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禅宗の曹洞宗のお寺、『延厳山・金仙寺』の紹介です。名古屋市中区の上前津1丁目に位置するお寺です。江戸時代から『赤福地蔵』の名前で、地元の信仰を集めたようです。

2015秋、西本願寺別院と金仙寺(8/20):延厳山・金仙寺:赤福地蔵、本堂、斎場、木槿

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2015/09/18 - 2015/09/22

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旅人のくまさん

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禅宗の曹洞宗のお寺、『延厳山・金仙寺』の紹介です。名古屋市中区の上前津1丁目に位置するお寺です。江戸時代から『赤福地蔵』の名前で、地元の信仰を集めたようです。

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  • 『曹洞宗・金仙寺』に向かう途中、振り返って眺めた市街光景です。先に見学したお寺が見えていました。左手の本瓦葺きの大屋根が『法華山・首題寺』、右手のアーチ型の屋根が『金蓮山・来迎寺』です。

    『曹洞宗・金仙寺』に向かう途中、振り返って眺めた市街光景です。先に見学したお寺が見えていました。左手の本瓦葺きの大屋根が『法華山・首題寺』、右手のアーチ型の屋根が『金蓮山・来迎寺』です。

  • 左側のお寺の建物の側面には、『曹洞宗・金仙寺』の文字が見えました。次の参詣予定のお寺でした。江戸時代から、『赤福地蔵』が地元の信仰を集めたようです。

    左側のお寺の建物の側面には、『曹洞宗・金仙寺』の文字が見えました。次の参詣予定のお寺でした。江戸時代から、『赤福地蔵』が地元の信仰を集めたようです。

  • 『曹洞宗・金仙寺』の入口門を探しながら歩いていた時の建物光景です。既に金仙寺の敷地内のような場所です。二階建ての建物の屋根越しにお寺の屋根が見えていましたが、ここからの通り道はありませんでした。

    『曹洞宗・金仙寺』の入口門を探しながら歩いていた時の建物光景です。既に金仙寺の敷地内のような場所です。二階建ての建物の屋根越しにお寺の屋根が見えていましたが、ここからの通り道はありませんでした。

  • 白い花を咲かせた、『ムクゲ(槿、木槿)』の樹の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉樹です。多数の園芸品種が存在し、茶花としての人気も高いようです。この境内にも、複数の花の色のムクゲがありました。

    白い花を咲かせた、『ムクゲ(槿、木槿)』の樹の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉樹です。多数の園芸品種が存在し、茶花としての人気も高いようです。この境内にも、複数の花の色のムクゲがありました。

  • 大小、何体かの地蔵尊が祀られた一角の光景です。地元紙に詳しい沢井鈴一さんの解説によれば、金仙寺には珍しい名前の『赤福地蔵』が紹介されていました。沢井さんが聞き取られた、住職の話の紹介です。『門前町の辺りで、江戸時代、瘧が流行りました。大勢の人が亡くなりました。どうしたら病気から免れることができるか、死なないですむのか、藁にもすがる思いで、人々はあんころ餅をつくり、路傍のお地蔵さまに供えました。お祈りのため流行病はなくなりました』 あんころ餅は、餅が餡で包んであって赤い、病気から人々を救い、福をもたらした餅なので『赤福餅』と呼ばれたようです。

    大小、何体かの地蔵尊が祀られた一角の光景です。地元紙に詳しい沢井鈴一さんの解説によれば、金仙寺には珍しい名前の『赤福地蔵』が紹介されていました。沢井さんが聞き取られた、住職の話の紹介です。『門前町の辺りで、江戸時代、瘧が流行りました。大勢の人が亡くなりました。どうしたら病気から免れることができるか、死なないですむのか、藁にもすがる思いで、人々はあんころ餅をつくり、路傍のお地蔵さまに供えました。お祈りのため流行病はなくなりました』 あんころ餅は、餅が餡で包んであって赤い、病気から人々を救い、福をもたらした餅なので『赤福餅』と呼ばれたようです。

  • 中央に置かれた、一番大きな地蔵尊のズームアップ光景です。右手に錫杖を持ち、左手に如意宝珠を持たれたオーソドックスな姿です。『赤福餅』の話の続きです。伊勢の『赤福餅』が樅の木横町で売られるようになったのは、享保年間(1716~1736年)の末のことです。宗春公が第7代の尾張藩主になると、名古屋全体が熱気に包まれて、遠くからも人が集まったようです。『赤福餅』だけでなく、江戸名物の『幾世餅』も販売され、西からは草津名物の姥ヶ餅が名古屋に店を構えました。場所は赤福餅と同じ樅の木横町でした。

