2015/09/18 - 2015/09/22
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旅人のくまさんさん
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寛永14年(1637年)に創建された、臨済宗・妙心寺派のお寺、『玉峰山・海福寺』の紹介です。かつて尾張藩・藩祖の徳川義直公は美濃路を通って鷹狩りに行き、その道中に当寺で小憩したと伝わる古刹です。
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『玉宝山・海福寺』の楷書の文字が刻まれた石標の光景です。名古屋城の西に位置する新道六箇寺の鬱の一つです。現在は、名古屋市西区の浅間二丁目に位置します。寛延元年(1748年)、本堂が類焼し、その後再建されますが、昭和20年(1945年)5月の名古屋空襲で焼失しました。現在の本堂は、昭和39年(1964年)に再建された建物です。
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『海福寺』の黒い石板の表札があった石柱が建つ場所から眺めた。石畳の参道光景です。尾張藩・藩祖の徳川義直公(1601~1650年)は、家康公の九男、『海福寺』が創建した寛永14年(1637年)には、36才頃と逆算されます。石畳の先に内塀が設けてあるのは、戦国時代の『虎口』を意識した防御構造かも知れません。何しろ、尾張藩主の名古屋城主が休憩に立寄られたお寺です。
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『海福禅寺』の白い文字が記された表札の光景です。『妙心禅寺・米寿・大航』らしい落款がありました。妙心寺派第24代管長だった大航宗琢師(1871~1968年)のようでした。昭和43年(1968年)、在職務中に示寂された名僧です。学識を備え、名管長の誉れ高い方だったとされます。米寿の88歳を遥かに超えた長寿の生涯でした。
話題を替えて、名古屋の寺院の創建された時期や契機による分類です。次の五つのの分類などが提唱されています。(名古屋学院大・川口高風氏)
①慶長の遷府以前からの寺院:万松持など21箇寺
②清須越しの寺院:政秀寺など124箇寺
③清須以外から移転してきた寺院:無量寿院など45箇寺
④慶長遷府後に造営された寺院:栄国時など81箇寺
?慶長遷府後に復興された寺院:宝周寺など29箇寺
以上の300箇寺です。 -
推測になりますが、創建された寛永14年(1637年)の時の山門が残されているようでした。さすがに鉄製の鋲は頭が飛んだものが多く見受けられました。
名古屋のお寺の分類の話題の続きです。名古屋城を中心とした、武士が新しく建設した城下町であるところから、敵軍の来襲に備えて戦う砦の効用が考えられています。その類型では、次の三つの分類などが提唱されています。(名古屋学院大・川口高風氏)
①名古屋の四方に通ずる街道の関門として配置された寺院:この海福寺など
②集団的に配置された寺町寺院:東寺町、南寺町
③町を整備するために配置された寺院:碁盤割地区の寺院 -
イチオシ
山門から眺めた前方の境内光景です。正面の石垣と塀が視界を遮り、万が一の時の防御施設の一つ、『虎口』になっているように見受けました。『虎口(こぐち)』とは、中世以降の城郭における出入口のことで、狭い道、狭い口という意味があり、『小口』とも呼ばれました。
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イチオシ
山門から入って、直接本堂などの主要施設に向かうことはできません。塀に沿って、迂回路が設けてありました。石垣も往時の姿を留めているようでした。
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振り返って眺めた、石垣と塀に沿って設けられた迂回路の光景です。基部の石垣は、野面積みの面影を残していましたが、その上には近代工法のセメントを使った形跡がありました。
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本堂や、その周りの建物があるエリヤに入って来ました。石畳の参道脇には枯山水の石庭がありました。その砂の庭に、赤い彼岸花が咲いていました。
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境内の庭木の光景です。この海福寺のように、『名古屋の四方に通ずる街道の関門として配置された寺院』についての説明の続きです。
①北の守り:中仙道、木曽街道、善光寺街道に沿って矢田川畔には長母寺(東区) を、東北丘陵には龍泉寺(守山区)、更に定光寺(瀬戸市)が置かれました。
②西の守り:西は奥美濃路、津島街道の分岐点で、上街道の清須近くに甚目寺(海部郡)が置かれました。この海福寺は、名古屋城近くの美濃路の守りです。
③南の守り:南には、東海道の熱田宿に熱田神宮があり、鳴海宿との間に、笠覆寺(南区)があります。
④東の守り:東の岡崎街道、飯田街道の要所には興正寺(昭和区)があります。 -
枯山水の庭園光景です。砂に残された掃き目が、川の流れを表しているようでした。庭石に沿った曲線が綺麗に描かれていました。
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独立して配されたこの岩は、嶋を表現しているのでしょうか、解説の手掛かりの資料がありませんでしたから、勝手に解釈して楽しむことにしました。
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こちらは、砂地の中に、大小に石が寄り添うように配されていました。その周りに綺麗な波紋の様な掃き跡が記されていました。
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イチオシ
枯山水の庭園の粗油買いが続きます。見事に剪定された松と、石組の光景です。五葉松らしい樹の幹は、年代を感じさせ津大きさになっていました。
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少し角度を変えて眺めた、五葉松と組み石の光景です。右には生垣、奥には目一杯に茂った松の庭木がありました。
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左が寺社には付きものの『ソテツ(蘇鉄9』、右は、これも日本庭園には欠かせない『マツ(松)』の庭木の光景です。
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山門側からの守りが固められていた、創建当時にはなかった門のように思えます。今は、車も通れるほどの広い門が開けられていました。境内の内側からの光景です。
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『玉峰山・海福寺』の境内にあった、本堂らしい堂宇の光景です。緑青が吹いた、銅葺屋根でした。右手に唐風の屋根を持った建物が付属していました。
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唐風の造りの玄関があった建物の上部のズームアップ光景です。左手に見える本堂の屋根も銅葺屋根でした。本堂の大棟(おおむね)と呼ばれる部分もすべて銅葺でした。
