2014/07/23 - 2014/07/23
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あの街からさん
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忙しくも充実したイスタンブールの
3泊4日もこの日で最終日。
明日は早朝ベネチアへと向かいます。
(ドロミテの帰りまた寄るのですが)
さて、さてあっと言う間に最終日。
イスタンブール行きが決まってから
休日の珈琲タイム等に写真集をパラパラと
めくり、あぁここ行きたいなぁ。と
印を付けておいた所を一覧表にして
持参したのですが、最終日にも
まだまだ残っていました。
その中でもここは、と思っていた所が
「オリエントエキスプレス終着駅」と
「スレイマニエ・ジャーミー」
「リュステム・パシャ・ジャーミー」
特に、この2つのジャーミーの
静寂の中の美しさは心に残る風景となりました。
2つの建築美を辿る間に、
夕食には少し早い時間でしたが
ガラタ橋の麓の「ハムディレストラン」で
ボスボラス海峡眺めながら夕食としました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
-
イスタンブール滞在3日目
実質最終日の朝となりました。
1日の活動源には
先ず、朝食。 -
この日も、どうやら天気に
恵まれたみたいです。
ホテルのペントハウス&屋上
テラスに在るレストランからは
一方にブルー・モスク
一方にアヤソフィア
そして、もう1方がマルマラ海を臨みます。 -
長いテーブルいっぱいに
ブッフェの食品が広がっていています。
オレンジは自分で絞って飲む
ことが出来る手動ジューサーは楽しかったし
トルコ料理も数々ありました。 -
7:15にレストランに集合。
この朝は
その場で調理してくれる
スペイン風オムレツのような
野菜たっぷりのオムレツに
トルコヨーグルトにプルーンを入れたもの等。
色々な料理や食材をアップしたいと思いつつも
4人共に同じもの(笑)がテーブルに並び -
朝食の後は
歩いて数分「ブルーモスク」に
向かいます。 -
まだ早いこの時間はアヤソフィアの周りにも
観光客の姿はあまり見かけません。 -
まだ早いこの時間は
スルタンアフメット広場にも
ブルーモスクの周りにも
観光客の姿はあまり見かけません。 -
☆世界遺産になっている「イスタンブール歴史地域」
に在りアヤソフィアと並び
イスタンブール旧市街の代表的建築物であり
ブルーモスクの名で親しまれている
『スルタンアフメット・ジャーミィー』
にやって来ました。
この時 8:20頃でした。
☆ジャーミィーとは英語でモスクのことです。 -
ここもまだ、観光客の姿は
さほどおりませんでした。
入口には
イラストを交えた注意事項が
掲出されています。 -
泉亭を中にした中庭にも
ほとんど人がいませんでした
から、ひろびろとしています。 -
そうこうしていましたら
ボツボツと小グループの
団体さんが集まり始めたようです。 -
あれよあれよと言う間に
今度は大型バスで乗り着けた
団体客の皆さんが建物を取り囲むように
並びました。
☆入場料はかかりません(寄贈になっています。)
入口で靴を脱いで渡されたビニール袋に入れ
入場となります。 -
中心をなす大ドームに入った途端に
「あぁ、ここだぁ!」と思い出しました。 -
どの位前のことだっただろうかなぁ。
TV番組「わが心の旅」のシリーズで
作詞家の阿木燿子さんが、旅先に選んだ
イスタンブール編その中のシーン。 -
ドームの中心に立ち
驚きと感激を話すシーン!
