2015/05/01 - 2015/05/09
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ウェンディさん
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71歳の母と旅したトルコ。
イスタンブールの滞在は正味3日間。
そんなに長くはないこの3日間にやりたいこと、見たいものはヤマほどありました。
世界遺産となっているブルーモスクやアヤソフィア。
古い木造建築物が残る街並みや活気のあるバザール。
歴史的建造物にも興味深々。
でも、母と私が一番チャレンジしたかったコトは、ブラブラと旧市街を歩くイスタンブール歴史散歩でした。
旅の前にイスタンブールの旅行記をいくつか拝見して、有名観光箇所にピンポイントで行くのではなく、一つの観光ポイントを点とするならば、点と点を結ぶ線の行程を楽しむのが、イスタンブールの楽しみ方だと気がつきました。
そして、イスタンブールの2日目であったこの日は、点と線の行程を楽しむ日。
初夏のような日差しの中、イスタンブールの街をテクテク歩いて歴史散歩を楽しみ、煌めく紺瑠璃の静寂〜リュステム・パシャ・ジャミィ〜を堪能した日の旅行記です。
☆★☆★☆★☆★旅程 2015/5/1〜2015/5/9☆★☆★☆★☆★
□5/1 成田22:30 -TK0053-
□5/2 イスタンブール 04:40 / 09:50 -TK2026- カイセリ11:10
カッパドキア観光
□5/3 カッパドキア観光
□5/4 カッパドキア観光
□5/5 ホームステイ
□5/6 カイセリ6:00 -TK2023- イスタンブール07:25
アヤソフィア、エジプシャンバザール、リュステム・パシャ・ジャミィ、イェニ・ジャミィ、ガラタ塔、セマー
■5/7 トプカプ宮殿、ルナ・テラス、ブルーモスク、グランドバザール、ヴァレンス水道橋、シェフサーデ・ジャミィ、スレイマニエ・ジャミィ、リュステム・パシャ・ジャミィ、ボスポラス海峡クルーズ
□5/8 地下宮殿、カーリエ博物館、テオドシウスの城壁、ミフリマー・スルタン・ジャミィ、 考古学博物館
□5/9 イスタンブール 01:15 -TK0052- 成田18:30
☆★☆★☆★☆★ ファティマとアイシャの旅 旅行記☆★☆★☆★☆★
【1】日本人の知らないカッパドキアへ☆ソーアンルの岩窟修道院:
http://4travel.jp/travelogue/11010564
【2】ウフララ渓谷は赤目溪谷だった!?:
http://4travel.jp/travelogue/11012680
【3】男の村マズにある真実の地下都市とバルーン・ライド:
http://4travel.jp/travelogue/11013325
【4】時に忘れられた村;ジェミルへ:
http://4travel.jp/travelogue/11015647
【5】Forgotten Cave Churches☆ローズ・バレーをトレッキング:
http://4travel.jp/travelogue/11017310
【6】女の修業!度胸でチャレンジ♪ホームステイでお料理教室:
http://4travel.jp/travelogue/11018186
【7】スター・ウォーズの世界へ☆ギョレメパノラマをハイキング:
http://4travel.jp/travelogue/11019510
【8】貌のない天使を探して
http://4travel.jp/travelogue/11024303
【9】スルタンの秘められた世界;狂気を孕む王宮へ
http://4travel.jp/travelogue/11028013
【10】点と線を楽しむイスタンブール街歩き
http://4travel.jp/travelogue/11039360
【11】メドゥーサの微笑み☆美味い話にウラは無い!
