2019/05/07 - 2019/05/07
24位(同エリア53件中)
kojikojiさん
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リガで1泊した後はバスで1時間ほどのスィグルダに立ち寄りながらタリンへ向かいます。スィグルダはリガから約53キロ離れたガウヤ川のほとりに位置し、その境界としてトゥライダとクリムルダの町があります。スィグルダはガウヤ国立公園の一部であるため、街は森に囲まれ川のほとりには砂岩の洞窟が数多く点在しています。バルト3国はほとんどフラットな大地ですが、このガウヤ川の渓谷は景色が全く違いました。スィグルダの歴史は11世紀に始まり、ラトヴィアの先住民であったリヴォニアンのフィン・ウゴル族がスィグルダの渓谷に入植地を作りました。このエリアではリヴォニアの伝統や文化が強く残されたために現代のスィグルダはラトヴィアの中でも最もラトヴィアらしい街の1つと呼ばれます。ここでも争いは避けられずリヴォニア帯剣騎士団やリヴォニア戦争の話が出てきます。バルト3国にはどこへ行っても中世から近世まで代わる代わるいろいろな国に翻弄された歴史の臭いがします。
そしてここを訪れるにはマイヤについての伝説 「トゥライダのバラ」を知らなければならないでしょう。この話を知らないとここへ来る価値は半減すると思います。1601年にスウェーデン軍がトゥライダ城を占領すると、戦いの後にグライフという男が破壊された城の中から小さな女の子を見つけました。彼はその孤児となった女の子を育てることにして彼女の名前をマイヤと名付けました。時が経ちマイヤはとても美しく育ったので、人々は彼女をトゥライダのバラと名付けました。マイヤの婚約者である庭師のヴィクトール・ハイルはスィグルダの城に住んでいましたが、夕方になると2人はグートマニャ洞窟で逢っていました。マイヤへの悲劇はポーランド人の兵士であるアダム・ヤクボフスキーによってもたらされました。彼はトゥライダ城に駐屯していた兵士で、マイヤに好意を持っていましたがマイヤは彼を拒絶しました。ヤクボフスキーは彼女を騙して自分のものにしようと考えます。そしてヴィクトールからのものであるかのような手紙を書き、彼女をグートマニャ洞窟へ来るように誘います。マイヤが到着してヤクボフスキーの姿を見ると自分が騙されたことに気が付きます。婚約者に忠実であり続けるためにマイヤは自分の死を決意します。彼女は首に赤いシルクのスカーフを巻いていましたが、ヤクボフスキーにそれが魔法のスカーフで自分を刺しても死ぬことが無いと伝えて試してみるように頼みます。ヤクボフスキーは頼まれたとおりにマイヤを刺しますが、マイヤは命を落として彼の足元に倒れました。ヴィクトールは殺害されたマイヤを見つけ、助けを求めてトゥライダ城に駆け込みました。しかし洞窟で失っていた庭師の斧が見つかったためにマイヤの殺害についての疑いはヴィクトールにかかります。彼は逮捕され裁判にかけられますが、裁判所で真実を語ったヤクボフスキーの同志であるスクドリッツの話しで疑いは晴れます。ここへ行かれる方はこの話を覚えておいた方が良いと思います。半日のスィグルダの観光の後は国境を越えてタリンの町へ入りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ツアーも7日目になりました。リガで1泊した後はスィグルダに立ち寄りながらタリンへ向かいます。
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昨晩歩いたダウガヴァ川に架けられたヴァンス橋を通過して旧市街の北側を通り抜けます。
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朝の渋滞にはまりましたがそのお陰で最後に旧市街の美しい景色をシルエットで見る事が出来ました。
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テレビ塔もこれが見納めです。
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最後に3連の塔の写真も撮れました。
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スィグルダはリガから約53キロ離れたガウヤ川のほとりに位置し、その境界としてトゥライダとクリムルダの町があります。スィグルダはガウヤ国立公園の一部であるため、街は森に囲まれ川のほとりには砂岩の洞窟が数多く点在しています。バルト3国はほとんどフラットな大地ですが、このガウヤ川の渓谷は景色が全く違いました。
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トゥライダに到着しました。この建物はボブスレートラックの建物です。ラトヴィアはボブスレーが強く、またBTC(Bobsleja tehniskais centrs)という従業員6人のソリ製造会社がリガにあります。これは日本の旅行番組で見て知っていましたが、日本の下町ボブスレーの使用を断ったジャマイカのチームもこの会社のそりを使っていますし、韓国チームも現代自動車のソリを断念してこのBTCのソリを使って平昌オリンピックに参加しています。
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冬はプロの選手も使用するコースですが、夏場は観光客でもソリに乗ることが出来ます。
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スィグルダ駅を通過するとガウヤ川の渓谷の景色に変わります。スィグルダの歴史は11世紀に始まり、ラトヴィアの先住民であったリヴォニアンのフィン・ウゴル族がスィグルダの渓谷に入植地を作りました。このエリアではリヴォニアの伝統や文化が強く残されたために現代のスィグルダはラトヴィアの中でも最もラトヴィアらしい街の1つと呼ばれます。