カメラが阿木燿子さんを正面から
とらえ そこからぐるりと360度
ドームとこの空間をとらえたシーンが
今でも目に焼きついています。
いつかこの街に行ってみたいなぁ
と漠然と思った瞬間でした。 -
☆陳舜臣(ちん・しゅんしん)著
世界の都市の物語「イスタンブール」より
『中心ドームは四方に半ドームを
従え、ドーム部の高さだけで23m
おびただしい窓を持つ。採光と温度
調整の為であろうが、窓の数は260と
いわれる。それほど内部の美しさを
強調したいからである。
確かにそれは美しい。
主に、青いタイルで貼りつめられ
ステンドグラスの色とよく似合ってる。
ガイドブックによれば、タイルの数は
21,000余枚でありその1枚は
当時の銀貨18枚分であったという。
ここがブルーモスクと呼ばれるのは
内部の青の美しさゆえである。』 -
高さ約43m、直径約23.5mの大ドームの
内装は見とれてしまいます。 -
大ドームを支える4本の柱は
直径5mあるそうで
その巨大さには圧倒されます。 -
260にものぼる小窓から射し込む光が
ステンドグラスとともに
館内を淡く照らしています。 -
260にものぼる小窓から射し込む光が
ステンドグラスとともに
館内を淡く照らしています。 -
しばらくはドームを見上げて
いました。 -
しばらくはドームを見上げて
いました。 -
気がついたら
あっという間に
中心ドームには
多勢の観光客が -
260にものぼる小窓から射し込む光が
ステンドグラスとともに
館内を淡く照らしています。 -
ドームを見上げては
-
内壁を飾る21,000余枚の
イズニックタイルは
青を基調とした美しい色彩 -
さまざまな文様を組み合わせて
造られていますが -
建物全体としての連続した美しさ
も兼ね備えていて -
どの角度からみても
きれいでした。 -
どの角度からみても
きれいでした。 -
射し込む淡い光が
ドームを照らしています。 -
260にものぼる小窓から射し込む光が
ステンドグラスとともに
館内を淡く照らしています。 -
あらゆる方向が
装飾で飾られています。 -
あっという間に
中心ドームには
多勢の観光客が -
スルタンアフメット1世の命を受け、
ミマール・スィナンの弟子の
メフメット・アー の設計により
1609年から7年半をかけて建造された
『スルタンアフメット・ジャーミィー』
オスマン朝建築の傑作のひとつとして
高い評価を得ています。 -
どこから見ても
美しです。 -
どの方向から見ても
美しです。 -
どの方向から見ても
美しです。 -
「スルタンアフメット・ジャーミィー」
が在るこの場所は
ビザンティン時代には
競技場に繋がる区域で
10万人の観衆を収容した場所だったとのこと。
時は流れて
オスマントルコ期に入っても
「トプカプ宮殿」に近いので
貴族や宮廷関係者の邸が建てられていたとのことです。 -
『スルタンアフメット・ジャーミィー』
■開館時間:9時ころから入場できました。
■所要時間:どれくらい待ち時間があるかにもよります。
■定休日:無休
1日5回の祈りの時間の入場は控えること
とガイドブックに掲載されてあります。 -
『スルタンアフメット・ジャーミィー』を後にして、
路面電車の「スルタンアフメット駅」に着きました。
ここから15分ほどでガラタ橋のたもと
「エミノニュ駅」へ向かいます。 -
ガラタ橋のたもと「エミノニュ駅」
に着きました。
これから、10:35分発の
「ボスボラス海峡クルーズ」船に
乗船します。
☆この後は「ボスボラス海峡クルーズ」編
に続きます。
http://4travel.jp/travelogue/10976537 -
ここからガラタ橋のたもと
エミノニュ桟橋で
「ボスボラス海峡クルーズ」を
終えたところにつながります。
ここから歩いて、かって
「オリエント急行の終着駅」
として栄えたスィルケジ駅へ向かいます。 -
数々の小説や映画で
その重要な舞台として登場した
「オリエント急行」
つい最近、フジTV開局55周年
記念ドラマとして
アガサ・クリスティ原作の
「オリエント急行殺人事件」を
三谷幸喜が脚本を担当し
舞台を昭和初期に置き換えて
2夜連続で放映されました。
ポアロ(主人公の探偵)役
の野村萬斎がイメージぴったりで
楽しめました。 -
皆さんはきっとアガサ・クリスティが
