名古屋旅行記(ブログ) 一覧に戻る
西区新道2丁目にある浄土宗のお寺、万松山・崇徳寺(そうとくじ)の紹介です。創建は慶応3年(1867年)とされます。現在は高木山・宝周寺が管理する無住のお寺でした。

2015秋、妙円寺と崇徳寺(9/19):万松山・崇徳寺:崇徳寺石標、延命地蔵尊、本堂

10いいね!

2015/09/26 - 2015/10/09

3200位(同エリア5909件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

西区新道2丁目にある浄土宗のお寺、万松山・崇徳寺(そうとくじ)の紹介です。創建は慶応3年(1867年)とされます。現在は高木山・宝周寺が管理する無住のお寺でした。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 現在は高木山・宝周寺が管理する無住のお寺、万松山・崇徳寺(そうとくじ)の建物光景です。随分と寂れてしまったような雰囲気でした。

    現在は高木山・宝周寺が管理する無住のお寺、万松山・崇徳寺(そうとくじ)の建物光景です。随分と寂れてしまったような雰囲気でした。

  • 『浄土宗・崇徳寺』の文字が刻まれた、まだ新しい石標の光景です。山号は、『万松山(ばんしょうざん)』です。

    『浄土宗・崇徳寺』の文字が刻まれた、まだ新しい石標の光景です。山号は、『万松山(ばんしょうざん)』です。

  • 境内に祀られていた、すらりとしたお姿の地蔵尊の光景です。真っ赤な帽子と前掛け姿でした。左横にあった卒塔婆には、『崇徳寺延命地蔵尊盂蘭盆供養追福増上菩提』の文字がありました。延命地蔵尊でした。

    イチオシ

    境内に祀られていた、すらりとしたお姿の地蔵尊の光景です。真っ赤な帽子と前掛け姿でした。左横にあった卒塔婆には、『崇徳寺延命地蔵尊盂蘭盆供養追福増上菩提』の文字がありました。延命地蔵尊でした。

  • 境内の片隅にあった墓碑の光景です。一番右の墓碑には『南無阿弥陀仏』の称名と、台座には『知恩院前門主徹定和尚』の文字がありました。布教中に、このお寺で亡くなった和尚です。

    境内の片隅にあった墓碑の光景です。一番右の墓碑には『南無阿弥陀仏』の称名と、台座には『知恩院前門主徹定和尚』の文字がありました。布教中に、このお寺で亡くなった和尚です。

  • 1階は民家風の造りでしたが、奥に見えていた建物が本堂のようでした。そちらに向かって、長い敷石の参道が伸びていました。

    1階は民家風の造りでしたが、奥に見えていた建物が本堂のようでした。そちらに向かって、長い敷石の参道が伸びていました。

  • この季節の花の芙蓉に飾られた本堂の建物光景です。左手前から伸びた屋根と芙蓉の花で、破風は半ば隠れてしまいました。その背後には、ビルが迫っていました。

    イチオシ

    この季節の花の芙蓉に飾られた本堂の建物光景です。左手前から伸びた屋根と芙蓉の花で、破風は半ば隠れてしまいました。その背後には、ビルが迫っていました。

  • 『浄土宗・崇徳寺』の本堂の屋根と破風のズームアップ光景です。寺院らしい、教の巻の鬼瓦が乗せられていました。近寄りすぎて、破風は懸魚(げぎょ)以外は隠れてしまいました。

    『浄土宗・崇徳寺』の本堂の屋根と破風のズームアップ光景です。寺院らしい、教の巻の鬼瓦が乗せられていました。近寄りすぎて、破風は懸魚(げぎょ)以外は隠れてしまいました。

  • 『檀信徒のつどい』のタイトルがあったポスターです。浄土宗尾張地区と総本山知恩院の連名による『尾哲義運動推進大会』の副題があったポスターでした。

    『檀信徒のつどい』のタイトルがあったポスターです。浄土宗尾張地区と総本山知恩院の連名による『尾哲義運動推進大会』の副題があったポスターでした。

  • 栗の玄関になるようです。『浄土宗・崇徳寺(そうとくじ)』の表札がありました。無人のため、引戸は閉められているようでした。

    栗の玄関になるようです。『浄土宗・崇徳寺(そうとくじ)』の表札がありました。無人のため、引戸は閉められているようでした。

  • 扉の前に円台が置かれた庫裏の玄関の光景です。お寺に用事がある方は、住職がいる宝周寺に連絡くださいとの貼紙がありました。江戸時代の高木門が残る高木山・宝周寺は、既に紹介済みです。<br />https://4travel.jp/travelogue/11200702

    扉の前に円台が置かれた庫裏の玄関の光景です。お寺に用事がある方は、住職がいる宝周寺に連絡くださいとの貼紙がありました。江戸時代の高木門が残る高木山・宝周寺は、既に紹介済みです。
    https://4travel.jp/travelogue/11200702

  • 『万松山・崇徳寺(ばんしょうざん・そうとくじ)』のタイトルがあった説明看板の光景です。創建は慶応2年(1866年)、御本尊はコクゾウ・阿弥陀如来坐像と紹介されていました。先にお墓を紹介した、布教中の『知恩院前門主徹定和尚』が、このお寺で亡くなったことが紹介されていました。

    『万松山・崇徳寺(ばんしょうざん・そうとくじ)』のタイトルがあった説明看板の光景です。創建は慶応2年(1866年)、御本尊はコクゾウ・阿弥陀如来坐像と紹介されていました。先にお墓を紹介した、布教中の『知恩院前門主徹定和尚』が、このお寺で亡くなったことが紹介されていました。

  • お寺の掲示板の光景です。左のポスターは、済んでしまった大須観音境内でのお釈迦様の『花まつり』のポスターでした。これで、『万松山・崇徳寺』の紹介はおしまいです。

    お寺の掲示板の光景です。左のポスターは、済んでしまった大須観音境内でのお釈迦様の『花まつり』のポスターでした。これで、『万松山・崇徳寺』の紹介はおしまいです。

この旅行記のタグ

関連タグ

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP