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京都の旅、最終日の午後は京都駅の近くを廻るのが安心です。<br /><br />出来たら時間ぎりぎりまで有効に使いたいので、京都駅までの移動時間が短い場所を廻ります。<br /><br />バスに乗れば京都駅へ10分ほどの東山七条近辺のお寺と神社を巡ります。<br /><br /><br />

晩夏の京都ひとり旅【17】五日目・旅のラストは京都駅の近くで!妙法院、新日吉神宮、智積院

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2017/09/06 - 2017/09/10

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旅行記グループ 2017年 晩夏の京都 5日間

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三峯霧美

三峯霧美さん

京都の旅、最終日の午後は京都駅の近くを廻るのが安心です。

出来たら時間ぎりぎりまで有効に使いたいので、京都駅までの移動時間が短い場所を廻ります。

バスに乗れば京都駅へ10分ほどの東山七条近辺のお寺と神社を巡ります。


  • 13:28 東福寺周辺のお寺巡りを終えて、市営バスで東山七条で下車。<br /><br />京都駅から清水寺方面に行くバスは、常に混雑していますが、九条方面からのバスは空いていて、地元の方ばかり。<br /><br />バス停の向かい側にある妙法院に行きましょう。

    13:28 東福寺周辺のお寺巡りを終えて、市営バスで東山七条で下車。

    京都駅から清水寺方面に行くバスは、常に混雑していますが、九条方面からのバスは空いていて、地元の方ばかり。

    バス停の向かい側にある妙法院に行きましょう。

  • 13:33 妙法院<br />南叡山妙法院<br />ご本尊は普賢菩薩<br />一般通年拝観ができるのは一部のお堂だけです。<br /><br />山門(仁王門)から入ります。<br /><br />妙法院は比叡山西塔が起源で、平安時代末期の後白河法皇の時代に洛中に移転しました。<br />妙法院は15代門主が後白河法皇で、その後、歴代門主が法親王となる門跡寺院となりました。

    13:33 妙法院
    南叡山妙法院
    ご本尊は普賢菩薩
    一般通年拝観ができるのは一部のお堂だけです。

    山門(仁王門)から入ります。

    妙法院は比叡山西塔が起源で、平安時代末期の後白河法皇の時代に洛中に移転しました。
    妙法院は15代門主が後白河法皇で、その後、歴代門主が法親王となる門跡寺院となりました。

    妙法院 寺・神社・教会

  • 門を入ると正面が庫裏、国宝です。<br />桃山時代の建立。<br />妙法院は比叡山から移転した場所が祇園あたりで、この地に移転した時期は不明なんだそうです。<br />

    門を入ると正面が庫裏、国宝です。
    桃山時代の建立。
    妙法院は比叡山から移転した場所が祇園あたりで、この地に移転した時期は不明なんだそうです。

  • 庫裏の内部を覗いてみる。<br />広い!天井も高いし、大きな空間です。<br /><br />1595年、秀吉が先祖供養のために近くに大仏を作り、仏教の八宗派のお坊さんを一同に集めて、千僧供養を行いました。その時の食事の準備をした台所がここ。<br />という事は桃山時代には現在時に移転していたんですね。<br />

    庫裏の内部を覗いてみる。
    広い!天井も高いし、大きな空間です。

    1595年、秀吉が先祖供養のために近くに大仏を作り、仏教の八宗派のお坊さんを一同に集めて、千僧供養を行いました。その時の食事の準備をした台所がここ。
    という事は桃山時代には現在時に移転していたんですね。

  • 大玄関 内部には見事な障壁画があるそうです。<br /><br />毎年5月14日に無料の一般公開が行われます。<br />春と秋に特別公開があり、2017年の冬も特別公開していましたが、時間が無くて、来れなかったのです。<br />

    大玄関 内部には見事な障壁画があるそうです。

    毎年5月14日に無料の一般公開が行われます。
    春と秋に特別公開があり、2017年の冬も特別公開していましたが、時間が無くて、来れなかったのです。

  • 宸殿 この内部も見どころ満載と聞きます。<br />1863年の政変で失脚した公家が京都を追放される七卿落ちの舞台で、7人は妙法院に集められて、長州に落ち延びます。

    宸殿 この内部も見どころ満載と聞きます。
    1863年の政変で失脚した公家が京都を追放される七卿落ちの舞台で、7人は妙法院に集められて、長州に落ち延びます。

  • 本堂 普賢堂 外からお参りすることができます。<br />お参りできるのはここまで。<br />

    本堂 普賢堂 外からお参りすることができます。
    お参りできるのはここまで。

  • 内部は特別公開時に入れるようです。<br />お寺の中には、見どころ満載。<br />境内のお庭の数々、天台最古の不動明王像、書院の障壁画、ポルトガル国印度福王信書など、など・・・。<br />これは一度、特別公開時に来なくちゃならないか?

