2014/05/09 - 2014/05/23
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jijidarumaさん
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ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
期間:2014年05月09日〜23日 15日間)
05月19日(月) 212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムからは晴れ、13.5〜22℃
今日から2泊するAerzenアエルツェン ・Schlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼンに向かいます。Pattensen・ Schloss Marienburgマリエンブルグ城を16:50に走り出し、ハーメルン近くで工事中の為に渋滞し、49kmを凡そ1時間で走った。
城門を入り、ホテルの駐車場に17:55到着。
写真はミュンヒハウゼン男爵
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Aerzenアエルツェンの町は人口11千人と小さな町である。
Weserberglandヴェーザーベルクラント地方にあり、ハーメルンから南西約 10 km、Bad Pyrmontバート・ピルモントから北に約 7 km のHummetalフンメ渓谷に位置する。
東西にフンメ川が流れ、町の中心部でGriessebachグリーセバッハ川(全長10.4km)がフンメ川(19km、ヴェーザー川の支流)に合流する。
写真はミュンヒハウゼン男爵の切手1970年 -
≪Schloss Schwoebber シュヴェプバー城=>Schlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼンの歴史≫
元々、この城はSchloss Schwoebber シュヴェプバー城と称しており、ヴェーザー・ルネサンス様式の建築で、三翼をもつ、水城である。
シュヴェプバー城はWeserberglandヴェーザーベルクラント(ヴェーザー山地自然公園)のアエルツェン村にある。
笛吹き男の話で有名なハーメルンの近郊10kmにあって、8haの起伏に富んで小川が流れる公園とバロック庭園を持った城は世に良く知られていた。
写真はSchlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼンの俯瞰:
①Parkplaetze:駐車場
②Golfschop:ゴルフ場敷設ショップ
③Zehntscheune:教会税10分の1税で運営された穀物納屋、今は36室の宿泊棟
④Kirche der Zehntscheune:教会・洗礼や結婚式場
⑤Tiefgarage:地下駐車場の出入口・ゴルフのキャディー控室
⑥Golfclub:ハーメルン・ゴルフクラブのクラブハウス
⑦Eiskeller:かつての冷蔵所、今はバーベキュー場
⑧Schwimmbad:プール、18mX5m
⑨Standesamt:結婚式用の登記所
⑩Kleine Muehle:小さな水車小屋・今は休暇用宿泊所
⑪Golfplatz Lucia von Reden:18ホールのゴルフ場(ルチア・レーデン)
⑫Driving Range:ゴルフの打ちっぱなし場、パター練習場
⑬Tagungspavillon:小さな会議場
⑭Seeterasse:レストラン シュロスケラー前のゼーテラス、50席
⑮Gourmetterasse:グルメテラス、150席
⑯Bootshaus:ボートハウス
⑰Ananaspavillion:17世紀のオランジェリーの名残であるアナナスパビリオン
⑱Hengstweide:かつて種馬の牧場、洋弓場、クリケット場、ヘリコプター乗降場