1934年発表した
「オリエント急行殺人事件」の小説で
お馴染みなのだろうと思います。
1974年には、アメリカの映画監督
シドニー・ルメットで映画化されました。
(「十二人の怒れる男」や「狼たちの午後」
の名匠と呼ばれる監督でしたね。)
この作品には「カサブランカ」の
イングリット・バーグマンが
出演しアカデミー賞の助演女優賞を
受賞しました。 -
わたしの印象に残っているのは
映画「007/ロシアより愛をこめて」
中でも重要な見せ場の食堂車のシーン。
謎解きの1つとなっていた
「彼は(領事館の職員なのに)肉料理に白ワインを
オーダーし、そのたしなみも無いなど怪しい」という
ボンドの台詞でした。( ̄∀ ̄)
まぁ、今ではワインも日本の食生活に
定着しつつあり、もっと自由にワインを
楽しんでいますよね。
だけど、肉を食べながら赤ワインを
飲むと確かに相乗効果がありありですよね(^Д^)
ジェイムス・ボンドシリーズは
英国のイアン・フレミング原作の
小説から生まれました。
いやいや、こんなことを書くつもりではなく
言いたかったことは
アガサ・クリスティが取り上げるズッーと以前から
「オリエント急行」は小説の舞台として
度々ステイタス・スポットとして絶好の舞台
だったのですね。( ̄∀ ̄) -
さぁてっと、一体どこまで
話がそれるの。って怒られそうなので
閑話休題。
以降 『ウィキペディア』参照
「オリエント急行」の起源は国際寝台車会社で
開通記念列車は
1883年10月4日の夜にパリ・ストラスブール駅
(現パリ東駅)を発車し、6日かけて
コンスタンティノープル(現イスタンブール)に到着した。
のだそうです。 -
なお、オスマン帝国では首都の市名を
「イスタンブール」と称していたが、
西ヨーロッパでは、旧名の
「コンスタンティノープル」が使われていて、
「オリエント急行」の行き先も旧名で表記されていた。
とのこと。
また、今回検索で知ったことに
「オリエント急行」と一口で
くくられない程、様々なルートで
運行されていました。パリ〜
コンスタンティノープル間は
その数ある路線の1つということでした。 -
第二次世界大戦前まで、これらの列車は原則として
国際寝台車会社の客車のみで編成されており、
西ヨーロッパと東ヨーロッパ・アジアを結ぶ列車として、
王侯貴族や外交官、裕福な商人や旅行者などに愛用されていました。
西ヨーロッパ人にとっては異文化圏である
「オリエント(東洋)」へ向かう列車として、
また東ヨーロッパやアジアの上流階層の人々にとっては
彼らと西ヨーロッパを結び付けるものとして名声を得ていました。
1900頃のパリ〜コンスタンチノーブル間の
1等運賃と寝台料金の合計は召使いの給料1年分に
相当したといいます。 -
第二次大戦後は冷戦による東西分断で
東西ヨーヨッパを結ぶ国際列車の運行は困難となり
合わせて航空機や自動車の普及により
長距離列車の需要自体が低下しました。
そのため、列車は通常の2等車や3等車主体の
編成に国際寝台車会社の寝台車が併結されるに
すぎないものとなったそうです。さらに
1971年には国際寝台車会社が寝台車事業から撤退し、
寝台車は各国の鉄道業者が保有するものと、なるなど -
「オリエント急行」の歴史は
これまで、様々な紆余曲折があったそうで
現在ではオリエントと冠した様々な観光列車が
世界中で運行されていいます。
例〜アメリカ・中国・インド等。
かっての「オリエント急行の終着駅」は
現・スィルケジ駅舎は建て替えられて
ご覧の通りあまりにも普通の建物に変わっていました。 -
その上の7枚程画像の通り
かって「オリエント急行の終着駅として
君臨した姿はほとんど陰を潜め
長いホームは中庭に。
「セマー(円舞)」の劇場として
使われている1部屋は、確かに
装飾も見事で天井が高く
今に伝える夢の跡のようでした。
が、私にとってはかけがえのない
夢の舞台を目にすることができ
満足でした。 -
さて、スィルケジ駅前で
タクシーに乗ろうとして
値段を聞くと24TLと
高い(それでも日本と比べると
かなり格安なのですが、現地の安い
タクシー料金を知ってしまったので
その様に感じたのでした。)
やはり客待ちのタクシーは高いのです。
そこで少し歩いた所でタクシーを拾い
オンメーターを聞いてから
「スレィマニ・ジャーミー」へと向かいました。