    内部は特別公開時に入れるようです。
    お寺の中には、見どころ満載。
    境内のお庭の数々、天台最古の不動明王像、書院の障壁画、ポルトガル国印度福王信書など、など・・・。
    これは一度、特別公開時に来なくちゃならないか?

  • 現代の建物の事務所で御朱印を頂きました。<br />若いお坊さんが受け付けてくれましたが、彼が書いたのかな。<br />「本尊普賢尊」<br />

    現代の建物の事務所で御朱印を頂きました。
    若いお坊さんが受け付けてくれましたが、彼が書いたのかな。
    「本尊普賢尊」

  • 妙法院の角を曲がって東山方面に歩いて行きます。<br />正面に見えているのが新日吉神宮(いまひえじんぐう)の鳥居。<br /><br />その奥の山の上に秀吉のお墓「豊国廟」があるので、この道は参道になっています。実は最近まで秀吉のお墓がどこにあるのか知りませんでした。<br /><br />南側はレストランが並び、北側にはフォーシーズンズホテルと女子校。<br />

    妙法院の角を曲がって東山方面に歩いて行きます。
    正面に見えているのが新日吉神宮(いまひえじんぐう)の鳥居。

    その奥の山の上に秀吉のお墓「豊国廟」があるので、この道は参道になっています。実は最近まで秀吉のお墓がどこにあるのか知りませんでした。

    南側はレストランが並び、北側にはフォーシーズンズホテルと女子校。

  • なだらかに見えて、結構な斜度の坂。道路の真ん中にどーーんと鳥居。<br />13:51 新日吉神宮 いまひえじんぐう<br />祭神 日吉山王七神、後白河天皇<br /><br />

    なだらかに見えて、結構な斜度の坂。道路の真ん中にどーーんと鳥居。
    13:51 新日吉神宮 いまひえじんぐう
    祭神 日吉山王七神、後白河天皇

  • 1160年、後白河上皇によって、法住寺殿の鎮守社として近江の日吉神社を勧請し、新日吉社を創建します。初代別当は妙法院の僧でした。<br /><br />参道を直進すると立派な楼門。

    1160年、後白河上皇によって、法住寺殿の鎮守社として近江の日吉神社を勧請し、新日吉社を創建します。初代別当は妙法院の僧でした。

    参道を直進すると立派な楼門。

    新日吉神宮 寺・神社・教会

  • 応仁の乱で衰退しますが、秀吉を神格化して創建された豊国神社の傍らに祀られます。<br /><br />拝殿 京都の神社らしい配置。<br />日曜ですが、参拝者は数人だけ。

    応仁の乱で衰退しますが、秀吉を神格化して創建された豊国神社の傍らに祀られます。

    拝殿 京都の神社らしい配置。
    日曜ですが、参拝者は数人だけ。

  • 本殿<br /><br />豊国神社も豊臣氏の滅亡で廃絶し、江戸時代(1640年)に妙法院の尭然法親王によって、現在地の北側に再興。<br />明治30年に豊国廟が復興して、現在地に移転したそうです。

    本殿

    豊国神社も豊臣氏の滅亡で廃絶し、江戸時代(1640年)に妙法院の尭然法親王によって、現在地の北側に再興。
    明治30年に豊国廟が復興して、現在地に移転したそうです。

  • 眷属はお猿さん。<br />近くに秀吉が大仏を造ったこと、豊国廟があること、豊国神社があったこと、日吉は秀吉の幼名で、猿と呼ばれていたことなど、秀吉との関連が大きい神社です。<br /><br /><br />

    眷属はお猿さん。
    近くに秀吉が大仏を造ったこと、豊国廟があること、豊国神社があったこと、日吉は秀吉の幼名で、猿と呼ばれていたことなど、秀吉との関連が大きい神社です。