http://4travel.jp/travelogue/11050701
【12】マリア様はSuper Girl
http://4travel.jp/travelogue/11094540
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イスタンブール2日目の5月7日。
この日は朝からトプカプ宮殿とブルーモスクを堪能し、スルタンの歴史物語の中に首までドップリと漬かり、頭が飽和状態。
そんな時は、頭の整理を兼ねて体を動かすのが一番。
ブルーモスクをスタート地点として、地図を片手に歩き出す。
持っている地図は、【歩き方】と【るるぶ】と【ホテルで貰ったイスタンブールの市街地図】。
大雑把な方向性が分かるのは【歩き方】なのだが、路地の細かい部分はあんまり当てにはならないかな。
まあ、街歩きは道に迷うのも一興。
道に迷えば、思いがけない素敵な光景に出会えるチャンスも生まれてくる。
それに私には言葉がある。
指さし・言葉・地図。これさえあれば、道を聞く時だって怖いもの知らず。
第一、トルコの方はみんな、とても親切。
街角で道を聞けば必ず教えてくれる。
(たまには極悪非道な奴もいるのでヒトを選ぶ目は重要だけれど…)
ゴマパンを買い喰いしたり、町ネコと遊んだり…。
家族と行く旅とは異なる、母と娘の(自称)女子旅の楽しみ満載の街歩き。
あちらこちらでトラップされながらも、ブルーモスクから歩いて30分程度でグランド・バザールの門に到着した。 -
イチオシ
グランド・バザールは、イスタンブールの中でも一番古くて大きな市場だ。
バザールの門を潜ると目の前に現れたのは光輝くアラビアン・ランプのお店。
天井から、壁から吊り下げられたランプがキラキラと輝く空間が目の前に広がった。
アラビアン・ランプはモロッコのマラケシュでも沢山見てきたが、同じアラビック模様でもその雰囲気が地域により全然異なる。
モロッコのランプは、ランプシェードの骨組が作り出す陰影を楽しむタイプが主だったが、トルコのランプは、色彩豊かな同じ型のランプをサイズ違いや連なりとして楽しむシンメトリータイプだ。
部屋の装飾品にはそんなに固執しない私ですら魅了するトルコのランプ。
ランプ好きの方ならば垂涎ものだろう。グランド バザール 市場
-
バザールの中は、ランプの店があるかと思えば、その向かい側にあるのは、鞄・靴・洋服を扱う店だ。
その昔は同業者ごとにまとまっていたらしいのだが、今は色んな業種の店が入り乱れている。 -
グランド・バザールの中にあるのは土産屋や日用品の店ばかりだけではなく、ちょっと一息つけるようなカフェもある。
カフェがあるのはバザールの中央部分で、バザールの中でも一番古くに建築された場所だ。
だから、その天井装飾も味がある。
このグランド・バザールが最初に作られたのは、1453年。
その年は、オスマン時代を幕開けさせた帝王;メフメット一世がコンスタンチノープルを陥落させた年だと云われている。
メフメット一世が、街づくりの基礎として最初に取り組んだのが、バザール(市場)の設置。
皆が安心して商を出来る場所として整えられたのが、グランド・バザールだった。
オスマン帝国はイスラムの教えを主軸とする国だ。
イスラムというと、戒律が…とか、お祈りが・・・とか色々と面倒臭そうなイメージがあるが、イスラムの考え方はそんなにがんじがらめではなく、柔軟性に富んでいるのが本来の姿だ。
オスマン・トルコの時代も同様で、とくに通商に関してはかなりの自由度があった。
オスマン帝国の貿易に関する方針は“商売を商う者は如何なる人種・宗教であっても拒みはしない”
この考え方は瞬く間に周辺の地域に広まり、グランド・バザールは東西交易の中心地となり、イスタンブールはアジアと欧州を結ぶ陸と海の交差点となった。
東南アジアからは香料、バルト海の北からは黒貂の毛皮や琥珀、地中海からはナイルの恵みがイスタンブールにもたらされ、此処グランド・バザールの中を行き交っていたのだろう。 -
バザールの中には、どうしてこんなものがバザールの中にあるのだろう??と思うようなモノもあった。
それは、チェシュメと呼ばれる泉(水道施設)。
その昔、イスタンブールの飲料水の水質は非常に悪く、人々は遠く離れた井戸まで飲み水を汲みに行かねばならなかった。