    イチオシ

    中央に置かれた、一番大きな地蔵尊のズームアップ光景です。右手に錫杖を持ち、左手に如意宝珠を持たれたオーソドックスな姿です。『赤福餅』の話の続きです。伊勢の『赤福餅』が樅の木横町で売られるようになったのは、享保年間(1716~1736年)の末のことです。宗春公が第7代の尾張藩主になると、名古屋全体が熱気に包まれて、遠くからも人が集まったようです。『赤福餅』だけでなく、江戸名物の『幾世餅』も販売され、西からは草津名物の姥ヶ餅が名古屋に店を構えました。場所は赤福餅と同じ樅の木横町でした。

  • 金仙寺の本堂光景です。第8代藩主の宗春の時代に戻ります。宗春が失脚すると、『幾世餅』は店を畳みました。因みに、赤福餅の名は、伊勢参りの『赤心慶福』の文字から採られたとされます。赤福餅が樅の木横町で売られるようになったのは、享保年間(1716~1736年)の末頃とされます。中央付近に見える赤い幟には、『赤福地蔵尊』の文字がありました。徳川宗春が第7代尾張藩主になったのが享保15年(1730年)9月、江戸幕府将軍、吉宗名で蟄居・謹慎を申し渡されたのが、天文4年(1639年)1月のことでした。

    イチオシ

    金仙寺の本堂光景です。第8代藩主の宗春の時代に戻ります。宗春が失脚すると、『幾世餅』は店を畳みました。因みに、赤福餅の名は、伊勢参りの『赤心慶福』の文字から採られたとされます。赤福餅が樅の木横町で売られるようになったのは、享保年間(1716~1736年)の末頃とされます。中央付近に見える赤い幟には、『赤福地蔵尊』の文字がありました。徳川宗春が第7代尾張藩主になったのが享保15年(1730年)9月、江戸幕府将軍、吉宗名で蟄居・謹慎を申し渡されたのが、天文4年(1639年)1月のことでした。

  • 『赤福地蔵尊」の赤い幟の近くに祀られていた地蔵尊の紹介です。小僧姿のお地蔵さまでした。日陰になってしまった野か、苔生し始めていました。

    『赤福地蔵尊」の赤い幟の近くに祀られていた地蔵尊の紹介です。小僧姿のお地蔵さまでした。日陰になってしまった野か、苔生し始めていました。

  • もう一体だけズームアップで紹介する地蔵尊の光景です。先に紹介した、一番大きな地蔵尊の右側に祀られていました。きりりとしたお顔で合掌する姿の、まだ新しいお地蔵さんです。

    もう一体だけズームアップで紹介する地蔵尊の光景です。先に紹介した、一番大きな地蔵尊の右側に祀られていました。きりりとしたお顔で合掌する姿の、まだ新しいお地蔵さんです。

  • 完熟少し前の蓮の実です。蓮の実は、中国旅行の時に生のままでも食べたことがありますが、まだ青い状態でした。生でも食べられないことはありませんが、少し炙った方が美味しく感じました。『蓮学会』のタイトルがあったブログでは、『カンボジアの子どもたちは、まだ花弁がついているままの花托の実をとりだして食べていたので、私も真似をしてみたら、とても甘かった』と紹介されていました。

    完熟少し前の蓮の実です。蓮の実は、中国旅行の時に生のままでも食べたことがありますが、まだ青い状態でした。生でも食べられないことはありませんが、少し炙った方が美味しく感じました。『蓮学会』のタイトルがあったブログでは、『カンボジアの子どもたちは、まだ花弁がついているままの花托の実をとりだして食べていたので、私も真似をしてみたら、とても甘かった』と紹介されていました。

  • 完熟したように見える蓮の実です。蓮の実からの澱粉質は、完熟した後から採るのでしょうか。『蓮学会』のタイトルがあったブログでは、『秋になると外皮も実も固くなり、剥いてたべるのは困難になる』と紹介されていました。

    完熟したように見える蓮の実です。蓮の実からの澱粉質は、完熟した後から採るのでしょうか。『蓮学会』のタイトルがあったブログでは、『秋になると外皮も実も固くなり、剥いてたべるのは困難になる』と紹介されていました。

  • 曹洞宗のお寺、『延厳山・金仙寺』の本堂の正面光景です。『金仙寺斎場』と呼ばれている建物かもしれません。御本尊は、『釈迦牟尼仏坐像』です。曹洞宗の本山は、福井県にある吉祥山・永平寺です。永平寺の開山は道元禅師、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏です。

    曹洞宗のお寺、『延厳山・金仙寺』の本堂の正面光景です。『金仙寺斎場』と呼ばれている建物かもしれません。御本尊は、『釈迦牟尼仏坐像』です。曹洞宗の本山は、福井県にある吉祥山・永平寺です。永平寺の開山は道元禅師、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏です。

  • 右から読んで、『金仙寺』の金文字が記された扁額のズームアップ光景です。古木から製材したような一枚板が使われていました。

    イチオシ

    右から読んで、『金仙寺』の金文字が記された扁額のズームアップ光景です。古木から製材したような一枚板が使われていました。

  • 境内の庭木の白い『サルスベリ(百日紅)』の花のズームアップ光景です。花弁にフリルが付いた、八重咲種のようでした。

    境内の庭木の白い『サルスベリ(百日紅)』の花のズームアップ光景です。花弁にフリルが付いた、八重咲種のようでした。

  • ネット情報では、『金仙寺』のお寺のことより、『金仙寺斎場』のことが詳しく紹介されていました。控室などを含めた、その斎場の建物かも知れません。

    ネット情報では、『金仙寺』のお寺のことより、『金仙寺斎場』のことが詳しく紹介されていました。控室などを含めた、その斎場の建物かも知れません。

  • 広い駐車場が用意されていた、『延厳山・金仙寺』の最上の建物のようです。この建物の1階も駐車場になっていました。

    広い駐車場が用意されていた、『延厳山・金仙寺』の最上の建物のようです。この建物の1階も駐車場になっていました。

  • 真っ赤な『ケイトウ(鶏頭)』の花の光景です。ヒユ科ケイトウ属の一年生植物です。原産地はアジア、アフリカの熱帯地方と推定され、日本には奈良時代に中国を経由して渡来しました。

    真っ赤な『ケイトウ(鶏頭)』の花の光景です。ヒユ科ケイトウ属の一年生植物です。原産地はアジア、アフリカの熱帯地方と推定され、日本には奈良時代に中国を経由して渡来しました。

  • 面白い形をした『コエビソウ(小海老草)』の花です。メキシコ原産のキツネノマゴ科キツネノマゴ属の植物です。和名は、花穂の形が小海老の尻尾に似ていることからの命名です。『ベロペロネ』の呼び名もあります。

    面白い形をした『コエビソウ(小海老草)』の花です。メキシコ原産のキツネノマゴ科キツネノマゴ属の植物です。和名は、花穂の形が小海老の尻尾に似ていることからの命名です。『ベロペロネ』の呼び名もあります。

  • 満開の『ヒャクニチソウ(百日草)』のズームアップ光景です。濃いピンク色の花が、一番の見頃になっていました。

    満開の『ヒャクニチソウ(百日草)』のズームアップ光景です。濃いピンク色の花が、一番の見頃になっていました。

  • 薄紫の花を咲かせた、『ムクゲ(槿、木槿)』の樹の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉樹です。多数の園芸品種が存在し、茶花としての人気も高いようです。

    薄紫の花を咲かせた、『ムクゲ(槿、木槿)』の樹の光景です。アオイ科フヨウ属の落葉樹です。多数の園芸品種が存在し、茶花としての人気も高いようです。

  • 紫色の花を咲かせたハーブの1種、ブルーセージのようです。シソ科サルビア属の植物です。『セージ』は英名、『サルビア』は、ラテン語の『サルビス』が語源で、『健康』、『安全』という意味とされます。

    紫色の花を咲かせたハーブの1種、ブルーセージのようです。シソ科サルビア属の植物です。『セージ』は英名、『サルビア』は、ラテン語の『サルビス』が語源で、『健康』、『安全』という意味とされます。

