![2019年の年末から2020年の年始にかけての1週間、75歳の母と共にイラン・イスラム共和国を旅してきました。<br /><br />日本でぬるま湯の中で、のほほんと日常を暮らす私たち。<br />旅の前にイランのことは治安、経済状態を含め、色々と調べました。<br />いえ、調べたつもりでした。<br />でも、ソレは、つもり・・・な、だけだったのです。<br /><br />イランとアメリカとの国家間の関係性が悪化していることは報道で知っていました。<br />昨年秋には急激なガソリン価格高騰に反発した市民が暴動を起こし、各地で死者を出す騒動になり、それに対し、イラン政府が全ての通信手段をシャットダウンするという暴挙にでたことも知っていました。<br />秋以降、イラン国内では物価がどんどん上がり、国民生活を苦しめていることも知っていました。<br /><br />しかし、その原因を作っている一因に日本政府が関わっているということ、私たちが納めた税金がイランの国民を苦しめる為に使われていること・・・は現地に行って、初めてしっかりと認識しました。<br /><br />イランの人たちを苦しめているのは米国による経済制裁。<br />米国が主導権を握り同盟国と共に実施しているイランへの経済制裁(イランからの石油製品の輸出、イランへの石油製品(精製するための原料物質も含む)の取引を禁じる)は、ゆっくりと真綿で首を絞める様に、確実にイランの人々の生活を圧迫してきています。<br />そして、この経済制裁には米国の同盟国である日本も加担しています。<br /><br />国として日本とイランは仲が悪いわけではありませんが、日本には米国の意に反してまでイランに寄り添う力はありません。<br /><br />米国から離れることのできない日本の体制が原因なのでしょうが、現在のアジア情勢を鑑みると、米国との友好国関係を維持し続けなければならないのが現実なのでしょう。<br /><br />“友好国”とは本来の意味では、友人みたいに仲良しの国の意味だと思いますが、実際に現在使われている“友好国”の単語は本当にそのような意味で使われているのでしょうか。<br />“友好国”という耳ざわりの良い単語で表してはいますが、その実、“友好国”は「傘下に入らなければ国際社会から孤立させるからな!!」と暗に示す米国からの脅しの文言、踏み絵の如き文言なのかもしれません。<br /><br />今回のイラン旅は、日本という国の立ち位置を外側から改めて知る機会ともなりました。<br /><br />☆2019/12/28-2020/1/5 イラン旅日程☆<br />□12/28 モスクワ経由でテヘランへ<br /> SU263 & SU812<br />■12/29 国内線でシラーズへ シラーズ観光<br />□12/30 シラーズ<br />□12/31 ペルセポリス<br />□1/1 イスファハーン<br />□1/2 イスファハーン&カーシャン<br />□1/3 カーシャン&アビヤネ村<br />□1/4 イスタンブールへ TK879<br /> イスタンブール トランジット観光 <br />□1/5 夜に日本着 TK052<br /><br />☆75歳の母と歩くペルシア 旅行記☆<br />【1】悪の枢軸国へ https://4travel.jp/travelogue/11585503<br />【2】チャドルを纏って即席美女!? https://4travel.jp/travelogue/11593122<br />【3】美しきもの、闇に輝く https://4travel.jp/travelogue/11595091<br />【4】砂漠の薔薇が花開く https://4travel.jp/travelogue/11598247<br />【5】イランのピンクレイクへ https://4travel.jp/travelogue/11604861<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/59/50/650x_11595091.jpg?updated_at=1604405765)
2019/12/28 - 2020/01/05
6位(同エリア195件中)
ウェンディさん
