2018/03/08 - 2018/03/08
2498位(同エリア14847件中)
ぶどう畑さん
この旅行記のスケジュール
2018/03/08
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電車での移動
テロック・エア〜ブラス・バザー
この旅行記スケジュールを元に
2018年3月8日(木)
シンガポール2日目、北京ストリートでシンガポーリアンの朝食「カヤ・トースト」を食べたら、シンガポール国立博物館へ。
ボランティアの方々による日本語ガイドを聴くことが、この旅の目的の1つです。
ホテルの名前にもなっているラッフルズがシンガポールに深くかかわったことなど、興味深い事実が盛りだくさん!
展示はダークな世界にも触れていました。
それが、後日、「ヘリテイジセンター」を訪れるきっかけにつながりました。
思いがけない出会いが生まれる、それも旅の醍醐味ですね!(^-^)
(旅行期間:2018年3月4日~3月12日)
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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イチオシ
シンガポール国立博物館にやってきました。
ここに来るきっかけは、2016年9月、”プラナカン博物
館”で、ボランティアの方々による日本語ガイドを聴いたこと。
日本語ガイドは、プラナカン博物館のほか、国立博物館、アジア文明博物館でも行っていると知り、「今回は国立博物館」とやってきた次第。
#国立博物館の開館は毎日10~19時で、日本語ガイドは月曜日~金曜日の10時半~と、第1土曜の13:30~です。シンガポール国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
ダウンタウンラインのテロック・エア駅から、サークル・ラインのプロムナードで乗り換え、ブラス・バザーで下車。
博物館を目指していると、ベンクーレン(Bencoolen)という駅の前を通ります。
ダウンタウン・ラインが延びて、2017年10月、新たにできた駅のようで、テロック・エアから乗り換えなしで行けたのでした…。
どんどん進化していくシンガポール、ガイドブックの情報に頼っていてはダメですねー。(~~;
なお、写真奥に筒形のスイソホテル・ザ・スタンダードが見えているように、ラッフルズ・シティから博物館は徒歩10分です。
入場料は15ドル。60歳以上は10ドル。
海外初シニア割引の恩恵にあずかりました。まだ、ひよっこなんで。(^^) -
イチオシ
ここはシンガポールで一番古い博物館。
1849年、ラッフルズの図書館として建てられたとか。
クーポラのステンドグラスは、イギリス・ヴィクトリア女王の在位50年を記念して、50枚となっているそうです。 -
旧館は、ネオ・パラディアン様式で建てられています。
イタリア・パドヴァ生まれの建築家”パラディオ(1508年11月30日~1580年8月19日)”の建築様式が、建設当時、イギリスで再流行。それを取り入れたとのこと。
ぶどう畑は、カーニヴァルでベネツィアを訪れた際、ヴェネツィアからバスでパドヴァに向かう途中の運河沿いにパラディアン様式の家があると聞いて、足を延ばしたことがあります。
ところが、霧が出て家はよく見えず、おまけに寒くて、寒くて、せっかく行ったのに、印象薄い…。(; Д ;) -
では、新館のヒストリー・ギャラリーでシンガポールの歴史を学びましょう!
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建物に入って正面にあるのが1570年頃の地図。
インドの位置が妙に近いですが、あっている?ほぼ。(笑) -
最初の展示物は、1メートルを超す石。
かつての郵便局の外観をそのままに残した5つ星ホテル”ザ・フラトン・ホテル・シンガポール”の裏側辺りで発見されました。 -
10~14世紀頃の物で、彫られている文字は古代ジャワ語なのか、サンスクリット語なのか、今でも解読不能だそうです。
ちょっとミステリー。(@.@) -
7世紀頃のシンガポールは静かな漁村で、古代ジャワ語で”海”を意味する”テマセック”と呼ばれていました。
