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江戸時代の最大規模の藩校「弘道館」はまさに総合大学だったとか!!<br />今年の大河ドラマを機に、2016年に訪ねた弘道館とその周辺を振り返ってみました。<br /><br /><br />                    (2021.2.16 記)<br /><br />

思ひ出つづり⑪ 弘道館は江戸時代の総合大学!! 

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2016/06/07 - 2016/06/08

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紅映

紅映さん

この旅行記のスケジュール

2016/06/07

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江戸時代の最大規模の藩校「弘道館」はまさに総合大学だったとか!!
今年の大河ドラマを機に、2016年に訪ねた弘道館とその周辺を振り返ってみました。


                    (2021.2.16 記)

旅行の満足度
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
JR特急 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 水戸保和苑の水戸黄門さまご一行像<br />そもそもこの時は水戸の保和苑と八幡宮のあじさいを観るために、一泊二日で出掛けて行きました。<br />

    水戸保和苑の水戸黄門さまご一行像
    そもそもこの時は水戸の保和苑と八幡宮のあじさいを観るために、一泊二日で出掛けて行きました。

  • 二十三夜尊桂岸寺の保和苑<br />元禄時代、徳川光圀公がこのお寺の庭を愛されて保和園と名付けられたのが始まりといわれています。<br />昭和初期に、地元有志の手によってお庭の拡張整備がなされ、池に築山を配した純日本庭園になり、名前も「保和苑」となったのだそうです。<br />

    二十三夜尊桂岸寺の保和苑
    元禄時代、徳川光圀公がこのお寺の庭を愛されて保和園と名付けられたのが始まりといわれています。
    昭和初期に、地元有志の手によってお庭の拡張整備がなされ、池に築山を配した純日本庭園になり、名前も「保和苑」となったのだそうです。

    保和苑 公園・植物園

  • 次に訪ねたのが水戸八幡宮<br />創祀以来の水戸城主代々の崇敬社で、常陸国水府総鎮守とされてきた神社です。<br />

    次に訪ねたのが水戸八幡宮
    創祀以来の水戸城主代々の崇敬社で、常陸国水府総鎮守とされてきた神社です。

    水戸八幡宮 寺・神社・教会

  • 水戸八幡宮はヤマアジサイの森があることでも知られます。<br />そして、この杜を抜けたところに烈公のゆかりの地がありました。<br />

    水戸八幡宮はヤマアジサイの森があることでも知られます。
    そして、この杜を抜けたところに烈公のゆかりの地がありました。

  • 烈公御涼所<br />水戸八幡宮のはずれにあります。<br />烈公=徳川斉昭は、この木陰から眼下に流れる那珂川と田園風景そして遥かなる山々を眺めながら暑さを凌いだそうです。<br />

    烈公御涼所
    水戸八幡宮のはずれにあります。
    烈公=徳川斉昭は、この木陰から眼下に流れる那珂川と田園風景そして遥かなる山々を眺めながら暑さを凌いだそうです。

  • 烈公御涼所の石碑と大欅<br />水戸八幡宮のご神木、烈公御涼所の大欅は水戸市指定文化財(天然記念物)になっています。<br />この大欅は、樹齢400年、高さ30メートル、幹回り5.75メートルということです。<br />

    烈公御涼所の石碑と大欅
    水戸八幡宮のご神木、烈公御涼所の大欅は水戸市指定文化財(天然記念物)になっています。
    この大欅は、樹齢400年、高さ30メートル、幹回り5.75メートルということです。

  • 烈公御涼所と書かれた石碑<br />

    烈公御涼所と書かれた石碑

  • そして水戸市内に一泊し、翌日に弘道館ほかを訪ねました。<br /><br />弘道館全体図(観光茨城のHPから拝借しました)<br />

    そして水戸市内に一泊し、翌日に弘道館ほかを訪ねました。

    弘道館全体図(観光茨城のHPから拝借しました)

  • 梅林にある案内板を見ながら訪ねました。<br />

    梅林にある案内板を見ながら訪ねました。

  • 八卦堂(はっけどう)<br />建学の精神の象徴である弘道館記碑が納められています。藩校当時は、敷地の中央に位置しており、斉昭の絶妙な発想により、八卦堂のそれぞれの軒には、万物変化の相を示す易の算木(さんぎ)を配し、その中に万古不動の日本の道を説いた弘道館記の碑を建てました。<br />昭和の戦災で、中の弘道館記碑(寒水石(大理石)製)を守りながら八卦堂は焼け、昭和28年(1953年)に復元されました。八卦堂内は通常非公開です。<br />

    八卦堂(はっけどう)
    建学の精神の象徴である弘道館記碑が納められています。藩校当時は、敷地の中央に位置しており、斉昭の絶妙な発想により、八卦堂のそれぞれの軒には、万物変化の相を示す易の算木(さんぎ)を配し、その中に万古不動の日本の道を説いた弘道館記の碑を建てました。
    昭和の戦災で、中の弘道館記碑(寒水石(大理石)製)を守りながら八卦堂は焼け、昭和28年(1953年)に復元されました。八卦堂内は通常非公開です。

