2019/05/03 - 2019/05/03
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kojikojiさん
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市庁舎の見学をした後はバスに乗って「ガムラ・スタン」に向かいます。ストックホルムに来るまではあまり興味の無かったノーベル賞の授賞式や晩餐会や舞踏会ですが、実際にその場に立ってみると感慨深いものがありました。そうなるとガムラ・スタンの「ノーベル博物館」にも興味が湧いてきます。バスは10分ほどでガムラ・スタンの王宮の横の停車場で停まります。ここから半日ガムラ・スタンの観光が始まります。まずは王宮の無料エリアの礼拝堂などを見てから「衛兵交代」も少しだけですが見学します。全部見るには45分くらいかかり場所も埋まっているので表の良い場所で写真を撮るだけで充分でした。前にバッキンガム宮殿の衛兵交代をずっと見ていましたが、長時間見るほどのこともありませんでした。ノーベル博物館前まで全員で移動してから解散して自由行動になりました。ツアーの5組の中には船に乗りに行く方もいらっしゃいましたが、我々はガイドさんと一緒にノーベル博物館の見学とショップでノーベル賞チョコレートを買ってデザートも頂きました。これでノーベル賞関連は満足なのでガムラ・スタンの目抜き通りのヴェステルロングガータン通りでお買い物タイムです。集合時間は午後1時45分なのであまり時間はありません。午後1時前にレストランに入ってストックホルムの名物料理のピュッティパンナもいただく事が出来ました。本当はもう少し時間をかけて、ミートボールなどの料理も食べたかったのですが、ヘルシンキの到着以降もあまり体調がすぐれないので軽いものにしました。時間は無かったけど絵葉書も2枚出せて思い残すことはありません。スタジオジブリの「魔女の宅急便」のモデルになったといわれる街の雰囲気も楽しめました。時間があれば行きたかった民族博物館やヴァーサ号博物館、そしてドロットニングホルム宮殿など行きたいところも新たに思えてきたので、近いうちに再訪したいと思いました。旅は朝のヴァータハムネン港のフェリーターミナルに戻り、ラトヴィアのリガへ向けてフェリーに乗り込みます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「市庁舎」の見学の後はバスに乗ってガムラ・スタンに向かいます。途中「スウェーデン王立オペラ劇場」とグスタフ・アドルフ広場の前を通過しました。
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グスタフ・アドルフ広場にはスウェーデンを強国にした英雄を記念する像が置かれています。フランス皇帝ナポレオン1世が歴史上の7人の英雄のうちの1人と称えているヴァーサ王朝第6代スウェーデン国王のグスタフ2世アドルフ像です。「北方の獅子」とも呼ばれ、国内に絶対王政を確立しスウェーデンを強国にした英雄でしたが、国家としても王個人としてもその絶頂期に突如この世を去ります。彼の死後スウェーデンの勢いは翳り三十年戦争における主導権も失います。
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リラ湖の先の橋からガムラ・スタンに入ります。バスの通過できる橋は限られているそうです。
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王宮の東側でバスを降りてガムラ・スタンの見学に移ります。国立美術館の先のシェップスホルメン島へ渡る橋の上には王冠が設けられ、王宮の写真の撮影ポイントですが、そこまで足を延ばせないのでこれで我慢します。
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王宮の東側には特に入り口はありませんが、衛兵のポストがありました。
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まだあどけない少年のような兵隊さんです。
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港の対岸には「国立美術館」の建物が見えました。16世紀の国王グスタフ1世が収集したルーカス・クラナッハらの作品が国立美術館の収集品の基礎となり、17世紀にスウェーデンはドイツやデンマークに侵攻して美術品を戦利品として持ち帰ります。また16世紀の女王クリスティーナや17世紀のアドルフ・フレドリク王とロヴィーザ・ウルリカ王妃といったスウェーデン王家の人々が美術品を収集しています。
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隣には「グランドホテル」の建物が見えます。1874年開業の由緒正しい北欧様式のホテルで、王侯貴族や外交官のストックホルムでの御用達宿でもあるそうです。1901年以降はノーベル賞の受賞者とその家族は全員グランドホテルに宿泊しているそうです。
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どうも我が家がお世話になることは無さそうです。
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さあ王宮に沿って見学を進めます。東の埠頭側のシェップスブロン(Skeppsbron)から南側に向かいます。
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南ファサードは坂道のスロッツバッケン(Slottsbacken)を登った先にあります。
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カール14世ヨハンの像は1847年から1851年にかけてベンクト・エルランド・フォーゲルベルグによって彫刻され、1851年から1854年にかけてフェルディナンド・フォン・ミラーによってミュンヘンで鋳造されました。像はいくつかの場所を転々と移され2018年12月16日にカール16世グスタフ王によって現在の場所に据えられます。現代まで続くスウェーデン王家ベルナドッテ朝の始祖であり、彼の血は子孫を通じてノルウェー王家、デンマーク王家、ベルギー王家、ルクセンブルク大公家、ギリシャ王家にも受け継がれています。