⑲Golfplatz Baron von Muenchhausen:主ゴルフ場18ホール・ミュンヒハウゼン男爵 -
21世紀になり、16世紀の宮殿を改装し、シュヴェプバー城のかつての城主ミュンヒハウゼン男爵の名前を取って、今は古城ホテル ミュンヒハウゼンとなっている。
州都ハノーファーまでB1・B217で凡そ50kmと近く、18ホールのゴルフコースを利用するお客も多いと云う。
1510年から1919年まで400年間、シュヴェプバー城はニーダーザクセンの貴族Freiherr von Muenchhausenミュンヒハウゼン男爵家の居城であった。
『ほら吹き男爵の冒険』で有名な、18世紀のKarl Friedrich Hieronymus Freiherr von Muenchhausenカール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・ミュンヒハウゼン男爵はその家系である。
写真はホテルへの入口 -
1985年から2002年まで、シュヴェプバー城はゴルフ場のクラブハウス、ゴルフ客の宿泊ホテルとして利用される。
1992年の10月、シュヴェプバー城の3翼のうち、本館中央の翼が大火災になった。
写真は2泊したホテル棟 -
2002年、Ursula und Friedrich Popkenウルスラ&フリードリヒ・ポプケン夫妻(ファッショングループPopkenのオーナー:30ヶ国、700支店、グループ従業員4千人)が、シュヴェプバー城を購入した。
その後、崩壊しそうになっていた古城を修理・改装し、3500万ユーロ(約49億円)を投資して、近代的な建物に甦らせた。
2004年、シュヴェプバー城のかつての城主ミュンヒハウゼン男爵の名前を取って、古城ホテル ミュンヒハウゼンとし、グルメ・レストランを持つ5星ホテルを開業した。
2004年にオープンした古城ホテルは5星・全68室。
参考:
≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
http://4travel.jp/travelogue/10883955
写真は三翼の古城ホテル -
≪『ほら吹き男爵の冒険』の主人公ミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムスKarl Friedrich Hieronymus Freiherr von Muenchhausen≫
ミュンヒハウゼン男爵といえば、通例、『ほら吹き男爵の冒険』の主人公をさすが、架空の人物ではない。
『ほら吹き男爵の冒険』の原型は、18世紀のドイツの貴族ミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムスが自身の冒険談として周囲に語ったほら話である。
写真はヴェーザー川沿い、メルヘン街道の町Bodenwerderボーデンヴェルダーにあるほら吹き男爵の胴が二つになった記念像 -
史実:
Karl Friedrich Hieronymus Freiherr von Muenchhausenミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス(1720年5月11日〜1797年2月22日)は、18世紀のドイツの貴族である。
現在のニーダーザクセン州のヴェーザー川沿いにハーメルンから22km上流に走ると、メルヘン街道の町Bodenwerderボーデンヴェルダーがある。この町のミュンヒハウゼン家の第5子として生まれる。
カール・ミュンヒハウゼンは15歳のとき、ブラウンシュヴァイク公家に小姓として出仕した。
写真はBodenwerderボーデンヴェルダーにあるミュンヒハウゼン男爵の生家(現在は町庁舎) -
ロシアに移っていたブラウンシュヴァイク公子Anton Ulrichアントン・ウルリヒは死亡した小姓の補充を実家に求めたので、1737年、ミュンヒハウゼンはアントン・ウルリヒに仕えるためロシアに渡るが、1739年にアントン・ウルリヒの元を去り、バイロン公爵夫人の求めに応じてロシア軍騎兵少尉に任官した。
写真はロシアのほら吹き男爵の記念像:砲弾に乗って空中を飛んだ男爵はある時は馬ごと沼に落ちてしまい、溺れそうになりました。しかし、なんとか自分の頭の毛を引っ張って、馬とともに泥沼から出た話 -
アントン・ウルリヒは1739年にアンナ・レオポルドヴナと結婚し、大元帥に就任する。
1740年、アンナは息子のイヴァン6世を擁して摂政に就任する。この政変の余波で、ミュンヒハウゼンは中尉に昇進した。
Rigaリガに駐屯していたが、1740年および1741年の対オスマン帝国戦には参加している。
写真は各地に立つほら吹き男爵のカモと飛んでいる記念像 -
1741年12月、政変によりイヴァン6世が廃され、アントン・ウルリヒはアンナとともに幽閉された。
ミュンヒハウゼンはその2年前にアントン・ウルリヒの元を去っていたため、追及から免れた。
写真は各地に立つほら吹き男爵の記念像 -
1744年、ラトビアのLivoniaリヴォニア近郊の町Pernigelペルニエルで判事の娘Jacobine von Duntenヤコビン・フォン・デュンテンと結婚する。
1750年には大尉に昇進する。
写真は今日のドイツでももっとも知られているビュルガー版を作ったゲッティンゲン大学の私講師ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(Gottfried August Buerger)の人物画 -
休暇を取り、妻を伴ってボーデンヴェルダーに帰省した。
しかし母が死に、また2人の兄弟が戦死して、ヒエロニュムスがミュンヒハウゼン家を継ぐことになったため、ロシアに戻ることはなかった。
1754年、ロシア軍から除籍されるが、ボーデンヴェルダーでの妻との生活はその死まで40年に渡り幸せの時を過ごした。
写真はDoreドレ作・ほら吹き男爵のイラスト:
多くのイラストレーターがミュンヒハウゼン男爵の物語に挿絵を描いてきたが、男爵のイメージを決定付けたのは1862年版に採用された(ミュンヒハウゼンとは似ていない)ギュスターヴ・ドレの挿絵である。ドレは他にもダンテの『神曲』や聖書にも挿絵を提供したことで知られる。 -
ボーデンヴェルダーでのミュンヒハウゼンは機知に富んだ話術で広く評判を集めたが、同時に実務的な面については誠実な人物とも評されていた。
妻に先立たれた後、1794年に再婚したが、不和から離婚に至っている。
1797年に没した。子供はない。
写真は友人たちのとの集まりでミュンヒハウゼン男爵は楽しい“ほら話”をして喜ばれた -
創作:
ミュンヒハウゼン男爵、ドレによる挿絵 ミュンヒハウゼンの物語がはじめてまとまった形で出版されたのは1781年のベルリンでのことだが、著者は不明である。
その後1785年に大幅加筆された英語版が出版され、著者は元ヘッセン方伯の司書ルドルフ・エーリヒ・ラスペ(Rudolf Erich Raspe)である。
Baron Munchhausen's Narrative of his Marvellous Travels and Campaigns in Russiaがその時の題名だが、The Surprising Adventures of Baron Munchausenとも呼ばれた。
しかしながら、そのユーモラスな物語の中にはミュンヒハウゼン以外の出典から拝借したものも少なくない。実際、周囲からミュンヒハウゼン自身に対して遠慮深いという評価があったとはいえなかったこともあり、ラスペの出版はむしろミュンヒハウゼンの評判を落とす結果となった(もともとラスペには盗癖があり、ヘッセン方伯のコレクションに手をつけた容疑で英国へ国外逃亡中の身であり、晩年には宝石偽造にかかわってアイルランドへと再逃亡している)。
写真はラトビアの記念コイン
ミュンヒハウゼン博物館:
ミュンヒハウゼン男爵に関する博物館が、ラトビアの首都リガから55キロ離れたドゥンテにあります。常設展の「ミュンヒハウゼンの世界」ではブラウンシュヴァイク公アントン・ウルリヒ2世に仕えた時代、軍騎兵少尉時代、妻思いの夫であり、狩りをこよなく愛する人物像、そして、巧みな話術の持ち主であったことが紹介されています。 -
1786年、ゲッティンゲン大学の私講師ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(Gottfried August Buerger)がラスペ版をドイツ語へと翻訳、さらに加筆してドイツに逆輸入した。Wunderbare Reisen zu Wasser und Lande:Feldzuege und lustige Abenteuer des Freiherrn von Muenchhausenとして出版されたこのビュルガー版は、今日のドイツでももっとも知られている版のひとつである。
なお、ビュルガーは共和思想の持ち主であり、ビュルガー版には政治的風刺が多く盛り込まれた。そのためか、ビュルガーは生前自分が著者であることを固く秘した。
またミュンヒハウゼンやラスペ同様、ビュルガーもまた晩年は不遇であり、教授に昇進できぬまま貧乏講師で終わっている。
写真は胴が二つになった騎馬像:トルコとの戦いでは城門に騎馬が挟まれて、体が真っ二つに分かれてしまっていたのでした。馬がいくら水を飲んでも、そのまま後ろにあふれてしまうのです。 -
19世紀、ミュンヒハウゼン男爵の物語は数多くの作家たちによって加筆され、さまざまな言語に翻訳された。その結果として物語には100以上のバリエーションが存在する。
ミュンヒハウゼンが軍人として活躍したロシアでも、ミュンヒハウゼン男爵の物語は古くから出版されており、とくに子供向けにリライトされたものは広く愛読されている。
ミュンヒハウゼンが滞在したというバルト海沿岸の町カリーニングラード(旧:Koenigsbergケーニヒスベルク)は1255年にドイツの東方植民政策でドイツ騎士団により作られたドイツの都市で、第二次大戦後にソ連に組み込まれた。
この町には「ミュンヒハウゼンの末裔たち」というクラブがあり、2005年にはミュンヒハウゼンの像が建てられた。
写真はカモと飛んでいる男爵 -
ミュンヒハウゼン男爵の物語のうち、ミュンヒハウゼン自身が語ったものがどれくらいあるのかは明らかでない。
ただし、エピソードの大多数はミュンヒハウゼンが生まれる前から数世紀にわたり流布してきた民話がもととなっていることが判明している。
写真は大砲の玉に飛び乗る話 -
ミュヒハウゼン男爵は、2度の月旅行、海底旅行、地底旅行なども含めて、ありとあらゆる場所に出かけ、活躍する。死を目前にすること数え切れないほどだが、その度に冷静な判断と機知(?)で、あるいは信じられないような幸運によって、危難を乗り越える。
“Luegenbaronほらふき男爵”の冒険
http://www.youtube.com/watch?v=ZXVQdZhnpbY
12/19 ほらふき男爵のぼうけん
http://www.youtube.com/watch?v=7CPGMJ8s5B8
写真は海底で魚と戦う男爵 -
<プログ・福娘童話集:世界昔話・ビュルガーの童話から(抜粋)>
① ほらふき男爵 シカのサクランボウ
わがはいは、ミュンヒハウゼン男爵(だんしゃく)。
みんなからは、『ほらふき男爵』と呼ばれておる。
なぜかだって?
それはだな、わがはいの冒険があまりにもすごいので、みんな信用せずにほらだと思っておるからじゃ。
なに、わがはいの話を聞きたいじゃと。
そうか、よしよし。
それなら、こんな話はどうじゃな。
ある日、わがはいは狩りをしに森に行った。
すると、大きくて立派なシカが現れたのじゃ。
「よし、こいつをしとめてやろう」
と、鉄砲をかまえたが、あいにく玉切れじゃ。
そこで落ちていたサクランボウのタネを、鉄砲に詰めて、
「ズドン!」
と、おみまいしてやった。
ところがシカは、そのまま逃げてしまったのじゃ。
玉は確かに、シカの頭に命中したはずなのに。
さて、次の年の事。
わがはいは、再びそのシカに出会った。
なぜ、同じシカだとわかったのか?