  • 学生警鐘<br />斉昭自鋳の鐘(複製)。鐘の外側には、注連縄と八咫鏡(やたのかがみ)および勾玉を榊にかけて垂をつけた浮彫が施され、斉昭自筆の「物学ぶ 人の為にと さやかにも 暁告ぐる 鐘のこえかな」という和歌が万葉仮名で浮彫されています。鐘の内側には、斉昭の自著自筆で浮彫りされた鋳造の由来があり、花押が添えられています。<br />学生警鐘の実物は、昭和20年の戦火を免れ、修理が加えられて現存しており、展示室に展示されているそうです。<br />

    学生警鐘
    斉昭自鋳の鐘(複製)。鐘の外側には、注連縄と八咫鏡(やたのかがみ)および勾玉を榊にかけて垂をつけた浮彫が施され、斉昭自筆の「物学ぶ 人の為にと さやかにも 暁告ぐる 鐘のこえかな」という和歌が万葉仮名で浮彫されています。鐘の内側には、斉昭の自著自筆で浮彫りされた鋳造の由来があり、花押が添えられています。
    学生警鐘の実物は、昭和20年の戦火を免れ、修理が加えられて現存しており、展示室に展示されているそうです。

  • 鹿島神社 (水戸市指定文化財)<br />鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀ったものだそうです。<br />

    鹿島神社 (水戸市指定文化財)
    鹿島神社の祭神は、天照大神の国土平定の祖業に貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮である鹿島神宮から分霊を勧請して祀ったものだそうです。

  • 孔子廟前の楷の木(かいのき)<br />学名 とねりばはぜのき うるし科<br />別名、孔子木とも。<br />楷は孔子の生地、中国曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれています。<br />わが国には大正四年に林学博士白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初で、これらの苗は湯島聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられたそうです。 これもその苗から育ったのかも知れませんね。<br />この門扉から中には入れないようでした。<br />

    孔子廟前の楷の木(かいのき)
    学名 とねりばはぜのき うるし科
    別名、孔子木とも。
    楷は孔子の生地、中国曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれています。
    わが国には大正四年に林学博士白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初で、これらの苗は湯島聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられたそうです。 これもその苗から育ったのかも知れませんね。
    この門扉から中には入れないようでした。

  • 弘道館 正門<br />本瓦葺きの四脚門で、藩主の来館や特別な行事の際にのみ開門しました。学生や諸役人は向かって右側の通用門から出入りしました。<br />柱には水戸藩の藩内抗争の最後の激戦といわれる明治元年(1868年)の弘道館の戦いで生じた弾痕が遺っています。<br />来館者はこの門の右手にある通用門から入ります。<br /><br />入館料<br />大人400円<br />小中学生200円<br />シルバー(70歳以上)200円<br />※小学生未満は無料<br />

    弘道館 正門
    本瓦葺きの四脚門で、藩主の来館や特別な行事の際にのみ開門しました。学生や諸役人は向かって右側の通用門から出入りしました。
    柱には水戸藩の藩内抗争の最後の激戦といわれる明治元年(1868年)の弘道館の戦いで生じた弾痕が遺っています。
    来館者はこの門の右手にある通用門から入ります。

    入館料
    大人400円
    小中学生200円
    シルバー(70歳以上)200円
    ※小学生未満は無料

  • 弘道館正庁玄関<br />正面に斉昭自筆の「弘道館」扁額が掲げられています。なお舞良戸(まいらど)には、明治元年(1868年)の弘道館の戦いの際の弾痕が遺っているそうです。<br />

    弘道館正庁玄関
    正面に斉昭自筆の「弘道館」扁額が掲げられています。なお舞良戸(まいらど)には、明治元年(1868年)の弘道館の戦いの際の弾痕が遺っているそうです。

    弘道館 名所・史跡

  • 弘道館左近の桜<br />玄関前の左近の桜は、斉昭夫人が水戸家に御降嫁された時に仁孝天皇から賜わったもので、当初、江戸小石川の水戸藩邸に植えられていたものです。現在の桜は3代目で、昭和38年(1963年)に弘道館の修理工事が完了したのを記念して宮内庁からゆかりの苗木を頂いたものだそうです。<br />

    弘道館左近の桜
    玄関前の左近の桜は、斉昭夫人が水戸家に御降嫁された時に仁孝天皇から賜わったもので、当初、江戸小石川の水戸藩邸に植えられていたものです。現在の桜は3代目で、昭和38年(1963年)に弘道館の修理工事が完了したのを記念して宮内庁からゆかりの苗木を頂いたものだそうです。

