イスタンブール旅行記(ブログ) 一覧に戻る
忙しくも充実したイスタンブールの<br />3泊4日もこの日で最終日。<br /><br />明日は早朝ベネチアへと向かいます。<br />(ドロミテの帰りまた寄るのですが)<br /><br />さて、さてあっと言う間に最終日。<br />イスタンブール行きが決まってから<br />休日の珈琲タイム等に写真集をパラパラと<br />めくり、あぁここ行きたいなぁ。と<br />印を付けておいた所を一覧表にして<br />持参したのですが、最終日にも<br />まだまだ残っていました。<br /><br />その中でもここは、と思っていた所が<br />「オリエントエキスプレス終着駅」と<br />「スレイマニエ・ジャーミー」<br />「リュステム・パシャ・ジャーミー」<br /><br />特に、この2つのジャーミーの<br />静寂の中の美しさは心に残る風景となりました。<br /><br />2つの建築美を辿る間に、<br />夕食には少し早い時間でしたが<br />ガラタ橋の麓の「ハムディレストラン」で<br />ボスボラス海峡眺めながら夕食としました。<br /><br /><br />

悠久の時を駆け抜けて イスタンブール【6】 スルタンアフメット,スレイマニエジャーミー ~オリエント・エクスプレス終着駅跡とバザールを!

91いいね!

2014/07/23 - 2014/07/23

86位(同エリア4774件中)

0

90

あの街から

あの街からさん

忙しくも充実したイスタンブールの
3泊4日もこの日で最終日。

明日は早朝ベネチアへと向かいます。
(ドロミテの帰りまた寄るのですが)

さて、さてあっと言う間に最終日。
イスタンブール行きが決まってから
休日の珈琲タイム等に写真集をパラパラと
めくり、あぁここ行きたいなぁ。と
印を付けておいた所を一覧表にして
持参したのですが、最終日にも
まだまだ残っていました。

その中でもここは、と思っていた所が
「オリエントエキスプレス終着駅」と
「スレイマニエ・ジャーミー」
「リュステム・パシャ・ジャーミー」

特に、この2つのジャーミーの
静寂の中の美しさは心に残る風景となりました。

2つの建築美を辿る間に、
夕食には少し早い時間でしたが
ガラタ橋の麓の「ハムディレストラン」で
ボスボラス海峡眺めながら夕食としました。


旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
4.5
同行者
友人
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩
  • イスタンブール滞在3日目<br />実質最終日の朝となりました。<br /><br />1日の活動源には<br />先ず、朝食。<br />

    イスタンブール滞在3日目
    実質最終日の朝となりました。

    1日の活動源には
    先ず、朝食。

  • この日も、どうやら天気に<br />恵まれたみたいです。<br /><br />ホテルのペントハウス&屋上<br />テラスに在るレストランからは<br />一方にブルー・モスク<br />一方にアヤソフィア<br />そして、もう1方がマルマラ海を臨みます。<br />

    この日も、どうやら天気に
    恵まれたみたいです。

    ホテルのペントハウス&屋上
    テラスに在るレストランからは
    一方にブルー・モスク
    一方にアヤソフィア
    そして、もう1方がマルマラ海を臨みます。

  • 長いテーブルいっぱいに<br />ブッフェの食品が広がっていています。<br /><br />オレンジは自分で絞って飲む<br />ことが出来る手動ジューサーは楽しかったし<br />トルコ料理も数々ありました。

    長いテーブルいっぱいに
    ブッフェの食品が広がっていています。

    オレンジは自分で絞って飲む
    ことが出来る手動ジューサーは楽しかったし
    トルコ料理も数々ありました。

  • 7:15にレストランに集合。<br />この朝は<br />その場で調理してくれる<br />スペイン風オムレツのような<br />野菜たっぷりのオムレツに<br />トルコヨーグルトにプルーンを入れたもの等。<br />色々な料理や食材をアップしたいと思いつつも<br />4人共に同じもの(笑)がテーブルに並び<br />

    7:15にレストランに集合。
    この朝は
    その場で調理してくれる
    スペイン風オムレツのような
    野菜たっぷりのオムレツに
    トルコヨーグルトにプルーンを入れたもの等。
    色々な料理や食材をアップしたいと思いつつも
    4人共に同じもの(笑)がテーブルに並び