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2019年の年末から2020年の年始にかけての1週間、75歳の母と共にイラン・イスラム共和国を旅してきました。
日本でぬるま湯の中で、のほほんと日常を暮らす私たち。
旅の前にイランのことは治安、経済状態を含め、色々と調べました。
いえ、調べたつもりでした。
でも、ソレは、つもり・・・な、だけだったのです。
イランとアメリカとの国家間の関係性が悪化していることは報道で知っていました。
昨年秋には急激なガソリン価格高騰に反発した市民が暴動を起こし、各地で死者を出す騒動になり、それに対し、イラン政府が全ての通信手段をシャットダウンするという暴挙にでたことも知っていました。
秋以降、イラン国内では物価がどんどん上がり、国民生活を苦しめていることも知っていました。
しかし、その原因を作っている一因に日本政府が関わっているということ、私たちが納めた税金がイランの国民を苦しめる為に使われていること・・・は現地に行って、初めてしっかりと認識しました。
イランの人たちを苦しめているのは米国による経済制裁。
米国が主導権を握り同盟国と共に実施しているイランへの経済制裁(イランからの石油製品の輸出、イランへの石油製品(精製するための原料物質も含む)の取引を禁じる)は、ゆっくりと真綿で首を絞める様に、確実にイランの人々の生活を圧迫してきています。
そして、この経済制裁には米国の同盟国である日本も加担しています。
国として日本とイランは仲が悪いわけではありませんが、日本には米国の意に反してまでイランに寄り添う力はありません。
米国から離れることのできない日本の体制が原因なのでしょうが、現在のアジア情勢を鑑みると、米国との友好国関係を維持し続けなければならないのが現実なのでしょう。
“友好国”とは本来の意味では、友人みたいに仲良しの国の意味だと思いますが、実際に現在使われている“友好国”の単語は本当にそのような意味で使われているのでしょうか。
“友好国”という耳ざわりの良い単語で表してはいますが、その実、“友好国”は「傘下に入らなければ国際社会から孤立させるからな!!」と暗に示す米国からの脅しの文言、踏み絵の如き文言なのかもしれません。
今回のイラン旅は、日本という国の立ち位置を外側から改めて知る機会ともなりました。
☆2019/12/28-2020/1/5 イラン旅日程☆
□12/28 モスクワ経由でテヘランへ
SU263 & SU812
■12/29 国内線でシラーズへ シラーズ観光
□12/30 シラーズ
□12/31 ペルセポリス
□1/1 イスファハーン
□1/2 イスファハーン&カーシャン
□1/3 カーシャン&アビヤネ村
□1/4 イスタンブールへ TK879
イスタンブール トランジット観光
□1/5 夜に日本着 TK052
☆75歳の母と歩くペルシア 旅行記☆
【1】悪の枢軸国へ https://4travel.jp/travelogue/11585503
【2】チャドルを纏って即席美女!? https://4travel.jp/travelogue/11593122
【3】美しきもの、闇に輝く https://4travel.jp/travelogue/11595091
【4】砂漠の薔薇が花開く https://4travel.jp/travelogue/11598247
【5】イランのピンクレイクへ https://4travel.jp/travelogue/11604861
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イラン初日は、イラン南部の町Shiraz(シラーズ)の町散策。
モスクワ、テヘラン経由でイランのシラーズに到着したその足で世界遺産;エラム庭園へ向かい、イランの奥深い歴史を学んだり、ミラーモスクでは鏡張りの聖廟のその美しさに驚嘆し、お坊さんからクルーアン(コーラン)の意味を教えていただいたりと、ガイドさんと共に濃厚な時を過ごしました。
そして、ランチを終えた午後からは母と私の二人の時間。
ホテルに荷物を預けたら、のんびりと町さんぽ。
日本で目覚めたのが昨日の朝5時。
それから30時間以上まともに寝ていないので体はかなり疲れていましたが、憧れのイランに到着した興奮からかアドレナリンが大放出され、目は冴え冴え。
母と二人の町散策では、夜の真っ暗な裏道で道に迷い、コレハマズイカモ・・・と言う状況に陥りつつも度胸で脱出!