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元はフランスの平民階級出身者でナポレオン・ボナパルトのライバルと目された人物でもあったそうです。1810年にスウェーデン議会によって同国の王位継承者に選任されたのち、第6次対仏大同盟の立役者となってナポレオンの欧州における覇権にとどめを刺したことはナポレオンをして「世界の運命を掌中に収めたフランス人」「我らが失墜の主たる要因のひとつ」と言わしめたそうです。
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南側の入り口にも衛兵さんが立っていました。このアングルが一番きれいですよと現地ガイドさんが教えてくれました。
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第1次世界大戦のころまでは歩兵同士の戦いが主流だったので、ヘルメットの先端が槍のようになっています。現在の戦争ではデザイン以外の何物でもないでしょうね。
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色々な国で衛兵さんを見る機会がありましたが、一番過酷だったのはイスタンブールのドルマバフチェ宮殿の衛兵だと思います。動く事が出来ない衛兵さんは多いですが、瞬きも出来ないのはここだけだったと思います。ロンドン塔の衛兵さんは観光客が変なポーズをして写真撮影した後に、妻と一緒の写真を撮らせてもらい、一礼したらウインクを返してくれたことがありました。
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南側の大きな門をくぐり、左の階段を上るとリクスサーレン(Rikssalen)、右の階段を上がると宮殿内教会があります。1階下るとスウェーデン王室の宝石が収蔵されている宝物庫(Skattkammaren)がありますが、無料のエリアをちょっと見学します。
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門をくぐった右側はこんなテラスがあります。
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階段を上った反対側も同じデザインで、ここから宮殿の内部の見学ができるようです。
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王宮礼拝堂は無料のエリアなので中に入ってみました。
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祭壇はバロックスタイルの円柱で囲われ、天上から父なる神が見上げるイエスを祝福しています。イエスの前には聖杯を持った大天使の姿も見えます。
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スウェーデン国教会はルター派の一派であり、信者数は690万人を超えた世界で一番大きなルター派教会組織だそうです。教会の内部がカトリック教会のように豪華なのには少し驚きました。
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天井画にもたくさんの天使が舞い、ロココ様式のデザインでまとめられています。
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反対側の階段を上がるとこの空間が左右対称なのだという事が良く分かります。
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礼拝堂とは違ったシンプルな空間です。ここから先は有料エリアなので集合場所に戻ります。
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宝物の間にはこんな王冠などが展示されているようです。
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ガイドさんに連れられてストックホルム大聖堂の前まで進むと衛兵交代の準備が始まっていました。
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スウェーデンは非同盟中立の立場をとりつつ自国を守るため強力な軍隊を組織している武装中立の国家として知られますが、徴兵制を中止したあと2010年度より正規兵+ボランティア軍で構成されていますが、ボランティア軍が予定されていた人数を下回る事と質の低下により徴兵制の復活がされました。
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衛兵交代は日によって内容が違うらしく、パレード・スクエアへ入るルートも違うそうです。ガイドさんが士官の方に確認してルートを確認してくださいました。
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ストックホルム大聖堂の脇の歩道の柵の内側でカメラを構えます。車道に立つことはNGで歩道に戻るように注意されている人もいました。
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大聖堂前から真っすぐ広場へ進むのではなく、教会を曲がるルートで行進が始まりました。
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石畳の上を軍靴のカッカッという音が響きます。後ろからドラムの音も響いてきます。
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100人くらいの衛兵さんがザッザッと勢い良く行進していきます。
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あっという間に衛兵は去っていきました。広場の中は凄い人なので中に入っても見ることは出来ないので観光を続けます。