  • 朝食の後は<br />歩いて数分「ブルーモスク」に<br />向かいます。

    朝食の後は
    歩いて数分「ブルーモスク」に
    向かいます。

  • まだ早いこの時間はアヤソフィアの周りにも<br />観光客の姿はあまり見かけません。

    まだ早いこの時間はアヤソフィアの周りにも
    観光客の姿はあまり見かけません。

  • まだ早いこの時間は<br />スルタンアフメット広場にも<br />ブルーモスクの周りにも<br />観光客の姿はあまり見かけません。

    まだ早いこの時間は
    スルタンアフメット広場にも
    ブルーモスクの周りにも
    観光客の姿はあまり見かけません。

  • ☆世界遺産になっている「イスタンブール歴史地域」<br />に在りアヤソフィアと並び<br />イスタンブール旧市街の代表的建築物であり<br />ブルーモスクの名で親しまれている<br />『スルタンアフメット・ジャーミィー』<br />にやって来ました。<br />この時 8:20頃でした。<br /><br />☆ジャーミィーとは英語でモスクのことです。

    ☆世界遺産になっている「イスタンブール歴史地域」
    に在りアヤソフィアと並び
    イスタンブール旧市街の代表的建築物であり
    ブルーモスクの名で親しまれている
    『スルタンアフメット・ジャーミィー』
    にやって来ました。
    この時 8:20頃でした。

    ☆ジャーミィーとは英語でモスクのことです。

  • ここもまだ、観光客の姿は<br />さほどおりませんでした。<br /><br />入口には<br />イラストを交えた注意事項が<br />掲出されています。

    ここもまだ、観光客の姿は
    さほどおりませんでした。

    入口には
    イラストを交えた注意事項が
    掲出されています。

  • 泉亭を中にした中庭にも<br />ほとんど人がいませんでした<br />から、ひろびろとしています。

    泉亭を中にした中庭にも
    ほとんど人がいませんでした
    から、ひろびろとしています。

  • そうこうしていましたら<br />ボツボツと小グループの<br />団体さんが集まり始めたようです。

    そうこうしていましたら
    ボツボツと小グループの
    団体さんが集まり始めたようです。

  • あれよあれよと言う間に<br />今度は大型バスで乗り着けた<br />団体客の皆さんが建物を取り囲むように<br />並びました。<br /><br />☆入場料はかかりません(寄贈になっています。)<br /><br />入口で靴を脱いで渡されたビニール袋に入れ<br />入場となります。<br />

    あれよあれよと言う間に
    今度は大型バスで乗り着けた
    団体客の皆さんが建物を取り囲むように
    並びました。

    ☆入場料はかかりません(寄贈になっています。)

    入口で靴を脱いで渡されたビニール袋に入れ
    入場となります。

  • 中心をなす大ドームに入った途端に<br />「あぁ、ここだぁ!」と思い出しました。

    中心をなす大ドームに入った途端に
    「あぁ、ここだぁ!」と思い出しました。

  • どの位前のことだっただろうかなぁ。<br />TV番組「わが心の旅」のシリーズで<br />作詞家の阿木燿子さんが、旅先に選んだ<br />イスタンブール編その中のシーン。<br />

    どの位前のことだっただろうかなぁ。
    TV番組「わが心の旅」のシリーズで
    作詞家の阿木燿子さんが、旅先に選んだ
    イスタンブール編その中のシーン。

  • ドームの中心に立ち<br />驚きと感激を話すシーン!<br /><br />カメラが阿木燿子さんを正面から<br />とらえ そこからぐるりと360度<br />ドームとこの空間をとらえたシーンが<br />今でも目に焼きついています。<br /><br />いつかこの街に行ってみたいなぁ<br />と漠然と思った瞬間でした。

    ドームの中心に立ち
    驚きと感激を話すシーン!

    カメラが阿木燿子さんを正面から
    とらえ そこからぐるりと360度
    ドームとこの空間をとらえたシーンが
    今でも目に焼きついています。

    いつかこの街に行ってみたいなぁ
    と漠然と思った瞬間でした。

  • ☆陳舜臣(ちん・しゅんしん)著<br />世界の都市の物語「イスタンブール」より<br /><br />『中心ドームは四方に半ドームを<br />従え、ドーム部の高さだけで23m<br />おびただしい窓を持つ。採光と温度<br />調整の為であろうが、窓の数は260と<br />いわれる。それほど内部の美しさを<br />強調したいからである。<br />確かにそれは美しい。<br />主に、青いタイルで貼りつめられ<br />ステンドグラスの色とよく似合ってる。<br />ガイドブックによれば、タイルの数は<br />21,000余枚でありその1枚は<br />当時の銀貨18枚分であったという。<br />ここがブルーモスクと呼ばれるのは<br />内部の青の美しさゆえである。』<br /><br />