そこで、バザールで財を成した商人たちは人々にその財を還元する方法として、公共事業としての水道を引き、市場を訪れる街の人々が新鮮な水を飲めるようにした。
イスラムの教えでは、ワフクといわれる宗教寄進財産制度が盛んで、富める者は喜んで公共事業に自分の富を費やした。
こんな風にして作られた泉はバザールの中だけではなく、イスタンブール市内の街角にも現在でも残されていて、人々に利用されていた。 -
グランド・バザールの中には、金銀を扱うお店やトルコ中の土産品を扱う店が沢山あり、見ていてとてもワクワクする場所だ。
でも、その商品の価格は…というと、バザールの外にある街中の土産屋と比較しても安くはない。
どちらかといえば高いくらいだ。
グランド・バザールは賃料が非常に高く、その賃料の一部が商品の代金に転嫁されている。
だから、母も私も、見るだけ〜と思っていたのだが…。
やはり、そこは女子旅。
見ているだけでは終わりはしないのが世の常だ。
欲しいものは、やっぱり欲しい。
母は、お気に入りの柄のスカーフを、私はオリーブ石鹸を買ってしまった。
勿論、値切り交渉は必須。
お店の方と私達がお互いにニッコリと笑える額で手を打ち、売買の成立だ。
更に、バザールを出たところにあったKOSKA(KIOSKのような小さなスーパー)で、トルコのお菓子まで…。
これから街歩きをするので、買い物はすべきではないと分かっているのに…。 -
30分ほどグランド・バザールを探検した後は、背中のリュックに戦利品を突っ込んで、街歩きを再開する。
T1のトラム通りを西に向けて歩く。
5月の上旬だが、気温は初夏の様。
半袖を着ていて気持ちよく歩くことが出来る気候だ。
街角にはイスラムの聖廟のような建物があり、入口を探したのだが、分からなかった。
こんな時、現地の言葉が分からないことをとても悔しく感じてしまう。 -
トルコの道は面白い。
歩道沿いには色々な店があるのだが、その店があるのは地上の道だけではない。
大きな交差点の地下を潜る地下道。
その地下道の中にも店がある。
店の種類は、携帯電話屋、衣料品店、カフェ…等様々なのだが、空間全てが自転車屋さんだった地下道には驚かされた。
床面から天井ギリギリのところまで、自転車で覆い尽くされた地下道…。
間違って店舗の倉庫に入り込んでしまったかと思ったが、ココは一般の歩道の両脇。
日本でいう鉄道の高架下の土地の有効利用的な考えなのかもしれない。 -
イチオシ
グランド・バザールから歩くこと約40分で次の目的地であるローマ時代の水道橋へとやって来た。
この日の街歩きの大まかなルートについては、旅の前にGoogleマップで道順をチェックし、だいたいの距離は把握していたのだが…落とし穴があった。
落とし穴とは道の勾配。
地図やGoogleマップは二次元の世界。
だから見ているのはあくまでも距離だけ。
しかし、実際の街は三次元の世界で、平面には無い“高さ”という要因がある。
実際にイスタンブールの街を歩いてみて分かったのは、結構、山あり谷ありの地形だという事!
決して急な坂道ではないのだが、グランド・バザールからヴァレンス水道橋まではずっと登り道だった。
靴はスニーカーを履いていたのでそんなには疲れなかったが、街歩きという事で侮ってサンダルなんかを履いてきていたら、足の指には靴擦れが出来ただろう。ヴァレンス水道橋 建造物
-
ヴォレンス水道橋は、今から約1700年前の西暦378年に完成したローマ時代の水道橋で、郊外の森の水をイスタンブール市内に運ぶ役割を果たしていた。
四世紀の頃の日本は…と云えば“空白の世紀”とも云われる古墳時代で、文化と呼ばれるものが殆どなかった(少なくとも記録としては残されていない)時代だ。
そんな時代に西アジアのトルコでは、二重アーチの水道橋を作る技術があり、実際に水道施設として利用されていたのだ。
ヴォレンス水道橋が水道橋として利用されていたのは、1700年代までの約1300年間。
1300年もの間、水を供給することのできる頑健な建築物を作ることのできたローマ時代の技術力は並外れたモノだったのではないかと思う。
現在のヴォレンス水道橋は、水の道としては利用されずに遺跡として残されているが、その遺跡の下を車が勢いよくビュンビュンと走りぬける。