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「大広場」に向かって歩きます。ツアーの人数が少ないのでちょっと写真を撮っていると皆さんを見失いそうになります。
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ダーラヘスト(Dalahast)ダーラナ地方に誕生した馬をモチーフにした木彫り細工で、現在でも1体づつ木を削り丁寧に伝統の柄を彩色するという工芸品です。ノーベル博物館前の広場の一角に専門店がありました。
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ノーベル博物館前の広場で、スウェーデン建国の父グスタフ・バ-サの父を含む、デンマーク支配に抵抗したスウェ-デン独立派の貴族ら100人以上が1520年に処刑された場所。「血の沐浴」とも呼ばれるこの事件は、のちの独立運動に影響を与えた。
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そういえばスタジオジブリの「魔女の宅急便」のモデルになったのはこのガムラ・スタンだそうです。ネットで検索していたらその類似点を非常に細かく調べている方がいらっしゃいました。
https://www.chinkaiseki.com/ghibli/ -
元は証券取引所だった「ノーベル賞博物館」の前で記念写真。受賞して来ることは無いでしょうからね。
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ガイドさんの案内でヴェステルロングガータン通りまで連れて行ってもらいます。この後は昼過ぎまで自由時間になります。物価の高いストックホルムではフリータイムにして自由昼食にした方が旅行会社には良いのだと思います。こちらも自由時間が欲しいのでウィンウィンなことだと思います。
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雑貨店のウインドウの下にルーン文字が彫られた岩が組み込まれていました。ルーン文字の成立時期は不明ですが、確認されている最初期のルーン銘文は2世紀あるいは3世紀頃のものだそうです。ラテン文字に取って代わられて使用されなくなりますが、スカンジナビアでは中世後期まで用いられたそうです。蛇がとぐろを巻いたような模様も伝統的な物だそうです。
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ノーベル博物館の中の見学をすることにしました。
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入り口で「チョコレートを買いに行きたい。」と伝えると出口から中に入れてくれます。入ったところに椅子が吊られていました。座面の裏側には白いペンで書かれた山中教授のサインが読み取れました。
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2008年受賞の益川敏英氏は600個、2012年受賞の山中氏は1000個も購入されたとかで話題になったチョコレートを買いにショップに入ります。値段は高いのですが姪のために10個入りの缶を1つ、母のお土産に1つ、絵葉書と切手もここで買えました。免税手続きもしてくれましたので300円くらいの節税になりました。
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日本人の序章者の方が多く見受けられたのと、日本人に由来する製品も並んでいたので少しうれしい気持ちになりました。
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天井にレールが敷かれて受賞者のフラッグが1枚1枚移動しています。時間があればじっくり見たいところでした。
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1963年8月28日に職と自由を求めた「ワシントン大行進」の一環として25万人近い人々がワシントンDCに集結します。デモ参加者たちはワシントン記念塔からリンカーン記念堂まで行進し、そこですべての社会階層の人々が、公民権と皮膚の色や出身などに関係なくあらゆる市民を対象とした平等な保護を求めます。
この日最後の演説者となったのがマーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士で、キングの行った「私には夢がある」(I Have a Dream)の演説は、独立宣言にも盛り込まれている「すべての人間は平等に作られている」という理念を網羅するものでした。すべての人々に自由と民主主義を求めるキングのメッセージは、米国公民権運動の中で記念碑的な言葉として記憶されることとなります。 -
1964年のノーベル平和賞受賞者でもあるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士に由来する写真パネルやプラカードの展示がありました。この場でスピーカーから流れる「I Have a Dream」の言葉を聞くと胸に詰まる思いがこみ上げます。
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確かにその通りです。
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出口の脇のビストロノーベルでデザートを頂きました。これは絶対に食べたかった名物メニューのノーベルアイス (Nobel glass)です。ノーベル賞授賞式の晩餐会で提供されたのと同じアイスで現在提供されているものは1976年から1998年に提供されていたアイスクリームケーキのミニチュア版です。
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先ほど買ったチョコレートが1つ添えられていました。このチョコレート1枚で200円くらいします。
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ミニチュア版と言っても結構大きいので、ガイドさんのお言葉に従って1つを2人で食べて十分でした。ストックホルムのカフェも席にコップと水があって自由に飲むことが出来ました。