    ☆陳舜臣(ちん・しゅんしん)著
    世界の都市の物語「イスタンブール」より

    『中心ドームは四方に半ドームを
    従え、ドーム部の高さだけで23m
    おびただしい窓を持つ。採光と温度
    調整の為であろうが、窓の数は260と
    いわれる。それほど内部の美しさを
    強調したいからである。
    確かにそれは美しい。
    主に、青いタイルで貼りつめられ
    ステンドグラスの色とよく似合ってる。
    ガイドブックによれば、タイルの数は
    21,000余枚でありその1枚は
    当時の銀貨18枚分であったという。
    ここがブルーモスクと呼ばれるのは
    内部の青の美しさゆえである。』

  • 高さ約43m、直径約23.5mの大ドームの<br />内装は見とれてしまいます。

    高さ約43m、直径約23.5mの大ドームの
    内装は見とれてしまいます。

  • 大ドームを支える4本の柱は<br />直径5mあるそうで<br />その巨大さには圧倒されます。

    大ドームを支える4本の柱は
    直径5mあるそうで
    その巨大さには圧倒されます。

  • 260にものぼる小窓から射し込む光が<br />ステンドグラスとともに<br />館内を淡く照らしています。<br /><br />

    260にものぼる小窓から射し込む光が
    ステンドグラスとともに
    館内を淡く照らしています。

  • 260にものぼる小窓から射し込む光が<br />ステンドグラスとともに<br />館内を淡く照らしています。<br /><br />

    260にものぼる小窓から射し込む光が
    ステンドグラスとともに
    館内を淡く照らしています。

  • しばらくはドームを見上げて<br />いました。

    しばらくはドームを見上げて
    いました。

  • しばらくはドームを見上げて<br />いました。

    しばらくはドームを見上げて
    いました。

  • 気がついたら<br />あっという間に<br />中心ドームには<br />多勢の観光客が

    気がついたら
    あっという間に
    中心ドームには
    多勢の観光客が

  • 260にものぼる小窓から射し込む光が<br />ステンドグラスとともに<br />館内を淡く照らしています。<br /><br />

    260にものぼる小窓から射し込む光が
    ステンドグラスとともに
    館内を淡く照らしています。

  • ドームを見上げては

    ドームを見上げては

  • 内壁を飾る21,000余枚の<br />イズニックタイルは<br />青を基調とした美しい色彩

    内壁を飾る21,000余枚の
    イズニックタイルは
    青を基調とした美しい色彩

  • さまざまな文様を組み合わせて<br />造られていますが<br />

    さまざまな文様を組み合わせて
    造られていますが

  • 建物全体としての連続した美しさ<br />も兼ね備えていて

    建物全体としての連続した美しさ
    も兼ね備えていて

  • どの角度からみても<br />きれいでした。

    どの角度からみても
    きれいでした。

  • どの角度からみても<br />きれいでした。

    どの角度からみても
    きれいでした。

  • 射し込む淡い光が<br />ドームを照らしています。<br />

    射し込む淡い光が
    ドームを照らしています。

  • 260にものぼる小窓から射し込む光が<br />ステンドグラスとともに<br />館内を淡く照らしています。<br /><br />

    260にものぼる小窓から射し込む光が
    ステンドグラスとともに
    館内を淡く照らしています。

  • あらゆる方向が<br />装飾で飾られています。

    あらゆる方向が
    装飾で飾られています。

  • あっという間に<br />中心ドームには<br />多勢の観光客が

    あっという間に
    中心ドームには
    多勢の観光客が

  • スルタンアフメット1世の命を受け、<br />ミマール・スィナンの弟子の<br />メフメット・アー の設計により<br />1609年から7年半をかけて建造された<br />『スルタンアフメット・ジャーミィー』<br />オスマン朝建築の傑作のひとつとして<br />高い評価を得ています。

    スルタンアフメット1世の命を受け、
    ミマール・スィナンの弟子の
    メフメット・アー の設計により
    1609年から7年半をかけて建造された
    『スルタンアフメット・ジャーミィー』
    オスマン朝建築の傑作のひとつとして
    高い評価を得ています。

  • どこから見ても<br />美しです。<br />

    どこから見ても
    美しです。

  • どの方向から見ても<br />美しです。<br />

    どの方向から見ても
    美しです。

  • どの方向から見ても<br />美しです。<br />

    どの方向から見ても
    美しです。

  • 「スルタンアフメット・ジャーミィー」<br />が在るこの場所は<br />ビザンティン時代には<br />競技場に繋がる区域で<br />10万人の観衆を収容した場所だったとのこと。<br />時は流れて<br />オスマントルコ期に入っても<br />「トプカプ宮殿」に近いので<br />貴族や宮廷関係者の邸が建てられていたとのことです。

