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お昼の時間の頃にアムステルダムに到着しました。昼食の後、見学したのはダイヤモンド工場です。オランダでのダイヤモンド加工は、世界的にトップクラスとされます。

2010春、ドイツ・オランダ・ベルギーの旅(8/68):4月16日(6):アムステルダム市内車中見学、ダイヤモンド工場

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2010/04/15 - 2010/04/24

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

お昼の時間の頃にアムステルダムに到着しました。昼食の後、見学したのはダイヤモンド工場です。オランダでのダイヤモンド加工は、世界的にトップクラスとされます。

交通手段
観光バス
  • 車中から紹介する、アムステルダムの街並み光景です。アムステルダムは、オランダ最大の都市で、人口は約82万人です。左手に円筒形の不思議な物体が見えました。

    車中から紹介する、アムステルダムの街並み光景です。アムステルダムは、オランダ最大の都市で、人口は約82万人です。左手に円筒形の不思議な物体が見えました。

  • アムステルダムは、憲法で決められたオランダの首都ですが、政府、中央官庁、王室、国会など首都機能のほとんどは、別の都市、ハーグにあります。このため、実質的な首都はハーグと見做されています。左手に、工場らしい建物光景が続きます。

    アムステルダムは、憲法で決められたオランダの首都ですが、政府、中央官庁、王室、国会など首都機能のほとんどは、別の都市、ハーグにあります。このため、実質的な首都はハーグと見做されています。左手に、工場らしい建物光景が続きます。

  • 前方に『AMB AMRO』の看板があった、濃いブラウンの建物が見えて来ました。『ABNアムロ銀行』です。リーマンショック後の再編で、国有化された銀行です。

    前方に『AMB AMRO』の看板があった、濃いブラウンの建物が見えて来ました。『ABNアムロ銀行』です。リーマンショック後の再編で、国有化された銀行です。

  • 1階に『メディアマティック・バンク』の文字があった建物です。ネットで地図検索をしましたら、『Duintjer CS, Vijzelstraat 68, 1017 HL AmsterdamTEL:+31 (0)20 638 9901』の住所と電話番号がヒットしました。ファイゼル通りに面した場所でした。

    1階に『メディアマティック・バンク』の文字があった建物です。ネットで地図検索をしましたら、『Duintjer CS, Vijzelstraat 68, 1017 HL AmsterdamTEL:+31 (0)20 638 9901』の住所と電話番号がヒットしました。ファイゼル通りに面した場所でした。

  • 本通りに面した角地には、高層の近代ビルが建設中でした。その左手には、クラシックな建物が並んだ街並み光景がありました。平地ばかりのオランダでは、自転車が大切な乗り物のようです。あちらこちらに駐輪してありました。

    本通りに面した角地には、高層の近代ビルが建設中でした。その左手には、クラシックな建物が並んだ街並み光景がありました。平地ばかりのオランダでは、自転車が大切な乗り物のようです。あちらこちらに駐輪してありました。

  • 1階に『NH・カールトン・アムステルダム』の看板があった建物です。旧称、『 ジョリーホテル カールトン』の名前のホテルです。世界展開している『ザ・リッツ・カールトン』ホテルとは別のホテルのようです。

    1階に『NH・カールトン・アムステルダム』の看板があった建物です。旧称、『 ジョリーホテル カールトン』の名前のホテルです。世界展開している『ザ・リッツ・カールトン』ホテルとは別のホテルのようです。

  • 簡易な造りの店舗や、露店が並ぶ市場のような場所が見えてきました。狭い通りに人が溢れていました。

    簡易な造りの店舗や、露店が並ぶ市場のような場所が見えてきました。狭い通りに人が溢れていました。

  • 1620年の表示があった、年代を経た鐘楼の光景です。十字架らしい屋根飾りかありましたが、中世の城壁にあった見張り塔が前身の『ムント塔』でした。1672年にフランスがアムステルダムを侵略した際、この塔を貨幣鋳造所として利用していた事に由来する名前です。ムントは、貨幣や鋳造を意味します。時計の針は13時10分あたりを指していました。

    1620年の表示があった、年代を経た鐘楼の光景です。十字架らしい屋根飾りかありましたが、中世の城壁にあった見張り塔が前身の『ムント塔』でした。1672年にフランスがアムステルダムを侵略した際、この塔を貨幣鋳造所として利用していた事に由来する名前です。ムントは、貨幣や鋳造を意味します。時計の針は13時10分あたりを指していました。

  • 走行している場所が少し高くなっていたのか、視界が開けた場所の光景になりました。大きくS字に曲がった路面電車のレールが見通せました。

    走行している場所が少し高くなっていたのか、視界が開けた場所の光景になりました。大きくS字に曲がった路面電車のレールが見通せました。

  • 中央に見える黄色の停留所は、市電用でしょうか、その右手のポールには、走行中の市電の位置や時間情報の表示がありました。

    中央に見える黄色の停留所は、市電用でしょうか、その右手のポールには、走行中の市電の位置や時間情報の表示がありました。

  • 左手の建物は、現在修復副工事中の王宮です。全面がシートで覆われていました。1648年に市庁舎として建てられ、ナポレオン戦争中の1810年にホラント王国(1806〜1810年)の王宮とされました。

    左手の建物は、現在修復副工事中の王宮です。全面がシートで覆われていました。1648年に市庁舎として建てられ、ナポレオン戦争中の1810年にホラント王国(1806〜1810年)の王宮とされました。