  • 鳥居をくぐった左側に 末社の山口稲荷神社

    鳥居をくぐった左側に 末社の山口稲荷神社

  • 左側に末社・豊国神社(樹下社 このもとのやしろ)秀吉の御霊を祀ります。<br />廃絶した豊国神社の御神体は秘かに妙法院に保管されていて、1640年に勧請された樹下社に祀られました。<br /><br />右側は末社・愛宕神社と秋葉神社<br />創建時に後白河上皇により創建

    左側に末社・豊国神社(樹下社 このもとのやしろ)秀吉の御霊を祀ります。
    廃絶した豊国神社の御神体は秘かに妙法院に保管されていて、1640年に勧請された樹下社に祀られました。

    右側は末社・愛宕神社と秋葉神社
    創建時に後白河上皇により創建

  • 末社 梅天満宮<br />後白河上皇によって創建されました。<br />菅原道真公の御霊と飛び梅の霊を祀っています。<br /><br />

    末社 梅天満宮
    後白河上皇によって創建されました。
    菅原道真公の御霊と飛び梅の霊を祀っています。

  • 社務所で御朱印を頂きます。<br />末社も含めて5社分の御朱印、迷っていたら、全部一枚に納まった見開きの御朱印があると勧めていただきました。

    社務所で御朱印を頂きます。
    末社も含めて5社分の御朱印、迷っていたら、全部一枚に納まった見開きの御朱印があると勧めていただきました。

  • これが全部乗せ(ラーメンか!)の御朱印。<br /><br />参道を戻って智積院に向かいます。

    これが全部乗せ(ラーメンか!)の御朱印。

    参道を戻って智積院に向かいます。

  • 14:11 智積院の北門、豊国廟参道に面していて、ショートカットでここから境内へ。<br /><br />智積院<br />五百佛山 根来寺 智積院<br />ご本尊は 金剛界大日如来<br />

    14:11 智積院の北門、豊国廟参道に面していて、ショートカットでここから境内へ。

    智積院
    五百佛山 根来寺 智積院
    ご本尊は 金剛界大日如来

    智積院 寺・神社・教会

  • 東山七条の交差点に面した総門、進入禁止になっていますが、講堂の玄関に続く正参道です。<br /><br />智積院は紀州の根来寺の塔頭でした。<br />智積院の住職は秀吉の根来寺焼き討ちの前に弟子を引き連れて高野山に逃れます。<br />しかし、その後、智積院は再興できずにいました。

    東山七条の交差点に面した総門、進入禁止になっていますが、講堂の玄関に続く正参道です。

    智積院は紀州の根来寺の塔頭でした。
    智積院の住職は秀吉の根来寺焼き討ちの前に弟子を引き連れて高野山に逃れます。
    しかし、その後、智積院は再興できずにいました。

  • 講堂の大玄関。智積院の堂宇のほとんどは無料で参拝できます。<br /><br />関ケ原の戦いの後、家康により豊国神社の付属寺院の土地を与えられ復興。<br />豊臣氏が滅亡後、隣地にあった秀吉の長男鶴松の供養のために建てた禅寺「祥雲寺」の土地も与えられ、現在に至ります。

    講堂の大玄関。智積院の堂宇のほとんどは無料で参拝できます。

    関ケ原の戦いの後、家康により豊国神社の付属寺院の土地を与えられ復興。
    豊臣氏が滅亡後、隣地にあった秀吉の長男鶴松の供養のために建てた禅寺「祥雲寺」の土地も与えられ、現在に至ります。

  • 正面入り口に御朱印の授与所があり、御朱印帳を預けました。<br />まずは金堂をお参りに。<br /><br />お掃除をされてる方が、数人いて、元気よく挨拶してくださいました。

    正面入り口に御朱印の授与所があり、御朱印帳を預けました。
    まずは金堂をお参りに。

    お掃除をされてる方が、数人いて、元気よく挨拶してくださいました。

  • 実は、旅から戻って気づいたのですが、太子堂と密厳堂を参拝せずに帰って来てしまいました。<br />ちゃんと下調べしたはずなのに、失念しました。あ~あ。旅も五日目となると、疲れていたのかもしれな。<br />

    実は、旅から戻って気づいたのですが、太子堂と密厳堂を参拝せずに帰って来てしまいました。
    ちゃんと下調べしたはずなのに、失念しました。あ~あ。旅も五日目となると、疲れていたのかもしれな。

  • 大きな金堂<br />1975年(昭和50年)に建立されたものでご本尊の大日如来像が安置されています。<br />鉄筋コンクリート造り。<br />1705年に建立された金堂は、1882年(明治15年)に火災により焼失したそうです。<br />

