2017/09/06 - 2017/09/10
5030位(同エリア6663件中)
三峯霧美さん
東福寺は秋の紅葉がとても有名です。
紅葉の時期は大混雑で、有名な名所の橋の上は通り抜けだけで撮影も禁止と聞きました。
今回は人の少ない時期で、拝観者もまばら。青もみじがとても綺麗でした。
通常公開の塔頭をお参りしましたが、一部の塔頭は紅葉の季節だけの公開なので、やっぱり紅葉の時期に再訪しなけりゃならないかも。
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9:30 御朱印を頂いた東福寺塔頭の正覚庵を出ると、東福寺の六波羅門と勅使門が目の前です。
慧日山 東福禅寺
臨済宗東福寺派大本山
東福寺の境内に入ります。 -
六波羅門を入ってすぐ左手に東司「とうす」と読むそうで、ストレートに言うと便所。
便所って、あまりに直球な言い方なので、使わないな。
日本最大最古の禅宗式のトイレで一度にたくさんの人が使えるように大きいんだそうです。それだけ沢山の人がお寺にいたってことなんでしょうね。
臭い、大丈夫だったのか?・・・考えないようにしよう。 -
勅使門の前を通って思蓮池の正面に向かいます。
主要な堂宇の本堂・三門は一直線上に並んでいますが、勅使門は横を向いて建っています。 -
思蓮池越しの三門
ここには東福寺建立前の924年に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺「法性寺」の大伽藍がありました。
1236年に九条道家が大きな釈迦像をまつる大寺院を建立することを考え、奈良の東大寺と興福寺のから一文字ずつ取って東福寺とし、1255年に完成します。
しかし、1319年の火災で焼失し再興され、その後もたびたび火災が起こり、明治に入って、仏殿、法堂、方丈、庫裏は焼失してしまいました。東福寺 寺・神社・教会
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この三門は1425年足利義持が再建したもので、明治の火災の被害は免れています。
現存する禅寺の三門で、最古のもの。上層に釈迦如来と十六羅漢が安置されています。
門をぐるりと回りこんで奥に向かいます。 -
門の右手には浴室があります。
1459年に建てられたもので、東司同様、たくさんの僧が入浴するので蒸気浴のサウナ式。
お湯を沸かす薪を節約するために蒸気浴なんだそうです。
蒸気で垢を浮かせてぬぐい取るという、入浴法。
現代の入浴とは、かなり違いますね。
臭い大丈夫だったのか?・・・考えないようにしよう。 -
五社成就宮 東福寺の鎮守社
石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉の五社を祀っています。 -
法性寺の総社だったお社を、そのまま引き続き祀っています。
創建当時の祭礼は総社祭といい、祇園会(祇園祭)に匹敵するほどの賑やかさだったそうです。 -
お宮の奥にひっそりと鐘楼がありました。
大鐘楼、柵がめぐらされてます。
建物は1672年の建立で、鐘が鋳造されたのは昭和29年。もしや戦争時に供出させられたか・・・。 -
本堂(仏殿)を正面から。
本尊 釈迦三尊
中に入って拝観はできません。
明治の火災で仏殿と法堂が焼け、大正に入って再建工事がなされ、昭和9年(1934年)に完成したのが仏殿兼法堂の本堂です。
昭和期の木造建築では最大級の大きさ。
お参りした後、入り口から中を覗き込んで、天井の竜の絵を見ました。
堂本印象の蒼龍。大筆を使って17日間で描いたそうです。
あちこちで龍の天井画を見ていますが、この竜が一番好き!
