2002/06/11 - 2002/06/11
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SUR SHANGHAIさん
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この日の午前中は、甘粛省最大の孔子廟である武威の文廟とその近くの大雲寺を見終わったSUR SHANGHAI。
武威は漢の時代から東西交流の中継地点として栄えて、涼州と呼ばれた唐の時代に一番繁栄した街らしい。
新市街とは裏腹に、埃っぽい日干し煉瓦と土壁の住居が立て込む旧市街からはその面影は感じられない…。
その旧市街の家々にも、取り壊しが決まったことを表す≪折≫という字が延々と続いていた。
これも時代の流れなんだ…。
一抹の感慨とともにそんな町並みを通り抜けて次に訪れるのは、鳩摩羅什ゆかりの羅什寺塔と馬踏飛燕が発掘されたことで有名な雷台漢墓のある雷神廟。
表紙の画像は、雷神廟での厄除け祈祷風景。
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孔子廟である文廟から近くの大雲寺にかけての一帯は、こんな町並みが残っていた武威の旧市街地。
雑貨屋さんの戸口におじさんが所在無げに座る。
その後ろに迫るのは、新しく建てられ始めたビル。 -
この壁に書かれた清真という字は≪イスラム教の≫を意味する言葉。
たとえば、モスクのことを中国語では清真寺と言います。
その扉を見ると、春節(中国の旧正月)に貼りかえられる春聯も貼ってある。
ン? モスクじゃないのかな。
門が閉まっていたので、内部は未確認。 -
武威の旧市街地にあった住居の門の装飾を見ると、武威はシルクロードが通っていた町、というのを感じさせる中近東風。
-
中国では、取り壊しの決まった家々にはこの画像のように≪折≫という字が書かれます。
この字が付けられると、取り壊しはもう時間の問題。
一期一会のこの町並み。 -
もう半分取り壊された壁の向こうに、この朝行った文廟(孔子廟)方向にある建物の屋根が顔を出す。
明るい日差しの中で、悲しい一面を見せる武威の旧市街。 -
まだ洗濯物が中庭に翻る土住居もあった。
誰も出て来ない武威の旧市街地の昼下がり。 -
取り壊しが進む武威の旧市街地の向こうからポツリと人の影が現れた。
路地の奥には新しく出来たらしい建物も見える。 -
人が住んでいる家というのは、その場に人影がなくても、生活の気配、といったものが感じられる。
不思議だなあ。 -
日除けのカーテンがかかる雑貨店。
その向こうにモスク独特のタマネギ型のドームが二つ。
武威にはイスラム教を信仰する人々もいるのだというのがこれではっきり。 -
武威の旧市街を抜けて、今度は羅什寺塔方向へテクテク。
旧市街とは趣を異にする北大街に立つ羅什寺塔は、後秦代の高僧、鳩摩羅什が武威に十七年間留まったのを記念して建立された塔らしい。 -
羅什寺塔内には鳩摩羅什の舎利が葬ってあるのだそうですが、中には入れませんでした。
お参りに来る人もここでストップ。 -
道端の食堂で一休み。
甘粛省は、中国の麺というイメージからはかけ離れた麺が多いところ。
注:中国語の簡体字では、麺は≪面≫と書きます。
たとえば、
行麺:幅3センチ、長さ40センチほどの麺をゆで、野菜・豆腐・肉を炒め合わせた醤油味ピリ辛アンをかける。
揪麺:麺生地をスイトン風にちぎってゆで、野菜・肉・を炒め混ぜたトマト味まっかっかピリ辛スープに入れる。
臊子麺:ゆでた細麺を細切れのジャガイモ・豆腐・肉・野菜入りの透明スープに入れる。
搓魚麺:麺生地を4センチほどの長さに捩ってゆで、野菜・肉と醤油味で炒める。魚が入っているわけではありません。形が小魚に似ているので付けられた名前。
麺片:平たくした麺生地を乱切りにしてゆで、野菜・肉とトマト味で炒める。汁気多し。
お店によって多少差があります。
これ以外にももっといろいろありますよ。
この時食べてみたのは行麺。
この頃は、食べ物の写真を撮る習慣がなかったので画像は無し。今から思うと残念ですが。 -
お腹もいっぱいになったところで、お次は雷台漢墓のある雷神廟へ。
雷神廟は雨を祈願した場所で、1969年にはその地下から後漢晩期の墓が発掘されたらしい。
出土品一番の傑作は馬踏飛燕。今は甘粛省省都蘭州の甘粛博物館に展示されています。
不思議なことに、SUR SHANGHAIは武威では必見のはずのその雷台漢墓を見ていない。
やっと出てきた記録やネガを見ても、記述も画像も無し。
VIP参観か何かで一般人は見られなかったのかなあ。
どう思い返しても不思議。
で、これは雷神廟の境内。
お参りの人がやたらと浮かれて踊り始める。
???と思っていたら…、 -
…この朝大雲寺で見たのと同じように、厄払いの祈祷を授かるらしい人々が雷神廟に詰め掛けていた。
-
雷神廟の一画では、祈祷師さんが二人がかりで厄払いの作業中。
赤い布を被せた男性参拝者の体を服の上から色紙で撫でたり、頭の上にロウソクをかざしたり。 -
厄を払った後の色紙は、火の中へ。
これでこの男性参拝者の厄は天に昇って行ったに違いない。
周囲にはこの人たち以外にも…、 -
…男性の祈祷師さんもいて大活躍。
厄払いをしてもらいに雷神廟を訪れたらしい参拝者が次々に並びます。 -
この祈祷師さんは男性? 女性?