なんだか不思議な光景だ。 -
現存する水道橋の長さは約1kmという事なので、どこかに水道橋の上への登り道はないかな〜と思い、橋の周りを探したのだが、見つけることは出来なかった。
(帰国後に知った情報では、橋の上に登るのは禁止されている…らしい)
橋の上に登れなくてもローマ時代の水道橋を初めて見た母と私は、それなりに興奮し、石に触れ、その質感を触感として楽しむ。
傍から見たら、かなり変な母娘に見えたに違いない。 -
アーチ型に組むことで、強度を出したという水道橋の骨格。
この骨格は、この後のトルコの建築物のモデルとなった…ということだ。 -
水道橋の近くには、白く輝くモスクがあった。
登り道を歩き通してちょっとお疲れ気味だった私たちは、足休めを兼ねてモスクの見学をさせてもらう。
イスラム教徒の方たちを見習い、モスクの前の水道で手を洗い、スカーフで髪の毛を覆ってからモスクへと入る。
本来ならば足も洗うのが正式らしいが、さすがに足までは…ということで、足洗いはパス。 -
このモスクはシェフサーデ・ジャミィと呼ばれるモスクでスレイマン大帝の息子であったメフメット皇子(1歳で亡くなっている)のための廟だ。
モスクの中は、観光客の入れる区域とイスラム教徒のお祈りする区域が分けられており、白を基調とした空間にはヒンヤリとした空気が流れている。シェフザーデ ジャーミィ 寺院・教会
-
お祈りをする方の邪魔にならぬよう壁際の絨毯の上にそっと腰を下ろし、モスクの天井を見上げる。
1500年代にデザインされたと云われる天井の美しいアラベスク模様。
息を整えながら眺めていると、心が落ち着く様な感じになってくる。
ブルーモスクで聞こえていた観光客のざわめきなど、此処には何もない。
私語などは一つも聞こえてこない、静けさが支配する空間。
ただ一つ、聞こえてくるのはコーランを読み上げる男性の低い声。
仏教のお経ともキリスト教の讃美歌や説法とも異なる、単調なその調べをずっと聞いていると、トランス状態に陥りそうになる(単に疲れで眠かっただけなのかもしれないが…)。
モスクの中に居ると、時間が過ぎるのを忘れてしまう。
モスクを出る間際にふと脇を見たら、コーランを読んでいた男性の姿があった。
声だけを聞いていたらそれなりに年配の方かと思っていたのだが、実際の彼は未だ20代位かと思われる青年。
素敵な声をしているね♪ -
シェフサーデ・ジャミィを出た後は金角湾に向かう方向へ歩き出す。
この辺りは道が入り組んでいて、地図などは役に立たない。
太陽の方角と、坂道の角度。それが方向の目安だ。
道沿いには、昔ながらのトルコ式の建築方法の家が立ち並んでいた。
こういった家々は保存地区にしかないのかと思っていたのだが、結構、街中に普通に建てられている。 -
街歩きを楽しんでいたら時刻はあっという間に13時過ぎとなり、お腹も空いてきたので道沿いで見つけたカフェで一休み。
英語メニューもない小さな地元カフェだ。
メニューはトルコ語だが、店番のお兄さんが英語で説明してくれたので無事にオーダーできた。
店内は禁煙席、喫煙席がきちんと区別され、分煙もしっかりしている。
店内にいるのは若者ばかり。
トルコのカフェ…というと比較的オジサマ率が高いのに何故だろう?と思っていたら、その理由はこの立地だった。
このカフェがあったのはイスタンブール大学のすぐ傍。
どうやら、母と私は学生街へと迷い込んでいたらしい。
(昼食代:焼きたての惣菜パン2個+チャイ(大)2個で13TL:約650円) -
お店を出る時にお兄さんに、美味しかったよ♪と伝えたら、写真撮っていけばのジェスチャーをしてくれたので、1枚パチリ。
こういった小さなやり取りが街歩きの醍醐味だ。 -
大学の学生街なので、女子学生の姿も多い。
イスラムの国であるトルコだが、女子学生のスタイルは色々で、頭だけスカーフで覆う女性、全身に黒を纏う女性、まったく髪の毛を隠さない女性、様々なスタイルの女子学生の姿があった。
トルコという国は交易で栄えた国であり、アジアから、欧州から、アフリカから…様々な人たちがやってきて定住してきた国。
人と違うのが当たり前、みんなそれぞれの文化があり、それは尊重すべきことである…。という様な考え方が、彼らの根底には流れているのかもしれない。 -
