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 栄国寺は、寛文4年(1665年)、尾張徳川家二代目藩主の徳川光友が、刑場を千本松原から土器野(現・清須市)に移した跡地に、西光院第九世任空可信を開祖として開基したお寺です。<br /> 3日間で巡った名古屋市内の36カ所のお寺巡りのお寺です。一覧を紹介しておきます。CD版の『お寺巡り:第5集)』の目次です。<br />(1)清涼山・栄国寺:9月18日(1):名古屋市・中区<br />(2)長嶋山・崇覚寺:9月18日(2):名古屋市・中区<br />(3)曹洞宗・安用寺:9月18日(3):名古屋市・中区<br />(4)法華山・首題寺:9月18日(4):名古屋市・中区<br />(5)光明山・高顕寺:9月18日(5):名古屋市・中区<br />(6)七面山・妙善寺:9月18日(6):名古屋市・中区<br />(7)西本願寺名古屋別院:9月18日(7):名古屋市・中区<br />(8)延厳山・金仙寺:9月18日(8):名古屋市・中区<br />(9)興国山・大光院:9月18日(9):名古屋市・中区<br />(10)梅園山・全香寺:9月18日(10):名古屋市・中区<br />(11)仁王山・永平寺名古屋別院:9月21日(1):名古屋市・東区<br />(12)光明法林山・無量寿院:9月21日(2):名古屋市・東区<br />(13)妙瑞山・大光寺:9月21日(3):名古屋市・東区<br />(14)遠霑山・妙道寺:9月21日(4):名古屋市・東区<br />(15)宗興山・禅隆寺:9月21日(5):名古屋市・東区<br />(16)喜秀山・貞祖院:9月21日(6):名古屋市・西区<br />(17)高木山・宝周寺:9月22日(1):名古屋市・西区<br />(18)田中山・法蔵寺:9月22日(2):名古屋市・西区<br />(19)馬頭山・林貞寺:9月22日(3):名古屋市・西区<br />(20)玉宝山・海福寺:9月22日(4):名古屋市・西区<br />*ここから先は功徳院はじめ16カ寺巡りに収録しました。<br />(21)西眼山・功徳院:9月18日(11):名古屋市・中区<br />(22)久野山・清安寺:9月18日(12):名古屋市・中区<br />(23)法王山・善光寺:9月18日(13):名古屋市・中区<br />(24)浄土真宗・万福寺:9月18日(14):名古屋市・中区<br />(25)金蓮山・来迎寺:9月18日(15):名古屋市・中区<br />(26)隣松山・陽秀院:9月18日(16):名古屋市・中区<br />(27)宝林山・円勝寺:9月21日(7):名古屋市・東区<br />(28)鈴木山・教順寺:9月21日(8):名古屋市・東区<br />(29)谷汲山・室寺:9月21日(9):名古屋市・東区<br />(30)富永山・養念寺:9月21日(10):名古屋市・東区<br />(31)持名山・高岳院:9月21日(11):名古屋市・東区<br />(32)摂取山・遍照寺:9月21日(12):名古屋市・東区<br />(33)真宗大谷派・勝楽寺:9月21日(13):名古屋市・東区<br />(34)嘉乕山・受徳院:9月22日(5):名古屋市・西区<br />(35)宝亀山・西願寺:9月22日(6):名古屋市・西区<br />(36)白石山・豊鶴院:9月22日(7):名古屋市・西区<br /><br /><br />