それはシカの頭から3メートルものサクランボウの木が生えており、サクランボウがたくさん実っていたからじゃ。
いやはや、そのサクランボウのおいしかったこと。
ではまた次の機会に、別の話をしてやろうな。
おしまい
写真はサクランボウの木が生えた鹿と男爵 -
② ほらふき男爵 ワニとライオン退治
わがはいは、ミュンヒハウゼン男爵(だんしゃく)。
みんなからは『ほらふき男爵』と呼ばれておる。
今日は、南の島に行った時の話をしよう。
あの時は、大変じゃった。
何しろキバをむいたライオンに追いつめられ、すぐ後ろでは大口を開けたワニがわがはいにかみつこうとしていたのだからな。
絶体絶命(ぜったいぜつめい)とは、まさにこの事じゃ。
さすがのわがはいも、この時は死を覚悟(かくご)した。
そしてライオンが飛びかかってきた時、思わずクラクラッと足がふらついて尻もちをついてしまった。
だがわがはいは、無傷で助かったのじゃ。
なんとわがはいに飛びかかってきたライオンは、尻もちをついたわがはいを飛びこえて、反対側にいるワニの口に頭からスッポリと入ってしまったのじゃ。
わがはいはすぐに起きあがると、ライオンの首を切り落としてライオンを退治した。
そしてワニはライオンの頭がのどにつまってしまい、そのまま死んでしまったよ。
では、また次の機会に、別の話をしてやろうな。
おしまい
写真は追いかけてきたライオンがワニの口に飛び込んだ -
③ ほらふき男爵 冬のロシアの旅
わがはいは、ミュンヒハウゼン男爵(だんしゃく)。
みんなからは、『ほらふき男爵』とよばれておる。
今日も、わがはいの冒険話を聞かせてやろう。
これは、冬のロシアヘ旅行をした時の話しだ。
「たしかこの辺りに、大きな町があったはずだが?」
馬に乗って町へやって来たつもりが、辺りは一面の銀世界。
日が暮れてきたのに、ここには人家一つなかった。
「仕方がない。今夜はここで野宿だ」
わがはいは雪の上に出ていた杭(くい)に馬をつなぐと、雪をベッドに一夜を明かした。
そして朝になり、起きてみて驚いた。
いつの間にか、わがはいは町の大通りのまん中に寝ていて、雪の上の杭につないだわがはいの馬が、教会の屋根の風見(かざみ→風向きをしる道具)にぶらさがっていたのだ。
「・・・なるほど、そうか」
溶けていく雪を見て、その理由がわかった。
わがはいが杭と思って馬をつないだのは、そもそもあの風見であったのだ。
あまりの寒さに町ごと雪にうまっていたのが、朝になって雪が溶け出したために、わがはいは道にしずみ、馬は屋根にとり残されてしまったのだ。
わがはいは鉄砲を撃ってウマの手綱(たづな)を切り離すと、何とか愛馬を取り戻した。
雪の上で野宿をするときは、雪の下に町が埋まっていないか確かめよう。
これが、今日の教訓だ。
では、また次の機会に、別の話をしてやろうな。
おしまい
写真は鉄砲を撃ってウマの手綱(たづな)を切り離す男爵 -
④ ほらふき男爵 月へ銀のオノを取りに行く話
わがはいは、ミュンヒハウゼン男爵(だんしゃく)。
みんなからは、『ほらふき男爵』とよばれておる。
今日も、わがはいの冒険話を聞かせてやろう。
今日は、トルコヘ戦争に狩り出された時の話だ。
強運で有名なわがはいでも、時には運に見放される事がある。
わがはいは、うかつにもトルコ兵につかまると、どれいにされてしまったのじゃ。
どれいのわがはいに与えられた仕事は、トルコ王の牧場のミツバチの見張り番だった。
日がな一日、ミツバチのお守りをして、タ方になると巣箱へミツバチを連れ戻すという、なんとも冒険家には似合わぬ仕事じゃ。
あるタ方の事、ミツバチの数をかぞえると、一匹だけ帰っておらん。
そこで行方を探してみれば、二頭のクマが今しも、そのミツバチを食らおうとしているところだった。
一匹でもミツバチを失うと、後でひどいおしおきが待っている。
そこでわがはいはとっさに腰へ手を伸ばすと、腰にぶら下げている銀のオノをクマたちめがけて投げつけたのじゃ。
ところがオノは狙いをはずして上へ上へと空高くまいあがると、何とお月さまに突き刺さってしまったのだ。
さいわいクマはミツバチを放り出して逃げてくれたが、次はオノを取り戻さなくてはならない。
だが手を伸ばそうにも、お月さまはあまりに高い。
「さて、どうしたものか?」
考えながらふとポケットに手を入れ、ポケットにトルコ豆を入れていたのを思い出したのじゃ。