    「スルタンアフメット・ジャーミィー」
    が在るこの場所は
    ビザンティン時代には
    競技場に繋がる区域で
    10万人の観衆を収容した場所だったとのこと。
    時は流れて
    オスマントルコ期に入っても
    「トプカプ宮殿」に近いので
    貴族や宮廷関係者の邸が建てられていたとのことです。

  • 『スルタンアフメット・ジャーミィー』<br />■開館時間:9時ころから入場できました。 <br />■所要時間:どれくらい待ち時間があるかにもよります。<br />■定休日:無休<br /><br />1日5回の祈りの時間の入場は控えること<br />とガイドブックに掲載されてあります。

    『スルタンアフメット・ジャーミィー』
    ■開館時間:9時ころから入場できました。 
    ■所要時間:どれくらい待ち時間があるかにもよります。
    ■定休日:無休

    1日5回の祈りの時間の入場は控えること
    とガイドブックに掲載されてあります。

  • 『スルタンアフメット・ジャーミィー』を後にして、<br />路面電車の「スルタンアフメット駅」に着きました。<br />ここから15分ほどでガラタ橋のたもと<br />「エミノニュ駅」へ向かいます。

    『スルタンアフメット・ジャーミィー』を後にして、
    路面電車の「スルタンアフメット駅」に着きました。
    ここから15分ほどでガラタ橋のたもと
    「エミノニュ駅」へ向かいます。

  • ガラタ橋のたもと「エミノニュ駅」<br />に着きました。<br />これから、10:35分発の<br />「ボスボラス海峡クルーズ」船に<br />乗船します。<br />☆この後は「ボスボラス海峡クルーズ」編<br />に続きます。<br />http://4travel.jp/travelogue/10976537

    ガラタ橋のたもと「エミノニュ駅」
    に着きました。
    これから、10:35分発の
    「ボスボラス海峡クルーズ」船に
    乗船します。
    ☆この後は「ボスボラス海峡クルーズ」編
    に続きます。
    http://4travel.jp/travelogue/10976537

  • ここからガラタ橋のたもと<br />エミノニュ桟橋で<br />「ボスボラス海峡クルーズ」を<br />終えたところにつながります。<br /><br />ここから歩いて、かって<br />「オリエント急行の終着駅」<br />として栄えたスィルケジ駅へ向かいます。

    ここからガラタ橋のたもと
    エミノニュ桟橋で
    「ボスボラス海峡クルーズ」を
    終えたところにつながります。

    ここから歩いて、かって
    「オリエント急行の終着駅」
    として栄えたスィルケジ駅へ向かいます。

  • 数々の小説や映画で<br />その重要な舞台として登場した<br />「オリエント急行」<br /><br />つい最近、フジTV開局55周年<br />記念ドラマとして<br />アガサ・クリスティ原作の<br />「オリエント急行殺人事件」を<br />三谷幸喜が脚本を担当し<br />舞台を昭和初期に置き換えて<br />2夜連続で放映されました。<br />ポアロ(主人公の探偵)役<br />の野村萬斎がイメージぴったりで<br />楽しめました。

    数々の小説や映画で
    その重要な舞台として登場した
    「オリエント急行」

    つい最近、フジTV開局55周年
    記念ドラマとして
    アガサ・クリスティ原作の
    「オリエント急行殺人事件」を
    三谷幸喜が脚本を担当し
    舞台を昭和初期に置き換えて
    2夜連続で放映されました。
    ポアロ(主人公の探偵)役
    の野村萬斎がイメージぴったりで
    楽しめました。

  • 皆さんはきっとアガサ・クリスティが<br />1934年発表した<br />「オリエント急行殺人事件」の小説で<br />お馴染みなのだろうと思います。<br />1974年には、アメリカの映画監督<br />シドニー・ルメットで映画化されました。<br />(「十二人の怒れる男」や「狼たちの午後」<br />の名匠と呼ばれる監督でしたね。)<br />この作品には「カサブランカ」の<br />イングリット・バーグマンが<br />出演しアカデミー賞の助演女優賞を<br />受賞しました。<br /><br /><br />

    皆さんはきっとアガサ・クリスティが
    1934年発表した
    「オリエント急行殺人事件」の小説で
    お馴染みなのだろうと思います。
    1974年には、アメリカの映画監督
    シドニー・ルメットで映画化されました。
    (「十二人の怒れる男」や「狼たちの午後」
    の名匠と呼ばれる監督でしたね。)
    この作品には「カサブランカ」の
    イングリット・バーグマンが
    出演しアカデミー賞の助演女優賞を
    受賞しました。


