2002/06/12 - 2002/06/14
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SUR SHANGHAIさん
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★2025年9月:新たに出てきた画像をアップします。★
甘粛省の武威を去り、今回の旅の最終目的地、寧夏回族自治区の銀川へとSUR SHANGHAIを乗せた長距離バスは驀進。
途中の半砂漠の道沿いには、土手ほどの高さに崩れかけた万里の長城が途切れ途切れ続いていたっけ。
その最西端の嘉峪関も見た甘粛省ともお別れ。
朝7時に武威を出たバスは、ほぼ12時間かかって銀川到着。
宿探しだけでその日は終わり。
銀川入りの翌日は、西夏王陵と賀蘭山岩画、そして拝寺口双塔と海宝塔へ。
西夏王陵と賀蘭山岩画、拝寺口双塔へは公共の交通の便が無いので、宿の前で客待ちしていたタクシーと交渉して行ってみました。
表紙の画像は、賀蘭山岩画がある賀蘭県の渓谷
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
寧夏回族自治区の首府は銀川。
宿の前で待機していたタクシーの内、SUR SHANGHAIが選んだのは整備のよさそうなタクシーの女性運転手さん。
西夏王陵と賀蘭山岩画、拝寺口双塔を回ってくれるように頼んで、2002年当時の言い値は200元。
「西夏王陵って言ったって、何も無い所よ。外国人は何がよくてみんなそこに行くの?ま、おかげで商売が出来るけど。」と言うのは運転手さん。
古代のロマンを見てみたいって言っても、現実的なこの運転手さんには通じそうも無い。 (^^ゞ
銀川市から西に30kmほど。
西夏王陵到着。
2002年当時の見学チケットは40元でした。 -
「あんたも物好きね~。」と言いたげな運転手さんを待たせてSUR SHANGHAIは西夏王陵の敷地内へ。
そもそも西夏王陵は、1038年にチベット系民族のタングート族が建てた西夏王国の陵墓。
ピラミッドのように見えるのは、墓室が地下にある霊台の外側が崩れた姿。
それを取り巻く城壁も、日干し煉瓦が半分溶けたように残る栄華の跡。 -
このまま時が経過して行けば、風化して元の土に返ってしまいそうな西夏王陵。
昔はここにも王国が栄えていたなんて信じられないほどに空っぽな風景。
遠くに見える緑がこの乾いた景色に彩りを添える。
敷地内は太陽光線をさえぎる物は何も無かったので、夏は日焼けと熱射病対策をお忘れなく。
飲み物もあらかじめ用意していくといいですよ。 -
乾いた暑さ、強烈な日の光、影の色も濃い西夏王陵。
乾燥に強い植物とオアシスの緑だけが生命を表す色のよう。 -
イチオシ
野ざらしの霊台の中には、補修のための足場が組まれているところもあった。
西夏王陵の規模は結構大きくて、南北10km、東西4kmほどの範囲に8つの皇帝陵、70もの墓が点在するらしい。
それらの補修をこの炎天下で進めるのは難事業。 -
この陵墓は補修が進行中。
お疲れ様です~。 -
「何も見るものなんて無いのに、1時間も何してたの?」と訝る運転手さんをなだめて、お次は賀蘭山岩画のある賀蘭県の渓谷へ。
この渓谷は銀川の北西40kmほどの所。
チケットは2002年当時は20元。
この時は、入り口のチケット売り場でも飲み物やお菓子類はあまりなかったと思います。
事前に準備していくのがベスト。
夏場はここでも日焼けと熱中症対策をお忘れなく。
渓谷の谷底沿いに遊歩道が一応付いていて、道の脇には岩画が付いた大小の岩が展示品のように並べてありました。
一目見て何の絵か分かるものもあれば、こんな抽象画的なものも。 -
あ、これは誰が見ても分かりやすい岩画。
弓矢でシカらしき動物を倒している狩人の絵柄。
岩画と言っても賀蘭山のものは顔料などで描かれたものではなく、線刻や磨刻の方法を取った絵です。
春秋戦国時代から長期にわたって刻み続けられていたらしいこれらの絵。 -
う~ん、これはまた難解な岩画。
太陽のようにも見えるし、大きく見開かれた目のようにも見えるし…。
賀蘭山には結構シュールなアーティストがいたようです。 -
イチオシ
これは人物像?