学生街の路地で果物屋さんを発見して、ついついお昼のデザートとしてブラックベリーを買ってしまった。
でも、買ったのはいいけれど、どこで食べようか…。 -
片手に八百屋さんの紙袋を抱えながら、トルコ式住宅が並ぶ街並みを歩く。
-
そんな時に見つけたのが、かなり巨大なモスク。
大きなモスクにはたいてい芝の庭園があり、そこは憩いの場になっている筈…。
母と私はモスクの周りをぐるりと回って、庭園を見つけ出す。
予想通り、芝の上では大学生が昼寝をしたりランチを食べていたので、私たちも便乗し、大きな樹が作り出す木陰に腰を下ろしてデザートタイム。
で、ついでにモスクの名前も調べてみた。
母と私が庭を借りたこのモスクは、イスタンブールの中でも有名な部類に入るモスクで、ベヤズット地区のスレイマニエ・ジャミィ。
先ほどまで居た白のモスク(シェフサーデ・ジャミィ)を建てたオスマン帝国最盛期の皇帝であるスレイマン大帝のための廟だ。 -
ここに辿り着いたのも何かの縁。
モスクの中を見学していこう♪
まずは水道で、手を洗い…と思ったのだが、さすがに有名どころの巨大モスク。
手洗い場(足洗い場)が建物の一辺を全て覆うように並んでいる。
コレは結構、壮観な眺めだ。 -
スレイマニエ・ジャミィの前庭部分には、その昔にスルタンが身を清めるために使っていた大理石製の泉亭があり、今でも水が流れていた。
ここで不思議だったことが一つあった。
イスラム教の礼拝時には、手足を水で清めてからモスクに入場する…という事は知っていたのだが、この泉亭では天井からもシャワー状に水が出ていた。
スルタンは手足だけではなく、此処で全身を清めたのだろうか。 -
スレイマニエ・ジャミィは、その規模が大きい事と内装が豪華絢爛な事でも有名だ。
スレイマニエ モスク 城・宮殿
-
モスクの窓の数は大小合わせて200個以上あり、そのステンドグラスにはアラビックな幾何学模様や花がデザインされている。
色とりどりのステンドグラスは16世紀にモスクが建てられた当時の色ガラスがそのまま残っている。
天井を見上げると、まるで鍾乳石が垂れ下がっているかと思うようなモカラベ彫刻が施され、二階のテラスの床面、柵、壁に施されたアラベスク模様が美しい。 -
スレイマニエ・ジャミィは豪華でアラベスクな雰囲気満載なモスクでそれなりに素敵だったのだが、やはり有名なモスクには観光客が大勢訪れていて、静かな空間でのんびりその静寂と雰囲気を味わう…と云う感じではないのが残念なところだ。
だから、このモスクで一番印象に残ったのは内装ではなく、部屋の片隅に置いてあった一台の掃除機。
吸引袋の部分のアラビック模様がとてもオシャレだった。 -
スレイマニエ・ジャミィは高台に建っているので、ここから港までは下り道だ。
港の方向へと行けば、昨日に訪れた香辛料の市場であるエジプシャン・バザールがある地域へと辿りつく。
そして、エジプシャン・バザールへの道の近くには、私が見たいと思っていたモノがある筈…。
港へ近づくにつれ道はどんどん太くなり、行き交う人の数、車の数もそれに呼応して増えていく。 -
私が探していたのは、キャラバン・サライの付属施設であるハン。
キャラバン・サライとは “隊商の宮殿”を意味するトルコ語で、オスマン・トルコ時代に街道を往くキャラバンや旅人に提供されていた無料の宿を指す。
そして、大きな町のキャラバン・サライには、ハンと呼ばれる商業施設が付属して建てられていた。
ハンとはもともとは大規模なキャラバン・サライのことであったのだが、利用されていく内に宿泊施設としてだけではなく商業施設としても発達した場所で、通常は二階建て以上の中庭を持つ構造であり、一階が倉庫、二階と三階には個室の部屋があり、宿泊場所やその地方の営業所としても借りることが出来た…と云う建物だ。
旅の前に旅行記を読んでいて、オスマン・トルコ時代のハンの建物がイスタンブールの港沿いの地区にはまだ残っている…という事を知った。
そして、そのハンがあるらしいのは、エジプシャン・バザールのある地域の高台のあたり。
地図も、案内書も何もない。
だから、とりあえず歩いて探すしかない。
そして、道沿いにHANと名前の書かれた建物を発見!
