2019/05/06 - 2019/05/06
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kojikojiさん
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旧市街の見学を終えた後は市庁舎広場の脇からバスに乗って新市街のユーゲントシュティール建築の見学に移ります。旧市街にもたくさんのユーゲントシュティール建築が残されておりこのことは新鮮な驚きでした。そしてそのことはさらに新市街の建物への期待となります。バスはクロンヴァルダ公園の北東の角で止まり、そこから徒歩で建築物の見学に移ります。その間にガイドさんからリガにおけるユーゲントシュティール建築についての説明がありました。19世紀末から20世紀初頭にかけてラトヴィアがソヴィエトの支配下にはいるとともにリガでは建築ラッシュが起こりました。その際に最先端の建築デザインとして用いられたのがユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)でした。アールヌーヴォーはこの時期のヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動で「新しい芸術」を意味します。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴で、分野としては建築や工芸品からグラフィックデザインなど多岐にわたります。国によって「ユーゲントシュティール」、「ウィーン分離派」、「モデルニスモ」、「スティル・モデルヌ」などと呼ばれます。今までパリやブリュッセルやアントワープにブダペストにウィーン、昨年は2度目のバルセロナとヨーロッパの有名な都市の建築を見てきましたが、リガの建築群はその質も量も群を抜いていると感じました。リガの見応えのある一群の建築を手がけたのが1人の建築家ミハイル・エイゼンシュテインということは知っていました。エイゼンシュテインはラトヴィアの建築史に名を残す偉大な建築家ですが、映画「戦艦ポチョムキン」を撮ったセルゲイ・エイゼンシュテインの父親としても知られています。映画の中のオデッサの階段の場面はあまりに有名ですし、サンクトペテルブルグを旅した時に夜のクルーズで見たアヴローラ号(オーロラ)の姿を思い出しました。ツアーの中でここでの見学がどれだけなのかは行ってみなければ分かりませんでしたが、中途半端に通りを半分だけ進んで同じ通りを戻ってしまいました。地図を見ればグルリと周っても大差ないのにと思いましたが、勝手なことも言えずフラストレーションの残る見学でした。何より一番有名な巨大な顔が屋根に乗ったエイゼンシュタインの建物を見なかったのですからです。ただこのあと40分ほどでしたがリガの旧市街で自由時間がもらえたので良しとしました。さすがに新市街までは戻れませんが、旧市街を歩いていて見つけたショップで買い物は出来ました。その後バスですぐにホテルへ向かい、夕食もホテル内だったのでその後の街歩きの時間も十分に取れたのでほぼ満足のリガの滞在でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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旧市街の見学を終えて市庁舎広場の脇からバスに乗って新市街のユーゲントシュティール建築の見学に移ります。
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旧市街にもたくさんのユーゲントシュティール建築が残されており、このことは新鮮な驚きでした。そしてそのことはさらに新市街の建物への期待となります。バスはクロンヴァルダ公園の北東の角で止まり、そこから徒歩で建築物の見学に移り、その間にガイドさんからリガにおけるユーゲントシュティール建築についての説明があります。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ラトヴィアがソヴィエトの支配下にはいるとともに、リガでは建築ラッシュが起こりました。その際に最先端の建築デザインとして用いられたのがユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)でした。
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アールヌーヴォーはこの時期ヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動で「新しい芸術」を意味します。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴で、分野としては建築や工芸品からグラフィックデザインなど多岐にわたります。国によって「ユーゲント・シュティール」、「ウィーン分離派」、「モデルニスモ」、「スティル・モデルヌ」などと呼ばれます。
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今までパリやブリュッセル、アントワープにブダペストにウィーン、昨年は2度目のバルセロナとヨーロッパの有名な都市のアールヌーヴォー建築を見てきましたが、リガの建築群はその質も量も群を抜いていると感じました。リガの見応えのある一群の建築を手がけたのが1人の建築家ミハイル・エイゼンシュテインということは知っていました。エイゼンシュテインはラトヴィアの建築史に名を残す偉大な建築家ですが、映画「戦艦ポチョムキン」を撮ったセルゲイ・エイゼンシュテインの父親として知られています。映画の中のオデッサの階段の場面はあまりに有名ですし、サンクトペテルブルグを旅した時に夜のクルーズで見たアヴローラ(オーロラ)号の姿を思い出しました。
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ストレールニエク通り4番地の「ミツソフ私立学校」は1905年に建築家ミハエル・エイゼンシュタインによる設計です。建物はソヴィエト支配時代の私立学校の寮として使用されました。後年の1993年と1994年に改修工事が行われファサードは復元されました。