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1207年にリヴォニア帯剣騎士団によって城が建設されます。これがスィグルダ城です。アルベルト大司教の城であるトゥライダ城に対し、騎士団が自分たちの領地を主張する意味もあってガウヤ川の対岸に建てられました。
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1558年から1583年にテッラ・マリアナと呼ばれた中世リヴォニア、現在のエストニアとラトヴィアの支配を巡り行なわれた戦争で、モスクワ大公国とポーランド・リトアニア連合とスウェーデン王国がリヴォニアを主戦場にして戦いました。1557年にリヴォニア帯剣騎士団が加盟して、リヴォニア連盟とポーランド・リトアニア連合が相互安全保障条約を結び、イヴァン雷帝はリヴォニアによるロシアへの敵対行為とみなし、ロシアがリヴォニア帯剣騎士団領に侵攻し開戦します。
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ここでもリヴォニア帯剣騎士団やリヴォニア戦争の話です。バルト3国にはどこへ行っても中世から近世まで代わる代わるいろいろな国に翻弄された歴史の臭いがします。トゥラカイ城のゲティミナスの話も思い出しました。
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「トゥライダ博物館保護区 」の入り口でバスを降りました。ここでガイドさんと合流して観光します。ここには民謡公園やトゥライダ領主の邸宅、トゥライダ教会と教会の丘、13世紀に建てられたトゥライダ城などがあります。
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公園の売店にはたくさんの杖が売られていました。これはスィグルダの名産品で町中の公園はオブジェも置かれてあるほどだそうです。ラトヴィアのスイスと呼ばれるこの国立公園を歩く人のために考案されたそうですがカラフルな色が美しいです。見ていると欲しくなります。
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東京では水仙もチューリップも終わってしまいましたが、ラトヴィアではこれからが春のようでした。
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「トゥライダ博物館保護区 」全体はとても広大です。
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見学したのは中央のエントランスから右側のトゥライダ城までを往復しただけです。
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トゥライダのバラの記念墓についての話はとても長いのでこの辺りから始めます。
教会の丘の上には元々古代の埋葬地でした。時が経つにつれて樹齢100年を超える菩提樹の下に設けられたトゥライダの乙女マイヤ・グライフの記念墓を除いてすべての墓は失われました。 -
マイヤの悲恋の話はトゥライダのバラとして伝説的な物語に変わりました。この物語は1848年にマグナス・フォン・ウォルフェルトが1620年8月6日にグートマニャ洞窟でマイヤ・グライフが殺害された文書に基づいています。
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マイヤについての伝説 「トゥライダのバラ」
1601年にスウェーデン軍がトゥライダ城を占領しました。戦いの後グライフという男が破壊された城の中から小さな女の子を見つけました。彼はその孤児となった女の子を育てることにして彼女の名前をマイヤと名付けました。 -
時が経ちマイヤはとても美しく育ったので、人々は彼女をトゥライダのバラと名付けました。マイヤの婚約者である庭師のヴィクトール・ハイルはスィグルダの城に住んでいましたが、夕方になると2人はグートマニャ洞窟で逢っていました。
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マイヤへの悲劇はポーランド人の兵士であるアダム・ヤクボフスキーによってもたらされました。彼はトゥライダ城に駐屯していた兵士で、マイヤに好意を持っていましたがマイヤは彼を拒絶しました。ヤクボフスキーは彼女を騙して自分のものにしようと考えます。そしてヴィクトールからのものであるかのような手紙を書き、彼女をグートマニャ洞窟へ来るように誘います。
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マイヤが到着してヤクボフスキーの姿を見ると自分が騙されたことに気が付きます。婚約者に誠実であり続けるためにマイヤは自分の死を決意します。彼女は首に赤いシルクのスカーフを巻いていましたが、ヤクボフスキーにそれが魔法のスカーフで自分を刺しても死ぬことが無いと伝えて試してみるように頼みます。ヤクボフスキーは頼まれたとおりにマイヤを刺しますが、マイヤは命を落として彼の足元に倒れました。
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ヴィクトールは殺害されたマイヤを見つけ、助けを求めてトゥライダ城に駆け込みました。しかし洞窟で失っていた庭師の斧が見つかったためにマイヤの殺害についての疑いはヴィクトールにかかります。彼は逮捕され裁判にかけられますが、裁判所で真実を語ったヤクボフスキーの同志であるスクドリッツの話しで疑いは晴れます。
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ヴィクトールの話は信じられ、マイヤはトゥライダの墓地の端に埋葬されることになります。そしてヴィクトールはマイヤの墓に菩提樹を植えたという物語です。