このトルコ豆ときたら、伸びるのがいやにはやいからな。
そこで足元の土にトルコ豆を植えると、トルコ豆はすぐに芽(め)を出し、ツルを伸ばし、あっという間に三日月のはじっこにからみついたのだ。
おかげでわがはいは、ラクラクとお月さまへ到着した。
ところがお月さまというところは、どこもかしこも銀色に輝いていて、銀のオノを探すのが一苦労。
やっとの事で見つけ出し、さて地上へ帰ろうとすると、なんたる事か、トルコ豆のツルが太陽の熱で枯れておった。
仕方なくわがはいは、お月さまで見つけたワラでロープをあみ、それを伝って地球まで降りる事にした。
だが、ワラのロープは途中で長さが足りなくなったので、わがはいは少し降りると用済みのロープをオノで切っては下に継ぎ足し、また少し降りると用済みのロープをオノで切っては下に継ぎ足し、それを何度も何度もくり返して、あと地上まで四~五キロとなった時、わが頼みのロープがぷつんと切れて、わがはいはまっさかさまに大地に激突し、何十メートルも地中深くめり込んでしまった。
あの時は、本当に痛かったぞ。
そして深い穴から、どうやってはいあがろうかと腕を組んだ時に目についたのが、生まれて四十年のばし続けていた、わが長つめじゃ。
わがはいはこれで穴の壁に階段をきざみ、無事に地上へ戻ったのだ。
『お月さまに行くことがあったら、くれぐれも長いロープを忘れずに』
これが、今日の教訓だ。
では、また次の機会に、別の話をしてやろうな。
おしまい
写真は月から銀のオノを取り戻し、ロープをつかって下りる男爵 -
⑦ ほらふき男爵 カモ狩りの名人
わがはいは、ミュンヒハウゼン男爵(だんしゃく)。
みんなからは、『ほらふき男爵』とよばれておる。
今日も、わがはいの冒険話を聞かせてやろう。
人はわがはいの事を『カモ狩りの名人』と言うが、それにはこんなわけがある。
ある日の事、明くる日のパーティーに大勢のお客を呼んでいるわがはいは、狩りに出かけて料理に出す獲物をたくさんしとめた。
その帰り道、わがはいは湖にたくさんのカモが泳いでいるのを見つけたのだ。
「よし、明日の料理のメインは、カモ料理にしよう」
わがはいはさっそく鉄砲を構えたが、なんと言うことか、先ほどの狩りで鉄砲の玉は全て撃ちつくし、一発も残っていなかった。
「うーん、これだけのカモをみすみす見逃すのもな。・・・そうだ、良い物がある」
わがはいは弁当の残りに、ハムのあぶらみがある事を思い出した。
わがはいは犬のつなをほどいて細長いひもを作り、それにあぶらみをくくりつけた。
そしてあぶらみをつけたひものはしを湖に投げ込むと、アシのしげみに隠れて様子をうかがった。
「よしよし、来たぞ、来たぞ!」
やがてカモがやって来て、ハムのあぶらみをパクリと飲み込んだ。
ここで一つ、良い事を教えてやろう。
ハムのあぶらみは消化が悪いので、カモが飲み込んでもすぐにお尻から出てくるのじゃ。
こうしてカモのお尻から出てきたハムのあぶらみを、後ろにいた別のカモが飲み込んだ。
そして二番目のカモのお尻からあぶらみが出てくると、それを三番目のカモが飲み込み、四番目、五番目と次々と飲み込んで、とうとう湖にいた百羽のカモ全部がひもにつながったのじゃ。
「これは、大量じゃ!」
わがはいはカモが飲み込んだひもを体にグルグルと六回まきつけると、そのまま家に帰ろうとした。
ところがカモたちが勢い良くはばたいたので、わがはいはカモたちと一緒に大空高くまい上がったのだ。
だが、わがはいは少しもあわてず、上着のすそを広げてかじを取ると、カモたちをうまく我が家の方へ飛ぶように調整した。
だが、このままでは家に降りる事が出来ず、カモと一緒に飛び続けなければならない。
そこでわがはいはつなを引き寄せると、カモの頭を次々となでてやった。
カモという生き物は、頭をなでてやるとおとなしくなる。
おとなしくなったカモが多くなると、カモたちはわがはいの体重をささえることが出来ずにフワリフワリと下りはじめたのじゃ。
そしてそのままわがはいはカモたちを誘導して、屋根のえんとつから家へと入ったのだ。
それからというもの、わがはいは『カモ狩りの名人』と呼ばれるようになった。
『頭を使えば、鉄砲の玉がなくても狩りは出来る』
これが、今日の教訓だ。
もっとも、鉄砲の玉を多く持って行く方が簡単だが。
では、また次の機会に、別の話をしてやろうな。