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石積みの建築のようではありますが20世紀の建築なので構造は鉄骨やコンクリートが使われているのかもしれません。外観からだけではうかがい知ることは出来ませんが、青いタイルと白い石や彫刻のコントラストが美しいです。
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1993年と1994年に改修工事が行われているので、それ以前は排気ガスなどで真っ黒になっていたのではないかと推測できます。
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建物の外観には膨大な意匠や彫像が施されているので1つ1つに目が行ってしまいますが、ガイドさんの説明は簡単なものですし、ツアーの方もそこまで興味があるわけではないのでどんどん先に進んでしまいます。
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全体を見た後はどうしても細かいディティールに目が止まってしまいます。
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一対の女神像は鷲の頭の船に乗っているかのようです。アントワープの「五大陸の家」を思い出させます。古代ギリシアやローマ時代では海戦において勝利した記念に敵の船首を切り取る習慣があったようです。こういったデザインも起源はそんなところにあるのかもしれません。
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部分的なディティールにはアールデコを思わせる装飾もあります。
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しかしこんな寮を持つ事が出来たミツソフ私立学校とはどんな学校だったのでしょうか。
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アルベルタ通り12番地の建物は現在は「ユーゲントシュティール博物館」として使われています。ラトヴィア人建築家のコンスタンティンス・ペークシェンスの設計による建物で1903年に竣工しています。
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デザインの中にはルネッサンス的な要素と中世の建築を彷彿させる部分がありますが、建物の全体的な外観は明らかに国民ロマン主義を感じさせます。
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博物館の有名な螺旋階段までは無料で入れるはずですが、外観を眺めるだけで終わります。
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アルベルタ通り13番地の建物は1904年に建築家ミハエル・エーゼンシュタインの設計によるものです。左右に広がるファサードには仮面やギリシャ神話のレリーフ、直線と曲線の組み合わせ、円と幾何学的図形の彫刻的の浮き彫りで覆われています。中心の仮面は自由や太陽または勝利の象徴しているそうです。 ファサードはアールヌーボーの典型的な女性像が数多くみられます。
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ラトヴィア国旗と欧州連合旗が掲げてあるので、政府関係の建物になっているのかもしれません。
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仮面の頭部にはギリシャ神話のパーンの姿があります。羊飼いと羊の群れを監視する神で、サテュロスと同じく四足獣のような脚と山羊のような角をもち笛を吹いています。
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そう考えるとこの仮面はギリシャ悲劇の物のようで、ギリシア悲劇を意味する「トラゴーイディアー」は「山羊」(ディオニューソスの象徴の1つ)を意味する「トラゴス」と、「歌」を意味する「オーイデー」の合成語で「山羊の歌」の意味します。
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建物のコーナーの円塔部の軒には山羊の頭蓋骨のレリーフが飾られていることと意味が通じたように思えました。多分この建物のファサードの彫刻はギリシャ神話に由来するのでしょう。
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ミツソフ私立学校のレリーフと同じデザインでした。
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この女性の笑顔が印象に残る建物でした。しかし、ここまで来てユーゲントシュティール博物館に入る事が出来ないのは残念です。
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アルベルタ通り11番地のアパートは1908年に建築家エイゼンズ・ローブによって設計されています。エイゼンズ・ローブは国民ロマン主義スタイルの提唱者の1人であり、この建物はそのスタイルを象徴しています。
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1908年にデザインが承認されたときローブは建築スタイルに関する雑誌の記事を発表し、同僚にラトヴィア人の応用芸術を研究し「私たちの先祖の精神に捧げる」と呼びかけました。
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サンクトペテルブルグ出身のミハエル・エーゼンシュタインの作品とは違ったラトヴィアらしい民族を感じさせるデザインです。
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建物によっては修復や保存がなされていない感じがしますが、近い将来に美しく変わった姿を見てみたいものです。そしてその時は少しでも内部の見学が出来るようになっていることを願います。