    大きな金堂
    1975年(昭和50年)に建立されたものでご本尊の大日如来像が安置されています。
    鉄筋コンクリート造り。
    1705年に建立された金堂は、1882年(明治15年)に火災により焼失したそうです。

  • 大きな扁額、中に入ってお参りしました。<br />何度も火災に合ったお寺です、鉄筋コンクリート造りは安心です。<br />

    大きな扁額、中に入ってお参りしました。
    何度も火災に合ったお寺です、鉄筋コンクリート造りは安心です。

  • 真言宗智山派の大本山、千葉の成田山、川崎大師、高尾山の薬王院、高幡不動をはじめ全国に3千のお寺があって、檀信徒は30万人!<br />

    真言宗智山派の大本山、千葉の成田山、川崎大師、高尾山の薬王院、高幡不動をはじめ全国に3千のお寺があって、檀信徒は30万人!

  • 明王殿<br />元は京都四条の大雲院の本堂でした。<br />どうも、近年も火災が頻発したようで、明治に本堂が焼失した後、借本堂だった方丈も昭和22年に焼失。<br />方丈は現在の講堂の場所で、そこに大雲院の本堂を移築して、借本堂としたようです。<br />平成に入って講堂を再建したので、この場所に移築されました。

    明王殿
    元は京都四条の大雲院の本堂でした。
    どうも、近年も火災が頻発したようで、明治に本堂が焼失した後、借本堂だった方丈も昭和22年に焼失。
    方丈は現在の講堂の場所で、そこに大雲院の本堂を移築して、借本堂としたようです。
    平成に入って講堂を再建したので、この場所に移築されました。

  • ご本尊は不動明王 不動堂ともよばれます。<br />中に入ってお参りしました。<br />

    ご本尊は不動明王 不動堂ともよばれます。
    中に入ってお参りしました。

  • 智積院で、絶対外せないのは収蔵庫。<br />有料拝観ですが、その価値は十分にあります。<br /><br />書院に飾られいた長谷川等伯・久蔵親子の作の障壁画。<br />火災の際に運び出され、一部不自然な継ぎ目があったりします。<br /><br />収蔵庫全体が障壁画保管に適した状態に保たれているようで、ガラス越しではなく、直接間近で障壁画を見ることができます。<br />拝観者も少なく、ゆったりと時間をかけて見ることができました。

    智積院で、絶対外せないのは収蔵庫。
    有料拝観ですが、その価値は十分にあります。

    書院に飾られいた長谷川等伯・久蔵親子の作の障壁画。
    火災の際に運び出され、一部不自然な継ぎ目があったりします。

    収蔵庫全体が障壁画保管に適した状態に保たれているようで、ガラス越しではなく、直接間近で障壁画を見ることができます。
    拝観者も少なく、ゆったりと時間をかけて見ることができました。

  • 収蔵庫の奥に、講堂と書院と庭園があります。<br /><br />門を入った正面が講堂。<br />かつてここには秀吉が鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲寺の法堂がありましたが、1682年に焼失。<br />1684年に再建されましたが、昭和22年(1947年)の火災で焼失。<br />宸殿も焼けて国宝だった障壁画が焼失。

    収蔵庫の奥に、講堂と書院と庭園があります。

    門を入った正面が講堂。
    かつてここには秀吉が鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲寺の法堂がありましたが、1682年に焼失。
    1684年に再建されましたが、昭和22年(1947年)の火災で焼失。
    宸殿も焼けて国宝だった障壁画が焼失。

  • 度重なる火災にあえば、昭和の時代に再建された金堂が鉄筋コンクリート造りになるのは納得です。<br /><br />平成(1995年)に入って作られた講堂は木造。木造でも防火のシステムが構築されたという事なのでしょう。<br /><br />新しい講堂には田渕俊夫氏の「四季墨絵」60面が納められています。

