような恐竜が描かれている看板には、「ARCHAEOLOGY」という大きな文字が見えますが、これは「考古学」という意味のようです。
その下の英語の文字では、「先史時代のリトアニア」という意味の説明がついているようです。
やがて、国立博物館の前に出てその先を進むと、大聖堂と再建されたカテドゥロス広場につくはずです。 -
<国立博物館前の像>
リトアニア国立博物館は、かっての武器弾薬庫を改装したもので、リトアニアの古代から現代にいたる現代に至る長い歴史に関する展示や、」文化について紹介していますが、私たちは、中に入って見学することはできませんでした。
ところで、正面の像は、1236年に王位に就いたミンダウガス公(Mindaugas在位1236~1263)で、この方は、初代、唯一のリトアニア国王だそうです。 -
<博物館前の王宮>
ここを通り過ぎて紅葉している樹木の奥には、大聖堂の鐘楼が見えてきました。 -
<大聖堂の鐘楼>
-
<大聖堂の入口>
最初に感じたのは、「高い鐘楼を従えた巨大なギリシャ神殿」というものでした。
この大聖堂は、13世紀に十字軍の弾圧から逃れるため、ミンダウガス王がキリスト教を受け入れて最初に建造したカソリック教会ですが、後に彼が暗殺されて、この地も自然崇拝の聖地に戻されてしまったそうです。
その後、14世紀にリトアニアが再びキリスト教化されたことから教会が建て直され、その後の改築や18世紀の大改築を経て現在のクラシック様式の建築物となったのです。 -
<大聖堂正面の祭壇>
中に入ると、高い天井と直線的な柱、壁の肖像画などがありますが、ほとんど装飾のないシンプルな構造となっています。 -
<彫刻や肖像画>
見どころとしては、リトアニアの守護聖人となったカジミエラス王子(1458~1484)が安置された17世紀バロック様式の「聖カジミエルの礼拝所」で、大理石と砂岩で造られ、壁画8体の王の像、漆喰彫刻、フレスコ画などで飾られているといいますが、次の写真をご覧ください。 -
<聖カジミエルの礼拝所>
正面の聖カジミエルの壁画には、画家が何度消しても消えないという3つの手があるそうですが、見えますか?
また、側面の絵画の一つは120年後に棺を開けた際にも遺体に変化がなかったという「聖カジミエルの奇跡」を描いたものだそうですが、次の写真に写っている絵画でしょうか? -
<礼拝所側面の絵画など>
これが側面にあるという「聖カジミエルの奇跡の絵画」でしょうか?
また、左奥には、8つのうちの2つの王の像が見えています。 -
<聖カジミエルの壁画(聖画)>
これは、聖カジミエルの壁画の拡大画面ですが、先ほど申し上げた「3つの手」が確かに描かれています。
この彫刻は、「壁画」という説明がありますが、小生には金属の彫刻のように見えました。 -
<同じく聖画の上部拡大画面>
また、聖カジミエルの壁画の三角の屋根の上には、白い聖母マリアのような彫刻が壁紙のように描かれていて、手前に金属製のような聖カジミエルの壁画が見えています。
この人物は右手に十字架、左手に草花をかざしています。 -
<カテドゥロス広場>
大聖堂の手前にある鐘楼は、高さ53m、基礎の部分は、13世紀の城壁の塔が使われているそうです。
さて、大聖堂の中を見学した私たちは、大聖堂と王宮が並んでいる大聖堂広場で記念撮影に励みました。
とはいいましても、美しくない顔を公開するのもいかがなものかと思い遠慮しました。
ところで、今までに申し上げた以外の大聖堂に関する情報に関する面白い情報としては、正面の屋根の上にある3聖人の像(聖スタニスウラス、聖ヘレン、聖カジミエル)は、「ソ連時代には撤去されていたが、1996年にさいせっちされた。」とか「広場にはゲディミナス公と夢に出てきた鉄の鎧の大神の像が建てられている」といったところでしょうか?
肝心なことを忘れている!?
そうです。大聖堂の隣にある王宮(大公宮殿)のことですが、建物の中ばかりではなく、広場からの外観も撮影していなかったのです。
参考までに、リトアニア観光情報局の王宮に関する情報を掲載しておきます。
「ヴリニュスの中心部に位置する豪華なルネッサンス様式のリトアニア大公宮殿は、15世紀に建てられました。4世紀ほどにわたって栄えた宮殿は、国の政治、外交、文化の中心でしたが、18世紀に初めにロシア帝政政権の命令で取り壊されました。宮殿の再建という動きは、20世紀の終わりにリトアニアの独立とともにやってきました。再建作業は、2002年にはじまり、2013年7月6日に正式にオープンしました。再建されたリトアニア大公宮殿の一部は、博物館として解放されています。博物館では、古代遺跡や出土品を通し宮殿の歴史と建築の発展を、ホールでは、後期ゴシック様式からルネッサンス様式への建築スタイルの変遷を見ることができます。」 -
<壁のツタの紅葉が>
さて、次の訪問地ですが、「大統領官邸」だそうです。
大統領官邸の場所は、大聖堂から南に歩いてほんの数分という距離のところでした。
官邸にも秋が訪れているようで、近くの樹木ばかりではなく、壁に張り付いたツタが赤や黄色で染まり始めていました。 -
<大統領官邸>
ダウカンタ広場にある大統領官邸は、14世紀に司祭の邸宅として建てられましたが、18世紀にロシア帝国に支配されたときには、ヴィリニュス提督の住居となり、ロシア皇帝アレクサンドル1世や、フランス王ルイ18世、ナポレオンなど歴史上の著名人がこの宮殿を訪問したとされています。
1997年に改装され、それ以降はリトアニア大統領の官邸となっています。
大統領官邸の見学が終わりますと、ヴィリニュス大学や、聖ヨハネ教会を見ながら東に直線で400~500mのところにある「聖アンナ教会」に向かいました。
◇◆ ここまでは10月10日の朝から訪れたヴィリニュスの旧市街や、ゲディミナスの塔見学などの様子をお伝えしました。◆◇
◆◇ 大統領官邸の次に訪れた「聖アンナ教会」や、午後から訪れた「トラカイ城」につきましては、「秋のバルト三国美しき古都と城を訪ねてNo.3」としてお伝えしたいと思います。◇◆
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