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アルベルト通り8番地のマンションは1903年に建築家のミハエル・エイゼンシュタインの作品です。折衷的な装飾のアールヌーヴォーとファサードのデザインの豊富さは「ミツソフ私立学校」と並んで代表的な作品です。 建物の最も華やかな部分は木を彷彿とさせる中央上部の彫刻です。 木の頂には力を象徴するライオンの頭があります。 ファサードは女性の頭部の表情豊かな仮面やそれぞれ装飾されたピラスター(疑似柱)がリズミカルに分割されているので、連続した美しさを感じます。
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窓には恐ろしい怪物のマスクが描かれた装飾的なレリーフが飾られています。 これらは建物に住んでいる人々を守る魔除けとして設けられました。
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ライオンの顔の下にはエジプトのネメス頭巾を被った女性の横顔も見えます。
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ピラスター(疑似柱)のロープのようなデザインもシンプルですが美しいです。
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凛とした女性の表情が印象に残ります。チェコの建築家ジョセフ・ファンタによる設計のプラハ中央駅のレリーフを思い出させるデザインです。ここには日本人女性のレリーフもありました。
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アルベルタ通り4番地のレベジンスキーマンションは1904年に建築家ミハエル・エイゼンシュタインによる最もエレガントでオリジナルのユーゲントシュティール様式の建物です。左右対称的な構成はファサードから遠く離れて突き出ている金属のコーニス(化粧庇)によってデザインされた窓によって強調されまています。
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コーニスの上の屋根裏部屋は叫びをあげるメデューサの3つの頭が掲げられています。
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同様のモチーフがウィーンのジョセフ・マリア・オルブリッチ設計のセゼッション(分離派会館)にも掲げられています。
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こちらの方が髪の毛の蛇のデザインがグロテスクです。
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リガの方が表情が豊かで心に訴えかけるものがあります。
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入り口や上部の明り取りの窓のデザインは直線的です。20世紀初めの工業製品としての鉄板や鉄筋などの素材が自由に手に入り、加工も安易になったのでしょう。
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翼をもった女性の頭部のデザインはリガでは数多く見る事が出来ましたが、アルフォンス・ミュシャに始まる女性の自由を象徴しているのでしょうか。
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デザインは違いますがルネ・ラリックのカーマスコットの「勝利の女神」を連想させました。
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ファサードの左右にはグリフォンかと思いましたが、頭部が獅子なので違うようです。この像についての由来は分かりませんでした。
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リガのユーゲントシュティール建築については
http://www.jugendstils.riga.lv/eng/turisms
このサイトが英語ですが非常に詳しく説明されていました。これ以外にも1ブロック進んだだけで、エリザベテス通りの10番地の大きな顔が乗ったエイゼンシュタインの建物などがあるのですが、ガイドさんはアルベルタ通りの途中から戻ってしまいました。途中にあったお土産物屋でリガのアールヌーヴォーの本と絵葉書を買い求めて皆の後を追いました。 -
そのまま進んでも公園の横のバスまでの距離はあまり変わらなかったのだと思うのです。ここの見学には個人的にはフラストレーションを感じましたが、他の方にとっては特に重要ではないかもしれないので無理強いは出来ません。後ろ髪を引かれる思いでバスに乗ります。
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バスはライニャ大通りを通ったので「自由記念碑」の脇を通りました。
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「自由記念碑」はラトヴィアのシンボルともいえる存在で、高さは42メートルあり「祖国と自由のために」という文言が刻まれています。ラトヴィア人彫刻家カールリス・ザーレの手による作品で1935年に完成しました。この記念碑の上にはラトヴィアのクルゼメとヴィゼメそしてラトガレ地方を意味する3つの星を掲げる乙女が設置されています。そして十字軍や19世紀の祖国奪還、そして自由への戦いを表した13の彫刻が置かれてあります。第2次世界大戦後にソビエト連邦はこの記念碑を取り壊そうとしましたが、世界的に有名なロシア人彫刻家ヴェーラ・ムヒーナがその行為を戒めて止めました。
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バスはリガ駅の前を1月13日通りから川沿いの11月11日を走ります。先ほど旧市街の観光の後にバスを乗った市役所広場の近くでバスを降りました。現地ガイドさんとはここでお別れです。リガ市街での自由時間は全くなかったのですが、添乗員さんのお気遣いで40分ほどの自由時間がいただけました。
