2013/10/14 - 2013/10/28
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jijidarumaさん
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ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間:2013年10月14日(月)〜10月28日(月)15日間:10月17日(木)
Aachenアーヘン(人口25万人)はドイツで最も西に位置し、ドイツ・アイフェル、ベルギー・アルデンヌ、オランダ・リンブルグ地方と、三国の隣接地域にあり、ヨーロッパの中央部にあたる。
紀元前3世紀からローマ人がこの地を温泉地として利用し、現在も温泉保養地として有名である。
その後、ゲルマンの一派・フランク族が移動してきて、定住し、Ahhaアーハ(水の意)と地名をつけたそうだ。
800年にフランク王国のカール大帝=西ローマ皇帝はここを都とし、しばしば湯治の為に、滞在したと云われている。
写真はアルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟:Dendermonde祭りの騎馬像
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Domアーヘン大聖堂【1978年ドイツ最初の世界遺産登録】は
790〜800年にカール大帝に依って建築を開始され、600年をかけて1414年、漸く献堂式が行われたと云う。ロマネスクとゴッシク様式が混在した寺院で、600年にわたり、30人のドイツの王がここで戴冠式を行った。
西側にある宝物館は比類の無い美術工芸品が展示されている。部分的に金メッキを施された、銀のカール大帝の胸像(1349年作)や評価が最も高く、宝石がちりばれられた黄金のロータルの十字架(14世紀)、カール大帝の右手の骨を納めた銀の聖遺物入れ等は、一見の価値あるものだ。
写真はカール大帝:アーヘンの宝物館にある黄金の大帝 -
マルクト広場に面して立つ、ゴシック様式のRathaus市庁舎はカール大帝の居城の上に建てられているそうです。市庁舎の1階に“白の間”があり、2階に上がる階段には、市庁舎を訪問した、各国の大統領、首相、王・皇族の写真が所狭しと、掲げられている。
2階の入口の壁には、ローマ軍団がアーヘンで温泉を見つけた場面の絵も見ることが出来た。
2階の“帝国の間”は大きな空間ですが、カール大帝の彫像や、帝国記章のレプリカが見られ、壁には歴史的な場面のフレスコ画が描かれている。
興味深い事に、ハルツ山地のGoslarゴスラーで見た、キリスト教と古代神の争いを象徴する、カール大帝がイルミンの柱を切り倒す場面をここでも見た。
写真は威厳のあるカール大帝はドイツ第一の画家デューラー作 -
<偉大なカール大帝>
カール大帝はドイツ語でKarl der Grosseカール・デアー・グローセ、フランス語でCharlemagneシャルルマーニュと言い、ドイツ・フランスの国民から今もって崇拝されている。
カール大帝(742年〜814年、ドイツのアーヘンに生まれ、ここで死去した。)はフランク王国の国王(在位:768年〜814年)。
カロリング王朝を開いたPippin IIIピピン3世(小ピピン)の子で、カール1世とも言う。
768年に弟のカールマンとの共同統治(分国統治)として彼の治世は始まったが、カールマンが771年に早逝したため、以後43年間、単独の国王として長く君臨した。
800年には西ローマ皇帝(フランク・ローマ皇帝、在位:800年〜814年)を称したが、東ローマ帝国はカールのローマ皇帝位を承認せず、僭称とみなした。
写真はアルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟:Namurナムール -
カール大帝の生涯の大半は征服行で占められ、46年間の治世のあいだに53回もの軍事遠征をおこなっている。
772年、カール大帝はドイツ北部にいたゲルマン人の一派ザクセン族を服属させようとし、10回以上の遠征をおこない、ザクセン戦争をすすめ 804年には完全にこれを服属させ、今日のドイツの大半を征した。
778年、カール大帝はイベリア半島のカタルーニャに遠征した。この時のカールの遠征を題材にしたのが武勲詩『ローランの歌』(フランス最古の叙事詩)である。
12世紀始めに成立した『ローランの歌』はピレネー山脈のロンスヴォーの谷におけるローラン最後の戦いをテーマにした物語である。
このなかでカール大帝は200歳を越す老騎士として登場する。
ローランはカール大帝の甥で最も危険な後衛部隊をひきいていたが、味方の裏切りにあって、イスラム軍に包囲されてしまう。