SARK HANと書いてある。
建物の二階部分を見上げると、多分、個室の窓だと思わせる様な雰囲気だ。
やった〜!見つけた!イスタンブール歴史地区 旧市街・古い町並み
-
HANの中へと入ってみる。
HANの中は、地元の方向けの衣料品を扱うお店が立ち並び、確かに中庭があった。
でも、これはいわゆるショッピング・モールで、私が見たいと思っていた昔のハンの建物ではなかった。 -
坂道沿いには、HANの名前を持つ建物が何件か残っていたのだが、そのどれもが現代風にアレンジされ、昔の面影を残すのはその名前のみ。
多分、ハンがある地域はこの場所で間違いはない様なのだが、探しているハンの建物は見つからない。
1本、2本と筋を変えて歩くが、結局、探していた昔ながらのハンの建物は見つけることが出来なかった。 -
気を取り直して、この日の最後の目的地、点である場所へと向かう。
この日の最後の点は、リュステム・パシャ・ジャミィ。
イスタンブールで一番、気になっていたモスクだ。
実はこのモスクには、この前の日(イスタンブール1日目)にも立ち寄っていて、訪問は2回目となる。 -
イチオシ
リュステム・パシャ・ジャミィは、エジプシャン・バザールの端の商店街の2階部分に隠れるようにひっそりと建つ小さなモスクだ。
大きくて有名なモスクの様に尖塔を沢山持つわけでもない、バザールの端にあるちいさな街の中のモスク。
なぜ、そのモスクが一番気になるモスクだったかというと…、その理由はモスクに使われている青いタイル。
青いタイルを使用したモスクとしてはブルーモスクの異名を持つスルタン・アフメット・ジャミィが有名だが、私的には青の色調の美しさで行けば、もしかしたらリュステム・パシャ・ジャミィの方が上を行くのではないだろうか…と考えていた場所だ。
そして、その考えは多分、当たりだった。
前日にリュステム・パシャ・ジャミィに初めて訪れた時、モスクはちょうど礼拝の時間が終わった時間帯だった。
モスクのランプには明かりが灯り、青色のタイルが一面を覆い尽くすモスク内部を照らしだしていた。リュステム パシャ ジャーミィ 寺院・教会
-
絨毯の上に腰を下ろし、首をあげ、天井を見上げる。
窓から入り込む陽光の白い光が壁を覆い尽くすタイルに反射し、青色を輝かせる。
そして、天井から吊るされたランプのオレンジがかった光の色が、その輝きを更に煌めかせていた。
母と私はそんな青色で包まれたモスクに一目惚れし、次の日も再びやって来ることになったのだ。 -
天井の大ドームの模様は、シンプルなアラベスク模様。
この模様は、水道橋の後に訪れた一つ目のモスクであるシェフザーデ・ジャミィの天井装飾と雰囲気が似ていた。
また、大ドームの周りを取り囲む小ドームの雰囲気は、スレイマニエ・ジャミィにも似ている部分があった。
それもその筈。
この日訪れた3つのモスクはどれもオスマン・トルコ時代の天才的建築家であるシナンさんがデザインし、設計したモスクだ。
だから、どのモスクにも彼がサインを残したかのような痕跡を見つけることができる。 -
イチオシ
前日に訪れた時はランプが輝き、煌めかしい印象だったリュステム・パシャ・ジャミィだが、2回目に訪れた時は、ランプは静かに佇み、イズニック・タイルの青と白がまるでモザイクの様に一面を覆い尽くす静寂の空間へと変化を遂げていた。
リュステム・パシャ・ジャミィは、ランプに光がある時とない時ではその印象ががらりと変わるモスクだ。 -
リュステム・パシャ・ジャミィのもう一つの特徴は、陽光をとりこむ為の窓に色ガラスを多用していないことだ。
-
今まで見てきたモスクでは、カラフルなステンドグラス越しの光がモスクの中に美しい色彩を描くものも多かったのだが、リュステム・パシャ・ジャミィでは敢て色ガラスではなく素通しのガラスを使っている。
自然の光の色合いを利用し、その光が壁一面のタイルの青色の美しさを引き出すデザインなのだろう。 -
イスラム教は、偶像崇拝を禁止している宗教だ。
だから、モスクの中には神様の姿絵や彫像は一切ない。