ある日、スマトラの王子の”サン・ニラ・ウタマ”が、なにか輝くモノが見えると船に乗って出かけ、見つけたのがシンガポールの地。
この時、王子が浜でライオンらしき動物を見かけたことから、マレー語で”ライオンの町”を意味する”シンガプーラ”と名付けられました。
ただ、これまでシンガポールでライオンは見つかっておらず、トラだったのではないかと考えられているそうです。
1402年、シンガポールはマラッカ王国の支配下になります。
16世紀になると、ヨーロッパに大航海時代が訪れます。
1511年、マラッカ王国は、ポルトガルの侵攻を受け滅亡。ポルトガル領となったマラッカから、王族や商人がシンガプーラへと移っていきました。
1513年、シンガプーラもポルトガルの徹底的な侵略を受けて、現地住人の多くが虐殺され、町は壊滅状態に。
荒廃したシンガプーラは、再び漁民と海賊の住むマングローブの生い茂る寂れた漁村となり、その後300年以上、歴史の表舞台から姿を消しました。 -
男性用の黄金の腕輪とイヤリング
腕輪に彫られているのは、ヒンドゥー教の神様”カーラ”。
高貴な人が身に着けたものと思われます。 -
トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(Thomas Stamford Raffles、1781~1826年)
1819年1月、人口わずか150人程度だったシンガポールに、イギリス東インド会社で書記官を務めていたイギリス人のラッフルズが上陸。
1819年2月6日、シンガプーラの地理的重要性に着目したラッフルズは、当時、島を支配していたジョホール王国より商館建設の許可を取り付け、名称も英語風の”シンガポール”と改めました。
1824年、シンガポールがイギリスの植民地としてジョホール王国から正式に割譲されると、オランダもイギリスの植民地支配を認めざるを得ませんでした。
ラッフルズが無関税の自由港政策を推し進めたこともあって、5年の間にシンガポールの人口は1万人を突破。
急速に発展を遂げたシンガポールは、1826年、ペナン、マラッカに加えて、イギリスの植民地に組み入れられ、1832年にはその首都に定められました。
#写真:”シンガポール日本人会”のサイトより -
ウィリアム・ファークァー(William Farquhar、1774~1839年)
ラッフルズから命を受け、実質、シンガポールを統治していたのが彼。
シンガポールの発展に数々貢献しましたが、アヘンや奴隷の取引を容認していたことから、ラッフルズから解任されます。 -
ただ、商人にとっては都合の良い部分もあったため、商人からファークァー贈られたという豪華な銀細工の置物が展示されていました。
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ラッフルズは、人種別に居住区の住み分けを押し進めました。
チャイナタウン、リトルインディア、アラブ人街は、当時の政策の名残りです。
力車(りきしゃ)の展示の奥にあったのは、チャイナタウンの茶屋。
表向きは茶葉の販売ですが、奥はアヘン窟になっていました。
裕福な人たちは、質のいいアヘンを適度に楽しんだとのこと。 -
イチオシ
一方で、シンガポールを下支えしていた、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、出稼ぎの労働者の苦力(クーリー)は、吸い殻を集めたりして、質の悪いアヘンを吸っていました。
彼らは、労働の辛さを忘れるためにアヘンに溺れ、身体を壊していったそうです。悲しい事実です。 -
林 文慶( Lim Boon Keng、1869~1957年)
華僑で初めて英国・女王奨学金で医学を学び、帰国後、医師として働きました。
アヘンを排除し、衛生的な考えを広めたのが林文慶でした。 -
ナイト・ソイル・バケット
これが、林文慶が広めたバケツ。
説明してくださった方は、ムニャムニャって感じでよくわからず…。
この日のガイドさんは2人だったので、もう1人の方に質問すると…。
どうやら、トイレに関するモノらしい。
「詳しく知りたいなら、チャイナタウンにある”ヘリテイジ・センター”に行くといいですよ」と教えてくれました。
これがどういう役割を果たしたかは、後日訪れる、ヘリテイジ・センターの旅行記でお伝えしますね。(^^) -
シンガポールが、日本の占領下にあったことはご存知でしょうか?