2015秋、栄国寺と崇覚寺(1/20):清涼山・栄国寺:本堂、千本松原刑場、切支丹遺蹟碑

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2015/09/18 - 2015/09/22

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

 栄国寺は、寛文4年(1665年)、尾張徳川家二代目藩主の徳川光友が、刑場を千本松原から土器野(現・清須市)に移した跡地に、西光院第九世任空可信を開祖として開基したお寺です。
 3日間で巡った名古屋市内の36カ所のお寺巡りのお寺です。一覧を紹介しておきます。CD版の『お寺巡り:第5集)』の目次です。
(1)清涼山・栄国寺:9月18日(1):名古屋市・中区
(2)長嶋山・崇覚寺:9月18日(2):名古屋市・中区
(3)曹洞宗・安用寺:9月18日(3):名古屋市・中区
(4)法華山・首題寺:9月18日(4):名古屋市・中区
(5)光明山・高顕寺:9月18日(5):名古屋市・中区
(6)七面山・妙善寺:9月18日(6):名古屋市・中区
(7)西本願寺名古屋別院:9月18日(7):名古屋市・中区
(8)延厳山・金仙寺:9月18日(8):名古屋市・中区
(9)興国山・大光院:9月18日(9):名古屋市・中区
(10)梅園山・全香寺:9月18日(10):名古屋市・中区
(11)仁王山・永平寺名古屋別院:9月21日(1):名古屋市・東区
(12)光明法林山・無量寿院:9月21日(2):名古屋市・東区
(13)妙瑞山・大光寺:9月21日(3):名古屋市・東区
(14)遠霑山・妙道寺:9月21日(4):名古屋市・東区
(15)宗興山・禅隆寺:9月21日(5):名古屋市・東区
(16)喜秀山・貞祖院:9月21日(6):名古屋市・西区
(17)高木山・宝周寺:9月22日(1):名古屋市・西区
(18)田中山・法蔵寺:9月22日(2):名古屋市・西区
(19)馬頭山・林貞寺:9月22日(3):名古屋市・西区
(20)玉宝山・海福寺:9月22日(4):名古屋市・西区
*ここから先は功徳院はじめ16カ寺巡りに収録しました。
(21)西眼山・功徳院:9月18日(11):名古屋市・中区
(22)久野山・清安寺:9月18日(12):名古屋市・中区
(23)法王山・善光寺:9月18日(13):名古屋市・中区
(24)浄土真宗・万福寺:9月18日(14):名古屋市・中区
(25)金蓮山・来迎寺:9月18日(15):名古屋市・中区
(26)隣松山・陽秀院:9月18日(16):名古屋市・中区
(27)宝林山・円勝寺:9月21日(7):名古屋市・東区
(28)鈴木山・教順寺:9月21日(8):名古屋市・東区
(29)谷汲山・室寺:9月21日(9):名古屋市・東区
(30)富永山・養念寺:9月21日(10):名古屋市・東区
(31)持名山・高岳院:9月21日(11):名古屋市・東区
(32)摂取山・遍照寺:9月21日(12):名古屋市・東区
(33)真宗大谷派・勝楽寺:9月21日(13):名古屋市・東区
(34)嘉乕山・受徳院:9月22日(5):名古屋市・西区
(35)宝亀山・西願寺:9月22日(6):名古屋市・西区
(36)白石山・豊鶴院:9月22日(7):名古屋市・西区


  • 『清涼山・栄国寺』の山門光景です。栄国寺は崇覚寺とともに、『尾張名所図会』に境内図が記されていました。尾張徳川家と所縁の深いお寺です。徳川幕府の命によって処刑した、キリスト教徒に対する慰霊を目的とするお寺です。

    イチオシ

    『清涼山・栄国寺』の山門光景です。栄国寺は崇覚寺とともに、『尾張名所図会』に境内図が記されていました。尾張徳川家と所縁の深いお寺です。徳川幕府の命によって処刑した、キリスト教徒に対する慰霊を目的とするお寺です。

  • 『栄国寺』の白い文字が、門柱に直接に記された表札の光景です。栄国寺は、西山浄土宗のお寺です。

    『栄国寺』の白い文字が、門柱に直接に記された表札の光景です。栄国寺は、西山浄土宗のお寺です。

  • 栄国寺の山門上部のズームアップ光景です。柱の端面などに数多くの三つ葉葵の飾りがありました。葵の紋のルーツは、京都賀茂神社の神紋とされます。

    栄国寺の山門上部のズームアップ光景です。柱の端面などに数多くの三つ葉葵の飾りがありました。葵の紋のルーツは、京都賀茂神社の神紋とされます。

  • 境内側から振り返って眺めた、栄国寺の山門光景です。尾張徳川家の威光が宿っているような造りに見えました。

    境内側から振り返って眺めた、栄国寺の山門光景です。尾張徳川家の威光が宿っているような造りに見えました。

  • 同じく、境内側から振り返って眺めた、栄国寺の山門のズームアップ光景です。高麗門の様式のようでした。高麗門は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に造られ始めた城門です。鏡柱と控柱を一つの大きな屋根に収める構造の薬医門を簡略化したものです。屋根を小ぶりにして、守備側の死角を減らす工夫が施された門が始まりですが、江戸時代以降には、城郭に限らず神社仏閣や町の出入口を仕切る木戸門などに多く用いられました。