おしまい
写真はカモと飛んでいる男爵
XXX
・・・以下省略・・・
( Wikから抜粋:2014.02.28.編集加筆 ) -
古城ホテル ミュンヒハウゼンのレセプションはコの字型に立つ本館の中央にあり、そこから館内を左翼に回っていく。部屋は右翼にあるレストラン シュロスケラーの反対側になる。
その3階にエレベーターで上がると、ゴルフ場・庭園側ビューの201号室があって、日差しの入る明るい、美しい、大きな部屋でした。
部屋にはホテルからの歓迎メッセージとチョコレートケーキが置かれています。ベッドはダブルですが広いので寝やすいようだ。
廊下を挟んだ浴室には風呂とシャワー設備が別になって利用しやすく、さすが5星ホテルは申し分がない。
写真はComfort DZ im Schloss・201号室 -
写真は部屋からの眺め。18ホールのゴルフ場が見える。
-
写真は本館からの眺め。
-
本館の地階にドイツ料理のSchlosskellerシュロスケラーもある。
シュロスケラーはミシュランGM・12点、(ゴー・ミョの2014年は査定なし。かつては14点)、Schlemmer Atlas “Spoon“2本・13.5点、ドイツランク1453位。
写真は第一日の夕食をレストラン・シュロスケラーにて3品料理を頂く。 -
写真は暖炉の間
-
ドイツにはこうした田舎にちゃんとした古城ホテルとグルメ・レストランがあるのがうれしい。。
写真はグルメ・レストランに隣接した暖炉の間にてアペリティーフを頂く。 -
グルメ・レストランRenaissance-Raeumenルネサンス・ロイメンはフランス料理を提供する。
ミシュラン1星、ゴー・ミョ17点、Schlemmer Atlas “Spoon“4本・17.5点、ドイツランク76位。ルネサンス・ロイメンそのものは1576年の創業だが、ミシュランの星は2004年のグルメ・レストラン開設以来10年間、1星を維持している。
奥の食事の間には6つほどのテーブルがあり、レストランとしては小さい方かなと思いました。
クリーム色の壁に人物画が幾つか架けてあり、全体に明るい印象でした。
写真は第二日の夕食をグルメ・レストランにてアペリティーフ付の5品料理を楽しんだ。 -
写真はシャクナゲの群生
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≪伝説:フックウプ(ヒルデスハイム)Die Sage:Huckup(Hildesheim)≫
2014/05/09~
ニーダーザクセン州
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≪もう一つの小人(妖精)の話:ルンペルシュティルツヒェン≫
2014/05/09~
ニーダーザクセン州
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≪マックスとモーリッツ・七つのいたずらの話≫
2014/05/09~
ハノーバー
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≪『ほら吹き男爵の冒険』とミュンヒハウゼン男爵の古城≫
2014/05/09~
ニーダーザクセン州
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≪黒い森のエーベルシュタイン城:ヴォルフ伯爵の伝説・運命の跳躍≫
2015/07/14~
バーデン・ビュルテンベルク州
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アモールバッハ:神の泉は「アモールの泉」と名付けられた。
2016/10/14~
その他の観光地
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また訪れた"いばら姫の城・ザバブルク城"と“忘れな草”の悲恋伝説
2019/09/28~
ヘッセン州
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旅行記グループ ドイツの伝説・民話その2
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