2001/08/02 - 2001/08/04
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SUR SHANGHAIさん
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昨日は安順郊外にある黄果樹大瀑布の周辺を回ってみたSUR SHANGHAI。
今日は貴州省の省都・貴陽から列車で黔東南苗族侗族自治州の鎮遠の町へ。
≪黔≫と言うのは貴州省の略称だそうで、その東南にあるこの自治州には、名前の通り苗(ミャオ)族、侗(トン)族が多く住んでいるとのこと。
鎮遠の町はその州都の凱里市から北東に120kmあまり。
東隣の湖南省ももう間近と言う、山に挟まれた(氵舞)陽河の両岸に出来た小さな町。
今は鄙びた田舎町、と言った佇まいのこの町も、湖南省の洞庭湖へ(氵舞)陽河を含む河川で行き来することができたので、古代には重要な橋頭堡だったのだそう。
その南岸に鎮遠の鉄道駅と、明代に建てられたと言う道教・仏教・儒教のお寺が並ぶ青龍洞がありました。
鎮遠郊外では(氵舞)陽河の遊覧ボートにも乗れますよ。
その鎮遠の町でSUR SHANGHAIが出会う風景は?
表紙の画像は、鎮遠の町を流れる(氵舞)陽河。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
貴州省の省都・貴陽から鎮遠へは、貴陽と貴州省の外れにある玉屏を往復する梵浄山号という列車で移動。
途中下車になる鎮遠の町までは貴陽から350kmほど。ローカル線ということもあって、5時間以上かかったような気がします。(記録の一部が欠落していてすみません)
ついでに言うと、梵浄山号の名の由来になった梵浄山は、同じく貴州省の銅仁地区にある山で、苗(ミャオ)族や土家(トゥチャ)族が住む自然風景区になっています。 -
鎮遠の町を流れる(氵舞)陽河南岸には、鎮遠の鉄道駅があって、その近くの民宿風宿屋に落ち着いたSUR SHANGHAI。
同じ道沿いには、(氵舞)陽河遊覧を手配してくれる観光インフォとも呼べない位の窓口を置いた木造家屋もありましたよ。
遊覧予約を済ませた後は、そのまま(氵舞)陽河に沿った道を東(下流側)に進んで行くと、崖に貼り付いたような形で青龍洞が建っていました。
この時は入場料が10元だったかな。
その境内から見下ろした(氵舞)陽河と、そこに架かる祝聖橋。 -
鎮遠の町の南北を結ぶ祝聖橋。
その中央に立っている楼閣風の建物は魁星閣と言うのだそう。
小舟も通る(氵舞)陽河の流れ。 -
青龍洞は、カルスト地形の山の中腹に建てられていますが、下の車道からちょっと上ったくらいの場所。
仏教・道教・儒教のそれぞれのお寺が並んでいるので、その方面に詳しい方には興味深い所なのでは? -
山肌に沿ってお寺が並ぶ青龍洞。
その一つの瓦屋根を見下ろした場面。 -
(氵舞)陽河の北岸から青龍洞の全景が見えるはず、と先ほど上から見た祝聖橋を渡ってみる。
その橋の途中から見た(氵舞)陽河の東(下流)側。
北岸の民家が、山の色を映した緑色の川面に影を落とす。
おじさんが漕ぐ小舟も出ていい風情なんだけど、艫の方にプラスチックのゴミも流れて行くのがちょっと無粋。
景観や環境保護のために、ゴミはちゃんと始末しましょうねぇ。 -
(氵舞)陽河は両側を山で挟まれているので、北岸側の民家も川岸から山の中腹へと続きます。
岸辺に沿って通っている車道から細い坂道がたくさんありました。
青龍洞がよく見える場所を探そうと、民家を眺めながら坂道の一つを上って行くと、遠くから聞こえてきた雷鳴。
にわか雨が来るのかな。
まだ降り始めそうもないし、と更に上って行くと…、 -
…(氵舞)陽河北岸の山の中腹には、泉が湧いている所があって、おじいさんがお洗濯中。
この泉の名は≪猪槽井≫。
…昔々、おばあさんは川へ洗濯へ、じゃなくて、
おじいさんは泉へ洗濯へ、だな。(*^。^*)
もうちょっと近づいてみます。 -
泉が湧き出ている場所には祠もあって、水の神様も祀られているらしい。
バケツで水を汲み上げては盥に入れて最後のすすぎ作業。
バケツはプラスチックだけど、盥は昔ながらの箍のはまった木製だ。 -
最後のすすぎも終了したらしく、盥の水をザアッと空ける。