闇に輝くマスジェデで、イランでの初めての夜を堪能しました -
2019年12月29日 13時。
イランで初めてとなる食事(ランチ)は、シラーズでも有名なレストラン;シャーテル・アッバースの本店へ。
チヤイハネっぽく設えた客席のシャーテル・アッバースは、ガイドブックの歩き方にもケバブの人気店として名前が載っているレストランだ。 -
イチオシ
レストランの扉を開けると目の前にあるのはキッチンで、コックさん達が生地をこねてパンを焼いていた。
シャーテル アッバース 地元の料理
-
私たちが興味津々にキッチンの中を覗き込むと、料理人のおじさん達がこっちにおいでよと厨房の中へ招き入れてくれて、火が燃えさかるパン焼き釜を見せてくれた。
イランのパンの焼き方には色々あり、このレストランでは釜の内側に生地を貼り付けて焼くタイプらしい。 -
イランで初めてのレストラン。
何を食べようかな!!とワクワクしながらメニューを開いたら、メニューの文字は、私には解読不可能な文字。
料理名も、数字もペルシア語(アラビア文字)で書かれているので、料理の種類もその価格すら判別不可だった。
だから、ガイドの阪野さんにメニューの解説をお願いした。 -
サラダ、肉料理、魚料理などなどイランの伝統料理も含めて色々あったが、イラン初の食事なので、阪野さんのお勧めをお願いすることに。
母と私はそんなにたくさんは食べられないのでメインのお料理は二人でワンプレートをシェアする形とした。
オーダーしたのは、養殖マスのグリル、挽肉のケバブ(ペルシア語ではキュバーブ)、サラダとスープ、飲み物にはザクロ・ジュース。
スープはシラーズの伝統的な母の味であるギャンドンで、押し麦をベースに香草や人参が入っているギャンドンはモロッコのハリラ・スープ風な見た目で、クミンが入ればハリラそのものになりそうな味だった。
お肉には白米とパンがついていて、そのパンも勿論、釜での焼きたてホヤホヤ。
白米はお焦げ風に焼いてあり、その香りが更に食欲をそそる。
どのお料理も美味しかったが、魚とケバブのプレートは量が多めかな。
お会計は3人分で2,100,000(210万)リアル=(約2,100円)。
このレストランでは挽肉のケバブが1皿500,000(50万)リアル(約500円)前後なので、シラーズの中では高級レストラン扱いかもしれない。
阪野さんからの情報によると、イラン人の月収は平均月収で200米ドルと云うことなので、月収の1/10のランチ代というのは、決してお手軽価格のランチではないと思う。 -
昼食後の14時半にシラーズで二晩をお世話になるエラム・ホテルへとチェックイン。
本日の阪野さんによる観光ガイドはこのホテルまでなので、部屋に荷物を入れたら、母と私は二人だけで再びシラーズの町へと散策に出かける。
エラム・ホテルがあるのはシラーズ中心部の外れ。
外れと云ってもバザールまで徒歩15分の距離で、ホテルは大通りに面しているので、夜に出歩いても治安には全く問題が無い立地。
宿泊場所としては悪くはない宿だ。エラム ホテル
-
ただ、難点を云えば、朝食の内容がイマイチで今回のイラン旅で宿泊した宿の中で一番しょぼい朝食だった。
一応、観光ホテルというポジションだが、どちらかと言えばビジネスホテルに近いカテゴリーだろう。
でも、フロント・スタッフの雰囲気も対応も良かったし、部屋のシャワーの湯温や湯量も問題なく、部屋も清潔で初日にはウェルカムティーも貰えたし、エラム・ホテルがシラーズ観光にお勧めの宿であることには違いない。
(写真:翌朝の朝食). -
15時、MapsMeのオフライン地図とGPSを頼りに町散策へと歩き出す。
宿からシラーズ中心部へのアクセスはホテルの前を走るザンド通り(Karim Khan-e Zand St.)沿いに歩くだけ。
この通りには、その通りの名付け親でもあるザンド時代のキャリム・ハーン(王)の城と城壁が今でも残っている。キャリム ハーン城塞 建造物
-
キャリム・ハーン城塞の前で見つけたのは、I Love Shirazの看板。
最近は何処の観光地でも見かけるお決まりの光景だが、その白い文字は城塞のある風景ととてもマッチしていた。 -
町散歩で私たちが目指していたのは、聖人廟であるシャー・チェラーグ廟。
