2015/09/18 - 2015/09/22
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旅人のくまさんさん
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真宗大谷派のお寺、『田中山・法蔵寺』の紹介です。歴史の古いお寺とされますが、この地に移ったのは、清須越し直後の寛永3年(1626年)のことです。芭蕉がこの地を訪れたのは60年ほど後、『刈跡や早稲かたかたの鴫の声』の句を残しました。
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『法蔵寺』の文字が刻まれた石製の表札の光景です。山号と院号もあるお寺で、正式名は『田中山・清凉院・法蔵寺』、真宗大谷派のお寺です。
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イチオシ
『法蔵寺』の本殿光景です。ネット検索しても、お寺の縁起は分かりませんでしたが、戦後に建替えられた新しい本堂のようでした。二階部分の入口が銅葺屋根の唐風の造りの建物です。
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石標と法蔵寺の本殿光景です。石標の右側の面には『田中山・清凉院・法蔵寺』、左側の面には、『蓮如上人500回御遠忌法要記念』の文字が刻まれていました。
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イチオシ
屋根飾りに十字架を付ければ、そのままキリスト教会で通用しそうな近代建築のお寺の光景です。建物壁面上部に、『真宗・法蔵精舎』の文字がありました。インドの『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)』に倣った命名でしょうか。祇園精舎の正式名は『祇樹給孤独園精舎』、釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎の一つです。若い頃に詠んだ吉川英治さんの新平家物語の冒頭、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ』の部分は、忘れたことがありません。もう一度全巻読み返したい本の内の一つです。
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境内に置かれた春日灯篭風の石灯篭の光景です。その傍らに『トクサ(木賊)』が生えていました。春日灯篭は、意図的に竿と呼ばれる部分より下をコンパクトにしてあるようでした。
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春日灯篭風の石灯篭とトクサがあった場所付近の光景です。『田中山・法蔵寺』は、歴史の古い寺とされますが、この地に移ったのは、清須越し直後の寛永3年(1626年)のことです。芭蕉がこの地を訪れたのは、その60年ほど後の頃です。
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『真宗・法蔵精舎』と表示されていた建物の光景です。左手に見えているのが、2階にあった入口です。江戸幕府三代将軍・徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了に仏教の聖地、『祇園精舎』の視察を命じました。その頃、カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、アンコール・ワットが祇園精舎であると誤認していました。その誤った情報で、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけていたようです。アンコール・ワットは、今でこそ世界遺産としてよく知られていますが、12世紀ころに建造されたヒンドゥー教・仏教遺跡ですから、ブッダの時代からは1700年ほど後のことになります。
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同じく、『真宗・法蔵精舎』と表示されていた建物の光景です。島野兼了もアンコール・ワットを天竺(インド)の『祇園精舎』であると思い込んで視察し、一枚の『見取図』を作成しました。この見取り図が、アンコール・ワットであることが判明したのは明末期のことです。建築史学者の伊東忠太(1867~1954年)がこの見取図を鑑定し、全体構造から推してアンコール・ワットの見取図であることを解明しました。『見取図』を作成したのは、森本一房が作成したとする説もあります。森本一房(生年不詳~1674年)は、江戸時代前期の平戸藩士です。父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するために渡航し、インドの祇園精舎と思われていたアンコール・ワットを訪ねました。
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庭木の間から顔を出した、春日灯篭の光景です。祇園精舎の話の締め括りです。『祇園精舎図』と題された古地図は、今も彰考館(茨城県水戸市)に保存されています。また、森本一房がアンコール・ワットの回廊の柱に残した墨書(落書き)は、今も見ることができますが、塗り潰されていて、内容を読み取ることは困難です。『御堂を志し数千里の海上を渡り』『ここに仏四体を奉るものなり』などの内容だったようです。
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墨字が消えかかった、『法蔵寺会館』の表札の光景です。『真宗・法蔵精舎』と記された本堂らしい建物とは別の、独立した建物でした。
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少し離れた場所から眺めた、『法蔵寺会館』の建物光景です。行事が行われる時などに使用される建物のようでした。今日は、扉も窓も閉まっていました。