    度重なる火災にあえば、昭和の時代に再建された金堂が鉄筋コンクリート造りになるのは納得です。

    平成(1995年)に入って作られた講堂は木造。木造でも防火のシステムが構築されたという事なのでしょう。

    新しい講堂には田渕俊夫氏の「四季墨絵」60面が納められています。

  • 講堂を廻って行くと、茶室の先に書院とお庭が見えてきます。

    講堂を廻って行くと、茶室の先に書院とお庭が見えてきます。

  • かつて祥雲寺の庭で、利休好みの庭と伝えられます。<br />智積院になってから、修復されて、築山・泉水庭の先駆となったお庭です。

    かつて祥雲寺の庭で、利休好みの庭と伝えられます。
    智積院になってから、修復されて、築山・泉水庭の先駆となったお庭です。

  • 山は「廬山」池は「長江」を表し、書院は平安時代のように池の上に縁側がはりだしています。<br />ツツジが咲く時期は華やかなんだそうで、綺麗でしょうね。

    山は「廬山」池は「長江」を表し、書院は平安時代のように池の上に縁側がはりだしています。
    ツツジが咲く時期は華やかなんだそうで、綺麗でしょうね。

  • 長谷川等伯親子の国宝障壁画はこの書院に入っていたものです。<br />レプリカが入って雰囲気を味わえます。<br /><br />桜図は長谷川等伯の息子久蔵が25歳の時のもので、久蔵は将来を嘱望されていましたが、翌年に早世してしまいます。<br /><br />金色が庭の光を反射して、書院の中を明るく照らします。<br />収蔵庫では本物の桜の花びらに一枚一枚に絵の具が盛り上がっているのまで、見ることができます。<br /><br />

    長谷川等伯親子の国宝障壁画はこの書院に入っていたものです。
    レプリカが入って雰囲気を味わえます。

    桜図は長谷川等伯の息子久蔵が25歳の時のもので、久蔵は将来を嘱望されていましたが、翌年に早世してしまいます。

    金色が庭の光を反射して、書院の中を明るく照らします。
    収蔵庫では本物の桜の花びらに一枚一枚に絵の具が盛り上がっているのまで、見ることができます。

  • 秀吉の嫡男、鶴松は2歳3月で夭折してしまい、菩提を弔うため祥雲寺が建立されました。<br />楓図は父、等伯の筆。<br /><br />どちらも本来の絵は高さも幅もあったそうです。<br />火災の際に手の届く範囲で切り取って避難させたため小さくなってしまいました。<br />素晴らしい絵が現在に残っているのは、避難させてくれたお坊さんがいたからですね。<br /><br />

    秀吉の嫡男、鶴松は2歳3月で夭折してしまい、菩提を弔うため祥雲寺が建立されました。
    楓図は父、等伯の筆。

    どちらも本来の絵は高さも幅もあったそうです。
    火災の際に手の届く範囲で切り取って避難させたため小さくなってしまいました。
    素晴らしい絵が現在に残っているのは、避難させてくれたお坊さんがいたからですね。

  • 松は秀吉が好んだというモチーフ。<br />左側には松の下に立葵が描かれ、松(秀吉)が葵(家康)を抑えていると解釈されたとも・・・。<br /><br />鶴松の後に生まれた秀頼が大阪で亡くなり、豊臣家が滅び、秀吉と対立していた智積院が祥雲寺を引き継ぐことになります。<br /><br />葵は松を凌駕したということか。<br />

    松は秀吉が好んだというモチーフ。
    左側には松の下に立葵が描かれ、松(秀吉)が葵(家康)を抑えていると解釈されたとも・・・。

    鶴松の後に生まれた秀頼が大阪で亡くなり、豊臣家が滅び、秀吉と対立していた智積院が祥雲寺を引き継ぐことになります。

    葵は松を凌駕したということか。

  • 先ほどまでお庭を見ていた方々はお帰りになった様子。<br />時刻は3時、そろそろ京都駅に戻る支度に入らなければ。<br />書院を後に平成に入って造られたお部屋を見て回ります。<br />

    先ほどまでお庭を見ていた方々はお帰りになった様子。
    時刻は3時、そろそろ京都駅に戻る支度に入らなければ。
    書院を後に平成に入って造られたお部屋を見て回ります。

  • 火災を逃れたものでしょうか、大正時代の月樵道人の作品。<br />布袋唐子嬉戯の図<br />布袋さんが子供たちと遊ぶ、なんとも楽しい障壁画。

    火災を逃れたものでしょうか、大正時代の月樵道人の作品。
    布袋唐子嬉戯の図
    布袋さんが子供たちと遊ぶ、なんとも楽しい障壁画。

  • 集会の間には、後藤順一氏の「浄」 <br />蓮と鴨、夏を表すようで、蓮は本物以上の美しさ、鴨はふすまの外に飛び去っていきそうです。

    集会の間には、後藤順一氏の「浄」 
    蓮と鴨、夏を表すようで、蓮は本物以上の美しさ、鴨はふすまの外に飛び去っていきそうです。

  • こちらは先ほどの蓮の隣、枝垂桜とリス。<br />リスもぴょんぴょんと、次の桜の根元に走り去りそうです。<br /><br />後藤順一氏は1948年京都生まれの日本画家。