しばらくその動作などを見ていたSUR SHANGHAIも…、 -
…う〜ん、判別不可能。
-
雷神廟片隅にある簡単な祭壇に供え物をしてうずくまる人もいれば…、
-
…やっと自分の番が回ってきてうれしそうにしているおばあさんもいる雷神廟の境内。
-
行列が出来る厄払いの祈祷風景というのははじめて見た。
おどろおどろしい雰囲気は無く、あっけらかんと明るく賑やかな武威の雷神廟境内。 -
雷神廟で祈祷を受ける人の中には小さい子も混じる。
付き添っているのはおばあさんかな。 -
そんな武威の雷神廟の厄払い祈祷の風景の片隅に、孫らしき子を抱いてにこやかに座っていたおばあさん。
祈祷についてちょっと聞いてみても、地元の訛りが強くて意味不明。
このあとは、寧夏回族自治区の銀川に向かう長距離バスのチケットを買い、また長くなりそうなバスの旅に備えてSUR SHANGHAIはリタイアします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- azianokazeさん 2006/07/27 01:56:33
- 変わらないもの、変わるもの
- 壁に大きく書かれた“折”の文字。
「もう無用のものになった」との宣告、そして近く解体という“刑”の執行を行うことをひろくさらすような烙印にも思えて、少し残酷なまたは無慈悲な感じもします。
でも成長に向けて疾走する中国にあってはそんな思いは無用な感傷なのでしょう。日本国内だっていろんなものを壊してきましたからね。
普段TV・新聞等で見聞きする中国は、疾走する経済であったり、政府のえらい人達であったり、抗議デモを行う群集であったりします。
しかし、厄除けに興じる昔からの生活風習も根強く残っていたり、あるいは逆に急速に普及するネット社会があったり。
当然ながら変わらないもの・変わるもの、いろんな側面があるみたいですね。
いろんな面類、おいしそうですね。
旅行中メニューを見てもよくわからないので、普段食べなれたもの、日本の中華料理屋さんでも食べられるようなものを結局頼んでしまいます。
せっかく外国を旅行しているのにもったいないことです。
もっとも、中国に限らず、最初はなるべく現地の料理をと思っていても、なかなか口にあわなかったりして、「まあ、食べるものは無難なもので・・・」となってしまうこともよくあるパターンです。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2006/07/27 23:10:59
- RE: 変わらないもの、変わるもの
- 壁に大きく書かれた“折”の文字。
>「もう無用のものになった」との宣告、そして近く解体という“刑”の執行を行うことをひろくさらすような烙印にも思えて、少し残酷なまたは無慈悲な感じもします。
でも成長に向けて疾走する中国にあってはそんな思いは無用な感傷なのでしょう。日本国内だっていろんなものを壊してきましたからね。
この≪折≫の字が付いて、もう住む人も立ち去った家を見ると、自分の家でもないのに不思議な感傷が湧いてきます。
立ち退きを迫られた人は代わりの家に嬉々として移って行く人もいますが。
上海でもよく見る風景です。
そうやって変わり行く街の中に、昔と変わらぬ人々の営みを見るのは不思議な気がします。
私も日本に住んでいた時には、地元の祈祷師さんのところへ行って厄年の厄払いをしてもらったのを思い出しましたよ。
>中国に限らず、最初はなるべく現地の料理をと思っていても、なかなか口にあわなかったりして、「まあ、食べるものは無難なもので・・・」となってしまうこともよくあるパターンです。
そうですね。実物が目の前にあると安心して頼んだりしますが、名前が怪しげ
な臊子麺なんかだと、「中身は何だろう、自分が食べられないものかも…。」と躊躇。始めて頼んだ時にはドキドキでした。(^○^)
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