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庭木が纏めて植樹された一角の光景です。その中央にある石碑には『鴫塚』の文字が刻まれています。貞享4~5年頃(1687~1688年)、芭蕉がこの辺りの田中の里で詠んだ『刈跡や早稲かたかたの鴫の声』の句碑は、庭木に隠れた左後ろです。『鴫塚』は、昭和52年(1977年)に名古屋市史跡に指定されました。
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『平らに削られた石に墨字が揮毫されているようでした。『文政十二巳丑年・寄付・中島屋甚助』の文字でした。寄進されたのは、庭石や灯籠、あるいはまったく別のものかもしれません。文政12年は1829年、徳川幕府は11代将軍の家斉の時代です。前年にシーボルト事件が起きました。
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江戸時代に中島屋甚助さんが寄付したらしい、庭石や石灯籠の光景です。中島屋甚助さんについてのネット検索をしてみましたが、今のところは何も分かっていません。
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イチオシ
中島屋甚助さんが寄付したらしい、石灯籠のズームアップ光景です。年代は経ていますが、随分とお洒落な造りの石灯篭でした。一帯で彫刻されているような、最上部の宝珠、受花と笠の造りは優美ですし、それに照応した、竿と呼ばれる下部の造りも立派です。
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中島屋甚助さんが寄付したらしい石灯籠の周りの庭園光景です。枯山水風の小さな庭に纏められていました。
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中島屋甚助さんが寄付したらしい石灯籠の周りの庭園光景です。立入り禁止の竹製の低い柵が設けてありました。
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『田中山・法蔵寺』の入口付近の光景です。厳めしい姿の山門はなく、オープンにされた前庭でした。敷地の北面が国道22号線に面した境内でした。この写真では、左手が岐阜方面、右手が名古屋城方面になります。
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赤い彼岸花が咲いていた境内の一角の光景です。庭木の間に石碑の光景がありました。
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庭木の間にあった石碑のズームアップ光景です。『西山守賢先生之碑』のタイトルの記念碑でした。幕末から明治にかけての剣客に対する賛辞のようでした。
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『蓮如上人500回御遠忌法要記念』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。『蓮如上人(1415~1499年)』は、室町時代の浄土真宗の僧で、浄土真宗本願寺派第8世宗主、真宗大谷派第8代門首だった人です。1999年が500回遠忌の年になります。本願寺を再興したことから、『本願寺中興の祖』と称されます。
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『蓮如上人500回御遠忌法要記念』の記念石碑の側面の光景です。平成10年7月吉日の日付と寄進者の名前がありました。平成10年は1998年ですから、前倒しで法要・記念碑寄進がされたようです。
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本堂が、近代ビルに作り替えられたたあめ不要となったらしい鬼瓦の光景です。本瓦製ではなく、緑青から判断して、銅板造りのようでした。
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地蔵尊が纏めて飾られていた一角の光景です。地蔵尊が置かれたコンクリートの台の右手には、『法蔵寺和』の文字が刻まれた古い石碑がありました。
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赤っぽく見える仏像の光景です。鉄製でしょうか、ブロンズ像や銅像ではないようです。蓮の蕾と葉を手にされた観音菩薩像のようです。
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イメージ的には、国産の石像ではなく、東南アジアの国を連想させる像です。鳥の様な顔はインド神話のガルーダを連想させますが、羽根はありません。苔が生しているかと思いましたが、緑釉が掛かった焼物でした。
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菰ダルを模した石造の置物です。単なる置物ではなく、手水鉢として造られたものかもしれません。菰ダルが置かれた台には、手洗い用らしい水受けが設けてありました。
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砂を食べる怪獣のような置物です。両手に一杯の砂を抱え込んでいました。これまでに見たことがない置物でしたが、国産品ではないかも知れません。
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土台石の上に置かれた、石造の台座の上の五重石塔の光景です。長い相輪を持ち、屋根の造りも重厚そうです。
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『田中山・法蔵寺』の境内光景です。山号は、かつてのこの地が『田中の里』と呼ばれたことから採られているようです。芭蕉の句集の『笈の小文』に記された地名です。
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旅行記グループ 2015年、尾張の寺社巡り(その3)
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