    こちらは先ほどの蓮の隣、枝垂桜とリス。
    リスもぴょんぴょんと、次の桜の根元に走り去りそうです。

    後藤順一氏は1948年京都生まれの日本画家。

  • こちらは秋、桔梗とすすきに群なす雀たち。「百雀図」<br />何かに驚いたのか、バサバサと一団になり、鳴きながら飛び去って行く雀たち。<br /><br />完璧な目の保養。ありがとうございました。<br />

    こちらは秋、桔梗とすすきに群なす雀たち。「百雀図」
    何かに驚いたのか、バサバサと一団になり、鳴きながら飛び去って行く雀たち。

    完璧な目の保養。ありがとうございました。

  • 講堂の廊下はチリひとつなく、お掃除が行き届いています。<br /><br />帰りの新幹線の予約時に勘違いして四泊五日の長旅になった今回の京都旅。<br />それも残すものはなく、ほぼ全て予定通りに廻ることができました。あとは御朱印を頂いて京都駅に戻るだけ。

    講堂の廊下はチリひとつなく、お掃除が行き届いています。

    帰りの新幹線の予約時に勘違いして四泊五日の長旅になった今回の京都旅。
    それも残すものはなく、ほぼ全て予定通りに廻ることができました。あとは御朱印を頂いて京都駅に戻るだけ。

  • 案内所へ戻って、御朱印を頂きました。<br />ご本尊、大日如来。<br />左側は、ちょい訳ありで。近畿三十六不動20番の書置き御朱印を頂いたもの。<br /><br /><br />

    案内所へ戻って、御朱印を頂きました。
    ご本尊、大日如来。
    左側は、ちょい訳ありで。近畿三十六不動20番の書置き御朱印を頂いたもの。


  • こちらは不動明王の御朱印<br /><br /><br />

    こちらは不動明王の御朱印


  • 智積院オリジナルの御朱印帳。<br />デザイン的にはもうひとひねり欲しい所ですが、国宝の障壁画をシンプルに張ったのもいいかもね。<br />購入するつもりはありませんでしたが、本物の迫力と素晴らしさに感動して、記念に頂くことにしました。<br />

    智積院オリジナルの御朱印帳。
    デザイン的にはもうひとひねり欲しい所ですが、国宝の障壁画をシンプルに張ったのもいいかもね。
    購入するつもりはありませんでしたが、本物の迫力と素晴らしさに感動して、記念に頂くことにしました。

  • 15:35 智積院を前の交差点を渡り、三十三間堂の前で市営バスに乗ります。<br />ここ、東山方面からのバスがたくさん通ります。2台満員で見送ったら、次に来たのは空いてました。<br /><br />4時前に京都駅に着いて、夕食用のお弁当と、友人へのお土産の追加を買い、荷物を取り出して、4時半過ぎののぞみで帰路につきました。<br /><br />今回の旅は、貴船、鞍馬、比叡山、妙心寺、苔寺、善峯寺、東福寺と市内を縦横無尽に廻り、とても充実した五日間でした。<br /><br />西国の札所の京都市内は完了したけれど、洛陽の札所巡りはまだ半分、西国に至っては、1番と京都市内以外はどこも行ってない。<br />いずれも、結願をコミットしていない自分を毎回知るのでした。

    15:35 智積院を前の交差点を渡り、三十三間堂の前で市営バスに乗ります。
    ここ、東山方面からのバスがたくさん通ります。2台満員で見送ったら、次に来たのは空いてました。

    4時前に京都駅に着いて、夕食用のお弁当と、友人へのお土産の追加を買い、荷物を取り出して、4時半過ぎののぞみで帰路につきました。

    今回の旅は、貴船、鞍馬、比叡山、妙心寺、苔寺、善峯寺、東福寺と市内を縦横無尽に廻り、とても充実した五日間でした。

    西国の札所の京都市内は完了したけれど、洛陽の札所巡りはまだ半分、西国に至っては、1番と京都市内以外はどこも行ってない。
    いずれも、結願をコミットしていない自分を毎回知るのでした。

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