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1942年、シンガポールは、瞬く間に東南アジアに進軍した大日本帝国によって統治され、”昭南島(しょうなんとう)”と名を改めました。
ラッフルズ・ホテルは日本軍に接収され、”昭南旅館”として、大日本帝国陸軍将校の宿泊施設に。
グッドウッドーパーク・ホテルも、”海軍水交社”と改名され、大日本帝国海軍高官の事務所 兼 宿泊施設として利用されました。 -
日本軍の戦車”九五式ハ号(Type 95 Ha Go)”
この小型の戦車は、太平洋戦争で威力を発揮しました。 -
銀輪部隊
歩兵は、自転車でマレー半島を移動。
辺りに生えているゴムの樹液でパンクを修理できたため、1日で数10~100kmを移動したとか。
自転車ですから、自動車や戦車が通れない狭い道でも通ることができ、川があれば担いで渡れます。
破壊された橋梁の修復して、輸送隊を助けつつ進軍。
55日でマレー半島を制覇し、1週間でシンガポールを占領するという快進撃でした。 -
”粛清”された方々の遺品
華僑による抗日運動が東南アジア各地で盛んになり、それを恐れた日本軍は、1942年、華僑を粛清。
”シンガポール華僑虐殺事件”と呼ばれています。
日本側は5000人としていますが、非公式なデーターによると、2万~3万人が殺されたそうです。
1966年、”血債の塔”と呼ばれる”日本占領時期死難人民記念碑”の建設が始まり、1967年に竣工。
シティ・ホール駅、エスプラネード駅からほど近い、”戦争記念公園(War Memorial Park)に、その白い慰霊塔が立っています。
シンガポールの人々は、戦時中の日本の行いを「許そう、しかし忘れない(Forgive, but Never Forget」と考えているとのこと。
そんなことがあったなんて知らなかった。心が痛みます…。 -
第二次世界大戦後、シンガポールは再び、イギリスの植民地となり、念願であった独立への道は再び閉ざされてしまいます。
1950年代の人々の暮らしを描いた絵が飾られていました。
明るい雰囲気ではありません…。 -
1963年、イギリス連邦自治州首相であったリー・クアンユー氏の指導のもと、シンガポールはマレーシア連邦の一員として独立します。
その時のパダン広場の様子。 -
1965年8月9日、マレーシア連邦から、都市国家として分離独立。
リー・クアンユー首相が、テレビで国民に独立を伝えました。
天然資源や水源に乏しく、国防能力も脆弱なシンガポール、マレーシアとの合併だけが生き残るために重要と考えていたリー首相、独立がマレーシア連邦から追い出される形であったため、放映中に涙し、20分間演説が途絶える場面もあったそうです。
リー首相の演説(Wikiより)
「私にとって、今は苦渋の時です。
生涯、私は2つの領域の合併と統一を信じてきました。
私リー・クアンユーは、自由と正義の原則、多くの人々の福祉と幸福の探求、平等な社会を築くことに基づき、本日1965年8月9日にシンガポールが永久に主権民主主義ならびに独立国家であることを宣言いたします」
リー氏は30年間に渡りシンガポールの首相務め、”建国の父”と呼ばれ、2015年3月23日、91歳でこの世を去りました。
ジャカルタで、インドネシアの独立に触れましたが、奇しくも、シンガポールでもその独立を知り、”独立”の意味の深さを今さらながら感じています。
(インドネシアを識る!独立の陰に日本人あり、宣言文起草博物館で怪奇現象?いやいや、カメラの故障… ジャカルタ・シンガポール2018の旅3-1)
https://4travel.jp/travelogue/11362655 -
シンガポールの紙幣
下から2段目の右端の”1万シンガポールドル(80万円)”は、18×9cmと世界で一番大きい。(ブレててスミマセン…)
かつ、世界最高額の紙幣ですが、一般には流通していないそうです。 -
リー・クワンユー首相は、赤土がむき出しで、スコールのたびに土壌が流されるシンガポールを変えようと、植樹を進めました。
外来種のさまざまな植物を植え、データベース化して検討。
その結果、緑多いシンガポールが生まれたのです。
リー氏の偉大さをヒシヒシと感じます。
日本語ガイドはここまで。
説明をしてくださって、ありがとうございました! -
イチオシ
ヒストリー・ギャラリーの見学を終え、旧館のリヴィング・ギャラリーに移ります。
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時代ごとに部屋が分かれていて、モダンな雰囲気のこの場所は、1923~1953年の植民地時代の部屋の入口。
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当時の洋服を着た人形に出迎えられます。
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高価な食器類の展示もありました。
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”昭南時代”の部屋。
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漢字が使われたポスター。
ヒストリー・ギャラリーでガイドを聴いた後ですから、複雑な心境で眺めます。
この部屋で、見学終了。 -
ぶどう畑の初シンガポールは、1989年でした。当時、知り合いが住んでいたので、9日間滞在してアチコチ観光。
シンガポールがとっても気に入って、2年後の1991年に再訪。
それから24年経った2015年、3度目のシンガポールに来ることになったワケですが、F1開催と重なってホテル探しに四苦八苦…。
1泊目は、中心部から少し離れた”カトン”というエリアに泊まることになりました。2泊目以降は、チャイナタウンのはずれ、”Keong Saik 通り”にあるホテル。
2つのホテルの近くで”プラナカン”の家並みに出会い、シンガポールには独特の文化や歴史があることに気づきました。
そんなことから、4度目の2016年はプラナカン博物館、5度目の今回はシンガポール国立博物館の見学が、旅の目的の1つに。
ほぼ四半世紀ぶりのシンガポールは、その変化に驚きました。
1989年、1991年には海だったマリーナ・ベイは貯水湖になり、周辺にはベイサンズを始めとする新名所がいくつも。
クラーク・キーやボート・キー、当時は観光スポットではなかった。
セントーサ島、アラブ人街、チャイナタウンも様変わりしました。
新旧の違いを知るのも楽しい。シンガポール、飽きないです!(^-^)
時刻はまもなく12時半、お腹が空きました。
お昼を食べに、シンガポールの銀座通り”オーチャード”に向かいます!