  • 左近の桜は山桜で4月上旬に美しい花を咲かせるそうですが、この時は可愛らしい実が生っていました。<br />

    左近の桜は山桜で4月上旬に美しい花を咲かせるそうですが、この時は可愛らしい実が生っていました。

  • 正庁から眺めた正門<br />

    正庁から眺めた正門

  • 対試場(庭の部分)<br />武術の試験などが行なわれた場所です。藩主は正庁正席の間から試験の様子をご覧になりました。<br />

    対試場(庭の部分)
    武術の試験などが行なわれた場所です。藩主は正庁正席の間から試験の様子をご覧になりました。

  • 正庁正席の間<br />藩主が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験をご覧になったところです。床の間には、弘道館の建学精神が示された弘道館記碑の拓本が掲げられています。<br />

    正庁正席の間
    藩主が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験をご覧になったところです。床の間には、弘道館の建学精神が示された弘道館記碑の拓本が掲げられています。

  • 至善堂御座の間<br />大政奉還後、慶喜は水戸へ下り、幼少時代を過ごした、この至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送りました。<br />

    至善堂御座の間
    大政奉還後、慶喜は水戸へ下り、幼少時代を過ごした、この至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送りました。

  • 弘道館正庁裏手への通路<br />

    弘道館正庁裏手への通路

  • 弘道館正庁裏手にある井戸<br />

    弘道館正庁裏手にある井戸

  • 弘道館正庁裏手<br />

    弘道館正庁裏手

  • 梅林(文館跡)<br />文館には、居学・講習・寄宿・句読の4寮のほか、編修局・系纂局・講習別局・教職詰所などがあり、文館の一角に、彫刻場・帳綴じ場があり、書籍の編集や出版の事業が行われていた時期もありました。<br />また、文館と学校御殿の間には歌学局・兵学局・軍用局・音楽局・諸礼局があり、専門学科が教えられていたといいます!!<br />明治元年の弘道館の戦いのときに焼失し、現在は梅林になっています。<br />

    梅林(文館跡)
    文館には、居学・講習・寄宿・句読の4寮のほか、編修局・系纂局・講習別局・教職詰所などがあり、文館の一角に、彫刻場・帳綴じ場があり、書籍の編集や出版の事業が行われていた時期もありました。
    また、文館と学校御殿の間には歌学局・兵学局・軍用局・音楽局・諸礼局があり、専門学科が教えられていたといいます!!
    明治元年の弘道館の戦いのときに焼失し、現在は梅林になっています。

  • 調練場跡<br />砲場・弓砲場・馬場・鉄砲場などがあった軍事練習場でした。<br />現在は茨城県三の丸庁舎と茨城県立図書館があり、芝生の広場は子どもたちの遊び場になっているようです。<br /><br />いつもご訪問ありがとうございます。<br />今年の大河ドラマの予告などを見て、そういえば・・・ということで急遽思い出しての「思ひ出つづり」です。<br />最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。<br /><br /><br />                     ・・・☆紅映☆・・・<br /><br />

    調練場跡
    砲場・弓砲場・馬場・鉄砲場などがあった軍事練習場でした。
    現在は茨城県三の丸庁舎と茨城県立図書館があり、芝生の広場は子どもたちの遊び場になっているようです。

    いつもご訪問ありがとうございます。
    今年の大河ドラマの予告などを見て、そういえば・・・ということで急遽思い出しての「思ひ出つづり」です。
    最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。


                         ・・・☆紅映☆・・・

    旧茨城県庁 (三の丸庁舎) 名所・史跡

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この旅行記へのコメント (2)

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  • pedaruさん 2021/02/17 06:26:05
    思いで綴り
    紅映さん おはようございます。

    水戸は日帰りも可能な所ですが、一泊されてのご旅行、じっくりと見物できたと思います。
    歴史の得意な紅映さんの旅行記はたいへん勉強になります。水戸といえば徳川御三家、
    歴史も建物も内容がありますね。
    弘道館も立派ですね、木造の建築はなぜか心和みます。

    私も紅映さんを見習って、思いで綴りを書いてみようかな。

    pedaru

    紅映

    紅映さん からの返信 2021/02/18 11:01:05
    RE: 思いで綴り
    pedaruさん、おはようございます。

    いつもご訪問ありがとうございます。

    メセージ頂きながら、親戚のことで取り込んでおりまして、返信遅くなり、申し訳ございませんでした。
    この時はゆっくりと紫陽花を撮影することを主目的に出掛けて参りました。

    おっしゃる通り近いので時間が余って、この後はひたちなか海浜鉄道に乗って那珂湊まで行って来ました。やはり徳川斉昭公によって築造されたという反射炉跡を訪ねたりおさかな市場で食事をしたりと、結構ゆっくりと過ごして参りました。

    コロナ禍の昨今ですので、ご近所の情報ばかりでも変り映えがしませんし、さりとて勇気ある皆さんのように旅行に出かけるという選択肢はありませんので、こんなことでお茶を濁しております。

    pedaruさんにおかれましても、過去お訪ねになられた各地の様子を思ひ出の旅行記として綴って頂けたら嬉しく思います。
    pedaruさんの思ひ出綴り、楽しみにお待ちしております。

    さっそくのメッセージありがとうございました。


                         ・・・☆紅映☆・・・



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