  • わたしの印象に残っているのは<br />映画「007/ロシアより愛をこめて」<br />中でも重要な見せ場の食堂車のシーン。<br />謎解きの1つとなっていた<br />「彼は(領事館の職員なのに)肉料理に白ワインを<br />オーダーし、そのたしなみも無いなど怪しい」という<br />ボンドの台詞でした。( ̄∀ ̄)<br /><br />まぁ、今ではワインも日本の食生活に<br />定着しつつあり、もっと自由にワインを<br />楽しんでいますよね。<br /><br />だけど、肉を食べながら赤ワインを<br />飲むと確かに相乗効果がありありですよね(^Д^)<br /><br />ジェイムス・ボンドシリーズは<br />英国のイアン・フレミング原作の<br />小説から生まれました。<br />いやいや、こんなことを書くつもりではなく<br />言いたかったことは <br />アガサ・クリスティが取り上げるズッーと以前から<br />「オリエント急行」は小説の舞台として<br />度々ステイタス・スポットとして絶好の舞台<br />だったのですね。( ̄∀ ̄)

    わたしの印象に残っているのは
    映画「007/ロシアより愛をこめて」
    中でも重要な見せ場の食堂車のシーン。
    謎解きの1つとなっていた
    「彼は(領事館の職員なのに)肉料理に白ワインを
    オーダーし、そのたしなみも無いなど怪しい」という
    ボンドの台詞でした。( ̄∀ ̄)

    まぁ、今ではワインも日本の食生活に
    定着しつつあり、もっと自由にワインを
    楽しんでいますよね。

    だけど、肉を食べながら赤ワインを
    飲むと確かに相乗効果がありありですよね(^Д^)

    ジェイムス・ボンドシリーズは
    英国のイアン・フレミング原作の
    小説から生まれました。
    いやいや、こんなことを書くつもりではなく
    言いたかったことは 
    アガサ・クリスティが取り上げるズッーと以前から
    「オリエント急行」は小説の舞台として
    度々ステイタス・スポットとして絶好の舞台
    だったのですね。( ̄∀ ̄)

  • さぁてっと、一体どこまで<br />話がそれるの。って怒られそうなので<br />閑話休題。<br />以降 『ウィキペディア』参照<br /><br />「オリエント急行」の起源は国際寝台車会社で<br />開通記念列車は<br />1883年10月4日の夜にパリ・ストラスブール駅<br />(現パリ東駅)を発車し、6日かけて<br />コンスタンティノープル(現イスタンブール)に到着した。<br />のだそうです。<br />

    さぁてっと、一体どこまで
    話がそれるの。って怒られそうなので
    閑話休題。
    以降 『ウィキペディア』参照

    「オリエント急行」の起源は国際寝台車会社で
    開通記念列車は
    1883年10月4日の夜にパリ・ストラスブール駅
    (現パリ東駅)を発車し、6日かけて
    コンスタンティノープル(現イスタンブール)に到着した。
    のだそうです。

  • なお、オスマン帝国では首都の市名を<br />「イスタンブール」と称していたが、<br />西ヨーロッパでは、旧名の<br />「コンスタンティノープル」が使われていて、<br />「オリエント急行」の行き先も旧名で表記されていた。<br />とのこと。<br />また、今回検索で知ったことに<br />「オリエント急行」と一口で<br />くくられない程、様々なルートで<br />運行されていました。パリ〜<br />コンスタンティノープル間は<br />その数ある路線の1つということでした。<br />

    なお、オスマン帝国では首都の市名を
    「イスタンブール」と称していたが、
    西ヨーロッパでは、旧名の
    「コンスタンティノープル」が使われていて、
    「オリエント急行」の行き先も旧名で表記されていた。
    とのこと。
    また、今回検索で知ったことに
    「オリエント急行」と一口で
    くくられない程、様々なルートで
    運行されていました。パリ〜
    コンスタンティノープル間は
    その数ある路線の1つということでした。

  • 第二次世界大戦前まで、これらの列車は原則として<br />国際寝台車会社の客車のみで編成されており、<br />西ヨーロッパと東ヨーロッパ・アジアを結ぶ列車として、<br />王侯貴族や外交官、裕福な商人や旅行者などに愛用されていました。<br /><br />西ヨーロッパ人にとっては異文化圏である<br />「オリエント(東洋)」へ向かう列車として、<br />また東ヨーロッパやアジアの上流階層の人々にとっては<br />彼らと西ヨーロッパを結び付けるものとして名声を得ていました。<br /> <br />1900頃のパリ〜コンスタンチノーブル間の<br />1等運賃と寝台料金の合計は召使いの給料1年分に<br />相当したといいます。<br />