この竜をデザインした御朱印帳は絶対手に入れたい。 -
東福寺方丈に入る前に、東側にある最勝金剛院に行きましょう。
なんか、暑くなってきました。
前日、前々日に比べると、薄雲がかかって、強い日差しではありませんが、やっぱりまだ暑い。
木のトンネルになっている参道を進みます。 -
門が見えてきました。
最勝金剛院は東福寺の特別由緒寺院という位置付け。
平安時代、まだ法性寺が広大な境内を持っていたころ、1148年に藤原宗子(藤原忠通の室)によって建立されました。
宗子が亡くなると、山中に廟を作り、仏事が行われました。お寺は九条家に引き継がれます。
九条兼実は平家の滅亡後、摂政となりますが、政変によって失脚し出家。
晩年はこの辺りの月輪殿という山荘でくらし、墓は近くに造営されたと伝わりますが、その後の乱世で場所が判らなくなっていました。 -
参道は上り坂になり、石と瓦のようなものをが敷き詰めてあります。
鎌倉時代はかなり大きなお寺だったようですが、1250年に東福寺の塔頭になり、室町時代には衰退してしまいます。 -
9:47 参道の奥は両側がお墓になり、その突き当りに赤い八角堂。
九条兼実を祀ります。
明治時代に九条家の九条通孝(昭和天皇の祖父にあたります)が兼実の墓所を探しに京都を訪れ、調査を行い廟跡を発見したのがここ。
奥には九条家の歴代の方のお墓があります。 -
現在の最勝金剛院派1971年に再興されたものです。
お寺は通常非公開。
本堂の脇にガラス引き戸のカウンターがありました。声をかけて御朱印をお願いしました。 -
御朱印を頂きました。
書置きに、日付を入れてくださいます。
月輪殿下 九条兼實公
兼実の廟跡はかなり怪しいらしく、ずっと昔の古墳じゃないかという説があるそうで。 -
参道を戻って、庫裏にむかいます。
本坊の庭園の拝観は庫裏が受付です。 -
9:54 庫裏。
明治の火災の後、再建されたものです。
受け付けを済ませて、竜の御朱印帳をいただき、2冊の御朱印帳を預けて拝観です。 -
廊下を進むと方丈と南庭が見えてきます。
方丈も1890年に再建されたもので、庭園は1939年に重森三玲によって作庭されました。三玲初期の作品で「八相の庭」
南庭は蓬莱神仙思想のお庭。 -
作庭するにあたり唯一の条件が、本坊にあった材料を廃棄することなく、すべて再利用することだったそうです。
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手前の石組で三神仙島を表します。
横たわる長い石は6m、古い庭園ではこういう石の使い方はしないそうです。 -
奥にある築山は京都五山を表現し、石を使わない苔山で構成されています。
苔と白砂は斜め線で一直線に区切られています。
直線と曲線を組み合わせる斬新なデザイン。 -
西庭 「井田の庭」
大きな市松模様がサツキの苅込で表現されています。
よく見ると、サツキの縁には敷石の縁石だった石が井型に埋め込まれています。
この石は作庭の条件だった再利用縛りのためで、自然な景色を表現する庭には、角形の石は使いようがありません。
この角形の縁石から市松模様デザインに発展していったそうです。 -
作庭された当初はサツキが高さ3センチで、上から見ると、まさに井型の市松模様だったそうです。
ここでも、苔と白砂の境は曲線、市松は直線の組み合わせ。 -
西庭と北庭の間には通天台というテラスが渓谷に張り出しています。
通天橋は昭和36年の伊勢湾台風で倒壊し、橋脚をコンクリートで補強した頑丈な橋になりました。
この通天台は倒壊した古い橋の一部を使っているそうです。
贅沢な景色が広がっています。 -
通天台から通天橋が見えます。周囲はほとんどがもみじ、これは秋の紅葉時は絶景でしょう。
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北庭 「小市松の庭園」
作庭前に勅使門から方丈に向けて敷き詰められていた切石を再利用して小市松模様に仕立ててあります。
西庭からの大市松から続く手前は規則的な市松模様ですが段々と、崩れ、最後はポツポツと配され石は消えていきます・・・と思いきや、東側の端に一部復活してるんですよ。 -
今は苔の中に石がポツポツと消えて行ってますが、作庭当初は白砂の中に消えていくデザインでした。確かに東側には白砂の名残りがあります。
苔と白砂の仕切りは州浜状の曲線だったそうで、ここでも市松模様の直線との対比で、三玲らしさ。
しかし、この印象的な市松模様が、作庭の条件の「一つも廃棄せずに再利用する」に由来していたとは、知りませんでした。 -
東庭
北斗七星を円柱と苔と背後に生垣で表現しています。
円柱は「東司」で使われていた礎石で解体修理の際に余材として出て来たものだそうです。
日本庭園史上初めて星座を表現したものだそうです。 -
念願だった蒼龍デザインの御朱印帳を頂きました!もちろん最初の頁は東福寺の御朱印で。
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こちらが東福寺の御朱印
「大佛寶殿」
ご本尊のある本堂の御朱印です。 -
10:21 通天橋を通って、常楽庵に向かいます。
まずは通天橋の受付へ。
方丈と開山堂の間には洗玉澗という名の峡谷があります。谷を渡る屋根付きの橋が通天橋です。 -
受付で拝観料を払います。
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紅葉の季節、この橋に上での撮影は禁止になりました。
撮影が危険なほどの人が通るんだそうですよ。
周囲はもみじ、真っ赤に染まった峡谷は絶景でしょうね。見てみたい気もあるのだけど、混雑や行列は苦手です。
高校から独身時代の十数年の満員電車の通勤で、一生分の行列や混雑は経験済み。勘弁してほしい。 -
まあ、青もみじも綺麗ですよ。うん、良かったね。
青もみじの先に臥雲橋が見えてます。 -
橋は渓谷を渡ると直角に二度曲がり、渡り廊下風の石段になり、常楽庵へ。
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10:28 石段を登り切ると門があり、その先が常楽庵。
正面の開山堂が目に飛び込んできます。 -
開山堂・昭堂 東福寺開山の円爾(聖一国師)を祀っています。
1826年に再建されました。
参道を左右は趣の違う庭があります。 -
昭堂の中央部分は2階建ての楼閣で「伝衣閣(でんねかく)」といい、京の五閣の一つです。
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客殿の普門院 東福寺が完成するのに19年かかり、その間、円爾はここに住んでおり、普門院と言いました。
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普門院の方丈前庭園は枯山水の市松模様。
ちょっとくたびれたので、方丈の縁側に座って休憩していたら、なんだか人が増えて来ちゃった。 -
参道の右側の庭園は池と築山につつじの刈り込みの池泉鑑賞式庭園。
二つの異なる庭園ですが、普門院側から見ると、違和感がありません。 -
10:38 旅の最終日のこの日も予定が詰まっているので、そろそろ戻ります。
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通天橋を渡って。
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子供みたいに橋から下を覗いてみる。
小さい川が流れてるね。 -
もみじの庭園に降りて行ってみましょう。
とても手入れの行き届いたお庭です。 -
石段を下りたところから通天橋の中央テラス部分を見上げて。
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この辺りの地形は、湿気が多いのか、苔がとても綺麗です。
ん~、前日の苔寺より、ここの苔は元気に見えたりする。苔の種類が違うのかな?