おじいちゃん、背中はすっかり丸くなったようだけど、お達者そうで何よりです。
遠くで聞こえていた雷がどんどん近づいてくるなあ。 -
上の画像の≪猪槽井≫からちょっと離れた山肌からも別の泉が湧いていた。
こちらの泉の名は≪雲泉≫。
その左にはこの山の名前らしき≪雲山≫という字も見える。
泉の口の右には≪講究衛生≫、左には≪珍惜古井≫の字も書いてあるので、この泉も大切に使われているんだなと分かる。
シャモのヒナが二羽遊ぶその泉の前。
…と、ここまではよかったけど、このあとで始まった大雷雨はSUR SHANGHAIが出遭った中でも最大級。
青龍洞の全景を撮る場所探しどころではなくなって、坂道を駆け下りてバイク・タクシーで宿に戻った途端の停電、周囲の山をも揺るがす超弩級の稲妻、雷鳴、落雷、大豪雨。
真っ暗になった宿の窓から見たこの時の嵐は忘れられそうに無い。 -
大雷雨があった翌日、SUR SHANGHAIと同じように(氵舞)陽河遊覧を予約していた総勢20人あまりで鎮遠を出発。
遊覧ボートは鎮遠の町の岸辺から直接出るわけではなく、20kmほど西(上流)側にある(氵舞)陽河の支流の一つの相見河の小さい船着場から出ていました。
そこまではミニバスで移動。
駐車場から船着場まで遊歩道を徒歩15分ほど。
この時は、相見河から(氵舞)陽河に入り、下流方向にある≪孔雀開屏≫という奇峰がある所で折り返して戻るというツアーに参加してみました。
画像は、その相見河や(氵舞)陽河周辺の地図(簡体字版)。2回クリックすると、文字も十分読み取れる大きさに拡大表示されます。
画像右手方向の地図外に鎮遠の町があります。 -
あの大雷雨があったとは信じられない好天気。
屋形船風の遊覧ボートで出て行くと、小舟を漕ぐおじさんも見える渓谷の風情。 -
この(氵舞)陽河周辺もカルスト地形だということで、南隣の広西壮(チワン)族自治区の桂林、灕江、陽朔あたりの奇峰群に似た川沿いの風景。
水深は(氵舞)陽河の方がずっと深くて緑色。
水量が多い時にはあそこまで水位が上がるんだ、と分かる線が岩肌にくっきり。
ところどころ、洞窟の口や鍾乳石も見られる相見河、(氵舞)陽河の遊覧ボート。 -
相見河を下って(氵舞)陽河に出た遊覧ボートは下流に向かって左折。
その先に見えてきたのは≪三叠水≫と呼ばれる優美な滝。(氵舞)陽河では規模の大きい滝の一つ。
遊覧ボートはこのあとこの滝の下を通って前進。
屋形船風に屋根が付いていましたが、カメラ類の防水にはご用心。
屋根を打つ水の音に参加者全員、歓声を上げた。
一人のおばさんが
「あんた、どこから来たの? え、日本? 私は貴陽から来たんだけど、昨日の夕方の雷と雨はすごかったねぇ。私はその時青龍洞にいて、雨や雷が止むまで2時間も雨宿りしていたよ。今日は晴れてよかったね。」 -
≪三叠水≫を過ぎて、(氵舞)陽河をさらに下ると、今日の遊覧の折り返し地点≪孔雀開屏≫の奇峰が見えてきた。
あ、なるほど。畳んだ尾羽根を持ち上げた孔雀の姿に見える。 -
中国の人たちは、奇岩・奇峰のネーミングがうまいなあと思わせる≪孔雀開屏≫の奇峰。
その岩の孔雀も、頭をこちらに向けてSUR SHANGHAIたちのボートを見ているよう。
(氵舞)陽河をここで折り返して、相見河の船着場に戻る。往復1時間くらいだったかな。 -
相見河の船着場から、鎮遠の町に戻るミニバスが待つ駐車場までの遊歩道沿いもいい景色。
土曜日で学校はお昼までだったらしい。
子どもたちが水遊びに来る(氵舞)陽河支流の相見河。
駐車場にはゆっくり戻って来てもいいよ、と言われたので、SUR SHANGHAIはしばらく子どもたちの様子を観察。 -
相見河のこの部分には、以前小さいダムがあったらしい。
その壊れたダムのあたりに集まる子どもたち。
相見河の清流に飛び込む子。
気持ちよさそ〜。(*^。^*) -
女の子たちに水しぶきを浴びせる男の子。
女の子をからかって遊ぶのはどこでも同じだあ、と思ったら…、 -
…女の子も負けていない。
いいなあ、こんな夏の日の水遊び。 -
SUR SHANGHAIのカメラを意識した子が逆立ちの妙技を披露することに。
みんな日に焼けて健康そう。
ん? 左端の子はちょっと肥満気味かも。
さて、逆立ちの結果は…、 -
…お見事!!