有るのは、アラベスク模様と呼ばれる幾何学的にデザイン化された複雑で美しい紋様だけだ。
そして此処リュステム・パシャ・ジャミィは、アラベスク模様の中でも草花をデザイン化し焼付けたタイルである青色のイズニック・タイルを内装に使用したモスクとして名高い場所。
柱も壁も天井も、メッカの方向を示すミフラーブや、指導者の名前やコーランの文言を示すアラビア文字まで、殆ど全ての内部装飾がイズニック地方で焼かれる青のタイルであるイズニック・タイルで作られているモスク。
それが、リュステム・パシャ・ジャミィだ。 -
そしてリュステム・パシャ・ジャミィに用いられているイズニック・タイルの特徴は、草花の中でもトルコの花でもあるチューリップをデザイン化したもの。
写実的な花の表現は偶像崇拝につながる絵となるで使用はされないが、デザイン化されたチューリップの図柄がモスク中の壁にちりばめてられている。 -
青いタイルと一口で言っても、その色合いは透き通る水のような淡い色合いから、深海の蒼、そして宇宙の藍色まで様々だ。
モスクの端に座り、首が痛くなるほど上を見上げ、その模様を観察する。
そして、母と私はあることに気がついてしまった。
それは、タイルの中のチューリップ模様に様々なパターンがあるということ。
赤い色がベースのチューリップ。
白い色がベースのチューリップ。
蕾の形、花が開いた形。
雰囲気はどのチューリップも似ているのだが、パターン化されたそのデザインはタイルのブロックごとに異なり、私たちが見つけただけでも10以上のチューリップの図柄があった。 -
モスク正面の柱には、白色が基本色となる2種類のチューリップが描かれていた。
一つ目の模様は、花びら全体に赤のラインが入っているデザインで、もう一つは中央の花びらだけにラインが入り残りの2枚にはドット型の模様だ。 -
こちらの壁はパッと見は幾何学模様の様だが、よく見るとチューリップの花をデフォルメしたデザイン。
-
イチオシ
天井へと繋がる柱には3種類のチューリップの文様が描かれていた。
-
古くからあるタイルはひび割れ、色も褪せつつあるが、それもまた味がある。
-
チューリップが描かれていたのは、タイルだけではなかった。
二階のテラス部分支える部分にも、こっそりとその花の文様が隠されていた。 -
足元の絨毯にも、幾種類ものチューリップの図柄が織り込まれていた。
-
デザイン化されている花はチューリップだけではなく、カーネーションや牡丹らしき花の図柄もある。
-
様々な瑠璃色が煌めくリュステム・パシャ・ジャミィ。
訪れる観光客も多くはなく、心穏やかに時を過ごすには良い場所だった。 -
時刻は16時過ぎ。
点を結ぶ街歩きも、そろそろ終わりとなる時間だ。
エミノニュの港へと行き、金角湾とボスポラス海峡をユスキュダル方面へと渡る船を探す。エミノニュ広場 広場・公園
-
ユスキュダル方面への定期船を見つけた。
船に乗り、ユスキュダルを渡り、黄昏るユスキュダルの港から、夕陽に染まるイスタンブールの旧市街の様子を眺めよう♪という計画だ。
母と私が定期船の切符を買おうとしていたその時、後ろから声をかけられた。
私たちに声をかけたのは、小柄なおじいさん。
おじいさんの手にはしわくちゃのチラシが一枚。
彼はトルコ語で私たちに何かを話しかける。
言葉は分からないが、言っている内容は理解できる。
ボスポラス海峡のクルーズ船。
通常ならば20ユーロだが、今日の最終便の夕陽クルーズを20トルコリラにする…という内容の様だ。
通常料金約2800円のボスポラス海峡のクルーズ線が、次の便なら特価;1000円で乗れちゃうよ〜という甘い誘惑だ。
ちょっと胡散臭いかな…。
危ないかな…。
でも、海峡クルーズには興味があった。
計画段階では海峡クルーズにはイスタンブールでの最終日に参加しようと考えていたのだが、どうやら天気予報によれば翌日は1日中、雨が降り続く予報。
雨の中の海峡クルーズはあり得ない…。
だとしたら、チャンスはこの時が最後。
数秒間という短い時間の中で、頭の中では様々な考えが蠢く。
この客引きのおじいさんを信用して良いものかどうなのか…?