    同じく、境内側から振り返って眺めた、栄国寺の山門のズームアップ光景です。高麗門の様式のようでした。高麗門は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に造られ始めた城門です。鏡柱と控柱を一つの大きな屋根に収める構造の薬医門を簡略化したものです。屋根を小ぶりにして、守備側の死角を減らす工夫が施された門が始まりですが、江戸時代以降には、城郭に限らず神社仏閣や町の出入口を仕切る木戸門などに多く用いられました。

  • 半ば文字が消えかかっていた、『阿弥陀如来四十八願所・第三十六番札所』の文字が刻まれていた石標の光景です。『四十八願』とは、浄土教の根本経典である『仏説無量寿経』に説かれる、法蔵菩薩が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のことです。第36番の願は、『聞名梵行の願・常修梵行の願』とされます。

    半ば文字が消えかかっていた、『阿弥陀如来四十八願所・第三十六番札所』の文字が刻まれていた石標の光景です。『四十八願』とは、浄土教の根本経典である『仏説無量寿経』に説かれる、法蔵菩薩が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のことです。第36番の願は、『聞名梵行の願・常修梵行の願』とされます。

  • まだ新しいように見えた、焼物の屋根飾りです。余裕をもって逆立ちしたように見える獅子像です。口を閉じた阿形の雌獅子でしょうか。

    まだ新しいように見えた、焼物の屋根飾りです。余裕をもって逆立ちしたように見える獅子像です。口を閉じた阿形の雌獅子でしょうか。

  • 山門付近から眺めた、『清涼山・栄国寺』の境内光景です。正面奥に見える、本瓦葺きの大屋根が本土の建物のようでした。御本尊の阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作とされ、八事の興正寺大日如来、熱田の雲心寺阿弥陀如来と並んで、名古屋三大大仏の一つと呼ばれています。

    山門付近から眺めた、『清涼山・栄国寺』の境内光景です。正面奥に見える、本瓦葺きの大屋根が本土の建物のようでした。御本尊の阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作とされ、八事の興正寺大日如来、熱田の雲心寺阿弥陀如来と並んで、名古屋三大大仏の一つと呼ばれています。

  • 『ノウゼンカズラ(凌霄花)』のオレンジ色の花です。中国原産のノウゼンカズラ科の落葉性のつる性植物です。平安時代には日本に渡来していたようです。

    『ノウゼンカズラ(凌霄花)』のオレンジ色の花です。中国原産のノウゼンカズラ科の落葉性のつる性植物です。平安時代には日本に渡来していたようです。

  • 『佐藤鮭一氏寄贈コレクション・切支丹遺蹟博物館』の石標のズームアップ光景です。佐藤?笘一氏は、もともと仏壇屋であり骨董品収集の趣味があって沢山の骨董品を集め圧れていたようです。 たまたま栄国寺がキリシタンに関係のある遺跡であることを知り、自分の持っているキリシタン関係の品々を、学習のために寄贈し、開設された博物館です。

    『佐藤鮭一氏寄贈コレクション・切支丹遺蹟博物館』の石標のズームアップ光景です。佐藤?笘一氏は、もともと仏壇屋であり骨董品収集の趣味があって沢山の骨董品を集め圧れていたようです。 たまたま栄国寺がキリシタンに関係のある遺跡であることを知り、自分の持っているキリシタン関係の品々を、学習のために寄贈し、開設された博物館です。

  • 『火防の弥陀に因んで・火消文化史郎室』の表示があった石碑です。展示品は、本尊の阿弥陀如来座像(愛知県指定文化財:名古屋三大仏)は鎌倉時代の仏師春日が彫り込んだものと伝えられる仏像で「火伏不思議の弥陀」と称せられ太平洋戦争での名古屋空襲の戦火を回避したと云われています。

    『火防の弥陀に因んで・火消文化史郎室』の表示があった石碑です。展示品は、本尊の阿弥陀如来座像(愛知県指定文化財:名古屋三大仏)は鎌倉時代の仏師春日が彫り込んだものと伝えられる仏像で「火伏不思議の弥陀」と称せられ太平洋戦争での名古屋空襲の戦火を回避したと云われています。