昆虫や宇宙人のようにも見える。
賀蘭山には宇宙人とコンタクトを取れる人々もいたのかも。
ちょっとSFっぽいストーリーを感じさせるこの岩画。
両手に抱えて持ち歩けそうな大きさの岩に描かれたものの他には…、 -
…賀蘭山の渓谷の岩壁に直接描かれた岩画も。
これは西夏文字も人物の顔の左側に線刻されたもの。
こんなに浅い線刻が残っているのが不思議。 -
あとから付けられた赤い点で、重要な岩画のある場所を示す部分も。
ここに見えているのは、意外としなやかな手と仮面のような顔。
この手の持ち主は女性だったんだろうか…。
これ以外にも賀蘭山の岩画はまだまだありますよ。
あれこれ見て回って、お気に入りの絵を見つけてみては? -
これまでに写真集やガイドブックで見ていた一番有名な顔を持つ賀蘭岩画はどこに?
その後光を背負ったような下膨れで真ん丸い目を持つ顔の岩画は渓谷の上のほうにあるらしい。
賀蘭山のこんな崖に付いた小道を上って行くと…、 -
イチオシ
…まず目に入るのは、賀蘭山岩画のある渓谷の風景。
岩画ばかりが紹介されていて、その渓谷の美しさを聞いていなかったので、
「わ~!!ヾ(*´∀`*)ノ」と思わず立ち止まる。
たまの大水で壊されたらしい崖下の歩道も見える荒々しい谷間。 -
賀蘭山の岩画の内、一番有名な絵がある岩場。
顔の岩画そのものより、岩画がある場所を撮ったSUR SHANGHAI。
中央の岩が影になった部分にその顔だけがポツリとありました。
...と言ってもこの画像だと見えにくいので…、 -
中国の記念切手に出ていた絵柄でご紹介します。
1998年に発行された3枚組みの中の1枚が、その賀蘭山岩画で一番有名な顔。
ちょっと漫画っぽい…、と言ったら罰当たりですね。 (^^; -
賀蘭山の渓谷に下りて、川原を歩いてみるSUR SHANGHAI。
澄み切った渓谷の水の流れが清冽。
川原には灰色に赤い模様が入った石が多かった。
こういう場所に人々が集まって来て、岩画を刻んだ時もあったというのが不思議に思える。 -
イチオシ
この乾いた暑さの中で、清冽な水の色も冷たさも心地よい。
賀蘭山の渓谷にポツリと一本だけ立つ木がたくましい。 -
賀蘭山岩画のある賀蘭口の渓谷から銀川市に戻る途中、寄ってもらったのは拝寺口双塔。
こんな荒々しい岩山の下に二本の塔が見えてきた。
あれが拝寺口双塔!
何日か前の雨で水が溢れたという痕が塔の方から車道を横切っていた。
この禿山じゃ無理も無い。
植林の大切さを感じさせる風景。
幸い、車道の部分はもう乾いて岩も土砂ももう取り除いてあったので、回り込んで双塔へ向かってもらうSUR SHANGHAI。 -
幻のような岩山の風景。
その麓に立つ二本の塔が拝寺口双塔。 -
今はどんな所にもある電柱。
それと並んで立っているような拝寺口双塔。
二つの塔は離れて立っているので、見る角度によってはこの画像のように一本しか見えません。 -
こんな荒れ果てたような土地にも住む人がいる。
その民家の石垣の向こうに現れてきた拝寺口双塔。 -
人々を動かす力があれば、人里離れた山の麓にも後代に残るものが出来るんだなあ。
拝寺口双塔は、西夏王国の建国者、李元昊の避暑地だったのが、今は二つの塔だけ残っているのだそう。
その李元昊は、この日の午前中に見た西夏王陵に眠っているのだそう。 -
拝寺口双塔は離れて立っているので、近くからだと二本一緒に写真に収めるのが難しい。
一本ずつしか写せない…。 (^^ゞ -
荒れた風景の中の拝寺口双塔を眺めつつ、そろそろ銀川の市内に戻ることに。
-
もう再び戻って来ることはないだろうと思われる場所を立ち去る時には、いつも未練が残るSUR SHANGHAI。
拝寺口双塔の姿もどんどん遠くなる、旅の感傷。 -
拝寺口双塔には、いつかまた会える日が来るかな。
-
拝寺口双塔のそばに住む人々の生活の手段は何なんだろう。
荒れた土地にポツポツと建つ民家。
暮らしの厳しさが感じ取れる。 -
銀川の北郊外に戻って、海宝塔の前でタクシーの女性運転手さんに別れを告げる。
「何にも無い所でつまらなかったでしょ。」
まだ言ってる…。 (^^ゞ
「いえいえ、十分楽しめました~。ありがとう!」 -