    第二次世界大戦前まで、これらの列車は原則として
    国際寝台車会社の客車のみで編成されており、
    西ヨーロッパと東ヨーロッパ・アジアを結ぶ列車として、
    王侯貴族や外交官、裕福な商人や旅行者などに愛用されていました。

    西ヨーロッパ人にとっては異文化圏である
    「オリエント(東洋)」へ向かう列車として、
    また東ヨーロッパやアジアの上流階層の人々にとっては
    彼らと西ヨーロッパを結び付けるものとして名声を得ていました。
     
    1900頃のパリ〜コンスタンチノーブル間の
    1等運賃と寝台料金の合計は召使いの給料1年分に
    相当したといいます。

  • 第二次大戦後は冷戦による東西分断で<br />東西ヨーヨッパを結ぶ国際列車の運行は困難となり<br />合わせて航空機や自動車の普及により<br />長距離列車の需要自体が低下しました。<br />そのため、列車は通常の2等車や3等車主体の<br />編成に国際寝台車会社の寝台車が併結されるに<br />すぎないものとなったそうです。さらに<br />1971年には国際寝台車会社が寝台車事業から撤退し、<br />寝台車は各国の鉄道業者が保有するものと、なるなど<br />

    第二次大戦後は冷戦による東西分断で
    東西ヨーヨッパを結ぶ国際列車の運行は困難となり
    合わせて航空機や自動車の普及により
    長距離列車の需要自体が低下しました。
    そのため、列車は通常の2等車や3等車主体の
    編成に国際寝台車会社の寝台車が併結されるに
    すぎないものとなったそうです。さらに
    1971年には国際寝台車会社が寝台車事業から撤退し、
    寝台車は各国の鉄道業者が保有するものと、なるなど

  • 「オリエント急行」の歴史は<br />これまで、様々な紆余曲折があったそうで<br />現在ではオリエントと冠した様々な観光列車が<br />世界中で運行されていいます。<br />例〜アメリカ・中国・インド等。<br /><br />かっての「オリエント急行の終着駅」は<br />現・スィルケジ駅舎は建て替えられて<br />ご覧の通りあまりにも普通の建物に変わっていました。<br />

    「オリエント急行」の歴史は
    これまで、様々な紆余曲折があったそうで
    現在ではオリエントと冠した様々な観光列車が
    世界中で運行されていいます。
    例〜アメリカ・中国・インド等。

    かっての「オリエント急行の終着駅」は
    現・スィルケジ駅舎は建て替えられて
    ご覧の通りあまりにも普通の建物に変わっていました。

  • その上の7枚程画像の通り<br />かって「オリエント急行の終着駅として<br />君臨した姿はほとんど陰を潜め<br />長いホームは中庭に。<br />「セマー(円舞)」の劇場として<br />使われている1部屋は、確かに<br />装飾も見事で天井が高く<br />今に伝える夢の跡のようでした。<br />が、私にとってはかけがえのない<br />夢の舞台を目にすることができ<br />満足でした。

    その上の7枚程画像の通り
    かって「オリエント急行の終着駅として
    君臨した姿はほとんど陰を潜め
    長いホームは中庭に。
    「セマー(円舞)」の劇場として
    使われている1部屋は、確かに
    装飾も見事で天井が高く
    今に伝える夢の跡のようでした。
    が、私にとってはかけがえのない
    夢の舞台を目にすることができ
    満足でした。

  • さて、スィルケジ駅前で<br />タクシーに乗ろうとして<br />値段を聞くと24TLと<br />高い(それでも日本と比べると<br />かなり格安なのですが、現地の安い<br />タクシー料金を知ってしまったので<br />その様に感じたのでした。)<br />やはり客待ちのタクシーは高いのです。<br /><br />そこで少し歩いた所でタクシーを拾い<br />オンメーターを聞いてから<br />「スレィマニ・ジャーミー」へと向かいました。<br /><br />☆タクシー料金 <br /> 12TL(およそ600円)<br />

    さて、スィルケジ駅前で
    タクシーに乗ろうとして
    値段を聞くと24TLと
    高い(それでも日本と比べると
    かなり格安なのですが、現地の安い
    タクシー料金を知ってしまったので
    その様に感じたのでした。)
    やはり客待ちのタクシーは高いのです。

    そこで少し歩いた所でタクシーを拾い
    オンメーターを聞いてから
    「スレィマニ・ジャーミー」へと向かいました。

    ☆タクシー料金 
     12TL(およそ600円)