  • 『亀足山・正覚寺五十六世・●山記念・慈空啓雅』の文字が刻まれた石碑です。色々とネット検索してみましたが、詳しいことは分かりませんでした。浄土宗の高僧がこのお寺を訪ねた時の記念碑のようにも思えます。

    『亀足山・正覚寺五十六世・●山記念・慈空啓雅』の文字が刻まれた石碑です。色々とネット検索してみましたが、詳しいことは分かりませんでした。浄土宗の高僧がこのお寺を訪ねた時の記念碑のようにも思えます。

  • この季節の花、『ヒガンバナ(彼岸花)』です。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。『マンジュシャゲ(曼珠沙華)』の別名を持ちます。

    この季節の花、『ヒガンバナ(彼岸花)』です。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。『マンジュシャゲ(曼珠沙華)』の別名を持ちます。

  • 鬱蒼と庭木が茂った栄国寺の境内光景です。キリスト教徒の受難の地として、昭和61年(1986年)より、カトリック名古屋教区の主催により境内で『名古屋殉教者祭』のミサが行われています。

    鬱蒼と庭木が茂った栄国寺の境内光景です。キリスト教徒の受難の地として、昭和61年(1986年)より、カトリック名古屋教区の主催により境内で『名古屋殉教者祭』のミサが行われています。

  • 『切支丹遺蹟博物館』の文字が記された石標の光景です。尾張藩の初代藩主徳川義直、二代目の徳川光友は、徳川幕府のキリシタン弾圧の時代においても、当初はキリシタンに寛容であったとされています。徳川幕府の圧力が強まったのか、寛永8年(1631年)から藩内でキリシタン伝道に携わった者の処刑が始まりました。寛永21年(1644年)から、正保2年(1645年)にかけて名古屋城中からもキリシタンが捕らえられ処刑されました。

    『切支丹遺蹟博物館』の文字が記された石標の光景です。尾張藩の初代藩主徳川義直、二代目の徳川光友は、徳川幕府のキリシタン弾圧の時代においても、当初はキリシタンに寛容であったとされています。徳川幕府の圧力が強まったのか、寛永8年(1631年)から藩内でキリシタン伝道に携わった者の処刑が始まりました。寛永21年(1644年)から、正保2年(1645年)にかけて名古屋城中からもキリシタンが捕らえられ処刑されました。

  • 第二次大戦の戦災を免れた、栄国寺の本堂光景です。江戸時代の話しに戻ります。寛文元年(1661年)春以降、数多くのキリシタンが藩内の諸村から検挙されました。尾張藩は、その内の伝道に努めたと思われる男女二百余人だけを、寛文4年12月(1665年2月)千本松原刑場で処刑し、他のキリシタンの助命をはかったとされます。

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    第二次大戦の戦災を免れた、栄国寺の本堂光景です。江戸時代の話しに戻ります。寛文元年(1661年)春以降、数多くのキリシタンが藩内の諸村から検挙されました。尾張藩は、その内の伝道に努めたと思われる男女二百余人だけを、寛文4年12月(1665年2月)千本松原刑場で処刑し、他のキリシタンの助命をはかったとされます。

  • 徳川幕府の命令により、結局捕縛させた二千人余のキリシタン全員を寛文7年(1668年)に、別の地で処刑することとなりました。これで尾張のキリシタンは、ほぼ絶滅したとされます。今日まで残された、栄国寺の建物を見ますと、尾張徳川家の苦悩が伝わってくるようです。千本松原刑場跡地に最初に建てられたのは、菩提のための『清涼庵』です。栄国寺の山号として名前が残りました。

    徳川幕府の命令により、結局捕縛させた二千人余のキリシタン全員を寛文7年(1668年)に、別の地で処刑することとなりました。これで尾張のキリシタンは、ほぼ絶滅したとされます。今日まで残された、栄国寺の建物を見ますと、尾張徳川家の苦悩が伝わってくるようです。千本松原刑場跡地に最初に建てられたのは、菩提のための『清涼庵』です。栄国寺の山号として名前が残りました。