ここは、入口で案内人を頼まないと敷地内に観光客は入ることはできなく、大きな荷物は入口の手荷物預所に預けなければならない。
また観光客はシャー・チェラーグ廟の敷地内に入ることはできるが、祈りの場である聖廟の礼拝室内へは入れるのはムスリム(イスラム教を信仰する信徒)のみで、観光客は聖廟の外観のみの見学が許されている。
更に写真撮影は建物の外観のみ可能なのだが、スマホでしか撮影は許可されない。
一眼カメラやコンデジは聖廟の敷地内に持ち込むことすらできなく、大きな荷物同様に聖廟入口にある手荷物預かり所へ預けなくてはいけない。
礼拝室内に関しては、一部だけ観光客が入ることもできるエリアがあり、案内人が連れて行ってくれる。 -
実は、私たちはシャー・チェラーグ廟では二人の案内人に聖廟の敷地内を案内して貰った。
最初の案内人はお爺さんで、その人の説明がこれでもかというくらい下手で、更にやる気が空回りする方で、はっきり云って、何がこの聖廟の見所でポイントなのかがお爺さん案内人の説明だけでは理解できなかった。
だから、私たちは別な案内人に2回目のガイドをお願いして再び廟の敷地内へ。
その二人目の案内人が写真の女性のミナさん。
ミナさんは工科大学の学生で授業の終わった時間帯にボランティアで案内人をやっていると云う話だった。
彼女は現役の学生ということもあり英語も流暢で、私たちの質問にも的確に答えてくれた。 -
そして、ミナさんは私たちにとっておきの情報を教えてくれた。
その情報とは、シャー・チェラーグ廟が美しく輝き出すのは、逢魔が刻。
夕暮れの景色は絶対にお勧め!!!と。
だから、母と私はミナさんに一通り説明してもらい彼女と別れた後も聖廟の敷地内に残り、暮れゆく光景を眺めることに・・・。
夕刻、私たちはミナさんの言葉が真実である・・・と実感した。 -
シャー・チェラーグ廟に祀られているのは二人の男性で、彼らはシーア派の重要指導者の一人であるイマーム・レザーの二人の弟。
指導者の血縁であるということから聖人として祀られ、この地を聖地巡礼として参拝する信者の方も多いそうだ。
兄弟の聖人というと区別がつきにくいので、旅行記ではこの二人を兄・弟と区別して話を進めていきたい。 -
シャー・チェラーグ廟の敷地内には聖廟が二つあり、大きい方がお兄さんの廟で、その色彩は青が基調。
お兄さんの聖廟の特徴は中央ドームの両脇にミナレットが2本立っていることだ。 -
イチオシ
弟君の聖廟はミナレットもなく、そのドームサイズはお兄さんに比べると若干小さめだが、ドームの基調は黄色でちょっとゴージャスな雰囲気。
-
イチオシ
でも、ゴージャスさ加減ではお兄さん廟も負けてはおらず、日没後に建物内に明かりが灯った時のその回廊の美しさときたら・・・。
宗教施設と分かっていながらも、夜のライティングを考え抜いた色使いやデザインにうっとりとしてしまう。 -
日中は太陽の強い光に押し隠されその魅力を十分に発揮し切れていなかったタイルワークの色彩が、夜の闇に輝くライティングで一気に目覚めた感じ。
タイルそのものがその存在を主張するように光っていた。
観光客は聖廟の礼拝室内部に入ることはできないが、その外側を飾るタイル装飾を見ているだけで、如何にこのお兄さんが民衆に愛された聖人であったかがうかがえた。
巡礼の女性達が足下まで体を包み込むチャドルを着て、礼拝室へと消えていく。
何気ない日常風景であるその光景すら、美しく感じた。 -
お兄さんの聖廟内の礼拝室内へは観光客は入ることはできない。
しかし、観光客に何も見せないのは忍びない・・・と言うことで、男性用の礼拝室の一部のみ私たち観光客も見学することができ、案内人であるミナさんがそこへと連れて行ってくれた。 -
礼拝室の最初の部屋は控えの間のような空間だが、窓ガラスはステンドグラス。
夕方だったので部屋の中には光は射し込まないが、十分に美しい窓だった。 -
シャー・チェラーグ廟の控えの間の装飾はステンドグラスだけではなく、壁も天井も鏡のモザイクで覆われていた。
-
モザイク・デザインの鏡がステンドグラスの色やシャンデリアの輝きを反射して、キラキラ。
-
そして、控えの間に続く男性用の礼拝室の中も鏡のモザイク片でびっしりと覆われていた。
鏡のモザイクって、キレイなのだけど・・・
だけれど・・・ -
