2015/09/18 - 2015/09/22
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旅人のくまさんさん
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浄土宗のお寺、『高木山・宝周寺』の紹介です。現在の岐阜に通じる、美濃路に置かれた名古屋城の西側に位置するお寺の一つです。山号に使われている『高木門』は、文化11年(1814年)建立とされ、江戸中期の面影を残しています。
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『浄土宗・宝周寺』の表示があった、長い金属製のフェンスの光景です。その内側は、こんもりとした林の光景でした。
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那古野町1丁目まちづくり研究会名による、『高木山(こうぼくさん)・宝周寺』の縁起を記した立札です。寺伝によれば、元は栄村にあった真言宗の『光明山・阿弥陀寺』、浄土宗のお寺として再建され、現在地に移ったのが寛文6年(1666年)、『法周寺』から、現在の『宝周寺』と改められたのが延宝4年(1676年)のことです。
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『浄土宗宝周寺』の掲示板です。右側には法然上人作の浄土宗宗歌・月影『月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ』、の『浄土宗宗歌・月影』、左には、『一大事と申すは 今日ただいまの心なり』の人生訓が切れのいい筆致で記されていました。
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塀に記してあった、木製の寺紋のズームアップ光景です。『違い鷹の羽』と呼ばれる紋の1種です。藤紋、片喰紋、木瓜紋、桐紋と並ぶ五大紋の一つとされます。『鷹の羽紋』の文献上の初見は、『蒙古襲来絵詞』に登場する菊池武房の軍旗に描かれた『並び鷹の羽』とされます。江戸時代には多くの大名や旗本など、約120家が鷹の羽紋を用いました。
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『阿弥陀如来四十八願所・第十七番札所・宝周寺』の文字が刻まれた石標の光景です。上部に、阿弥陀如来を表す梵字、『キリーク』がありました。側面には『聖観世音菩薩・当山』の表示がありました。『阿弥陀如来四十八願所』巡りは、この地域には残っていないようでした。
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赤い彼岸花と、白い彼岸花が混ざり合って咲いていた参道脇の光景です。昨日が秋のお彼岸の中日でしたから、ちょうど見頃でした。
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赤い彼岸花のズームアップ光景です。『ヒガンバナ(彼岸花)』は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。『マンジュシャゲ(曼珠沙華)』の別名を持ちます。
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赤い彼岸花より、少し背丈が低かった、白い彼岸花のズームアップ光景です。以前は、赤い花ばかりでしたが、最近は、白や黄色の彼岸花も見掛けるようになりました。
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宝周寺の山門の前から振り返って眺めた、参道入口付近の光景です。石畳の参道がまっすぐに伸びていました。先ほど紹介した彼岸花が、参道の左手に見えています。
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イチオシ
『高木門』と呼ばれる山門の光景です。寛永8年(1631年)、初代尾州徳川家城代高木志摩守一吉(生年不詳~1624年)の後室・宝周院殿心誉妙安大姉の発願により再建されたお寺に因む呼び名のようです。
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山門の柱に懸けられた、『浄土宗・宝(寶)周寺』の文字が記された表札の光景です。『高木門』の呼び名は通称らしく、表示はありませんでした。
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江戸時代中期の文化11年(1814年)に建立された『高木門』の門扉の光景です。200年を経過したことになります。さすがに、板の間には隙間ができていました。
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ザクロのみかと思って撮影しましたが、周りにあった葉の形が違っていました。別種の樹のみですが、名前はまだ調べていません。
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右手に見えるのは、参道脇にあった石の鳥居の光景です。神仏習合時代の名残のようです。ちゃんとした敷石の参道が分岐していました。
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石の鳥居のズームアップ光景です。扁額や注連縄が取り去られた跡が残っていました。樹木の陰に少しだけ見える赤い建物が社殿のようです。
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自然石をくり抜いた立派な水盤がありましたが、今は使われていないようです。その傍らに、花が手向けられた地蔵尊が置かれていました。
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石灯篭の光景です。春日灯篭などと同じように、竿と呼ばれる以外の部分が六角形の『六角型灯籠』です。春日灯篭との違いは、『火袋』の部分が六方とも開口されていたことです。
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イチオシ
同じく、参道の脇にあった『宝篋印塔(ほうきょういんとう)』の光景です。周りには季節の花の彼岸花が咲いていました。『宝篋印塔』は、墓塔、供養塔などに使われる仏塔の一種です。台座には、右から読んで『敬誉起立』の文字がありました。
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参道の脇にあった『宝篋印塔(ほうきょういんとう)』のズームアップ光景です。『宝篋印塔』は、中国の呉越王の銭弘俶(929~988年)が延命を願って、諸国に立てた8万4千塔(金塗塔)が原型とされています。石造の宝篋印塔は、銭弘俶塔を模して中国で初めて作られ、日本では鎌倉時代(1185頃~1333年)の初期頃から制作されたようです。
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散り始めていた『ハギ(萩)』の白い花です。秋の七草の一つに数えられる、マメ科ハギ属の植物の総称です。
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同じく、『ハギ(萩)』の花の光景です。こちら寺はピンク色の花でした。荒れ地に生えるパイオニア植物とされます。
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入口の参道脇でも紹介した、季節の花の彼岸花です。緑の下草は、ドクダミのようです。ドクダミは、ドクダミ科ドクダミ属の多年草で、ドクダメ(毒溜め)、ギョセイソウ(魚腥草)、ジゴクソバ(地獄蕎麦)等の別名を持ちます。
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『仏足石』とその標石の光景です。古いものは紀元前4世紀に遡るようです。両足を揃えたものが古い形式のもので、片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられています。古代インドでは像を造る習慣がなく、仏足石や菩提樹などを用いて、仏陀を表現したようです。
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『仏足石』とその説明を記した石板の光景です。拾い読みをしますと、『仏陀が天上界の母のマヤ夫人に遭いに行かれた時に残された足跡が性交信仰の起源』と紹介されていました。
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『仏足石』のほかにも、『鎮管城』の文字が刻まれた丸い石碑などが置かれていた場所です。それほど古くはない、『鎮管城』の意味を調べてみても分かりませんでした。韓国では、『15世紀後半の世祖代に軍事制度が鎮管体制になった』との記述を目にしただけです。『鎮(ちん)』は、台湾、中国やベトナムでも使われている郷級行政区です。
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正面から眺めた、『高木山・宝周寺』の本堂らしい建物光景です。扁額や表札などが見当たりませんでした。
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イチオシ
同じく、斜め前から眺めた『高木山・宝周寺』の本堂らしい建物光景です。鬼瓦には、『違い鷹の羽』の寺紋がありました。
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『高木山・宝周寺』の境内光景です。あまり手入れはされていないようでしたが、庭木の育ち具合は良いようでした。
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逆光での写真になってしまいましたが、境内の樹木の光景です。高い木は公孫樹の雌株です。黄色く色付いた銀杏が生っていました。
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かなり広い敷地を持った『高木山・宝周寺』の境内です。その中に伸びた石畳の参道光景です。探し方が悪かったのか、堂宇の姿は疎らでした。
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かなり広い敷地を持った『高木山・宝周寺』の境内の紹介が続きます。中央は、既に紹介した、宝篋印塔(ほうきょういんとう)』です。その背後には、廃屋のようにも見える建物がありました。
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『高木山・宝周寺』の境内にあった池の光景です。庭園の一部として造られた池のようでしたが、周りの木々は伸び放題でした。
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同じく、『高木山・宝周寺』の境内にあった池の光景です。かなり広い境内でしたが、あまり有効には使われていないように見受けました。
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一度紹介した地蔵菩薩の光景ですが、今度はズームアップでの紹介です、手水舎の横に祀られていました。白と黄色の菊の花がお供えしてありました。光背と地蔵尊とは、別の材質の石でした。組み合わせで、この場所に置かれたようです。
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内側から眺めた山門の光景です。『高木門』とも呼ばれている、江戸中期に創建された門です。200年ほど経った門ですから、瓦は葺き替えられたかもしれません。
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振り返って眺めた、『高木山・宝周寺』の本堂らしい建物の光景です。何かを見落としてしまったような気持ちが残った見学でした。
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イチオシ
振り返って眺めた、『高木門』とも呼ばれる山門の光景です。今は、彼岸花の季節ですが、春には桜の花が参道に彩りを添えてくれるようです。
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浄土宗のお寺、『高木山・宝周寺』の外塀の光景です。入口門の近くに、最初に紹介した、『違い鷹の羽』の寺紋が表示してありました。遠くから眺めますと、バツ印のように見えました。
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浄土宗のお寺、『高木山・宝周寺』の出入り口付近のズームアップ光景です。出入口の北側の塀にも、『違い鷹の羽』の寺紋が表示してありました。かつての美濃路と名古屋城の西側に近い場所ですから、新道六箇寺農地の三箇寺が固まった場所です。あとの二寺は、林貞寺と海福寺です。
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かつての美濃路の南に並行する、国道22号線の光景です。その間の距離は150メートル程です。宝周寺は美濃路の南側に位置しますが、現在の国道22号線の北側に位置します。
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旅行記グループ 2015年、尾張の寺社巡り(その3)
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