  • 『スレイマニエ・ジャーミー』<br />は<br />陳舜臣(ちん・しゅんしん)著<br />世界の都市の物語「イスタンブール」<br />参照としました。<br /><br />彼の異名の通り壮麗なモスクなのだ。<br />大スレイマン在位30年にあたる<br />1550年に建設が始まり<br />7年の歳月を要して1557年に落成した。<br /><br />

    『スレイマニエ・ジャーミー』

    陳舜臣(ちん・しゅんしん)著
    世界の都市の物語「イスタンブール」
    参照としました。

    彼の異名の通り壮麗なモスクなのだ。
    大スレイマン在位30年にあたる
    1550年に建設が始まり
    7年の歳月を要して1557年に落成した。

  • 門をくぐると<br />長い壁一帯にある塀の壁に<br />設けられた水道で<br />礼拝の前に手足を洗い<br />清めている人々の姿がありました。

    門をくぐると
    長い壁一帯にある塀の壁に
    設けられた水道で
    礼拝の前に手足を洗い
    清めている人々の姿がありました。

  • 26歳で即位したのだからスレイマニエ<br />ジャーミーの落成は彼が63歳の時にあたる。<br /><br />この大建築を指揮したのが<br />ミマル・シナンであったのは言うまでもない。<br />シナンは大スレイマンより6歳年長であった。<br /><br />

    26歳で即位したのだからスレイマニエ
    ジャーミーの落成は彼が63歳の時にあたる。

    この大建築を指揮したのが
    ミマル・シナンであったのは言うまでもない。
    シナンは大スレイマンより6歳年長であった。

  • シナンは62歳から69歳までの間<br />このスレイマニエジャーミーの造営<br />に精魂を傾けたのである。<br /><br />芸術家として最も円熟した時期に<br />帝国の最高権力者から国家的大事業を<br />委託された。<br />おそらく会心の作であろう。<br /><br />以上<br />陳舜臣(ちん・しゅんしん)著<br />世界の都市の物語「イスタンブール」より

    シナンは62歳から69歳までの間
    このスレイマニエジャーミーの造営
    に精魂を傾けたのである。

    芸術家として最も円熟した時期に
    帝国の最高権力者から国家的大事業を
    委託された。
    おそらく会心の作であろう。

    以上
    陳舜臣(ちん・しゅんしん)著
    世界の都市の物語「イスタンブール」より

  • もう少し検索等をして調べてみると<br />陳舜臣著でミマル・シナンと記載<br />されたいた大建築家は<br />ミマール・スイナンとの名で<br />記載されている記事もありました。<br />それは、こんな風に<br />宮廷建築家長を50年間務めあげ<br />大ドームに細い尖塔のオスマン建築を<br />確立させたといわれている<br />トルコ最高の建築家<br />ミマール・スイナン と、いうように。

    もう少し検索等をして調べてみると
    陳舜臣著でミマル・シナンと記載
    されたいた大建築家は
    ミマール・スイナンとの名で
    記載されている記事もありました。
    それは、こんな風に
    宮廷建築家長を50年間務めあげ
    大ドームに細い尖塔のオスマン建築を
    確立させたといわれている
    トルコ最高の建築家
    ミマール・スイナン と、いうように。

  • ステンドグラスは<br />16世紀の色彩ガラスを用いた<br />きめ細やかなもので<br />射し込む淡い光が<br />とてもきれいでした。

    ステンドグラスは
    16世紀の色彩ガラスを用いた
    きめ細やかなもので
    射し込む淡い光が
    とてもきれいでした。

  • 正面に写っている<br />人たちの姿で<br />ドームの大きさをイメージしてください。

    正面に写っている
    人たちの姿で
    ドームの大きさをイメージしてください。

  • 内装は19世紀に<br />フォッサーティ兄弟によって塗り変えられ<br />1967年までに上塗りが除去され再び<br />16世紀の古い漆喰層が表面に現れ<br />この時の復元作業で洗浄されたのだとのこと。

    内装は19世紀に
    フォッサーティ兄弟によって塗り変えられ
    1967年までに上塗りが除去され再び
    16世紀の古い漆喰層が表面に現れ
    この時の復元作業で洗浄されたのだとのこと。

  • 芸術家として最も円熟した時期に<br />時の最高権力者から<br />国家的大事業を委託された。<br />シナン会心の作です。

    芸術家として最も円熟した時期に
    時の最高権力者から
    国家的大事業を委託された。
    シナン会心の作です。

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」<br />

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • 建築家シナンは、59m×58mの床面に<br />直径26.5mの円形屋根を載せ<br />高さ53mの大ドームを造りました。