  • 中央の建物には、『OMAN(オマーン)』の文字の垂れ幕がありました。イベント開催中の垂れ幕のようです。

    中央の建物には、『OMAN(オマーン)』の文字の垂れ幕がありました。イベント開催中の垂れ幕のようです。

  • 1度目にした文字と同じ、『ABNアムロ銀行』の建物のようです。その前では、道路工事中のブルドーザーが動いていました。

    1度目にした文字と同じ、『ABNアムロ銀行』の建物のようです。その前では、道路工事中のブルドーザーが動いていました。

  • レンガ造りの歴史的建造物らしいものが見えて来ました。アムステルダム中央駅でした。建物は、建築家P.J.H.カイペルスとA.L.ファン・ゲントによって設計されました。オランダにおいて、著名建築家によって設計された、最初の駅とされます。

    レンガ造りの歴史的建造物らしいものが見えて来ました。アムステルダム中央駅でした。建物は、建築家P.J.H.カイペルスとA.L.ファン・ゲントによって設計されました。オランダにおいて、著名建築家によって設計された、最初の駅とされます。

  • アムステルダム中央駅の中央付近の光景です。建築様式は異なりますが、辰野金吾さんが設計された東京駅と雰囲気が似ていることもあり、2006年に姉妹駅となりました。

    アムステルダム中央駅の中央付近の光景です。建築様式は異なりますが、辰野金吾さんが設計された東京駅と雰囲気が似ていることもあり、2006年に姉妹駅となりました。

  • 駅前は車が渋滞していましたので、もう1枚写真を撮ることができました。ネオゴシックとネオルネサンスを融合させた様式とされます。

    駅前は車が渋滞していましたので、もう1枚写真を撮ることができました。ネオゴシックとネオルネサンスを融合させた様式とされます。

  • アムステルダム中央駅からあまり離れていない場所の市街光景です。角地に、旗がいくつも立った、厳つい建物がありました。

    アムステルダム中央駅からあまり離れていない場所の市街光景です。角地に、旗がいくつも立った、厳つい建物がありました。

  • 河口でしょうか、あるいは港でしょうか、バスの中からは判断が付かなかった光景です。運河にしては幅が広過ぎました。

    河口でしょうか、あるいは港でしょうか、バスの中からは判断が付かなかった光景です。運河にしては幅が広過ぎました。

  • 一階に記された青い文字を頼りに検索しましたら、『ホテル・ プラザ・ブリュッセル』であることが分かりました。グラン・プラスからは、徒歩で10分以内の距離と紹介されていました。

    一階に記された青い文字を頼りに検索しましたら、『ホテル・ プラザ・ブリュッセル』であることが分かりました。グラン・プラスからは、徒歩で10分以内の距離と紹介されていました。

  • 長い年月を経た、格式を感じさせる街並み光景が続きました。

    長い年月を経た、格式を感じさせる街並み光景が続きました。

  • ここまでは、バスの中から撮影したアムステルダムの市街光景です。歴史を感じさせる街並み光景が続きました。

    ここまでは、バスの中から撮影したアムステルダムの市街光景です。歴史を感じさせる街並み光景が続きました。

  • 昼食のお店です。ドイツのケルンから国境を越え、オランダのアムステルダムに着いてから入ったレストランです。

    昼食のお店です。ドイツのケルンから国境を越え、オランダのアムステルダムに着いてから入ったレストランです。

  • 最初にグラスで赤ワインとロゼワインを注文しました。旅行計画書の料理名には、『ポークシュニッツェル』と記されていました。豚肉料理です。

    最初にグラスで赤ワインとロゼワインを注文しました。旅行計画書の料理名には、『ポークシュニッツェル』と記されていました。豚肉料理です。

  • 野菜がたっぷりと添えられた、『ポークシュニッツェル』です。薄く切った肉をさらにミートハンマーで叩いて薄くし、衣を付けて揚げた肉料理です。牛や豚、それと鶏肉なども使われるようです。

    野菜がたっぷりと添えられた、『ポークシュニッツェル』です。薄く切った肉をさらにミートハンマーで叩いて薄くし、衣を付けて揚げた肉料理です。牛や豚、それと鶏肉なども使われるようです。

  • 昼食の後に見学したのは、欧州の王室御用達の老舗宝石店、ガッサンダイヤモンド社です。その工場の古めかしい建物光景です。

    昼食の後に見学したのは、欧州の王室御用達の老舗宝石店、ガッサンダイヤモンド社です。その工場の古めかしい建物光景です。

  • ガッサンダイヤモンド社の構内に建っていた煙突の光景です。ダイヤモンドの研磨に蒸気圧を使用していた頃の名残のようです。今は使われていないようでした。

    ガッサンダイヤモンド社の構内に建っていた煙突の光景です。ダイヤモンドの研磨に蒸気圧を使用していた頃の名残のようです。今は使われていないようでした。

  • 煙突の脇から眺めた、ガッサンダイヤモンド社の構内の光景です。400年の歴史を誇るアムステルダムのダイヤモンド産業の隆盛を伝える工場です。

    煙突の脇から眺めた、ガッサンダイヤモンド社の構内の光景です。400年の歴史を誇るアムステルダムのダイヤモンド産業の隆盛を伝える工場です。

  • ダイヤモンドの加工作業の光景です。多面体に磨き上げられ、見事な輝きを放ちます。研磨には、やはりダイヤモンドの粉が使われるようです。

    ダイヤモンドの加工作業の光景です。多面体に磨き上げられ、見事な輝きを放ちます。研磨には、やはりダイヤモンドの粉が使われるようです。

  • ダイヤモンド研磨の工具です。今も現役でした。研磨の段階で、取り換えながら使われるようです。

    ダイヤモンド研磨の工具です。今も現役でした。研磨の段階で、取り換えながら使われるようです。

  • 年季が入ったダイヤモンド加工の作業具の数々です。役割を終えて、今は展示品となったようです。

    年季が入ったダイヤモンド加工の作業具の数々です。役割を終えて、今は展示品となったようです。

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