鏡のモザイク装飾は豪華絢爛には見えるが、限度がある気がする。
ここまで鏡が自己主張をしすぎると、さすがにやり過ぎ感がある・・・かもしれない。 -
そして日没の時間帯。
お兄さんの廟は闇夜へと移り変わる空を背景に妖しく光っていた。
イスラム教シーア派の廟やモスクの特徴は、中央ドームの脇に2本のミナレット(塔)があることで、お兄さんの聖廟もドームに2本のミナレットが付属するタイプ。
この形は人間を模していて、中央ドームが頭でミナレットが二本の手を表し、アッラーに礼拝する人の姿を表現しているそうだ。シャー チェラーグ廟 城・宮殿
-
夜景の美しさでは弟くんの聖廟だって負けてはいない。
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更に弟君の廟は、夕方の柔らかな光の中でも美しく輝いていた。
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お兄さんの廟のように大理石をふんだんに用い装飾的なシャンデリアがあちこちにある訳ではないが、弟くんの廟はターコイズ・ブルーと黄色系の色彩を用いたイスラム装飾が特徴的。
特に天井の落ち着いたドーム装飾が素敵だった。 -
廟の壁に寄りかかり瞑想しているのは、旅行者なのかシラーズ人なのか。
素足を露出しているので多分イスラム教を信仰する方ではなく旅人だろうと推測できるが、その姿がなんとなく絵になる風景だったので、一枚パチリ。 -
私たちは日が暮れる前の明るい時間帯から、日没後のライトアップの時間帯までこのシャー・チェラーグ廟に滞在したが、フォトジェニックでお勧めの時間は、日没少し前の薄暮の時間帯。
空に夕闇が迫る頃、敷地内の建物には光が灯され、聖廟の雰囲気は明るい時間帯の雰囲気とは一変する。 -
廟の敷地内にはムカルナス装飾が見事な物置(?)もあるのだが、その装飾もライトの灯が美しく浮き出してくれる。
-
この細やかな装飾。
なかなか他の国では、物置のような空間にここまで繊細なタイルワークはしないよね? -
結局、さらっと見学するつもりだったシャー・チェラーグ廟での滞在時間はたっぷり3時間。
明るい時間帯と闇の時間帯、二つの顔を持つイスラム建築の繊細さと美しさをたっぷりと味わった。 -
時刻は18時過ぎ。
太陽は沈み、どっぷりと夜の闇が辺りを覆い尽くす時間となっていたのだが、私たちにはホテルへと戻る前にもう1カ所、行ってみたい場所があった。
そこへと向かおうと歩き出したのだが、地図を読めない事にかけては自信のある母と私は、期待に違わず、シャー・チェラーグ廟背後の裏道で迷子になった。
街灯も少なく、道行く地元民もほとんどいない暗い路地。
この道、やばいかも・・・と思ったと時には”時すでに遅し”で完全に東西南北の方向感覚も分からなくなっていた。
さぁ、どうする?
母は不安顔で、此処で私が弱気な顔を見せたらもっと母を不安にさせてしまう。
でも、周りに誰もいないし・・・と、私自身もかなり心細くなりかけたその時、地元の方が路地の前方を横切る姿を発見し、私は走ってその人のところへ。
英語が通じなくったって、なんとかなる。
とりあえず話しかけて、明るいところへ連れて行ってもらわなくては・・・。
私が話しかけたのは地元民のお爺さんだったが、お爺さんは片言の英語が話せた。
ともかくお爺さんにも通じる英語をと思い、この近くにあると思われる地元の方ならば絶対に知っている場所;バザーレと言う単語を使って「バザーレへの道を教えて!」と伝えたら、ついてこい!!のジェスチャーをして、私たちを裏道から明るい場所へと連れて行ってくれた。ヴァキール バザール 市場
-
お爺さんが案内してくれたバザーレは、シラーズで一番大きな市場であるバザーレ・ヴァキール。
バザーレ・ヴァキールの中を通って、目的地へと向かう。
夜のバザールはお母さん達の戦場。
女性達は真剣なまなざしで、商品の品定めをしていた。
バザーレ内は夜でもライトで明るいのだが、その道はまっすぐではなく、T字路だったり斜めに走っていたりして、一度バザーレの中へ足を踏み入れると、自分がどちらの方向に歩いているのかが分からなくなる。
スマホ・アプリのMapsMeもバザーレの閉鎖空間の中では正確には動作しなかった。