    建築家シナンは、59m×58mの床面に
    直径26.5mの円形屋根を載せ
    高さ53mの大ドームを造りました。

  • 芸術家として最も円熟した時期に<br />時の最高権力者から<br />国家的大事業を委託された。<br />シナン会心の作です。

    芸術家として最も円熟した時期に
    時の最高権力者から
    国家的大事業を委託された。
    シナン会心の作です。

  • 芸術家として最も円熟した時期に<br />時の最高権力者から<br />国家的大事業を委託された。<br />シナン会心の作です。

    芸術家として最も円熟した時期に
    時の最高権力者から
    国家的大事業を委託された。
    シナン会心の作です。

  • ミマル・シナン渾身の作<br />「スレイマニエ・ジャーミー」

    ミマル・シナン渾身の作
    「スレイマニエ・ジャーミー」

  • 外へ出て門へ向かいます。

    外へ出て門へ向かいます。

  • 『スュレィマニ・ジャーミー』<br />有名な観光スポットから離れて<br />いることと、坂の上に建って<br />いることもあってか<br />観光客による混雑がなく<br />イスラムの建築美を<br />ゆっくりと見ることができました。<br />

    『スュレィマニ・ジャーミー』
    有名な観光スポットから離れて
    いることと、坂の上に建って
    いることもあってか
    観光客による混雑がなく
    イスラムの建築美を
    ゆっくりと見ることができました。

  • 『スュレィマニ・ジャーミー』<br />から、ゆるい坂道を下って<br />歩いてエジプシャンバザールに<br />向かいました。<br />路地裏通りには道端に<br />広げられた土産品や

    『スュレィマニ・ジャーミー』
    から、ゆるい坂道を下って
    歩いてエジプシャンバザールに
    向かいました。
    路地裏通りには道端に
    広げられた土産品や

  • グランドバザールでは<br />見かけたことがなかった<br />

    グランドバザールでは
    見かけたことがなかった

  • 手工芸品の土産屋が<br />並んでいました。

    手工芸品の土産屋が
    並んでいました。

  • 表札?<br />も名産のタイルが使われていました。

    表札?
    も名産のタイルが使われていました。

  • 東京でいえばこの辺りは<br />「かっぱ橋」のような雰囲気もしますし<br />また、<br />土産物の部品を作っている<br />町工場も点在していました。<br />

    東京でいえばこの辺りは
    「かっぱ橋」のような雰囲気もしますし
    また、
    土産物の部品を作っている
    町工場も点在していました。

  • いつの間にか<br />大通りに出てきました。

    いつの間にか
    大通りに出てきました。

  • この辺りから<br />「エジプシャンバザール」<br />に通じているようです。

    この辺りから
    「エジプシャンバザール」
    に通じているようです。

  • グランドバザールとは<br />また雰囲気の異なった<br />バザールでした。

    グランドバザールとは
    また雰囲気の異なった
    バザールでした。

  • 観光客より<br />

    観光客より

  • 地元の人が多い<br />そんな感じがしました。

    地元の人が多い
    そんな感じがしました。

  • 地元の人が多い<br />そんな感じがしました。

    地元の人が多い
    そんな感じがしました。

  • カメラを手にしていたこともあり<br />「こっちこっち、見てゆきなよ」<br />と手招きを受け入った店に<br />並んでいたランプどれもきれいでした。

    カメラを手にしていたこともあり
    「こっちこっち、見てゆきなよ」
    と手招きを受け入った店に
    並んでいたランプどれもきれいでした。

  • 「ありがとう」と言い合って<br />なお、指を立てじぁ!<br />と 送ってくれたフレンドリーな奴<br />(^Д^)<br />

    「ありがとう」と言い合って
    なお、指を立てじぁ!
    と 送ってくれたフレンドリーな奴
    (^Д^)

  • 水パイプが並んだ店を<br />通り過ぎ

    水パイプが並んだ店を
    通り過ぎ

  • もう一方の出口に出てきました。<br />

    もう一方の出口に出てきました。

  • バザールの裏にある<br />駐車場まで昔ながらの<br />佇まいを感じさせてくれ<br />楽しい街歩きでした。<br /><br />さて、次回イスタンブール【7】<br />は、いよいよイスタンブールの<br />最終編となります。<br /><br />ありがとうございます。<br />

    バザールの裏にある
    駐車場まで昔ながらの
    佇まいを感じさせてくれ
    楽しい街歩きでした。

    さて、次回イスタンブール【7】
    は、いよいよイスタンブールの
    最終編となります。

    ありがとうございます。

この旅行記のタグ

関連タグ

91いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

トルコで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
トルコ最安 429円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

トルコの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP