2010/04/15 - 2010/04/24
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アムステルダムの運河クルージング紹介の締め括りです。『17世紀の環状運河地区』がユネスコの世界文化遺産の暫定リストの登録されたのが1995年、それから15年経っての世界遺産登録でした。
- 交通手段
- 観光バス 船
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運河クルージングの船内光景です。オランダ国内の観光客か、EU圏からのグループ観光客のようでした。
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アムステルダムの観光には、市内のトラム、バス、地下鉄と、水上バスに乗り放題の1日乗車券『オール・アムステルダム・トランスポート・パス』が使用できるようです。ネット情報では、そのパスは23ユーロとありました。
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この運河沿いの17世紀からの街並み光景は、観光した時には暫定リストへの登録でしたが、この年に世界文化遺産に正式登録されました。
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アムステルダムは港町として発達し、17世紀には世界初の株式会社である、東インド会社の本拠地が置かれ、自由な貿易都市として繁栄しました。オランダで『東インド会社』が設立されたのは1602年です。
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世界文化遺産の街並み光景が続きます。周りの建物に比べると、かなり大きい造りです。ところで、『東インド会社』の『インド』とは、ヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域を指します。オランダ以外では、イギリス、フランス、スウェーデンとデンマークが『東インド会社』を設立しました。重商主義帝国下において、独占貿易権を与えられた特許会社でした。
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緑の多い地域に入ってきました。『東インド会社』に対し、1621年に『西インド会社』も設立されました。こちらは、スペインに対抗するための会社とされます。1664年にはフランスでも設立されましたが振るわず、両国とも1674年に活動を停止しました。『東インド会社』も1799年に政府により解散されました。
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ファサードが並んだ街並み光景です。そのファサードの上部に突き出た棒があります。荷物の揚げ降ろしに使われた滑車を支えた梁のようです。4階辺りが荷物を運び入れる倉庫になっていたようです。
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この辺りは、街路樹の新緑が始まっていた地域でした。船長さんが指差しをした先に歴史的な街並み景観が広がっていました。
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上を見上げて、空と雲の光景です。ドイツからオランダへの国境超えの時の硫黄臭は消え、空の雲も穏やかになっていました。
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コンクリート壁に、『INDE WKCKTOT・・』の文字が記された石板がありました。『東インド会社』当時の名残のようです。
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ファサードの光景が綺麗な街並み光景です。運河に面した側も正面の様な造りでした。建物の間口の広さによって税金を課されましたので、どの建物も間口を狭くして奥行を長くしたり、三階建て、四階建てになったとされます。
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右前方に、通行を禁止するような赤地に白い横棒のマークがありました。一方通行か、あるいはフェリーの全面航行禁止のマークのようです。
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見応えのある街並み光景が続きます。かつての『東インド会社』時代の栄華が偲ばれるようです。建物の所有者は分かりませんが、屋上に王家の紋章らしい石造のレリーフ飾りがありました。
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日本とオランダの『東インド会社』の関係です。江戸幕府に取り入り、ポルトガルの追い落としに成功、鎖国下の日本で欧州諸国として唯一、長崎出島での交易を認められました。少なからず、日本文化へも影響を与えました。
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長崎出島時代に日本に影響を与えた人物として、一番にフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(1796〜1866年)の名が挙げられます。彼は、ドイツの医師で博物学者でしたが、出島ではオランダの田舎出身と偽って、オランダ商館医を務めていました。
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アーチ型の橋の下を潜るところです。視界が絞られて、今までとは別の景色のように見えました。シーボルト家は中部ドイツの貴族階級で、医学界の名門でした。一族からも医者や医学教授を輩出しました。
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ゴッホの絵を連想させる、跳ね橋の光景です。1671年に造られ、アムステルダムで唯一の木造の跳ね橋とされる、『マヘレの跳ね橋』です。
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同じく、『マヘレの跳ね橋』の光景です。橋は不定期に開閉し、夜にはライトアップされているようです。ところで、フランス南部にあったゴッホが描いた『アルルの跳ね橋』は、今は現存していません。
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『マヘレの跳ね橋』を紹介したところで、シーボルトの話題に戻ります。シーボルトは、出島内に開業の後、1824年には出島外に鳴滝塾を開き、西洋医学(蘭学)教育を始めました。高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、小関三英、伊藤圭介らが講義に耳を傾けました。名古屋出身の伊藤圭介(1803〜1901年)は、後に明治政府に仕え、東大教授になりました。日本第一号の理学博士として、今も名古屋に足跡が残っています。
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一見、博物館の様な造りの建物のアップ光景です。鳴滝塾での講義は、その後の日本の行方に多大な影響を与え、明治維新へと繋がりました。また、シーボルト自身は、日本と文化を探索・研究しました。1826年4月には162回目にあたるオランダ商館長の江戸参府に随行、その際にも地理や植生、気候や天文などを調査しています。
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1828年にシーボルトがオランダに帰国する際、先発した船が難破し、積荷の多くが海中に流出し、その時、積み荷の中から幕府禁制の日本地図が見つかりました。このことが問われ、シーボルトは国外追放処分となりました。いわゆるシーボルト事件です。
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宮殿か、博物館の様な造りのホテル光景です。1830年にオランダに帰国したシーボルトは、日本の開国を促すために運動し、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカ東インド艦隊を率いて来日したマシュー・ペリーに資料を提供し、早急な軍事行動は行わないように要請したとされます。
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同じく、宮殿か、博物館の様な造りのホテル光景です。1854年に江戸幕府の日本は開国し、1858年には日蘭通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令も解除されました。このため彼は1859年にオランダ貿易会社顧問として再来日しました。1861年には、対外交渉のための江戸幕府顧問となりました。1862年に官職を辞してオランダに帰国、1863年にはオランダの官職も辞して故郷のドイツのヴュルツブルクに帰り、70歳の時、ミュンヘンで没しました。
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宮殿か、博物館の様な造りの建物の脇には埠頭がありました。その埠頭に係留された船です。運河側からもチェックインできるようです。
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名前が分からなかった建物ですが、この写真を拡大して分かりました。中央付近に『アムステル・ホテル』の名前がありました。ネット情報では、『InterContinental Amstel Amsterdam Hotel』の名前で記載されていました。
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大きな橋の下を潜るところです。小さな橋の下を潜るのと違い、情緒は感じられません。
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大きな橋を潜った先には運河とは違うような広い水面が広がっていました。アムステル川のようです。1時間程の運河クルージングもおしまいに近付きました。
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街路樹の光景です。日本の街路樹の剪定とは少しイメージが異なっていました。新緑はまだなようです。
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川面から見上げた街路樹の光景が続きます。かなり大胆に剪定されていましたが、細く長い枝が残してあるのが御愛嬌です。
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アムステルダム運河クルージングの紹介は、これでおしまいです。地上を散策した場合とは、また違った街並み光景も楽しいものです。
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