2011/02/26 - 2011/02/26
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ドクターキムルさん
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朝夷奈切通は鎌倉七口(七切通)の一つで切通の風情を一番良く留めている。鎌倉と金沢の六浦を結ぶ切通で、和田義盛の三男の朝夷奈三郎義秀が一夜にして開いたとの伝承もあり、その名を残しているが、実際には三代執権北条泰時が開いた。六浦の塩田からの塩がこの道を通って鎌倉に運ばれた。塩嘗地蔵の伝承などもそれを伝えている。
仁治2年(1240年)、幕府において往還路を造ることを決定し、翌年に着手された。泰時自らが工事を指揮したと伝えられているが、難工事であったため、工事が進まず、泰時は自分の馬で土石を運び人夫を励ましたという。
朝夷奈切通の掘削が鎌倉時代に行われたことは明らかではあるが、実際には江戸時代に改修工事がなされ、現在見るようになったのであろう。そのようなことを大学のこの分野の先生と思しき人に言ったところ否定されてしまった。それでもう一度確かめてみようと、今度は朝比奈町側から登ってみた。朝比奈町側のやぐらの高さや石碑や朝夷奈切通峠坂の石地蔵などからやはり江戸時代に改修工事がなされていたことが分かる。
近世になってからであろう、峠あたりは鎌倉石の石切場になり、磨崖仏も彫られていたが、これなどは相当新しいものであろう。熊野神社本殿上の尾根には山道があったが、源頼朝の頃にはこの道が鎌倉と六浦を結ぶ道であったのであろう。1万分の1の地図にはないが、三郎滝から少し上ったところから入る谷道がここの尾根道に通じていると思われる。次の機会にはこの山道を通って確認しよう。
(表紙写真は石切場跡の磨崖仏)
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朝比奈町の入り口付近の梅。
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朝比奈町の入り口付近の稲荷社。
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朝比奈町の入り口付近の稲荷社の紅梅。
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スタジイのご神木。
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朝比奈町の入り口の梅。
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注連縄が架かるスタジイのご神木。
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「国史跡 朝夷奈切通」。
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朝夷奈切通道標。
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朝夷奈切通朝比奈側入り口の庚申塚。
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庚申塔(延宝6年(1678年)銘)。
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「猿田彦大神」。
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庚申塔(寛政6年(1794年)銘)。
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庚申塔。表面が剥離している。
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「道禄神」(天保5年(1834年)銘)。
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「坂普講供養塔」(文政5年(1822年)銘)
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朝夷奈切通朝比奈側入り口の庚申塚。
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庚申塔。ぼろぼろだ。
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庚申塔。かなり磨耗している。
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横浜横須賀道路の橋桁下から朝夷奈切通に進む。
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朝夷奈切通の朝比奈町側。
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朝比奈町側のやぐら。高いところにある。
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切通の壁面。
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朝比奈町側は杉林の中だ。
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朝比奈町側のやぐら。これも高いところにある。
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朝比奈町側のやぐら。これも高いところにある。
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朝夷奈切通の道標。
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熊野神社参道側から。
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朝夷奈切通。
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朝夷奈切通。
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やぐら。切通の路面近くにあり、峠あたりは削られてはいないようだ。
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やぐら。
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やぐら。峠ではむしろ路面下にある。
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やぐら。峠ではむしろ路面下にある。
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やぐら。峠では路面下に埋もれかかっているものもある。
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朝夷奈切通の高い崖。
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朝夷奈切通の崖。近世の石切場の跡だろう。磨崖仏が彫られているが、近代か現代のものであろう。
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石切場跡の磨崖仏。
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石切場跡だ。その側面に磨崖仏が彫られている。
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崩れた岩と崖にその穴が空いている。
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朝夷奈切通の峠あたり。
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「道造供養塔」。近世に建てられたものだろう。江戸時代にも盛んに朝夷奈切通の整備が行われたのであろう。
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朝夷奈切通の峠方面。
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祠。
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「南無阿弥陀佛(寛永9年12月吉日(1632年末か1933年初頭)銘)」。峠坂道普請世話人が建てている。江戸時代に入ってからも朝夷奈切通の道路整備が行われ、命を落とした旅人の霊を弔ったのであろう。
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祠。
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小さな祠に積み石。
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先日の大雨で道の真ん中にも流れがある。
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路面真ん中を流れる水。
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路面は濡れている。
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朝夷奈切通峠坂の石地蔵(延宝3年1月(1675年)銘)。道普請をしていた僧が亡くなったのを供養するために建てられた。行基(668年〜749年)のように、この時代になっても私度僧は土木工事を行っていたようだ。鎌倉時代に開かれた朝夷奈切通も、実際には江戸時代になってから今のように整備されたことが窺える。
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しっかりと側溝も掘られている。
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傍らに建つ朝夷奈切通峠坂の石地蔵。
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道の真ん中にも水溜りがある。
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石の路面の真ん中を水が流れている。
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道の真ん中にも水溜りがあり、水が流れている。
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悪路が続く。
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悪路が続く。
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悪路が続く。
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悪路が続く。
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悪路が続く。道の真ん中が川になっている、
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峠を下ってなだらかになるとようやく道も良くなる。
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橋が架かる。
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やぐら。
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朝夷奈切通。この辺まで下るとなだらかだ。
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先程の橋を振り返る。
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側溝ももう小川の流れになっている。
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小川の流れ。
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下でも崖は高い。
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朝夷奈切通。もうなだらかだ。
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崖が切れる。朝夷奈切通をバイパスして熊野神社に出る古道の入り口だろう。
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山道。朝夷奈切通をバイパスして熊野神社に出る古道だろう。足跡が多く付いている。
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側溝の流れが道路に流れ出している。
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朝夷奈切通。もう十二所側入り口だ。
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道の真ん中が川になっている。
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朝夷奈切通。もう十二所側入り口はまだか。
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ようやく十二所側の朝夷奈切通の入り口が見える。
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今下ってきた朝夷奈切通。
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「朝夷奈切通」石碑(昭和16年(1941年)3月、鎌倉市青年団)。
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「朝夷奈切通」石碑(昭和16年(1941年)3月、鎌倉市青年団)。
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三郎の滝。
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三郎の滝。流れはチョロチョロだ。朝夷奈切通では水が流れており、路面が抜かるんでいたが、太刀洗川の水量はなかったのだ。おそらくは、中世から水はけが悪い街道であったのであろう。
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朝夷奈切通。石碑方面。
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「国指定史跡 朝夷奈切通」(上部)。
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「国指定史跡 朝夷奈切通」(下部)。
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太刀洗川の流れ。
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梶原太刀洗水。
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梶原太刀洗水。
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梶原太刀洗水の向かいにある四方竹林も竹が間引かれている。
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やぐら。太刀洗川を渡った高所にある。
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やぐら。
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太刀洗川沿いの街道。
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太刀洗川の流れ。
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やぐら。高いところにある。
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やぐら。
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沢。
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沢。
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太刀洗川を渡ったところのやぐら。五輪塔が残る。傍らにお地蔵さま。
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やぐら。
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やぐら前のお地蔵さま。
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傍らにも花が供えられている。
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太刀洗川に架かる石橋と苔むした石段。
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十二所バス停のお地蔵さま(弘化5年(1848年)銘)。
弘化(1844年〜1847年)の頃に朝夷奈峠を越えてきた巡礼の娘がここまで来て、農家の馬にはねられ川へ落ちて死んでしまったので、不憫に思った村人がこの供養のために地蔵菩薩を祀ったと言われている。 -
お地蔵さまのお顔は磨耗して分からない。
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