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この物語はサンドアートパフォーマンスとしてこのトゥライダルーテル教会の中で見る事が出来ます。物語をちゃんと理解して見ると結構感動します。
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トゥライダルーテル教会はプロテスタント教会なのでシンプルな造りです。1750年に建てられたラトヴィアで最も古い木造教会の1つで、教会は古代の教会の跡に建てられています。この建物はラトヴィアの教会建築におけるトゥライダ木造教会の独創性は国家遺産として保護されています。
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この教会をはじめ公園内の博物館や入場券を確認する方までもが、それぞれの民族衣装を着ていらっしゃるので素敵でした。しかしこの方は背が高かったです。
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バロック風のシンプルな祭壇には「磔刑図」が掲げられています。
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シンプルな説教壇ですが美しさを感じます。
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1920年代にH.ホフマンのオリジナルを未知の作家によって描かれた祭壇画です。後ろで眠る使徒たちから「ゲッセマネのイエス」だということが分かります。
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教会のある一帯はトゥライダ・チャーチヒルとして歴史的保存地区になっています。何となく箱根の「彫刻の森美術館」か「美ヶ原高原美術館」のようです。ちなみにトゥライダとはリーヴ語で「神の庭」という意味だそうです。
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ラトヴィアの彫刻家インドゥリス・ランカの作品が置かれてありました。リガ市と姉妹都市の神戸にはこの方の作品「青年」「友好の彫刻」が森林公園におさめられているそうです。
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19世紀中期の「庭師の家」はラトヴィアの先住民リーヴ人の暮らしを展示する博物館となっていますが、ガイドさんは先へ進んでしまいます。この方の首飾りがあまりにも素敵だったので写真を撮らせてもらいました。
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中国や東南アジアの少数民族のアクセサリーをたくさん持っているのでとても興味深かったです。後で登った塔の中にアクセサリー店があって、同じデザインのペンダントとかが売っていたのですが、階段嫌いの妻は中に入らなかったので見る事が出来ませんでした。すごく良かったので買ってあげたかったのですが残念です。と書いておきましょう。
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トゥライダ城に到着しました。この城は13世紀初めにリヴォニア帯剣騎士団が先住民リーブ人の城を破壊し、その場所にリガ司教アルベルトにより赤煉瓦造りのゴシック様式で建造されました。
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トゥライダ城へは右側の門から入って三角屋根のメインタワーの横から中庭へ入ります。
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入り口には自然石にトゥライダ城と彫られてありました。
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入り口のチケットを確認するおばさんの姿はジブリの「風の谷のナウシカ」に出てくるペジテ市の女性のようにも見えます。
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トゥライダ城の建造は1214年にリガの司教であるアルベルトの指揮で開始されました。トゥライダ城は大司教の経済的に重要な城の1つで、地区の領主の居住地で軍事要塞でもありました。
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城の防御壁は13世紀に建てられましたが、それは閉鎖的な城の中庭を形成しました。防衛壁の北部にはメインタワーがあり、西側には最初の宮殿がありました。メインタワーは城の防御システムの中で最も重要な建物の1つで、リガの大司教はトゥライダ城をリガの外の避難所として使用しました。
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城内は部分的に修復が進んでいるようですが、この塔は完全に修復が終わっているように見えます。
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建物の一部は博物館になっていたので全員で中に入ってみます。
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中世の革製の靴底が古い井戸の底から発見されたそうです。
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粘土が柔らかいうちに描かれた儀式の踊りを描いた人物像です。キャプションにはダビデを描いたものと書かれてありました。細かく見ていくと手には武器を持ち左目を閉じていたりユニークな姿です。
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少し自由時間がもらえたので塔の上に登ってみました。20分くらいなのでゆっくりしている時間はありません。エレベータの無い塔には登らない妻は先に戻ってしまいました。