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ツアーのほとんどの方が市庁舎市場の近くの「セナー・クラーツ」という店に入りました。ガイドブックにも載っていましたが観光中に店先を見て入りたいと思っていました。
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店の右奥は博物館のような設えになっていてラトヴィアの地方ごとの伝統衣装が並べられています。
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その全てが美しく素晴らし素材でした。ただもらえた時間が短いのでじっくり見学している暇はありません。
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ラトヴィアはダイナと呼ばれる民謡に象徴される民族文化の豊かな国で、最も大切な年中行事である「夏至祭」、ユネスコ無形遺産に登録されている5年に1度の歌と踊りの祭典などからラトヴィア人は別名「歌の民」とも呼ばれています。
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本当はそんな時期に妻と2人で旅したかったバルト3国でしたが、今回はフェリー旅に目がくらんでツアーに乗っかってしまいました。また夏至祭の頃は仕事も忙しいのでリタイアする数年後にまた来たいと思います。
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中国の貴州省を旅した時に少数民族の苗族やトン族の民族衣装に魅せられてたくさんの刺繍を買い求めたり、実際に着させてもらいましたが、それ以来旅するたびに伝統的な織物などが気になって仕方ありません。
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この店には現代的にアレンジした服もあり、オーストリアやハンガリーで見掛けたものとよく似たデザインのマントがありました。この店の裏の工房で作っている黒いウールのマントは裏地も可愛らしく、Aラインのシンプルなデザインでとても気に入ったので妻にプレゼントしました。
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この店ではリネンのテーブルセンターなども美しくて何枚か購入しました。
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「ラトビア人のミトン」民俗学者マルタ・グラスマネ著の178種のに基づく伝統的な絵柄―ラトビア文様からなる本がこの店から2016年に出版されています。異文化の絵柄との共通点を持ちながら、18世紀からの諸博物館所蔵のオリジナルの再現を写真と図案で全国各地のミトンの製法と着用の百科事典のような本です。日本語版があるのでここで買い求められます。
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素晴らしいものだとは分かりますが1つ7,000円くらいするのでなかなか手が出ません。
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リガで伝統工芸の物を買い求めるのであればこの店はおすすめですね。
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もう買物は満足なので少し旧市街の中を散歩することにしました。一度ホテルに入った後に旧市街へは散歩しようと思っているので行きたい店を探しておきました。
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最近のヨーロッパの各地で見掛ける足漕ぎしながらお酒を飲むバーもありました。移動しながらお酒を飲むのは楽しそうですがすぐに酔ってしまいそうです。
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お土産物屋さんもセンスが良く楽しそうですが買物して梱包してもらっている時間までは無さそうです。
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店先にはKUKU MAJA つまり「猫の家」がありました。鎖の先は…。先ほど見て来た猫の家の屋根のオブジェが描かれています。
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フェルトの室内履きも欲しかったのですがちょっとお高かったです。ロシアでもちょっと高くて手が出ませんでした。
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ジブリの映画に「耳をすませば」というものがありましたが、猫とうさぎの違いはありますが、こんな街並みの中の店で見たらバロンを思い出しました。ちょうどイースターが終わった後の5月の旅でした。
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旧市街の中心をぐるっと回って時間になりました。
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リガの守護神である「聖ローランド像」の前でエレクトリック・チェロの演奏をしている若者がいました。陽が落ちかかった時間帯に美しい音色を聞くのは良いものです。
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市庁舎広場の前からバスに乗ってこの日泊まるホテルへ移動です。幼子イエスを肩に乗せた聖クリストフォロスの像に見送られます。
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今回の旅ではヘルシンキからストックホルムと、ストックホルムからこのリガまでのバルト海クルーズを終えたばかりなので、遊覧船には乗りたい気分にはなりませんでした。