母を見ると、完全に「判断は君にゆだねる」という表情だ。
ここは、イチかバチか。
このおじいさんを信じてみよう…。ボスポラス海峡 海岸・海
-
イチオシ
〜うまい話には裏がある〜
この諺の検証については、また続きの旅行記で…。
でも、一言だけ付け加えておく。
トルコで過ごす最後の夜となったこの晩。
母と私は暮れゆく空に浮かぶハギア・ソフィアの姿を眺め、この日の出来事を振り返りながら、ホテルへの帰路へとついた。
その時の母の呟き…。
「トルコって、もっと危なくって自分たちだけでは歩くことも難しい場所かと思っていた。
でも、そんなことは、ないんだね。
今日の港での客引きのおじいさんだって、そう…。
みんな、いい人たちだったね…」
前の旅行記:【9】スルタンの秘められた世界;狂気を孕む王宮へ
http://4travel.jp/travelogue/11028013
続きの旅行記:【11】メドゥーサの微笑み☆美味い話にウラは無い!
http://4travel.jp/travelogue/11050701アヤソフィア 寺院・教会
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この旅行記へのコメント (4)
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- tomohumi syzukiさん 2015/08/30 11:55:22
- 気がかりです
- ウェンディの母が事故に遭われたのを別のトラベラーが書いてました。また、イスタンブールでもテロ事件がありました。
- ウェンディさん からの返信 2015/08/30 21:12:35
- RE: 気がかりです
- tomohumi syzukiさん こんばんは。
中東情勢はなかなか安定しませんね。
私が行きたいと思っていたパルミラの遺跡も、今はもう…。
宗教という蓑を被った方々のせいで…。
憤り…と云うよりも悲しい気持ちでいっぱいです。
母の交通事故の件は、むち打ち症という事ですが、治療は長引きそうです。
今回の事故の原因はふざけた理由でしたが、そんなバカみたいことが原因となってしまうのが交通事故。
車、バイク、自転車…どんなものでも凶器となりかねないので、運転する人は気を抜いてはいけないですね。
私も自転車には乗るので注意したいと思っています。
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- きなこさん 2015/08/17 09:22:44
- スレイマニエ・ジャミィ
- こんにちは〜
今回の旅行記もじっくりと楽しませて頂きました
街歩きをされたんですねぇ
地図を片手に街をウロウロするのは大好きです
大抵迷子になるんですけどね
スレイマニエ・ジャミィの掃除機ほんと可愛いです
別注品?でしょうか ちょっとした工夫がステキですね
イスラム教はそんな窮屈なものじゃないと私も思います
トルコに行って話を聞いて思ったんですが、なんとなく日本人に合う感じがしました
私達もお参りをする前は手舎で清めてからお祈りしますしね
そして毎回の決まったお祈りの時間も仕事や用事で出来なくてもそんな厳しくは無い様だし
でも お酒が駄目なのはチョット・・・・。(笑)
きなこ
- ウェンディさん からの返信 2015/08/18 07:34:28
- RE: スレイマニエ・ジャミィ
- きなこさん こんにちは。
イスタンブールの街歩きは、楽しいですね。
この日は親切なおじ様に朝に出会い、近づかない方が良い地域情報を予め手に入れていたので、道に迷うのも愉しみながらの街歩きが出来ました。
街角を曲がると現れるトルコ式住宅の木造の家々や、小さなモスク…。
小さな喜びですが、ガイドブックにも書いていない素敵な風景を見つけると嬉しくなってしまいます。
私も旅先での情報や現地の方から聞いたお話からのみですが、イスラム教とひとくくりに言っても、国によってその縛りはかなり異なるようですね。
アルコールも公式にはダメだけれど、非公式にならOKな国もありますし。(トルコは緩い方の国です)
ただ、女性に対する戒律の厳しさは、私達向けではないですね。
男性だけがあんなに美しいモスクの中心で礼拝でき、女性は端っこの目隠しされた籠の中…だなんて、絶対に嫌かな。
あの美しい蒼の中で礼拝してこそのお祈りだと思います。
ウェンディ
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