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地平線の高さが今まで旅してきたバルト3国の通常の台地の高さです。それがこの国立公園のあるガウヤ川の渓谷の部分だけが侵食されているわけです。
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その渓谷だけが緑も多く美しい姿を残しています。ラトヴィアのスイスと呼ばれる所以でもあります。
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インドゥリス・ランカの作品が塔の上からも見えました。彫刻を見ている時間はありません。
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妻は同じツアーの方と話が弾んでいるようです。
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ガウヤ川を挟んで中世の時代には数々の戦いがあったのだと実感できます。
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ほとんど高低差が無いので川の流れもゆっくりです。
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蛇行するガウヤ川はゆっくりとバルト海へ流れ込むのでしょう。
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国立公園の中なので釣りは出来ないのでしょうが、フライフィッシングに向いてそうな流れです。
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塔の最上部はこんな小屋組みでした。ちょっと中国の貴州省辺りのトン族の鼓楼の屋根のようにも見えます。
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登りでは眺める余裕がありませんでしたが下りでは銃眼がたくさん見えました。表から眺めただけでは分からないことです。
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かなり狭い階段を登り降りしましたが、すれ違う事が出来るほどの幅はありました。
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塔の中に少し入ったところに伝統的なリーヴの意匠をデザインしたアクセサリー屋さんがありました。先ほど妻と一緒に写真を撮らせていただいた女性のネックレスの部分を使ったブローチやペンダントトップも素晴らしかったのですが、本人が見ていないのに買うのもどうかと思い買いませんでした。
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先ほど見学した教会の門は閉じられていました。ここは地元のガイドさんの案内で見学するので、勝手気ままには中を見ることは出来ないようです。
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もう一度マイヤのお墓に立ち寄り、手を合わせました。
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小さい杖をお土産にしようと買い求めました。妻は気に入ったブローチがあったので購入すると、おばさんがさらに小さい杖をプレゼントしてくれました。おまけに記念写真まで撮らせてもらいました。大きい方の杖で1.5ユーロでした。
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一度バスに乗ってグートゥマニャ洞穴の近くまで移動します。ここは近いのでほんの10分ほどバスに乗るだけです。
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駐車場からはきれいな湿地帯を歩きますが、この水源はグートゥマニャ洞穴であろうと想像できました。
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こんな風光明媚な木立の間を進みます。この辺りはトレッキングの良いコースになっているようで、たくさんの方が歩いていました。
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洞窟の手前で東屋に店を出しているお菓子屋さんに捕まってしまいます。
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美味しそうなお菓子がならんでいます。アーモンドの蜂蜜カラメルが1ユーロだったかな。左側の箱はヴラダス(Vladas sp)という会社のクランベリーの実を粉砂糖でコーティングしたお菓子で、試食させてもらったらとても美味しかったです。
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グートゥマニャ洞穴ではおじいさんが縦笛を吹いていました。音響効果は抜群です。
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洞窟からは湧き出た水が水路になり、表の湿地へ流れていきます。
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この洞窟は先ほどの悲恋の物語に出てくるマイヤがポーランド人の兵士であるアダム・ヤクボフスキーに騙されて呼び出された場所です。ここで彼女は殺されたわけです。そんな洞窟には恋人たちの名前を刻んだ古い落書きがありました。下の方は落書きの域を脱していません。
