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 鎌倉は三方を山に囲まれているために、山を切り開いて道が付けられている。これを「切通」と呼んでいる。一般には、巨福呂坂切通、化粧坂切通、亀ヶ谷坂切通、朝夷奈切通、名越切通、極楽寺坂切通、大仏坂切通を「鎌倉七口」と呼んでいるが、これは江戸時代に「京七口」になぞらえて名付けられたものであり、必ずしも鎌倉時代の鎌倉への出入り口を示している訳ではない。<br /> 注目すべき切通は、実は「二階堂切通」であるが、名前も付いていないほど忘れさられている。江戸時代に「鎌倉七口」の一つに加えられなかったためにこのような状態になっている。しかし、源頼朝が奥州平泉に出陣し凱旋した街道(軍事道路)にあると考えられるので、治承4年(1180年)から文治5年(1189年)までの10年間に掘削された切通である可能性が高い。「武家の古都・鎌倉」と謳って失敗したが、現実には「古(いにしえ)の軍都・鎌倉」と考えるのが妥当であろう。<br /> また、釈迦堂口切通は隧道ではあるが切通の名を冠して呼ばれている。しかし、鎌倉時代にはこの隧道の上に釈迦堂小切通があるが、その後にできた隧道に名を譲ったのかも知れない。<br /> これ以外にも、永福寺切通、大船の切通、高野の切通と谷戸坂の切通などが残っている。<br /> 切通には防御施設が設けられたとされるが、掘削した下の道を掘削されずに残された尾根から弓で射ればどこでも防御施設になり得る。しかし、朝夷奈切通や「二階堂切通」、巨福呂坂切通、大船の切通、高野の切通と谷戸坂の切通にはそうした施設はない(ようだ)。<br /> また、切通には必ずやぐらがあるとするのもおかしい。鎌倉中にある「二階堂切通」にはやぐらは皆無であるし、高野の切通にもやぐらはないが、大船の切通の一方の入口にはやぐらがある。また、谷戸坂の切通、巨福呂坂切通、化粧坂切通にやぐらは見られないが数10mから100mも行けばやぐらが見られる。<br /> 単に、交通路として開かれた朝夷奈切通と「二階堂切通」、釈迦堂小切通(釈迦堂口切通)、大船の切通、高野の切通と谷戸坂の切通、鎌倉への出入り口として防御施設が設けられた名越切通、極楽寺坂切通、大仏坂切通があり、山ノ内への出入り口として掘削された巨福呂坂切通と亀ヶ谷坂切通、尾根に通った街道に上る化粧坂切通があったのだ。その多くは尾根道として鎌倉時代以前からあったのだが、鎌倉時代の道路整備で掘削して切通としたところが殆どであろう。朝夷奈切通のように長い距離の掘削は道路工事としては大規模なものとなるが、円海山天園ハイキングコースに見られるように、岩を砕いて尾根道を平らにしているところは多々見られる。柔らかい鎌倉石を数m程度、掘削することは大規模な道路工事ということでもなく、普通にやられていたのであろう。<br />(表紙写真は「二階堂切通」)

鎌倉の切通巡り

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2010/01/10 - 2012/04/12

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 鎌倉は三方を山に囲まれているために、山を切り開いて道が付けられている。これを「切通」と呼んでいる。一般には、巨福呂坂切通、化粧坂切通、亀ヶ谷坂切通、朝夷奈切通、名越切通、極楽寺坂切通、大仏坂切通を「鎌倉七口」と呼んでいるが、これは江戸時代に「京七口」になぞらえて名付けられたものであり、必ずしも鎌倉時代の鎌倉への出入り口を示している訳ではない。
 注目すべき切通は、実は「二階堂切通」であるが、名前も付いていないほど忘れさられている。江戸時代に「鎌倉七口」の一つに加えられなかったためにこのような状態になっている。しかし、源頼朝が奥州平泉に出陣し凱旋した街道(軍事道路)にあると考えられるので、治承4年(1180年)から文治5年(1189年)までの10年間に掘削された切通である可能性が高い。「武家の古都・鎌倉」と謳って失敗したが、現実には「古(いにしえ)の軍都・鎌倉」と考えるのが妥当であろう。
 また、釈迦堂口切通は隧道ではあるが切通の名を冠して呼ばれている。しかし、鎌倉時代にはこの隧道の上に釈迦堂小切通があるが、その後にできた隧道に名を譲ったのかも知れない。
 これ以外にも、永福寺切通、大船の切通、高野の切通と谷戸坂の切通などが残っている。
 切通には防御施設が設けられたとされるが、掘削した下の道を掘削されずに残された尾根から弓で射ればどこでも防御施設になり得る。しかし、朝夷奈切通や「二階堂切通」、巨福呂坂切通、大船の切通、高野の切通と谷戸坂の切通にはそうした施設はない(ようだ)。
 また、切通には必ずやぐらがあるとするのもおかしい。鎌倉中にある「二階堂切通」にはやぐらは皆無であるし、高野の切通にもやぐらはないが、大船の切通の一方の入口にはやぐらがある。また、谷戸坂の切通、巨福呂坂切通、化粧坂切通にやぐらは見られないが数10mから100mも行けばやぐらが見られる。
 単に、交通路として開かれた朝夷奈切通と「二階堂切通」、釈迦堂小切通(釈迦堂口切通)、大船の切通、高野の切通と谷戸坂の切通、鎌倉への出入り口として防御施設が設けられた名越切通、極楽寺坂切通、大仏坂切通があり、山ノ内への出入り口として掘削された巨福呂坂切通と亀ヶ谷坂切通、尾根に通った街道に上る化粧坂切通があったのだ。その多くは尾根道として鎌倉時代以前からあったのだが、鎌倉時代の道路整備で掘削して切通としたところが殆どであろう。朝夷奈切通のように長い距離の掘削は道路工事としては大規模なものとなるが、円海山天園ハイキングコースに見られるように、岩を砕いて尾根道を平らにしているところは多々見られる。柔らかい鎌倉石を数m程度、掘削することは大規模な道路工事ということでもなく、普通にやられていたのであろう。
(表紙写真は「二階堂切通」)

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