そんなわけで、真っ暗な路地の迷子から解放された私たちは、また、バザーレの中で迷子になってしまった。
でも、今度は焦らない。
邪魔にならない場所に立って地図を眺めて、バザーレの配置を確認しながら現在位置を把握する。
そんな私たちに、親切なシラーズの人たちはすかさず「何処に行きたいの?」と声を掛けてくれ、道を教えてくれた。
シラーズの人たちは、皆がとても親切だった。 -
私たちが、この夜に行ってみたいと思っていた場所。
そこは、マスジェデ・ヴァキール。
マスジェデとはペルシア語でモスクのことだ。
この日の午前中と午後に訪れた二つのミラーモスク(アリー・エブネ・ハムゼ聖廟&シャー・チェラーグ廟)は正確に言えばモスク(イスラム教寺院)ではなく聖人のお墓だが、マスジェデ・ヴァキールは正真正銘のモスクだ。
私達はバザーレの迷路道からなんとか迷いながらもマスジェデ・ヴァキールに辿り着いたが、道がわかりやすいのはTaleghani.St.からアクセスする道で、バザーレの中を通る道はあまりお勧めしない。
マスジェデ・ヴァキールは入場料が必要なモスクで、ガイドブックには15万リアルとあったが、米国の経済制裁による物価高騰の煽りを受け、20万リアル(約200円)に値上がりしていた。
観光客としては入場料の値上げはありがたくはないが、イランの現在の経済状態を考えると値上げは致し方ない部分でもある。 -
マスジェデ・ヴァキールのエントランスのアーチをくぐり、モスクの中庭に出るとイスラムのモスクに特徴的な回廊に囲まれた中庭が現れた。
中庭には大きな池があり、その水面にはライトアップされた廟の灯が映り込む。 -
オレンジ色に輝く水面を眺めながら、向かい側にある南廟の礼拝堂の方へと足を運ぶと、徐々にその姿が明らかに・・・。
-
イスラム・アーチが幾重にも連なる、奥行きがどれほどあるのか分からないような不思議な光景が見えてきた。
-
マスジェデ・ヴァキールは組み合わされた彩色タイルが見事との前評判だったので、モザイク・タイルに興味のある私は楽しみにしていた。
エイヴァーンの入口に一歩一歩近づくごとに明らかになってくる礼拝堂の内部装飾。
その入口の立ち、内部を覗き見ると、美しい・・・なんて言葉では表せない情景が広がっていた。 -
イチオシ
それは、イスラム装飾を駆使した荘厳なタイル・アートの世界。
色使いは多くはなく、黄色、青、緑がその基本色となったタイルが形作るモザイクの世界。
夜の闇に浮き上がる礼拝堂は、想像していた以上の美しさだった。 -
イチオシ
マスジェデ・ヴァキールは柱の礼拝堂とも云われ、48本の柱が連続したイスラム・アーチを重ねる様子は圧巻の一言だ。
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礼拝堂内部のあまりの荘厳さに入口に立ち尽くしたまま動けなかった母と私も、ようやく我に返り、まずは礼拝堂の正面にある聖なる空間へとご挨拶に伺う。
マスジェデ ヴァキール 寺院・教会
-
南廟礼拝堂の正面にあるのは、メッカの方向を示すミフラーブ(聖龕)で、ムスリム(イスラム教徒)にとっては、お祈りに欠かせない重要な方向であるメッカの方向を示している。
このミフラーブだが、イランのイスラム教シーア派のミフラーブにはイスラム教スンニ派寺院にはない特徴がある。
その特徴が、ミフラーブの地面の窪みだ。
シーア派寺院のミフラーブ下部の床は窪んでいて、その窪みは人間一人分がうずくまったサイズ。
この窪みは、イスラム教・シーア派の祖;初代イマームのアリー・イブン・アビー・ターリブ(第4代カリフ)が暗殺された時の位置を示していて、次にイマーム(指導者)が同じ方法で暗殺されるような事態になったときに、イマームがとっさに刀を避けるためにこの窪みが作られたとのことで、シーア派のモスクでしかみることができない。
確かに大振りの横薙ぎの剣の場合は、刃が大きすぎて、刀を振り下ろした時にこの窪みに逃げ込まれたら、急襲という意味での暗殺は失敗するだろう。
でも、暗殺者が所持している刃物は1種類ではないよね、きっと。
レイピア型の刺す剣が1本あれば、窪みに逃げ込んでもブスリと刺され、殺されてしまう可能性が高い。
本気で暗殺者から逃げたいならば、忍者屋敷並みのからくりを準備する必要があるだろう。 -