孤立無援のローランは助けを求めず、カールより賜った剣デュランダルで最後のひとりになっても戦ったと云う。
写真は聖剣デュランダルを授かるローラン。 -
カール大帝の王国は現在のフランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、スイス、オーストリア、スロヴェニア、モナコ、サンマリノ、バチカン市国の全土と、ドイツ、スペイン、イタリア、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、クロアチアの各一部に広がった。
このことによって、イギリス、アイルランド、イベリア半島、イタリア南端部をのぞく西ヨーロッパ世界の政治的統一を達成し、イングランド、デンマーク、スカンジナビア半島をのぞく全ゲルマン民族を支配して、フランク王国は最盛期を迎えた。
カール大帝はゲルマン民族の大移動以来、混乱した西ヨーロッパ世界に安定をもたらしたのである。
カール大帝は「ヨーロッパの父」とも呼ばれ、現代におけるEU統合はしばしば「カールの帝国の再現」と称されることがある
この偉大なカール大帝に刃向かった者がいた。
XXX
写真はアルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟:Bogny sur Meuse、Ardennes, France -
≪アルデンヌに残る伝説:偉大なカール大帝に刃向かったエーモンの4人の息子と漆黒の妖精馬バイヤール≫
カール大帝の家臣であるドルドンヌのAymonエーモン公爵はパリのカール大帝の宮廷に4人の息子ルノー、リシャール、アラール、ギシャールを紹介しにやってきた。
ところが騎士に叙任された翌日、ルノーは諍いを起こし、カール大帝の甥のベルトレを殺してしまった。
漆黒の妖精馬バイヤールに乗った4兄弟と、魔法を使う従兄弟のモージスはアルデンヌの森へ逃れ、ムーズ川のほとりのモンテソールに城塞を築いた。
しかしカール大帝に攻撃され、再びバイヤールに乗ってアルデンヌの森を彷徨うことになる。
このとき妖精馬バイヤールがムーズ川を跳んで、ひづめの跡をつけたのが、ディナンの“バイヤールの岩”(街の外れに「バイヤールの岩」なるものが存在する。この岩には大きな亀裂が入っており、これはバイヤールのヒヅメで作られたのだという伝説が残されている。)だと云う。
写真は“アルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟”14世紀の写本 -
さて、カール大帝から逃れた一行はバイヤールに乗って、さらに南フランスへ行き、ボルドーの王がサラセン人を追い払うのに協力する。
その後、再びアルデンヌに戻り、フランス国境に近いヴィルトンの北10kmのモントバンに新たな城を築く。
4兄弟はモントバン城にいる間、たびたびカール大帝軍と戦い、囚われたモージスは催眠術を使って敵を眠らせ、大帝の王冠を奪って脱出した。
多くの苦難の後、4兄弟はカール大帝と和睦した。モージスは隠遁し、ルノーは和解のしるしにバイヤールを大帝に差し出し、聖地へと赴いた。
聖地から帰ったルノーはケルンの大聖堂建設のための石工として働くが、ルノーの能力を妬んだ同僚に殺され、遺体はライン川に投げ落とされた。
ルノーの遺体は奇跡的に輝き、ひとりでに浮いてきたため、ルノーは聖人として葬られたと云う。
写真はDinantディナンの“バイヤールの岩” -
愛馬バイヤールはというと、大帝は甥のローランに与えたかったがバイヤールが反抗したため、首に石の重りをつけてリエージュのアルシュ橋からムーズ川に落とすよう命令した。
妖精馬は重しの石を砕き、ムーズ川を渡り、楽々と逃げおおせ、アルデンヌの森深くに消えていった。
アルデンヌの人々は今でも、ときおりバイヤールが駆ける足音が森にこだまし、いななきが聞こえると信じている。
写真はアルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟:Dendermonde祭りの騎馬像1 -
伝説話:“エーモンの4人の息子”はおそらく12世紀にはすでに書かれており、中世には同じ武勲詩の“ローランの歌”よりはるかに人気があったと云う
当時のアルデンヌ地方の人々の、権力者(カール大帝)からの独立と自由への願いが現れていると云う。
この険しい谷と荒れた台地に切り込まれた、昼なお暗いアルデンヌの森は追放者や反乱者を暖かく迎える自由の地であった。しかもキリスト教が急速に普及していく中で、太古の昔からある土着の信仰心、自然への畏敬が、魔法使いモージスや妖精馬バイヤールを生んだと考えられている。