  • 薄いピンクの花を咲かせた、『クササンタンカ(草山丹花)』のようです。ペンタスの呼び名もあります。原産地は熱帯アフリカ、マダガスカルとされる、アカネ科ペンタス属の常緑多年草です。

    薄いピンクの花を咲かせた、『クササンタンカ(草山丹花)』のようです。ペンタスの呼び名もあります。原産地は熱帯アフリカ、マダガスカルとされる、アカネ科ペンタス属の常緑多年草です。

  • ハーブの1種、赤い花を咲かせたセージです。個体名は、『チェリーセージ』のようです。『サルビア・ネウレピア』の呼び名もあります。メキシコが原産地のシソ科サルビア属の多年草です。

    ハーブの1種、赤い花を咲かせたセージです。個体名は、『チェリーセージ』のようです。『サルビア・ネウレピア』の呼び名もあります。メキシコが原産地のシソ科サルビア属の多年草です。

  • 白い花を咲かせた、『クササンタンカ(草山丹花)』のようです。原産地は熱帯アフリカ、マダガスカルとされる、アカネ科ペンタス属の常緑多年草です。

    白い花を咲かせた、『クササンタンカ(草山丹花)』のようです。原産地は熱帯アフリカ、マダガスカルとされる、アカネ科ペンタス属の常緑多年草です。

  • 『ハクチョウソウ(白蝶草)』の白い花の光景です。耳には『白鳥草』のように聞こえますが、鼻を見れば、羽を広げた白い蝶に似ていることが一目瞭然です。アカバナ科ヤマモモソウ属の植物で、桃色の花の種類もあります。別名は、『ヤマモモソウ(山桃草)』です。属名の『ガウラ』の名前もよく使われます。

    『ハクチョウソウ(白蝶草)』の白い花の光景です。耳には『白鳥草』のように聞こえますが、鼻を見れば、羽を広げた白い蝶に似ていることが一目瞭然です。アカバナ科ヤマモモソウ属の植物で、桃色の花の種類もあります。別名は、『ヤマモモソウ(山桃草)』です。属名の『ガウラ』の名前もよく使われます。

  • 『ハクチョウソウ(白蝶草)』の白い花のズームアップ光景です。風に揺れて、うまく映りませんでした。撮り直しです。

    『ハクチョウソウ(白蝶草)』の白い花のズームアップ光景です。風に揺れて、うまく映りませんでした。撮り直しです。

  • 撮り直した、『ハクチョウソウ(白蝶草)』の白い花のズームアップ光景です。白い蝶々が羽を広げて飛ぶ姿そっくりです。

    撮り直した、『ハクチョウソウ(白蝶草)』の白い花のズームアップ光景です。白い蝶々が羽を広げて飛ぶ姿そっくりです。

  • この辺りもまだ、『延厳山・金仙寺』の境内のようです。前方に見える本堂に向かって、敷石の参道がまっすぐに伸びていました。駐車場を兼ねた場所のようです。

    この辺りもまだ、『延厳山・金仙寺』の境内のようです。前方に見える本堂に向かって、敷石の参道がまっすぐに伸びていました。駐車場を兼ねた場所のようです。

  • 『ヒマワリ(向日葵)』の黄色の花の光景です。原産地は北アメリカで、キク科の一年草です。ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、ヒュウガアオイ(向日葵)等の沢山の和名を持ちます、英名はサンフラワー、フランス語ではトゥルヌソル、ドイツ語ではゾンネンブルーメ、イタリア語ではジラソーレなどです。

    『ヒマワリ(向日葵)』の黄色の花の光景です。原産地は北アメリカで、キク科の一年草です。ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、ヒュウガアオイ(向日葵)等の沢山の和名を持ちます、英名はサンフラワー、フランス語ではトゥルヌソル、ドイツ語ではゾンネンブルーメ、イタリア語ではジラソーレなどです。

  • 満開の『ヒガンバナ(彼岸花)』の花の光景です。樹のせいかもしれませんが、依然と比べて、単色の赤色以外の花が増えてきたような気がしてなりません。『日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一である(ウィキペディア)』と解説されていますが、状況が変化していいるのかも知れません。

    満開の『ヒガンバナ(彼岸花)』の花の光景です。樹のせいかもしれませんが、依然と比べて、単色の赤色以外の花が増えてきたような気がしてなりません。『日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一である(ウィキペディア)』と解説されていますが、状況が変化していいるのかも知れません。

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