  • 『阿弥陀如来四十八箇所・第三十六番・栄国寺』の標識です。全文平仮名で、『うたがひも わがほんのうの くもふれば となふるこえの かぜにはれゆく』のご詠歌が添えられていました。

    『阿弥陀如来四十八箇所・第三十六番・栄国寺』の標識です。全文平仮名で、『うたがひも わがほんのうの くもふれば となふるこえの かぜにはれゆく』のご詠歌が添えられていました。

  • 『本尊阿弥陀如来縁起」の題字があった説明看板です。寛文5年(1665年)、尾張徳川家第二代藩主の光友公が、切支丹塚の菩提のために丹羽郡塔ノ地村・薬師寺から移したものであり、鎌倉時代の名古屋市指定の文化財と紹介されていました。<br />(追記)『木造阿弥陀如来坐像(年代不記)』は、現在は県指定の文化財、名古屋市指定の文化財には、寛文13年の『刺繍涅槃図』が登録されています。

    『本尊阿弥陀如来縁起」の題字があった説明看板です。寛文5年(1665年)、尾張徳川家第二代藩主の光友公が、切支丹塚の菩提のために丹羽郡塔ノ地村・薬師寺から移したものであり、鎌倉時代の名古屋市指定の文化財と紹介されていました。
    (追記)『木造阿弥陀如来坐像(年代不記)』は、現在は県指定の文化財、名古屋市指定の文化財には、寛文13年の『刺繍涅槃図』が登録されています。

  • 豪華な造りの栄国寺の本堂光景です。『張名所図会』には、寛文6年(1667年)に『清涼殿』が創建され、その後の貞享3年(1686年)、『藤田寺』が創建されたことが記述してありました。寛文4年(1665年)、尾張藩2代藩主の徳川光友は、この地で葬られた人達の菩提を弔うため、任空可信を招き清涼庵を開山しましたが、貞享2年(1685年)に可信が寺を出たことにより廃寺となり、貞準和尚を招き藤田寺として改めて開山し、更に寺号を栄国寺に改めたようです。

    豪華な造りの栄国寺の本堂光景です。『張名所図会』には、寛文6年(1667年)に『清涼殿』が創建され、その後の貞享3年(1686年)、『藤田寺』が創建されたことが記述してありました。寛文4年(1665年)、尾張藩2代藩主の徳川光友は、この地で葬られた人達の菩提を弔うため、任空可信を招き清涼庵を開山しましたが、貞享2年(1685年)に可信が寺を出たことにより廃寺となり、貞準和尚を招き藤田寺として改めて開山し、更に寺号を栄国寺に改めたようです。

  • 『清涼山・栄国寺』の本堂の建物の破風光景です。創建から250年近くが経ち、補修工事の手が入ったのでしょうか、尾張徳川家の葵のご紋が鬼瓦や、軒丸瓦に蘇っていました。

    『清涼山・栄国寺』の本堂の建物の破風光景です。創建から250年近くが経ち、補修工事の手が入ったのでしょうか、尾張徳川家の葵のご紋が鬼瓦や、軒丸瓦に蘇っていました。

  • 左手前が栄国寺の本堂、その右手のコンクリート造りの二階建ての建物が庫裏のようです。あるいは併設されている、松原幼稚園関連の建物かもしれません。

    左手前が栄国寺の本堂、その右手のコンクリート造りの二階建ての建物が庫裏のようです。あるいは併設されている、松原幼稚園関連の建物かもしれません。

  • 境内の常緑樹らしい庭木に付いていた、小さな木の実の光景です。『マキ(槇)』の実のようです。濃い赤色に熟すると、食用になります。

    境内の常緑樹らしい庭木に付いていた、小さな木の実の光景です。『マキ(槇)』の実のようです。濃い赤色に熟すると、食用になります。

  • 同じく、境内の庭木に付いていた、『マキ(槇)』の小さな実の光景です。よく見ますと、二段になった実でした。雌雄異株で、『ラカン(羅漢)』とも呼ばれます。

    同じく、境内の庭木に付いていた、『マキ(槇)』の小さな実の光景です。よく見ますと、二段になった実でした。雌雄異株で、『ラカン(羅漢)』とも呼ばれます。

  • 『タマスダレ(玉簾)』の白い花の光景です。ヒガンバナ科タマスダレ属の球根草です。アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ川流域及びチリ、ペルーが原産地で、日本には明治時代初期の1870年頃に渡来しました。葉や鱗茎にリコリンというアルカロイド成分を持つ、有毒植物です。