「エーモンの4人の息子」、別名「モントバンのルノー」のベルギーでの人気は高く、ベルギー各地で催される祭りでは巨大な“アルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟”の姿を必ず見かける。
また、ヨーロッパ各地で“バイヤールに乗る4人の兄弟”の彫像も数多く見られる。
(2013.10.02.参考資料;『Wiki』、ベルギー観光局、ベルギーの小さな旅(文・玉井美子):編集・加筆)
XXX
写真はアルデンヌの森の妖精馬バイヤールに乗る4人の兄弟:Grembergen -
≪アルデンヌ地方と古城群≫
(Belgiumベルギー:Walloniaワロン地方・Ardennesアルデンヌ地方)
ベルギーの南半分を占めるのはフランス語圏のワロン地方である。その南東部のアルデンヌ地方は古代から交通・戦略上の要衝にあり、中世から18世紀にかけて数多くの城や要塞が建てられた。
アルデンヌ地方は豊かな清流と森が織りなす自然の美しさでも知られ、うっそうとした緑の丘陵地帯に素晴らしい中世の城が点在する、城好きにはたいへん魅力的な地方だ。
アルデンヌ高地と称される、海抜350〜500mの丘陵が続き、大部分が森林で被われていて、古くから王侯貴族の狩り場であった。
今でも秋から冬のシーズンは狩猟が盛んであり、当地のレストランには鹿、イノシシ、ウサギ、雉、うずら等、所謂ジビエ(狩の獲物“料理が提供される。もちろん、鱒料理も、茸、野生の果実も豊富であり、味にうるさいグルメの舌も満足させると云う。
ローマ時代にケルトの森の女神アルデュイナ(ローマ神話Arduinnaディアーナと習合された)に因み、Arduenna Silva(アルドゥエンナの森)と呼ばれたのに由来すると云う。
これは現在のアルデンヌより広く、サンブル川とライン川の間を言い、現在のドイツ領も含めた広い範囲を指したものである。即ち、西はフランス北部のシャンパーニュ地方、南はルクセンブルク大公国、東はドイツライン川西岸におよぶもので、かのカエサルも“ガリア地方最大の森”と称した。
写真はCharlemagne-liege-1カール大帝・リージェ -
アルデンヌ地方はフランスとドイツの間にあって軍事的にも重視されていたが、森林や湿地が障害となったため、普仏戦争や第一次世界大戦では局地的な戦闘があったものの、大規模な戦場にはならなかった。
第二次世界大戦の初期には、機甲師団を中心としたドイツ軍がこの地域を通ってフランス領内に侵攻し(ナチス・ドイツのフランス侵攻)、1ヶ月あまりで英仏連合軍を無力化してフランスを降伏させた。
大戦末期には西部戦線での、ドイツ軍の最後の大反撃がこの地で実行された。独軍15千人、連合軍19千人と双方で大きな戦死者を出した。
この戦いは“バルジ大作戦”といった映画にもなっている。
“Battle of the Bulgeバルジ大作戦”
1944年12月16日ドイツ軍は作戦名「ラインの守り」(Unternehmen ”Wacht am Rhein”) の下に大攻勢をかけた。(1945年1月27日にドイツは敗退)
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%88%A6&tid=e40f1690ffbc7c02cde19eff89ec37a8&ei=UTF-8&rkf=2
今はそういった面影はなく、緑豊かな自然に囲まれ、中世に戻ったような空間がある。
XXX
写真はCellesセル:パンサー戦車 -
≪Kasteel Geulzicht ・Hampshire Classic 古城ホテル カスティール ゲウルティヒト城・ハンプシャー クラシック≫
NL-6325 PN Berg en Terblijtベルグエンテルブレイト、Vogelzangweg 2
Tel:+31 (0)43 604 0432
http://www.kasteelgeulzicht.nl/
ドイツとオランダの国境地域の町MaastrichtマーストリヒトやAachenアーヘン から5.5kmの近距離にあるオランダの古城ホテルに1泊した。
写真は古城ホテル ゲウルティヒト城 -
テラスのある、森側の静かな部屋にはReinout(ドイツ語だとReinholdラインホルト)と云う伝説の男の名前がついていた。
帰国して調べてみると、これも驚いた。オランダ男性の一般的な名前で、ドイツ起源の名前だと云う。
あのカール大帝の伝説:エーモンの4人の息子と漆黒の妖精馬バイヤールに登場するAymonエーモン公爵の4人の息子ルノー、リシャール、アラール、ギシャールをオランダ語ではVier Heemskinderen;Reinout 、Ritsaert、Adelaert、Writsaertと云い、最強の息子は Reinout(オランダ語でルノーと発音するのか分からないが、ドイツ語だとReinholdラインホルト)だったとあった。