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昔は専門の彫師がいて、梯子を掛けて名前を彫ってくれるサービスがあったそうです。
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もちろん現在は彫ることは出来ませんが、よく見ると1916年なんて年号も読み取れます。
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この洞窟はラトヴィアで一番大きな洞窟でもあるそうです。湧き水は飲めるそうで、ペットボトルで持ち帰る人もいるそうです。
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エジプトのファラオのように錫杖をクロスさせて写真を撮ろうとしたら、添乗員さんに「左足を前に出してください。それだと死んだファラオですよ。」と言われました。まあ、何でも知っている人です。
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死んだファラオのポーズでも1枚写真を撮っておきましょう。
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マイヤの悲恋の話を知らなければなんてことない洞窟だと思います。ポルトガルのコアルコバサの修道院で見たペドロとイネスの向かい合った棺を見て、コインブラのイネスの井戸に行ったことを思い出しました。向かい合った棺は最後の審判の時に起き上がって最初に見るのがイネスであろうことを願ったペドロ王の気持ちに感動しました。
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後ろ髪を引かれる思いで洞窟を後にします。
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洞窟の湧水は大きな池になり、辺りを湿地にしています。
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さあ、お菓子屋さんに戻ってきました。もう一度試食させてもらってからクランベリーの砂糖菓子を2箱買いました。1箱5ユーロでした。
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本当は少し高いところにあるお菓子屋さんのおばさんたちですが、道を逸れる人が少ないので、東屋に店を出しているのでしょう。
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ラトヴィアの有名なライマ(Laima)のチョコも置いていました。
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リーフパイも美味しそうでした。
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渓谷を行ったり来たりしながらお昼を食べるレストランへ向かいます。
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かなり高級な雰囲気のお店でした。
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この日のお昼は「スィグルダ・ホテル」でした。ホテルの石造りの建物がレストランのようです。
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何度も渡ったガウヤ川に架かる橋のステンドグラスがありました。
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スィグルダホテルのステンドグラスもあります。
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バルト3国のツアーでは食事の時の飲み物がお手頃価格なのが良かったです。ボトルビール500ミリリットルと妻は気に入ったアップルシードルを注文しました。
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パンもオシャレな籠に入っていました。昨年末ウィーンのクリスマスマーケットで買った籠に似ています。
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ラトヴィアビールのヴァルミエラムイジャ(Valmiermuiza)もこれが飲み納めです。シードルもすっきり美味しいです。
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1皿目はゴーダチーズの乗ったシーザーサラダでした。久しぶりにオリーブの実を食べた気がします。緯度の高い北欧やバルト3国ではオリーブの実がならないので菜種油を使うそうです。なので春先はどこを走っても菜の花ばかりが見えるわけです。
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メインはスパイシーなタラのソテーで、ズッキーニとアーティチョークとキャロットの付け合わせも美味しかったです。
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ホテルのロビーでくつろいでいて、絵葉書用の切手のことを思い出しました。今朝のチェックアウトの時にフロントで尋ねたら切手が売り切れだったことを。慌ててフロントの女性に尋ねましたが、ホテルには置いていなくてすぐ隣に郵便局があるということでした。
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が、出発まで5分を切っていました。これでラトヴィアから絵葉書を出すことは出来なくなりました。大失敗です。