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更にズームアップした、唐風の造りの玄関の屋根飾りの光景です。銅葺屋根の上に、同じく銅板で造られた屋根飾りがありました。五弁の桜の花の中央に三つ巴があった寺紋がありました。『桜紋』と『巴紋』などでネット検索してみましたが、該当する紋は見つかりませんでした。
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本堂の建物の側面光景です。中央やや右寄りの奥に見える建物は、先ほど前を通った、本瓦で葺かれた、庫裏らしい平屋の建物です。
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イチオシ
正面から眺めた、本堂の破風の光景です。中央の『懸魚(げぎょ)』と呼ばれる飾部分などは、木製でした。白壁の上に木組みを見せたシンプルな造りでした。
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昭和20年(1945年)5月の名古屋空襲で全焼し、昭和39年(1964年)に再建された本堂の建物光景です。近すぎた場所からの撮影ですから、本堂全体の姿が撮影できませんでした。鉄筋コンクリート造りの建物のようです。
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同じく、昭和39年(1964年)に再建された本堂の建物側面光景です。こちら側には扁額などは懸かっていませんでした。扉も窓も締め切られているようでした。
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マツの庭木のズームアップ光景です。剪定はされていましたが、比較的自由に枝を伸ばした松の木でした。赤っぽい幹にも見えましたが、赤松でも黒松でもない、別種の松のようでした。
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神社やお寺には付きものの『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。周りに石が配され、枯山水の庭園の引き立て役になっていました。
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松の庭木のズームアップ光景です。黒松でも赤松でもない、別種の松のようでした。柔らかそうな長い葉を持っていました。品種名は分かりません。
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庫裏らしい建物の光景です。窓ガラスの内側にカーテンが見えていました。控えめな外観に造られている建物のようでした。
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砂地の部分から花茎を伸ばし、赤い花を咲かせていた彼岸花の光景です。砂地の中に居住圏が与えられたらしく、箒の目が入っていませんでした。
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如意宝珠を両手で持ち、座禅姿の地蔵菩薩の光景です。『如意宝珠(にょいほうじゅ)』は、『意のままに願いをかなえる宝』とされ、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、如意輪観音などの持物として、像や絵画に表されています。右手にあった、桃の断面のような形の石碑の文字は読み取ることが出来ませんでした。
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如意宝珠を手にした、地蔵菩薩坐像のズームアップ光景です。二層の示談の上に置かれた蓮座の上の座像でした。盂蘭盆会の新しい板塔婆と菊の花がお供えしてありました。
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境内の片隅に祀られていた、両手を合わせた地蔵菩薩石像の光景です。白と黄色の菊の花がお供えしてありました。
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海福寺の境内の片隅にあった小さな社の光景です。飾り物などはすべて取り去られていました、日本では長く神仏習合が行われたため、明治初期に神仏分離がなされた後も、神道と仏教の間の区別には曖昧な面が残っています。廃仏毀釈を逃れるため、もとは寺であったものが神社になった例も多いとされます。現在においても、誕生祝い・七五三・成人式や祈願事などの『ハレの行事』は神道が、葬儀・供養などの『ケガレの行事』は仏教が担うように、機能を分担しているのが現況です。
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生垣の外から眺めた、『玉峰山・海福寺』の境内光景です。こちらの金属製の扉は閉じられていました。右手に庫裏らしい建物、左手に本堂が見えました。
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『玉峰山・海福寺』の閉じられた金属製の扉と、その左手に見えていた本堂の建物光景です。本堂は、銅葺屋根でした。
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生垣が、『海福寺』と名古屋市道との境界になるようでした。歩道に沿って、低い石垣を設けた生け垣が続いていました。生垣の樹種は、『カイズカイブキ(貝塚伊吹)』でした。ヒノキ科ビャクシン属の常緑小高木です。
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『カイズカイブキ(貝塚伊吹)』の上から顔を出した、海福寺の本堂光景です。生垣は、そろそろ散髪した方がよさそうでした。原産地は中国と日本です。漢名は『龍柏』です。
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生垣の外から眺めた、銅葺屋根の本堂の破風光景です。戦災で全焼し、昭和39年(1964年)に再建された本堂の建物です。
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閉じられたもんの右手の石柱に懸けられた表札の光景です。『臨済宗・妙心寺派』の文字がありました。日本における『臨済宗』は、禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の一つです。『妙心寺派』は、臨済宗一四派の一つで、本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄です。
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左手になる、こちらの門柱には、『海福寺』の表札がありました。禅寺であることを強調した『海福禅寺』、山号を入れた『『玉宝山・海福寺』を含め、三つの表示がありました。
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もう一度、『玉峰山・海福寺』の参道入口に戻りました。その入口から眺めた石標と山門の光景です。名古屋城の西側に通じる美濃路の抑えに重要なお寺であったことが実感できた境内光景でした。
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旅行記グループ 2015年、尾張の寺社巡り(その3)
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