☆タクシー料金
12TL(およそ600円) -
『スレイマニエ・ジャーミー』
は
陳舜臣(ちん・しゅんしん)著
世界の都市の物語「イスタンブール」
参照としました。
彼の異名の通り壮麗なモスクなのだ。
大スレイマン在位30年にあたる
1550年に建設が始まり
7年の歳月を要して1557年に落成した。 -
門をくぐると
長い壁一帯にある塀の壁に
設けられた水道で
礼拝の前に手足を洗い
清めている人々の姿がありました。 -
26歳で即位したのだからスレイマニエ
ジャーミーの落成は彼が63歳の時にあたる。
この大建築を指揮したのが
ミマル・シナンであったのは言うまでもない。
シナンは大スレイマンより6歳年長であった。 -
シナンは62歳から69歳までの間
このスレイマニエジャーミーの造営
に精魂を傾けたのである。
芸術家として最も円熟した時期に
帝国の最高権力者から国家的大事業を
委託された。
おそらく会心の作であろう。
以上
陳舜臣(ちん・しゅんしん)著
世界の都市の物語「イスタンブール」より -
もう少し検索等をして調べてみると
陳舜臣著でミマル・シナンと記載
されたいた大建築家は
ミマール・スイナンとの名で
記載されている記事もありました。
それは、こんな風に
宮廷建築家長を50年間務めあげ
大ドームに細い尖塔のオスマン建築を
確立させたといわれている
トルコ最高の建築家
ミマール・スイナン と、いうように。 -
ステンドグラスは
16世紀の色彩ガラスを用いた
きめ細やかなもので
射し込む淡い光が
とてもきれいでした。 -
正面に写っている
人たちの姿で
ドームの大きさをイメージしてください。 -
内装は19世紀に
フォッサーティ兄弟によって塗り変えられ
1967年までに上塗りが除去され再び
16世紀の古い漆喰層が表面に現れ
この時の復元作業で洗浄されたのだとのこと。 -
芸術家として最も円熟した時期に
時の最高権力者から
国家的大事業を委託された。
シナン会心の作です。 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
建築家シナンは、59m×58mの床面に
直径26.5mの円形屋根を載せ
高さ53mの大ドームを造りました。 -
芸術家として最も円熟した時期に
時の最高権力者から
国家的大事業を委託された。
シナン会心の作です。 -
芸術家として最も円熟した時期に
時の最高権力者から
国家的大事業を委託された。
シナン会心の作です。 -
ミマル・シナン渾身の作
「スレイマニエ・ジャーミー」 -
外へ出て門へ向かいます。
-
『スュレィマニ・ジャーミー』
有名な観光スポットから離れて
いることと、坂の上に建って
いることもあってか
観光客による混雑がなく
イスラムの建築美を
ゆっくりと見ることができました。 -
『スュレィマニ・ジャーミー』
から、ゆるい坂道を下って
歩いてエジプシャンバザールに
向かいました。
路地裏通りには道端に
広げられた土産品や -
グランドバザールでは
見かけたことがなかった -
手工芸品の土産屋が
並んでいました。 -
表札?
も名産のタイルが使われていました。 -
東京でいえばこの辺りは
「かっぱ橋」のような雰囲気もしますし
また、
土産物の部品を作っている
町工場も点在していました。 -
いつの間にか
大通りに出てきました。 -
この辺りから
「エジプシャンバザール」
に通じているようです。 -
グランドバザールとは
また雰囲気の異なった
バザールでした。 -
観光客より
-
地元の人が多い
そんな感じがしました。 -
地元の人が多い
そんな感じがしました。 -
カメラを手にしていたこともあり
「こっちこっち、見てゆきなよ」
と手招きを受け入った店に
並んでいたランプどれもきれいでした。 -
「ありがとう」と言い合って
なお、指を立てじぁ!
と 送ってくれたフレンドリーな奴
(^Д^) -
水パイプが並んだ店を
通り過ぎ -
もう一方の出口に出てきました。
-
バザールの裏にある
駐車場まで昔ながらの
佇まいを感じさせてくれ
楽しい街歩きでした。
さて、次回イスタンブール【7】
は、いよいよイスタンブールの
最終編となります。
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