    『タマスダレ(玉簾)』の白い花の光景です。ヒガンバナ科タマスダレ属の球根草です。アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ川流域及びチリ、ペルーが原産地で、日本には明治時代初期の1870年頃に渡来しました。葉や鱗茎にリコリンというアルカロイド成分を持つ、有毒植物です。

  • 三州・瓦屋杢兵衛作の本堂鬼瓦です。徳川家の葵紋が削られているのは、明治時代になり、焼き討ちを恐れたためと解説されていました。平成8年の解説文には、今から225年前に創建された本堂のむね瓦と記してありましたから、2015年(平成27年)時点では、今から244年ほど前の創建になります。

    三州・瓦屋杢兵衛作の本堂鬼瓦です。徳川家の葵紋が削られているのは、明治時代になり、焼き討ちを恐れたためと解説されていました。平成8年の解説文には、今から225年前に創建された本堂のむね瓦と記してありましたから、2015年(平成27年)時点では、今から244年ほど前の創建になります。

  • 庭木越しに眺めた、本堂の建物光景です。先程の鬼瓦の説明文によれば、今から244年ほど前に創建された建物です。太平洋戦争中の1945年の名古屋爆撃の際、栄国寺周辺は、焼夷弾の被害がなかったとされます。

    庭木越しに眺めた、本堂の建物光景です。先程の鬼瓦の説明文によれば、今から244年ほど前に創建された建物です。太平洋戦争中の1945年の名古屋爆撃の際、栄国寺周辺は、焼夷弾の被害がなかったとされます。

  • 焼物の狛犬の光景です。一対で置かれていた、阿形の雄獅子の方です。濃い眉を持った顔をしていました。日本人で例えれば、弥生人ではなく、縄文人タイプです。

    イチオシ

    焼物の狛犬の光景です。一対で置かれていた、阿形の雄獅子の方です。濃い眉を持った顔をしていました。日本人で例えれば、弥生人ではなく、縄文人タイプです。

  • 一対で置かれていた、吽形の雌獅子の方です。入口に向かって左手に置かれていた、口を閉じた姿です。雄獅子と同様、濃い眉と、ピント立った耳が特徴の像です。

    一対で置かれていた、吽形の雌獅子の方です。入口に向かって左手に置かれていた、口を閉じた姿です。雄獅子と同様、濃い眉と、ピント立った耳が特徴の像です。

  • 石造の地蔵尊の光景です。右手に錫杖、左手に如意宝珠を手にした姿です。如意宝珠は、仏教における霊験を表す宝の珠のことです。『意のままに願いを叶える宝』と解釈されています。

    石造の地蔵尊の光景です。右手に錫杖、左手に如意宝珠を手にした姿です。如意宝珠は、仏教における霊験を表す宝の珠のことです。『意のままに願いを叶える宝』と解釈されています。

  • 曲線よりも、直線が強調された石灯篭の光景です。周りを庭木に囲まれているデイでしょうか、全体が薄っすらと毛生していました。

    曲線よりも、直線が強調された石灯篭の光景です。周りを庭木に囲まれているデイでしょうか、全体が薄っすらと毛生していました。

  • 鬱蒼と庭木が生い茂る、栄国寺の境内光景です。庭木の間に見える石碑は、『佐藤鮭一氏寄贈コレクション・切支丹遺蹟博物館』の石標です。複数箇所に立っていました。<br />

    鬱蒼と庭木が生い茂る、栄国寺の境内光景です。庭木の間に見える石碑は、『佐藤鮭一氏寄贈コレクション・切支丹遺蹟博物館』の石標です。複数箇所に立っていました。

  • 白い地に微かにピンク色が入った芙蓉の花です。この後さらに赤味が増す、『スイフヨウ(酔芙蓉)』かも知れません。

    白い地に微かにピンク色が入った芙蓉の花です。この後さらに赤味が増す、『スイフヨウ(酔芙蓉)』かも知れません。

  • 常緑樹の大木があった、栄国寺の境内光景です。右側の常緑樹の根元には、名古屋市保存樹の標識が立っていましたが、樹種は分かりませんでした。

    常緑樹の大木があった、栄国寺の境内光景です。右側の常緑樹の根元には、名古屋市保存樹の標識が立っていましたが、樹種は分かりませんでした。

  • 『栄国寺・檀信徒駐車場」の立看板と、その背後の常緑樹の光景です。駐車場看板の右手に見える立看板は、この後紹介する、『切支丹処刑地趾・無縁物埋葬地』の解説です。

