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元禄年間(1688~1703年)に、熱病の流行と村内で起きた火事をきっかけに、疫病防止と安全祈願のために創建されたとされる神社です。低湿地域で、人家が追いやられたため隅田町と称したようです。

2015秋、幅下の隅田神社:小路入口の鳥居、水盤、狛犬、石造の鶏の置物、石灯篭、拝殿

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2015/09/26 - 2015/09/26

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

元禄年間(1688~1703年)に、熱病の流行と村内で起きた火事をきっかけに、疫病防止と安全祈願のために創建されたとされる神社です。低湿地域で、人家が追いやられたため隅田町と称したようです。

  • 『隅田神社』への入口の狭い路地の光景です。高架道路の都心環状線が走る江川線の東に面した場所です。

    イチオシ

    『隅田神社』への入口の狭い路地の光景です。高架道路の都心環状線が走る江川線の東に面した場所です。

  • 『隅田神社』への入口にある石の鳥居の光景です。一つの神社を一町内だけの氏子がお祀りしている珍しい神社とされます。菓子問屋街の中の神社です。

    『隅田神社』への入口にある石の鳥居の光景です。一つの神社を一町内だけの氏子がお祀りしている珍しい神社とされます。菓子問屋街の中の神社です。

  • 『隅田神社』のタイトルがあった説明看板の光景です。路地の入口付近にありました。『那古野1丁目まちずくり研究会』名の看板です。創祀は元禄元年(1688年)、ご祭神は、須佐之男大神と迦具土大神などが紹介されていました。『迦具土大神(かぐつちおおかみ)』は、『伊邪那岐神』と『伊邪那美神』の間に産まれた『火の神』です。

    『隅田神社』のタイトルがあった説明看板の光景です。路地の入口付近にありました。『那古野1丁目まちずくり研究会』名の看板です。創祀は元禄元年(1688年)、ご祭神は、須佐之男大神と迦具土大神などが紹介されていました。『迦具土大神(かぐつちおおかみ)』は、『伊邪那岐神』と『伊邪那美神』の間に産まれた『火の神』です。

  • 『隅田神社(しみだじんじゃ)』の文字が刻まれた石標の光景です。先程の『隅田神社』の説明版の拾い読みの続きです。文政8年(1825年)。町屋が開かれましたが、低湿地のため人々が西北隅に追いやられたため、『隅田』と呼ばれるようになったことが紹介されていました。

    『隅田神社(しみだじんじゃ)』の文字が刻まれた石標の光景です。先程の『隅田神社』の説明版の拾い読みの続きです。文政8年(1825年)。町屋が開かれましたが、低湿地のため人々が西北隅に追いやられたため、『隅田』と呼ばれるようになったことが紹介されていました。

  • 人がすれ違うのも難しそうな工事の光景です。このわずかなスペースの中にも神社所縁の石造物などが置かれていました。まさに、地元の方達の身内の様な神社です。

    人がすれ違うのも難しそうな工事の光景です。このわずかなスペースの中にも神社所縁の石造物などが置かれていました。まさに、地元の方達の身内の様な神社です。

  • 僅かなスペースを利用して置かれていた石造物のズームアップ光景です。三つ巴の文様が繰り抜かれた円形の造りの上に置かれた鶏の光景です。何か、面白そうな謂れがありそうです。

    僅かなスペースを利用して置かれていた石造物のズームアップ光景です。三つ巴の文様が繰り抜かれた円形の造りの上に置かれた鶏の光景です。何か、面白そうな謂れがありそうです。

  • 神社の近くまで、小路を進んで来ました。少し余裕があるスペースには、石灯篭などが置かれ、神社の石の柵もありました。

    神社の近くまで、小路を進んで来ました。少し余裕があるスペースには、石灯篭などが置かれ、神社の石の柵もありました。

  • こちらは清めの水の光景です。満々と水が注がれていましたが、注ぎ口は見当たりません。氏子の方達の勤労奉仕で満たされている水かも知れません。

    こちらは清めの水の光景です。満々と水が注がれていましたが、注ぎ口は見当たりません。氏子の方達の勤労奉仕で満たされている水かも知れません。

  • 土台の一部がくっついたまま運ばれてきたような狛犬さんです。置かれた境遇がそぐわないのか、何となく泣き顔のようにも見えました。

    土台の一部がくっついたまま運ばれてきたような狛犬さんです。置かれた境遇がそぐわないのか、何となく泣き顔のようにも見えました。

  • 『須佐之男・迦具土神社』の文字が刻まては石標の光景です。隅田神社のご祭神の二柱です。どちらも、『伊邪那岐神』と『伊邪那美神』の間に産まれた、神話上の神のようです。

    『須佐之男・迦具土神社』の文字が刻まては石標の光景です。隅田神社のご祭神の二柱です。どちらも、『伊邪那岐神』と『伊邪那美神』の間に産まれた、神話上の神のようです。

  • かつては、もう少し広い境内を有していたのでしょうか、屋根の下に石灯篭その他の石造物が寄せ集められていました。狭いスペースながら、樹木も育っていました。

    かつては、もう少し広い境内を有していたのでしょうか、屋根の下に石灯篭その他の石造物が寄せ集められていました。狭いスペースながら、樹木も育っていました。

  • 一直線に東西に伸びた、隅田神社前の工事の光景です。敷石2枚の広さの通りでした。前方が、小路に入ってきた西方面になります。石の鳥居も見えていました。

    一直線に東西に伸びた、隅田神社前の工事の光景です。敷石2枚の広さの通りでした。前方が、小路に入ってきた西方面になります。石の鳥居も見えていました。

  • 逆光での撮影になりましたが、なんとなく物置小屋か、石材店のようにも見えてしまった隅田神社の光景です。

    逆光での撮影になりましたが、なんとなく物置小屋か、石材店のようにも見えてしまった隅田神社の光景です。

  • これで、一町内だけで祀られている、隅田神社の紹介はおしまいです。厳しい環境ながら、町の遺産が引き継がれているところに大きな価値がありそうです。

    イチオシ

    これで、一町内だけで祀られている、隅田神社の紹介はおしまいです。厳しい環境ながら、町の遺産が引き継がれているところに大きな価値がありそうです。

  • 隅田神社の西を通る、高架道路の都心環状線の光景です。南北の通りは、以前からの呼び名である、江川線とも呼ばれています。

    隅田神社の西を通る、高架道路の都心環状線の光景です。南北の通りは、以前からの呼び名である、江川線とも呼ばれています。

  • 都心環状線の西北のコーナー部分の光景です。この明道町の交差点では、北方面に向かう清州線が分岐しています。

    都心環状線の西北のコーナー部分の光景です。この明道町の交差点では、北方面に向かう清州線が分岐しています。

  • 高架道路の下にあった道路標識の紹介です。名古屋高速の明道町の入口表示でした。料金や、名神高速などへの距離も表示してありました。

    高架道路の下にあった道路標識の紹介です。名古屋高速の明道町の入口表示でした。料金や、名神高速などへの距離も表示してありました。

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