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食べる合間に母への絵葉書を1枚書きました。今朝まで乗っていたシリア・セレナーデ号の絵葉書にしました。
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さあ、ガムラ・スタンの観光というかお買い物に出発です。
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店先の人形を見て思い出しました。「長くつ下のピッピ」の作者のアストリッド・リンドグレーンはスウェーデンの人でした。幼稚園の頃にピッピの3部作の「ピッピ船に乗る」までは読んだ記憶があります。
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ダーラヘストの馬の置物はどこの店でも売っていますが、手造りのせいもあって値段は驚くほど高いので全く買う気にはなりませんでした。
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ヴェステルロングガータン通りを歩いているとドイツ教会の尖塔が突然現れたりします。
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「ストゥッテルハイム」というゴム引きのレインコートのお店があって、欲しかったのですが日本で梅雨に着ても蒸れそうなので諦めました。何色も試着したのですが…。買って来れば良かったとちょっと後悔しています。
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ヴェステルロングガータン通りから横に伸びるモーテン トローツィグ グレン通りはガムラ・スタンで一番狭い通りだそうです。見たところではアムステルダムの世界一細い路地と呼ばれる「トラム・ペター・スティーグ」やプラハの「ヴィナルナ・チェルトフカ」に比べれば普通の道といった感じです。
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そうそうピッピは力持ちだったのも思い出しました。
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1879年に設立されたスウェーデンのテキスタイルメーカー、「KLIPPAN(クリッパン)」のウールのショールです。日本で買う2/3くらいの値段で買う事が出来ます。いろいろな店で扱っていてデザインも違うので見比べることが必要です。
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Gasgrandという小さい路地は建物に穴が開いたようにも見えます。
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トムとジェリーのカートゥーンでネズミがチーズを食べ進めて開けた穴のようです。以外に人通りが多いので、誰もいない写真は撮りにくいです。
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何となくぶらぶらしているだけで時間は過ぎてしまいました。どこかでお昼を食べないとフェリーに乗って晩御飯まで何も食べられません。
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そう思いながら古い公衆電話ボックスを見つけると遊びたくなってしまいます。
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電話機は置いていなかったのですが。
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ヘルシンキに着いてからストックホルムまで体調があまり良くなかったので、行きたかったレストランでミートボールとかをがっつり食べる気持ちにはなれず。ガイドさんのおすすめだった店に入ることにしました。
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「Kaffegillet i Gamla Stan」という店です。席について店の女の子に「45分しか時間が無いんだけど、これとこれを注文して大丈夫?」と尋ねると「10分で用意しますよ。」と笑顔で答えてくれました。
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歩き疲れたのでちょっとホッとします。
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体調が悪くてもやっぱりビールを注文してしまいます。
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あまり食欲がないのでパンは食べすぎないように。
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妻の希望もあってピュッティパンナを注文しました。じゃが芋と玉ねぎとハムなどを細かく切って炒めたものに目玉焼きが乗っていました。付け合わせのビーツを食べると爽やかな感じがします。どれも賽の目切りです。
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妻は日替わりのスープ。「今日はアジア風のスープです。」ということでしたがカレー風味の野菜スープでした。
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料理はどれも美味しかったです。後で聞いたら同じツアーの方もここで食事されたそうです。これで40ユーロでした。やっぱり北欧は物価が高いですね。
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店のカードをもらおうとお願いしたら紙にスタンプを押そうとするので、領収書かなと思って、「お店のカードが欲しいのです。」というと「カードが無いから作ってんだよ。」と言われ、ご主人と店の女の子と3人で大笑い。表に出ようと思ったら両手に杖を突いたおばあさんが2人が入れ違いに入って来るところでした。扉を押さえていたのですが、その歩みの遅い事…。
