2017/05/15 - 2017/05/15
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扇ガ谷と山ノ内を結ぶ亀ヶ谷坂切通は「国指定史跡 亀ヶ谷坂」となっている。この史跡看板は、かつては峠付近の扇ガ谷に向かう東側のフェンスの中にあり、見辛い場所に立っていたのだが、近年になってやや坂を下った石垣の下に移設されている。しかし、本来の亀ヶ谷坂切通は、水戸黄門の時代には峠から左に曲がってこの石垣の上にあった道を、谷戸に下り、霊梅社を通って岩船地蔵に出るものであった。その後、亀ヶ谷坂切通は付け替えられて、延寿堂地蔵尊まで真っ直ぐな坂になっている。それならば、「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板に記載されている「13世紀の中ごろには切通として整備されていたようです。」と明らかに異なる場所にこの看板が立てられていることになる。
見える場所に史跡看板を立てることは当然であるが、史跡とは明らかに異なる場所にそれを移設してしまっては史跡看板の意味がないであろう。一考を促したい。
(表紙写真は江戸時代以降に付け替えられた亀ヶ谷坂)
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「国指定史跡 亀ヶ谷坂」史跡看板。
「国指定史跡 亀ケ谷坂
この道は、扇ガ谷と山ノ内とを結ぶ、亀ケ谷坂と呼ばれる切通で、切通とは、山を削って造られた道のことで、交通を容易にするとともに、防御の拠点ともなっていました。
亀ケ谷坂が造られた正確な時期はわかりませんが、鎌倉時代の13世紀の中頃には切通として整備されていたようです。『吾妻鏡』によれば、鎌倉幕府が鎌倉市中の7箇所の商業区域の一つとして「亀谷辻」を指定しており、建長寺や円覚寺などの大寺院が建立された山ノ内と、鎌倉市中を結ぶ亀ケ谷坂は、経済的にも、軍事的にも、重要な場所だったことがわかります。
江戸時代には「鎌倉七口」の1つに数えられるようになり、現在も生活道路として利用されています。
注意
この史跡に対して、みだりに現状変更(掘削、工作物の設置等)や保存に影響を及ぼす行為を行うことは、文化財保護法により禁止されています。
平成24年3月
鎌倉市教育委員会」。 -
石垣。この石垣の上にかつての亀ヶ谷坂が通っていた。
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江戸時代以降に付け替えられた亀ヶ谷坂。
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フェンスの左側がかつての亀ヶ谷坂跡。かつてはこのフェンスの左側に史跡看板が立てられていた。
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亀ヶ谷坂の峠。
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亀ヶ谷坂の峠。
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亀ヶ谷坂の峠近くの六地蔵。
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