でも、頭、痛くない?
真ん中の子も、すごいだろ!といった顔付き。 -
相見河沿いの遊歩道脇にも泉の湧き出ている場所があった。
この龍(?)の顔が彫られた部分は石を組んであとから付けられたみたい。口の両脇にも文字が彫られているけど、読み取れず。
嘘つきが手を入れると噛まれるというローマの≪真実の口≫を思い出す。 -
さて、鎮遠の町に戻ってきた一行は別れ別れに。
SUR SHANGHAIは昨日の続きで(氵舞)陽河の北岸の町並み探索。
鎮遠は、北岸の方が賑やかで、車道沿いには新しく建てられたタイル貼りの建物が多い。
宿も設備が多少よさそうな所を数軒見かけましたよ。
その合間に挟まれた木造の民家兼雑貨屋さん。
わ〜、瓦屋根も軒も歪んで古色蒼然。 -
(氵舞)陽河北岸に沿った車道からは、山の中腹に続く坂道が何本も付いていますよ。
あ、ここは石段になっている、と見上げた所にあったのは≪天后宮≫。
≪天后宮≫と言うのは、航海の守り神である女神の≪媽祖≫を祀ったお寺。
福建省からその風習が広がったらしく、今では中国沿岸、台湾、世界各地の華僑圏でよく見られます。
四方を山に囲まれた貴州省の町にあるのは一見不思議ですが、表紙で前述したように洞庭湖と舟で行き来していた時代には、鎮遠はこのあたりの重要な橋頭堡だったことを思えば納得。
石段を上っていって見下ろすと…、 -
…下の車道の向こうに(氵舞)陽河も見える。
昔はこの≪天后宮≫にお参りしたあとで、ここから洞庭湖方面に船出して行ったのかも、と想像してみるSUR SHANGHAI。 -
その≪天后宮≫の本殿。
もうお参りに来る人は滅多にいないんじゃないかと言う感じでも、町の文化遺産にでもなって管理はされているらしく、キチンと掃き清められた境内。 -
≪天后宮≫の建物の一部。
ここにも多くのお坊さんたちが住んでいた時もあったのかも。 -
(氵舞)陽河北岸の別の坂道も上って行ってみます。
緩やかな坂に石段も造られた部分。 -
これはお豆腐屋さんかな。
苦りを入れた豆乳を型に入れて蓋をしてある、という風情。
作業をしていた人も一段落で休憩中? -
(氵舞)陽河北岸の山の中腹には、普通の民家に混じって、昔はこのあたりの名門だったらしいお宅もチラホラ。
あ、このお宅の門には、どこでもよく見かける春聯や年画のほかに、≪毛主席万歳≫の字も残る。
この画像で見えるかな。
今までも、中国各地の民家の門口に書かれたスローガンを見かけたけど、鎮遠の町にもあったんだ。 -
このお宅の入口脇にも由緒ありげに書かれた文字が残る。
もう消えかけた達筆で読めなかったのが残念。 -
鎮遠の富裕層や名家だったお宅は、門が外の通りに直に面さないように角度を変えて造られていた。
これは、貯め込んだお金が門から外に出て行かないようにというおまじない的な意味が込められているのだそう。 -
またまた湧き出る泉を発見。
井戸のように周りを四角く石で囲った泉で、名前は≪四方井≫。
そばの祠には、赤い布の向こうに水の神様らしい像も安置されていた。 -
新たに出て来た鎮遠周辺の写真やネガを見てみると、結局SUR SHANGHAIは(氵舞)陽河北岸から見た青龍洞全景の写真は撮らなかったらしい。(^^ゞ
道端で出会った猫ちゃん。
ずいぶん目がでかい。
明日は鎮遠の市場を見て、凱里へと向かいます。
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