(マレーと中国の融合、プラナカン文化の色濃いカトンを散策! インドネシア・シンガポールの旅5-1)
https://4travel.jp/travelogue/11074098
(マレーと中国の融合、プラナカンの世界を識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅6-1)
https://4travel.jp/travelogue/11192659
(チャイナタウン、ローカルフードで失敗・・・の巻 インドネシア・シンガポールの旅5-2)
https://4travel.jp/travelogue/11075680
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この旅行記へのコメント (2)
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- palさん 2018/08/03 20:41:31
- シャーナントー
- ぶどう畑さん。こんにちは。
ずいぶん前にシンガポールに行ったんですねぇ。
歴史のお話、貴重ですね。
そんな話も知らないでシンガポールを訪れる人もきっとたくさんいるんでしょうね。。。
私は、初めて行ったのは1992年か、1993年でした。
ずいぶん行っていないですけれど、きっと変わりましたよね。
その頃は、なんちゃって英語はシングリッシュと呼ばれていましたよねぇ。
中国人(出どころいろいろ)、マレー人、インド人、そのほか色々。。。
人種のるつぼシンガポール(*_*)
シンガポールで一番記憶に残っているのは、インド寺院で出会ったインドの色白の貴婦人でした。
この神様たちは、私たち、インド人のイマジネーションなのよ。
と、楽しそうにニッコリ語ってくれました。
どうやってシンガポールにやって来たのでしょうねぇ。
東インド会社と一緒にやって来たインド人の末裔でしょうか。。。
インド女性と話したのは、今だに人生この一回っきり。。。
ちょっとヒンズー教の神様方の話を聞いた不思議な体験でした。。。
マレーシアのマラッカの街を散歩していました。
いきなり、中国系のおじいちゃんが凄い勢いで接近してきました。
やばい、切り裂きジャック?と凍りつきました。。。
怖かった。。。
動けずに固まりました。。。
おじいちゃんは、私を見つめ、見定めて、目の前で、
ばんざーい !!!!!
万歳ーーーーーーーい !!!!!
と大声で日本語で叫びました(*_*)
もう固まっていましたが、
背筋が凍りつきましたよ。
おじいちゃんは、日本語?でなにか訴えました。
なんのかんの。
シャーナントー
シャーナントー
シャーナントー イキマシタ。
シャーナントー イキマシタ。
シャーナントー?
イキマシタ 行きました。
シャーナントー
あっー
ショウナントウ
昭南島、
シンガポール。
片言の日本語。
おじいちゃんは、日本人の創設した学校にも通ったようです。
おじいちゃん、混沌とした生か死かの時代を生き延びたのですね。
でも日本統治時代がよっぽど懐かしいのか、日本人が通りがかるのを見定めて、
日本人に、
万歳ーーーーーーーーーい
って叫んで、日本人と話したい、びっくりおじいちゃんでした。。。
平成ももうすぐ終わりですね。
ショウナントウは、ますます忘れられていきますね。。。
pal
- ぶどう畑さん からの返信 2018/08/03 21:22:15
- Re: シャーナントー
- palさん
ぶどう畑です。
コメントをありがとうございます!
ラオスでの事故、本当に大変でしたね。
「何を食べてもお腹大丈夫」の質ではないので、東南アジアは得意ってわけではないのですが、ベトナム、カンボジア、戦争が国の発展を遅らせていることを感じました。
まぁ、それは先進国の人間の目線なのかもしれませんけどね。
今回は、マラッカにも行ったんです。
そのオジイサンには、出会いませんでしたが。
いきなり近づいてきて、「万歳」は驚きますね。(^^;
日本がシンガポールを占領していたことを知らずに観光している人がほとんどじゃないでしょうか。かくいう私も、そうです。
「歴史より景色」のほうなので、史実は知らないことばかり。
事実を確認しながら旅行記アップするので、そうだったのかー!もいっぱい。ホント、勉強になってます。(^^)
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旅行記グループ ジャカルタ・シンガポール2018.3(ジャカルタ市内観光、国立博物館、マレーシア・マラッカ他)
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