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ソヴィエト時代にダウガヴァ川に架けられたヴァンス橋を渡ります。ラトヴィア人のガイドさんが「ソヴィエト時代に架けられたから落ちそうだ。」と言っていたのを思い出します。ただ橋からの眺めは美しいです。
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ダウガヴァ川の中州に当たるシープサラという島にある「イスランデ」というホテルがこの日の宿です。ラトヴィア語は分かりませんがイスランデはアイランドなのだろうと思います。
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ここでもチェックインは添乗員さんにお任せです。心がどんどん楽な方へ楽な方へと流されていきますが、これに慣れてしまうと個人で海外旅行へは行けません。我々は行きませんでしたがこのホテルの裏側にはショッピングセンターがあるそうです。
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部屋はシンプルなビジネスホテルといった感じでした。
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まあ1泊だけなので特段困ることはありませんでした。テーブルには湯沸かし器があり無料のコーヒーと紅茶が置かれてありましたが、ミネラルウォーターはありません。
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ミニバーは充実していました。持ってきている飲み物を冷やさせていただきました。この後外出して戻った時に冷たいお酒が必要ですから。
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大きなバスタブがあり、お湯も豊富に出たのでゆっくり湯船に浸かりました。
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タオル掛けはここでもヒーターになっていました。
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アメニティはほとんど何もないですが、ドライヤーがあれば十分です。
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ゆっくりする暇もなく1階のロビー横のレストランで夕食です。町中の店だと戻って来るのに時間がかかるのでこれは助かりました。ブッフェスタイルで好きなものを好きなだけ食べられます。サラダ類が豊富なのはありがたいです。
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メインは白身魚の料理でした。多分タラかオヒョウでフリットになっているので外はカリカリ、中はふっくら美味しかったです。
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ローストポークもクリームソースで濃厚なお味でした。
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付け合わせはインゲン豆。
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ポテトも美味しかったです。
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そしてフルッタ・マチェドニアのデザート。
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デザートはキア・シードもありました。これも美味しかったです。
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お昼に続いてリガのローカルビールをいただきます。ヴァルミエラムイジャ(Valmiermuiza)はラトヴィアのヴァルミエラ地方で作られているビールです。町の歴史は中世から始まったのに比べビールの歴史は2009年にスタートしており、まだ浅いのですがラトヴィアで一番のビールと呼ばれています。
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スープはボルシュ。ロシアでボルシチというよりボルシュと言った方が良く通じました。2年前に妻とロシアに行きましたが、それ以来スーパーで生のビーツを見つけると完璧なボルシュを作ってくれます。これはハンガリーに行った後にグヤーシュを作って両親に食べさせてくれたり感謝しています。結婚するなら料理の上手な人だとつくづく感じます。
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オリヴィエサラダも2種類ほどありました。これを食べるとロシアの時代がラトヴィアにもあったのだなと感じます。
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料理はどれも美味しかったのでおかわりまでしてしまいました。
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そしてデザートもいただきました。セルフですがコーヒーも置いてありました。朝食も同じレストランでしたが、多分美味しい食事が出るだろうと感じました。みなさん食後も話が弾んでいましたが、我が家はお出かけするので早々に失礼しました。
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妻にプレゼントしたコートです。丸首なのと留め具が1か所なのと、ボイルド・ウールの生地からセナー・クラーツの工房で作っていると聞いたので自分が気に入りましたし、お値段も260ユーロとお手頃でもありました。ブダペストで買えなかったストレスがこれでなくなりました。裏地はちょっと昔のポール・スミスぽいのも気に入りました。さあ準備をして夜のお出かけです。
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