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確かのフロントの女性の言うとおりにホテルの3軒先に郵便局がありました。もう少し早く気が付いていれば切手を買う事が出来ました。
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もう一度渓谷を渡るときにケーブルカー(日本的にはロープウェイ)が見えました。
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このケーブルカーの上からの景色も素晴らしいようです。
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遠目にグートゥマニャ洞穴が見えました。
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スィグルダを後にすると後はタリンへ一直線です。今回最後の訪問国エストニアの首都です。
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相変わらず美しい景色の中をバスは走り抜けます。
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同じような景色でも飽きることはありません。
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途中車窓から海岸線の景色が見えました。松林と海を見ていると4月に行った伊豆の河津とか稲取を思い出します。
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そしてしばらくアンズの花がきれいでした。
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コウノトリが空を舞っていました。翼を広げるとかなり大きいことが分かります。
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漁港の脇も通り抜けます。漁船は全部出払っているようです。
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波一つないバルト海です。
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そしてラトヴィアとエストニアの国境を越えます。
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現在はシェンゲン協定のおかげで国と国の行き来は簡単ですが、昔はいちいちパスポートを提示してスタンプをもらっていたことを思い出します。毎回緊張したものです。そして必ず両替が付きものでした。
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昔は国境警備の詰め所だった建物も現在はミニスーパーです。ここでトイレ休憩です。
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可愛らしいリキュールの小瓶がありましたが、ブラック・バルサムを買ったので諦めました。かなり荷物が重たくなっているはずです。
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監視所も現在は使われていません。ヴィリニュスからリガを経てタリンに向かっていると1989年8月23日にソヴィエト連邦の統治下にあったバルト3国で独立運動の一環として行われた「人間の鎖」を思い出します。 およそ200万人が参加して手をつなぎ、3共和国を結び、約600キロ以上の人間の鎖を形成しましたことは日本のテレビでも見る事が出来ました。
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現在はのどかな風景が流れているだけですが、この道路の上に人が連なったのだろうことは想像できます。
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地図で確認するとパルヌの近くだったのだと思います。ここ以外に大きな川は流れていません。ここから船に乗ればキヌフ島という民族衣装や伝統工芸で有名な島へ行く事が出来ます。もちろん今回は行くことはありません。
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タリンへ入る前にもう一度トイレ休憩がありました。これはドライバーさんの法定の休憩で、バスのタコメーターを止めないと後で問題になってしまいます。こういったところは日本よりヨーロッパの国々のバス会社、中国のバス会社でも同じようなルールがあります。タリンとパルヌの間にいることが分かりました。
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トイレは有料で0.5ユーロでした。古びたドライブインという風情で映画の「バグダッドカフェ」のバーカウンターを思い出しました。主題歌のジェヴェッタ・スティールが歌う「コーリング・ユー」が頭に浮かびます。
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隣にミニスーパーがあってこちらのトイレは無料でした。おまけにアイス類も安かったので妻に買ってあげました。アイス大好きですから。
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ここから約100キロ走るとタリンです。
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そして夕方の午後5時前にエストニアの首都タリンに到着しました。タリンでの2泊の旅が始まります。
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