銀川の北郊外にある海宝塔は、十六国時代の夏国の創建者 赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が建立させたものだとか。
ただし、その真偽は分かっていないらしい。 -
青空にそびえる海宝塔の別名は北塔。
銀川の北にあるから、というのはちょっと安易なネーミングじゃないかなあ。
それでもその独特の形は美しい。 -
建物に囲まれた敷地内のあちこちから見える海宝塔。
SUR SHANGHAIが行った時には、塔の上には上れませんでした。 -
近寄って見上げると、思いがけない迫力も見せてくれた海宝塔。
-
海宝塔の姿を堪能した翌日の午前中は寧夏回族自治区博物館、午後はそのまま飛行機で上海に舞い戻り、この夏の青海省、甘粛省、寧夏回族自治区の旅を終えたSUR SHANGHAI。
都市間の長距離バス移動が結構大変だったこの一人旅。
それも今は懐かしい記憶。
これで2002年の初夏の思い出旅行記はおしまいです。
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この旅行記へのコメント (3)
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- azianokazeさん 2006/07/29 14:24:22
- しなやかな手
- 銀川と言えば西夏、西夏と言えば昔の日本映画「敦煌」に李元昊役で出演していた渡瀬恒彦を何故か思い出します。
砂漠の真ん中で「歴史に名前を残すのは、お前じゃない。この俺だ。」と周囲を睥睨する大仰な芝居ではありましたが、印象的ではありました。
昔のガイドブックではシルクロードのメインルートはカラフルな印刷でも、銀川あたりについてはモノトーンの印刷、写真も荒涼とした風景といった具合で、タクシーの女性運転手じゃないですが、「見所はそんなには・・・」という印象でした。もちろん行ったことはありません。
西夏王陵はたまに写真を見かけることもありますが、それ以外にも賀蘭岩画とか拝寺口双塔など、面白そうですね。
特に、賀蘭岩画の“しなやかな手”はドキッとするぐらい“たおやか”ですね。
あまり紹介も多くないないところなので、“有名な顔の絵”なども見たかったですね。
太陽だか目だかの線画は、超拡大していけばナスカの地上絵ってとこですかね。
やはり中国はひろい。世界はもっとひろい・・・。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2006/07/30 12:00:27
- RE: しなやかな手
- 荒れた土地で壮烈な国取り合戦があった所とは思えないほど優美な形の手だと思いました。
その岩画を彫った人自身の左手なのか、誰かの手を象ったのか。
もし後者なら、ハンドクリームなどのコマーシャルに手だけ出てくるような手タレがその当時からいたわけですね。
有名な顔の岩画の写真、中国の記念切手に出ていたのを思い出してスキャンして載せておきました。
当時は自分の旅行体験を披露できる旅行記サイトが出来るだろうとは思っていなかったので、今から考えると、「あ、あの写真も撮っておけばよかった!」と残念な場面が多いです。撮った写真も記録も分散・紛失しているものも数知れず…。
当時はデジカメではなく、フィルム節約を考えていたふしもあります。自分の記憶に残ればそれでいい、みたいな感じでした。
取り戻しに帰れない過去の旅記録。今思うと本当にいとおしいです。
- azianokazeさん からの返信 2006/07/30 15:50:04
- RE: しなやかな手
- 顔の岩画、早速にアップしていただきありがとうございます。
でもこの岩画、正直言って笑ってしまいますね。
恐らく文化的・歴史的には貴重なものなんでしょうけど。
ひょっとしたら、昔子供がいたずらして書いた落書きかも・・・なんて思えたりもします。
学会かなにかでこの岩画をスライドで大写しにして、大勢の考古学者達がむつかしい顔で討論している場面など想像すると、やっぱり笑ってしまいます。
“手”はある男性が恋人の優しい手をイメージして刻んだものですね。(うーん、ロマンチスト!)
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