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ヴェステルロングガータン通りまで戻って、レストランで書いた絵葉書を投函しに戻りました。この先バスに乗ったら投函できないですからね。ちょうど郵便物を収集しているところだったので、お兄さんを呼び止めて袋に入れてもらいました。
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デンマークのクリスチャン2世は反乱の罪を赦すという声明を発し、スウェーデン側の貴族や僧侶、都市の自由市民の有力者たちを晩餐会に招きます。彼等はクリスチャン2世の言葉を信じて投降したものの、全員がストックホルムの王宮に入城すると大扉は閉じられ、招かれた客は総て捕らえられます。クリスチャンはスウェーデン独立運動の息の根を止めようと画策していたわけです。 翌日に形ばかりの裁判によって、彼等は死刑の判決を下され、その日の内に処刑されます。この「大広場」は大量の血の海に染まることになり、「ストックホルムの血浴」として知られる事件の舞台になった場所です。
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この細い路地も「魔女の宅急便」で出てきます。壁に付けられた金具などは映画と全く同じデザインです。ちなみにこの金具は石やレンガ積みの外壁が外側に崩れないように内側で引っ張るためのものです。
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最後に案内されたのは小さな公園に置かれたこの銅像です。ちょうどフィンランド教会の中庭のような場所にある「アイアンボーイ (Järnpojke)」です。この像の存在は知っていましたが、見る事が出来るとは思っていませんでした。
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そしてこの小ささは来てみないと分からないものでした。しかし大金持ちなのですね。
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こんな公園の脇に置かれてありました。この時期のヘルシンキもストックホルムも花がたくさん植えられていてきれいでした。
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王宮の横のカール14世ヨハンの像まで戻ってきました。2018年に据えられたばかりなので台座がまだ新しいですね。
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グスタフ3世はホルシュタイン・ゴットルプ朝第2代の国王で、ロシア帝国やデンマークと戦って勝利し、ヨーロッパでの名声を高めます。またハンス・フォン・フェルセンを臣下としてフランスとの友好関係を深めます。グスタフ3世の時代はスウェーデンの中興の時代であり、また文化面から「ロココの時代」とも呼ばれています。
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カール14世ヨハンの像の前からバスに乗って朝のヴァータハムネン港のフェリーターミナルまで向かいます。これでストックホルムの観光も終わりです。
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グランドホテルの脇を通過してバスは進みます。ガイドさんが同じルートではなく眺めの良い海沿いのルートを運転手さんにお願いしてくれたそうです。
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ニプロ湾を行き交う小さな船が見えました。またいつか機会があったらゆっくり旅してみたいと思える街でした。
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ストランドホテルも美しく見えました。緑青の吹いたの銅屋根が印象的な1912年築のユーゲントシュティール様式の美しい館です。現在はラディソン系のホテルになっているそうです。
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ヴァイキングラインのフリーはこの湾に停泊するようです。
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「北方民族博物館」の近くも通り過ぎました。個人的にはここも見たかった博物館です。ハンガリーのブダペストで民族博物館に感動して以来、立ち寄れるものは見学するようにしています。
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もう1つ見たかったのが「ヴァーサ号博物館」です。ヴァーサ号は世界で唯一現存する17世紀の船舶です。その原形の95パーセント以上が保持されており、数百もの曲線的な彫刻に彩られたヴァーサ号は他に類をみないユニークな芸術品といわれます。
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1628年8月10日にストックホルム港から出航しましたが、港の出口に帆先を向けると突然強風が巻き起こります。転覆しそうになりましたが何とか体勢を立て直しますが、次の強風によって船体は横に流されて開いた砲門から海水が流れ込み沈没してしまいます。1956年にヴァーサ号を引き上げるまで333年もの年月を要することとなりました。 その当時のままの船がこの島に保存されているのです。
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もう一度ストックホルムへの再訪を誓いながらバスはヴァータハムネン港のフェリーターミナルに到着しました。この日の夕方のフェリーでラトヴィアのリガへ向かいます。
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