    『栄国寺・檀信徒駐車場」の立看板と、その背後の常緑樹の光景です。駐車場看板の右手に見える立看板は、この後紹介する、『切支丹処刑地趾・無縁物埋葬地』の解説です。

  • 名古屋市教育委員会名で建てられた、『切支丹処刑地趾・無縁物埋葬地』のタイトルがあった立看板です。寛文元年(1661年)から取り締まりが厳しくなり、寛文4年(1664年)に、この地で200名の切支丹が処刑されたことが解説されていました。

    名古屋市教育委員会名で建てられた、『切支丹処刑地趾・無縁物埋葬地』のタイトルがあった立看板です。寛文元年(1661年)から取り締まりが厳しくなり、寛文4年(1664年)に、この地で200名の切支丹が処刑されたことが解説されていました。

  • 松原幼稚園と切支丹遺蹟博物館の入口門の光景です。中央に『栄国寺』の文字があった、西門と同じような金箔を使ったらしい豪華な造りの門でした。

    イチオシ

    松原幼稚園と切支丹遺蹟博物館の入口門の光景です。中央に『栄国寺』の文字があった、西門と同じような金箔を使ったらしい豪華な造りの門でした。

  • 『観世音霊場・栄国寺』の文字が刻まれた石標と、『栄国寺』のタイトルがあった立看板の光景です。立看板のズームアップ光景の写真は取り損ないましたが、山号は清涼山、浄土宗西山派のお寺であることや、元々は千本松原と呼ばれる刑場であったことなどが紹介されていました。

    『観世音霊場・栄国寺』の文字が刻まれた石標と、『栄国寺』のタイトルがあった立看板の光景です。立看板のズームアップ光景の写真は取り損ないましたが、山号は清涼山、浄土宗西山派のお寺であることや、元々は千本松原と呼ばれる刑場であったことなどが紹介されていました。

  • 『佐藤鮭一氏寄贈コレクション・切支丹遺蹟博物館』の石標です。刑場で特筆されるのは、江戸時代初期に処刑された200名の切支丹です。詳しいことは調べていませんが、この辺りが『千本松原』と呼ばれていたのは、1560年の桶狭間の戦いに勝利した織田信長が、戦勝祈念を行った日置神社に寄贈した千本松に因むようです。その日置神社は、この場所から西に1~200メートルの位置にあります。<br />(追記)平成14年(2002年)に収録された、栄国寺第19世住職の若松啓雅さんの語りにも、この辺りが織田信長が桶狭間の戦勝お礼に寄進した千本松原であったことが述べられていました。明治の初め頃までは松林があったようです。

    『佐藤鮭一氏寄贈コレクション・切支丹遺蹟博物館』の石標です。刑場で特筆されるのは、江戸時代初期に処刑された200名の切支丹です。詳しいことは調べていませんが、この辺りが『千本松原』と呼ばれていたのは、1560年の桶狭間の戦いに勝利した織田信長が、戦勝祈念を行った日置神社に寄贈した千本松に因むようです。その日置神社は、この場所から西に1~200メートルの位置にあります。
    (追記)平成14年(2002年)に収録された、栄国寺第19世住職の若松啓雅さんの語りにも、この辺りが織田信長が桶狭間の戦勝お礼に寄進した千本松原であったことが述べられていました。明治の初め頃までは松林があったようです。

  • 門前に並んだ地蔵尊の光景です。石標を挟んで祀られた六地蔵でした。石標の文字は読み取れませんでしたが、千本松原の刑場で処刑されたキリスト教徒やその他の処刑者の慰霊の像に見えました。

    門前に並んだ地蔵尊の光景です。石標を挟んで祀られた六地蔵でした。石標の文字は読み取れませんでしたが、千本松原の刑場で処刑されたキリスト教徒やその他の処刑者の慰霊の像に見えました。

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