イヤ面白いことです。事前に調べたアルデンヌ地方の伝説が、このオランダの古城ホテルの部屋名に付けられているとは思わなかった。
写真は古城ホテル ゲウルティヒト城・テラスからの眺め -
3階の最上階はテラス付きで、森側眺望の広い部屋で、浴室は大変機能的で、便利だった。
Euro103(10,557円);予約したのはTypeC1(Bad・WC・Terrasse)のStandard DZ Euro99(朝食込み)+Kurtax Euro4合計Euro103。(2013.08.22.Secure BookingにてEuro175が早期予約でEuro99と安くなった。)
Hotel・Garni:4 星・全10室のこぢんまりした古城ホテル。
現在は夕食用のレストランが無く、近くのレストランで食べる事になる。
写真は古城ホテル ゲウルティヒト城のロビー -
予想外な事に1918年にオランダの企業家により古典的なスタイル、ロマンチックな古城として建設されたものである。それでも100年近い歴史があるのだが。
美しいGeulゲウル渓谷に位置し、絵のように美しい森林に囲まれ、黄土色のネオゴシック様式の外観はロマンチックで、印象的である。
夜は古城がライトアップされて、美しい。ファザードの階段や手すり、3つの塔の最大のものは中世の天守閣のようだ。
城内のロビーは英国風の家具、彫刻、暖炉、天井の等の絵画、大理石で飾られていて、オランダの企業家が当時抱いた夢を感じる。
写真は古城ホテル ゲウルティヒト城
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この旅行記へのコメント (4)
-
- めろんさん 2014/07/11 23:37:44
- シャルルマーニュ伝説
- jijidarumaさん
4人兄弟と妖精馬のお話、面白いですね。
とっても興味深く読ませていただきました。
私も民話や伝説、神話の類が大好きなのでケルト関連の話やシャルルマーニュ伝説の本など読みましたが、その話は載ってなかった気がします。
ローランの歌もまだ未読なので機会があれば読んでみたいと思います。
めろん
- jijidarumaさん からの返信 2014/07/12 00:53:47
- シャルルマーニュ伝説
- めろんさん
こんばんわ!ご投票とコメントありがとうございました。
4人兄弟と妖精馬の伝説、ご興味を持ってお読みいただきありがとうございました。
この春に訪れた自由・ハンザ都市ブレーメン(ブレーメン州)には町の守護神であるローラント像(世界遺産に含まれている)がマルクト広場に立っています。
ドイツの各地にはこの像が多く、町の守護神となっています。
ローラント像は英雄ローランの像でもあり、ブレーメンの市庁舎のバルコニーにはカール(シャルルマーニュ)大帝、7人の選帝侯の像が掲げられています。
この事一つをとっても、中世のカール大帝と”英雄ローランの歌”の人気がうかがわれますね。
私も昨秋、アルデンヌ地方を旅しなければ、”英雄ローラン”のことは別にして、“4人兄弟と妖精馬”の伝説を知らないままだったことでしょう。
jijidaruma
-
- frau.himmelさん 2014/06/30 21:04:57
- アーヘン!
- jijidarumaさん こんばんは。
私の方にも何度もご訪問くださり、ありがとうございます。
アーヘンのカール大帝、懐かしく拝見しました。
アーヘンには縁があり、なんどか訪れています。
大聖堂のそばの宝物館にも行きました。
黄金のカール大帝の胸像、黄金の腕(この中に骨が入っているんでしたね)覚えていますよ。
それから歴代の皇帝が戴冠式のときに座った椅子もありましたね。
デューラーが描いたカール大帝像、あれってニュルンベルクの歴史博物館にありませんでしたっけ?(ちょっと自信ありませんが)
またアーヘンに行きたくなりました。
himmel
- jijidarumaさん からの返信 2014/06/30 23:50:51
- RE: アーヘン!
- himmelさん
書き込みありがとうございました。
仰る通りで、ニュルンベルクのゲルマン国立博物館にアルブレヒト・デューラーの手になるカール大帝像が残っています。
大帝の像はデューラー作品としてはあまり評価は高くない由ですが、私自身はとても気に入っていて、黄金のカール大帝の胸像の写真と共に、ここでは載せたいものでした。
アーヘンは初めて家族で小旅行した町でした。車の免許が無かったので、電車で行ったのです。とても魅力的な町ですね。
jijidaruma
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旅行記グループ ドイツの伝説・民話その2
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