ゆっくり歩いて受付に戻ります。 -
東福寺の境内にはもう一つ「偃月橋」という橋が架かっていて、その先には龍吟庵と即宗院があります。
残念ながら通常は非公開。公開されるのは秋の紅葉の時期だけです。
禅堂の脇を進み、日下門から境外へ出ます。 -
10:54 芬陀院 ふんだいん
日下門の道を少し下ると塔頭の芬陀院があります。
こちらは通年拝観が可能です。 -
雪舟作と伝わる鶴亀の庭があるので「雪舟寺」とも。
1321年頃創建
開基 一条経通
ご本尊は阿弥陀如来
一条家の菩提寺です。 -
受付に行くと小さな女の子がいて、その子が奥に向かって声をかけると、おばあ様らしき方が出てこられました。
お抹茶付きの拝観をお願いして、書院へ。
1755年に火災で焼失した後、桃園天皇の皇后、恭礼門院の御所の一棟を下賜され、移築し、明治に入って改築したとのこと。
開かれた障子に座布団が敷かれています。
数組の方が静かにお庭を眺めていました。 -
素敵な手水がお出迎え。
隅々まで手が加えられた心遣いが素晴らしい。 -
鶴亀の庭
1460年頃 雪舟が作庭したという枯山水庭園
時の関白、一条兼良が、寺に身を寄せていた雪舟に、亀の絵を描くように求めましたが、雪舟は気が進まず、庭の石を動かして、石組で亀を描きました。
その夜、庭で物音がするので和尚がのぞくと、石組の亀が手足を動かして這っていました。
驚いた和尚に頼まれて、雪舟が亀の甲に大きな石を突き立てると、動かなくなりました。 -
それが、この右側の亀島 石、刺さってるね。
左側が鶴島
一時、荒廃していた庭は昭和に入り(1939年)重森三玲によって復元されました。 -
方丈を回り込んで東側へ。
重森三玲が作庭した庭で、こちらも石組で鶴島(奥)と亀島(手前)が表現されています。
奥に茶室「図南亭」(となんてい)
一条昭良(法名恵観)が造った茶室ですが、その後、火災により焼失してしまいます。 -
1969年に恵観の三百年忌に復元され「恵観堂」と称します。
茶室の丸窓から西側のお庭が見える、素敵な造り。 -
茶室西側は、恵観が愛した勾玉の手水鉢と屑屋型の石灯籠が当時のまま配置されています。
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そのお庭が見えるところに、茶室がありました。
一通り拝観して、方丈に戻ると、丁度お抹茶の用意が整った様子。 -
こちらでいいですか?と、おばあ様。南側のお庭に面したところにお茶を運んでくださいました。
受付にいた女の子も一緒に来て「どうぞごゆっくりお召し上がりください」と、とても暖かい接待を受けました。
ありがとう、なんだか心がほっこりします。 -
お菓子は 亀屋良永のお寺オリジナルの「雪舟」
山水画の焼き印の煎餅の間に餡がはさんでありました。
しばし、のんびりとお庭を眺めながら、お茶を味わいます。ああ、贅沢なひと時。 -
御朱印を頂きました。
一條桃華御殿
お寺の建立時は芬陀利華院だったらしい。
帰りしな、受付には女の子のお母様もいらして、子供の接待で「すみません」とおっしゃるので、嬉しかったことをお伝えし、しばしおしゃべり。
「女の子がいるっていいなぁ」なんて、息子×2の私はうらやましいと思うのでした。 -
11:20 芬陀院を後にして、東福寺のもう一つの橋に向かいます。
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11:24 臥雲橋
普通に自転車も通れます。
修学旅行の中学生グループがいます。 -
2015年のJRのCMに登場した橋。
そのCMでは、自転車に乗った若い女性が曼殊院、八坂道、白川 行者橋、永観堂、東福寺 を廻ります。
え?曼殊院にチャリで?
私はあの坂をチャリで登る筋力は無いなー。 -
青もみじ越しの通天橋。
橋を渡って、もう少し東福寺塔頭を廻りましょう。
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