ここのモスクの名前であるマスジェデ・ヴァキールの“ヴァキール”とは、ガイドブックではヴァキール”は“王”を指すと紹介されることが多いが、実はその説明は正しくはない。
正確には、“ヴァキール”とは“臣民の代表”を指し、支配者としての“王”のニュアンスとは異なる位置づけとなる。
マスジェデ・ヴァキールが建築されたのはシラーズが王都であった300年前のザンド朝時代。
イランのその時々の支配者の多くはご自分のことをペルシアのシャー(皇帝)であると自称する自負心の強い人ばかりだったのだが、ザンド朝のトップとなった男性は「自分は臣民の代表;“ヴァキール”として、シラーズを司る」と宣言し、決して自らはシャー(皇帝)とは名乗らず、自らの宮廷における生活でも質素倹約に務めたそうだ。
その“ヴァキール”が建築を命じたモスクと云うことで、このモスクは“マスジェデ・ヴァキール”と呼ばれている。 -
旅行記では、皇帝(シャー)、臣民の代表(ヴァキール)、更に、地方の王であるハン、を区別するとややこしいので、シャー=皇帝、ヴァキール=ハン=王として簡易的に紹介する。
(現代のイランでも、ヴァキールとハンの区別は正確には行われておらず、ヴァキール=ハンという位置づけで名前がつけられていることが多い)
マスジェデ・ヴァキールは柱が立ち並ぶ建築様式も見所ではあるが、その壁面や天井を覆うタイル装飾も見逃せない。 -
北廟エイヴァーンのタイル装飾は真珠のエイヴァーンと呼ばれているのだが、残念ながら北廟側は夜間照明が暗く、タイルのその模様が美しいことは分かるのだが真珠の煌めきまでは見て取れなかった。
時間があるならば明るい時間帯にもこの北廟エイヴァーンのタイル装飾を見たかった・・・というのが本音だ。 -
南廟の天井は天井一面がタイル装飾で覆われている部分と、焼きレンガとタイルのパターンを組み合わせて幾何学的なイスラム文様を作り出している部分がある。
-
その幾何学天井装飾も、天井ごとに様々なパターンがあった。
-
この旅行記のマスジェデ・ヴァキールの入場料の説明で、“イランの現在の経済状態を考えると値上げは致し方ない部分でもある”と書いた。
入場料金の値上げが致し方ない理由・・・そこには日本政府の施策も絡んでいる。という事実をご存じだろうか。 -
米国が主導権を握り実施しているイランへの経済制裁(イランからの石油製品の輸出、イランへの石油製品(精製するための原料物質も含む)の取引を禁じる)は、ゆっくりと真綿で首を絞める様に、確実にイランの人々の生活を圧迫してきている。
その制裁のあおりがイランの国民に一気に跳ね返ったのが2019年秋のガソリン価格の高騰で、一晩にしてガソリン価格が3倍に跳ね上がった。
ガソリンはイラン国民の生活にはなくてはならないもので、政府の課した値上げに反発したイラン国民が暴動を起こし、テヘランで始まった暴動は地方都市へと連鎖し、国内のあちこちが不穏な状況へと陥った。 -
イチオシ
その状況に慌てたイランの指導者は、イランの全ての通信手段の遮断するという暴挙にでた。
電話、ネットなど日常的な通信手段が政府によって全てシャットダウンされ、国内・国外への通信が一切できない状態に国民は置かれた。 -
政府の通信規制により各地の暴動は鎮圧され、通信遮断は1週間も続かなかったそうだが、イランの国民生活は日本を含む米国の同盟国により苦しめられている・・・と言うのが現実だ。
イランに来るまで日本政府が他国の国民を疲弊させている・・・なんて想像もしてもいなかった私だが、イランを訪れその現実を目の当たりにして国際問題の難しさを実感した。 -
国としては、日本とイランは仲が悪いわけではない。
しかし、日本には米国の意見に反対してまでイランに寄り添う力もない。
米国から離れることのできない日本の体制が原因なのだろうが、現在のアジア情勢を鑑みると、米国との友好国関係を維持し続けなければならないのが現実なのだろう。
“友好国”とは友人に如く仲良しの国の意味だと思うのだが、実際に現在使われている“友好国”の単語は本当にそのような意味で使われているのだろうか。
“友好国”という耳さわりの良い単語で表しているが、その実、“友好国”は「傘下に入らなければ国際社会から孤立させるからな!!」と暗に示す米国からの脅しの文言なのだろう。 -
