2015/09/22 - 2015/09/22
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西北隅櫓がある西北端からスタートして、反時計回りに東南端までを回った、お濠の外から眺めた名古屋城の紹介です。西北隅櫓は、清州櫓とも呼ばれ、旧清州城の小天守説が有力です。
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名古屋城の西を流れる『堀川』の光景です。『堀川(ほりかわ)』は、名古屋市を流れる庄内川水系の一級河川です。江戸時代初期の慶長15年(1610年)、名古屋開府の時の建築資材運搬用の運河として、家康の命により福島正則が伊勢湾から名古屋城付近まで開削されたことがそのルーツとされます。
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同じく、名古屋城の西を流れる『堀川』の光景です。前方に見えてきたのは、堀川に架かる『筋違橋(すじかいはし)』です。『筋違』は、『筋交』とも表記される建築用語の、『柱と柱の間に斜めに入れて建築物や足場の構造を補強する部材』が語源です。全国各地に『筋違橋』があります。
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堀川に架かる『筋違橋』の上から眺めた堀川の光景です。名古屋市中心部を南方向に流れ、伊勢湾(名古屋港)に注義ます。その下流方向の眺めです。
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国の重要文化財の西北隅櫓の光景です。戌亥櫓とも清須櫓とも呼ばれています。西北隅櫓は、屋根三重・内部三階の櫓。他の建物の古材を転用して建築されていて、外部北面、西面に千鳥破風が作られ、『落狭間』を備えています。『清須櫓』の名前の由来は、この古材にあるようです。
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イチオシ
堀川に架かる『直違橋』を渡った後、名古屋城のお堀越しに眺めた『西北隅櫓(御深井丸戌亥隅櫓)』の光景です。江戸時代から現存する東南隅櫓(本丸辰巳隅櫓)、東南隅櫓(本丸辰巳隅櫓)とともに、国の重要文化財の建造物です。
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同じ場所から眺めた、名古屋城の北側のお濠の光景です。名古屋城が築かれた那古屋は標高10メートル前後の名古屋台地の北端に位置し、北部は急な崖で標高2〜3メートルの沖積平野に接していました。このため、清洲城のような自然水害や、兵役の時の水攻めの心配のない立地条件だったとされます。
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徳川家康が名古屋城の築城を決心したのが慶長14年(1609年)、翌年に築城着手し、慶長19年(1614年)に完成しました。名古屋城の完成に先立つ慶長18年(16013年)、武士や町人の住まいが定まりました。その『清州越し』は慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)までの頃に行われました。
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イチオシ
名古屋城のお濠の錦鯉さん達です。以前の見学の時に目にしましたが、カモメさん達とのエサ取り合戦で鍛えられた猛者さん達です。
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同じく、名古屋城のお濠の錦鯉さん達の光景です。人の気配を感じると、すぐに集まってくる錦鯉さん達です。
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名古屋城の北西方面のメインの光景は、北西隅櫓に尽きます。慶長17年(1612年)頃から始まった清洲越しにより、尾張藩家臣、町人のみならず、神社、寺院もほとんど移転しました。その数、神社3社、寺院110寺、町屋約2700戸程とされます。
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同じ場所から撮影した、北西隅櫓の光景です。芦の繁る湿地帯が続いていた那古野の北の台地に最初に城を築いたのは、今川義元の父の氏親で、大永元年(1521年)のこととされます。城と呼ぶには規模が小さく、『柳之丸』と呼ばれていたようです。今川家にとっての尾張や美濃方面への前線基地だったようです。
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北西隅櫓の光景が続きます。織田信長の父、信秀の策略により、天文元年(1532年)に『柳之丸』は織田家に奪われました。これを契機に、信秀は『那古野城』と命名しました。織田信長が生まれたのはその2年後、信長が3才になると、信秀は古渡城に移り、信長を那古野城主としました。その那古野城跡は、二の丸付近に石碑だけが残ります。
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西側からの北西隅櫓のズームアップ光景です。普段は一般公開されていませんが、定期的な内部公開も行われているようです。
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名古屋城の西面の石垣光景です。北西隅櫓からは南側になります。慶長15年(1610年)2月下旬から、助役大名は、土工事(堀の開削、盛り土)に取りかかりました。各大名は、工期を守るだけでなく、他の大名に遅れをとらないために、幕府が示した基準をはるかに上回る資金と人員を投入したとされます。
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名古屋城の西端の石垣とお濠の光景です。名古屋城の石垣に使われた石材は、岩崎、赤津や篠島など尾張、美濃、三河、伊勢の近在はもとより、遠く紀伊、摂津、播磨、讃岐(小豆島)、肥前(唐津)にまで及んだとされます。天下普請の名古屋城の築城は、普請奉行に滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一(遠州)ら9名が任ぜられました。最も高度な技術を要した天守台石垣は、普請助役の加藤清正が築きました。
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名古屋城西端の石垣のズームアップ光景です。天守台に続いて大天守が完成したのは、慶長17年(1612年)のことでした。名古屋城築城普請助役としては、加藤清正以外に多くの外様大名が、石に刻印を打って石垣工事を負担しました。その延人工は558万人、僅か1年足らずで石垣は完成しました。
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振り返って眺めた、北西隅櫓の光景です。加藤清正以外の普請助役は、寺沢広高、細川忠興、毛利高政、生駒正俊、黒田長政、木下延俊、福島正則、池田輝政、鍋島勝茂、毛利秀就、加藤嘉明、浅野幸長、田中忠政、山内忠義、竹中重利、稲葉典通、蜂須賀至鎮、金森可重、前田利光の西国諸大名です。
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もう一度ズームアップして紹介する、『清州櫓』とも呼ばれる北西隅櫓の光景です。清州城は、信長が約10年間居城とし、桶狭間の戦いにも清州城から出陣しました。福島正則や家康の四男・松平忠吉、九男・徳川義直が居城とした時期もありましたが、慶長18年(1613年)の名古屋城の完成により、廃城となりました。
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名古屋市を西側から眺める絶好のビューポイントに建つ、ウェスティン・ナゴヤキャッスルホテルの建物光景です。
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同じく、東側から眺めた、ウェスティン・ナゴヤキャッスルホテルの建物光景です。(株)ナゴヤキャッスルが経営するホテルの一つです。ずいぶん昔のことですが、このホテルからの天守閣の光景を眺めた記憶があります。
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同じく、ウェスティン・ナゴヤキャッスルホテルの玄関光景です。50年余りを経た、名古屋のクラシックホテルとされます。
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名古屋城西端の石垣の切れ目部分の光景です。狭い石垣の間の光景から、『鵜の首』と呼ばれている光景です。この場所の『鵜の首』は、西之丸と御深井丸を区切るためのものとされます。
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イチオシ
天守エリアの周りに4カ所設置されている、『鵜の首』と呼ばれる防衛施設の光景です。左の石垣が御深井丸のエリア、右の石垣が西の丸のエリアになります。
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名古屋城西端の石垣にある、『鵜の首』のズームアップ光景です。その奥が天守エリアになります。名古屋城の縄張りは、形式的には『梯郭式』に分類されます。『梯郭式』の基本形は、本丸を片隅に配置し、片方に二の丸、三の丸が囲むタイプです。梯子を登るイメージの配置となっていることからの命名です。
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名古屋城西端の石垣にある『鵜の首』から、少し南に移動した場所から眺めた、お濠と石垣の光景です。お濠は外濠ですが、随分と広い幅を持ちます。
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『鵜の首』より少し南に下がった場所から眺めた天守閣の光景です。緑青を吹いた銅葺屋根の上に金シャチが乗った光景です。
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名古屋城の西面のお濠の脇からは、西北隅櫓がずっと見渡せました。昭和39年(1964年)の解体修理により、古い建物の材木を一部用いて元和5年(1619年)頃に造営されたことが確認されました。このことにより、清洲城天守の古材を転用した可能性が高まりました。屋根三層、内部三階の構造で、全国で最大規模の隅櫓とされます。
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西の丸エリアの石垣光景です。北側の御深井丸に対し、西側に突き出したエリアを持つ西の丸エリアです。
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西側に突き出したエリアを持つ西の丸エリアのズームアップ光景です。縄張り図から推測しますと、本丸エリアの東西南北に1箇所ずつの『鵜の首』が設けられていたようです。その内の2箇所は空濠か、後に埋立てられてしまったように見えました。
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西の丸エリアが西側に突き出した分だけ、お濠も西側に広くなっていました。その外濠の場外側の畔の光景です。お濠に向かって枝垂れた古木の姿がありました。
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