タイル装飾が輝くマスジェデ・ヴァキールでの滞在時間は1時間くらい。
さすがに母の様子が眠そう(直近で布団から起き上がってから45時間以上が経過中・・・)だったので、イラン初日の観光はここで終了として、エラム・ホテルまでの道のりを徒歩で戻る。 -
ホテルがあるのはシラーズのメイン・ストリートのザンド通り添いなので、帰路に迷子になることはなかった。
ホテルまでの帰路は、ライトアップされたキャリム・ハーン城の城壁に沿って歩く。
キャリム・ハーン城は先ほどまで滞在していたマスジェデ・ヴァキールの建築を命じた王;キャリム王が居住していた城。
300年前に栄えたザンド朝だが、その君主のキャリム王はザンド朝が滅びた現在もシラーズ市民に愛され続けている名君だそうだ。
この日の午前中に訪れたエラム宮殿の最後の住人であったイラン最後の皇帝;モハンマド・レザー・シャーも、質素倹約に努めたキャリム王を見習った治世をしていれば、イスラム革命でその座を追われることがなかったかもしれないのにね・・・。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2020/02/20 06:16:54
- ペルシャの市場から
- ウェンディさん おはようございます。
いつアメリカが暴挙に出るかもしれない時期、イランを旅行するなんて今、武漢にいくようなものではありませんか?(笑)。
様々な模様色合いのタイルの建築は、驚きの連続です。夢の国のようだったり、ピカソのキュビズムだったり、言葉を失う世界です。
バザーレで迷ったら、皆親切に心配してくれる、イスラムの人は親切ですね。これらの人たちが、経済制裁で苦境に立たされる、許せないことです。爆弾は直接人を殺すが、経済制裁はおっしゃる様に真綿でくびを占めるように何百万人の人を死に追いやると言われています。
誰にも後ろめたさのない国であって欲しいとわが祖国を思います。考えさせられる旅行記でした。
ところで4トラベルでは輝く一等星のような存在のウェンディさんが、このpedaruめをフォローしてくださったのですね。光栄です。今後ともよろしくお願いいたします。
pedaru
- ウェンディさん からの返信 2020/02/20 20:21:50
- Re: ペルシャの市場から
- pedaruさん こんばんは。
イラン旅の旅行記を読んでいただいてありがとうございます。
世界情勢などは報道を通して知っているつもりでも、実際に自分の国がいじめっ子側に加担しているという事実を今回のイラン旅で身をもって知り、私は今まで何を見聞きしてきたのだろうかと自己嫌悪に陥りました。
利権争いと宗教間の考え方の相違が入り交じり始まった対立。
日本は友好国のボスに言われるがままにいじめグループの手下となり、自分は直接手を下さないにしても、輸出入規制をかけることでジワリジワリと陰から攻める粘着質ないじめ方をしているようです。
確かに核開発を進めるイランにも反省すべき部分がありますが、いじめっ子の親分は大量の核を保有しているくせに自分達は良くて、相手はダメ…では、話はいつまでたっても平行線ですよね。
歩み寄りという言葉を知らない親分を持つ、インフルエンザ(もしかして隠れコロナ?)が猛威を振るっている国の意識改革がもう少し進むとよいですね。
今回のイラン旅ですが、旅の時期についてはかなり熟考し、候補に挙がったのがイスラムのラマダン(断食)月とクリスマス休暇の時期でした。
米国が何かを仕掛けるにしても、兵士に里心がつくクリスマスの時期と相手国の兵士が空腹のためにイライラするラマダン月は避けるハズだと思っていました。
クリスマス休暇に攻撃がないと予測したのは大当たりでしたが、まさか新年あけ数日で爆撃機を仕掛けてくるのは想定外でしたが、現地では日本で報道されているような騒ぎではなかったです。
最後になりましたが、pedaruさんのフォローのご挨拶が遅れてしまい、申し分けありません。
お鍋に入れる柚子胡椒のようにピリリとウィットが効いたpedaruさんの旅行記、楽しみにしていますね。
ウェンディ
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